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海洋物理学者の須賀利雄さん(東北大学地球物理学専攻長)に聞く/科学って、そもそも何だろう?

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海洋物理学者の須賀利雄さん(東北大学地球物理学専攻長)に聞く/科学って、そもそも何だろう?
取材・写真・文/大草芳江

2016年09月23日公開

豊かな"地球観"が、社会貢献につながる

須賀 利雄 SUGA Toshio
(東北大学大学院理学研究科・理学部 地球物理学専攻 教授・専攻長)

1962年東京都生まれ。1991年東北大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。専門は海洋物理学。東北大学理学部助手、同助教授、東北大学大学院理学研究科准教授を経て、2012年より現職。1997年日本海洋学会岡田賞受賞。2000年から海洋科学技術センター(現:国立研究開発法人 海洋研究開発機構)サブリーダー、グループリーダーなどを兼務して国際アルゴ計画に従事し、2009年からは国際アルゴ運営チームメンバー。これまでに、気候のための海洋観測パネル(OOPC)共同議長、日本海洋学会副会長などを務め、現在、日本ユネスコ国内委員会IOC分科会調査委員、全球海洋観測システム(GOOS)運営委員会委員などを務める。

わたしたちの地球を物理学の視点から研究する学問、それが「地球物理学」だ。その研究フィールドは地球中心から惑星まで広がり、理学的探求のみならず社会貢献にもつながる学問であるという。「地球物理学は今、新たな変革の時期を迎えている」と語る、東北大学の地球物理学専攻長の須賀利雄さんに、そもそも地球物理学とは何かを聞いた。

※本インタビュー取材をもとに東北大学地球物理学専攻HPを作成させていただきました


地球全体を俯瞰するフェーズへ

―そもそも地球物理学とは何ですか?

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画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻

 地球物理学とは、その名の通り、地球という惑星を、物理学の立場から理解しようとする学問です。地球の内部(固体地球系)から地球表面の海洋や大気(流体地球系)、さらには高層の電離圏や磁気圏につながる太陽系(太陽惑星空間系)まで、幅広い領域が地球物理学の扱う範囲です。その中で起こる多様な時間空間スケールでの現象が、地球物理学の対象となります。

 そもそも「地球物理学」という言葉自体はそれほど古くなく、使われ始めたのはせいぜい19世紀の終わり頃と思います。もちろん、それ以前から「地球物理学」と呼ぶ学問につながることは、研究されていました。我々の住んでいる世界はどんなものか、物理学的な側面から考え始め、「地球は平らだ」と考えられた時代から「地球は球だ」と認識が変化してきました。地球物理学のルーツは非常に古く今に至るわけですが、地球物理学としてのまとまりはそれほど意識されず、各分野でそれぞれ発展してきたのです。私がこの地球物理学の世界に入った約30年前も、各分野の発展が急速でしたので、学問が細分化・精密化される一方で、分野間のつながりはあまり意識されず、地球全体を俯瞰する機会も少なかったかもしれませんね。それが今、地球全体を見るフェーズへ移行していると感じます。

―なぜ今、「地球全体を見よう」というフェーズになってきたのですか?

 例えば「なぜ雨は降るのだろう?」と考えますね。最初は「雨が降ること」と「雨が降る前に気圧が下がること」が結び付けられ、それが天気予報に発展していますが、ローカルにいつ雨が降るかの話ですから、地球全体という視野はそれほど必要ではないですね。個別に様々な現象を定量的に深く掘り下げる方向へ学問が進む時は、地球全体のことをイメージしなくとも、その研究ができたのだと思います。
 
 一方で近年、まず一つは観測の面で、全地球的な観測網が整備されつつあり、地球全体のデータを入手できるようになってきました。もう一つは理論の面で、数値モデルの発展です。我々は何か自然現象を理解した時、それを数式で定量化します。コンピュータの急速な発展を背景に、数式をコンピュータで計算することで、過去に起こった現象をコンピュータ内に再現したり、あるいは未来に向けて積分することで、将来の予測ができるようになりました。こうして数値モデルが非常に進展し、コンピュータ内で地球上で起こる様々な現象の物理プロセスを再現できるようになりました。これが本当にどこまで再現できているかはまた別の問題ですが、かなりの精度で再現できるようになったことで、地球全体で起こっていることを把握できるようになってきたのです。私の専門である海洋物理学においても、海の水温や流れなどを研究する時、地球全体という意識を持った上で、ある特定の現象を見るようになっています。つまり、見ているところの現象と広域な現象、あるいは地球全体の現象との関わりを考えることが、今は普通になってきたと思います。さらに、様々な現象の間の関係がよく見えるようになったことで、地球物理学の各分野の枠を超えた研究も行われるようになってきました。


物理学で地球を見る

―地球を「物理学の立場から見る」とは、具体的にどういうことですか?

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画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻

 地球に関わる様々な自然現象を理解する時、基礎となる物理学があります。例えば、地球の固体部分は「弾性体で近似する」と我々は言います。弾性体とは、力を入れると変形し、放すと元に戻るものです。例えば、日本の周辺では海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込こんでいますが、海洋プレートに引きずられることによって大陸プレートにひずみが溜まります。これがまさに弾性体の性質で、力が加わると変形し、その変形が我慢できなくなったところで元に戻ろうとします。そのときに生ずるのがプレート境界型の地震です。物理学の言葉で言うと「地球の固体部分を弾性体として理解する」と言うわけです。

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画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻

 また、大気や海洋は流体ですから、「流体力学」という学問で理解します。空気も水も切れ目なくつながっており、これを物理の言葉で「連続体」と言います。そのような連続体のうち、力をかけると変形して元に戻るのが、先述の弾性体です。一方、空気や水など、変形しても元に戻らないのが「流体」です。流体力学は大気や海洋などの流体で起こっている現象に関係する物理学です。さらに、例えば大気の上昇気流に伴い水蒸気が凝結して雲ができて雨が降る、となると、流体力学的な過程と熱力学的な過程の二つで理解できます。

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画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻

 超高層の電離圏に生ずる現象の代表と言えば、美しく神秘的なオーロラです。地球には、太陽から吹き出す電離した粒子である太陽風が吹きつけています。オーロラは、太陽風起源の電子などの荷電粒子が、地球の磁気圏に侵入して磁力線沿って加速され、大気の原子に衝突する際に発光する現象です。これは電磁気学的な過程として理解できます。

 非常に簡単に言うと、これが「物理的に見る」という意味ですね。「物理学的な理解」と対比できるのが「化学的な理解」です。例えば、地殻の構造を考える時、地球物理学的には先述の通り「弾性体」として見て、「どれくらい伸び縮みしやすいか」「どれくらい硬いか」(硬ければ硬いほど地震波の伝わる速さは速い)といった"物理的な"特性に着目します。一方、これを化学的に見ると「どんな物質からできているか」といった"化学的"な特性に着目します。もちろん両者は当然関係しますが、物理学的に見る時は、物理学的特性に目を向けるのです。

 私の専門である海洋学においても、海流がどんな仕組みで流れているかを力学的に理解しようとするのが海洋物理学、海に溶けている色々な物質を考えるのが海洋化学です。20世紀後半には、地球物理学と地球化学は主に別々に発展してきました。しかしここに来て、物理プロセスを理解するために化学的性質の理解も必要になっていますし、あるいは化学的プロセスの背景にある物理がより詳しく明らかになったことで、地球化学の理解が進むこともあります。物理と化学といった、異なる学問分野を跨いだ境界領域で、新しい学問が発展しているのです。

 化学だけでなく生物も然りですね。海は生物に欠かせない化学物質の宝庫ですし、我々が物理的に見てきた海の中で起こっている物理現象は、海に住む生き物たちにとっては、地上の我々で言う天気や寒暖の差に相当するわけです。「我々が見ている物理現象は、生き物にとっては、実は、そういうことか」と思ってみると、海の別分野の専門家との対話は非常におもしろいですね。今は、様々な研究分野がそれぞれ発展したおかげで、お互いの領域を知ることで、ますます自分の研究が進む状況になっていると思います。

 このように今、地球全体を視野に入れた研究が盛んになってきたことと、学問領域を超えた分野連携という学際的な方向へ科学が進んでいます。地球物理学全体、そしてこれからの科学は、そのような新しいフェーズへ向かって発展している時期という気がしますね。


「物理的なものの見方」の土台をつくる

―対象そのものが地球全体へ拡がり、またこれまで細分化され発展してきた各専門分野も今後は融合していくという、新たなフェーズへ向かっていく中、研究機関であると同時に教育機関である大学として、地球物理学専攻ではどのような教育を行っているのですか?

 物理系として入学した時点では学科に配属されず、1年次(1・2セメスター)から2年次前半(3セメスター)まで共通する授業を受け、物理学の基礎を勉強します。「物理的なものの見方」を養うため、じっくり取り組めるカリキュラムになっています。逆に言うと、「自分は地球物理学を早くやりたい」という希望を強く持ち、入学後すぐに研究できると思っていた人にとっては少し物足りないくらいに、「まずは物理」なんですよ。しかしこれは非常に大事なことで、拠って立つ物理学の土台をしっかりとつくることが、今後どちらの方向へ発展するにせよ、非常に重要です。それをみっちり学べることが、物理系の特徴の一つです。

 そして2年次後半(4セメスター)から「宇宙地球物理学科」と「物理学科」に分科し、この時点で宇宙地球物理学科の「地球物理学コース」と「天文コース」から志望するコースを選びます。地球物理学コースで最も特徴的な授業は、2年次後半から3年次前半(5セメスター)の1年間かけて行う「地球物理学実験」で、カリキュラムの中心になっています。もちろん基礎的な物理学の授業も続きますし、3年次前半には地球物理学の専門的な授業も始まりますが、やはり一番特徴的なのは地球物理学実験ですね。

―地球物理学実験とは、どのような授業ですか?

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地球物理学実験で実験装置を自作し測定系を組み立てる学生ら(画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻)

 地球物理学実験とは、実験や観測を通じて、地球物理学、並びにその根幹にある物理学をよりよく理解することを目的とした授業です。学生たちが自分たちで実験テーマや方法を考え、実験装置を自作して測定系を組み立て検定し、さらに計測したデータを解析・考察することによって、実験や観測の考え方・進め方を実践的に学ぶことができます。また、発表会やレポート作成などもあり、研究活動の一連の流れを体験することができます。我々が研究者としてやっている研究の、まさにミニチュア版ですね。この授業は、これまで学生が受けてきた教育とは全く違います。1年次から2年次前半までにも実験はありますが、それはテキストも実験方法も予め用意されており、その通りにやりましょう、という実験です。一方、地球物理学実験は主体的に学生自ら考えて動くことが基本になっています。

 地球物理学実験の前半(2年次後半時)では、物理定数(重力加速度、光速、粘性率など)を精度良く求める実験を行います。定数ですから、答えは教科書などに正確な数字が載っています。答えがわかっているものを、敢えて、自分たちでつくった観測装置で測って求めるのです。自分たちの観測系がどんな性質を持っているかをきちんと理解していると、自分たちが求めた数値の"誤差"を評価できるようになります。これが、非常に大事なことなのです。例えば、「地球の重力加速度は9.8 m/s?」と有効数字2桁で覚えますが、ある観測系で測ると1桁しか出ないかもしれない。すると答えは「地球の重力加速度は10 m/s?」となるはずです。ところが計算上は9.9999...と何桁でも書けるのですよ。しかし、書いても意味が無いですよね。例えるならば、1cmおきにしか目盛りがないモノサシで、10分の1までは目分量で読めと習っていますから2.8cmは意味がありますが、2.8373cmと言っても全く意味が無いのと同じです。「この観測系で測ったら、ここまでが意味のある数値だ」と考えてもらう。その意味を身をもって体験してもらうのが、地球物理学実験の前半で重要なことの一つですね。

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地球物理学実験では学生自身が実験テーマや方法を創案する(画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻)

 次に、地球物理学実験の後半(3年次前半)では、定数ではなく、自然界で起こっている変動現象を扱います。ですから今度は、必ずしも答えがないもの、わからないものを対象とするので、より研究に近くなります。例えば、仙台で観測される海陸風の特徴や、電離層の高度の日変化を測る人、自分たちで地震を起こして地震波を測る人もいます。このように、測定や観測の基礎をかなりの時間をかけて教育している点が、地球物理学専攻の特徴です。


「新たな目を獲得する」観測重視の伝統

 地球物理学コースには、観測重視の伝統があります。コースの構成単位としては「基幹講座」(大学の研究室に相当)と「観測・研究センター」(地震・噴火予知研究観測センター、大気海洋変動観測研究センター、惑星プラズマ・大気研究センター)がありますが、大きな観測設備を持っている観測・研究センターのみならず、基幹講座も地球の観測に力を入れています。もちろん観測と理論、数値モデルをあわせて研究を進めるわけですが、観測重視の伝統は、地球物理学コースの特徴の一つですね。

―観測を重視している理由は何ですか?

 まず、この組織の原点として東北帝国大学理科大学物理学科が1911年に設置された後、物理学科から派生して1912年に気象と地震を観測する理科大学附属観測所を仙台市向山に設置したのが、地球物理学コースの始まりという歴史があります。

 そもそも、我々は「自分たちが観測できないものは、存在すら知らない」のですよ。私の学部・大学院時に指導教員だった先生の先生が、東北大学に海洋研究室ができた当時(1971年)、お祝いに講演してくれました。その時、先生が仰ったことが、「結局、我々は自分たちが見えるものしか見てない」と。喩え話で、昔まだ日本の夜が明るくなかった時代、ある人が家に帰ったら、道中で財布を落としたことに気がついた。探しに戻るが真っ暗で、街灯が照らしているところしか探せず、結局、財布は見つからないまま帰ってきた。実は、これは我々がやっていることと同じで、「見えるところしか見えず、見えないところは知らない」のです。
 
そこで、自分たちが見ることのできる範囲を広げるのが観測です。新たな観測手法を開発して観測することは、新たな目を獲得することです。我々が物理現象として理解する以前に、その存在すら知らなかったものが見えることにつながりますので、観測が重要なのです。

 もちろん、例外的には、理論が先にある場合もありますよ。例えばアインシュタインの頭の中にできた相対性理論が先にあり、「こんな現象があるはずだ」と予言し、それを観測し確かめるケースもあります。しかし地球物理学の場合、全く無いわけではないですが、やはり観測して「こんな現象が起こっているけど、なんだろう?」という疑問から学問が始まるという意味で、観測は、我々のものの見方を拡げる重要な行為であると思います。


◆世界中の海をはかる

 私は海の専門家ですから、その例として海の話をしましょう。実は、我々人間は海のことを知らないのです。大気のことは、地上には世界各地に人がいるので、それなりに実感としてもわかるわけですが、海については、海岸線から見える海はほんの一部で、少し離れれば全く見えない世界、一体何が起こっているかなんて、我々は知りようがなかったのですよ。

 大航海時代、船乗りたちによって「海には流れがある」「海の温度は表面から少し下がると非常に冷たくなっている」といったことは徐々にわかってきました。そして海を、科学として観測することが始まったのは19世紀のことで、1870年代、英国のチャレンジャー号が世界一周探検航海で海を観測したのが最初です。ただ、世界中の海の至るところで何が起こっているかは、全然わからなかったわけです。そんな中、第一次世界大戦の敗戦によって、巨額の賠償金を求められたドイツが、海水から金を採ろうと考え、そのために海洋を観測しました。結果的に、海中に溶けた金を取り出すことは採算が合わないことがわかったわけですが、海洋学として大西洋を詳しく測ることができました。

 そして1990年代になって、世界各国が協力し、世界中の海を船舶によって測る観測を行いました。それでも約10年かけて地球全体を一回測っただけなのです。ところが海も変化が大きいので、一回測るだけで十分かと言えば、そうではありません。また、地球全体とは言いましたが、船による観測は測線と呼ばれる航路上に限られ、観測の空白域は残りました。やはり温暖化の問題を考えても、海を隈なく継続的に測り続ける必要があるという認識が高まる中、2000年にスタートした国際プロジェクトが「アルゴ計画」です。

―アルゴ計画とは、どのような国際プロジェクトですか?

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海に投入されるアルゴフロート(画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻)

 まず小型自動観測ロボット「アルゴフロート」を船から海へ投入します。アルゴフロートは水深1000mまで一旦潜り、海を約9日間漂流します。そして10日後に水深2000mまで沈んだ後、水温と塩分を計測しながら、約5~6時間かけて海面に浮上します。そして計測したデータは海面から通信衛星へ送信された後、再びアルゴフロートは1000mの深さまで潜ります。この10日間サイクルを自動で繰り返すアルゴフロートを、世界中の海洋に3000台以上展開し、集めたデータを世界中の誰でも利用できるようにすれば、エルニーニョ現象に関係するような海の変化や、地球温暖化の熱を海がどのように吸収しているかといった問題を明らかにできるだろう、と考えました。

 そのような計画を世界中の研究者が集まって1998年頃から策定し始め、2000年に計画をスタートし、現在、約3,800台(このうち日本では200台弱)のアルゴフロートが地球全体の海の至る場所で定期的にデータを取得しています。10日サイクルではありますが海を隈なく継続的に測れる状態になり、今まで我々が全く知ることができなかった海の実態が見えるようになってきました。この観測網ができる前と後では、「海に対する我々の監視能力は革新的に変わった」と言っても過言ではないでしょう。このような観測網の充実化が今、様々な地球物理学の分野で起こっています。


理学的興味が社会的貢献へつながる

 「我々の住んでいる地球とそのまわりを取り巻く環境は、一体どんな仕組みで成り立っているのだろう?」。それを理解したいという理学的な興味が、研究の原動力です。けれども、それを考えるのと表裏一体で忘れてはならないのが、環境の変化が引き起こす様々な災害に関する防災・減災との密接な関わりです。

 その代表的なものとして、既に行われている気象予報や、現在実現を目指している地震・火山噴火の予知、あるいは地球温暖化の緩和策や適応策、2015年12月に締結されたパリ協定(産業革命前からの世界の平均気温上昇を「2度未満」に抑える)発効後の調査・監視なども、地球物理学の守備範囲です。自然現象のしくみをより深く理解したいという真理の探求に加え、その知を防災・減災科学や環境科学に応用することで社会に貢献する役割も地球物理学には期待されており、研究を進める強い動機となっています。

 地球温暖化は、いくら緩和策を施したとしても、もう止められないでしょう。仮に今すぐ温室効果ガスの放出をゼロにしても、今まで放出した温室効果ガスが原因で、温度の上昇はすぐには止まりません。実は、人類が温室効果ガスを放出する前は、地球はある一つの平衡状態にありました。そこに人間が温室効果ガスを加えたことで平衡状態を乱し、今は新たな平衡状態へ向かって変化している最中で、それがどこに向かうかさえ決まっていない状態です。いずれにせよ昔は平衡だったものが今は平衡ではなく非常に不安定なので、おそらく極端な現象が多数起こります。そのプロセスで一体どんな極端な現象が起こるかを理解し、予測するのも、地球物理学の守備範囲ですね。予測をもとに、その変化に適応した産業構造の変革を進めるといった適応策にも関係しています。このように理学的な興味が、同時に、防災や減災、気候変動に関する緩和策や適応策への貢献にもつながっていくのです。

 この分野に来る学生の動機にも幅があるでしょう。純粋に理学的な興味だけで来る人もいれば、社会への貢献を強く意識して来る人もいるかもしれません。多くの人は、その両方をある割合で持ってくるかもしれませんね。また興味の対象も、大気に興味がある人もいれば、地震に興味がある人がいるかもしれない。あるいは理論に興味がある人、観測に興味がある人がいるかもしれない。さらに計算が得意な人もいれば、ものをつくったり、観測したりデータを解析するのが好きな人もいるかもしれない。そんな幅広い動機や興味、能力を持った人たちが、自分たちの動機や興味、能力を活かす場が地球物理学にあることが魅力の一つですね。それは、競争ではないのです。地球物理学には、それぞれ自分が得意なことをやることで全体の理解が深まっていく醍醐味があります。


地球観を豊かにする

―最後に、今までのお話を踏まえて、次世代へのメッセージをお願いします。

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画像提供:東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻

 どんな人でも地球上で生きていれば、自分の身のまわりで起こっている様々な現象に対して、「なんでだろう?」と疑問に思ったことがあると思うのです。それを掘り下げて深く理解し地球全体がどのようになっているかという見方、いわば「地球観」を豊かにする行為が、地球物理学という学問だと私は思うのです。

 例えば、雨が降る。雨に突然降られて自分が濡れても、私は「仕方ない」と思うのです。そもそもなぜ雨が降るのだろう。地球は球ですから、低緯度に太陽の熱が直接たくさん入り、高緯度はあまり入ってきません。よって低緯度が過剰に加熱されているのに対して、高緯度は冷却されている状態になります。この時、低緯度から高緯度へ熱を運ぶ仕組みがないと、地球上の温度分布は今よりもっと極端な状況になっているはずです。それが今の地球では、大気と海が熱を運ぶことで、割りと均等に均されています。その熱輸送を担うプロセスの一つが、雨なのですよ。「そんな地球全体の営みの中で今、雨が降っているのだな」と思うと、「突然雨に降られて、私一人が濡れるという個人的不都合なんて、地球全体の営みで見たら、すごく小さなことだ」と思うのです。自分のまわりで起こっていることを理解することは、自分を大きくしてくれると言いますか、ものの見方を拡げてくれると思います。地球物理学で、地球の自然現象の全体像やプロセスがわかることを通じて、自分の日常のものの考え方にも影響するところが、おもしろいですよね。それは理学全体に言えるかもしれませんが、そのようなことをまさに毎日、自分の専門として勉強できるのが大きな魅力だと思います。

 もう一つ大事なことは、観測にせよ数値モデルにせよ、今は非常に発展してきましたので、これからこの分野に来る若い人たちは、我々とは全く異なる考え方をしてもおかしくないですね。私はこの分野に約30年前に入ってきましたが、当時抱いた根本の疑問は、あの時代背景のもとについた"火"であり、今でもそれが研究の大本の動機になっています。今からこの分野に来る若い人達は、我々とは「観測する目」も理論やモデルの発展も全く異なるところからスタートしますから、我々とは全く異なる見方を拡げてくれることを期待しています。

まさに今、地球物理学が変革しようする時期に、自分の地球観を豊かにしつつ、人類全体の地球観を発展させることに貢献する、そんな地球物理学の世界に、若い人たちにはぜひ、飛び込んで来てもらいたいですね。

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―須賀先生、ありがとうございました


著名作家に学ぶ文学の書き方講座/せんだい文学塾

著名作家に学ぶ文学の書き方講座/せんだい文学塾

2016年9月29日公開

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【写真1】「せんだい文学塾」のようす=仙台文学館(仙台市青葉区)

 プロの作家らに学ぶ文学者育成講座「せんだい文学塾」が、仙台文学館で毎月開講中だ。9月24日に開かれた講座では、角田光代さん、井上荒野さん、江國香織さんら3人の直木賞作家たちが「3人の書き方はこんなに違う」をテーマに講師を務め、作家志望や読書好きの人ら約120人が会場を埋めた。

 せんだい文学塾は、文芸評論家で山形市在住の池上冬樹さんがアドバイザーを務め、第一線で活躍中のプロの作家や評論家、出版社の編集者を講師として招き、受講者の作品の講評や講義を行う公開講座。東北芸工大(山形市)が2009年度まで3年間仙台で開いていた「小説家・ライター講座」の閉講を惜しんだ受講生らが、有志(運営委員長:鷲羽大介さん)による自主運営に切換え継続している。

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【写真2】左から江國香織さん、井上荒野さん、角田光代さん、池上冬樹さん

 講座では、受講者から事前に募集した小説やエッセイの中から3点の作品を池上さんがテキストとして選考し、その作品をゲストの作家や編集者が講評した。この日、講師を務めた3人の作家らは「言葉でうまくまとめようとしなくてよい」「状況を説明するのでなく、情景で描写して」「作者が語るのではなく、読者に考えさせるものでないと」などと助言した。

 続いて行われたトークセッションでは、受講者から事前に集められた約20個の質問に3人の作家が次々と答えた。このうち小説の書き方については「場所と登場人物が決まり、時間が流れれば、そこに小説が生まれる。ストーリーが始まる前のことは考えるが、具体的に誰がいつ何をするは考えない」という作家もいれば、「地図を持たないまま小説が生まれるのは格好良いが、私には無理で、まず起承転結を考えて、12月までの連載であれば6月に人が死ぬとか決めている」と話す作家もいた。一方で「読み手にどう伝わるかは全く考えない」など3人の作家に共通する面もあった。

 今回、テキストとして作品が選ばれた受講者の庄司真希さん(仙台市在住)は、「プロの作家として小説を書き続けている人からの指摘は重みがある。自分の書きたいことをそのまま書くのではなく、違う方向から表現する必要があると思った」と話していた。

 次回の講座では、10月15日に直木賞作家で仙台市在住の熊谷達也さんを講師に招く。会場は仙台文学館、時間は16時30分から18時30分まで。受講料は一般2000円、大学生1000円、高校生以下無料。問合先は、せんだい文学塾事務局022(298)8455。詳細は公式ブログを。


■インタビュー

―そもそも「小説を書く」とは何ですか?『宮城の新聞』読者の中高生に、コメントをお願いします。

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・角田光代さん(直木賞作家)
 私にとって小説を書くということは、何かを考えるということです。考えることで、今という時代と、現代という社会と、つながっていると思っています。

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・井上荒野さん(直木賞作家)
 「人間とはどのようなものか」ということを言葉によって知ろうとする(著者も、読者も)芸術。

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・江國香織さん(直木賞作家)
 わたしにとってそれは、とどめおけないものをとどめおこうとする試みであり、世界を言葉で再構築することでもあります。たのしいですよ。

―ありがとうございました。

鳴子の米「ゆきむすび」のおにぎり専門店復活へむけて/鳴子の米プロジェクト理事長の上野健夫さんに聞く

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鳴子の米「ゆきむすび」のおにぎり専門店復活へむけて/鳴子の米プロジェクト理事長の上野健夫さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2016年10月06日公開

鳴子の米「ゆきむすび」のおにぎり専門店「むすびや」が、東日本大震災の影響で2013年12月に休業してから約3年が経った。ファンらから再開が望まれる中、同店を直営するNPO法人鳴子の米プロジェクトが、来年4月1日からの営業再開を目指し、インターネットで資金提供を募るクラウドファンディングを9月15日から始めている。11月14日までの2ヶ月間で250万円以上集めるのが目標で、クラウドファンディングのアドレスは、https://readyfor.jp/projects/musubiya。むすびやの復活にむけて、同法人理事長の上野健夫さんに同プロジェクトのねらいや今後の展望などを聞いた。

※ 弊紙『宮城の新聞』に掲載していた休業前の「むすびや」のおにぎりや店舗などの写真を、同法人からの依頼でクラウドファンディング用に提供させていただいたことをきっかけに、本取材が成立しました。本記事に掲載しているおにぎりや店舗などの写真は、営業当時に撮影したものです。


「鳴子の米プロジェクト」とは?

―そもそも「鳴子の米プロジェクト」とは何ですか?


◆農地を守っていきたい

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NPO法人鳴子の米プロジェクト理事長の上野健夫さん

 このプロジェクトは今年で11年目になるのだけどね。スタートした背景に何があったかと言うと、「中山間地域」(都市部や平地以外)と呼ばれる鳴子の中でも、特に鬼首や中山平は、高齢化や過疎化が急激に進行しているじゃないですか。日本人の主食である米、田んぼが、どんどん耕作放棄地になりつつある。もちろん平場でも高齢化は起きているけど、中山間地域は、その10倍ものスピードでそれが進んでいてね、田んぼでありながら、何も先付されずに荒れ果てて、ヤナギやセイタカアワダチソウなどが生えた耕作放棄地が多くなっていたのね。

 国の農業政策も、「猫の目行政」(猫の目のようによく変わる)とよく揶揄されるけど、このプロジェクトがスタートした当時も、また大きな農業政策の転換があってね。要は、大規模化・集約化を進めるということで、中山間地域の小さな農家はもう要らないよ、と言葉ではっきり言わなくとも、大規模農業を進める人には支援するけどね、という政策が始まったわけです。そうじゃなくても農地が耕作放棄されつつあるのに、そんな農政が行き渡ったら、鳴子から米作りの風景がなくなってしまうのではないか。そんな危機感がありました。

 一方で鳴子は、どちらかと言うと、観光地としての知名度が高いのだけど、観光に携わる人達も、国道沿いの田んぼが荒れることを非常に懸念していたのね。なぜかと言うと、古川のインターを降りれば、田園風景が広がっているじゃないですか。鳴子に向かう中で、山が迫って湯けむりが見えてくると、「あぁ鳴子に来たな」という安堵感に浸れる。それが鳴子の魅力のひとつであって、観光地・鳴子にとっては、温泉もそうであるように、農の風景も大切な観光資源なんだよね。けれども最近、国道沿いの一等地でさえ、耕作放棄地がいっぱいあるじゃないですか。ヤナギの林を通り抜けて鳴子に来るようじゃ、観光地としての鳴子もダメになってしまうのではないか。そこで、お互いに知恵を出し合って協力することで、農地を守っていきたいと、このプロジェクトが始まったのが、11年前のことです。


◆中山間地域に見合った米作りを探して

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NPO法人鳴子のプロジェクトのロゴが書かれた「むすびや」の暖簾(2010年撮影)

 国の農業政策も、田んぼがありながら米を作るな、という生産調整をずっと進めてきたんだよね。でも、それ以上にもっと米作りを辞めていく背景があってね。昔は、鳴子のような中山間地域の米は、美味しくない米の代名詞だったんですよ。もともと鬼首で米を作っていた理由も、商品として売るためでなく、冬を越す食料貯蔵のため。一冬越せるだけの米があれば安心して出稼ぎに行けるからね。昭和30年頃までは、そんな社会環境だったんですよ。けれども、栽培技術や肥料や農薬の進歩によって、少しずつ自分の家の分よりも作れる米が多くなって、出荷できるようになったのだけど、中山間地域は気候も水も冷たくて、「鳴子の米は牛の餌にもならない」と言われた時代もあったんです。本当に、米は古川で作るから、鳴子のような地域は田んぼなんか作らずに牛でも飼った方が良いという、「地域間とも補償」というやり取りをすれば良い、なんて言われた時代もあったんですよね。

 一方で、お米はブランド化が進んでいて、都会で「米の品種を知っているか?」と聞けば、皆「コシヒカリ」と答えるくらい、コシヒカリでないと米ではないような時代なんだよね。にも関わらず、実際にコシヒカリを食べたことがある人はどれくらいいるか?と言えば、食べたこともないのに、ブランド米でなければダメだという米に対する先入観がある。けれども今は、どの地域でも、かつてのように牛の餌にしかならないような、美味しくない米は、無くなってきているんだよね。

 そこで私たちは、昔から農業には「適地適作」という言葉があるように、中山間地域に見合った米作りを、ブランド力に頼るのではなく、本来の農作物を栽培するための米作りをした上で、皆に美味しいお米を提供したいと思ったわけ。そして、自分たちに合う米の品種を探し出して、当時はまだ「東北181号」という番号しかない米だったのだけど、後に自分たちで提案した名前の「ゆきむすび」というお米に、奇跡的に出会ったのです。そして、長年、鬼首で米作りをしていた人が、ゆきむすびを試験栽培して「こんなに美味しい米に出会ったことがない」と感激して、「鳴子でとれた新しい品種の米だから食べてみないか。鳴子の米プロジェクトの意義をわかってほしい」と発表会を開きました。それから皆に少しずつ、鳴子にはこういう米があると広めてきたのが、このプロジェクトの活動だよね。


◆米への価値観を共有する

 もうひとつ特徴的なことは、国が大規模化を進めたことで、皆、大きな農家になっていますよね。けれども生産組織が大きくなる程、消費者との距離はどんどん離れて、多くの人達は自分が毎日口にしている米は、どこの誰が作った米かわからずに食べているのが普通なわけです。そこで我々は、米を作る側と食べる側を結び,信頼関係を取り戻すことで、これまでに無い、「米への価値観を共有」することが、流通も含めて、できるのではないかというスタイルを、食べ手の皆さんに提唱してきたんだよね。そして今、約900人の人達に支えてもらって、信頼関係を結べたことが、10年間の大きな成果のひとつだと思っています。


◆ゆきむすびを食べたい、その声に応えたい

―プロジェクトの中で、「むすびや」はどのような位置づけにあるのですか?

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収穫期の「むすびや」店舗前(2011年撮影)。収穫されたゆきむすびが飾られていた。

 今は栽培面積が約17ヘクタールに伸びているのだけど、そのほとんどが消費者から予約いただいて、直接食べ手の人たちに配送されているので、地元の人達もなかなか口にする機会がないという声が随分あったのね。マスコミではゆきむすびと聞くけれども、実際に、どこに行けば食べたり買えるの?という声に答えたい、というのが一番大きな理由です。

 もうひとつは、このプロジェクトの発信基地という意味合いで、むすびやを始めました。お店に来た人がおにぎりを食べながら、米プロの活動に触れられる。田んぼに行って稲刈りをするだけでなく、お店に気軽に来られる人たちが、パネルの農風景を見るだけでも、全然関係性が違うな、と思ったのです。

―むすびや復活に至った経緯は?

 むすびやを辞める時もそうでしたが、「何とか続けてくれないか」という声が非常に多かったですし、おにぎりを食べたいという声がやっぱり大きいのですよ。むすびやは辞めたくて辞めたのではなく、辞めざるを得ない理由があったわけです。ちょうど観光客の人達にも地元の人達にもおなじみの店として定着しつつある時期だったので、本当にもったいないと思ったのですが、震災で建物が壊れ、大規模修復するには莫大な費用が必要ということで、やむを得ず、借りていた建物は更地になってしまいました。でも、いつかは復活させようというのは、このプロジェクト運営スタッフの総意だと思っています。

 実は、その間ずっと色々な物件を探していたのですが、厨房が入るとか、店として成り立つ立地条件とか、建物のスペースとなると、ま、お金さえ出せばなんぼでもあるのだけど、なかなか、その条件に見合う場所がなくてね。そんな中、今年4月、中山平の事務所に引っ越し、1階の台所には調理場があったので、最初はその台所を少し改装する程度のことしか考えていなかったのです。それがたまたま県の農政の職員からクラウドファンディングを紹介していただき、プロジェクトでも以前からクラウドファンディングを活用する話はあったので、この機会に挑戦しようと、皆で決めました。

 決めた理由のひとつは、やっぱり「おにぎりを出してください」という要望が非常に多いこと。例えば、これまでのリピーターの他,岩出山の道の駅や、中山平の温泉公衆浴場「しんとろの湯」にも新たに農産物の物販所ができる予定で、おにぎりを販売して欲しいという話もあります。形態としては、周辺施設に卸すおにぎりを朝から昼までつくる間、お店でテイクアウト&イートインできるイメージで考えています。


世代交代をしながら栽培面積を増やしたい

―今後については、どうありたいですか?

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営業当時の「むすびや」で人気だった、ゆきむすびのおにぎりランチ(2013年撮影)

 このプロジェクト自体も高齢化は切実な問題なんです。一方で、おかげさまで、ゆきむすびの人気はどんどん上昇して、東京の「おむすび権米衛」というおにぎり屋さんとも提携しているのだけど、今日、2店舗用のお米を提供してくれないか、というオファーも来たんだよね。米を食べてもらえない時代なのに、皆さんにゆきむすびを食べていただき、本当に感謝していますし、作り手にとってもやりがいとなっています。

 今は十数ヘクタールという本当に小さな面積だけど、やり方によってはまだまだ希望もあるし、若い人たちと世代交代をしていくには、仕事として成り立つ農業でなければ、若い人たちは当然来ないと思うんです。今回のように、協力してくれる権兵衛との取引も大事にし、また、私たちの米プロジェクトの活動を知ってもらって、ゆきむすびを支え、食べてくれる人が増えていけば、中山間地の鳴子でも十分仕事として成り立つ農業ができると思っています。そういうことを考えながら、ひとつは、世代交代を緩やかにでも進めながら、もっと栽培面積を増やしていきたいと思っています。

 実際に一人、後継者がUターンで戻ってきたのもあるし。少しずつだと思うけどね。ま、それが簡単にできればさ、農水省も役場の農水担当者も要らないと思うけど、それができなくて今困っているわけでさ。だからやっぱり俺らは俺らなりに独自のスタイルで、行政に頼るのではなく、常に自分たちで知恵を絞って色々な活動をしているので、新しいアイディアを、新しい感覚で、少しずつでも常に出していきたいという想いはありますよね。

 あと、ここ中山平も、ある意味では、過疎地の代表的地域と言っても良いような地域なので、地域にも馴染めるような組織でありたいなと思っています。まだあまり大きい声では言ってないですが、むすびやがある程度軌道にのり安定してからは、後々、地域課題にもしっかりアプローチすることで、福祉的な場にもおにぎりをお届けするとか、地域に根ざすことも私たちの大きな役目になると考えています。

―最後に、中高生も含めた、若い世代へメッセージをお願いします。

 米ってさ、食卓にあって当たり前だと思っている人がほとんどだと思うけど、やっぱり、毎日自分が食べている米を、どこでどんな人が作っているかが、わかって食べるかどうかで、全然違ってくると思うんだよね。それは米に限らず、野菜や肉だって同じでさ。それに、お金さえ出せば食料が手に入ると安易に考えていると、明日もし何かあった時、何も食べられなくなる、そんな手のひらを返すようなことが、今の世の中は多々はらんでいると思うのね。だから若い人には、職業や農業のことをしっかり学んでもらたいと思うし、そういう情報を私たちも発信し続けたいと思っています。

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―上野さん、ありがとうございました。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯015】松八重一代さん(東北大学教授)に聞く/ポジティブシンキングが切り拓く「経済学×工学」の融合領域

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯015】松八重一代さん(東北大学教授)に聞く/ポジティブシンキングが切り拓く「経済学×工学」の融合領域
取材・写真・文/大草芳江

2016年12月07日公開

ポジティブシンキングが切り拓く
「経済学×工学」の融合領域

松八重 一代 Kazuyo Matsubae
(東北大学大学院環境科学研究科 教授)

1974年東京都生まれ。1998年早稲田大学政治経済学部政治経済学科卒業、2004年早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程(理論経済学・経済史専攻 計量経済学専修)単位取得の上退学、博士(経済学)。東北大学大学院環境科学研究科(助手・助教・准教授)、工学研究科(准教授)クイーンズランド大学(訪問准教授)を経て、現職。(財)石田記念財団 研究奨励賞、(社)日本鉄鋼協会 西山記念賞、日本LCA学会 奨励賞、(財)インテリジェント・コスモス学術振興財団 インテリジェント・コスモス奨励賞 受賞。

東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)×「宮城の新聞」Collaboration ♯015

 経済学から工学に転身した経歴を持つ松八重一代さん(東北大学大学院環境科学研究科教授)は、今年8月から教授として研究室を運営する、育児中の女性研究者である。仕事と育児を両立しながら、経済学と工学の融合領域を切り拓いていく、その原動力とは何か。松八重さんのスタンスに迫った。


経済学から工学へ

―はじめに、松八重先生のご経歴をご紹介ください。

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 私の出身は経済です。早稲田大学の政治経済学部経済学科を卒業後、同大の大学院経済学研究科で博士号を取得しました。

専門は「計量経済学」です。経済学の理論に基づいて経済モデルをつくり、統計データを裏付けとしてモデルの各パラメーターが示す挙動から経済の仕組みを解明し、政策・提言に活かす研究を大学院で行っていました。

そして2004年、東北大学大学院の環境科学研究科に、助手として赴任しました。以来、工学研究科も一時兼任しながら、東北大学の青葉山キャンパスでお世話になっています。

―文系から工学系への転身は、外から見れば大きな変化と思いますが、どのような経緯で転身されたのですか?また、松八重先生ご自身は、その変化をどのように感じましたか?

 それはもう、大きな変化でしたよ(笑)。転機は、「文理融合」を標榜する東北大学環境科学研究科が設立された2003年、教授として同研究科に着任された長坂徹也先生が、JST(科学技術振興機構)プロジェクトの共同研究者を求めて、当時私の指導教員だった早稲田大学の中村愼一郎先生のもとを訪ねられたのがきっかけです。

 先生方お二人の相談話を、当時学生だった私は、背中越しに「そんな研究をするんだ」と聞いていましたが、長坂先生から新しい研究室に社会科学の視点を持つスタッフが欲しいと、助手のポストに誘っていただきました。正直、自分が工学部で何ができるのか、最初のうちはよくわからない状態でしたが、仕事の機会を与えていただいたので、前向きに捉えてきました。

―経済学部から工学部に転じて、実際にいかがでしたか?

 父親が工学部の教員で、多少は身近に知っていたところはあるものの、私自身は工学部で教育を受けたことはなく、ましてや材料についての専門知識は全くなかったので、何もかも初めての体験でした。ひとつひとつが新しく、まずは慣れることから始めました。

―経済学あるいは工学ならではの違いを、感じることはありましたか?

 経済学は、工学と理学どちらの視点も併せ持つと感じました。計量経済学で、あるモデルを提案し、統計的な推論を使ってパラメーターを推定し、将来予測とともにより良い将来をつくるための改善策を考える発想は、工学的視点に近いと感じました。それに対し、理論経済学の中で世の中の動きそのものを解明したい発想は、理学的視点に近い気がします。

ただ、企業の方も含めた工学部出身の方に「私は経済の出身です」と話すと、「じゃあ、どうしたら景気は良くなるの?」「儲かるためには何をやればいいの?」と聞かれることが多いのですが、それらのご関心の多くは経済学の対象ではないのです。それらのことに強いのは商学や会計学の方で、コスト計算は企業の方がむしろやっていますよ(笑)。一般に経済学出身者に期待される視点は自分には無いと感じられ、そのギャップは少し大変だった覚えはありますね。


「産業連関モデル」で社会全体の動きを可視化

―実際には、経済分野でどのような研究をされていたことが、東北大学環境科学研究科に助手として赴任することにつながったのですか?

 私は現在も、「産業連関表」という経済統計表に基づいた「産業連関モデル」というツールを使って、社会全体の動きの解明を目指す研究をしています。産業連関モデルは、「ライフサイクル分析(LCA)」という手法と親和的な関係があるため、環境影響評価に関する研究を、工学部の方も多く所属する学会で発表してきました。そんなつながりで、おそらく工学部にお誘いいただいたのだと思います。

―ご研究の概要を解説いただけますか?

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 まず産業連関表とは、財・サービスが各産業部門間でどのように生産され販売されたかについて、行列の形で一覧表にとりまとめた統計表で、日本では5年に1度、国が作成しています(図1、出典:総務省)。各産業分野が生産活動を行うにあたり投入(input)した原材料や燃料、労働力などへの支払の内訳と、販売先の内訳(output)が全て網羅され、各産業分野が、どのような生産活動をどの産業からのinputによって成り立たせ、それによりどれだけの価値(output)を生み出したかが示されています。

そして産業連関モデルとは、日本の生産技術や需要構造などが変化した時、産業連関表に基づいて、他の産業への波及効果も含めて、サプライチェーンを通じた、資源やエネルギーなどの流れを見ることができるツールです。

―産業連関モデルというツールを使い、具体的にはどのような研究をされてきたのですか?


◆ 【研究1】リン資源の持続可能な管理にむけて

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大きくわけて3つの研究テーマがあります。ひとつ目が、2003年当時、学生だった私が背中越しに聞いた先生方の相談話のことで、鉄鋼を製造する過程で副産物として発生する「鉄鋼スラグ」を対象とした研究です。鉄鋼スラグは路盤材などに利用されていますが、実は、スラグ中にリンが多く含まれることが試算されています。

リンは動植物に必須の栄養元素であり、農業用肥料として欠かせないものです。日本はリン鉱石の全量を海外に依存していますが、世界的な需要の高まりや産出国の輸出規制などにより、今後、安定確保が困難になる事態も起こりえます。今後のリン資源の持続的管理にとって、鉄鋼スラグからのリン回収とその再資源化は大変重要であるため、その技術開発に関心があると、当時、長坂先生と中村先生が話していました。

 そこで、私たちがまず取り組んだのは、「マテリアルフロー」という手法を用いて、国内にリンがどれくらい輸入されて消費され、拡散散逸され循環しているか、定量的に明らかにする研究でした。その結果、鉄鋼スラグに含まれるリンの量が、実は、日本が輸入しているリン鉱石の量に匹敵することがわかりました。とても単純に言えば、スラグからリンを全て回収できれば、日本はリン鉱石を輸入しなくてよいくらいのバランスでした。

私は技術開発はできませんが、スラグからリンを回収する技術が開発された場合、どんな産業分野に需要がありうるかや、環境や社会、経済へのインパクトを試算する研究を、2004年から2008年頃まで行いました。

 ちょうど2008年頃、実際に中国でリン資源輸出を規制する動きが起こりました。日本は1998年頃までは米国からリン鉱石を輸入してきましたが、米国が資源枯渇を理由に禁輸措置を実施したため、それ以降は中国にリン資源を依存しています。海外における今後の資源需要の増加を踏まえれば、国内の未利用資源を利活用していくことが大事という知見が得られたわけですね。

 また、リン資源の持続可能な管理には、工学のみならず、社会科学や産業界、政府など、多様なステークホルダーを巻き込んだ取組みが必要です。2008年、大阪大学の大竹久夫先生により「リン資源リサイクル推進協議会」が発足され、時を同じくしてヨーロッパでもスイスETHの先生が中心となって「Global TraPs」という、学際的なプロジェクトが立ち上がりました。この流れに私も乗りながら、国内のみならず国際的なリンの流れに関しても分析を行い、未利用資源を活用する場合、どこにステークホルダー間の"バリア"があるかを明らかにする研究も行いました。

さらに高品位なリン資源も研究課題としました。鉱石としてのリンのみならず、より品位の高い「黄燐」という高純度化された100%リンの製品です。実は、国際マーケットに黄燐を供給できる国は世界で少なく、米国とカザフスタン、ベトナム、中国のわずか4カ国ほどしかありません。そのため、黄燐からスタートする製品を考えた時、国内での未利用資源からの黄燐調達技術の開発も重要なターゲットと考えています。そこで、黄燐スタートの製品の需要や、世界全体での黄燐マーケットの実態を証拠として示し、技術開発や政策判断を支援する情報として提供することも研究課題としました。


◆ 【研究2】鉄鋼材に使われるレアメタルの高度循環を促す

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 もうひとつは、鉄鋼材に使われる合金元素の高度循環を促す視点で研究を進めています。主に、自動車リサイクルを大きなターゲットとしています。

日本の鉄鋼産業は、年間約1億トンの鉄鋼を製造しています。例えば、自動車のエンジン周りなどに使われる耐熱鋼には、合金としてニッケルやクロム、マンガンといった希少金属(レアメタル)が使われています。希少金属を、重量として最も消費している産業分野が、鉄鋼業なのです。

現在、使用済み自動車は、自動車リサイクル法によって再資源化と適正な処理が義務付けられており、鉄鋼材そのものは確かに循環利用されるため、非常に高いリサイクル率が書かれています。しかしながら、鉄鋼業が消費したレアメタルは循環利用されているかと言えば、実は、合金ではほとんど循環利用されていないのですよ。

その一例として、ステンレス(※)を挙げましょう。ニッケル系のステンレスに関しては、磁石につかない性質を利用して鉄鋼中に含まれるニッケルが有効活用され、ニッケルを含むステンレスとして再資源化される流れになっています。しかし、クロム系のステンレスに関しては磁石につく性質のため、合金を含まない「炭素鋼」という通常の鋼材と同様に回収され、炭素鋼として再資源化されてしまうため、クロムに関しては、クロム系ステンレスとして、ほぼ循環利用されないのです。

※ ステンレスとは鉄にクロムやニッケルなどの元素を加えた合金鋼で、「Stainless Steel=さびにくい鉄」の意。主要元素として、クロムを含む「クロム系」と、クロムとニッケルとを含む「ニッケル系」に大別される。

同様なことが他の多くの合金に関しても言え、相当な重量の合金が使われているにも関わらず、二次資源としては有効利用されていない実態があるのです。このような合金鋼が最も多く使われている産業が、自動車産業というわけです。

そこで、自動車産業における合金鋼の流れと、それらが再資源化された場合には循環利用されているかを解明し、それらを再資源化するにはどのようなスクラップを選別分別する必要があるか、それによりどんなメリットがあるか、分析する研究をしてきました。


◆ 【研究3】サプライチェーンリスクの可視化

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 さらに最近は、JST(科学技術振興機構)の「科学技術イノベーション政策のための科学」分野で研究プロジェクト代表を務め、サプライチェーンリスクの可視化を対象に、2012年から2015年まで研究しました。リンにしてもクロムやニッケルにしても、実際に循環が難しい理由は何かと言えば、特に製作側に対してメリットを訴える時に難しい"バリア"があるのです。

 そもそも多くの企業や政府が、お金を出す価値があるかどうかを測る"ものさし"とは、"コストの最小化"と"二酸化炭素の削減"です。ところが、鉄鋼スラグからリンを回収し再資源化した場合、回収することによって、コストも二酸化炭素排出量も増えるのですよ。どちらも増えるのでは何の役に立つの?ということが、ひとつのバリアになっています。

 一次資源が、もし金のように高価であれば、ドブからでも回収する価値はありますが、リンに関してはそこまで高価ではありません。同様の話がクロムにもニッケルにもマンガンに関しても皆、言えるわけです。金のように高価ものであったとしたら、我々が特別に何かをしなくとも、すでに経済ベースでまわっています。

 とはいえども、未利用資源を活用することで「何か良いことはある」と皆、頭では思ってはいるわけです。それは何かと言えば、上流側の様々な環境負荷や社会的な負のインパクトを減らし、海外からの資源調達リスクを減らすといったメリットです。しかし、それを測るための良いツールを持っていないのですね。そこで原料採取から製造、流通、廃棄、リサイクルに至るライフサイクル全体で発生する環境社会影響を定量評価する「ライフサイクル分析」(Life Cycle Assessment)という視点があるわけです。

ただ、特に最上流の鉱山周辺で起こる環境社会への影響や、あるいはサプライチェーンを通じて、例えば、鉱山国と日本の関係性は悪くなくても、次ステップで素材精錬を行った時、紛争や天災などの影響で調達が滞るリスクなど、様々な影響が考えられます。それらの影響を網羅した意思決定の支援ツールがないため、そのツールをつくる研究もしました。


◆ オーストラリアで持続可能な鉱山資源を研究

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しかし資源調達に関するサプライチェーンリスク、特に、その上工程である鉱山や製錬で起こる環境社会へのインパクトは、日本国内の場合、素材の製錬はありますが、現在鉱山開発は行われていないため、情報が集積されず、なかなか見えない部分ありました。

 そこで、それらの情報に強い地域に滞在して研究の幅を広げたいと思い、オーストラリアのブリスベンにあるクイーンズランド大学の「持続可能な鉱物資源研究所」に、2015年10月からの約10ヶ月間、短期滞在しました。同研究所はいくつかのセンターがあり、私は、鉱山の社会的責任を考えるセンターに所属しました。

鉱山開発にあたっては、鉱物を採集し利益を上げるだけでなく、周辺の環境や社会、文化や経済に与えるインパクトも考慮しながら、責任ある鉱山開発を行う必要があります。特にオーストラリアの場合、鉱山開発時、原住民との合意形成が重要なテーマとなります。鉱山が原住民にとっては聖なる土地であった場合、文化財の破壊を回避する必要がありますし、もし周辺から鉱物を採取する時、どのように合意形成を進め、お互いにとって良い形を実現するかが問題になるのです。

 その研究所は、鉱山会社からの寄付金などで成り立っており、鉱山会社はオーストラリアのみならず南米やアフリカなど様々な国に鉱山を持っています。そのため研究所の研究者たちは各国の鉱山に行き、コンサルティングの仕事もしていることが、興味深かったですね。中には新しい鉱山開発を進めるにあたり、住民と鉱山会社の間で合意形成を図るステップそのものを研究対象にする人もいたことが、私にとっては新鮮でした。

その結果、その研究所は、常に誰かどこかの鉱山に行って、全員がそろう機会が少ない状態でしたが、その状況にも柔軟に対応しながら研究を進めていくスタイルも、おもしろいと思いました。また、研究者や留学生の出身国も多様で、オーストラリア全体が多様性を受け入れる印象を強く受けました。そういうものが日本にもあればいいなと思いましたね。


技術と社会の接点

―松八重先生は、どのようなところに研究のおもしろさを感じていますか?

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 なかなか難しい質問ですが、工学部にいて、この辺りが自分の役割なのかなと、少し思い始めたことがあります。

それは、工学部の皆さんは大変熱心に技術開発されて、それが社会の役に立つと、とても素朴に考えてポジティブに研究をされています。しかし、意地悪を言うわけではないですが、開発した技術を社会に適用した時、必ずしもそうではない場合があるのですよ。

社会に適用した技術が、社会や環境に直接的・間接的に与える影響や、社会全体として我々の目指すところへ本当に進んでいるか、俯瞰的な立場から改善ポイントを考えることは大切なことだと思うのですが、工学部の人はそれが案外苦手なんだと気づきました。

 逆に、私がこれまで経済で受けた教育はマクロな視点ばかりでした。経済はミクロのことを知らずにマクロな話ばかりするので、「偉そうだし現実味がない」と悪口を言われることもあります。しかし、工学部に赴任し、ミクロな視点で技術開発などを少しずつ勉強しつつ、一方ではマクロの視点も持ち、その技術を適用した時、望ましい未来が本当に実現できるかを考え、そのための改善点を提案するインタラクションはおもしろいことに気づきました。

社会科学と工学をつなぐ人材はまだ少ない気がしており、おそらくそのあたりでの仕事は自分の役割なのかなと、最近思っています。その辺が最近おもしろいと思うところですね。

 また、現在、自分にお任せいただく仕事量を考えると、もっと仲間が必要と思うので、現在の研究内容を発展させるのに加えて、今後そのような人材育成に力を入れたいと考えています。


◆ 技術と社会の接点に関心

―そもそもなぜ大学では経済学を選んだのですか?

 高校生の頃、工学部教員の父が、私に理系を選択して欲しいという期待があったせいかもしれませんが、社会科学なんか「役に立たない」と言って口論になったことがありました。そのときはまだ何も学んでいない時だったのですが、実際はそんなことはなくて、もっと社会科学の知見で見えることがあるはずだという反発心もあり、社会科学に興味を持ったことが、ひとつのきっかけです。

もうひとつは、高校生の頃に読んだ本の影響で、政治学にも興味がありました。ちょうど当時は湾岸戦争が起こった頃で、そもそもなぜ戦争が起こるのかや、環境問題なども含め、なぜ人間を不幸にする事象は起こるのか、それを解決するにはどんな手法があるかに関心があったのです。しかし、政治学は、不確定要素の大きい人間を対象とするが故、科学的な手法には収まらない幅広いアプローチが必要となります。同様に人間を対象としながらも、数学を用いて理論的に積み上げていく経済学に私なりに確かなものを感じ、経済学に興味を持ちました。

後付かもしれませんが、今振り返ってみれば、技術と社会の接点に関しては、工学部教員だった父の影響もあり、ずっと関心があったのだと思います。新しい技術が導入された時、巡り巡って社会がどのように変わるのか。そのテーマに、経済学の中で一番取り組める分野が、計量経済学や産業連関分析でした。


研究と子育ての両立

―続いて、ライフワークバランスを中心に、プライベートについてもお話を伺えますか?

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 小学1年生の息子がおり、夫は東京勤務のため、平日の多くは仙台で一人で子育てをしています。子どもが生まれた頃からずっとそのようなスタイルで、かれこれ7年になります。子どもは小学校に通って、放課後は学童に行き、夕方に私が迎えに行くスタイルです。

―以前の座談会で、「今は保育園だから大変ですが、小学校にあがればきっと楽になるはず」と仰っていましたね。

 そうそう、でも現実は違うんですよ(笑)。保育園の時は、「保育園は大変だな。小学校にあがれば、子どもも自立して楽になるかな」と思っていました。確かに楽になったところもありますが、逆に大変になることの方が多い気がしますね(笑)。

子どもも、保育園の頃は「ママ、ママ」と付いて来るだけで口答えもしませんでしたが、最近はすぐ口答えをします(笑)。しかも保育園の時は「子どもは健康でさえいてくれれば、それでいい」と思っていましたが、やはり小学校にもなると、親の心情としても「健康だけでどうする」と思うじゃないですか(笑)。習い事も大変だと思いながらも連れて行くと、それなりに時間がかかりますし。あの時の私には、その大変さがわからなかった・・・(笑)。

―ご自身の研究室を運営し研究と教育をしながら、平日はお一人で子育てを両立というのは、外から見ると非常にハードに見えますが、ご自身ではどのように感じていますか?

 内からも大変ですよ(笑)。

―大変な状況を、どのようにコントロールされているのですか?

 いや、もはや、綱を渡れていない綱渡りです(笑)。子どもが小学校に上がってから一番大変になったのは、出張ですね。保育園の頃から出張を控えられる先生もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合、子どもが比較的健康だったことと、親も顕在でフットワークが軽かったことに支えられ、今までは海外出張をそれほど躊躇しませんでした。子どもが保育園だった時は、国内外問わず子どもを実家に預けて出張していましたが、小学校ではさすがに「親が出張なので、学校を休みます」とはいかないので、これからの大きな課題です。


◆ 子連れオーストラリア滞在奮闘記

―ちなみに今回のオーストラリア滞在は、お子さんはどうされたのですか?

 一緒に行きました。女性教員で、工学研究科のサポートを受けながら海外滞在する事例はまだ少なく、さらに子連れとなるとほとんど例が無いので、これから先、決断する人のためにも少しでもお役に立てればと思い、決めました。やはりポジティブとネガティブの両面がありましたね。

 当然、子どもが一緒にいない方が研究に集中できるので、大学からサポートをいただいて、研究に集中させていただこうと思ったら、子どもは連れて行かない方が正解だと思います。ただ、ポジティブな面を考えると、海外滞在時の方が、他の仕事がないため、子どもと一緒にいられる時間は長いですね。

 私の場合、子どもが英語をほぼ話せない状態で連れて行き、地元の小学校に入れたので、子どもが慣れるまで、それなりに時間がかかりました。より正確に言うと、うちの息子は、海外に馴染みやすい性格なので、まだ楽な方だったのかもしれませんが、適応には何段階かステップがあるらしいのです。最初は何もかが新しくて「わぁ!楽しい」と興奮し、慣れてきた頃に少し疲れが出て停滞し、その後でさらに順応する。そんなステップがあると、本で読んだのですが、まさにその通りでしたね(笑)。

最初は「楽しい!」と子どもは興奮していたのですが、英語が少しわかるようになると、自分に対して悪口を言われていることがわかるらしいのです。それに気づいて、今度は「学校に行きたくない」と言い始めて。その壁を乗り越えると、自分からコミュニケーションをとれるようになるので楽しくなってきて。やっと完全に順応しそうな段階で日本に帰るという(笑)。「行きたくない」「行く」「行かない」のサイクルで多少の苦労はありましたが、それも親子の成長といえば成長ですね(笑)。

―そんな時、お子さんに何と声をかけましたか?特に「行きたくない」と言い出した時に。

 「わざわざオーストラリアにいる必要はないのだから、学校に行きたくないのであれば、日本に帰れ」と言いました。

―それに対して、お子さんはどんな反応をしましたか?

 「いたい」と思ったのでしょうね、「じゃあ、日本に帰りたい」とは言わなかったです。その気持ちをある程度わかって親として言っているところもありますが、もしいたくないのであれば、本当に帰ればよいと思ったので、「いいよ、学校に行かなくて」とは、一度も言いませんでした。子どもが「帰る」と言わなかったので、「では、ここにいるのであれば、学校に行け。そのどちらかしかない。どちらかを選べ」と言いました。

―お子さんの意思を尊重した育て方ですね。自立心が早い段階で育まれそうです。

 そうですね。「強くなれ。私だって、遊びに来たんじゃないんだ」と励ましました(笑)。ただ、ワークライフバランスは自分の問題ですが、子どものストレスコントールは、自分のこと以上に大変ですね。まだ子どもですから自分でストレスに対処できないので、ある程度の抜け道を与えながら楽しく過ごせるよう、でもあまり遊び過ぎるとゆるくなってしまうので、バランスにはすごく気を使いました。


◆ 土日は仕事を「しない」と決める

―普段から、特にどんな点に気をつけて、お子さんと接していらっしゃいますか?

 平日は帰りも遅く、子どもと一緒にいられる時間が少ないので、週末はできるだけ一緒にいる時間をつくろうと、基本的に、土日は仕事を一切しないと決めて、仕事を持ち帰らないようにしています。この時期、なかなか難しいですけどね・・・。

―オンとオフのメリハリをつけるのですね。

 そうでないと自分の健康上も良くないですし、結局、仕事を持ち帰って良いことなんて、実は無いのですよ。多少は仕事が進むかもしれないですが、子どもが横で「どこかに連れて行け」と叫ぶ中でイライラしながら仕事をしても良いことなんかないです(笑)。ですから、いっそのこと「しない」と決めるのです。

―決め打ちした方が、むしろ、それぞれに集中できて、精神衛生上も良いわけですね。

 そんな気がします。でも実際には、たぶん、迷っている暇がないだけですよ(笑)。

―苦労する中で、逆に得られるものとは何ですか?

 単純に、楽しいですね。子どもと一緒にいること自体も楽しいですけど、子どもと一緒でなければなかなか行かない場所に行って、子どもと一緒に楽しめます。男の子がママに付き合ってくれる時間なんて、今だけですしね(笑)。単純に楽しいです、一緒にいるから。


◆ 物事にはポジティブとネガティブの両方がある

―プライベートに関して、今後の抱負をお聞かせいただけますか?

 仕事をしている私が、子どもに常時寄り添っていられるお母さん方と異なる点は、ポジティブとネガティブの両方があると思います。

ネガティブな面は、どうしても平日一緒にいられる時間が少ないことや、習い事や平日日中のイベントなどすべて要求通りつきあってはあげられないこと、出張があれば不在が続くことなど、色々あります。

逆にポジティブな面は、今回のオーストラリア滞在や、海外からのお客さんと一緒にご飯を食べる機会など、なかなかできない経験をさせてあげられることだと思います。

この現状を、「そういうものだ」と受け止めてもらうしか無いですが、子どもに楽しんでもらえるといいなと思っています。


物事をポジティブに捉えて楽しむ

―どんな物事にも必ず良い面と悪い面がありますが、松八重先生は目の前のことを無理に抗おうとせず、ありのまま受け入れ、それを良い機会と捉えて如何に楽しんでいけるかに重きを置いている印象を強く受けました。それは昔からの性格ですか?それとも意識的に心がけていることですか?

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物事をポジティブに捉えようとするのは、もともとの性格かもしれないですね。きっと、どんな選択をしても、必ず良い面と悪い面があるので、悪い面を考えるより、良い面を伸ばしたり、その機会を前向きに捉えて楽しもうとするのは、持ち前の性格かもしれません。

例えば、すごく許せないことがあっても、将来のネタにしようと思って、笑いに変えます(笑)。その意味では、良い仲間やパートナーに巡り会えていることは、自分にとっての幸運です。後でネタとして話せる仲間やパートナーがいなかったら、自分の中で消化し切れないと思うのですが、その場では笑えないことも、後で「ねぇ、ちょっと聞いてよ」と話をすれば笑ってくれる人がいるので、お互いに頑張れる感じですね。笑いが一番のストレスコントロールです(笑)。

―お子さんにも、物事をポジティブに捉える性格は、きっと伝わっているでしょうね。

 そうですね。息子は、残念ながら、ひとつのことに執着して考えるタイプではないので、私は「カツオ男子」と名付けています(笑)。

たまに、小学1年生らしいおもしろい言い間違いもありますよ。例えば、オーストラリアに滞在した時、「英語さえできれば大抵の国は行けるし、ほら、こんなにたくさんの人たちと一緒に話ができるでしょう?ママも安心して君を連れていけるしね。英語に加えて、さらに中国語とスペイン語の三ヶ国語ができれば、世界中どこにでも行けるし、ママは君に通訳の仕事を頼めるから、逆に喜んで連れていくよ」と息子に言ったのです。

その後、ご飯を食べている時に、突然息子が「『三角食べ』ができたら、世界中どこでも行けるの?」と言い出して。何を言っているのかと不思議に思い、「お行儀が良くなったら、ということ?」と聞いたら、「違うよ!この前言ったじゃん!『三角食べ』ができたら世界中どこでも連れて行ってくれるって!」って(笑)。

―ご飯と味噌汁とおかずを順序よく食べる『三角食べ』と、『三ヶ国語』を勘違いされたのですね(笑)。そんなやり取りからも、お子さんも世界中色々なところに行ってみたいと、ポジティブに捉えている様子が伝わってきました。

 そうですね、「米国やハリーポッターの国に行きたい!」と言っているし、色々なところに行ってみたいようですね。外に行きたいというのは、私に似ているのかもしれないです。

―最後に、中高生も含めた次世代にメッセージをお願いします。


◆ 無駄な経験なんてない

 「なぜこんな勉強をやっているのだろう?」と思うことがあるかもしれませんが、無駄な経験なんてないと思います。ですから「無駄だから」と削らずに、何事も前向きに取り組むことをお勧めします。

それは勉強に限らず部活など全てにおいて言えますが、それが何の役に立つのか、その時はわからなくとも、後で何かに直面した時、「そういえば、あの時そんなことをやったな」とつながるものです。

すぐ役立つことに直結したものの覚え方は、大人になってからやむなく直面しますが、中高生の頃はそんなことは考えずに、与えられた目の前のことを、とにかくやってみる姿勢がよいと、子育てをする中で感じますね。


◆ 「不安だから諦める」選択はしない方がよい

 また、将来に対する不安を持っている方もおそらくいらっしゃると思うのですが、不安は不安で持っていたとしても、その時になれば、その時なりの幸せの見つかり方があります。ですから、本当はやりたいけど、不安だから何かを諦めることはしない方がよいと思います。

とりあえず、やりたいことは全てやる。その上でハードルがあったら、まわりに相談してみる。きっと誰かが助けてくれますから。誰も助けてくれなかったら、自分でやると言うと少し重いですが、助けられなかったことは今までにないので、大丈夫ですよ。


◆ 自分で決めたことは、前向きに捉えられる

私、諦めることが嫌いなんです。どちらかを諦めて「可哀想な自分」と思うのは、すごく嫌いなのです。

だから、とりあえず、やりたいことを全てやる。何か選択をする時は、「どちらを選ぶ方が、自分にとってポジティブな理由が見つかるか?」で理由付けをします。その理由に自分が納得すれば、後悔はしないものです。

反対に、理由もわからずに他人から選択を迫られるとネガティブになりますが、自分で決めたことなら前向きに捉えられます。そうやって決めていくのがよいと思いますね。


◆ "自分の選択"には、経済的な自立と能力の向上が必要

そのような意味で、女性が経済的な事情で選択を諦めることは、ネガティブじゃないですか。ですから経済的に自立する必要があると私は思っています。経済的に自立すれば、自分で選択できるし、選択の幅も広がります。

学力の向上も同じで、自分に能力があれば、ポジティブな選択ができます。何かの選択をする時、人に言われて選択するのではなく、自分の選択としてそれができる。そんな意味で、女子の経済的な自立と能力の向上は大切だと思うのです。

それが楽しい未来につながっているひとつのステップと捉える視点がよいと思います。つらい未来につながっていたら、誰もやらないですよね。実際やるべきことはつらいこともあるかもしれないけど、楽しい未来につながっていると捉え、ぜひ今の勉強にも取り組んでもらえたらと思います。

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―松八重先生のスタンスがよく伝わってきました。どうもありがとうございました。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯016】工学部電気・情報系OGの多様なキャリア知って/東北大学で「女性フォーラム」

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯016】工学部電気・情報系OGの多様なキャリア知って/東北大学で「女性フォーラム」
取材・写真・文/大草芳江

2016年01月12日公開

工学部電気・情報系OGの多様なキャリア知って/東北大学で「女性フォーラム」

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12月10日に東北大学で開催された「女性フォーラム」のようす

 企業で活躍する東北大学電気・情報系(工学部電気情報物理工学科)の女性卒業生たちの多様なキャリアを女子学生の進路選択の参考にしてもらおうと、12月10日、同大において「女性フォーラム」が開催され、現役女子学生、女性卒業生ら40名が参加した。

 フォーラムでは、同大で電気工学・通信工学や情報工学を学んだのちに様々な業種に就職した女性たち11人が、自身の歩んできたキャリアや仕事内容、生活やライフイベント等について、15分ずつ講演。その後、グループに分かれて懇談が行われ、現役女子学生たちは企業での技術系人材の仕事内容や進路の悩み等を女性卒業生たちに積極的に質問していた。

 女性卒業生たちは「企業での仕事内容と大学での研究内容が直接関係しないことも多いが、工学部で学んだことは現在の仕事に活かされている」「大学での専攻分野に直接的に関係しそうな業種・職種だけでなく、多様な分野や業種へ視野を広げ、自分のやりたいことに合う会社を見つけてほしい」等と現役女子学生らに助言した。

 工学部で学んだことは将来どのように企業で活かされるのだろうか。本レポートは、その点に焦点を当てて、同フォーラムの講演内容を下記に紹介する。

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在校生から先輩への質問時間のようす

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グループに分かれて先輩を囲んだ懇親のようす



「鉄鋼業は、電気・情報系で学んだ知識や技術が活きる分野」
榊田さくらさん(新日鐵住金株式会社 設備・保全技術センター システム制御技術部 計装エンジニアリング室 一般スタッフ)

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 平成28年3月、工学研究科電子工学専攻修了(修士)。大学ではpH可視化センサを使い、ステンレスの腐食を観察するシステムを研究した。工場見学で製鉄プロセスのダイナミックさに惹かれ、平成28年4月、新日鐵住金に入社。

 鉄鋼業と電気・情報系は関係ないイメージが強いが、鉄鋼業はあらゆる要素技術の集合体のため、鉄鋼会社には金属工学以外の専門分野出身の社員も多い。例えば、製鉄所にある鉄を溶かす高炉では、炉内の可視化技術やガス成分分析等に電気・情報系の様々な技術が使われている。さらに、電気・情報系で学んだ電磁気学や熱力学等の原理・原則や、電気・電子工学の知識が仕事に必要となる。

 鉄鋼業には男性が多いイメージがあったが、想像以上に女性は多く、自分の場合は上司も女性。工場では女性はまだ少数派だが、顔を覚えてもらいやすいというメリットもある。また、会社には女性社員をサポートする制度も充実していると感じる。

 後輩たちには「専門分野にとらわれず、様々な業種に目を向けて、色々な人と話をしてほしい」とアドバイスしたい。


「人々の生活の基盤を支える実感に働きがい」
佐藤舞子さん(株式会社東芝 インフラシステムソリューション社 水・環境システム技術部 電気計装セールスエンジニア)

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 平成28年3月、医工学研究科医工学専攻修了(修士)。大学ではpH可視化センサを使い微生物を検出するデバイスを研究。課外活動では、東北大学の女性大学院生で組織する「サイエンスエンジェル」等に所属し、次世代の理系女子を支援する活動に参加していた。

 「人の役に立っている実感を得やすいものづくりをしたい」という動機で、水・環境システム事業部のセールスエンジニア(技術営業)を志望し、平成28年4月、東芝に入社。現在、北関東エリアの上下水道処理場を担当している。

 会社では技術資格取得が推奨されており、私も技術士やTOEIC等の試験を受けた。「報連相(報告・連絡・相談)」が大事でチームワークが求められる職場。人々の暮らしがより良くなることを自ら提案し具現化する仕事は楽しく、働きがいを感じている。

 会社では、電気・情報系の知識を直接活かせる場面もあるが、それ以上に幅広い知識を常に勉強して活かすことが求められる。後輩たちには「自分の領域を先入観で決めず、色々なことに興味を持ち、様々な業界を見てほしい」とアドバイスしたい。


「大学で学んだ『通信』の専門性を活かせる仕事」
井上里美さん(東日本電信電話株式会社 ネットワーク技術担当 保全企画グループ)

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 平成27年3月、医工学研究科医工学専攻修了(修士)。大学では光ファイバーを用いた医療機器の開発を行った。就職活動で自己分析した結果、自分の仕事が多くの人を支えたり、広い視点からチャレンジすることにやりがいを感じることがわかった。そこで通信業界や医療機器業界等をはじめとする幅広い業種を見た結果、人事担当者とフィーリングも合ったNTT東日本を志望し、平成27年4月に入社。

 「通信」といえば真っ先にインターネットをイメージするが、インターネットのみならずATMや信号機等、通信のビジネスフィールドは社会全体。コミュニケーションには、サービスのみならずネットワーク基盤が必要となる。NTT東日本は、東日本におけるアクセス網の光ファイバーカバー率99%を誇り、豪雪地域や寒冷地域等、各エリア特性に合わせたネットワークを構築している。現在、私はネットワーク基盤の保全管理をする業務を担当している。より品質の高いネットワークを実現、維持するためにICTを利用した安全かつ効率的な保守業務の仕組みを考え、それを東北全体に展開する仕事を行っている。大学で学んだ「通信」という専門性を活かせる仕事だ。

 後輩たちには「たくさんの業界を見て視野を広げ、その中から自分に合う仕事を見極め、楽しみながら将来のキャリアプランを描いて欲しい」とメッセージを送りたい。


「多種多様な価値観の人と、ひとつのものをつくりあげる喜び」
安齋友花さん(新日鉄住金ソリューションズ株式会社 鉄鋼ソリューション事業部)

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 平成27年3月、情報科学研究科応用情報科学専攻修了(修士)。大学では、睡眠時の脳活動について研究した。チームでひとつのものをつくりあげながら、情報系出身の強みが活きるソフトウェア開発がしたいという志望動機で、平成27年4月、新日鉄住金ソリューションズに入社。

 現代社会では、あらゆるものがITの存在を前提に成り立っており、ITが社会の最も重要なインフラを支えている。システムインテグレーターである当社は、顧客である企業の経営課題を最先端のITを駆使してオーダーメイドで解決する仕事をしており、私は現在、製造業の顧客の品質管理業務を支える社会システムの企画・開発を担当している。

 仕事で大変なことは、ユーザーの業務内容に対する知識とITに関する知識、どちらも求められること。日本ではまだ導入実績の少ない新しい技術と知識を習得することに苦戦するが、その分、その分野の第一人者になれることがおもしろい。多種多様な価値観の人と出会い協力してひとつのものをつくりあげていくことに、おもしろさとやりがいを感じている。

 様々な情報に触れるうち、迷うことも多いと思うが、今のうちたくさん悩んでほしい。そうすればきっと、自分の納得できる道を選択できるはずだ。


「大学で学んだ通信工学を活かし、自動車の自動運転を研究開発中」
阿部ちひろさん(株式会社本田技術研究所 四輪R&Dセンター)

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 平成25年3月、工学研究科電気通信工学専攻修了(修士)。大学では音楽情報処理を研究し、サイエンスエンジェル等の活動にも参加。大学で通信工学を学ぶにつれ、コミュニケーションの基本である「人に会いに行く」手段に携わりたいという動機で本田技研工業(Honda)を志望し、平成25年4月に入社。その後、同社の研究部門である本田技術研究所に配属された。

 通信工学と自動車開発は一見すると直接関係なさそうに思えるが、今は車もネットワークにつながる時代。私は大学で学んだ信号処理技術を活かしながら現在、自動運転・高度運転支援の研究開発を担当している。企業の研究が大学での研究と異なる点は、技術の持つ価値の本質を見出し、多くの方がその価値を享受できる形にすること、それがすなわち「製品開発=企業研究所のアウトプット」だと思う。常にお客様の手元に届けることを意識して業務に取り組んでいるが、中でも実車テストは最も楽しみである一方で、最も緊張する場面だ。

 女性エンジニアとして私が意識していること。それは「やれること・やれないこと・やってみたいこと」を自分の言葉で周囲に発信すること。「女性だから、できないんじゃないか」「これくらいできるだろう」という周囲の疑問や思い込みを排除する努力をすること。「女性だから」ではなく、「私は」という伝え方をすること。そして、相手を理解し受け入れること。増えたとはいえども、まだ女性は少数派だからこそ、私一人の行動が女性全ての意見と取られないよう意識している。

 チームの一員として当事者意識を持ち、人を上手に頼り、相手のできないところは助ける、相互補完は社会で一層大事になる。自分は何が得意かを考え、それを伸ばそうと考えることで、きっとうまくいくと思う。


「多岐にわたる放送技術業務、必ず興味のある仕事に出会える」
小畑ひかるさん(NHK 放送技術局 制作技術センター番組制作技術部)

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 平成21年3月に工学部電気情報・物理工学科を卒業後、同年4月にNHK入局。電気系卒で放送業界への就職は珍しいと思うかもしれないが、自分が興味のある仕事がしたいと思い志望した。初任地の山形放送局では4年間、番組・ニュース送出や音声、カメラマン、CG等のコンテンツ開発といった、放送技術全般を担当。さまざまな仕事を経験していく中で、自分が本当にやりたいことが見つかった。それが音声だった。現在は、東京・放送センターで番組制作技術の音声業務に従事し、主に「NHKスペシャル」や「ドキュメント72時間」を担当。NHKの技術職は他にも、放送システムの開発・運用や放送技術研究等、多岐にわたる。最初は漠然としていても、必ず興味のある仕事に出会えると思う。

 皆さんからすると、学生時代の勉強が無駄にならないか?ということが一番気になると思う。学生時代、無線工学やデジタル信号処理、プログラミング等、色々な勉強をした。その分野の知識がなくても仕事はできるが、その知識は仕事に活かすことができるし、仕事の幅も広がる。放送機器の仕組み・動作原理を知っていれば、メーカーの方とも話ができるので、番組制作の現場でも、メーカーの方と協力して新しい放送機器を開発することもできるし、操作時も機器の動く仕組みが想像できるので、より深いコントロールが可能となる。工学部で学んだことは決して無駄にはならず、活かせる場面はたくさんある。

 また、男性に混じって仕事をするのは大変では?と気になる人もいると思う。実際に、重い機材を担いだり、屋外等の様々な環境下で行ったりする仕事は大変なこともあるが、「できる」「できない」と意思表明すれば周囲は協力してくれる。大変ではあるが、苦労を乗り越えた先に楽しくてやりがいのある仕事が待っているし、やり遂げた後の大きな達成感を思えば、乗り越えることができる。

 学生時代に勉強したことを活かせるかどうかは自分次第なので、あまり心配しないでほしい。大変なことがあっても、楽しいことを見つけられれば、仕事は続けられる。出産や育児等の悩みは直面した時に考えればよい問題なので、学生である今は、それらの悩みにとらわれず、面白いという感覚を大事にして仕事を選んでほしい。


「学生時代には想像していなかった、グローバルな仕事でキャリア形成」
櫻井芽生さん(NTTコミュニケーションズ株式会社 クラウドサービス部)

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 平成19年3月、工学部電子工学科卒。大学では乳幼児の電磁波計測データシミュレーションを研究。進学か就職か悩んだが、数社のインターンシップを経験した結果、女性エンジニアとして活躍しつつ、社会貢献がしたいという志望動機で平成19年4月、NTTコミュニケーションズに入社。現在、学生時代には想像していなかったグローバルな仕事をしている。

 入社1~2年目は、グローバルネットワークシステムエンジニアとして、英語も仕事もできない挫折感を味わった。入社5年目、会社の海外研修制度を利用しタイへ派遣。その年に大洪水が発生し苦労したが、大きなビジネスチャンスをつかみ、日系システムインテグレーターとして初のミャンマー支店開設、大洪水後のバックアップソリューション等、現地に根付いたサービス開発を担当した。帰国後は、現在のクラウドサービス部に所属し、欧米アジア8ヵ国以上に海外サービスを新規に立ち上げ、プロジェクトマネージャーとして、150名以上のエンジニアたちと一緒にグローバルクラウドサービス展開を担当している。

 入社前は、まさか自分が行ったこともない国の人たちと一緒に英語で仕事をするなんて思ってもいなかったが、会社のサポートを受けながら、想像していなかった自分のキャリアが形成された。入社は終わりではなく始まりでしかない。自分がどうだったら楽しいかを想像して、仕事が楽しいと思う環境を見つけて欲しい。


「大学での研究プロセスが、仕事に活かされている」
二瓶晶子さん(日産自動車株式会社 EV・HEV技術開発本部 EV・HEVコンポーネント開発部)

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 平成18年3月、情報科学研究科システム情報科学専攻修了(修士)。大学ではアルゴリズム情報理論を研究。理論ばかりやっていたのに自動車会社に就職した理由は、在学中に日産自動車のインターンシップに参加したことがきっかけで、ものづくりに魅力を感じたから。平成18年4月に日産自動車に入社。

 大学で学んだ情報工学の知識やプログラミングスキルを活かし、ハイブリッド車の制御ソフトフェア開発に携わってきた。今年度からはハイブリッド車・電気自動車の心臓部ともいえる電動パワートレイン(モータやインバータ等)の開発戦略策定に関わり、業務領域を広げている。大学で学んだ内容と業務内容は離れていくが、日々勉強しながら業務を進めている。

 入社2年後に結婚し、二度の出産を経験。夫が専業主夫のため、産休や育休は短めに取得。家庭や職場のサポートのもと、復職後も仕事と育児と両立させながらキャリアアップに励んでいる。

 大学での研究は、今の仕事に直接はつながっていないが、大学で学んだ研究のプロセスは本質的に同じなので、今の仕事に活かされている。逆に、大学時にやっておけばよかったと思うことは、英語でのコミュニケーション。世界中の人と一緒に仕事をする機会が増えているので、学生のうちに積極的に英語でコミュニケーションする経験をしておくと、後々の糧になる。

 後輩たちには、「よく学び、よく遊びましょう」というメッセージを送りたい。専門分野にとらわれず、興味のあることには自分から積極的にアプローチすることで今後の道が拡がるので、ぜひ色々な経験をしてほしい。


「理系の知識を活かし、多様な新しい技術に触れるワクワクな毎日」
角張亜希子さん(特許庁 審査第四部伝送システム 特許審査官)

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 天文や物理現象に興味があり、学部まで理学部物理系に在籍。脳の研究をしたいと思い、大学院からは工学研究科で神経回路モデルを研究し、平成18年3月工学研究科電子工学専攻修了(博士)。学生時代に培った理系の知識も活かしつつ、より幅広い分野の人と関わりたいという動機で平成18年4月、特許庁に入庁。

 特許審査官の仕事は、特許審査業務が主だが、それ以外にも国内外の関係者との利害調整や国会対応等も行う。スマホやIP電話等に関する特許審査に従事後、特許審査における国際ワークシェアリングの推進や、新興国知財庁で人材育成の促進、日米欧中韓間の審査協力・制度調和に関する企画や交渉を行った。現在は、電子回路一般に関する特許審査に従事している。

 特許庁では年間約24万件の特許出願等を約1,700人の特許審査官で審査する。物理から医薬品や食品、パチンコやゲーム等まで、ありとあらゆる技術を審査する。メーカーではないので自分自身で新しい技術を開発することはしないが、多様な新しい技術に触れることができ、知的探究心を満たす環境がある。そして、特許審査を通じた知的財産権の保護に貢献でき、国としての視点から仕事ができるのは、国家公務員として特許庁で働いているからこそできること。産業のグローバル化に伴い特許庁もグローバル化しており、ドキドキ・ワクワクする毎日だ。知財分野でも世界中で多くの女性が活躍しているが、まだ電気・情報系出身者は少ない。興味があれば、ぜひ特許庁の門を叩いてほしい。


「人事部で技術系の強みを活かす」
藤本美代子さん(住友電気工業株式会社 人事部・人材採用部 主査)

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 平成14年工学研究科電子工学専攻修了(修士)。大学では光ファイバによる測定技術を研究。光測定で新しい技術を開発したいという志望動機で、平成14年4月、住友電気工業に入社。リクルーターの素朴な優しさが自分に合っていそうという印象が入社の決め手だったが、実際にその直感は当たっていた。会社の気風は、実際に社員数人と会えばある程度わかると思う。

 光ファイバ国内シェアトップクラスの当社だが、通信に関わる部品や工事等、幅広い業務を展開しており、大学での研究は全体のごく一部であることが入社後わかった。また、学生と仕事は異なり、チームで仕事をする意味を痛感した。入社後は横浜の研究所で光ファイバを使った様々な製品開発に携わった後、この経験を活かして医薬品検査技術の国家プロジェクトを立ち上げた。

 その後、出産・育児休暇を機に単身赴任していた夫の住む大阪への異動を決意。異動希望が叶い、大阪本社の人事部で技術系の新卒と中途の採用を担当している。入社希望者の経験と各配属希望先部署のニーズのマッチングは、技術系出身者の強みを活かせる部分であり、人事部に技術系出身者は少ないため、頼りにされている。

 出産までは自分が女性であることを意識せず仕事をしていた。女性ならではの強みは、少数派だからこその「のびのび感」と「型のなさ」。自分の考え方次第で自由に生きていけるので、前向きに捉えてほしい。一方で弱みは、育児や出産等のライフイベントの影響をどうしても受けること。しかし自分だけでなく周囲や社会も変化するものなので、変化を楽しむ姿勢が大切だと思う。悩みや迷いも変化を楽しむ材料のひとつと思って、頑張ってほしい。


「育児経験を通じて、出産前より仕事の成果があがった」
池野美樹さん(株式会社日立製作所 研究開発グループ システムイノベーションセンタ セキュリティ研究部 研究員)

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 平成14年情報科学研究科システム情報科学専攻修了(修士)。大学では、睡眠中の脳波や心電図等の生体情報を解析する生体情報学の研究に従事。大学で学んだ工学や情報科学の分野を活かし、研究成果を社会に役立てたいという志望動機で、平成14年4月に日立製作所に入社。入社後は、情報システムの品質管理や従業員満足度分析、災害時のビジネス継続性管理、電力会社の意思決定支援システムの研究開発を経て、現在、国家プロジェクトの防災情報共有システムの研究・開発を担当。入社以来、情報システムという幅広い分野で、大学で学んだ知識を活かしながら、社内外の様々な分野の人達と仕事をしている。

 入社4年目に結婚し、現在は二児の母。息子達からの「ママ、大好き!」に元気をもらう毎日だ。産休・育休を二回(2年半と2年の計4年半)取得し、その間にはPTA役員も務めた。復職後は仕事と育児を両立させるために、会社の裁量労働制を利用。1日の働く時間は数時間減ったものの、効率的な働き方に変えることで、出産前よりも仕事の成果を出している。むしろ育児を通して、社外の文化を知って視野が広がり、コミュニケーション力やマネージメント力が向上して仕事に活かすことができ、また仕事で落ち込んだ時もリフレッシュすることができるようになった。他の大企業同様、女性をサポートする制度は充実し利用できる文化があるので、女性が活躍できる会社だと思う。

 男性と比べて女性は、就職・結婚・育児・介護等と、人生の様々なタイミングで悩むことが多いと思う。人それぞれに様々な考え方があり、周りと比較されたり言われたりすることもある。その時に重要なことは、自分がやりたいことや、大事だと思うことを考えること。それが答えになる。自ら選んだ道であれば、たとえ失敗したとしても、すべて糧になる。人生に無駄なことなどない。女性の活躍は求められているので一緒に頑張っていきましょう。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯017】「イクメン」工学研究者の阿部博志さん(東北大学助教)に聞く/ワークライフバランス実現の秘訣

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯017】「イクメン」工学研究者の阿部博志さん(東北大学助教)に聞く/ワークライフバランス実現のための秘訣
取材・写真・文/大草芳江

2016年02月07日公開

研究も教育も家庭もうまくいく秘訣は
「余裕を持つこと」

阿部 博志 Hiroshi ABE
(東北大学大学院工学研究科 助教)

1980年、栃木県生まれ。2003年、東北大学工学部機械知能工学科卒業、2008年、東北大学大学院工学研究科 技術社会システム専攻 博士課程修了、工学博士。2007年 日本学術振興会 特別研究員(DC2)、2008年 日本学術振興会 特別研究員(PDへ資格変更)を経て、2009年1月から現職。

東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)×「宮城の新聞」Collaboration ♯017

 今回インタビューしたのは、東北大学工学部で「イクメン」工学研究者として知られる阿部博志さんです。研究は実験系で民間との共同研究も多く、スタッフ数も限られる中で学生への指導も行う等、研究室運営の重要な一翼を担っています。一方プライベートでは、同じ研究職の奥様が関東に単身赴任される中で、二人の娘さんの育児も両立されています。そんな「イクメン」工学研究者の阿部さんが、日頃心がけていることとは何でしょうか。大学での研究・教育活動からプライベート、次世代に対する想いまで、幅広くお話いただきました。


■プラント材料の劣化について研究

―はじめに、阿部さんの自己紹介と研究紹介からお願いします。

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インタビューに応じる阿部博志さん=東北大学大学院工学研究科青葉記念会館の託児室(ずんだぬきっずるーむ)

 私は栃木県の出身で、東北大学工学部に進学して以来、ずっと仙台に住んでいます。最初は学部卒で就職するつもりでしたが、紆余曲折を経て同大大学院に進学すると、研究のおもしろさに魅了され、博士課程へ進学しました。その後、日本学術振興会の特別研究員を経て、ご縁あって、博士号を取得した研究室にて現在、助教として在籍しています。

 大学院生の頃から、主にプラントで使用される材料の劣化メカニズムについて研究しています。安全で安定したプラント運用の決め手となるのは、結局は「如何に材料の信頼性を担保するか」です。そこで我々は、材料の劣化メカニズムの解明や寿命の予測、劣化対策材の開発等に取り組んでいます。対象は火力・原子力発電等のエネルギー変換プラントをはじめとして、やはり構造材料が過酷な環境に置かれる化学プラント等、多岐にわたりますが、共通するキーワードは「保全」です。

 原子力発電プラントには、いわば性能の高い、高価な材料が適材適所で用いられています。しかしその歴史は、材料劣化問題との戦いであったと言っても過言ではありません。また、他のエネルギー変換プラントと比較しても特に高度な信頼性が求められることから、必然的に原子力材料を対象とした研究テーマが多くの割合を占めています。

 そして、世界的に原子力発電所の高経年化(長年にわたって使用されること。適切に検査・メンテナンスが実施されるため老朽化とは異なる)対策がより一層重要になってきている状況下で、2011年3月、東日本大震災が発生しました。私は2009年に助教として採用されたので、まだ駆け出しの頃です。


■分野横断的な視点をモットーに

 我々の研究室の場合、実在するプラント材料の劣化といった現在進行形の問題があり、それに対して工学的な解を導き出すという意味では、ある意味受け身になる面が少なくありません。その一方で、材料と環境の組み合わせや劣化事象は多岐にわたるので、これまで自分達が取り扱ったことのない課題に直面することもしばしばあります。よって自分の専門分野のみならず、幅広い知識と経験を必要とされるのですが、そのことをはっきりと気づかされたのが、福島第一原子力発電所の事故でした。

 現在、東北大学では「廃止措置のための格納容器・建屋等信頼性維持と廃棄物処理・処分に関する基盤研究及び中核人材育成プログラム」を立ち上げ、全学横断組織で取り組んでいます。今後何十年もかかると言われる廃止措置を着実かつ安全に進めるためには、核燃料の冷却と放射性物質の閉じ込め機能の健全性を長期的に維持する必要があり、そのためには水の利用が不可欠です。

 ところが、通常状態の原子力発電所で用いられている水は高度に管理されているのに対して、事故後の福島第一原子力発電所は設計時の想定から逸脱した環境となっています。事故炉のため、他にも多くの制約があります。そんな中、我々に課された使命は、腐食の観点から水と接する構造物の健全性を長期的に保つこと。いくら当初の想定から条件が逸脱したからと言って、「専門外なのでわかりません」では、全く役に立てません。

 原子力発電プラントにおいても、実際は火力発電で培われた材料技術の多くがベースになっており、共通の劣化事象もあります。対象を原子力プラントに絞らず、意識して手を広げる。自分の専門、すなわち軸足を大切にしつつも、他分野についても積極的に関わることで自分のストライクゾーンを広げていくことが、将来きっと役に立つと考えています。


■エネルギーやインフラの健全性を支える重要分野

 決して派手ではなく、多くの研究者がこぞって集まる研究分野ではありませんが、社会のエネルギーやインフラ等の健全性を支える上で重要な役割を担っています。本当は起こるかもしれなかった事象を未然に防ぐ立場ですので、それを価値に換算するのはなかなか難しいのですが、腐食による経済的損失は意外と大きく、例えば、我が国では年間数兆円規模と言われています。

 産業界で十分な使用実績がある材料でも、従来と異なる環境で使用すると予期しないトラブルが発生することは案外あるのです。まずはそのメカニズムを解明することが肝要ですから、プラント(現場)からの相談もよく受けます。そのため我々の研究室は民間企業との共同研究が多い方ですね。現在進行形の実問題にアプローチしたい学生にとって、我々の研究分野は向いていると思います。また研究室の方針として、共同研究相手の技術者・研究者との打ち合わせの場に、たとえ学外であっても学生にも極力参加してもらい、研究の意義を自覚して主体的に取り組めるようにしています。

 実問題を扱うが故、急な相談が舞い込んでくることも少なくありません。しかし、エネルギーの安定供給等に直結する問題ですから、「来年度から検討を始めましょう」というわけにはいきません。解決すべき課題が多くなるほど、個々のテーマを深く掘り下げることが困難になるといったジレンマは常に抱えていますが、できる限り俯瞰しながら迅速に対応できるよう心がけています。


■実験系のため時間的な制約は多い研究室生活

―ワーク・ライフ・バランスの観点から見ると、研究室生活はどのようなものですか?

 主に材料の試験や観察等といった実験が多いため、もちろん在宅での研究は難しく時間的な制約はある方だと思います。

 例えば一番シンプルな実験は、実際のプラントを模擬した高圧高温の環境下に材料を数百時間から数千時間置いて劣化の挙動を評価する実験で、その準備にもさらなる時間を要する場合があります。また、最先端の分析装置についても東北大学の共用設備として利用できますが、必ずしも自分の都合を優先したスケジュールが組めるわけではありません。

 さらに安全管理上、すなわち不測の事故につながらないよう、学生一人だけで実験を行わないように注意を払う必要があります。最近はどうしてもパソコンに向かう仕事が増えていますが、教育の観点からも、時間の許す限り学生と一緒に実験したいと考えています。


■余裕を持つためにも、ベビーシッター利用料等補助は必要

―そんな中でも阿部さんは、研究室生活と育児を両立する「イクメン」だと伺っています。プライベートについても教えていただけますか?

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 2011年に結婚し、二人の娘がいます。妻も同じ研究職で、関東の職場に勤めています。長女が誕生した2014年は、妻が育児休暇を取得しました。2015年から妻が職場に復帰し、彼女が単身赴任で関東と仙台を往復する生活が始まりました。

 一例として、妻が月曜日の朝に仙台を発ち、水曜日の夜に戻ってくるような生活を1年間送りました。その年から子どもを保育園に預け、本学のベビーシッター利用料等補助(※)を申請しました。

※ 主に研究、講義、学生指導、出張、学会参加等の研究に関する仕事と育児の両立を目的としたベビーシッター、託児施設における一時・延長保育等の利用に要する費用の補助制度。男女とも教員のみならずポスドクや博士課程の学生も申請が可能。

 子どもの具合が急に悪くなった時、私も妻もどうしても仕事を抜けられない状況が重なると大変苦労します。本制度を受けていることで、シッター会社などを事前に調べておき、いざという時に利用するためのインセンティブになります。ですから経済的な面はもちろんのこと、心の余裕を持つ意味で、本制度があること自体、非常にありがたかったですね。

 保育園の延長保育についても対象となりました。通常保育が午後6時15分までなので、午後5時45分には大学を出る必要があるのですが、なかなか難しい時もあります。焦っても良い研究成果は出せませんので、「今日は遅くまで実験をやるぞ!」という日には、余裕を持つためにも、本制度を積極的に活用させて頂きました。

 2016年には次女が生まれ、今年度は再び妻が育児休暇を取得したため、私の育児負担は一時的に軽くなりましたが、2017年4月から妻が職場に復帰予定です。今度は子ども二人という新たな状況ですが、次年度に向けた相談を妻と行っているところです。


■できるだけ「余裕」を持つ

―研究と育児の共通点はありますか?

 マルチタスクなところ等、実験と育児で似ているところはありますね。例えば料理だと「まずはあれをやって、次にこれをやって」と段取りを組むと思いますが、研究も育児も、段取りを並列で組む意味では同じだと思います。私は育児でも「最適化してやろう」というこだわりがつい出るのが悪い癖ですが、その傾向は夫婦共通かもしれません(笑)。

―先程の研究の話と同様に、育児でもイレギュラーな事態への対応力が磨かれそうですね。

 そうですね、イレギュラーな事態にあまり動じなくなりましたね。「お、来たか!じゃあ、やるか!」。「やる」と言ってから、「さぁ、考えるか」みたいな感じです(笑)。

 でも子どもが保育園に通い出した頃は頻繁に保育園から「お子さんが発熱しました」と電話があって、早めに保育園に迎えに行ったり、朝病院に連れて行ってから出勤することもありました。その時は「この状況が続いたら仕事を続けられるのだろうか」と不安になったのも事実です。幸いその後は元気に保育園に通ってくれています。

 昔は夜の9時や10時でも学生から「ちょっといいですか?」と相談がありましたけど、今は「いつでも研究室にいるとは限らないよ。夕方5時に帰ることもあるからね」と周囲に伝えるようにしています。教授の先生も理解のある方で、私が育児のことで相談や連絡をした時には「いいよ」と快諾してくれ、「なんで?」と言われたことは一度もないですね。

―周囲と信頼関係をきちんと構築できるコミュニケーションが取れているからこそ、周囲からの理解も得られるのですね。阿部さんのお話を伺っていると、研究や教育での日々の実践を育児にも展開されている印象が強いですが、特に心がけていることは何ですか?

 なるべく余裕を持つように心がけています。例えば子どもが急に熱を出した時、「今日はまだやらなければいけない」ことがあったとしても、自分が動じてしまうと、それが子どもにも妻にも学生にも伝搬して、結局状況が悪化するだけと実感したからです。今は余裕のない世の中だと言われますが、どうしてもイレギュラーなことは色々起こるものですから、なるべく余裕を持ちたいですね。


■家事はできる方がやる

―育児によって変化したことはありますか?

 時間の使い方は、当然意識が変わります。学生の頃は、自分のために24時間をどう使ってもよかったので、時間は無限にあるように感じていました(笑)。

 昨日は夜8時過ぎに帰宅して、食事の片付けをして、洗濯機がまわっていたので洗濯物を干してアイロンをかけて、子どものミルクをつくって等々、普通にやることをやって時計を見たら11時を回っていました。次女はまだ8か月で、昨日は深夜0時、4時、6時に起きたので、お互い半分眠りながらミルクをあげました。妻も私が夜に起きたことに気付かなかったほど疲れていましたし、育児・家事はその時できる方がやる形で、なんとか回っていますね。

 妻の実家が仙台なので、妻の両親にも育児を助けてもらっています。二人とも仕事をしているので決まった形はありませんが、例えば、保育園の送り迎えを私がして、お風呂に入れるのをおじいちゃんに、ご飯の準備をおばあちゃんに、といった感じです。子ども達も懐いていますし、本当に助かっています。

 子どもの爪切りは私の役割ですね。妻が生まれたばかりの子どもの小さな爪を見て「工学部だから器用でしょう、あなたが切って」と言ってから、常に私の担当です。海外出張から帰ると、まず第一に「娘たちの爪を切らなきゃ」って思います(笑)。

 その延長で髪を切るのも同じです。初めて私が娘の髪を切った時は前髪を短くしすぎて、妻が絶句していました、「いつの時代の子どもだ」と(笑)。今は、動画で切り方を調べて「レイヤーを入れてみよう」等と工夫しています。すると確かに前よりうまく切れるようになって、保育園で「誰が切ったの?」と聞かれると、小さな達成感を得られます(笑)。「次はもう少しこの辺をうまくできるかな」と、なるべく楽しむようにしています。


■「余裕」のつくり方

―家事は明確に役割分担しているわけではなく、気づいた方がやる感じですか?

 そうですね。料理は妻が得意なので、じゃあ片付けは私がやるか、と。何となく食器が置いてあるから、私の役割だろうと(笑)。

 役割分担については初めから話し合って「これは私、これは妻」と決めるのではなく、だんだん最適解に向かう感じでした。それに、やれるうちにやっておいた方が安心します。いつ何時妻に負担をかけるかわからないですし、イレギュラーなことは起こるものですから。

 妻の実家にあるカレンダーには、「この日は帰りが遅い」「この日は不在」等と、皆で予定を書き込んでいます。そして「来月はこの日が山場だね」と事前に話し合っておけば、少し余裕が生まれますよね。ある程度見通した上で、さらに不測の事態が起きた時には、その都度、相談するようにしています。


■「余裕」がないことで苦労してきた

―環境も含めて「余裕」をつくるのがお上手ですね。それは昔からの性格ですか?それとも意識的に鍛えてきたものですか?

 私はもともと余裕のある人間ではなく、色々苦労してきたので、考える機会があったのだと思います。

 研究室の教員は2名で、多忙を極める教授はほぼ不在です。だいたい年度末にもなると大学はいよいよ切羽詰まって来て、学生の卒論や修論の指導をしつつ、プロジェクトの報告書も出さなければいけない。そのような状況ではどうしても余裕がなくなります。

 けれども余裕がないと、学生への指導も焦って早口になって結局、伝わっていなかったり、対人関係に緊張感が生まれたりしますね。すると隣の研究室に私がいるのにもかかわらず、メールで連絡してきたり、私から声をかけられるのを待っている学生がたまにいるのです。

 なぜ学生に気を遣わせてしまったかを考えたら、原因は私の方にあって、忙しそうにしているから。私の余裕のなさが相手に伝わって、結局うまくいかないと思ったのです。ですから、本当は今日全部やりたいのですけど、明日できるものは明日に延ばす、その方がいいこともあるなぁと割り切っています。


■「余裕」がなければ、学生の教育効果も上がらない

 学生の教育面でも、忙しいとどうしても「まず要点だけ教えて。次にこうして、ああして」となりがちです。研究目標の達成だけを考えれば、私が段取りした方が早い場合もありますし、管理される方が楽という学生もいます。

 けれども、私が学生時代に先生方からして頂いたように、本当はアイディアがあっても、あえて「ちょっと自分で考えてみて」と学生自身に考えさせる。研究目標の達成だけを考えれば、場合によっては無駄なプロセスかもしれませんが、それを捨てれば大学ではなくなってしまうと思うからです。

 実際に、苦労して得た実験データに一番最初に触れるのは学生ですから、その意味では教員よりも詳しいわけです。ですから学生には、教員も同じ方向を向いていることを伝えて、「誰もわかっていないことをやっているのだから、一緒に考えながら色々試していこう」とのスタンスで接するよう心がけています。

 それでいて、きちんと役立つ成果を出す必要がありますから、「学生のやることですから」と言い訳するわけにはいきません。教育効果を上げつつ、求められる成果をさらにプラスαで挙げるためにはどうするか、については常に悩みどころですね。

 プラスαの成果が出そうな時であっても、切羽詰まっているとついつい後回しにしがちです。けれども余裕を持って楽しみながら取り組めば、学生も興味をもって「じゃあ、おもしろそうだからやってみますか」と発展していくと思います。


■多様性の可視化が「余裕」をつくる

―教員として、研究室の学生さんと、きちんと向き合おうとしている姿勢が印象的ですね。研究室運営の重要な一翼を担っていらっしゃることを感じます。

 実は、研究室設立当初の上級生がいない時期、教員と先輩、二つの顔を担おうとした時がありました。ある瞬間から私は学生から教員になったわけですが、その日を境に、急に自分が変わるわけではないと思っていたのです。

 ところが、いくら自分が「これは先輩としての助言」と思っても、学生にとっては「先輩」ではなく「先生」なんですね。自分は変わっていないつもりでも、相手の受け取り方は違うと痛感しました。教員になった時点で、できないことがあるのだと。

 ですから、色々な人がいることが大切だと思います。例えば、学生の悩みを私が聞くこともありますが、教員に言えない話もあるはずです。そんな時、先輩や秘書さん、別の研究室の学生さんや職員さん、周りに立場の異なる人が多くいる方がよいですね。

 昔はもっと、多様性に富んでいた気がします。秘書さんや職員さんももう少し研究室に顔を出していたり、先生が学生だった頃を知っているような技官さんが「あの先生、今はだいぶ偉くなったけど、昔はこんな出来事もあったよ」と時々、学生に教えてくれたりするんですよね。

 そういうことって、実は、大事だったんじゃないでしょうか。今は仕事が細分化されて、一見スマートに見えますが、そういった「余裕」をつくっていたバッファーが逆に失われているかもしれません。

 育児についても当然未経験ですから、周りの先輩から「俺の時もそうだったよ」と言ってもらえるだけでも全然違います。直接的な支援はもちろんですが、多様性に触れることも大切で、何かあったら相談できる場が存在するだけでも、救われるところがあるのではないでしょうか。本企画の過去記事も拝見しましたが、外に発信することはもちろんですが、座談会に参加した同僚の先生方にとっても非常に有意義だったのでは、と感じました。


■自分で決められる自由を楽しみに、今を過ごして

―最後に、中高生の読者に向けて、メッセージをお願いします。

 まず、「研究と育児を両立している」との立場で取材を受けましたが、ここまで語ってきたことには私の理想も多く含まれていて、実際は周りに大いに助けられながら日々試行錯誤しているんです、と言い訳させてください(笑)。

 大学に勤めてきて率直に感じるのは、学生達は研究室で過ごした実質2~3年で、驚くべき成長を遂げます。一方でその幅に相当な個人差があるのも事実です。もちろん一人一人が違うので一概には言えないかもしれませんが、伸びる人には共通点があるのです。私が特に重要と思うのは(1)素直・前向きであること、(2)誠実であること、(3)(精神的に)自立していること、です。当たり前のことかもしれませんが、これらは中高生、あるいはもっと前から時間をかけて形作られるものでしょう。

 他には、「過度に周りを気にしない」のが良いのではないでしょうか。私たちが中高生だった時と比較して、今の中高生の周りには多くの情報が溢れています。ついつい強迫観念で「皆と同じでなければ、自分だけ取りこぼされてしまう」と焦っても、本当に大事な自分の個性が伸ばせません。そして、必ずしも親や先生の言うことが絶対とは限りません。ですから自らのアンテナを広げつつも、周りの情報は参考程度に聞くのがよいと思います。

 今は中高生ですからレールが敷かれている部分は多いと思いますが、だんだんそれが外れて(あるいは自ら外して)、自分の裁量で物事を決められる割合が増えてきます。その時は皆さんの個性、多様性が大いに役に立つので、ぜひ今を大切に過ごしてください。

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―阿部さん、本日はありがとうございました。

(11)命の循環/連載エッセイ「風に立つ」(南部健一さん)

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連載エッセイ 風に立つ

(11)命の循環

 子供の頃、金沢市郊外の村に住んでいた。祖母は日なたで豆がらを叩きながらいろんな話をしてくれた。秋のある日私は大宮川へ魚釣りに出かけた。浮きを眺めていたら上流からトンボが何匹も流れて来た。水面に張り付いたはねは振るえていた。まだ生きているらしい。突然水面でフナが次々に飛び跳ね、我先にとトンボを一飲みにした。祖母にこの光景の意味をを訊ねると、静かに語り始めた。
 羽化したトンボの命は一ヶ月あまり。命の終わりにトンボ達は自ら川面に降り、魚のえさとなって一生を終わるのさ。一方、ヤゴは小魚をえさにして育つんだよ。たくさんの動物・植物の命を食物にしている人間は、命を何よりも大切にしなきゃな。お前もどんなに辛いことがあっても生きて行くんだよ。

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南部 健一  (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
ひのき進学教室特別講師
南部 健一 (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
なんぶ・けんいち
1943年金沢市生まれ。工学博士、東北大学名誉教授。百年余学界の難問と言われたボルツマン方程式の解法を1980年、世界で初めて発見。流体工学研究に関する功績が認められ、2008年紫綬褒章受章。

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【研究室訪問】銀河の形成と進化の謎に迫る/秋山研究室(東北大学・天文学教室)/科学って、そもそも何だろう?

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【研究室訪問】大型望遠鏡で銀河の形成と進化の謎に迫る/秋山研究室(東北大学・天文学教室)/科学って、そもそも何だろう?
取材・写真・文/大草芳江

2017年03月03日公開

銀河の中心のブラックホールから
銀河の進化の謎を解き明かす

秋山 正幸 Masayuki Akiyama
(東北大学大学院理学研究科・理学部天文学専攻 准教授)

1972年、兵庫県生まれ。2000年に京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻修了、博士(理学)を取得。博士課程2年の頃から国立天文台ハワイ観測所にて研究を行う。日本学術振興会特別研究員、ハワイ観測所の研究員などを経て、2008年より現職。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。
しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が
それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。

我々は、一体どこからやって来たのだろう?
我々の外の世界は、一体どうなっているのだろう?
そんな問いかけに応える学問のひとつが、天文学である。
我々人類の知のフロンティアは今、どこまで広がっているのだろうか。

大型望遠鏡で銀河の形成と進化の謎に迫る、
天文学者の秋山正幸さん(東北大学准教授)率いる
研究室を訪問し、研究の最前線を聞いた。

※本インタビューは、東北大学物理系同窓会「泉萩会」とのタイアップ企画です。


■銀河中心の「重すぎる」ブラックホールの謎

―秋山さんはどのような研究をしているのですか?

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【図1】すばる望遠鏡の赤外線カメラとハッブル宇宙望遠鏡の可視光カメラで撮った画像を3色合成した深宇宙の画像。遠方宇宙にある多数の銀河が写っている。

 私は、銀河の進化について研究しています。我々の住んでいる銀河系である「天の川銀河」や現在の宇宙にある銀河が、宇宙の歴史の中で、どのようにして現在の姿にたどり着いたのかを明らかにしたいのです。 

 特に最近の観測で、銀河の中心には、非常に大きな質量のブラックホールがあることがわかってきました。大質量のブラックホールがどのようにできて、そして銀河の進化に対してどう影響を与えてきたのかを、宇宙の歴史を遡りながら調べています。

―「銀河の中心に非常に大きな質量のブラックホールがある」ことは、なぜ不思議なのですか?

 ブラックホールは、大きな質量の星が死ぬ時にできることが知られており、その時にできるブラックホールの質量は、太陽の質量の10倍から100倍くらいと考えられています。ところが、我々の銀河系の中心にあるブラックホールの質量は、太陽の質量の約200万倍もあることがわかっています。さらに、我々の住んでいる銀河系のみならず、色々な銀河を見ても、その中心には非常に大きな質量のブラックホールが潜んでいることがわかってきました。

 銀河の中心にあるブラックホールは、ある程度、銀河の重さに比例することがわかっています。我々が住んでいる銀河系の場合、その質量は太陽の約200万倍ですが、銀河系より10倍大きな銀河には、その10倍大きなブラックホールが中心にあり、銀河系より10分の1の銀河では、その10分の1くらいのブラックホールがあります。ちなみに、現在、銀河のような星の集団の中心にあるブラックホールで一番小さいものは、太陽質量のおよそ1万倍の質量のブラックホールもあると言われています。

 つまり、現在知られているブラックホールの生まれ方では説明がつかないような、非常に大きな質量のブラックホールが、銀河の中心には潜んでいるのです。それぞれのブラックホールが、どのようにして生まれ、どのようにして大きくなったのかを明らかにすることが、最近の研究の大きな課題になっています。

―逆に、「軽すぎる」ブラックホールはないのですか?

 今のところ見つかっていません。ブラックホールの形成については、強い重力の影響を他の力が支えきれずにつぶれるという理論が考えられています。そのため、非常に軽いブラックホールの場合には、その元になる天体も軽いと考えられ、その場合は強い重力が働かないので、ブラックホールを形成することも難しいと考えられています。

―ブラックホールの生まれ方として「大きな質量の星が死ぬ時に生まれる」以外のことは、どれくらいよくわかっていないのですか?

 星が死ぬ時にブラックホールができるらしいことは知られていて、観測的にも星が死ぬ際には超新星爆発として見えますが、それ以外にはブラックホールができる瞬間は知られていません。

 ブラックホールの誕生についてはまだまだわからないことがたくさんあります。2016年2月に初めて検出が報告されて大きな話題になった「重力波」は、ブラックホールとブラックホールが合体することによって出てきたと考えられています。それらのブラックホールの質量は、それぞれ太陽の数十倍の質量で、その二つのブラックホールがお互いにぐるぐる回っている連星の状態から合体して重力波が出てきたそうです。ただ、このような重さのブラックホールが連星をつくっている系が宇宙にたくさん存在して、そこからの重力波が最初に検出されることは予想されていませんでした。ですから、我々が理論的には考えていない、ブラックホールが誕生するメカニズムも存在するのかもしれません。

―そもそも何が一番難しいせいで、よくわかっていないのですか?

 銀河の中心にある非常に質量の大きなブラックホールが誕生したのは、宇宙の中で最初の天体が形成されたり、最初の銀河が誕生したりといった、宇宙の始まりの本当に早い時代だと考えられています。その時代に何が起こっていたのか、昔の宇宙を見通してやる必要があるところが、一番難しいところです。我々の銀河系に近い宇宙では、質量の大きいブラックホールや、その種が誕生するという現象は見られていません。


■銀河の進化とブラックホールの成長

―宇宙の始まりの早い時代に一体何が起こっていたか?という難しい問題に対して、これまで秋山さんが研究されてきた中で、わかってきたことと、謎として残っていることは、何ですか?

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【図2】図1と同じ領域を X 線衛星チャンドラで得られた X 線画像と比較したもの。多数の銀河があるが、そのうちX 線で光っている丸を付けた銀河が活動銀河中心核の現象を示している銀河。

 銀河の中心がとても明るく輝く「活動銀河中心核」という現象があるのですが、実は、それは、銀河の中心にあるブラックホールに周りからガスが降ってきてブラックホールに落ちる直前に明るく輝いている現象だと考えられています。非常に大きな質量のブラックホールはこのようにガスを吸い込みながら成長してきたと考えられていて、その現象を示す銀河をたくさん捉えて、統計的に解析することで、宇宙の歴史の中でブラックホールがどのように成長してきたかを定量的に解き明かすことができます。

 私たちは、すばる望遠鏡に取り付けた近赤外線を観測する装置で、中心が光っている色々な銀河を測定して、どの時代に激しくブラックホールの成長が起こり、現在の宇宙に見られる非常に大きな質量のブラックホールになったのかを調べました。

 その結果、昔の宇宙では、銀河の中心にある多くのブラックホールが、現在の宇宙で見られるよりも、激しく、まわりのガスを吸い込んで成長していたことがわかっています。さらに宇宙の歴史の中で、実は、大きなブラックホールの方が先に完成して、小さなブラックホールの方が後々まで成長を続けてきたことも見えてきました。

 このように、銀河の中心のブラックホールが成長する様子は、明るく輝く様子でわかるのですが、それでは、その成長する"もともとの種"が何だったのかということはまだ非常に大きな謎として残っているところです。

―銀河の中心にあるブラックホールが成長する前の"もともとの種"の謎は、理論的には、どのように考えられているのですか?

 星が死ぬ時にブラックホールができるという話に基づいていますが、一つの理論では、初期の宇宙は、現在の宇宙で考えられているよりも非常に重たい星ができる状態で、その現在の宇宙ではありえないような非常に重たい星からとても重たいブラックホールができた、と提案されています。

―宇宙の進化を解明するにあたり、色々な研究対象がありうると思うのですが、そもそもなぜブラックホールなのでしょうか?

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【図3】あすか衛星で得られた X 線画像と、その中の X 線源の可視光画像と対応する銀河のスペクトル。「可視光画像の領域のサイズは 図1とほぼ同じくらいの範囲を見ていますが、情報量の違いに隔世の感がありますね」と秋山さん。

 私はもともと銀河の形態の起源を研究したいと考えていました。しかし、私が大学生として銀河の研究に関わった頃、新しい観測装置としてX線で宇宙を見るための日本の衛星「あすか」衛星が打ち上がりました。その衛星で得られたデータを用いて、X線で光っている銀河を探し、その性質を調べるプロジェクトが立ち上がっており、そこに学生だった私も加わり、最初の「研究」を始めました。

 その「X線で光る銀河」というのが、銀河の中心のブラックホールが周りのガスを吸い込んで、X線で光っている銀河でした。そうして、遠方の宇宙を見て銀河の歴史を調べるための具体的なアプローチが、銀河の中心で光るブラックホールの統計を宇宙の歴史を遡って調べる、ということになり、ブラックホールの研究に踏み込むことになったのでした。

 実は、私が大学生だった当時は、銀河の全てに非常に大きな質量のブラックホールがあるとは考えられておらず、銀河の中心が光るという現象を調べることは、特異な銀河だけに起こる、特異な現象を調べているという印象でした。

 ところが、私が大学院生の頃に全ての銀河の中心には非常に大きな質量のブラックホールがあるという研究成果が報告されました。さらに、銀河の中心でブラックホールが光る現象はブラックホールが成長している様子を見ていること、すべての銀河はそのような現象を経験している可能性があること、ブラックホールの成長は銀河の進化にも影響を与えていることが、立て続けにわかってきました。

 大学生の頃に右も左もわからないままに関わった研究分野でしたが、銀河の中心のブラックホールを考えることはいつのまにか銀河の進化を考えることにもつながったのでした。

 もちろん、楕円型の形状や渦巻きのある円盤型の構造といった銀河の形態の起源を宇宙の歴史をさかのぼって調べることも、興味としては持っています。そこで、次世代の望遠鏡に取り付ける観測装置の開発では、銀河を点として捉えるのではなく、銀河の構造を分解して、それが宇宙の始まりの時代からどのように確立してきたのかを見る観測装置を開発しようと考えています。


■地球の大気のゆらぎを補正する「補償光学」

―具体的には、どのようにアプローチをしているのですか?

 ひとつは宇宙の始まりの早い時代にある銀河や超大質量ブラックホールを見つけること、もうひとつはその銀河で何が起こっているかを見ること、です。そのために望遠鏡に取り付ける装置の実験開発を行っています。

 見つけるためには広い視野を見渡す必要があります。すばる望遠鏡に広い視野を見渡すことができて、かつシャープな像で感度の高い赤外線カメラを取り付けて観測したいと考えています。

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【図4】次世代地上大型望遠鏡の完成予想図(C)国立天文台

 その銀河で何が起こっているかを見るためには、次世代超大型望遠鏡(Thirty Meter Telescope : TMT)に遠方宇宙の銀河の内部を分解して見ることのできる装置を取り付けて観測したいと考えています。次世代超大型望遠鏡は日本の国立天文台を中心として国際協力で建設が進められており、完成すれば「すばる」望遠鏡よりも16倍も光を集めることができて、4倍も細かい構造を見通すことができます。

 どちらの装置にも共通になるキーワードは補償光学で、私たちは補償光学の実験開発を進めています。補償光学は、地上にある望遠鏡で観測する時に問題になる大気の「かげろう」を補正し、シャープな像によって感度を上げ、遠方の宇宙にある銀河の中の細かい構造を見通せるシステムです。特に補償光学でも広い視野の中のたくさんの銀河を同時に観測することができる補償光学の開発を進めています。

 現在の補償光学では、ひとつひとつの銀河についてシャープな像に直して観測することはできるようになっています。しかし、たくさんの銀河を同時に観測することはできません。宇宙を見渡すとさまざまなタイプの銀河があり、銀河は多様な系になっていて、たくさんの銀河を観測し、統計的に調べることが必要です。そのために、宇宙初期にある多数の銀河を同時にシャープな像に直して観測し、銀河でどのようなことが起こっているのかを統計的に調べることのできる観測装置を作ろうとしています。

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【図5】現在の補償光学と開発中の次世代の補償光学の模式図による比較

―「補償光学」について、もう少し詳しく教えていただけますか?

 宇宙にある天体を地球上から観測する場合、地球の大気を通してしか、光を捉えることができません。地球の大気には温度や密度にムラがあって常に弱い「かげろう」が立っています。大気を通ってきた光を捉えると、そのかげろうの影響を受けて、天体の像の乱れが起こるのです。夜空にある星の光がまたたいて見えるのもこのためです。この影響を受けると、天体の細かい構造が乱されて見えない効果が起きてしまうので、かげろうの影響を補正しようというのが、補償光学です。

 補償光学自体は、すでに色々な巨大望遠鏡で使われていて、宇宙の観測に定常的に使われている技術ですが、我々のグループでは、広い視野にあるたくさんの天体を同時に補正するという次世代の補償光学の実現を目指しています。これが実現すれば、効率的に観測を進めることができるようになります。

―これまで秋山さんは、ずっとそのようなアプローチで研究されているのですか?

 私は望遠鏡に取り付ける観測装置の開発を行ってきましたが、異なるアプローチから入りました。最初はたくさんの銀河を同時に赤外線で分光観測をする装置を開発しました。アメリカのハワイ島マウナケア山にある「すばる」望遠鏡(口径8メートルの大型光学赤外線望遠鏡)に取り付けて、遠方の宇宙にある銀河や大質量ブラックホールの観測をしました。実は大学院博士課程2年生の時から東北大学へ赴任してくるまでの10年間ハワイに住んで開発に携わっていたのです。

―「たくさんの銀河を同時に赤外線で分光観測する」ことと、「補償光学で大気のゆらぎを補正する」ことは、どんな関係にあるのですか?

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【図6】すばる望遠鏡で取得した多数の銀河の赤外線スペクトル。一度に400個の天体を観測した。

 赤外線で観測する必要があるのは宇宙が膨張しているからです。昔の宇宙の光は、銀河から光が出た当時から現在の我々にたどり着くまでに宇宙が膨張するため、引き伸ばされて波長が長くなります。ですから、昔の宇宙で目に見える可視光として出た光は、現在の宇宙では、より波長の長い赤外線として観測されます。現在の宇宙の銀河について、たくさんの観測がある可視光の情報を、昔の宇宙の銀河について得るために、地上の望遠鏡で赤外線を観測し、銀河の性質を調べることが、「赤外線でたくさんの銀河を見る」ということです。

 この「すばる」望遠鏡で行った観測では銀河それぞれを"ひとつの点"として、たくさんの銀河を見ていました。実際の銀河は内部に様々な構造があって、それが複雑に絡み合って「進化」を起こしています。この次のステップとして、点の中にある銀河の構造をきちんと分解してより詳しく見たいと考えています。そのためには、地球の大気のゆらぎを補正して、シャープな像をつくって赤外線で観測することが必要になる、ということです。

―技術的には、どのようにして大気のゆらぎを補正するのですか?

【図7】1秒間に200枚の速度で撮影したカペラの動画

 この動画は、東北大学天文学教室の屋上にある50cm望遠鏡で撮ったぎょしゃ座のカペラという星です。地球の大気がなければ止まった点として見えるはずですが、大気のかげろうの影響を受けて、もやもやと動いて見えます。これを補正するには、まず光がどれだけ乱れているかを測定し、その乱れた光を、表面の形を随時変えられる特殊な鏡を使って、補正します。

―どのようにして光の乱れに合わせて鏡の形を変えるのですか?

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【図8】屋上望遠鏡に取り付けた補償光学の試験装置の様子

 鏡と言っても膜のような非常に薄い鏡で、裏側にアクチュエーターという機構をつけて変形させます。我々の実験室で最も単純なタイプは、電圧をかけると、鏡の後ろの電極同士が引き寄せあって凹むもので、場所ごとに電圧を変えることで、表面の形を自由に変えて補正します。

―その鏡の大きさはどれくらいで、鏡の中にはどれくらいのサイズのアクチュエーターが何個くらいあって、どれくらいの速さで形を変えて、乱れた光を補正するのですか?

 我々が使っている鏡の直径は10mm くらいで、その中に32個のアクチュエーターがあります。各アクチュエーターのサイズはおよそ1mmくらいですね。載せている動画はゆっくり再生しているので、星の光はゆらゆらと動いているように見えますが、実際のスピードで再生すると、本当はかなり激しく変動しています。それを1秒間に1,000回程度の速さで補正します。

 この補償光学で用いる鏡の開発は、東北大学の工学研究科の羽根一博先生とも共同研究で行っています。また、補償光学の開発については工学系の研究会で発表することも多いですね。我々の専門は天文学ですが、装置開発は工学的な要素も強く、どこかで実生活に役に立つ技術開発にもつながるかもしれません。

―鏡の形自体をそれほど小さく高速に変形させながら光学的に補正することに驚きました。ちなみに、画像処理等を行うイメージもありましたが、ソフト的な補正はしないのですか?

 可視赤外線の天文学の分野では、画像処理での像の復元はあまりやらないですね。というのも、多くの場合、天体の像はとても暗く、信号(signal)とノイズ(noise)の比(SN比)が大きくないためです。

 画像処理での像の復元は、信号がノイズよりもはるかに高く、像がぼやっーとしている時にシャープな像を復元することは得意です。ところが暗い天体を観測する場合には、数時間ずっと同じ天体を見続けて検出できるかできないかという信号で、ノイズに埋もれてしまいそうな信号を相手にしているので、ソフトウェアで像を復元する操作を、定量的に信頼度を高く実行することはできないのです。そのため、光学的に補正した上で観測することが主流になっています。

―秋山さんが現在取組んでいる「次世代型の補償光学」は、従来の方法とは、技術的に、どのような点が異なるのですか?

 我々が観測した天体はとても暗いです。一方で、光の乱れを高速で測定するには、その天体と同じ方向に明るい光源が必要です。夜空の明るい星が近くにある場合にはそれを使えばよいのですが、実際にはどこにでもあるわけではなく、観測したい天体の近くに明るい星がある確率は 0.1% くらいです。

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【図9】レーザー ガイド星(C)国立天文台

 そこで、従来は望遠鏡から空に向かってレーザー光を打ち上げて、その光で人工的な星(レーザーガイド星)を空の上につくり、それを光源として観測したい天体の方向の光の乱れを測定しています。この場合、ひとつの天体についてはうまく補正できるのですが、少し離れた場所にある天体も同時に観測しようとすると途端に像が悪くなってしまいます。

 私たちが取り組んでいる次世代型の場合にはいくつかの方向にレーザーを打ち上げて、複数の人工星をつくります。それらを測定することによって、広い範囲での補正量を求めて、適用することを考えています。これによって、たくさんの天体を同時にシャープに観測することができるようになります。

 広い範囲での補正量を求めるためには医療で用いられているCTと同じくトモグラフィー推定というアルゴリズムを使います。CTでは色々な方向から人間にX線を当てて中の様子がどうなっているかを推定しますが、それと同じで、色々な方向から光の乱れを測定し、中の乱れの分布がどうなっているかを推定するというところで同じ考え方を使っています。


■宇宙の謎を解き明かしたい

―そもそも「銀河の形の起源を知りたい」と思う、もともとの動機は何ですか?

 宇宙のスケールで考えると一番基本的な構成要素が、銀河なのです。宇宙には銀河よりも大きな構造として、銀河が集まってつくる銀河の集団(銀河群、銀河団、超銀河団)があります。また、銀河が集まった領域と銀河が少ない領域があって「宇宙の大規模構造」と呼ばれる、銀河の分布がつくる構造があります。銀河団や大規模構造の起源は、比較的よくわかっていて、重力で引き寄せられることにより、銀河が集まった場所と集まらない場所ができることが知られていて、計算機のシミュレーションでも再現されています。

 一方で、個別の銀河に注目すると、銀河の構造の起源は様々な物理過程が関わっていて、わかっていないことが多く、その謎を解き明かしたいというのが動機です。

―さらに遡って、秋山さんが天文学者になった原点についても、教えてください。

 もともとわからないことを解き明かすことに小さな頃から興味がありました。ありきたりの話ですが、小さな頃に望遠鏡を買ってもらって眺めることで、星や宇宙に興味を持ち、宇宙の謎を解き明かすことに興味を持ちました。私が小学生の頃にはボイジャーという衛星が何年もかけてリアルタイムで太陽系を探査しながら、様々な惑星について初めて見る詳細な映像を送ってきていましたし、それを紹介する「コスモス」というテレビ番組にも影響を受けたのかもしれません。大学に進学する頃には、天文学の研究をやりたいと考えていました。

―宇宙に興味を持つきっかけとなったエピソード等はありますか?

 それもありきたりな話ですが(笑)、小学生の頃に外で遊んでいて、夕方、すごく明るい流星が見えたことがありました。それだけなら流星で終わりでしたが、翌日新聞を見たら、四国に隕石が落ちたニュースが載っていました。私は兵庫県の出身なのですが、明るく見えた流星が、実はその四国に落ちた隕石だったということがわかって、地球の外側には不思議な世界が広がっているなあと思ったのが、きっかけかもしれません。実際には地球の大気圏で起こっていることですけど。

―以前、現・仙台市天文台長の土佐誠先生(東北大学名誉教授)にインタビュー取材した時(記事はこちら)、「天文学なんて、食えないし、役に立たないし、どうしようか。当時は、大学院に進学する人は少なくて。ましてや天文学に残る人は少なくて。大学院に進学する時は、もう修道院か何かに入るつもりで、世俗の欲望は棚に上げて、というか、捨ててね。やれるところまでやってみよう、食えなくなったらその時に考えよう、という覚悟で入りました」と仰っていたのが印象的でした。当時とは状況が異なるとは思いますが、その辺りはいかがですか?

 土佐先生の時に比べると、私の頃は様々な映像や情報を通して天文学というものが研究をする分野としてより身近になっていたと思います。ただ、現在でも増えたとはいえ天文学を研究できる大学は限られています。20年以上前の話になりますが、私が大学に入った直後にクラスの茶話会で「天文学を研究したいから来ました」と自己紹介をしたら、「天文学の分野は研究者のポストの数が少なくて、たくさんオーバードクターがたまっていて、就職も大変だよ」と言われました。結局、私は博士課程の時にハワイの観測所に移って博士号を取得してから、8年ほど期限付きのポストを渡り歩いた後、現在の東北大学に赴任することになりました。期限付きとはいえ幸い給料はもらえていたのと、研究をしたいという興味は尽きなかったので、あまり悲壮感はなくここまで来ました。

―昨今、科学をとりまく社会環境も変化しています。天文学というのは、ある意味で、理学研究の象徴的存在ですので、その辺りのお考えについても伺えますか。

 そうですね。宇宙を研究していると言うと「実生活には役に立たない研究をしている」「なぜそのような分野に研究費をつけるのか」と言われることもあります。もちろん天文学で開発された様々な技術が、実生活の中で役に立つ場面もあります。しかし、天文学で明らかになった宇宙や銀河に関する知識そのものが、実生活の中に関わることは無い、というのはその通りだと思います。しかし、役に立つことだけを目指すだけが科学の研究ではない、と私は考えています。

 一方で、最近の天文学は、大きな予算を使って巨大望遠鏡を建設するビッグサイエンスになっているので、そんなことに税金を使って良いのか、ということがより強く問われるのかもしれません。天文学は基礎科学中の基礎科学で、天文学の研究は、我々はどこから来たのだろう、我々の外の世界はどうなっているのだろう、という人間の「知る」という欲求を追求することが目的です。その研究によって得られた知識というのは、人間の活動によって生み出される文化の一部だと思います。そういった活動を削ぎ落として、生きていく上で必要なことのみを追求するのでは、我々が存在する意味がないとも思います。

―それでは、秋山さんが生きている間に、知りたいこととは何ですか?

 先ほどお話した、銀河の起源や大質量ブラックホールの起源は、自分が生きている間に解き明かしたい謎ですね。どうして今見える宇宙が実現したのか?を知りたいです。宇宙の研究とは、結局、宇宙の始まりや、なぜここにたどり着いたのか、太陽系や地球がどうしてできたのか、その起源を知ることが動機だと思います。その中で私が知りたいのは、銀河やそれに関わるものの起源ですね。

―それはつまり、なぜ私が今ここにいるか、その理由を知りたい、ということですか?

 そこは少し飛躍もあって、宇宙のスケールで起こったことと地球上のスケールで起こったことをつなげて理解するのはまだまだ遠いと思います。地球上のスケールで起こった生命の誕生ということについても興味はありますが、私は全く手が及ばないので、現在の研究対象としては、銀河の起源を知りたいところです。人間という生物がどうやって、この形にたどり着いたかは、私が死ぬまでに到底理解できないような気がするので・・・。

―私の個人的な感覚からすると、自分も含めた生命より宇宙の方が、逆にずっと遠い存在のような気がします。

 けれども宇宙の方が、どちらかと言うと、理解は単純なのです。スケールが大きくなればなる程、単純な物理が支配するという意味では、大きなものの方が、物理モデルで記述しやすいのです。一方で、小さなスケールで見ると、さまざまな過程が複雑に起こるので、生命の誕生プロセスを物理学の言葉で記述するのは、まだまだたどり着かないところですよね。


■「知りたい」欲求を大切に

―研究機関であり教育機関である大学として、研究室の学生さんに対する指導で日頃、秋山さんが心がけていることは何ですか?

 心がけていることは各自の持つ興味を大事にしてほしい、ということですね。結局、自分で興味を持って、自分で考察して研究を実行しない限り、研究は進まないものですから。大学院に入って研究テーマを最初に決める時は、最近の研究成果に基づいて具体的な課題を設定する必要があるので、こちらから設定はしますが、その課題に対しても、もし興味を持てなかったり、違うアプローチを思いついたのであれば、柔軟に、学生さんの興味に基づいて変えていけば良いと考えています。
 
 私が指導できることは限られていますが、大学にいると他の幅広い分野の先生方もいるので、その環境を活かして、色々なことに幅広く興味を持って研究して、それぞれの興味を追求してもらえればよい、というのが指導方針ですね。そんな意味で、天文学専攻にはいますが、装置開発から工学分野へ、データ解析から情報科学へ進んでいくのも全然構わないと考えています。

―最後に、中高生も含めた、若い世代に対してメッセージをお願いします。

 色々なことに関心を持ち、「知りたい」と思う欲求を大切にすることです。宇宙を「知りたい」という欲求に基づいているのが天文学の研究です。「知りたい」という欲求は、人間の存在の大事な部分だと思うので、ぜひ大切にして大人になってください。

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―秋山さん、ありがとうございました。


東北大学天文学教室 秋山研究室 学生インタビュー

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Q1. 秋山研究室を選んだ理由は?

鈴木元気さん(修士2年、宮城県仙台市出身):
 私は学部の頃は東京理科大学にいて、天文学とは関係のない、光学素子を扱っていました。「フェムト・アト秒化学」(1フェムト秒は1000兆分の1秒、10のマイナス15乗秒。1アト秒は100京分の1秒、10のマイナス18乗秒)という、非常に時間スケールの短い物理現象を見るための特殊な測定機器の開発が、私の卒業論文のテーマでした。今まで見ることができなかった非常に速い現象を見るための装置を作ったので、今度は、人間が今まで見えなかった遠くのものが見える観測装置をつくりたいと思い、色々調べた結果、東北大学に補償光学を研究する秋山研究室を見つけました。補償光学で、今まで見えなかったものを見られることに大きな魅力を感じて、その装置開発をしたいと思い、大学院から来ました。

渡邉達朗さん(修士1年、静岡県富士宮市出身):
 僕も現在、補償光学の装置開発に携わっているのですが、根本的には、もちろん天文学な興味もありますが、それを見るための装置自体に強い興味があります。天文学の装置開発は、これまでにないようなユニークな装置が必要とされます。それを達成するためには、色々な課題がありますが、それらの困難を解決して新しいものを見たいというモチベーションで、秋山研究室に入りました。また、学部3年生の時、新しい天文学教室の屋上に移設するため望遠鏡の組み立て作業サポートの募集が、天文学専攻の先生からありました。そこで手を挙げて、夏休みの2ヶ月間、大阪の工場に滞在し、職人さんと色々な話をしながら、手作り感溢れる望遠鏡を組み立てるものづくりに携わった経験も、装置開発に携わりたくなった理由のひとつですね。

Abdurrouf(アブドロウフ)さん(博士2年生、インドネシア出身):
 秋山先生が研究している銀河の形成と進化について、自分も同じように興味があったからです。また、秋山先生は、現在建設計画を進めているThirty Meter Telescope (=30メートル望遠鏡)プロジェクトに大きな役割を果たしていることも、選んだ理由のひとつです。銀河の形成と進化に関する天文学研究と装置開発の両輪で研究されていることが、大きな魅力でした。


Q2. どんな研究をしていますか?

鈴木さん:
 補償光学の装置を開発していますが、特に30メートル望遠鏡について、ひとつ乗り越え無くてはならない技術的な課題があるため、それを検証するための補償光学の装置を、屋上にある50センチ望遠鏡につけて実験しています。

渡邉さん:
 最終的な目標は30メートル望遠鏡の装置づくりですが、その装置の仕様は、世界中で色々な補償光学のシステムが出始めているものの、まだ完全には実証されていない段階です。そこで、まだ評価されていない性能をしっかり評価して、30メートル望遠鏡の装置として使えることを実証するため、ハワイにあるすばる望遠鏡を使って実証しようと考えています。そのための光学設計が今そろそろ終わる予定です。それを実際に実験室で組み上げて、光学系の評価を行い、それがうまくいけば、すばる望遠鏡でテストし、新しい補償光学装置の実証実験をしたいです。

アブドロウフさん:
 銀河には色々な形の種類がありますが、大きく分けて、楕円銀河と渦巻銀河があります。私は、渦巻銀河が、宇宙の過去から現在に至るまでに、どのように形成されたかを研究しています。私の研究のユニークな点は、これまでひとまとめに見ていた銀河を、空間的に分解して、銀河における星の分布まで詳しく調べているところです。

渡邉さん:
 僕らの装置開発の目標は、より遠い銀河に対して、今までひとつの点としか見えなかった銀河を、より細かく区切って詳しく見ることです。

鈴木さん:
 さらに30メートル望遠鏡が完成すれば、その鏡の大きさが大きくなるほど遠いものも細かく見えるので、私たちが開発中の装置によって、これまで点として見えなかった銀河の構造がより詳しく見えて、アブドロウフさんの研究が進むことにもつながります。


Q3. 研究に対する心構えやモチベーションは?

鈴木さん:
 私の座右の銘は「好きこそものの上手なれ」。義務感でやらされているのではなく、自分からやってみたいと思って研究をしているので、毎日研究が楽しく充実しています。

渡邉さん:
 自分が今やろうとしていることが実際の装置に採用されるまでには、10年スケールで時間がかかると思うのですが、そのためにやらなければいけない基礎的な研究がたくさんあるので、そのひとつでもふたつでもクリアしたいなという思いで今、取り組んでいます。最終的には今までにない高度な技術を目指しているので、ケアレスなミスだけはしないよう気をつけています。良い結果が出たときは嬉しいし、次のモチベーションになります。

アブドロウフさん:
 新しい関係性などがデータを解析する中で見えてくる時が、研究していて非常に楽しいです。宇宙の遠くを見ることとは宇宙の昔を見ることにつながるので、昔の銀河と私たちの天の川銀河や近傍の銀河を比べて、いつか、昔と今をつなげるシナリオをつくりたいですね。銀河の形成と進化という、天文学における大きな未解決問題にチャレンジしていることが、研究の大きなモチベーションになっています。


Q4. 秋山研究室を一言で表すと?

鈴木さん:
 「攻めている」。東北大学は自前で大型望遠鏡を持っていないので、装置開発のためには、すばる望遠鏡などとコラボレーションする必要がありますが、そのチャンスを秋山先生は積極的につくろうとしているので、勇猛果敢なイメージです。

渡邉さん:
 「野心的」。工学研究科の研究室とも装置開発の共同研究をしていて、そういう意味ではワイドであり、果敢に攻めている感じですね。そして最終目標が、最先端かつユニークな、非常に高いところを目指しているところが、野心的だと思います。

アブドロウフさん:
 「enjoy researching wide field」。装置開発からデータ解析まで、かつ波長も赤外線から可視光、紫外線まで、ここまで幅広く扱っているところは、他にはあまりないと思います。天文学の幅広い分野を楽しんで研究していると思います。


Q5. 中高生たちへメッセージをお願いします

鈴木さん:
 私は、いつも土日にアウトリーチ活動で科学教育活動をしているのですが、その時にも、子どもたちに言うのは、「好きなことを極めてほしい」。やっぱり「好き」という力は最強だと思うのです。自分の「好き」を子どもたち自身で見つけてもらえたら、そこに向かって、あとは突き進むだけで、その過程は、きっと彼ら彼女らにとって非常に楽しいものだと思うからです。

渡邉さん:
 与えられたもので満足せず、自分から積極的にやりたいことを見つけたり、色々なことに疑問を持ったり、視野を広げて欲しいですね。それは与えられたところから吸収するよりも、一歩、自分から踏み出した方が、色々なことが新たに見えて、知らなかったことがたくさん増えるチャンスがあると思うからです。そんな意味では、好きなことしかやっていない気がするのですけど。役に立たないことでも全然良いので、楽しいことや好きなことを見つけて欲しいなと思います。

アブドロウフさん:
 常に、あなたの人生が到達するために、欲しいものに焦点を当ててください。私の場合、それは研究ですが、皆さんの場合、学校の授業でも何でも、興味をもったこと全てに対して当てはまります。いかなる場合もゴールを意識し、それに向かってどうしたら良いかを常に考えて、色々な可能性にチャンレンジしてください。

―皆さん、本日はありがとうございました。


中鉢良治さん(産総研理事長)×海輪誠さん(東北活性研会長)対談:東北の未来創造にむけて

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中鉢良治さん(産総研 理事長)×海輪誠さん(東北活性研 会長)対談:東北の未来創造にむけて/社会って、そもそも何だろう?
取材・写真・文/大草芳江

2017年03月15日公開

対談「東北の未来創造にむけて」

中鉢 良治 Ryoji Chubachi
(産業技術総合研究所理事長)

1947 年、宮城県玉造郡鳴子町(現・大崎市)生まれ。工学博士。宮城県仙台第二高等学校を経て東北大学工学部へ進学。1977 年、東北大学大学院工学研究科博士課程修了。同年、ソニー入社。1999 年、執行役員、2004 年、執行役副社長、2005 年、取締役代表執行役社長に就任、取締役代表執行役副会長を経て2013 年より現職。

海輪 誠 Makoto Kaiwa
(東北活性化研究センター会長・東北電力会長・東北経済連合会会長)

1949 年、東京都生まれ。東京都立上野高等学校卒業後、東北大学法学部に入学。1973 年に同大を卒業し、東北電力に入社。2010 年に取締役社長、2015 年に取締役会長に就任。同年、東北活性化研究センター会長、2016 年より東北経済連合会会長。

これからの先が見えない時代、そもそも東北の価値、そして、東北の果たすべき役割とは何でしょうか。東北の未来のあり方を探るべく、東北活性化研究センター会長の海輪誠さん(東北電力会長・東北経済連合会会長)と産業技術総合研究所理事長の中鉢良治さんから対談形式でお話を伺います。「東京から東北へ来た」海輪さんと「東北から東京へ行った」中鉢さん。そんな逆の経歴を辿ったお二人の東北観とは如何に。

※本インタビューをもとに「産総研東北ニュースレターNo.44」を作成させて頂きました。詳細は、こちら(産総研東北センターHP)をご覧ください。


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そもそも東北とは何か

■中鉢 「首都圏への供給源のままでは発展しない」

  私は宮城の生まれですから、東北以外に選択肢がありませんでした。宮城県玉造郡鳴子町で生まれ、宮城県仙台第二高等学校を経て東北大学工学部に進学。同大大学院で博士課程を修了後、ソニーに入社し、しばらく仙台に住んでいました。東北で生まれ育ったので、東北に対して誇りを持てたわけです。

  しかし、歴史的にも現状でも東北はどうも後進地域みたいになっている。だんだん自分が成長して客観的に東北を見れば見るほど、生まれ故郷というバイアス(偏り)のかかった東北観と、客観視した時の東北観は違うのです。

  東北は、江戸時代には米を中心とした農水産品を、明治時代には兵隊を、近代化とともに金の卵や出稼ぎ等、労働力を首都圏へ送ってきました。そして現代では大量の電気を送っています。つまり江戸を中心とした首都圏が近代化して発展するための要件を、実は、東北が整えてきたわけです。

  その共通項は、東京が地方の生産年齢人口を集めて一極集中で発展していったことです。一方、今日の新興国で見られるような人口ボーナス(※1)の逆現象として、生産年齢人口の極端な減少を先駆けて経験し、衰退していく東北の姿があります。

  そこに地元愛のバイアスがかかって、つい私の表現は激しくなりがちですが、基本的にはそんな構図の中で、どうしたら東北がもう一度復興できるかが今テーマになっているのではないでしょうか。冷静に見ると、そのように読み解けるかな。

(※1)人口ボーナス:子どもと高齢者の数に比べて、生産年齢人口が多くなることで、経済成長が後押しされること。

  したがって私が警鐘を発するとすれば、「東北が後れている」のではなく、現在の東北の姿は何年後かの日本の姿ですよ、と言いたい。決して東北だけの問題ではないと思います。

  その解決策として、経営のリソースであるヒト・モノ・カネ、技術・情報等をしっかりと受け止められる中核都市として、仙台がローカライズしていくことが大切ではないでしょうか。今は東北のリソースが皆、首都圏への一方向にどんどん流れて吸い取られています。企業会計に例えれば、財務諸表の貸借対照表や損益計算書がガタガタのようなもので、そんな構図では、東北の発展がないわけです。

  ですから海輪さんのように、東京から東北に来る。そういった流れが良いわけですな(笑)。


■海輪 「誠実な人柄が魅力、しかし発信力や中央依存体質に弱点あり」

  理事長が色々な問題認識を仰いましたが、共通の感覚を持っていらっしゃると感じます。私は東京から東北へ来たのに、同じ感覚を持つということは、大体見方は合っている、ということではないでしょうか。

  まず、なぜ私が東京から東北へ来たか、生まれの話からします。私は東京の北千住という奥州街道の宿場で、鞄職人の男三人兄弟の次男として生まれました。「いずれ次男は、家を出る」という自覚が幼い頃からあるような時代でした。そのためにはそれなりに勉強をしておく必要があるということで、高校、大学と進学させてもらいましたが、貧乏職人だったものですから、大学を通じて、奨学金をもらっていました。

  大学受験の時、ちょうど大学紛争が勃発しました。東京の国立大学入試が中止となったこともあり、当時の選択肢として、同期のほとんどは、あちこちの地方国立大学や、私立大学に進学したのです。

  そんな中、大学を選ぶ時に考えたことがありました。ひとつは、私は都立上野高校に通学しており、上野は東北本線の起点でしたので、その意味では仙台が近いポジションにありました。また、ちょうど私どもが成長した時代は高度経済成長期でしたから、出稼ぎのために東北の人が上野周辺にたくさん往き来していました。そんなことで、何となく東北に対する親近感のようなものがあったのですね。また、東北の人は寡黙ではあるけど、謙虚で、飾らない話しぶりです。そんな東北の人の率直さが、自分にとっては親しみやすいと思いまして、東北大学を受験しました。

  そして仙台で4年間の大学生活を送る中、理事長も感じたと思いますが、大学生を非常に大事にしてくれる街の風土がありました。自然も豊かですし、程よい文化もある。いずれ家を出る身であり、東京に帰るのは嫌だと思っていたこともあって、この土地で暮らし続けたいと思いました。そして、当時付き合っていた女性と結婚することも、学生の頃に決めてしまい、最終的に東北で仕事をしようと決めました。

  そのような意味では、積極的に東北に来て何かをしようというわけではありませんでした。その後、東北電力という会社に入りましたが、最初は単なる就職先のひとつくらいの気持ちでした。しかし入社してみると、自分で言うのもなんですが、地域の方々から信頼されて、社員にも優しい非常によい会社だと実感しました。以来、自分はもう東北の人間であるという意識でやってきました。

  東北の魅力は、東北人共通の誠実で謙虚な人柄だと思います。一方で謙虚さ故、発信力が弱いのが東北人の弱点ですね。また、中央に頼り過ぎて、自分たちで何かを興そうとする気持ちが弱いのも欠点だと思います。もうひとつは、江戸時代の藩政の影響が残るのかもしれませんが、隣県同士の仲がとても良いというわけではなく、お互いに助け合おうという意識がやや少ないと感じます。そのような点を踏まえた上で、今後どのようにしていくかという議論につなげる必要があるのではないでしょうか。


東北の特殊さ、どう捉える

■中鉢 「標準化されていないことに対する恥ずかしさ」

  東北人の欠点について、会長のご指摘は、全く当たっていると思います。私は、もろに東北人ですから、「お前の欠点だ」と言われているかのように、ひしひしと感じます。

  全くの同意見に、補強的に付け加えますと、私も故郷を離れて40年以上、そして仙台を離れて数十年になりますが、ここは日本で一番住みやすい、よい街だと思います。他の色々な地域にも行きますが、ここが何となく一番落ち着くのです。

  同じように東北のよさは、人々が誠実なところだと思います。その誠実さが上手く表現できていないのではないでしょうか。私は、人間の全ての徳の中で一番大切なことは、誠実さだと思います。それを感じ取るから、これは極めて誇りだと思うのです。

  「東北人はシャイ」と言うこともありますが、スタンダードというものに対する自信が、ないのです。非常にローカライズされた、標準化されていない文化なのですよ。口には出しませんが、言葉も含めて、どうしても「特殊」という意識が東北人にはあるのです。

  最近の例として、東日本大震災の時に、東北人がズーズー弁で話すのをテレビ越しに初めて見ました。東京でそれを見た私は、東北人がこれほど饒舌に話すのかと驚きました。震災があって初めて、東北人がメディアの取材に対して、堂々と話すようになったのです。

  今までは聞かれても黙っていました。それはずっと長い間、東北は従属関係にあったからだと思います。「白河以北一山百文」の感覚で捉えられてきたのです。それを自他ともに許しているから、標準化されないことに対する恥ずかしさがある。それで異文化への抵抗感があるのでしょう。だから、内向きになるのではないでしょうか。

  東北人である私自身の気持ちを、胸に手を当てて考えると、そう感じますね。

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■海輪 「東北の特殊さを前向きに変えるべき」

  同感です。東日本大震災では、東京電力福島第一原子力発電所で事故が発生しました。これは「首都圏vs東北」という意味で、かなり象徴的なことだったと思うのです。理事長も仰る通り、東北は首都圏にヒト・モノ・カネも、エネルギーも供給してきました。歴史的に見ても東北は、蝦夷征伐に始まり、幕末には会津藩が征伐される時に奥羽越列藩同盟を組んで対抗しました。それこそ誠実さの表れだったと思うのです。それを思いますと、なぜ東北の人はもうちょっと怒らないの、と感じたわけです。

  私どもの電力事業の歴史で申しますと、電気事業は最初、各地の自治体やお金持ちによるベンチャー事業で、それがだんだん統合されていきました。そんな中、度重なる冷害や飢饉で疲弊する東北地方を救済するために、電力事業で経済振興を図ろうと設立されたのが、「東北振興電力株式会社」です。それが戦時中に国策会社の「日本発送電株式会社」に一社化され、戦後はGHQの指令で全国9地域に9電力会社の体制がつくられました。全国9地域の体制をつくったのは、地方分権でエネルギーを支える会社をつくろう、という目的があったのです。

  そのような歴史的経緯も踏まえますと、私は社内でも申し上げているのですが、東北地方は「特殊」な歴史を持つ地域ですから、その意味では一般的な電力会社や地方としてでなく、地域というものを特に意識した対応をしていく必要があると思います。

  ただ、理事長も仰ったように、東北の「特殊」さがいつもコンプレックスになっています。しかし逆に「特殊」さを前向きに変えていかなければいけないと思うのです。今まで自分たちは価値がないと思ったものは、実は、よそから見ると価値があるのだと。これまでの「ずれ」をハンディキャップとしてではなく、前向きに捉えるべきではないでしょうか。

  また、今回の復興予算に全面的に頼るようではだめで、次の時代の東北が自立して地域経済もまわる社会にするために何をすべきかは、早々に手掛ける必要がある問題です。そのような意識が必要ではないでしょうか。


東北は連携できるのか

■中鉢 「隣を出し抜こうとする気質が後進的」

  仰る通りですね。会長が先程仰っていた、東北人は「お互いに助け合おうという意識が少ない」。これも、ものすごく当たっていると思います。

  特に仙台人の気質として、他の東北の県と仲良くするくらいなら、中央や世界に近づこうと、隣をさて置いて世界を見てしまう。伊達政宗が支倉常長をヨーロッパに派遣して国交を樹立しようとしたのと同じで、隣を出し抜こうとする気質がある種の後進性の現れかもしれません。それが意識面で、東北復興の妨げになるのではないかと思うのです。


■海輪 「台湾への観光PRで東北7県が連携、大きな効果」

  その象徴的な出来事がありました。例をあげますと、震災前から各県はそれぞれ個別に海外への観光・物産PR活動を行っていました。台湾にリンゴを売る活動は、青森県が非常に成功しており、三村知事は台湾で「リンゴ知事」として有名です。ところが、例えば秋田や山形が台湾へリンゴを売りに行くと、台湾の人からすれば「この前来たばかりなのに、また来たの?」という感じです。

  じゃあ、皆で一緒に行ったらいいじゃないか、ということで、やっと2016年8月末に、東北各県知事らが揃って台湾へ観光PRに行こうと、東北観光推進機構等と一緒にデレゲーション(代表団)を組んだのです。

  その結果、相手側の受けが非常によかったですね。一県単独なら会えないような台湾の蔡総統とも会えましたし、各マスコミからの取り上げられ方も全く違いました。連携による効果は非常に大きかったのです。ですから、今後これをもう少し観光以外にも広げたいですね。


■中鉢 「これからの時代は連携できる人材が重要」

  なるほど。それは歴史的な出来事ですね。ひと時、地方分権の話がありましたが、東北は「絶対にまとまらないだろう」という筆頭で、逆に一番まとまりやすいのは九州ではないかと言われていました。

  東北には特殊論がそれぞれにあり、特に仙台市は突出した規模を持つので、仙台市を持つ宮城県や隣県の思惑もあり、なかなか連携が取りにくいのです。先の奥羽越列藩同盟で東北の同盟が成立したかのように見えますが、結局、成功しなかったことが、その後の東北人のトラウマになっています。

  イノベーションを創出できる人材に、まわりとの連携を求めても、大抵は連携しようとしないですから。それは、連携すると自分が埋没すると思ってしまうからです。つまり、イノベーション人材には、連携の魅力が感じられないのです。

  ですから、今までは東北から世界に通用する人が出ることを目指してきましたが、むしろ、これからの時代は、隣と連携できるような人材が、重要になると思います。

―先ほどの台湾への観光PRの例では、そのような東北の皆さんが、なぜ連携できたのでしょうか?


■海輪 「海外から見れば、東北自体が認識されていない」

  リンゴの例は、象徴的ですよね。さらにインフラの例で言えば、昨年7月に仙台空港が民営化され、「仙台は栄えて、まわりは疲弊する」という意識を、宮城県以外の皆さんが少なからず持っています。そんな中、外国から来るお客さんは、まず「東北って、どこにあるの?」から始まります。「東京の北、北海道の南」くらいしか認識されていない中で、山形だ、秋田だ、青森だと言ってもだめで、連携してプロモーションしなければだめでしょう、ということになるわけです。


■中鉢 「このままでは続かないと皆が気づいた」

  よくわかりますよ。今日は産総研と東北活性化研究センターさんが共同で、「オンリーワン企業 - 次世代産業技術マッチングフェスタ(※2)」を開催しています。このような機会を宮城県だけでなく、東北6県すべての公設試験所と一緒に連携して持ったのは、産総研130年、東北センター50年の歴史の中で、実は初めてのことなのです。

  東北として連携する動きがようやく出てきた。連携した方が得だ、個別に実施すると損だ、ということが、やっとわかってきたのではないですか。この時期がなぜ今来たかと言えば、「このままでは続かない」と皆が気づいたからだと思います。それは地域だけのことではなく、産総研という国の機関としても、私も含めて、そのことに気づいた。やはり時代の要請だと思いますよ。

(※2)オンリーワン企業 - 次世代産業技術マッチングフェスタ:東北活性化研究センターの選定した東北圏オンリーワン企業123社をはじめとした東北の企業に、オール産総研の技術シーズを活用し、事業活性化につなげてもらうことを狙って共催した初めての試み。対談当日の1月13日に開催され、企業や産総研等から278名が参加。


■海輪 「広域連携の場づくり」

  本日開催されたマッチングフェスタも、ひとつの成功事例ですよね。連携することで自分の価値を非常に高めるということを実感できる場づくりが大切だと思います。

  私が会長を務める東北経済連合会(東経連)では、新たに策定した長期ビジョンの柱のひとつに「広域連携の場づくり」を掲げています。これは自治体がなかなか先導できないことですので、民間でやるしかないと。民間には県境はありませんから。ビジネスを通じた連携ができれば、その上に東北の自治体が加わる場をつくれるのではないかと考えています。

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地方と中央は全くの別物

■海輪 「限界集落でもビジネスができる環境づくり」

  もうひとつ、東北が挑戦していけばチャンスがあると思っているのが、IoTやAI等の活用です。これは産業界のみならず、地域社会を維持していく面でも大切だと思います。「地方消滅」(増田寛也氏著)と言われていますが、このままいけば、田舎の町や農村どころか、皆、消滅してしまうわけで、それがよいことかと言えば、決してそうではないでしょう。

  東北の魅力は、中核的な都市があちこちにあり、それぞれ独自の文化をもって活動していることだと思いますし、それを維持しなければならないと思います。ですから、限界集落から人を引き上げて都会に押し込めてしまうような議論はやや極論で、逆に、限界集落のような地域でも、ビジネスができる環境を整える方が大切だと思います。


■中鉢 「地方と中央の対等な付き合い方を」

  会長と全くの同意見です。それを少し異なる観点からコメントしますと、東京と地方は、全くの別物です。象徴的な例で言えば、時間の流れ方が感覚的に違うので、時計の進め方も違うようにしなければいけないと思っています。

  東京の1時間と、仙台の1時間の感覚は違います。東京では5分毎に電車が来るのに、我先にと皆駆け込んで電車に乗り込みます。一方で、そんな混雑は、仙石線にはありません。なぜ東京では、あんなに急がないと生活しづらいのか。それは、分業化によって効率を良くしているからですが、反面、一人では生きづらい構造であることを意味します。このため、東京では何をするにもお金が必要です。私の生まれ育った田舎だと、財布を開く場面など週に1、2回もなく、それで普通に生きていけるわけです。地方がなにも東京の真似をする必要はないと思うのです。

  例えば、ライオンとシマウマの弱肉強食の共生関係があります。ライオンが強いからシマウマがいなくなるかといえば、そうではなく、シマウマがいなくなるとライオンもいなくなる。「地方消滅」と言いますが、地方がなくなれば東京は死んでしまうと思います。ですから地方が消滅するというのは、私にはにわかに信じられないのです。ただ、地方を犠牲にして生きる、そんな歪みのある片務的な関係は、できるだけ是正しなければいけません。

  では、そのためには、どうしたらいいか。地方には地方の文化があるわけではないですか。保護主義的になるわけでなく、地方独自のものをつくり、それを前提に東京と自由に往き来するのです。「ここに土着していける」というクローズドな面と、外と交流していくオープンな面の、両方のバランスをもって、中央と双務的関係が築けなければ健全ではないと思うのです。

  つまり、地方と中央の対等な付き合い方があるのではないでしょうか。それは必ずしも、地方が中央化することでもなく、中央が地方化することでもない。地方には、地方の役割があると思うのです。

  私は東京に住んで、会長も東京生まれで、皆、「地方に申し訳ない」という気持ちがあると思うのです。東京は地方の犠牲の上にあるのだと。その東京はというと、地方出身の人ばかりですから。その「偏り」の中で、どんな社会が最適なのか、それは私にもよくわからないです。それをどこかでぜひきちんと検討して欲しいと思います。


■海輪 「なぜ東北に住むことがよいことか?」

  全く同感ですね。私の家内は秋田県の横手市出身で、彼女と結婚する前、横手に何回か行き、地方都市独自のよさを感じました。ところが十数年後には、町が変わってしまいました。なぜかと言えば、バイパスができて、大型ショッピングモールができました。すると、中心商店街がバタバタ閉店して、今やゴーストタウンです。そこに住むことができないから、また移転してしまう。そんな悪循環が、地方都市の失敗だったと思うのです。それを繰り返してはいけません。

  あの時、東京のスタンダードを地方に持ち込んでしまったのです。効率的で、安く大量に物が入るといいでしょう、という価値観が席巻してしまった。すると、地域は壊れてしまう。むしろ、そこで失ったものに、大切なものがあるでしょう。これをひとつの価値観として再認識する必要があると思います。

  東経連も将来ビジョンを策定する際、そこからまず議論しようと「なぜ東北に住むことがよいことか?」から考えました。すると理事長も仰る通り、職住近接で「暮らしやすい」。「暮らしやすい」とは、コストも最小で暮らせるということですから、収入が減ったって、自由に使えるお金は、逆に増える可能性があります。次に人口減少の問題は、高齢者が増え、稼げる人が減るという人口構成の問題です。そこに着目し、若い人が住める環境にもっと力を入れていく必要があります。そこで「暮らしやすく、やりがいを実感できる地域社会」をイメージして、その実現のために何をすべきか考えました。

  そのためには、東京と同じやり方ではない「稼ぐ力」が必要です。それに、交流しなければシュリンクしてしまいますから、中央や他地域と交流しながら活性化していくことが大切という意識も必要です。


■中鉢 「villageとcityを自由に往き来する」

  いくつか重要なポイントを指摘いただいたと思います。生活基盤のニーズが、地方と首都圏では全く違う、ということです。誰かが言っていましたが、ここは住みよいところだと一族が集まる場所を「villa」、さらに人が集まると「village」になるそうです。そして必要があれば、そのvillageから別のcityに行ってまた戻ってくる。そういう往き来が健全で、villageから生涯一歩も出ないということでは決してないわけです。もっと土着化して、しかも東京にも通じている。そんな地域としての仙台はものすごく魅力があると、私は東京にいて感じます。


■海輪 「仙台で得た利益が東北に広がる構造を」

  そのような意味で仙台はトップランナーとして、これからも東北の中核都市として発展し続けるポテンシャルが非常に高いですね。先程もお話しした通り、隣県同士の問題は、仙台ばかりが栄えていることが理由だと思うのです。しかし逆に言えば、東北全体を考えた時、仙台でさえも栄えなければ大変なことになる、という言い方もあるわけです。

  理事長が仰るように、villageからcityへ、東京まで行かなくても東北の中でのcityとして、仙台cityへ往き来ができ、そこで得た利益が他の東北地方に広がる構造ができれば、一番よいと思うのです。まず、それを目指すマインドを高めなければ、東北同士で足の引っ張り合いばかりになってしまいますね。

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閉塞感を打ち破るには

■中鉢 「閉塞感を打ち破るのは"人"」

  その閉塞感を打ち破るような活動は、基本的にはやはり「人」だと私は思うのです。結論がジャンプするようですが、幾つかあるネットワークのうち私が思い付くのは、地域の持つ同窓組織や先輩・後輩の縦系列のつながりと、地域コミュニティにおける駅と学校の役割、このふたつが重要という予感がしているのですよ。

  私の少年時代を考えると、コミュニケーションとは、駅に集まる人たちがやっていたことでした。駅には誰かがいるので、暇になると駅に行って、ストーブに当たりながら話し込むわけです。話すだけ話して、用事があると、皆、帰っていく。そんなたまり場としての駅があったのです。学校も、教育の場であると同時に、町民運動会等の地域的なイベントを行う場でもありました。学校の先生方も地域と一体化していました。科学・技術も、地域と一体化した進め方が大切ですね。

  また、産業界や行政界といった、色々な立場の違いを全部超えて人を束ねられる人は、実は大学の先輩だったりするのです。自分が大学の先輩だとわかった途端、尊大な態度に変わるのですが(笑)、それくらい結合力があるのです。これは着目すべき点ではないでしょうか。

  そして、行動範囲を少しずつ広げることが大事でしょう。近隣10kmから20kmへ活動を広げ、今まで知らなかった人とも付き合えることが大切だと思います。そのためには言葉も使えなければいけないし、色々ユニバーサルな能力も必要になります。それによってまた自己増殖して広がっていくのだと思います。

  私も海外に赴任したりと色々なことをしました。自分の指向性からしたら、自分から海外には行けなかったでしょうが、後ろからどんと背中を押す人がいたから行けました。人間は、リスクを避けようとするものなので、そういったきっかけがないと、本質的には保守的だと思います。


■海輪 「東北型ネットワーク形成の仕掛けをつくる」

  仕掛けがないとなかなかネットワークを組めないのが、東北の人の特徴でもあるわけですね。ですから今回のマッチングフェスタのような場をつくり、「会ってみたらよかった」ということが成功事例になって伝播していく。そんなアプローチになると思います。

  あとは、独自の「幸福度調査」のようなものを実施するのもよいと考えています。本当は東北は幸福なんだと、自分たちの価値を見直すこと、人から評価してもらうことが必要ではないでしょうか。

  もうひとつは、震災後、起業する若い方が増えています。最近の若い経営者は、ノウハウを囲い込もうとしないどころか、逆にどんどん教えて、同じことを別の地域に広げていこうという方が多いのです。そのような若い方には非常に期待したいところですし、それを全面的に展開するための情報発信やつなげるお手伝いを、我々もしたいと考えています。


■中鉢 「公的研究機関をもっと活用して欲しい」

  産総研の研究者はシーズをつくり、地域にはニーズがあります。しかしシーズとニーズは、そこで放っておくだけでは何も起きません。それほどレアなシーズとニーズのマッチングを化学反応に例えれば、反応を促進させるための触媒が必要です。活性研さんもその役割を担っていると思います。シーズとニーズの間に、「+」でも「×」でもない新たな演算子のようなものとして、我々産総研も「イノベーションコーディネータ(IC)」という専門職をつくりました。

  企業や研究機関の出身者のほか、全国の公設試験所の方にも併任いただいて、現在160人体制で、全国津々浦々、雪の中であろうと、「こんな技術がありますよ」と企業を訪問しています。つまり、技術の営業ですね。我々の活動が一日遅れれば、日本の経済成長が365分の1%遅れるのだという使命感をもってやっているわけです。

  ところが、ある企業に行った時のこと、とても怪しまれたことがあります。「あなた方はなぜ一所懸命やるのですか?動機がわからないから、そんなうまい話は信用できない」と言うのです。そんな疑問に対しては、「産総研は研究だけやって評価されるところではないのです。皆さんのお役に立ててなんぼのもの。これが我々の評価基準です」と説明しています。

  納税者は納税のリターンを信じていないのです。我々は皆さんからすでに前金で研究投資していただいていることを忘れている。公的研究機関を使いこなす意味では、民間資金と公的資金の交わりが日本は世界最低レベルで、後れていると言っても過言ではないでしょう。

  会長がIoTやAI等の活用と仰っていたように、例えば東北の企業に生産性を上げる新しい方式を導入すると、ものの見事に効果を示すと思います。それがなぜ今まで放っておかれたかと言えば、ご縁がなかったからです。その意味では、東北は伸びしろがまだまだ大きいと思っています。


■海輪 「公的研究機関の利用はまだ敷居が高い?」

  公的研究機関の利用を、企業はまだまだ敷居が高いと感じているのではないでしょうか。おそらく公的研究機関と私企業の癒着ではないかと否定的に取り上げられることに対する、ある種の潔癖性みたいなものがあるのかもしれません。


■中鉢 「成功事例をつくって広めてほしい」

  そのような不祥事は、創立以来ございません。それを恐れずに、公的機関と連携するのは、新しい姿だと思います。東北人として、人も羨むような成功例を故郷がつくって、広めてほしいと願っているのです。連携に成功すると、それが一種のノウハウのように感じられて、あまり人に言わない場合もありますが、成功例をぜひ話して広めて欲しいですね。

  産学連携では、それ以上の関係になると面倒臭くて嫌だとか、昔それで失敗したトラウマとだか、色々なことが関係して横に展開していかないのだと思います。そういったしがらみと言うか、縁故の力は、地方の方が強く、拡大しやすい面がありますね。地方では義理の関係でもきっちりやっていきますが、都会では実の関係も切って最低限の付き合いしかしないところがあります。人間関係の在り方も、色々な功罪があると思います。

  必要のない縁故は切っていくような合理性も求められる都市の冷徹な一面を、あまり良いとは思いませんが、地方の縁故のしがらみもまた大変で、必ずしもすべてが是とは思いません。地方型も都会型も、お互いにストレスを感じていると思います。ほどよい関係がその中間にあっても良いのではないかと思うのです。そういったことを、是々非々できちんと吟味していくことも、大事なことではないでしょうか。

  しかし、直そうにも直らないものが、本当の文化だと思います。なくなった文化は仕方がありません。それは本当の文化ではなかったのです。捨てようと思っても捨てられない文化というのもあります。それが本物ですね。それが、どんと鉛のように、この胸の中にあるのです。私は東北人で、ここからは離れることができない、これだけは死んでもやめられない、というものがあるのです。


次世代へのメッセージ

―最後に、今までのお話を踏まえて、次世代を担う若い世代へメッセージをお願いします。

■中鉢 「人生は1mm、1mmの積み重ね」

  今は遠い遠い世界でも、努力して1mmでも高みに行けば、見える景色は変わります。標高3000mまで一気に行くのではなく、1mmずつの努力で、景色が変わっていきます。例えば、今は知識が足りなくてノーベル賞の研究内容が理解できなくても、中学・高校・大学と努力していくと、だんだんわかるようになっていきます。交友関係も条件も変わり、どんどん洗練されていくわけです。すると、世界というものが身近に感じられてきます。憧れていたものが、ものすごく身近になる。その時です、自分の真価が問われるのは。そこで、勝負するのです。

  私が東北の片田舎を出て、研究者から技術者になって今日があるのも、少年であった頃のそんな憧れだったような気がします。振り返ってみれば、1mm、1mmの積み重ねだったような気がするのです。


■海輪 「人生は計画通りにはいかない。"自分が何をどうしたいか"に忠実に」

  自分の経験から言うと、先程お話ししたような経歴ですから、子どもの頃は東京から東北へ来るなんて全然思っていなかったですし、東北電力という会社に入社すると思っていませんでした。そして入社してからも、まさか自分が社長・会長になるとは全く思っていなかったのです。ですから、「人生はそんなに計画的に行くものではない」と、言いたいのがひとつです。

  ただ、色々な選択をする機会が必ず来ます。例えば、進学や就職、結婚をする時に。その時に、自分がどうしたいのかに対して、忠実であること。すると、あまり外野の声に惑わされず、後悔しないと言えます。

  あとは、例えば「プロ野球選手になりたい」という夢を抱いたとして、たとえその夢が叶わなかったとしても、何でもいいやと自暴自棄になるのではなく、次にもっとなりたいものを探してください。選択肢には、「セカンドベスト」、「サードベスト」があるのです。

  その時、自分の声を聞いて、最良の選択をしていく。すると結果的に、自分の人生をもう少し肯定できると思うのです。結果がついてくるか・来ないかは、やってみなければわかりません。しかし、その時に負けたとしても、それは負けでなく、その中でどのように自分の力にしていけるかです。


■中鉢

  その通りですね。私など、すべてセカンドベストだったように思います。高校も大学も全部、第二志望の学校で、第一志望は全部ダメでした。だけど第一志望を全部並べてみると、なんとも鼻持ちならない人生だなと今になると思います。ですから会長が仰るように、計画性はないけれど、選択には必然的なつながりがあると思います。


■海輪

  逆に言えば、挫折していない人は弱いですね。そこで挫折すると、もうゼロになってしまうから。つまり、その時に、セカンドベスト、サードベストを選べなくなって、自暴自棄になってしまう。


■中鉢

  それを私は「覚悟」だと言っています。何かを決断する時、他の選択肢を断念しないといけない。それだけではだめで、そこから何が起こるか、心の整理をするのが、覚悟ではないでしょうか。これで何が起こっても大丈夫。たとえ結果がだめだったとしても、自分は選択者として主体的に取り組んでいくぞ、というのが「覚悟」だと思います。

  振り返ればセカンドベストどころか、サードベストばかりだったけれど、そっちの方がむしろおもしろかったのだと思います。行先のない電車に乗ったみたいで。吉永小百合と結婚したい等と、若い頃は大まじめに考えたものです(笑)。だけど、負け惜しみではなく、吉永小百合と結婚できなくても、それでよかったなと今は思っています(笑)。

  がっかりしたり、挫折感を味わったり、悔しい思いをしたり、長い人生で色々なことを経験して、そしてリアルワールドとはこういうものかと、何となく予感ができてくるものだと思います。

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―中鉢さん、海輪さん、本日はありがとうございました

東北圏のオンリーワン企業のニーズと産総研の技術シーズをマッチング/仙台市でフェスタ開催

東北圏のオンリーワン企業のニーズと産総研の技術シーズをマッチング/仙台市でフェスタ開催

2017年3月21日公開

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【写真1】仙台市の会場で開催された「オンリーワン企業 - 次世代産業技術マッチングフェスタ」のようす

 産業技術総合研究所東北センター(産総研)と東北活性化研究センター(活性研)は1月13日、「オンリーワン企業 - 次世代産業技術マッチングフェスタ」をTKPガーデンシティ仙台(仙台市)で開催した。産学官金から約300名の関係者が参加し、会場を埋め尽くした。

 同フェスタは、産総研の有する次世代産業技術シーズ群と、活性研が発信する東北圏の「オンリーワン企業」等が有するニーズのマッチングを図ることで、次世代事業の開拓や差し迫った課題解決につなげることを狙い、初めて共同開催されたもの。

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【写真2】同フェスタの趣旨説明や産総研の概要を紹介する中鉢理事長

 フェスタでは、はじめに産総研の中鉢良治理事長と活性研の海輪誠会長が同フェスタの趣旨説明とそれぞれの組織の概要について紹介した。次に、産総研が「技術を社会に橋渡し」する役割を果たすために中小企業や地域と連携した事例を瀬戸政宏理事が紹介した後、活性研の渡辺泰宏理事が東北が直面する課題と解決に向けた活性研の取り組みについて紹介した。

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【写真3】ポスターセッションで熱心に意見交換をする参加者たち

 続いて、産総研や東北6県公設試等の技術シーズが、エネルギー・環境、情報・人間工学、エレクトロニクス・製造、材料・化学、生命工学、計量標準の領域ごとに口頭で紹介された。その後行われたポスターセッションや懇親会では、参加者たちが熱心に情報交換をしていた。

 また、産総研理事長の中鉢さんと活性研会長の海輪さんによる対談も実施され、東北地域の持つポテンシャルや課題、未来社会のあり方などについて、ざっくばらんに意見を交換し合った。(対談の詳細は、こちらの記事をご覧ください)


仙台高等専門学校校長の福村裕史さんに聞く/科学って、そもそもなんだろう?

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仙台高等専門学校校長の福村裕史さんに聞く/科学って、そもそもなんだろう?
取材・写真・文/大草芳江

2017年05月02日公開

「科学が先にあって、技術が後に生まれる」
とは限らない

福村 裕史 Hiroshi FUKUMURA
(仙台高等専門学校校長、東北大学名誉教授)

昭和28年、東京生まれ八戸育ち。昭和51年3月、東北大学理学部化学第二学科卒。昭和58年3月、東北大学大学院理学研究科化学専攻博士後期課程修了、理学博士。通商産業省工業技術院大阪工業技術試験所研究員、京都工芸繊維大学繊維学部高分子学科助手、大阪大学工学部応用物理学科助手、同学科講師、同研究科応用物理学専攻助教授、日本原子力研究所先端基礎研究センター客員研究員(兼務)、東北大学大学院理学研究科化学専攻教授、同研究科長・理学部長などを経て、平成28年4月より現職。専門分野は物理化学(光化学、界面科学)。

東北大学の理学研究科長(化学専攻教授)を経て、2016年度から仙台高等専門学校校長に就任した福村裕史さん。理学と工学、その両方の立場を知る福村さんがリアルに感じる科学とはそもそも何かを聞いた。


科学とは、「知りたい」という人間の根源的な欲求を突き詰めること

―福村さんがリアルに感じる科学って、そもそもなんですか?

 科学とは、好奇心に突き動かされ、「知りたい」という人間の根源的な欲求を突き詰めることであろうと思います。

 例えば、私の専門ではないですが、「何億光年、何十億光年彼方に、生命があるかどうかを知りたい」という天文学は、究極のサイエンスだと思うのです。というのも、役に立つかどうかなんて関係なさそうでしょう?世界の資源問題の解決にも、今流行のイノベーションにも直接はつながらない。けれども宇宙に生命がいるかどうか知りたいじゃないですか。その「知りたい」という気持ちが、宇宙を観測させるわけです。

 昨年ノーベル賞を受賞された大隅良典先生も仰っていますが、究極の科学とは、役に立つかどうかではなく、「なぜ?どうして?」という不思議を追求することではないでしょうか。そのような意味では、科学は一種の文化活動ですから、芸術や文学と同等のものであろうと思います。

 一方で、科学を支える技術も成熟してきています。例えば、ある分子が存在するかどうか、どんな方法で測定するかご存知ですか?これは私の専門に近づきますが、ある物質が特定の電磁波を吸収・放出することを測定する「分子分光学」により、それが可能となりました。非常に高感度な検出器ができたことも、サイエンスの研究を後押ししていると思います。

 つまり、サイエンスの研究をしようと思えば、独自に新たな技術を開発する必要があり、それがイノベーションを引き起こしていると思うのです。よって、「イノベーションを誘導するような研究にシフトしてください」と言う人がいますが、役に立たないようなことを一生懸命追求することで、むしろ色々な技術が開発されている点を忘れてはいけないと思います。

― 社会では科学がそのように捉えられていない現状があるように感じます。

 もはや科学の影響を抜きにして現代社会を考えることはできない時代です。例えば、技術開発の過程でサイエンスは役立っていますし、特に現代の装置は科学抜きには考えられず、科学が現代社会に大きく貢献していることは確かです。

 科学の関与がブラックボックス化し、専門外の人にはよくわからない時代にまでなっています。そこで「科学を担う人々にきちんと説明してほしい」という世界的な動きが、20世紀後半、サイエンスカフェという形で英国や仏国等で始まりました。税金を使って研究する意味があるかが問われるわけです。つまり、科学が社会にどう関わるかという問題だと思います。


新しい技術が科学に基づいているか?と言えば、必ずしもそうではない

 そもそも「知りたい」という知的好奇心を原動力に解明された科学的な原理から始まり、現実に技術として役立てようと莫大なお金を投じてそれを実現することまでが、一直線上につながった、本当の意味での科学技術は何でしょう?そう聞かれれば、原子力発電や原子力爆弾の他に、私は見つけることが難しい気もするのです。

 これは私の個人的な意見ですが、歴史的に見れば、これまで科学が技術の基になった事例は案外少なく、反対に技術の方が先行した事例は多いと思うのです。それは「現代とは違う」という意見はわかりますし、こんなことを言うと「科学にお金がもらえなくなる」と考える人もいるかもしれません。

 しかし例えば、ノーベルは、危険なニトログレセリンを珪藻土に染み込ませることにより、ショックで爆発しなくなることを科学的に解明した上でダイナマイトを発明したわけではありませんね。この原理が科学的に解明されたのは(ダイナマイトが発明されて約100年後の)1980~1990年頃になってからのことで、振動が化学反応を引き起こす原理が調べられるようになったのは、ごく最近のことです。

 また、蒸気機関についても、ワットが18世紀に特許を取得して蒸気機関を大量に製造し、英国から米国へ輸出しましたね。しかし、蒸気機関を原理的に説明できたのは、カルノーが熱力学の基本を打ち立て、クラウジウスらがエントロピーの概念を導入し、熱力学が非常に進歩した19世紀のことです。

 つまり、そもそも新しく出てきた技術が科学に基づいているかと言えば、必ずしもそうではなく、むしろ「こんなことができたらいいな」という人間の夢や「こうしたらどうだろう」という技術的な改善が、最終的には製品に結びついていると思うのです。

 また、最初に天文の話をしましたが、科学を推進するには技術も開発する必要があるので、「科学が先で技術が後」だけでなく、「技術が先にあって科学が生まれる」ことも実際にはかなりの部分で起こっていると思います。


情報収集力やコミュニケーション力があれば、夢が実現可能な時代に

 「こんなものがあるといいな」「今ある技術をこう組合せたら、すごいものができる」という夢はたくさんありますね。むしろ技術を担う若い人たちにはもっと自信を持ってもらい、「科学がわからないから」「数学ができないから」という理由で「新しい技術は開発できない」と諦めなくてもよい、というメッセージを送りたいのです。

 つまり、想像して夢を持つことさえできれば、その実現のために、たとえ自分がわからなくとも、自分一人で全部やろうと思わずに、わかる人に頼めば良いわけです。これからは、むしろそんな時代になる予感がします。

 というのも、今や数学や物理等の体系は細分化が進み、知識量も莫大になっているので、そのすべてを学んだ上でないと何もできないと言われたら、もはや何もできない時代です。19世紀までは知識を詰め込む教育だったのが、現代では大学4年間では足りず、さらに大学院に進学しても足りず、どんどん教育期間も長くなってきて、必要な知識量にはもはや追い付けません。

 研究においてもまた、色々なことが一人では達成できない時代になっています。例えば、脳を研究する医学者が脳の中を見る時に電磁気学や検出分子の知識が必要というように、今はそれを一人でやることが無理なほど、幅広い分野の技術や知識が必要です。そのため、関連する分野の専門家の力を借りて共同研究をしなければ新たな分野を開拓していけない時代です。

 一方で、インターネットを使って検索すれば、その半分は間違った情報かもしれませんが、ある程度の情報は得られるわけです。その中で何が正しいかを自分で判断できる力や、その他の情報収集力、他人を動かせるコミュニケーション能力といった基礎力があれば、夢が実現可能な時代です。これからの時代、むしろエンジニアこそそのようなスキルが必要になるでしょう。


科学と税金と評価の問題

 サイエンスはサイエンスで、やはり自分が「おもしろい」と思うことを追求していくしか無いと思うのです。ただ、それが社会に受け入れられ、どれだけの税金を使ってよいかは、科学者がサイエンスカフェのような場で社会にアピールしたり、啓蒙書等を書いて皆に「おもしろい」と思ってもらう必要があるでしょう。社会の同意が得られなければ、サイエンスに投資してもらえないですよね。

 例えば、モーツアルトの音楽が何の役に立つでしょう?芸術に何の価値があるでしょう?今では音楽も音楽産業になり売り買いできるから価値があるとか、ゴッホの絵もプリントしてカレンダーにして売り買いできるから価値があるとかもありますが、一番重要なことは、なぜそれを人が欲しがるか?ですよね。冒頭にお話しましたように、知らないことを知るのは人間の喜びのひとつではないでしょうか。

 サイエンスとはそういうものだと、社会に説明する方がよいのではないかと個人的には思っています。芸術だって、最初はお金を払われなかった人たちも多かったわけですから、その意味ではサイエンスもある程度は仕方がない気もします。

 「イノベーションによって、どんどん新しい商品をつくって経済を動かしてもらいたい」とサイエンスに対する期待が大きいのはわかりますけどね。ただ、サイエンスを担っている人にとってはむしろ苦痛でしょうね。だって、知的好奇心で知りたいことを追求しているだけなのに、それを「ちょっと役立つように書いてくれ」と言われてもねぇ...。

 それだけ日本の経済は行き詰まっているのです。国民1人当たりの所得(Gross National Income per capita)を見ても、日本は1986年以降ずっとアジア・オセアニア地域でトップでした。しかし2008年にオーストラリアに抜かれ、2010年にはシンガポールに抜かれ、日本は今アジア・オセアニアで経済的には第3位です。少子化の影響ももちろんありますが、アジア地域の急速な経済発展、世界経済のグローバル化の影響は本当に大きいですよね。日本の産業の競争力が急速に失われているように見えます。


エンジニアリングの仕事をサイエンスにまで要求する必要はない

 最近発表された「サイエンスマップ2014」(文教ニュース)によると、「世界の研究領域数が拡大する中、日本の参画領域数は停滞していることがわかりました。日本の特徴を見ると、過去のマップとの継続性がなく、他の研究領域との関係性の弱い領域への参画が少ないことが示されました」とあります。つまり、日本と諸外国の科学分野雑誌等の論文の統計をとると、日本は既にある大きな分野に集中して研究をする人が多く、全く新しい研究分野でポツンポツンと新しいことを始める人は、世界的に見ると、ヨーロッパや米国に多いのです。要するに、誰もやらないことをやる人が日本では今どんどん減っているのです。

 既にある分野で大きく伸びそうなところに投資すれば、論文の数も増えるし、ある程度の成果が期待できるので安心ですよね。ですから集中する傾向にあるのです。反対に、成果が出るかわからないことをやる人は、日本で減っています。全く何もないところから新しいことを始めるのはリスクが大きいですからね。ですから今、日本人からノーベル賞の受賞者が出るたびに「将来は日本からノーベル賞が出るかわからない」と皆コメントしていますね。

 つまり選択と集中の結果、全く何も無いところから研究することは難しく見えてしまうのです。「今ある技術や科学を使っておもしろいものをつくろう」「人が欲しいと思うこんなものがあったらいいな」を実現するのはエンジニアの仕事ですから、それをサイエンスにまで要求する必要はなく、技術者が担えばよいと思います。

 要するに、科学と技術は全く別のものです。ただ、そう言うと科学にお金を投資する人がいなくなるので、サイエンティストはサイエンティストで社会に説明する必要があります。「科学は役に立ってなくはないけど、もう少し長い目で見てもらえますか」「科学も芸術や文学と同じように見てください」と。すると投資額は随分減るでしょうね...。ただ、エンジニアリングには投資したら良いと思うのです。エンジニアリングとは、役に立つことを形にする仕事ですから。

 ただ今は、サイエンスとエンジニアリングの区別がなくなりつつあります。しかし技術者にはサイエンスをするよりも、むしろ技術者には夢を見てもらいたいのです。科学者にも、(エンジニアリングとは)別方向の夢を見て欲しい。今は、両者とも夢が見られなくなっています。そこは何とかしたいところですね。

 私はサイエンスも教育しますが、今はエンジニアリングを教育する機関にいるので、夢を持つエンジニアを育てなければいけないわけです。「こんなものができたらいいな」を実現していく技術者を生み出さなければいけません。そこにもっと投資してもらいたいですね。


夢想できれば、エンジニアがやれることはいっぱいある

―最近は、科学者も技術者も夢を描けないくらい、疲れているように見えます。

 誰かが「昔の大学はお金が無くて、全く何もできなかっただろう」と言っていましたけど、昔は山のように自由な時間がありましたからね。今では自由な時間がないですよね。ただ、現状に不満を言っても仕方がないので、夢を語らなければいけないと思います。

 例えば、東日本大震災後、現代の科学技術が信頼を大きく失った部分がありました。十分計算しつくしたはずの防波堤はあっけなく崩れ、津波に乗り越えられました。千年に一度の津波だから仕方ないとは決して言えないですよね。県内でも約1万人もの人が亡くなっており、一人ひとりの命を失った人から見れば、防波堤が津波を防いでくれると信頼していたわけですから。現代技術の粋だったわけでしょう。
 
 一方で、静岡から私の友人がハイブリッド車で支援に来てくれたのですが、約1,000kmを無給油で来たそうです。無給油で1,000kmは、ディーゼル車なら可能らしいのですが、ガソリン車でできるなんてすごいことだと思います。それができたのも現代技術の粋です。他にも省電力電灯やワイヤレス通信機器、ここ仙台高専でも砂浜に埋もれた物体を電磁波で調査する手法等、震災復興に現代の技術がたくさん役立ちました。災害対策に役立つ技術は、例えば、アフリカのように水道がない地域で水をどう浄化するかにも役立ちそうですね。

 Google等ではインターネットにアクセスできないアフリカ等の地域にネットサービスを提供するため、太陽光発電式の無人飛行機に通信中継器を搭載する研究を進めているそうです。それらは、新しい科学というより、「こんなことができたらいいな」ということを、既存技術を組み合わせることで解決していけるわけですよね。それが世界の産業をリードしている、今はそんな時代になっていると思います。

 ですから、例えば「三次元のディスプレイが欲しい」と真面目に考えたら、きっと実現できる方法があると思いますよ。「こんなものができたらいいな」というものを、既成概念に縛られず夢想できれば、エンジニアがやれることは、もっと山のようにあると思うのです。

 サイエンティストには、少々申し訳ないですが、イノベーションは負担が大きいのではないでしょうか。(科学にもイノベーションが)できる分野とできる人はいるとは思いますし、それはそれでやってもらえばよいのですが、すべてのサイエンティストがイノベーションしかできなくなれば、それは気の毒ですよね。


時代に即したエンジニアを養成する

 ただ、これは色々な技術者の方が言っていますが、「技術に100%完璧なものはない」のです。人間が予想できない部分はたくさんあるので、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、少しずつよいところを探していく必要があります。

 ですから、エンジニアリングとサイエンスは本質的に違うとは言いながら、サイエンスを工夫して実際にエンジニアリングに応用しようとすると、色々な不具合が見つかって、それを乗り越えるには、大変なお金とマンパワーが必要です。それはサイエンティストではなくエンジニアリングがやればよい仕事かもしれないですね。

 従来の高専は、現場で実践的に働ける、狭い分野の職人的な技術者養成を求められてきました。約50年前、日本の産業界が急速に成長した時、「技術者がいないから養成してくれ」とできたのが高専ですからね。しかし、震災を経験した今、職人的な技術者だけでは不十分で、時代に即したエンジニアを養成する必要があります。
 
 そのためには、先程もお話した、コミュニケーション能力や情報収集力といった基礎力に加えて、「新しい何かをつくりたい」という夢や想像力をもつ人間を育てる必要があります。その時、ひとつの部分だけを見るのではなく、社会全体から俯瞰して技術を判断できる技術者が求められています。例えば、効率を上げることだけを考えた結果、公害等が起これば、社会全体にとってはマイナスですよね。要するに、課題を与えられた時、それが与えられた理由まで遡って考え、問題を解決できる人を生み出さなければ、日本の技術力は落ちていくと思います。それをリードできる国に日本がなぜなれないかは、考えなければいけない問題でしょう。

―最後に、今までのお話を踏まえ、中高生も含めた読者へメッセージをお願いします。

どんな時代でも基本が大切

 2050年まであと33年、今の小中高生たちが、2050年の世界をつくっています。2050年には世界人口が90億人を突破すると予測されており、世界中で使うエネルギー量は今の効率で考えると莫大になります。よって、非常に高効率なシステムを作る必要があります。

 私もこの高専に赴任してから初めて知ったのですが、例えば、最先端の電気モーターは、入力した電力の90%が機械的なエネルギーに変わり、10%しか熱にならないそうです。昔のモーターは電気ダダ漏れで、いつも熱くなっていたのですが、熱くならないモーターが現代技術では実現されているわけですね。ですから技術をどんどん発展させることで、多くの問題は解決できるかもしれません。そのような意味で、私は意外と楽観的です。

 ただ、世界の人口が90億人を突破し、日本では人口が減少して9千万人を切る時代に、日本が生きていけるかは大変な問題だと思います。その中でも確かに言えることは、基本が大切ということ。基礎的な数学や物理学は大切で、例えば物理学の中でも力学や電磁気学といった基本は大切だと思います。それができないと、そこから先には行けないですからね。

 ただし、さらに高度な数学や物理学を全て理解しなければいけないかといえば、先ほどもお話した通り、知識そのものの量はどの分野も莫大になっているので、それを全て頭に入れなければ何もできないと思わず、むしろ他人と協力して実現する手法を選ばなければなりません。

 そのためには相手のことを理解するコミュニケーション力が必要ですし、その相手とは、日本人だけでなく外国人かもしれません。色々な国の人達と協働して進める時代には、語学という意味ではなく、相手の考えを理解し、かつ相手を説得して自分のやりたいことを実現できるコミュニケーション能力が大切です。

 あとは、夢をもつことでしょう。「こんなものがあったらいいな」というイメージを持ち、それを創造しようとする力を持つことでしょう。

 その時には、知識のたくさんある人の話は、あまり信用しない方が良いかもしれません。あまり賢い人に「これどうでしょうね」と聞いても、大体「そんなもの原理的に無理だよ」「できるはずがない」と言われます。これまで私も無理だと固定観念で諦めてしまったことが何度かありました。しかし、そういうものにこそ執着して実現することを考えれば、直接的な手段では無理でも何か別の手段はあると思うのです。そんな時こそ全く違う分野の人の話が役に立ったりするので、豊かな創造力と、それを実現しようとする熱意を持ち続けるしかないでしょう。

 若い人にはとにかく、夢を持ってもらいたい。暗い未来ばかり言う人がいますが、何とか人間は生きていけるものだと思います。それを実現する何らかの方法があるはずです。


自分がおもしろいと思うことを追求して

 実はね、私自身も小中学生の頃は工作が好きで、本当はモノづくりが大好きだったのです。ですから大学進学時、理学部か工学部か迷い、結局、理学部化学科に入学したのですが、まさか化学に、電子回路を自作する必要がある分野があるなんて思ってもいませんでした。当時、レーザー等はすべて手作りですから、全部自分でつくらないといけなかったのです。考えてみれば新しい分析機器は全部そうです。新しい方法ですから装置は売っていないので、自分でつくる必要があるのです。楽しいなぁと思いました。

 中学校や高校では、化学や物理、生物で教科書が違っていて、理科は分かれている感じが何となくしていましたからね。でも今は例えば、植物の光合成の仕組みを調べようとしたら、生物か化学か物理かわからないくらい、色々な分野が融合しています。ですからどんな分野でも、自分が活かせると思います。

 中高生の皆さんは、自分がおもしろいと思うことを、何でもよいから追及してください。自分がおもしろいと思うことなら続けられますよ。それがエンジニアリングに向かうこともあれば、サイエンスに向かうこともある、どちらでもいいじゃないですか。自分がおもしろいと思うことをやることで、どこに行っても、必ず自分に合った方向があると思いますよ。

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―福村さん、どうもありがとうございました。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯018】工学部の現役女子学生に聞く、気になる本音。

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯018】工学部の現役女子学生に聞く、気になる本音。
取材・写真・文/大草芳江

2017年07月13日公開

 女子学生のためのミニフォーラム「工学にかける私の夢」が7月25日、26日の両日、東北大学工学部オープンキャンパスで開催される。これに先立ち6月に開かれた事前座談会で、東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)副室長の松八重一代教授と、同フォーラム登壇予定の現役女子学生5人が、ざっくばらんに本音を語り合った。


工学を選んだ理由

松八重 工学部を選んだ理由は?

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大足 正直に言うと、高校生の時は「工学部に行きたい」とか将来やりたいことが決まっていたわけじゃなく、高校2年の文理選択で、科目の好き嫌いと、「とりあえず理系を選んでおけば、いざとなれば文系に変更ができるかな」と思って理系を選択しました。実は「理系の方が就職に有利」という情報を見た影響もありまして。工学部の女子率の低さはあまり不安には思いませんでした。

種市 青森県六ヶ所村という原子力産業が盛んな地域で生まれ育ち、中学生の頃から原子力に興味がありました。何度か東北大学の先生方とお話する機会に恵まれ、現在所属している量子エネルギー工学専攻で勉強したいと思いました。

長尾 高校生の時、国語や暗記が苦手で理系に行くしかないと思い、理系を選びました。既知の知識を使って新しいものを創る、工学のイメージに惹かれて志望しました。

内田 私は理数科目が苦手でしたが、生物や環境に直接関わりたかったので、理系を選びました。

村田 高校生の時、文系より理系の勉強が楽しかったので、理系を選びました。オープンキャンパスなどで工学部がおもしろいと思い、高校2年の時には決めていました。


工学部のイメージ、良い意味で裏切る

松八重 実際に工学部に入って、ギャップはあった?

大足 材料研究といっても自分の想像以上に色々な分野があることに驚きました。今は、高校3年の時に自分がやりたかった研究とは全然違う研究室に入っています。

種市 工学分野ばかり勉強すると思っていましたが、全学部共通科目の心理学や中国語など、色々な勉強ができておもしろかったです。

長尾 私は茨城大学で化学を専攻していましたが、在学中に放射線のポジティブな面も見つけたいと興味を持ち、がんの放射線治療を研究している東北大の研究室を見つけて、大学院から進学しました。機械系なので機械ばかりだろうと思っていましたが、化学の知識を活かした研究テーマを先生が考えてくださり、大学4年間で学んだ知識も無駄にはなりませんでした。

内田 高校生の頃は生物や環境保全をやるなら理学部や農学部かなと思い、土木工学は全く視野にありませんでした。ひょんなことから工学に入りましたが、工学系は社会と密接に関連する研究ができるんだと実感し、現在に至ります。


気になる低女子率

松八重 工学部の女子率は約一割と低いけど、良い面と悪い面は?

大足 工学部の男子は皆優しいと感じました。女子の友達は確かに少ないけど困ったことは特になく、プラスのイメージが大きいです。

村田 女性が少なく心細いところもあるけど、まわりの先輩も助けてくれるので、心配はないです。

種市 女子が少ないので、自然と女子同士で仲良くなれます。

内田 学科にもよりますが、女子比率は意外と低くないと思います。


工学女子の生活

松八重 研究以外はどんな活動をしているの?

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種市 週2、3回は飲食のバイトをしています。バイトで貯めたお金で半年に1度は旅行に行きます。

長尾 研究室にいる時間は自分で決められる研究室なので、研究以外の時は研究室のメンバーとよく楽天の試合に行きます。

内田 私の場合は、学部時は部活と授業がメイン、大学院修士の時は研究70%、バイトと自由時間が30%、博士の今はほぼ研究です。でも、息抜きもしっかりしてバランスを取っていますよ。

大足 学部時代は男子ラクロス部のマネージャーをしていて、部活中心の生活でした。休日は試合で遠征することが多く、全国様々な場所に行きました。特に最後の年は、部史上初となる全国ベスト4という結果を残すことができて、本当に嬉しかったです。


英語で話す機会

松八重 海外には行く?

村田 外務省の対日理解促進交流プログラムなどで、米国の大学や高校などを訪問しました。

種市 海外の原子力発電所を見学する学生向けのプロジェクトで、イギリスとドイツへ渡航しました。

松八重 英語はよく使う?

内田 国際学会や博士のゼミは、英語です。東北大学工学系は研究レベルが高いので、ヨーロッパやアジアなどから留学生が来ていて、色々な国の人と交流ができます。

松八重 高校生からは英語が不安という声もあるけど、どうかな?

村田 大学に入った後にどうしたいかが大事で、勉強したいと思う時に勉強するのがよいと思います。

内田 伝えたいことがなければ、英語を話す必然性がないので、「伝えたい」気持ちの方が大事。大学には留学生も多く、その機会は多いので、何とかなりますよ。


工学部で好きなことに挑戦、成長を実感。

松八重 東北大学工学部で学んで、自分は成長したと思う?

内田 私は論理的に考えることが苦手でしたが、問題解決のためのロジックを組み立てる工学部的な思考がだいぶ鍛えられました。

長尾 制約のある条件下、目的を達成するまでの道筋を効率的に組み立てることが得意になりました。

種市 世の中に情報が溢れる中、何が正しくて間違っているか判断できる正しい専門知識を身につけ、自ら判断できるようになりました。

大足 高校と比べて、大学では自ら考え行動することが求められるので、主体性が身につきました。

村田 もともと文系科目が得意で、最初は授業でわからないこともあり大変でした。けれども、だんだん先生の話もわかるようになり、今は楽しいです。得意な文章書きも活かせ、足りない部分は補える、工学部を選んでよかったです。


後輩たちへのメッセージ

松八重 最後に、中高生たちへメッセージをお願いします。

内田 できる・できないで考えることも必要ですが、好きなことを大事にしてください。今は具体的なイメージがなくとも、行きたい方向に自然とつながると思います。

長尾 「できない」から諦めるのではなく「やりたい」ことに素直になることが私も大事と思います。

種市 与えられたことを淡々とこなすだけの受身の勉強から、積極的に色々なことを自分で学ぶ勉強へのシフトが大切だと思います。

大足 目標が早く決まることに越したことは無いですが、焦って目標や夢を無理矢理見つけることはしないでください。いつか目標ができた時に安心して目標に向かえるよう、今を
大切にしてください。

村田 環境や心意気さえ整えば、わずかな時間でも成長できます。悩む暇があるなら行動、もしくは開き直って息抜きして、上手に時間を使って今を楽しんでください。

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― 皆さん、ありがとうございました。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯019】東北大学工学部、女子高校生むけ進路選択支援フォーラムを開催

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯019】東北大学工学部、女子高校生むけ進路選択支援フォーラムを開催
取材・写真・文/大草芳江

2018年08月22日公開

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女子高校生のためのミニフィーラム「工学にかける私の夢」のようす=東北大学工学部(仙台市)

 東北大学工学部は7月25日と26日の両日、女子高校生を対象としたミニフォーラム「工学にかける私の夢」を開催した。女性の活躍が各分野で期待される一方、工学部に占める女子学生の割合は約1割と少ない。そこで、活躍する工学部出身の女性から工学の魅力を直に伝えることで、進路選択の参考にしてもらおうと、同学部がオープンキャンパス企画として毎年開催している。

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同学部の5つの学科に所属する現役女子学生たちによるパネルディスカッションのようす

 フォーラムでは同学部の女性教員や企業で働く同学部出身の女性らによる講演があった。その後、同学部5学科に所属する女子現役学生によるパネルディスカッションが行われ、進路選択理由やキャンパスライフなどが紹介された。

 参加した女子高校生や保護者からは「工学部の女子学生率の低さが心配だったが、不安が解消された」「工学分野での女性の多様な生き方・活躍の場を知ることができた」「研究や学業の話だけでなく、現役女子学生の学生生活についても知ることができ、大変参考になった」といった声があった。

 フォーラムの講演要旨は、次の通り。


■「動く!タンパク質は分子マシーン」
 林 久美子 さん (東北大学大学院工学研究科 応用物理学専攻 助教)

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 人間の体は約60兆個の細胞で構成され、1つひとつの細胞の中でたくさんのタンパク質が働いている。学校ではタンパク質を三大栄養素の一つとして習うと思うが、実は、細胞の中ではタンパク質は働く"小さな機械"と言える。工学部では、この小さな機械の多様な機能を、人工の機械と比較しながら研究している。

 タンパク質はアミノ酸がつながってできた鎖である。アミノ酸の種類や配列の違いによって異なる折りたたまれ方をし、それぞれのタンパク質の働きに合った形になる。例えば、荷物を運ぶ宅急便屋さんのようなタンパク質キネシンやダイニンは、おしりに荷物をつけられるところがあり、てくてく歩ける足のような形になっている。細胞のエネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)を合成するタンパク質のFoF1は、くるくる回る。くるくる回るためにリングに回転子がつきささったような形をしている。ぜひインターネット動画などで動くタンパク質を見てほしい。

 私自身は、物理の視点からタンパク質を研究している。例えば、歩くタンパク質キネシンがレールである微小管の上を歩くスピードは約1μm/秒(4mm/時間)だが、このような物理量の測定には物理学も必要である。生物と物理の間のように、学問の境界領域には最先端の魅力的な研究がたくさんある。皆さんも物理は物理、化学は化学と教科を分けて考えるのではなく、"学問の境界領域"に興味をもってほしい。

 私自身は理論物理学で博士号を取得したが、研究員として留学中に生物実験へ転向した。その理由は、留学先の研究室の上司からの勧めで、実験をやってみたらおもしろかったから。人の勧めにのる"適当さ"も人生には大切で、結果的に第一志望以外の方が案外おもしろかったりする。あまり思い込まず、深刻にならず、何でも楽しむ姿勢が未来につながると思う。最後に、海外へ留学すると、国外の友達が増えるし、日本人女性はモテるので、ぜひ皆さんに留学もお勧めしたい。


■「清潔で美しく、心豊かな毎日を届けるスキンケア製品を目指して」
斎藤 幸恵 さん(花王株式会社)

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 福島県国見町出身。東北大工学部に進学を決めた理由は、地元に近い国公立大学で、名の知れた教育水準の高い大学で学びたい、都会で一人暮らしをしたいと思ったから。そこで、東北大のオープンキャンパスに参加したところ、体験実験が楽しく、白衣姿の先輩たちや社会に役立つ工学に憧れた。憧れやなりたいものが、少しでも芽生えたら、それが夢の第一歩。

 東北大工学部の化学バイオ工学科で化学全般を勉強する中で、0から1を生み出せる有機化学に魅力を感じた。また、私は肌が弱かったので、安心・安全な化粧品を自分でつくりたいと思った。そこで様々な生命現象に関与する糖鎖合成に興味が湧き、好きな有機化学を活かして、将来は化粧品の開発に携わりたいと思うようになった。勉強以外では、よさこいサークルに所属し、日本各地のお祭りでお客さんを盛り上げ、皆で一つのものをつくる喜びを得た。勉強も大事だが、学生時代の思い出は後から力になる。

 社会人になったら、化学の力で笑顔をつくりたいと思い、数ある企業の中から、化粧品の仕事があり、女性が活躍していて海外にも積極的に進出している花王を選んだ。入社以来、ボディウォッシュの商品開発に携わっている。入社3年目に、泡タイプのボディウォッシュの処方を、初めて自分で1からつくる経験ができた。商品開発には界面化学の知識が必要で、界面に並びやすい界面活性剤や泡膜を安定させる原料を探索し、コストや安全性なども考慮しながら、品質を預かる責任の重さとワクワクを感じた。

 10年後の私の夢は、水のいらないボディウォッシュを開発すること。高齢者介護や災害時、水の乏しい海外地域で、水を使わず体を洗えたら、たくさんの人が笑顔になれると思う。それにグループをまとめるリーダーになっていたいし、プライベートでは結婚して子どもも欲しいし、ゴルフを楽しめる人になっていたい。海外旅行にも行きたいし、エルメスのバックが似合う女性になっていたい。夢なんて、くだらなくてもいい。ただ夢があることで、今を無駄にせず生きられると私は思う。皆さんも気になることがあれば、ぜひ挑戦して。夢は皆さんの将来を明るくする。皆さんの夢を心から応援している。


■「工学部機械系の重力生物学者:沈黙の惑星より、すべて緑になる日まで」
鹿毛 あずさ さん (東北大学大学院工学研究科 ファインメカニクス専攻 特任助教)

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 私は、工学部機械系に所属している、生物学者である。微生物が水中で集団遊泳する時、重力の作用によって規則的な流れが自発的に発生する。これは「生物対流」と呼ばれる現象で、一つひとつの微生物は目に見えないくらいに小さいが、流れはミリメートルのスケールで、濃淡模様として肉眼で観察できる。私が扱っている主な材料は「クラミドモナス」という泳ぐ単細胞緑藻。クラミドモナスを見ていると、そもそもヒトとの違いは何か?生きているとは何か?と疑問に思う。

 生物は機械か?今日の生物学では、機械と同じように生物を物理や化学の言葉で扱える。それが機械系に生物学者がいる理由のひとつでもある。例えば、クラミドモナスの鞭毛運動は単純化して、簡単な流体力学モデルとして表すことができる。英語の「creature」は単に「生き物」と訳されることが多いが、もともとは神によってつくられた「被造物」という意味。生物学的にも社会的にも、いろいろな偶然が重なって今、私はここにいる。今思えば、神という存在を仮定するかは別として、なにかの偶然でつくられた「被造物としての私」を高校生の頃から意識していたように思う。その意識から文学や哲学に進む人もいるだろうが、私は生物学をやろうと思った。生物は非常に複雑だが、最終的には物理の言葉で扱えると私は信じている。

 私はフィクションを読んでも生物のことをよく考える。生物と重力の関係に興味を持ったきっかけは、高校生の時に読んだ、C.S.ルイスの『沈黙の惑星より』。火星人が重力とボディプランの関係について議論していた台詞が印象的で、お茶の水女子大学4年次、動物生理学・宇宙生物学の研究室を迷わず選んだ。以来、重力の作用によって起こる微生物の集団遊泳を研究してお茶の水女子大学で博士号を取得し、現在に至る。

 クラミドモナスは、走光性で有名だが、光がなくても全体として上に偏って泳ぐという、負の重力走性もある。私が学位を取得した「生物対流」は、重力走性に駆動された集団行動といえる。生物対流は、例えば味噌汁で見られるような熱対流と近いメカニズムだが、熱対流をしている味噌汁では味噌の粒子が水の熱運動によって受動的に動かされるのに対し、生物対流は粒子自体が運動性を持ち、全体の流れは粒子の動きに起因するという特徴がある。

 実験と数理の両面から、原生生物の重力生物学を確立したい。それが私の野望である。


「製鉄所で3千万tonの世界の未来を創る」
朝倉 詩乃 さん(JFEスチール株式会社)

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宮城県名取市出身。私の理系人生の始まりは、15歳の時。「数学が好き」「他の人と違うことがしたい」というシンプルな理由で理系の道を選んだ。環境問題に関心があり、燃料電池やLEDというキーワードで、仙台高等専門学校の材料工学科へ。電卓と言えば関数電卓、「それが起きる確率は?」「誤差は?」と聞きたくなり、グラフを書かないと気が済まないのが工学女子。高専の7年間で広く工学の基礎を学ぶ中で、理系の考え方が自然に定着したと思う。

 科学技術の進歩は、材料開発にかかっている。社会の発展に大きく寄与する材料工学を専門とすることに誇りを持ち始めていた私は、高専で学士を取得後、材料工学の名門である東北大大学院への進学を迷わず決めた。次世代エネルギーをテーマにする研究室に所属し、酸素通過性セラミックスの機能性向上について研究した。

 就職活動では、幅広い分野の企業を検討した。東北大の工学部は、推薦で企業に就職することが多い。就職先は名の知れた大企業が多く、東北大の社会的な評価の高さと工学の幅広さを改めて感じた。その中で私がJFEスチールに応募を決めた理由は、世界に大きな影響を与えられる仕事をしたい、多くの人と協力して働きたいと思ったから。そして、東北大学の先輩社員たちが熱心に仕事の話をするのを聞いて、入社を決めた。

 JFEスチールは、鉄鉱石や石炭などの原料から鋼をつくり、それを加工した鋼材を生産する一貫製鉄メーカー。製造規模が大きく、ダイナミックな設備を見れば、きっと感動してもらえると思う。JFEスチールが1年間に生産する鋼の量は約3千万トン。これは日本で1年間に生産される乗用車に使用される鋼重量の約8倍に匹敵する。私は入社1年目から、現在のステンレス部で工場の操業改善業務を担当している。当社の社員数は、約1万4千人。製品が私の工場にたどりつくまでには、何百人の人が汗を流し、知恵を絞っている。そうやって多くの人と協力し、自分が携わった製品がいろいろな形で世界の基盤となり、社会の進化を支えている。工学を学んだからこそできる、夢とやりがいのある仕事であり、工学を学んで本当によかったと思う。

 工学部に入るなら、世界的な研究機関で「研究第一主義」を掲げる名門・東北大がお勧め。女子が少なくて不安と思うかもしれないが、東北大には「サイエンスエンジェル」という女子大学院生の組織もあり、主体的で積極的な女性が多く、心配ない。それに今、安倍内閣が「2020年までに全上場企業の役員・管理職の30%を女性へ」と掲げており、日本が理系女子を求めている。理系には女性が少ないので、活躍できるチャンス。まだ理系女性は少数派と言われるが、実は、当の本人たちは全く気にしていない。今日の講演会に興味を持って、足を運んで来るのは、皆さんの個性。理系であることが自分のアイデンティになっていく。今ある興味を自信に変え、その個性を伸ばし、社会のために使っていただきたい。皆さんを世界が待っている。ぜひ工学部に入り、私たちと一緒に、世界の未来をつくろう。


■各学科の女子学生とのクロストーク

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Q1 
自己紹介をお願いします

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長尾 理那 さん(工学研究科 機械知能系量子エネルギー工学専攻 修士1年)

 青森県立青森東高校出身。放射線に関心があり、大学院から専門を変え東北大に進学。放射線の中でも粒子線を使ったガンの治療法について研究している。研究以外は、研究室の皆で楽天の試合に行ったり、家で猫と戯れるのが好き。
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種市 やよい さん(工学研究科 量子エネルギー工学専攻 修士1年)

 青森県立青森東高校出身。原子力発電所から排出される放射性廃棄物処理場の安全評価について研究をしている。
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村田 真麻 さん(工学部 情報知能システム総合学科 4年)

 秋田県立秋田南高校出身。出かけることが大好きで、友達と旅行に行ったり、海外研修などに積極的に参加している。研究室では、人の目には見えない近赤外光や紫外光で起こる現象をとらえるカメラを開発している。
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加藤 優奈 さん(環境科学研究科 先端環境創成学専攻 修士2年)

 福島工業高等専門学校出身。大学院から東北大学に進学。高専時は糖尿病の薬を研究し、現在は環境にやさしい溶媒として注目されているイオン液体の排液処理法の確立に向けた研究を行っている。来年から社会人。
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大足 葵 さん(工学研究科 金属フロンティア工学専攻 修士1年)

 茨城高校出身。研究内容は銅の国際フローとサプライチェーンリスク解析で、世界の銅の流れとそこに潜む危険性を分析し、資源枯渇問題を考える研究を行っている。
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内田 典子 さん(工学研究科 土木工学専攻 博士1年)

 広島市立基町高校出身。北海道大を卒業後、大学院から東北大へ。研究内容は流出解析と環境DNA分析を用いた種の生息位置推定モデルの開発。川などの水を調べるだけで生物が特定できる「環境DNA」という新しい技術を工学分野で使えるよう研究している。
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Q2 
東北大学・現在の学科を選んだ理由は?

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長尾 放射線に良いイメージを持つ人は少ないかもしれないが、粒子線治療はガン周辺の正常な細胞に悪影響を与えずに治療ができ、人の命を救える。放射線を使ったガン治療の研究をしたくて、大学院から東北大に進学した。
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種市 六ケ所村出身で、使用済核燃料の再処理工場がある環境で育ち、原子力に興味を持っていた。福島第一の事故で原子力発電所の運転が停止しており、今後廃炉に向けた作業を進めなければならない。原子力の勉強をしたいと思い、現在の専攻を選んだ。
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村田 小さな頃から基板の裏側の素子やキラキラした半田が好きだった。それがどんな仕組みで動くかわかったらかっこいいと思い、電気系に興味があった。高校生の時に東北大の「科学者の卵養成講座」に参加し、科学の楽しさや東北大の魅力を知り、電気系を志望。電気系はハードとソフトの両方に対応できる。
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加藤 小さな頃から、白衣姿や製薬会社に漠然と憧れていた。高専4年で就職か進学かで迷った時、東北大の研究室に1週間滞在する機会があり、先輩たちの研究に従事する姿がキラキラして格好良く、東北大に憧れて進学した。
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大足 ものづくりを素材の視点から学びたくて、材料系を選んだ。高校の時は、体の中で活躍する材料としてコンタクトレンズに興味があった。材料系には色々な分野があるので、広い視野で勉強するのも楽しい。現在は興味が変わり、銅の研究をしている。
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内田 小さな頃から、環境問題が叫ばれており、何とかしたいと思っていたが、問題が大き過ぎて、自分に何ができるかがわからなかった。大学生になって、土木で生物保全ができると思い、東北大工学部に生物を考える研究室を見つけ、大学院から東北大へ。博士過程まで進学して研究している。
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Q3 
大学生になって自分自身が変わったこと・成長したことは?

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長尾 高校生までは周囲の意見に流されていたが、大学では自分の意見が求められるため、独り立ちしたと思う。
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種市 高校までは、先生から与えられた課題をこなし、良い点数を取るための勉強が良い勉強だと思っていた。しかし大学に入ってからは研究室の皆と一緒に研究を進めるので、自分の研究に責任を持って進めるようになった。
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村田 高校生の時は人見知りで人前で話すことが苦手だった。でも自分を変えようと、大学に入ってからは積極的に行動したおかげで、自主研究の祭典である「サイエンス・インカレ」など、人前で発表ができるくらいに度胸がついた。
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加藤 東北大に入学するまでは実家暮らしで全く家事ができず、運動も苦手だったが、今ではインスタ映えする料理もつくれるようになり、走ったりするなど、自分の生活をコントロールして豊かにしていこうという力がついた。
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大足 高校生までは先生の指示に従い、決められたクラスで皆と仲良く、受動的な生徒だった。大学では担任の先生もいないし、時間割も自分で決めるし、所属するコミュニティも全て自分で決めるので、主体性が身についたと思う。
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内田 高校生までの私は、ぼーっとしていて消極的だった。しかし大学に入学していろいろな人と出会い、自分の意志をはっきり表明しなければならない環境に放り込まれ、自分が何をしたいかをはっきりさせて伝えるようになった。
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Q4. 
女子学生の皆様へのメッセージをお願いします

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長尾 やりたいことが見つかっている人はそれに向かって頑張って、見つかっていない人は自分の興味があることをまず見つけて。自分の「やりたいこと」に素直になろう。
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種市 大学では自分の時間がたくさんある。たくさんある時間を自分の好きなことに思う存分費やして、大学生活を思いっきり楽しんで。
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村田 大学生活は楽しい。自由に使えるお金と時間がある。一方で高校生活は決められたクラスや部活など、大学にはない環境で楽しかったと振り返ることがある。高校と大学生活の両方充実できるよう、勉強以外も楽しんでほしい。
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加藤 方向性は変えられるし経験は活きるので、純粋にやりたいことを見つけるのがよいと思う。それに企業は工学部卒の女性を積極的に採用したいので、心配せず自分のやりたい分野に進んでほしい。
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大足 私は高校生の時、将来やりたい仕事などもなく、漠然と勉強していたが、東北大のオープンキャンパスで現在所属している学科を見て「ここにしよう」と決めた。ぜひオープンキャンパスでいろいろな分野を見て、目指す学部を決めて。
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内田 大学生は楽しく研究もおもしろい。生物を絶対にやりたいという気持ちにしがみついていたら、自分がおもしろいと思うところに辿り着いた。世界はどんどん広がっていくので、大丈夫、なんとかなる。
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Q5. 
会場からの質疑応答

Q. 工学部には、女子が少なくて不安。

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村田 少ないからこそ女子同士自然と仲良くなるし、研究室では紅一点だが、その分、男子の先輩たちが妹のように可愛がってくれるので、不安に思わなくても大丈夫。

Q. 青森に住んでいるので、都会に出ることに不安がある。

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種市 私も青森出身で不安があったが、訛をいじってもらえたり、個性として認めてもらえるので、心配しなくても大丈夫。

Q. 理系に進学した場合、理系科目以外の勉強ができなくなるのではと心配に思う。高校段階で、理系科目以外の勉強の仕方は?

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村田 もともと私は文系科目の方が得意で、国語の勉強は特にしたことはなく、本を書いたり文章を書いたりしていた。受験勉強ばかりしていると疲れるので、息抜きができ、かつ受験勉強にもつながることをやるのがよいのでは。

(保護者からの質問) 娘の一人暮らしに不安がある。困った時、周囲に助けてくれる人や仲間はいたか?

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加藤 私は東北大の国際寮に住んでいる。リビングを8人で共有し、うち2人は留学生。オートロックで安心。帰宅時「おかえり」と言ってもらえるおかげで寂しくない。
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内田 私も国際寮に住んでいて、友達もすぐできるし、先輩が家事の仕方などを教えてくれる。
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大足 私は一人暮らし。私の親は、一人暮らしをして自己生活力を鍛えた方がよいと言った。月一回程度は両親と電話するし、サークルや研究室で自然と人のつながりもでき、友達が助けてくれるので心配ない。一人暮らしでたくましくなる。

地球物理学者の日野亮太さん(東北大学教授)に聞く/科学って、そもそもなんだろう?

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地球物理学者の日野亮太さん(東北大学教授)に聞く/科学って、そもそもなんだろう?
取材・写真・文/大草芳江

2017年09月14日公開

海底で探る巨大地震の発生メカニズム

日野 亮太  Ryota HINO
(東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター
/東北大学災害科学国際研究所 災害理学研究部門 教授)

1964年、大阪市生まれ。1983年大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業、東北大学理学部入学。1987年同大学同学部卒、1992年同大学大学院理学研究科博士課程修了。地震・噴火予知研究観測センター助手・助(准)教授を経て、2013年東北大学災害科学国際研究所教授(現在も兼務)。2015年より理学研究科教授。

2011年3月11日、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震は、それまでの予測を遥かに超えた国内観測史上最大のマグネチュード9.0を記録し、甚大な被害をもたらした。地震の海底観測が専門の日野亮太さん(東北大学地震・噴火予知研究観測センター教授)は、東北地方太平洋沖地震の震源域である宮城県沖の海底に地震計等を設置し、長期観測を続け、世界で初めて巨大地震を震源間近で捉えた。なぜあれほどの巨大地震が起こったのか?その答えを求めて研究を重ねる日野さんに、地震学の今とこれからについて聞いた。


海底で地震・地殻変動を測る

―はじめに、日野さんの研究内容の概要からご説明をお願いします。

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【図1】2011年東北地方太平洋沖地震の発生時に、震源直近の海底に設置されていた海底水圧計(2011年9月に潜航艇により回収した際の映像)。地震に伴う地殻変動とその後の津波を観測し、この地震の発生機構の理解に有用なデータを提供した。(画像提供:東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター)

私の研究対象は地震・地殻変動で、その特徴は、海底に地震計などのセンサーを設置してデータを取得するという観測手法にあります。例えば震源を決める時、基本的には流通している陸上の地震観測データが使われていますが、ごく最近まで海底には地震観測網がありませんでした。そこで私たちは、自前で海底に観測装置を設置し、誰も取得したことがないデータを観測する研究を行ってきました。それ以外は陸上での研究と同じですので、観測の方法に研究のオリジナリティがあると言えます。

―海底観測が重要な理由は何ですか?また、海底観測を他の人ができない理由は何ですか?

日本周辺でしばしば発生する巨大地震の多くは、海で発生します。被害地震になりかねないような巨大地震を詳しく理解するためには、できるだけ震源に近い場所でデータを取得することが必要ですから、海底観測が大事です。それは私たちの先輩の頃からずっとわかっていたことでした。しかし、例えば、東北地方の太平洋沖で地震が発生するような場所は、水深2,000メートルを超えるような深海底です。深海底に人間が行くことはできませんし、装置を設置するにも高い水圧に耐えられる装置でなければなりません。観測技術面で陸上と比べて海底での観測体制が立ち遅れていたことが背景にあります。

―日野さんたちのグループは、なぜ海底観測ができるようになったのですか?

 海底観測装置のパイオニア的な仕事は、私たちの先輩が1970年代から始めていました。私自身は海で起こる地震に興味があったので、大学院で海底観測の研究室に入り、先輩たちと一緒に研究してきたわけです。

私が大学院に入学した頃、ちょうどIT革命が到来しました。海底に観測装置を設置するには、先述の通り、自分では海底まで行けませんから、船上から装置をストンと落とした後、海底での観測が終了したら自ら戻ってくる装置を開発する必要があります。そのためには小さい装置で大量のデータを記録でき、小さな電池で長持ちして高精度に動作する装置を開発する必要がありました。先輩たちが直面したこれらの課題は、IT革命によってすべてクリアされたわけです。すると、観測方法の本質は変わらないかもしれませんが、観測時間が長くなったり、一度に使える装置の数が増えたりしたことで、ここ10年間くらいで研究が格段に進んだのです。


10年間で観測データが質量ともに進歩

―特にここ10年間で大きく進んだことは何ですか?

ここ10年間で一番大きな進歩は、まず、地殻の非常にゆっくりした変形である地殻変動を海底でも測れるようになったことが大きいと思います。

―海底の地殻変動は、どのように測るのですか?

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【図2】GPS-音響結合方式による海底地殻変動観測の方法。観測船(またはブイ)におけるGPS測位と、海中音響測距を組み合わせることで、海底基準点の動きを測定することができる。(画像提供:東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター)

陸上の地殻変動には、最近は皆さんにもお馴染みのGPSなどの衛星システムを用いた測位技術が用いられますが、海底では衛星からの電波が海水を通らないため利用することができません。ただ、海水中で電波は通りませんが、音は遠くまで通ります。そこで東北大学では、海底にある観測装置の位置を船から音波で測るとともに、観測に用いる船の位置をGPSによって決める技術を開発し、GPSを用いた陸上観測に近いことを海底でもずっと実証モードで行ってきました。それがここ最近になって、かなり具体的に何が起こっているか、データとして見えるようになってきたことが大きいですね。

また、地殻変動を海底でも測れるようになったことに加え、地震計の数が飛躍的に増えたことも大変重要です。

―海底の地震計の数が飛躍的に増えることで、何が新たに見えるようになったのですか?

地震計で震源の場所を長期間プロットしていく(観測値を点でグラフに書き入れる)ことで地下の構造がわかるのです。地震はどこでも発生するわけではなく、地震が発生する場所と発生しない場所があります。例えば、地震は「断層が動いて発生する」と言われており、断層に沿って震源が決まるので、断層の位置がわかります。その断層から出た地震波を観測することで、その途中にある地下岩石の状態が、例えば「ここには固い岩石があり、ここには柔らかい岩石がある」というようにわかります。それを海底でも観測することで「海底下の地図」がつくれるようになってきました。それが地震の起こり方とどのような関係があるかに進展があるということです。

 つまり、地殻変動に関して言えば、データの質が大きく変わり、地震観測に関して言えば、データの量が飛躍的に増えたことで、新しいものが見えるようになってきたと思います。


地震学でわかっていること・わかっていないこと

―そもそも現在の地震学でわかっていることとわかっていないこととは、何ですか?

今わかっていることは「地震は、地下の断層が動く時に発生する現象である」ことです。断層が動く時、揺れのもとになる振動が出て、それが周囲に伝わり地表に達すると、地面の揺れとして私たちは感じることになります。大雑把に言えば、この説明で色々なことが理解されています。しかしながら、では具体的に「いつ、どこで、どれくらいの大きさの地震が発生するか」は全く予測できない状態と言ってよいでしょう。それを目指していたのが地震予知ですが、簡単なことではありません。

ただ一方で、少しずつわかってきたことは、「地震はどこでも発生するわけではない」ということです。先述の通り、断層の上で地震は発生するわけですが、地震を起こせる断層が地球上どこにでもあるわけではなく、地球全体で見ると、ごく限られた場所にしかないのです。日本の中でもよく見てみると、地震をよく起こす場所は、全体の中では、それほど多くあるわけではありません。では、その場所がどこにあるのか?あるいはなぜその場所で地震が起こりやすく、他の場所ではあまり地震は起こらないのか?その理屈がわかれば、次に巨大地震が発生しやすい場所がわかるだろう。そのような研究を私たちはずっと続けてきて、ある程度はわかっていた気がしていたのです、2010年までは。


2011年以降に見えた地震の新たな全体像

―2011年の震災以降、どのように認識が変わったのでしょうか?

基本的に「"動く前の断層"の"固着している部分"が"動かそうとする力"を支えきれなくなって動くのが地震だ。ただし、断層はどこでも固着しているわけではなく、"動けるところ"と"動けないところ"がある。よって、"動けないところ"を見つけることができれば、それが将来の地震を起こす場所だろう」と考えていました。それは全体像としては今でも間違ってはいません。しかし「ここが固着しているだろう」と思う場所に、大きな思い違いがあったのです。そして結果的に、マグニチュード9という未曾有の巨大地震が発生することを、私たちは全く予測することができませんでした。ですから、「地震を起こしそうな場所とはどんなところか?」は改めて見直さなければいけません。それが今、私たちが直面している最大の課題だと思います。

もうひとつは、「断層が動くところで地震が起こっている」と先程話しましたが、約10年前までは、「地震を起こしていないところは何もしていない。断層は地震を起こすところと、起こさないところの二つに分かれる」と思っていたのです。しかし実はそうではなく、地震の揺れは感じなくとも、「地震のような現象」がかなり起こっているらしいことがわかってきました。

―「地震のような現象」とは何ですか?

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【図3】普通の地震と「ゆっくりすべり」。観測技術の進展により揺れをあまり起こさない「ゆっくりすべり」の存在が知られるようになり、海底でも観測され始めている。(画像提供:東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター)

揺れを起こすような地震は断層が素早く動くことで起こるのです。ところが、揺れを感じないくらいにゆっくり、地殻変動しか起こっていないような"ゆっくりした断層の動き"があり、「ゆっくり地震」「ゆっくりすべり」等と言われています。20数年前、そのような地震があるのではないかと最初に言い始めた先生が「地殻変動のデータを丹念に見ると、地震でもないのに動くことがある。何かが変だ」とお話されていました。観測網が非常に緻密になった今では、かなりの数でゆっくりすべりが発生しているらしいことがわかってきたのです。すると、私たちは断層の動きが本質と思っていますが、その中のごく一部の地震という現象しか、これまで見ていなかったことに気づきました。そこで、もっと、ゆっくりした断層の動きを視野に入れて研究を進めることで、地震の発生メカニズムをよく理解できるのではないかと考えています。そこで今、ゆっくりした断層の動きが、いつ・どこで・どのように起こるかを丁寧に系統的に調べようとしています。
 
特に私たち東北大学は、東日本の海で起こる地震活動に最も関心がありますが、長い間、東日本の海では、ゆっくりすべりは起こらないと考えられていました。ところが、2011年の東日本大震災が契機となって精力的に研究を進め、あるいは「ある」と信じて探した結果、なかなか無視できない活動があるのではないかということが見えてきたのです。

―以前、東北大学天文学教室の二間瀬敏史さん(現・京都産業大学教授)へのインタビューで、「重力レンズにも、強い重力レンズとか弱い重力レンズとか、色々種類があるんです。弱い重力レンズは、昔はそんなちょっとした歪みは観測にかからないと思っていてあまり興味がなかったわけです。けれども研究していくと、どうもそうじゃなくて、そういう効果の方が大事な場合もあると、認識を新たにしたっちゅう面もあるんですね。そういうことをやっているうちに、いろいろおもしろいことが出てきたんです」とお話していたことを、今のお話を聞いて思い出しました。

 そうですね。私たちも実はちょっとそれに似ていて、今まで目に見えている地震ばかりを見ていましたが、その背景にある、今まで見えていなかった断層のゆっくりとした動きの方が実は主役で、やっと私たちは、その主役に目を向けられるようになったのかもしれません。


ゆっくりすべりと巨大地震の関係性

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【図4】海陸の地殻変動観測データから推定した2011年東北地方太平洋沖地震時の断層すべり量の空間分布。(画像提供:東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター)

―ゆっくりすべりに目を向ける中で、新たにわかってきたことは何ですか?

2011年に東北地方太平洋沖地震が発生する1ヶ月半くらい前から、実際に震源となった場所の近くで、非常に微弱ですが、ゆっくりしたすべりが起こっていたらしいことがわかっています。そのゆっくりしたすべりが徐々に広がって、最後に巨大地震の発生につながり、その後も断層は止まれず、動き続けるのです。今もなお動き続けているかもしれません。

―ゆっくりした断層のすべりが地震発生後も止まれずに動き続けると、どうなるでしょうか?

地震発生時、地震を起こした断層の上で、すっかり力を開放してしまったところは、その動きを止めるでしょう。しかし、その周囲に十分付いて来られずに遅れてすべる部分があって、今でも動き続けているとすると...。断層はずっと続いていますから、遅れて滑った反対側に、次の地震にむかって力を貯めているところがあるとすれば、ゆっくりしたすべりがこれを引っ張りますから、連鎖的に大きな地震につながる可能性があります。世界的に見ると、巨大地震の発生後、その隣り合ったところで、また巨大地震が発生することがよく見られます。2011年の巨大地震から約6年が経ちますが、隣り合うところでまた巨大地震が起こる可能性があることを考えると、ゆっくりしたすべりが今も続いている行末をきちんと調べることが大事です。

 つまり、地震発生の前後にゆっくりしたすべりがあり、その全体像を明らかにすることで、初めてひとつの地震の全体像が見えてくるのではないか。それが昔の観測データを再分析したり、新たな観測を海底で始める中で、だんだんわかっています。


巨大地震を間近に捉えた世界初のデータ

―新たな観測データだけでなく、過去の観測データからも「ゆっくりすべり」はわかるのですか?

反省はしているのですが、データが大量なので、見たいものから優先して見てしまうのは仕方がないことです。巨大地震が発生すると、私たちは「この地震は予知できなかったのだろうか?」と、まず地震発生直前のデータを見直します。すると、先述のような複雑な現象があったことがわかります。そうすれば、その仲間がさらに昔発生していなかったかを遡っていけますので、大学院生達と今も再分析をしているところです。つまり、探すものが見つかれば改めて観測データを見る。あるいは、探すものが見つかり、現在の観測体制では取れないデータであれば、新しい観測を始めることになると思います。

いずれにせよ、巨大地震を間近で捉えることができたのは、世界で初めてのことでした。宮城県沖地震の発生に備えて、私たちは宮城県沖にたくさんの観測網を構築していました。実際に発生したのは宮城県沖地震よりも遥かに巨大な地震でしたが、結果として、震源すぐそばで巨大地震のデータを取ることができました。データは色々なことを私たちに教えてくれます。貴重なデータはやはり何度も何度も見て見落としがないように調べていく必要があると思い、未だにその時のデータを見ています。

―ちなみに、海底で観測網を構築する場所は、どのようにして決めるのですか?

観測にはコストが発生するので、どれくらいの規模で観測できるかは、一番はじめに考えなければいけないことです。もし非常に大規模な観測ができるのであれば、東北地方一円に、何千台も観測装置を設置できますが、現実そうはいかないので、重点的に調べるべき場所があります。例えば、先述の宮城県沖地震を例にすると、過去の発生場所はわかっているので、それらをヒントに地震が発生しそうな場所で待ち構えます。あるいは、地下の岩石の分布で、地震が起こりやすそうなところを選び、そこで観測を進めるかもしれません。

ただいずれにせよ、大まかに状況がわかっていなければ、どこで重点的に観測すべきかはわからないので、最初はそういう意味では、勘ですね。そこから「少しずらした方がよい」「もう少し絞った方がよい」「もっと広げた方がよい」等と徐々に考えていくと思います。

はじめは2011年に地震が発生したところの行末をとても知りたかったので、私たちは宮城県沖を中心に観測してきました。しかし、まわりにむかって、ゆっくりすべりが広がっていることがわかってきたので、現在は、観測の中心をだんだん福島県沖にずらしています。実際に昨年11月に福島で地震が発生しており、やはり活動の活発さが現れていますね。

―地震予知は簡単ではないとのことですが、ゆっくりすべりから地震発生の予想はできそうですね。

 そうですね。例えば、防災科研(国立研究開発法人防災科学技術研究所)の「強震モニタ」(http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin)では、地震計で観測された今の揺れがそのままリアルタイムで配信されています。このモニタの「ゆっくりすべり」版ができれば、それは予知ではありませんが、ある種の天気予報のようなものができるかもしれません。

ゆっくりすべりと地震の関係は今とても興味を持たれていますので、私たちはこれを観測的に追及していくべきと考えています。


「日本沈没」に登場した地球物理学者に憧れて

―続いてインタビューの後半では、日野さんの個人的なモチベーションについて伺います。はじめに、日野さんはなぜ研究者になったのですか?原点のようなものはありますか?

すごくはっきりわかるのですが、まずひとつの原点は、私は化石が好きな恐竜少年でした。小学校に上がる前の頃から地面の中に興味がありました。

二つ目の転機は、我々世代の地震学の専門家の多くが大きな影響を受けている「日本沈没」(1973年に刊行された小松左京による日本のSF小説)です。この小説が出た後、映画やテレビドラマにもなって、ある種の社会現象になりました。私は当時小学校低学年くらいで、映画を見て、人がどんどん亡くなるのがすごく怖かったです。けれども映画の中で、竹内均先生という著名な実在の地球物理学者が登場し、その怖い地震現象を説明するのです。それに大変感激して「地球物理学者になりたい」と思いました。

以来ずっと地球物理学に関連する本を読んでいました。当時は「プレートテクトニクス」による説明がちょうど始まった頃で、「プレートが動いて、引きずっていたものが反発して海溝型の地震が起こる」という説明を読みました。そこで「本当にプレートが動いていることや、プレートの境界が沖合にあるというけれども、自分の目で見ることができるのかな?」などと考え始めたのが高校生の頃です。

 調べてみると、実は、海の観測はデータが足りないせいで、全然わからないことだらけ。プレートテクトニクスの実証は始まってはいたものの、まだまだ断片的でしたし、プレート境界地震が起こっているとは言うけれども、本当にプレート境界がどこでどんな形をしているかまでは、あまりよくわかっていないようでした。だったら、そんな観測を行う研究を自分はやりたいと思い、学部も東北大学でしたので、大学院からこの研究室に来ました。

今思えば馬鹿な話ですが(笑)、当時、海底観測を専門とする先生が東北大学にいたことを知って来たわけではなく、地球物理学のある大学は多くはないので、東北大学に来てみたら、たまたま海を研究している先生がいらっしゃったのです。本当にドンピシャでよかったです(笑)。以来、一もなく二もなく、そのままこの研究室ですね。


装置を触っていると、すごく幸せ

―当時指導された先生も、日野さんと同じような問題意識で海底観測をされていたのですか?

僕が研究室に来た時には他大学に移られた先生が、東北大学での海底観測をはじめた方でした。その先生は、海のプレートが沈み込んでいく時にどんなことが起こっているか?や海のプレートとは一体何か?に興味を持って当時研究をされていたと聞いています。私を直接指導してくださったのは、若い女性の先生でした。その先生は「私たちはどこから来て、どこへ行くかを知りたくて、地震学をやっている」と仰っていました。おそらく地震そのものよりも日本列島がどのようにできたのか?に興味を持っていたのではないでしょうか。日本列島はプレートが沈み込んでいく海底と密接に関係していますから、海の観測をしていくと、それに近づいていく実感があったのかもしれないですね。同じようなことをやっていても、皆、感じ方はそれぞれかもしれません。

―日野さんは大学院でこの研究室に入り、どんなことから始めましたか?

プレートに対する興味もあったのですが、道具を使って自分のデータを取ってくることがすごくおもしろそうだと思ったので、とにかく観測に連れて行ってもらい自分が作った地震計を海底に沈めることをずっとやっていました。地震計を海底に沈めて観測できる期間は今でこそ1~2年ですが、当時はまだ10日くらいでした。ただ10日間観測しても、なかなか地震のデータは取れないですよね。そこでどうやって研究をするかというと、人工地震を起こすのです。人工地震なら、必要な数の地震を起こすことができ、発生場所と観測場所の組合せがはっきりわかります。そうして地震の揺れが地下を伝わる時の変化を追跡すれば、海底下の地図が描けます。

それはそれでおもしろくて、地殻にも厚いところと薄いところがあることがわかり、極端なところでは井戸を掘ればひょっとしたらマントルが見えるかもしれないくらいに(笑)、薄いことがわかりました。だいたい東北地方の地殻は約30kmですが、伊豆・小笠原あたりのごく僅かなエリアでは地殻が6~7km くらいの薄さでした。それまでも色々な状況証拠から、その場所は変な地殻構造をしていることがわかっていました。そこで人工地震探査をやろうという研究プロジェクトが立ち上がった時が、ちょうど私が大学院に入った頃で、「そんなに観測が好きなら、やってみるか」と言われてやらせてもらったわけです。

地震計を自分でつくるのも、人工地震を起こす道具の調整なんかも全部楽しくって(笑)。道具を触るのがすごく好きみたいで、そういう装置を触っていると、すごく幸せで(笑)。同じように装置が好きな人は他にもいました。例えば、ゆっくりした揺れを測れる地震計は調整がとても難しいので、当時はまだ海底では実用化されていなかったのですが、東京大学の先生方が開発されていた装置を僕もお手伝いさせていただきました。また、ゆっくりした揺れを測るなら、地殻変動を測れるようにすればいいじゃないかということで、音波を使って距離を測る道具もつくりました。海底観測の道具をつくる人は、それほど多くないのです。日本で10人いるかいないか、世界で30人になるかどうかくらいです。

―それだけ海底観測の装置開発は難しいのですね。

そうですね。数少ない人たちの努力で、海底のゆっくりすべりを実際に観測できるまで、徐々になってきたわけです。


プレートを実感したい

―大学院では地下構造を調べるための装置開発から観測まで、とてもワクワクしながら日野さんが研究に取り組まれてきた様子が伝わってきました。ところで、高校の時に興味を持っていたプレートについては、実際に見たり実感できたりしたのでしょうか?

全体像として海のプレートが沈み込んでいることは大事ですが、残念ながら、大学院生の時に自分が観測した場所では、プレートの動きを見られるわけではありませんでした。けれども、地下構造を調べるテクニックを磨けば、いずれはプレート境界を自分で見られる日が来るだろうとは思っていました。実際にそれができるようになったのは、博士号を取得後、東北大学に研究者として就職した後のことです。

私が就職した頃、三陸沖などで大きな地震が続きました。大きな地震が発生した後は余震が多く発生します。その頃には、1ヵ月くらいは地震観測ができるようになっていたので、1ヶ月でも地震の震源を多く決めることができました。最初に発生した地震がプレート境界で起こったのならば、その余震の分布の仕方を見れば、プレート境界の形になるはずです。すると、上から見るとスカスカで、横から見ると本当に綺麗な面になって地震の震源が並んでいたのです。ベタ一面で地震は起こるのではなく、あるところは固まって、あるところはスポッと抜けている。どこでもくっついているわけではなく、あっちこっちもう穴だらけだ、と実感しました。そして、仲間の研究者たちが同じ場所で行った人工地震探査のデータを解析すると、私が決めた震源のところにちゃんと、沈み込んでいる太平洋プレートの上面で地震波を跳ね返す面がありました。その時ですね、やっと、やりたいことに近づいてきた気がしたのは。さらには、プレートが動いていることを実感したいわけですが、今やっていることがまさにそれかもしれないです。


ゆっくりすべりしか起こせない断層と早く動ける断層があるのは、なぜか?

―今後の意気込みについて教えてください。

個人的な興味では、"くっついているところ"と"くっついていないところ"があるのは、なぜそうなっているのか?を非常に知りたいです。"くっついているところ"と"くっついていないところ"が、結果的に巨大地震を将来起こすところと起こさないところの色分けに役立つという実用的側面もありますが、それとは別に、なぜゆっくりすべりしか起こせない断層と早く動ける断層があるのか?を解明したいです。この問題は色々な人が世界中で研究していますが、まだ明快な答えはありません。その競争の中で、我々は震源間近で観測しているアドバンテージを活かし、例えば、東北地方太平洋沖地震の時は、何十メートルも断層が動きましたが、なぜここだけ動けたのか?を、誰が聞いてもわかる筋道で説明できることが当面の目標です。


諦めずにずっと考え続けることは楽しいこと

―今までのお話を踏まえ、次世代へメッセージをお願いします。

おもしろいと思ったことは徹底的に追及すると、またおもしろくなります。ですから常に「なぜそうなるのか?」と原因を考え、「次に何が起こるか?」を予測してみてください。それが大事だよというお説教ではなく、楽しいよと伝えたいのです。きっと理科が好きな子は、それが楽しいと思う素養を持っていると思いますが、うまくいかないことが多くて諦めてしまうこともあると思います。例えば、予想が当たらなくて「自分はだめだ」と思ったり、原因を追求しようと思っても、わからないから、止めてしまうこともあるかもしれません。けれども諦めずにずっと考えていることは、本当は楽しいよ。そんな思いを共有してくれる若い人たちが次世代としてどんどん育ってくれると、科学者がまた育ってくると思います。

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―日野さん、ありがとうございました。



東北大学 日野研究室 学生インタビュー

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Q1 どんな研究をしていますか?自分がおもしろいと思うことを教えてください。

◆今野美冴さん(博士課程 2年)
私は海底地殻変動観測の高精度化に関する研究を行っています。船で観測に行くのですが、自分でデータを現場まで取りに行って解析することが、おもしろいと思っています。

◆山本龍典さん(博士課程1年)
私も海底地殻変動に関する研究を行っており、海底で地面の動きをモニタリングするシステムの解析を行っています。このシステムは陸上でも使われますが、海底で完結すると、mmレベルで精度よく地面の動きを検出できることがおもしろいと思っています。

◆高橋秀暢さん(修士課程 2年)
超低周波地震(ゆっくりと断層がすべる地震)について研究をしています。自分たちでOBS(自己浮上型海底地震計)を設置・回収し、その記録から、新しい現象を見つけられるかもしれないところにおもしろみを感じています。

◆西森智也さん(修士課程 1年)
卒業研究では、東北地方太平洋沖地震の発生後から現在に至るまで、東北地方太平洋沖の応力の状態をまとめました。東北地方太平洋沖では数百年の周期で地震が発生していると考えられていますが、応力で見ると、その活動周期を実感できることがおもしろいです。

◆西間木佑衣さん(修士課程 1年)
卒業研究では、東北地方太平洋沖地震の前に発生したスロースリップイベント(ゆっくりすべり)について研究しました。スロースリップイベントを研究することで、巨大地震が起こるメカニズムを解明できるといいなと思っています。

◆田中優介さん(修士課程 1年)
人工衛星を用いて地面の動きを測り、そこから地下の断層の動きを調べる研究を行っています。特徴としては、これまでとは違う手法で、地震が発生する時だけでなく、発生前後の小さな動きも調べられるのではないかと研究しています。


Q2 日野研究室を一言であらわすと?

◆今野さん
「チークワーク」。海底観測で皆と一緒に船で行く時は団体行動ですから、皆で協力することが重要です。結束力がある研究室だと思います。

◆山本さん
「自給自足」。自分で装置を設置して自分でデータを取ってくるのがおもしろいからです。

◆高橋さん
「海賊」。僕も山本さんと同じで、自分で設置した装置で自らデータを拾ってくることが、おもしろいです。どこに宝が眠っているかわからないから、僕らは海賊です。

◆西森さん
「バラエティ」。一見すると研究内容は「海域で起こる地震」で狭いようにも見えますが、実は一人ひとりが違う研究をしていて、研究内容はバラエティに富んでいます。

◆西間木さん
「エキスパート」。私は大学院から東北大学に入学しました。日野研究室のメンバーは、地殻変動研究のエキスパートと感じます。

◆田中さん
「動物園」。ここ海域グループでは多種多様な研究が行われています。観測の道具ひとつとってみても、海底に置く人もいれば、人工衛星を使う人もいます。海底から陸上、空まで、非常に多様で、まるで動物園と水族館が合わさったような研究室です。


Q3 最後に、後輩の中高生へメッセージをお願いします

◆今野さん
自分が興味を持ったことに関しては、本を読んだり人から話を聞くinputも大事ですが、自分の中で消化してoutputすることも大事です。興味を持って挑戦することを大切にしてください。

◆山本さん
「楽しいな」「興味がある」と感じたことには、とりあえず、首を突っ込んでみることが大事だと思います。

◆高橋さん
自分がおもしろいと思ったこと、好奇心を大事にして欲しいです。

◆西森さん
どうせ未来はどうなるかわからないのだから、どんどんチャレンジすることが重要だと思います。それに、例えば5年後に自分が想像できる未来なんかつまらないです。どんどんチャレンジして自分の未来を開拓して欲しいです。

◆西間木さん
色々なことに「なぜだろう?」と疑問を持って、自分で調べてその問題を解決することがすごく楽しいことだと思えたら、とてもよいと思います。

◆田中さん
深く考える前に、まず飛びついてみることが時には大事だと思います。そもそも研究は、努力しても報われるかどうかすらわからない面もありますが、そんな努力を喜んでやれる、良い意味での変わり者が研究者として活躍すると思います。

―皆さん、本日はありがとうございました。

【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.01】東北での航空機産業への参入に先鞭をつけた優良中小企業/三栄機械(秋田県)社長の齊藤民一さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.01】東北での航空機産業への参入に先鞭をつけた優良中小企業/三栄機械(秋田県)社長の齊藤民一さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2017年10月23日公開

<仕事>とは
この世の皆が快適に生活するための役割分担であり、
その役割に対する世間からのご褒美が<利益>である。
世の中からご褒美を貰う方法を皆で考え、
皆でご褒美を分ける。
その方が、言われたことをやるよりも、
ずっと楽しいじゃない。

株式会社三栄機械(秋田県由利本荘市)
代表取締役社長 齊藤 民一 Tamikazu SAITO

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.01)
 秋田県由利本荘市に本社を構える株式会社三栄機械(従業員89名、資本金2,700万円)は、自動機製造の高い技術力により、東北エリアでいち早く航空機分野に参入し、その振興・集積を図るリーダー的存在である。1998年、防衛庁(現防衛省)に航空自衛隊の哨戒機レーダーの点検作業台を納品したことを契機に航空機関連分野へ参入。防衛省の大型輸送機や対潜哨戒機、米航空大手ボーイング社の旅客機「787」や「777X」、三菱重工業の国産ジェット旅客機「MRJ」等の開発に携わる。経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」(2008年)や「おもてなし経営企業選」(2014年)等に選定。そんなオンリーワン企業の三栄機械がオンリーワンたる所以を探るべく代表取締役社長の齊藤民一さんに話を聞いた。



オンリーワン企業になるまでの軌跡

― 貴社がオンリーワン企業になるまでの軌跡を教えてください。

 弊社は1971年創業の会社で、従業員は89名、このほかに構内協力業者が9名います。秋田県由利本荘市に本社ならびに本社工場があり、TDK(株)の工場群があるにかほ市にも象潟工場があります。県外では横浜や名古屋に営業所があります。現在、三菱重工業(株)の国産ジェット旅客機「MRJ」や米ボーイングの次世代大型旅客機「777X」の開発などにも関わっています。


◆ TDKと取引する先輩企業と競合しない仕事づくり

 我々が仕事を始めた頃の状況から話しますとね、このあたりの地域は、TDKさん(秋田県由利本荘地域創業の大手総合電子部品メーカー)の企業城下町なんですよ。我々の会社は今年で創業46年目になるけど、設立当初から、TDKとお付き合いのある先輩企業がいっぱいありましたので、先輩企業と競合しないこと、人のやらないようなことをやっていこう、ということで始まりました。


◆ UIJターン転職者の積極採用によって事業分野を多角化

― どのようなアプローチで「先輩企業と競合しない仕事づくり」を実現していったのですか?

 そのひとつの柱が、今で言う、UIJターン(大都市圏の居住者が地方に移住する動き)で、大都市圏から地方に戻りたいという方々を積極的に採用したんです。その方々がそれまでやってきたような仕事は、当時の秋田になかなかなかったものですから、まわりの先輩企業では「うちでは、そんなこと活用できないよ」と、採用される方が少なかったのです。逆に、我々はそのような方々を積極的に採用して、その方たちが持つ技能を学び、その方が勤めていた会社さんをお客さんにする、そんなやり方で事業分野の多角化を図ってきました。現在、我々の会社が航空機産業に関わっているのも、この辺りからということになると思います。


◆ 営業品目は多岐にわたるように

― 他の人がやらないユニークな方法で広げていったのですね。

 色々な技能を持つ方に入社いただいたことで、小さな規模の会社ですが、営業品目が多岐にわたるようになりました。大きく分けますと、航空機の他に、ひとつの柱は自動化機械で、設計からやらせてもらって、電子部品やレンズ、自動車等、多様な業界の生産設備の製作に取り組んでいます。お客さんの要望を聞いて、それを具現化する仕事ですね。もうひとつの柱がプラント関係です。TDKさんとの取引では先輩企業は製品関係の取引が多かったので、そこと競合しないよう、材料プラントの工事やメンテナンスなどを行っています。

 同じものをずっとつくり続けることはほとんどしません。同じものをつくり続ける下請けの仕事は、数年くらいは仕事を安定的にもらえるかもしれないですが、原価も知られていますし、競争が激しいですよね。けれども提案型なら、部品の設計から作製まで自分たちで行うので、適正な利益をのせて自分から見積りを出せるのです。

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【写真】南極昭和基地の風力発電装置

 今までの仕事の一例をざっと紹介します。電子製品向け設備では、例えば、コンデンサを検査する自動機の設計・製作。自動車関係では、トヨタ自動車東日本(株)さんのハイブリッド車を組み立てる生産設備の一部。プラント関係では、川崎重工業(株)さんと一緒に、稲わらからバイオエタノールを生産するプラントの一部設計のお手伝いをさせていただきました。南極の昭和基地(国立極地研究所)に設置する風力発電装置の試験機の製作にも携わっています。


◆ 航空機産業参入の始まりは、棚や脚立から

― 航空機産業へ参入した経緯はどのようなものでしたか?

 我々の会社が航空機産業に参入したのは1987年のことです。日本飛行機(株)さんから秋田に戻ってきた方に入社いただきましてね。ただ、飛行機と言っても全然次元が違うし、うちでやれるのかなというのがあったんですけどね。色々話を聞いてみますと、飛行機を飛ばすには車よりも安全第一なもんですから、きちんと修理や点検をしなければ飛ばせないことがわかったのです。修理なら我々ができることもいっぱいある。まぁ変な話だけど、飛行機を点検修理する建物の中で使うような棚や脚立といった辺りから入ったのが正直なところです。


◆ 防衛庁に哨戒機レーダー点検作業台を納品

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【写真】航空自衛隊の哨戒機レーダーを点検するための作業台

 業界を少し覚えると、まとまった仕事に挑戦しようと、航空自衛隊の整備機材を目標に、1990年頃から防衛庁(現防衛省)OBを雇い入れたり、航空機整備機材の入札資格を取得しながら模索しました。防衛庁が1993年に導入した航空自衛隊の哨戒機レーダーを点検する作業台をうちが提案して、設計を含めて納品したのが1998年に1台、2000年に1台です。そこから少しずつ航空機に近づいていけたかな。


◆ 高い自動化技術で機体製造設備の設計製作へ参入

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【写真】航空機機体組立用治具

 その後、日本飛行機から入社した方から、航空機の機体を実際に製造する工場を見せていただいて、びっくりしたのですが、ほとんどが手作りの作業だったのです。航空機は軽くて丈夫ですが、リベットで留める前の部品は紙のようにふにゃふにゃで、各パーツの位置決め治具が多量に必要なんですね。あまりにも手作りなものだから、こちらの方から「今まで11台あった治具を1台に集約できますよ」と、ダメ元で提案したのです。それがたまたま採用されまして、組立治具を設計から製造して納品しました。それが航空機本体の製造に関わるひとつのきっかけとなった案件です。


◆ 航空機産業への本格参入を決断

 当時はまだ航空機産業へ全面的に参入しようとはあまり考えてはいなかったのですが、90年代後半から、TDKを始めとする日本のものづくり大手企業が海外へシフトしました。我々中小企業も一緒に付いて行ければよいですが、海外まで移ることはなかなかできません。我々の仕事はどうなるだろうと危機感を覚え、国内で将来成長する分野を社員の皆さんと色々検討していた時、たまたま日本の国として次期大型輸送機と対潜哨戒機をこれから開発するという話を聞きました。これならば日本で航空機をこの後もやっていけると思い、航空機産業へ本格的に参入しようと、まず考えたわけです。

 そこで色々調べてみますと、ちょうど航空機のモデルチェンジの時期に入っていることがわかりました。それに伴い、機体材料がアルミ製から炭素繊維製に変わり、燃料は省エネ化するという、技術的な革新期が到来していたのです。我々は後発企業でしたが、先輩企業とのハンディキャップを縮められる好機ということも含めて、今こそ参画するチャンスと決断した経緯がございます。


◆ チャンスを逃さず、大手企業に自動化技術を提案

― どのようにして本格参入していったのですか?

 参入するにしても色々準備が必要ですからね。航空自衛隊との取引の関係で、富士重工業(株)さん(現SUBARU)の担当者と知り合ったことをきっかけに、2003年、富士重工さんへプレゼンに赴きました。すぐに仕事とはなりませんでしたが、具体的な提案を続けるうち、大型輸送機や対潜哨戒機等の製作が始まり、生産設備をつくる時、声をかけてもらいました。そして、大型輸送機と対潜哨戒機の中央翼のパネルをつくるための装置をうちが提案して採用されたのが、SUBARUさんとの取引の始まりです。

 同年、三菱重工さんにも営業展開したのですが、営業の紹介をしてくれたあきた企業活性化センターのアドバイザーの方が、たまたま航空自衛隊でテストパイロットを務めていた方で、その方から三菱重工さんを紹介してもらい、プレゼンに赴いたことが始まりです。ここもなかなかすぐ仕事というわけにはいかなかったのですが、「F-2」という戦闘機の強度試験用の治具で、納期がほとんどないような案件を「やれるか?」と聞かれ、「やります」と言ったのが、ひとつのきっかけです。

 ただ、三菱さんも大きな会社なもんですから、最初は三菱グループ傘下の会社との取引で、直接口座はなかなかもらえませんでした。そこで2005年、三菱重工業の航空宇宙事業本部(現名古屋航空宇宙システム製作所)・品質マネージメントシステム(MSJ4000)の認証を得て、直接取引になった経緯がございます。そして2006年、三菱重工業が主翼を担当する米航空大手ボーイングの「B-787」の翼のパネルを自動で位置決めする装置を提案して採用されました。


◆ 「秋田輸送機コンソーシアム」を設立

 ちょうどB-787の仕事を受注していた頃は、治具の仕事が非常にたくさんありまして、我社単独よりも、県内の同業の人たちと協力して仕事をした方がよいと考えました。我々は、どちらかと言うと先輩企業より後輩に入るものですから、県に相談して、秋田県産業技術総合研究センターの所長さんに主導してもらう形で、2006年に「秋田輸送機コンソーシアム」を設立した経緯がございます。当時の日本銀行秋田支店長さんにも応援してもらい、参加企業で勉強しながら、弊社で受注したB-787の組み立て用治具を、2007年から参加企業で分担して納品することを始めました。

 その後、航空機部品を製造する際に求められる、航空宇宙品質マネジメントシステム(JISQ9100)認証を弊社が取得したことをきっかけに、コンソーシアム参加企業による取得につながり、現在では、地域の企業が航空機の機体製造や降着装置、ギャレー(キッチン)やラバトリー(トイレ)に関わる新規受注に成功することができました。当県でのコンソーシアムの取り組みが、東北6県のコンソーシアムの拡大にもつながっていると思います。また、秋田県の重点施策で、産業育成に航空機を取り上げてもらい、色々な支援を受けています。


◆ 国内主要航空機機体メーカーと直接取引

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【写真】5軸加工機

 航空機産業参入のために、CADソフトであるCATIA、大型の5軸加工機、チタン加工機、約120メートルのものを測れるレザートラッカーシステム等、最先端設備を導入し、生産体制を整えました。結構なお金はかかったのですが、それらを使いこなすことでより高度なニーズに応えることができ、さらなる差別化を図ることができました。それまで手作り作業が主体だった航空機産業が自動化を進める中で、自動化技術の提案をしてきたうちの会社も、各メーカーさんからパートナーのように扱っていただいていると感じています。今では、ほとんどの国内主要航空機機体メーカーと直接取引ができるようになりました。


◆ そもそも仕事とは、経営とは何か

― 貴社の事業を支えている経営理念についても教えてください。

 うちの会社では1991年、設立20周年を機に、当時社長だった細矢育夫取締役会長が経営理念をつくりましたが、現在の形となったのは、私が12~13年ほど前に中小企業家同友会に入って色々気付かされたことが大きな柱となっています。同友会に入る前の私は、経営とは、もちろん社員の幸せもありますが、世間の流れに合わせて適正利益をあげ、社員の生活を安定させることであり、それこそが社長の考えなければいけないことだと考えていました。しかし同友会に入ってから、<仕事の本質>もしくは<経営の本質>とは何かを、随分と考えさせられる機会がありました。そして、仕事とは、働いて給料をもらい生活することも然ることながら、それだけではないことに気付かされたのです。

― どのようなことに気が付いたのですか?

 もし、世界中、すべての人が仕事を辞めたら、どうなるか?全ての人が自給自足で生計を立てることは難しい話で、仕事を通して、皆が快適に生きるための役割を分担していることに気が付いたのです。一人で担える役割の大きさにも限りがあるので、組織や会社の規模で、皆で役割を担うことで、より大きな役割を果たすことができるのではないか。それが会社経営ではないか。その対価である<利益>とは、その役割分担に対する世の中の評価であり"ご褒美"であると、私自身の考え方が非常に変わったのです。


◆ 皆でご褒美をもらえることを考え、皆でご褒美を分ける

― 考え方が変わったことで、実際の取り組みはどのように変わったのですか?

 「役割分担に対して世の中からご褒美をもらうことが利益である」と気が付くと、うちの会社の役割とは何か、その役割が世の中に評価されご褒美を貰うためには何をやればよいかを、社員皆で考えるようになりました。経営指針発表会を毎年開催するのですが、社長や管理職だけでなく、各社員が10年後のありたい姿に向けて予めグループで話し合い、皆でご褒美をもらえることは何かを考えようというのが、今の経営の基本です。

 もうひとつ大事なことは、貰ったご褒美を皆で分けることです。うちの会社の収益は毎月、全社員に公表し、3ヶ月の経常利益の35%を、給料とは別に、上限なしの各月の業績手当として支給する仕組みをつくりました。世の中に対する自分の会社の役割の中で、皆さんが幸せで良かったなと思えるものを如何に提供できるか、そこで貰ったご褒美は皆がわかるように平等に分配することが、大事なことだと思っています。


◆ 成長とは、昨日までできなったことをできるようになる、その積み重ねしかない

 今の時代はよく「成長」と言われますが、やはり個人も会社も常に成長していかなければ、立ち行かなくなる時代ですよね。成長と言っても、高度経済成長期は、仕事の量をどんどん増やせばよかった時代でしたが、今は、同じものをどんどん作れば売れる時代ではなくなりました。色々なものを提供していかなければならない時代に、何が重要になるかと言えば、昨日までできなったことができるようになる、その積み重ねしかないことにも気付きました。

 ですから「成長」というのは、昨日までできなかったことを、ちょっとだけでもいいから、できるようになること。そのためには、昨日までやらなかったことを今日やるしか無いです。昨日と同じことをやっていると、今日も同じことしかできないですからね。目を瞑りながらでもできる仕事を入れることもありますが、今まで経験してこなかった大変なものも入れ、皆でやり遂げる。そんなことを今までやってきたのかな、という感じがします。

 よく会社の成長って、売上が増えた、利益が増えた、と言われる方もいらっしゃいます。それが継続的に続けばよいのですが、見ていると、そうではないことも結構ありますよね。売上が増えたり利益が上がったりすることは、たまたまということもありますし、果たしてそれが本当の意味での成長と言えるのかなと考えました。ですから、昨日までできなかったことを会社としてもできるようになる。その結果として売上が増え、世の中のご褒美である利益が増えることが、本来の意味での成長ではないかと考えました。


◆ 押し付けるのではなく、皆で考えて、皆でやろう。

 「皆で会社の役割を考えよう」「昨日までできなかったことをできるようにしよう」と、押し付けでやっても、なかなかうまくいかないですよね。押し付けて気付いてもらうより、一緒に考える、考えさせる中でしか気付きは生まれてこないですよね。「こうしろ」「あれは駄目だ」という指示ではなく、「なぜそのようにやっているのですか?」と、一緒に考えることによって、気づくわけだしね。そうやって皆で考えるようにしています。

― そのようにご自身の考え方が大きく変わった必然性は、何だったのでしょうか?

 やることが決まっていて、それを効率的にやる時代は、「社員さんはあまり考えないで、言われたことをきちんとやってください」でもよかったんです。けれども時代の変化とともに、それが通用しないというか、社長がずっと引っ張っていくのは、今の多様化した時代、疲れるというかね。振り返ってみると、社員さんを引っ張っていく中では、感謝の気持ちはなかなか湧かないよね。「こっちは言っているのに、なぜわかってもらえないのだろう」という気持ちの方が強いじゃないですか。

 ところが「皆で考えて、皆でやろう」となるとね。社長って、仕事の環境はつくっているけど、実際に機械を動かしているわけじゃないし、その意味ではほとんど価値を生み出していないわけじゃない。考えてみるとね、従業員の皆さんに食わしてもらっているわけですよ(笑)。そう気づくと、社員さんに対して感謝ですよね。給料は皆さんが世間に価値を提供したご褒美でしょう。それまでの「社長が養ってやっている」感性が勘違いだったのね。

 その方がずっと楽だし、社員さんも楽しくやっていますよ。だって自分たちのやったことが世の中に喜ばれてそのご褒美を貰う方が、ずっと楽しいですよね。「昨日よりもできないことをやる」のは大変なこともあるでしょうが、人に言われたことをやるよりずっと楽しいじゃないですか。ですから今はあまり管理しないように、無管理状態です(笑)。それは、私にとって大きな変化です。それまでも「人のやらないことをやろう」と、一生懸命やってきたんですが、「皆で考えよう」ではなかった感じがするのです。


◆ 今日の行動で明日が変わる、その積み重ねが差となる

 仕事だけでなく、若い頃から今までを振り返ると、非常に悩みのあった時代があるよな。それは何だと思います?そのほとんどは将来に対する不安なんだよな。ところが、明治時代に生まれ大正、昭和で活躍された中村天風さん著の本に巡り合い、そこから脱皮できたのです。毎日は何か行動するから変わっていくし、不安は、やったからではなく、やらないから生まれる。不安を描くと、その行動が楽しい行動にならないよな。その今日の行動で、明日が変わっていくのだから、不安に思っても何も変わらないことに、中村さんの生き方から気付かされたのです。

 人間って、いろいろな情報が頭の中に入るけど、寝ている間に整理して明日の準備をするらしいのですよ。例えば、「明日謝りに行かないと、怒られるな、辛いな」と思って寝ると、布団から出るのが嫌じゃないですか。反対に、明日は美味しいものを食べに行くと楽しみにして寝ると、翌朝寝てられなくなりますよね(笑)。明日辛いことも楽しいことも両方ある時、「美味しいものを食べたい」を優先して眠れば、朝起きるのが苦痛でないですよ。逆に、元気に起きると、早く謝りに行って美味しいものを食べに行こうとなる。するとストレスを感じなくなるし、プラス思考で行くと、よい方向へ物事も変わっていく。これって、人生を歩む中で、すごく大事ですよ。

 明日やることを如何に楽しくつなぐかも、昨日できなかったことをできるようにすることも、1日2日じゃ変わらないけども、それを意識して3日に1回やれば、年間で100回できるようになる。1年で100回だけど、2年で200回、3年で300回できれば、何もやらない人との差がすごく大きくなるよな。だから頭が良いとか優秀というのではなく、そういうことにトライし続けていくことが、大きな差として現れるのですよね。

 会社も同じだと思います。世の中の移り変わりにマッチしているかもあるけど、昨日までできなかったことをちょっとでもできるようにすると、差がつくわけじゃないですか。そういった行動の活力が、うちの会社にあるということ。やっていることは大したことないけど、その意味では、オンリーワンに少しは近づいていけるのかな、という感じはしますね。


◆ 「夢の実現 限り無い可能性」を看板に掲げる理由

 「経営指針発表会」では、「10年後に自分の職場や仕事はこうなっていたいな」を、皆で、約3ヶ月かけて話し合います。「こうなりたい」イメージがあってはじめて、明日やってみようと動くよね。そのビジョンが全く無ければ、昨日と同じでいいじゃない、となっちゃう。できるかどうかわからないけど、「こうありたいな」「こうなりたいな」を話し合おうよ、と。ですから会社の経営理念にも「夢の実現」を全面に出しているのです。

 先程も「仕事とは、世の中で生活する全ての人が、快適に人間らしく生活していくための役割分担」と話したけど、ひとつの会社ではそれを完結できない仕組みになっているのです。例えば、一見、うちの会社は三菱重工さんからご褒美を貰っていると思うけど、違うのです。三菱重工さんも、飛行機を納めるボーイングさんからご褒美を貰う。ボーイングさんだって、全日空さんに飛行機を収めてご褒美を貰う。全日空さんは、飛行機に乗った個人からご褒美を貰う。つまり、飛行機という快適に早く移動できる手段を提供することは、一社では完結できず、お客様であると同時に仲間でもあり、そのご褒美は全て、個人から出たものを皆で分けているのです。

 ですから、うちの会社で役割を考える時は、どの会社と一緒になって世の中にどんなことをすればご褒美を貰えるかまで、考えようとしています。それができなければ、今の時代、いくら一生懸命に働いても、世の中から評価されないことをやっては、会社として成長していかないと思います。一生懸命やって利益が上がらないということは、どこか努力の仕方が違い、世の中からご褒美が貰えないことを一生懸命やっているということだと思います。


社長が二十歳だった頃

◆ 色々経験させてもらったことに感謝

― 次に、齊藤さんが二十歳だった頃について、教えてください。

 何も考えてなかったよ(笑)。東海大学工学部だったんだけど、ほとんど勉強をしないで、遊んでばっかりだった(笑)。この会社に入る前は、別の秋田の会社に務めていたのだけど、正直そこで一生懸命勉強しました。三菱さんのブルドーザーやキャタピラの部品を作っていた会社で、私は最初、鋳造の設計をやってきたんです。当時はまだ景気の良い頃で、秋田の会社でも、中卒、高卒、短大、大卒含めて約30~40人の同時入社者がいて、勉強も一生懸命やったけど、彼らと一緒にワイワイ騒いだ感じだったな。

 30歳近くになって、輸出のこともあって、米国に一人で技術営業に行け、と言われたの。まだ1ドル=360円の固定為替相場制の頃ですよ。その時初めて海外の人と会って、細かな文化の違いはあるにしても、やっぱり人間、良いことと悪いことは同じなんだなって、痛切に感じた記憶があるね。同じ地域だけにいると、その中での比較だけども、世界に出ると、より色々なものが見えてくるじゃないですか。比較の上で初めて自分は何者かとわかるのが人間であって、比べるものがないとほとんどわかんないよね(笑)。

 今の子達のように、「あぁなりたいな」「こうなりたいな」ってこと、あまり思って仕事に就いた記憶が無いな。今の子達の方がすごいよな。俺等の頃なんか全然(笑)。ただ、付き合っていた会社に大手さんが多かったり海外に行かしてもらったり、色々な経験をさせてもらったことが、自分の人生で振り返ってよかったと思う。だから、何もわからない技術屋だけど、あまり怖気づかなくなるんだな。色々な状態に巡り合った方が良いのだと思いますよ。

 一人で海外に行くのも、最初は不安で不安で(笑)。だって初めてだもんねぇ。飛行機の隣に座った人が日本人みたいに見えたから、助かった!と思って話しかけたら、違うんだもの(笑)。本当に色々なことがありましたよ。若い時に色々なところに行かせてもらったことが、ひとつの財産かなぁ。二十歳の頃って、皆さんのように優秀じゃないですからね。色々経験させてもらったことに感謝しています。


◆ 三栄機械に入社後、赤字部門を黒字化

― その後、三栄機械さんに入社されたのですか?

 うちの会社は現会長の細矢育夫が創業した会社で、私が入社したのは1987年(41歳)、代表取締役社長に就任した年が2009年(63歳)で、私は二代目の社長です。私が入社した当時、3部門のうち機械加工が赤字だったのです。それを何とかしてくれよと、そこからの始まりでした。

― どうやって赤字を何とかしたのですか?

 まず、皆一生懸命に働いているけど、まわりの協力を得ながらという感じではなかったのです。職人さんの集団だから仕事を外に発注するのではなく、自分たちがやれる範囲で一生懸命やる。ところが当時、仕事は結構いっぱいありましたから、仕事をこなすために、社内でやることと外にお願いするものを分けた方がよいと考えました。そこで、社内で絶対やるのは設計と最後の組み立て、そのほかの部品づくりは外注しようと始めました。

 ところが、今まで外にお願いしたことのない小さな会社が頼んでも、忙しい時はなかなか引き受けてもらえないのです。それで困っちゃってね、どうしようと考えたんだけど。そういう会社を回って歩くと、独立希望の人が結構いることに気付いたのです。そういう人たちに「独立したら?私が仕事を出すし」と何社か独立させているのですよ。そこはうちの会社の仕事をやってくれます。そんなことをしながら処理できる仕事の量を増やしました。もうひとつは、仕事を取ってくる営業をしっかりやらなきゃと思い、技術営業もやりました。今は営業所があるから任せているけど、飛行機をやろう!と言った時も、私一人で名古屋に行ったり、随分とやりましたね。

 そのうち時代が変わり、3部門それぞれが順調に行かない時代に入りました。その中で、プラント部門が赤字になったりすると、たまたま機械加工部門を黒字にした関係で、そっちも一緒に見てよとなり、最後は全部門を見ないといけなくなっちゃって。各部門には親方がいて、それぞれ好きなことをやっていたのですが、共通ルールにするため導入したISOがよかったですね。仕事の仕方を統一して、お客さん第一で決めていこうというやり方ですからね。各部門がうまくいっている時は、敢えて統一する必要はないけれども、立ち行かなくなった時、それぞれ良い機能があるのだから、それを一体化してやれば色々なことをやれるんじゃないか、ということです。


我が社の環境自慢

― 続いて、貴社の環境自慢を教えてください。


◆ 仕事以外でも親睦を深めるために補助

 親睦会という組織があります。社員の皆さんで企画して、会社はお金を出すけど、口は出さない。色々なことがありますよ、お花見や忘年会もあるけど、ボート大会等の行事に参加したり。この他にも、月1くらいはお酒を飲みながら話し合うのがよいでしょうということで、職場懇談会を職場ごとに企画し、会社から一人あたり3,000円の補助を出しています。仕事も大事だけど、それ以外のものも、やっぱり大事だと思うからです。


◆ 「比内地鶏経営」だな

 さっきの話だけど、人って管理されると、力を出しにくいさ。変な表現だけど、秋田には比内地鶏というブランド鶏があるでしょう。比内地鶏は、管理した中で育てるのではなく、放し飼いで自由気ままにという育て方じゃないですか。その意味では「比内地鶏経営」だと思います(笑)。経営者がつくる庭の中で、皆が協力しながら、楽しく成長していく。管理されないで放されていると、鳥同士で役割分担って自然と決まってくると思うんです。その方が楽しいじゃないですか。


◆ チームとして成果を出す方向へ路線転換

 評価基準が一つしか無いと、利益を出すのに一番近い人だけが高く評価されて、他の人が浮かばれない。けれども、その人が活躍できるのも、例えば、掃除を物凄くできる人がいて、気持ちよく働けるから活躍できるわけで、それぞれが感謝できるようになると絶対幸せになるし、強い集団になると思います。ですから、ご褒美は個人ではなくグループで分けます。年の始めにグループごとに目標を立てて、その達成率でご褒美を決めています。実は以前、個人で成果を評価したこともありましたが、すぐに止めました。自分だけがよければよいとなりますし、まわりも協力しなくなるからです。


若者へのメッセージ

― 最後に、次世代を担う若者へのメッセージをお願いします。


◆ 「未完成」が好き

 「未完成」って言葉も好きだね。足りないところがいっぱいあると、ずっと思っていたら、どんどん成長できるし、完成したと思えば、やらなくていいわけだから。あとは素直さが大事で、言い訳したり人のせいにしたら、やんなくてもよいとなる。人の話を素直に聞いて、これが足りなかったのかなと思うと、何とかしようとなるから、素直さは大事だと思うね。


◆ 夢を描いて欲しい

 「こうなりたい」「こうしたい」という夢が先だと思うね。その夢無しには行動がついてこないから。仕事の本質は、自分が生活するための手段ではなく、皆が快適に生きるための役割分担だから、そのために自分は何ができるのか?を考えてください。未来の夢を描いて、ちょっとだけでも良いから楽しくできることを行動してもらえたらよいと思います。

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― 齊藤さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢

◆ ものづくりにチームで携わる実感。色々な経験が楽しい。
/入社1年目の佐藤哉元さん(29歳)

 群馬で就職した後、Uターンで地元の由利本荘市に戻ってきました。これまでのプログラマーとしてのスキルを活かし、地元で活躍している企業で働きたいと思い、三栄機械に就職して、入社1年目です。現在はうちの会社で設計した部品をつくるプログラミングを担当していますが、ものづくりに携わっている実感があります。机に座る仕事だけでなく、現場に行ってチームの仕事を手伝う中で色々な経験ができますし、コミュニケーションが活発な職場であるのもよいです。色々な人が色々な仕事をしており、誰に聞いても色々な話を聞けるのが楽しいです。


◆ 自由な雰囲気が自慢。自分で考えることがおもしろい。
/入社11年目の東海林光さん(31歳)

 地元の由利本荘市出身で、今年で入社11年目です。航空機を扱っていることに惹かれ、三栄機械に入社しました。3年前、機械加工部門から現在の設計部門に配属されました。扱う分野も自動機から航空機まで幅広く、色々な部署に携われるのが嬉しいです。我が社の環境自慢は自由な雰囲気です。自分で工程を組んで考えていけることがおもしろいですね。


【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探る Vol.02】革新的な液体容器を開発し次々とヒット商品を飛ばす研究開発型企業/悠心(新潟県)社長の二瀬克規さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探る Vol.02】革新的な液体容器を開発し次々とヒット商品を飛ばす研究開発型企業/悠心(新潟県)社長の二瀬克規さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2017年10月30日公開

人々に喜んでもらえる商品を創造し送り出すために、
一生懸命頑張れば、できないことはない。
技術も会社も、とにかく人ですよ。

株式会社悠心(新潟県三条市)
代表取締役社長 二瀬 克規  Katsunori FUTASE

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.02)
 新潟県三条市に本社を構える株式会社悠心(2007年設立、従業員18名、資本金1億4,310万円)は、革新的な液体容器とその製造システムの研究・開発を行い、次々とヒット商品を飛ばすベンチャー企業である。納豆のタレ袋でお馴染みの「アンプルカット」は同社が開発した液体包装容器で、従来品の使いにくさを解消し、開封しやすく注ぎやすい形状の新しい容器として業界の標準となる。さらに2009年には、開封後も内容物の鮮度を保つ新型液体容器「PID(パウチ イン ディスペンサー)」の開発に成功。PIDは同年8月にヤマサ醤油株式会社に採用され、「鮮度の一滴」の商品名で全国販売されヒット商品となる。「第4回ものづくり日本大賞 優秀賞」「2013年度 科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(開発部門)」等を受賞。そんなオンリーワン企業の悠心がオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役社長の二瀬克規さんに話を聞いた。


オンリーワン企業になるまでの軌跡

―はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。


◆ 人ができることはしない会社

 当社はオンリーワンだと思います。なぜならば、人ができるようなことはしない、という会社だからです。それはなぜか。人がやれることは、人にやってもらえばよい。反対に人がやっていて「困っている」「これは不可能だ」と言われると、技術屋としての"技術魂"がムラムラと燃え、「じゃあ、なんとかしてみよう」と考えるわけです。

 もちろん、会社を経営する以上、ビジネスをしなければなりません。ビジネスは経済活動ですから、難問題を解決するだけでは会社として成り立ちません。経営者として、ビジネスに乗るかどうかを即座に判断する必要があります。この時、現地点ではビジネスに乗らなくとも、従来のマーケットにプラスして潜在的なマーケットとしてあり得るか、未来志向も含めて判断します。もうひとつは、社会的意義を考え、お金にはならないかもしれないけど、これがうまくいけば皆がハッピーになる場合、やるという判断をします。そのような姿勢に役員も含めて社員は共感してくれているのではないでしょうか。

 ですから、我々の仕事はオンリーワンになると思います。人がやれる仕事はほとんどしないので、「こんなことはできないか?」「こんなことで困っている」と色々な方から相談を受けています。


◆ 大企業がリスクある中長期開発をできない今、むしろ中小企業に未来がある

 大企業は、そのようなリスクある中長期開発をできません。なぜならば投資対効果を計算するからです。はじめ仕事を受けるのは決定権のない立場の人ですから、上司の稟議書決裁が必要です。上司は必ず投資対効果を問いますが、未来のことなんてわからないわけです。ですから社員は絵に描いた餅を描かざるを得ないわけですが、それはサラリーマン人生を賭けることです。失敗すれば大企業は減点法ですからね。上司と部下は一蓮托生ですから誰も話に乗れず、リスクある仕事ができない、イコール、新しいチャレンジができないのです。

 特に上場企業である以上、経営者は株価を非常に気にします。実際、私は前職で上場企業役員を務めており、株価にぴりぴりしていました。すると中長期の成果よりも、足元の成果をどうつくるかにエネルギーを傾けざるを得ないのです。中長期投資は先行投資ですから、結果が出るのは5年、10年先の可能性があります。歳を取って役員になれば、その結果を見届ける前にお辞めになってしまう。そんな責任を持てない話に誰が乗れるでしょうか。だから大企業は、中長期で花咲く投資をできなくなったと私には見えるのです。大企業がリスクある中長期開発をできない今、むしろ中小企業の方に未来があると思っています。


◆ 会社とは、社員と取引先、最後に株主のためにある

 志のある若い人は、自己責任で自分の努力が通じるベンチャー企業や中小企業に入社し、頑張って自分が社長になればよいと思うのです。どんなに頑張っても、会社で一人しか社長になれませんから、大企業に入れば役員や社長になれる確率は極めて低いわけで、自分がその会社に影響をもたらすことで喜びを感じる機会はほとんどないでしょう。減点法ですから、転けたら終わりです。それよりも中小企業に入って大いに暴れまくり(笑)、評価され役員になればよいのです。あわよくば自分で会社を上場させればよい。私はそうやって前職の会社で役員になった人間です。実際にやった人間が言うのだから、恐らく間違いないでしょう。

 企業は何のためにあるのか。私は一貫して社員とお取引先、最後に株主だと考えています。上場企業の場合、「株主のため」と答えなければいけませんが、会社が成長するための再投資金も残らないほど株主に配当し、「配当性向が高いから我が社は立派です」という会社には未来がないですよ。我が社の事業を一生懸命伸ばしていこうというよい社員が集まってこそ、よい仕事ができ、よいお取引先のもとに業績が上がり、その結果が株主に還元されるという順番が、筋から言えばスタンダードな考え方だと思うのです。

 私は今年68歳で、34歳からずっと役員をやってきましたから、サラリーマン人生よりも経営者人生の方が長いのです。まだ道半ばではありますが、そのような結論に至ってきたと感じています。


社長が二十歳だった頃

― 次に、二瀬さんが二十歳だった頃について教えてください。


◆ 1万分の1の影響力なんて、つまらない

 二十歳の頃なんて何も考えていませんでした。ただひたすら、どうしたら勉強をしないで遊び歩けるかばかり考えていました(笑)。父親が官僚だったので、官僚になるのは嫌で、工学部に入りました。勉強嫌いだったので、大学の授業もろくに受けず、本能の赴くままに遊び回っていました。具体的なことは言えません(笑)。ただ、そのための努力はしました。例えば、車が欲しいと思えば土木作業員のアルバイトをしたり。商売をしたいと思ったので、資金を貯めるため、もっと稼げる鳶のアルバイトをしたこともあります。

 とりあえず大学を卒業しましたが、普通の大手企業には入りたくありませんでした。当時(1977年)は求人難で、ましてや工学部でしたので、大学の先生の推薦状ひとつでどんな企業にも就職できる時代でした。けれども大きな会社に入れば、所詮コマのひとつになっちゃうわけです。例えば、1万人の会社に入れば、1万分の1にしかならない。そんなの、つまらないでしょう。

 であれば、20人の小さな会社に入れば、自分の存在感は最初から20分の1あるわけです。確かに小さな会社だから倒産するかもしれないし、未来がないかもしれない。でも自分がその会社を選んで入ったわけだから、自分がその会社を大きくすればよいわけでね。自分の努力次第で早く偉くなって、立派な会社にするチャンスが与えられるかもしれない。20分の1ですから。

 ですから前職では、従業員18人、季節労働者を入れても27人の、今の会社より小さな、名も知られていない零細企業を選びました。


◆ 零細企業を東証1部上場企業へ成長させる

 こう言っちゃ悪いけど、会社の体をなしていないような本当にひどい会社でした。逆に、この程度なら、将来は色々なチャンスが与えられるだろうと思っていました。そうしたら、その通りになりました。34歳で役員になり、役員になると色々なことをやれるので、会社を立派にするため製造部長になって、会社を盛りたてるようなことを色々したのです。

 その中で大事なのは、基礎研究なしに明日はないと思い、小さな会社ながらも研究部門をつくったことでした。大手企業と競争する中、独自の商品をつくり上げるためには、やはり基礎からやるべきと感じたからです。そして、他社とは異なるアプローチを世の中に出していったら、それが付加価値となって評価され、それなりの会社になり、東証2部に上場し、最終的には1部に上場しました。1部上場したら「会社は誰のもの?」「株主のものだ」と言われ、そのために私は働いたわけではないと思い、ここに悠心というオーナー企業を設立したわけです。


◆ 圧倒的な競争力を持つ商品は基礎研究から生まれる

 前職の会社で、基礎研究によって圧倒的な競争力を有する技術と商品が次々と生まれることをよく知っていましたので、悠心は基礎研究からきちんと積み上げていく企画開発型の会社です。新しいことをやる時も、市販のものを集めて組み合わせることはやりません。人のできることはしないのです。

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【写真】PIDが採用されたヤマサ醤油株式会社の「鮮度の一滴」。

 当社の主力製品は、PID(パウチ イン ディスペンサー)という次世代型液体容器とPID自動充填機システムです。PIDは独自開発の逆止機能により開封後繰り返し注いでも空気が入りにくく、鮮度を保つことができます。PID自動充填機システムも、自社開発しています。材料や機械のみならず、例えば、品質管理の検査に必要な画像処理ソフトも、メーカーの商品を買ってアッセンブルする(組み上げる)のではなく自社開発しています。また、性能試験を行うために、無菌室を設けて微生物の培養もしています。その他にも新しい柱として、工業用途で包装技術を巧みに使う新たな技術を現在開発中で、もう少しで商品になるところです。

 「今こういうものがあるから、これを利用して何かできないかな」という考え方ではなく、「こんなスペックのものがないかな」と世界中を探して歩く会社です。必要なものがわかっている、ここが大事です。必要なものがわかっていて総合的につくり上げられたシステムと、今あるものをうまく利用してつくられたシステムとでは、最終的な性能差が際立って違うからで、そこを狙っていくのです。

 それも無謀なくらい大変ですが、実は、基礎的なことがきちんと理解されていれば、探すこともそんなに難しくないですよ。その分野の専門家がうちには何人もいるのです。100回くらい同じようなことを言っていれば、人間、できるようになるものです。

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【写真】社員と活発にコミュニケーションをとる二瀬さんの姿を取材中何度も見ることができた。

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【写真】微生物管理設備。このほかにもレーザー顕微鏡や電子顕微鏡など研究・開発に必要な設備が整えられていた。


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【写真】液体容器の外袋を生産するための自社開発の装置。

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【写真】液体容器の内袋を生産するための自社開発の装置。


― 納豆のタレ袋でお馴染みの、業界標準になった「アンプルカット」についてはいかがですか?

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【写真】納豆のタレ袋等に採用されている「アンプルカット」。手で簡単に切れて、中の液が袋に付かず、狙ったところにかけやすい。

 前職の会社で、個人で半分特許を持っています。珍しいんですよ、交渉上手ですからね(笑)。重要なユニットは当社が持っていますが、争うのも嫌なので前職の会社で製造しています。開発動機は、おばあちゃんが「納豆のタレ袋をハサミで切って使っている」と聞いて、手で切れたらよいと思ったから。動機は社会のためなのです。

― 一見すると難しそうなことができる前提とは何でしょうか?


◆ 技術は人

 経済的に考えれば、要は、開発時に投入したものがどれくらいでリターンできるかを単位時間あたりで計算し、短時間で勝負をつけた方がよいわけです。では時間をどのようにして短くするかというと、やはり誰がやるかでほとんど決まりますよね。例えば、センスのある人がやれば1週間でできることを、センスがない人がやれば1年かかってもできない場合があります。基礎研究だって、ほとんどが着眼点です。残すは汗をかく努力ですが、それも解がわかっていれば、まっすぐ進めます。解がわかっていないと、いくつもの経路を迷路のように辿って答えが出ないのです。

 つまり誰を選ぶか。特に技術は、人ですよ。突出した人間ならば1対1万人でも戦える。それが技術の世界です。答えがわかっている人間にとっては、そんなに難しくないのです。私以外に大勢そういう人がいるので、誰が適任かを選べばよいのです。社内だけでなく外も含めて世界中の人から選ぶ。あとは情熱を傾けて説得するだけです。「何とかお願い、手伝って!」と(笑)。目的が単なるお金儲けじゃなく、世の中のために役立たせたいという志で接すれば、多くの人がOKを出してくれます。

 人類のために役立たせたいという志、野心が大事だと思います。野心が人を成長させるし、野心がないと成長しません。年を取って、野心が無くなったら駄目です。私は諦めるのは嫌だし、しぶといのですよ。それで後は何とかなるだろうというところがあります。一生は一回しか無いですから、思う存分やることがあるのです。


◆ 打ちのめされ鍛えられ、強くなっていく

 会社に入ってから、ちゃんとしなきゃと思ったのです。今考えれば情けない話だけど、自主的に勉強したくて大学に入ったわけではないのです。今年94歳になる父親は戦争に行った人で、大学に行きたくても行けなかった人だから、「せめてお前だけは大学に行きなさい」と言われて、行ったようなものだから。

 私も長いこと生きてきてわかったことは、本当に必要なことは人間、一生懸命頑張りますよ。必要なこととは、自分が興味を持ったことや、「こういうことをやってみたい」「こんなことができたらいいな」と思うこと。それを感じることができれば、それが目的になって、一生懸命頑張ります。

 例えば、前職の会社で「基礎研究なしに明日はない」と思い、基礎研究を物理から考えるようになりました。そうしているうちに「論文にまとめなさい」と言う先輩がいて、論文を書くうちに「学会で発表しなさい」と助言する人がいて学会で発表しました。そして「沢山発表したのだから、投稿論文にしなさい」と言われ、形に残すのが大事と思い論文にしたら、リジェクト(不採択)されたのです。査読者からは一般性がないから基礎研究と言えないし、分野の技術資料として残したらどうかと、それとなく言われました。

 すごく悔しいでしょう?こっちは基礎研究で一般性があると思って一生懸命やっているのに。人間、悔しいと思うから頑張るわけで、頑張れば、それだけの成果が出るわけです。その結果、何本かの論文が採択されました。すると私を可愛がってくださっていた先生が、論文博士で審査をしてくださることになり博士号を取得できました。人間、打ちのめされて、強くなるものです。

 企業も同じで、打ちのめされて鍛えられて強くなっていきます。まさにベンチャー企業はその渦中にいます。人生、楽して得られるものなどひとつもなく、一生懸命頑張っているうちに身につくものです。

 その代わり、実力はつきますよ。だって遠回りですから、人の何倍も努力する必要があるから、自信がつくのです。それがうちの会社の技術的背景になっていると思います。だから、「できないことはない」と思っていますよ。自分ができなければ、できる人を探して教えを請いますから。その人のつながりは、いっぱいあります。逆に、その謙虚さが人を育てると思うのです。そんな人生を生きていれば、得られるものは大きいと思います。全部が全部、完璧でないですから。死ぬまで勉強ですよ。

 会社もそうですが、人のために何かの役に立てることは素晴らしいことで、結局それが、自分に返ってくるものなのです。ですから、もし自分が幸せになりたければ、まわりの人が幸せになることを一生懸命努力することで、最終的には、自分にも戻ってくると思います。ですから、どんな人にも存在意義ってあると思うんです。それがちゃんと見つかれば、人のために役に立てて、自分もハッピーになれる人生を歩んでいけると思います。


◆ 中学生の頃は「不良」と言われ

 私、二十歳より前の中学生の頃は「不良」と言われていたのです。なぜかというと、先生の言うことを聞かなかったから。なぜ先生の言うことを聞かなかったかというと、先生たちは矛盾することをいっぱい言うので、「おかしい」と反発していたのですね。すると先生方からすれば、「あいつは言うことを聞かないから不良だ」となるのです。「不良」とレッテルを貼られると、ますます不良になっちゃうものでね(笑)。反骨精神といいますか。子どもの頃から、そんな子だったのでしょう。

 勉強ができなかったわけではないのですよ。ちょちょっとやれば、できたのですけど(笑)。けれども、興味がなかったんですよね。興味があることは一生懸命やっていましたよ。何をやっていたかというと、記憶が無いんですよね。とにかく自分が好きなことを、本能の赴くままにやっていたのでしょう。

 私が若かった頃は、自由な、希望を持てる時代でしたからね。団塊の世代のど真ん中ですから、戦後の日本の黎明期をずっと見てきました。今日より明日がよいと信じられる時代で、事実そうなってきたのです。今の若い人は可哀想ですよ。今日より明日がよくなるとは思えないでしょう。だったら、自分でよくすればいい。大人になったら何かのせいにしては駄目。自分で自分の人生を切り拓いていかないとね。

 多分、子どもの頃からずっと変わっていないと思います。変えたくないのかもしれません。正しいと思っている自分の正義みたいなものが子どもの頃からあって、今でもその正義は変わっていないのでしょうね。例えば、人が幸せになる嘘はよいけど、人を困らせるような悪い嘘はつかないとか。そういうのはありますよね。

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【写真】インタビュー中も機械部品の加工をあっという間にこなす二瀬さん


我が社の環境自慢

― 続いて、貴社の環境自慢をいくつか教えてください。


◆ 定年退職がない

 当社を設立して2年目の2008年、定年退職制をなくしました。日本人の平均寿命は年々延びており、男性で81歳、女性で87歳です。国民年金が始まった1961年当時は、男性の平均寿命が65歳、女性が70歳でしたから、年金を貰い始めて数年でお亡くなりになるため、定年退職は60歳で問題なかったのです。ところが現在は、60歳で定年退職されると、残り20年以上も国が補助しなければいけない。そんなことは絶対に成立しない無理な話ですから、これからは長く働く時代になるでしょう。ですから、うちの会社では75歳くらいまではできたら頑張って皆で働こうと話しています。その代わり定年退職制をなくそうと。ただ単に会社にいればよいわけではないですよ。会社のためにプラスになる仕事をしてもらうことが大前提です。


◆ 大手企業OBや大学教員等が若手に勉強会

 年齢を重ねた方の知恵は決して無駄にならず、プラスになることが多いです。それを若い世代に伝えるためにはどうするか。若い人たちと接触するチャンスが大事です。では、そのチャンスをつくるにはどうすればよいか。社外にも、高度な技術や知見を有する方たちは、定年退職してたくさんおられます。そういう人たちを連れてきて、顧問にしています。月1~2回ずつ来ていただき、就業時間内に勉強会を開いていただいています。会社としては忙しいから辛いけど(笑)、先生方の知識や経験を若い社員に吸収してもらうためです。

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【写真】「梅崎塾」講座のようす。取材日のテーマは「基礎から学ぶ機械工学」で材料力学の基礎が指導されていた。

 ちょうど本日、私の友人である日本工業大学の梅崎栄作教授が勉強会を開催中です。その他にも、東証1部上場企業で技術本部長や役員を務めていた方々から、開発の手伝いや経営のアドバイス等をしていただいています。その方たちは、お金じゃないんですよ。自分の経験や知恵等を若い世代へ伝承したい気持ちが非常に強いので、そこに甘えて、やっていただいている会社です。ですから、お金がかからないですよ。そういう方たちは皆お金持ちですから。交通費と月固定で数万円、当日は謝礼1万円を差し上げる。あとは飯付・温泉付で私とお話をする(笑)ということをずっと何年もやっています。

 感謝の環境ですが、求人すると、若くて優秀な人材がたくさん来てくれて、申し訳ないのですが、選ばせてもらっています。博士号取得者が3人、修士号取得者も5人いる技術屋の集団で、和気あいあいとやっていますよ。


若者へのメッセージ

― 最後に、これまでのお話を踏まえ、若者へのメッセージをお願いします。


◆ 一生懸命打ち込んだことが報われる経験を

 自分が一生懸命打ち込めることを、若いうちにできるだけ早く探した方がよいです。その達成感を感じた時、自分が成長していく過程の中で何をすべきかが見えてくると思います。些細なことでよいですが、一生懸命打ち込んだことが報われる経験をしていくことが大事で、それがやり抜く勇気につながります。途中で諦めないことです。

 「難しい」と思うことや悩みもたくさんあるとは思いますが、いざ行動を始めてしまえば、そんなに難しいことは世の中にないと思います。行動する前にあれこれ悩んで考えるから答えが見つからないのであって、一生懸命行動するうちに答えが近づいてきます。ですから、行動する前からできない言い訳をするのはよくないです。やれる方法を考えた方がよい。

 やるために必要なお金や時間を会社で差し上げるわけだから、どんどんやってください。うちの会社では、一生懸命やって失敗しても減点はつきません。何もやらないで結果が出なければ、ずけずけと言われます。

 果敢に前向きなことをやる力のある人は、場合によっては、失敗しないようフォローして導きますし、結果として失敗するようなことにはならないです。見えない力でやりますから(笑)。そのうち勘違いして、自分の実力になっていくものですよ。

 とにかく、人ですよ。

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― 二瀬さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢


◆ 経営者や各部署と活発に意見交換できるよい会社
/井口大亮さん(37歳、大阪府出身)

 北海道大学で流体力学を専攻し、博士号を取得しました。二瀬社長が日本実験力学会の副会長を務めていた時、私の研究を見に来てくれたことがきっかけで入社し、今年で入社10年目です。会社の規模が小さいので経営者や別の部署との距離が近く意見をストレートに言える、よい会社だと思っています。


◆ 材料と機械どちらもつくれることが強み
/取締役の本間克美さん(61歳、新潟県出身)

 当社の強みは、材料と機械どちらもつくれることです。一般的なフィルムメーカーでは機械をつくれないので、例えば「ちょっとフィルムの角を取りたいのだけど」と仕様が変更になった時、機械メーカーに外注します。機械メーカーはそれを忠実に再現しようとするので、機械も複雑になるし、価格も高額になり、稟議にかけなければいけません。当社では材料と機械の両方ができるので、お互いにキャッチボールしながらブラッシュアップできます。さらに商品としても、お客様にロール状フィルムと、そのフィルムを液体容器に加工して充填する機械のふたつを供給できます。例えるならば、プリンターとトナーの両方を売るビジネスモデルと同じですね。普通の材料屋さんにはできないことができるのです。

 創業者4名のうち、社長が材料系、役員3名が機械系だったことが、その始まりでした。もともと社長のいた会社が食品用フィルムを製造する会社で、我々がいた会社から液体充填包装機を買い、お客さんにフィルムと機械を納めるビジネスをしていました。我々3人が会社を辞めた時、社長も会社を辞めたので、4人で会社をつくることになったのです。この新潟県三条市に会社を設立した理由は簡単で、創業者4人のうち3人が新潟県出身で、うち2名が三条市出身だからです。社長だけが埼玉県出身で、今も旅館に泊まりながら埼玉から通勤していますよ。

【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探る Vol.03】0.001mmにまでこだわった超精密加工技術で、他社には真似できない特注部品を国内外へ供給/プレファクト(山形県)社長の白田良晴さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探る Vol.03】0.001mmにまでこだわった超精密加工技術で、他社には真似できない特注部品を国内外へ供給/プレファクト(山形県)社長の白田良晴さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2017年11月9日公開

世界に誇る超精密加工技術を追求すべく、
外観も中身も進化し続けなければいけない。

プレファクト株式会社(山形県東根市)
代表取締役 白田 良晴 Yoshiharu SHIRATA

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.03)
 山形県東根市に本社を構えるプレファクト株式会社(従業員30名、資本金4,000万円)は、半導体製造装置や工場の工作機械など、まっすぐ動く機械の稼動に不可欠な部品である「直線運動軸受」の特注品を主に製造するメーカーである。平面・平行・直角度0.001mmの製品づくりにこだわり、超精密加工分野で高付加価値の製品を製造している。また、東北大学の堀切川一男教授との共同研究のもと、軽く、硬く、耐摩耗性に優れ、摩擦係数が低い性質を持つRBセラミックス(米ぬかの炭素を焼き固めた炭素材料)を活用し、世界初の潤滑油を必要としない直線運動軸受を開発。RBセラミックスを活用した無潤滑直線運動軸受は、世界の一流軸受メーカーを押さえ、国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡の装置に採用された。さらに、直線運動軸受で摩擦を減少させるノウハウを活かし、1998年の長野オリンピックからボブスレー日本代表チームに低摩擦のランナー(ボブスレー刃)を提供している。そんなオンリーワン企業のプレファクトがオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役の白田良晴さん(Ph.D)に話を聞いた。


オンリーワン企業になるまでの軌跡

◆ 大手企業の隙間で敢えて特注部品を製造

― はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。

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直線運動軸受(クロスローラーガイド)。直線運動軸受は、自動車や半導体を製造するロボット等、まっすぐ動く動作に必ず使われている機械部品。機械の内部にあるため普段の生活で見ることはほとんどないが、わかり易い例としてはUFOキャッチャーの動きをイメージするとよい。

 機械の動きには、回転運動と直線運動の2種類があります。例えば自動車のタイヤが回転するような回転の動きは「軸受(ベアリング)」(ものを動かす時に発生する摩擦を軽減するための機械部品で、機械のあらゆる運動に欠かせないため、全ての機械の中に組み込まれている)という部品が支えており、xyz空間で動くような直線の動きは「直線運動軸受」という部品が支えています。直線運動軸受には、直線運動軸受業界があり、標準品をつくっています。しかし中には「標準品では満足しない。形や材質が違うものや、もっと精密なものが欲しい」という変わった方が必ずいるわけです。その変わっている方をお客様にしているのが当社です。

 標準品は量産されますから、生産ラインを一度つくってしまえば、効率よくつくることができます。一方で当社は、直線運動軸受業界に大手企業がいるところの隙間にいて、特注品を製造する会社です。特注品をひとつひとつお客様の要望に応えてつくるのは容易なことではないですし、数も多くないので儲からないです。スケールメリットがありません。そこで敢えて特注品をやろう、というのが当社です。ですから、同じ業界内にライバルは非常に少ない特徴があります。

 そんな変わっていることをやっていますと、「国立天文台ハワイ観測所のすばる望遠鏡で、マイナス196℃の条件下で使える軸受がほしい」「オリンピックの日本代表チームで使う、ボススレー競技のソリの刃が欲しい」といった話題性のある製品に携わることも時々あり、大きく取り上げていただく、ということです。

― 「容易ではないし、儲からないから、大手企業がやろうとしない」特注品を敢えてやろうという理由は何ですか?

 大手企業とは資本力が違いますから、同じ土俵で中小企業が競争してはいけないと思います。大手企業には大手企業の競争があり、我々は競争がないところで生きた方がよいと、差別化を図っているのです。


◆ ニッチ領域で生産技術を究める

― 他社との差別化を図れる、その秘訣とは何でしょうか?

 ものづくりには、「開発技術」の他に「生産技術」があります。生産技術は、その会社のノウハウと言われるものです。

 例えば、「鉄は変化しない」と思われるかもしれませんが、熱変化を起こします。温度が1℃ 上昇すると1メートルで10マイクロメートル、つまり100分の1ミリメートル狂うのです。それを1,000分の5ミリメートル位内の狂いでつくることは、普通は難しいですが、それを生産技術のノウハウでつくるのです。

 もちろん熟練作業員の技術力もありますが、それでは熟練者がいなければ、ものづくりができなくなってしまいます。「なぜそうなるのか」をきちんと理論的に分解し、説明できるようになっていることが大切です。

 その生産技術を研究するわけですね。その非常に細く深く、彫り込んでいった、ニッチな領域の知識やデータ、考え方に関しては、他に負けないところがあると思います。

 すばる望遠鏡の例も、「マイナス196℃まで冷却した条件で、1,000分の1ミリメートル以下の高い精度で調整できる軸受」は世の中に存在しないわけですね。そんな中、きちんと動くかは実際に試してみなければわかりません。世界中の様々な大手軸受メーカーの製品が動かなかった中、たまたま当社のものだけが動いた、その結果です。

 ボブスレーのランナーに関しては、東北大学の堀切川一男教授との共同研究ですので、当社単独では実現できなかったものです。ただ、東北大学の研究成果に基づき、ものに忠実に転写し、ものづくりができるかは、また別の話です。それが生産技術なのです。


◆ 下請けから脱し、客の方から来てくれる会社にならなければいけない

― ニッチ領域で生産技術を究めた結果が、今日のオンリーワン企業という立ち位置をつくっているのですね。次に、貴社がオンリーワン企業になるまでの軌跡を教えてください。

 「プレファクト株式会社」以前に「株式会社白田製作所」という会社がありました。それは私の父が設立した会社で、大手企業の下請けをしていたのです。途中までは順調でしたが、元請けの大手企業が傾き、そのまま白田製作所は傾いてしまいました。その会社は私が整理し、今のプレファクトという新しい会社をつくったのです。

 下請けは、自分で営業努力をせずとも仕事はもらえるものの、元請けから言われた値段、言われた量、言われた納期になってしまいます。それではあまり儲からないし、非常に尽くすのですが、元請けの調子が悪くなると切られてしまう、下請けの悲しさがあるわけです。そういうことをしていたのでは、やはり将来がないのではないか。であれば下請けではなく、自分たちの力で、お客様の方から「これをつくってください」と来てくれるような会社にならないといけない。その時、そう思ったわけです。

 そこで、直線運動軸受業界の中でも、皆さんが困っているものを専門に受注できるよう、「何か困っていることはありませんか?」という営業スタイルで展開し、それがだんだん口コミで、「あそこに頼めば何とかなるのではないか」と広がっていきました。それが今では、特注品に関しては、こちらから営業しなくとも、全国のお客様の方から仕事が来る状態になっています。

― その状態に至るまでには、様々な困難や試行錯誤があったとお察しします。

 もちろん、つくってはつくり直しの試行錯誤がありました。それに、父の会社を整理して、プレファクトをつくった時も、例えば「会社を畳んだことがある人には、ものは売れません。現金引換え、もしくは、前払いじゃないと」と言われたことがあります。営業に行っても、「おたくの会社とは、付き合いたくない」と言うようなところが多かったわけです。当然、銀行もそうですよね。

 であれば、「この部品がどうしても欲しい。この部品は、あそこの会社にしかつくれない。どうしてもこの会社から買わないと、うちの会社はやっていけない」という会社にならなければいけなかったわけです。要するに、他の企業ができない難しいものですから、自分で見積りが出せて、適正な利益をつけることができます。すると利益が出るものですから、設備投資もできるし、社員にも還元できる。そうやってよい方向へいくようにしたわけですね。


◆ 特注部品の生産技術に特化した理由

― 信用もお金もない状態で、どのようにしてよい方向まで持っていったのでしょうか?

 まずはどんな難しい仕事でも、その月内の必達完成です。月内に完成させないと、翌月資金回収ができません。そうなると次の月に資金が詰まりますから、真剣さ、必死さとプレッシャーが違います。それと、資本がないわけです。地元銀行からは「銀行取引停止」処分にはなっていませんでしたが預金すら断られましたからね。ですから、銀行に頼らなくとも、経営できる体制をつくる必要がありました。ということで、付加価値があるもの、利益があるもの、それは、どこもやりたがらない難しいものである必要があるわけですね。それをやるためには、先程もお話した通り、色々な試行錯誤の生産技術の研究が必要なわけです。

 そこで、なぜ生産技術に絞ったかと言うと、部品づくりには開発技術が伴わないからです。開発をしていると、設計してものづくりをして、実験して...とやっているうちに、1年以上が経ってしまいます。けれども、そんなお金はありませんでした。一方、生産技術であれば、お客様から依頼を受ける部品を作れば、約1ヶ月で完成してお客様に納品できます。すると翌月には現金で回収でき、会社的には資金がまわるわけです。1ヶ月で資金をまわしていくために、そのようにする必要があったわけですね。

 また、バブル崩壊時、「日本経済は非常に大きなダメージを受けたが、そんな状況でも、海外の企業は日本の技術で欲しいものがある。それは日本にしかつくれない高性能な機械や部品だ」という話を聞き、実際にそれを裏付ける貿易統計がありました。我々には高性能な機械をつくる資本力はありませんでしたが、高性能の部品ならば短期間でお金がまわる。それなら、これから高性能の部品をつくることをやっていけばよい。そう思ったわけです。

 つまり、資金的に十分ではなかったので、その十分ではない資金でまわしていくためには、どうしたらいいかを考えたわけですね。利幅が薄いものをやっていたのでは、資金はまわらないですから。

 今でも当社の取引銀行に地元銀行はなく全て他県の銀行です。メインバンクは七十七銀行(仙台)と商工組合中央金庫(東京)で、地元銀行からの資金的調達はありません。それは地元から相手にされていなかったからなのですね。

 しかし、今ではこれが逆に信用となりました。七十七銀行殿がメインバンクであり、七十七キャピタルが株式の50%を持つ企業で「東北最大の銀行が後押しする企業」とイメージがついているようですね。また商工中金殿とは、日本の中小企業300社に選定された時からの縁となります。


◆ よい仕事をして、よい収入を得て、よい暮らしをしよう

― 逆境の中、これまで踏ん張ってこられたのですね。

 私は、苦労しているとは思っていないですよ。地元の金融機関が動いてくれないことより、会社をまわすことが一番でした。

 当社では、「Quality WIL」という経営方針を掲げています。「Quality WIL」とは、「Work:高品質で細部に魂が宿る仕事。難しい仕事だが、無駄がない。Income:quality workが認められ、お客様から評価された収入。Life:quality work とquality income に支えられた生活」という意味です。よい仕事をするにはどうすればよいか。そこから先に考えました。よい仕事ができれば、皆よい収入を得られて、よい暮らしができるようになるでしょう。

 そのためにはやるべきことはきちんと厳しくやらなければいけないので、付いてこられずに辞めていった人はこれまで多くいますよ。実現できているかどうかは別にして、ただ、その理想は持っているのです。

 運のよさもあったでしょう。私の理想を支えてくれる社員が付いて来てくれたのもそうですし、時の運もありました。例えば、非常に苦しんだ会社立ち上げ時期に、第一次半導体ブームが到来し、半導体をつくる製造装置が大量に必要でした。当社にしかできない特注品の部品がたくさんあり、大量に注文をいただき、非常に助かったことがありました。


◆ 「よい仕事」の基準は、常にお客様目線

― 「よい仕事」の「良い・悪い」の基準は、社員の皆さんにどのように示していますか?

 「良い・悪い」の軸はぶれないようにしています。一言で言えば、お客様から見てどうかが基準ですね。客先から見て、褒められることか・そうでないか、ということです。この人に仕事を頼んでも大丈夫か?と思われないことでなければいけません。社長の私ではなく、お客様の目が基準なのです。

 例えば、の話ですよ。当社は仕事中のたばこは禁止ですが、工場の中でたばこを吸いながら仕事をしている人がいたら、お客様はその会社に仕事を頼みたいと思うだろうか?工場の現場が汚い中で仕事をしている会社に、お客様は仕事を頼みたいと思うだろうか?見た目がだらし無い格好をしている人に、お客様は仕事を頼みたいと思うだろうか?そのような基準になると思います。


◆ 精密機械で世界トップのスイスをモデルとした綺麗な工場

― 部品という最終的な商品だけでなく、工場の中や服装なども含めて、お客様が見たら、という視点なのですね。私も本日、貴社の工場やユニフォームを拝見して、一見すると工場には見えない、可愛らしい色使いやデザインに驚きました。

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プレファクト工場外観

 精密機械に強いスイスのように、世界に誇る精密技術に追いつけ追い越せという理想があるのです。スイスには付加価値の高い製品をつくる企業が多いですから、工場の外観も中身も綺麗です。そのスイスをイメージして、実は、建物としては築50年と古いのですが、約12年かけてリフォームしました。色を塗って少しずつ新しくしているのですよ。古い建物に見えないでしょう?ここは、雰囲気もスイスのように山に囲まれ、緑豊かです。以前、スイス人の方が当社に来た時、「ここは本当にスイスみたいだ」と話していました。

― 様々な面で「こうありたい」という理想を具現化されながら、今に至るのですね。

 そうですね。色々な「こうしたいな」ということは実践しています。「まずはイメージして、熱く思え、そうすれば実現する」と私の尊敬するアイジー工業株式会社の創業者、故石川堯氏からいただいた言葉のとおり行っています。


社長が二十歳だった頃

◆ 世界を相手にするビジネスマンになりたかった

― 次に、白田さんが二十歳だった頃について、教えてください。

 私が二十歳だったのは今から約35年前ですが、当時は、松下幸之助さん(パナソニック創業者)や本田宗一郎さん(ホンダ創業者)、井深大さんや盛田昭夫さん(ソニー創業者)ら有名な実業家たちが第一線で活躍していた時代でした。そんな人たちをロールモデルとして見ていて、「俺も頑張れば、あんな風になれるのではないか」と本気で思っていました。

 当時のドル対日本円の為替レートは1ドル=約220~230円。世界に対して日本製品は価格優位性があり、日本のビジネスマンは世界を駆け巡ってメイド・イン・ジャパンを売り歩いていた時代でした。ですから自分も世界を相手にするビジネスマンになりたいと思っていましたね。

― 二十歳の頃の理想と現在を比べて如何ですか?

 私は商社マンではないので、仕入れで世界中を駆け巡ることはしていませんが、海外企業の材料や機械を仕入れる取引はありますね。当社の機械の半分は海外製です。日本の製造業で、日本製ではなく海外製の機械が多い企業は珍しいと思います。あるいは、当社の製品は客先の機械に組み込まれて半分以上が輸出され、円安・円高の影響を受けますから、世界という意味ではつながっているかもしれません。

― 貴社の機械に海外製が多い理由は何ですか?

 よいものは世界から求めたいと思っています。日本製が悪いかと言えばそうでないこともあるでしょうが、精密機械と言えば、世界トップはスイスとドイツでしょう。私は最初、精密機械の世界トップであるスイスの企業と契約したいと強く願っており、そのおかげで世界最先端精密機器スイス企業と第一号のビジネスの契約を結ぶことができました。海外に昔から憧れていたこともあり、取引したいと願っていたから、海外メーカーから声がかかったこともあったのではないでしょうか。


我が社の環境自慢

― 続いて、貴社の環境自慢をいくつか教えてください。


◆ 綺麗な工場「ショールームファクトリー」

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プレファクト工場内部のようす

 一般的に工場は「3K(きつい、汚い、危険)」と言われていますが、お客様が工場に入った時、「これはよい工場だ」と思っていただけるよう、空気が綺麗で、ショールーム的な工場にしたいですね。よく当社の工場は「綺麗だ」と言われますが、まだまだ満足はしていません。外観のみならず、工場の中もさらに綺麗にしたいです。社員にとっても、綺麗な工場で働く喜びと、他の誰にも真似できない仕事をしている誇りが大切だと思います。よい環境でこそよい仕事ができます。このショールームファクトリー構想は当社の根底にあるもので、常にどこかを変えていかなければいけません。

― 「常にどこかを変えていかなければいけない」という想いは、工場の他にも、色々な面で根底にあるものですか?

 常に変わらなければいけないと考えているのは、客先、工場外観、工場内、会社の様々なシステム、この4つです。客先も、いつも同じお客様に頼ってはいけないし、新しく開拓していかなければなりません。工場外観だって、「これでよい」と思えば、すぐ汚くなってしまいます。綺麗を保つためには、常にどこかを変えることをしなければいけません。工場の設備も、今のままだけでなく、将来的にどうすればよいかを常に考えなければいけません。社内の様々なシステムも、会社とは結局、人間の集まりですから、人事交換システム、受注から出荷までのシステム、モノの流れのシステム、品質保証のシステム等々、やらなければいけないことはいっぱいあるのです。

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社内の至る所に貼られていた経営方針

 経営方針も基本的な骨組みは変わりませんが、テーマは毎年変わります。例えば、今年の方針は「個人スキルの向上」「グループスキルの向上」「環境スキルの向上」「完全週休2日制」です。現在も週40時間の週休二日制ではありますが、祭日や連休、年末年始の休暇を取得した他にも、きちんと休めるようにしようと掲げています。グループスキルは課や部ごとにテーマを設定します。環境スキルは働きやすい職場を目指し、「空気爽やか工場」と「なんでも見える化」がテーマです。「AKB活動」とは、明るく快適ビューティフルな活動」の略で、決してミニスカートを履こうという活動ではないですよ(笑)。


◆ 会社の数字は社員にオープン

 会社の数字は、社員に対してオープンです。昨日の売上と利益は、翌朝にはわかるようになっています。また、社員の評価表もオープンです。自分がどのような点で評価されているかも全てオープンになっています。

 すべてをオープンにする理由は、オープンが好きだから(笑)。要は、「社長の私情は入っていないよ、決めたことはこうしているよ」と示しているだけです。説明が楽なんですよね。もうひとつは、当社には資本金の半分が、同族ではないベンチャーキャピタルから入っています。ということは、公な企業ですから、その意味でもオープンです。私一人が悪いことをできないようになっている(笑)。

 よく「半分が外部資金だと、やりづらくないですか?好き勝手にできないでしょう?」と言われます。私は以前から言っているのですが、会社は公のもので、将来は上場するかもしれない会社です。ベンチャーキャピタルは、イグジット(株式公開)、あるいは、M&A(企業の合併・買収)を狙って出資しているわけですからね。


◆ 入社後も勉強とテストが毎週ある

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勉強会を実施する部屋。経営方針のみならず、昨日の売上と利益の貼り出しなど、「なんでも見える化」がここでも徹底されている。また、自然光を部屋に取り込むために天井が加工されていたり、卓球台があったりと、社員の居心地のよさを追求するこだわりも感じられた。


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勉強会の部屋にある薪ストーブにも白田社長のこだわりが見られた。もともと梱包材を燃やすためのものだが、冬は白田社長自ら焼き芋をつくり社員に振る舞うという。ストーブの土台は当初金属製だったが、味のあるレンガ調へとリノベーションした。あわせて会社玄関前もレンガ調にリノベーション中とのことである。


 当社では、入社後も、仕事上で扱う専門的な知識を勉強する必要があります。毎週月曜日に勉強会を実施し、ひとつのテーマが終わるとテストや課題があります。80点以上で合格できないと、再試もあります。再試は90点以上でなければ不合格ですから、一発で合格することが肝心ですね(笑)。

 (社員の安永智也さんの話)当社のノウハウは深いので、全員が仕事の内容を理解しなければいけません。私は技術営業のため、普段は工場の現場にいませんが、工場の人達がどんな仕事をしてどんな知識が必要か、勉強会を通して、基本がわかります。自分とは別の部署の知識も勉強するので下地ができ、もし他部署に移った場合も移りやすいと思います。

― お客さんは、どの社員さんに専門的なことを聞いても、答えてもらえますか?

 答えられると思いますよ。


若者へのメッセージ

◆ 何かを一生懸命やり遂げることでできた"芯"こそ、本当に役立つ

― 最後に、今までのお話を踏まえて、若者へのメッセージをお願いします。

 自分でアピールできる何かを持ちなさい。それは趣味でも何でもよいです。何かをやり遂げることを通じて自分の"芯"ができます。そして、一生懸命やってやり遂げたノウハウは他にも応用できますから、必ず役に立ちます。それがある人は、本当に強いと思いますよ。

 さらに若い中高生は、何か自分がやりたいと思うことがあったら、ぜひやってください。やり始めるのに遅いことはなく、どれだけ好きかが大切です。色々なことを見て感じてください。それが一番の勉強になりますよ。

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― 白田さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢

◆ 東京にはない、生活を大切にできる文化がある
/入社1年目の安永智也さん(32歳、広島県出身)

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白田社長と談笑する安永智也さん(左)

 東京のベンチャー企業(広告代理店)にて勤務後、結婚を機に、約1年前、妻の地元である山形に移住しました。転職するために、山形県のUIJターン支援Webサイトに登録し、プレファクトからお声がけをいただいて入社しました。現在は、当社の営業開発を担当しています。

 東京には何でもありましたが、あり過ぎて大変でした。満員電車で毎日通い、終電ギリギリまで毎日仕事をしていました。一方、今の会社は(交代制になると違いますが)遅くとも工場は21時で閉まりますし、車で通勤することができます。

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経営方針の「WIL」の文字はユニフォーム(袖の部分)にも刻まれている。


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小さな部品を製造するラインでは女性の姿も多く見られた。


 当社では「WIL」をスローガンに、皆で目標を達成し、最終的には自分たちの生活をよくしようという目的に向かっているので、僕も早く帰宅し家族を大切にできます。東京の企業は「24時間、仕事しようぜ」という感じでした。東京でも「仕事と生活のバランスを取っている」と言うのですが、そのバランスのとり方がこちらとは全く違うと感じています。東京では「仕事:生活=9:1で、バランスをとっている」という人が多いです。こちらに来てから「今日は地域の消防団の活動があるから早目に帰るよ」とか「朝、祭りの片付けがあったよ」といった理由で仕事を抜けるなんて初めて聞きました(笑)。「家族の運動会や参観日がある」といったことも理解してもらえる土壌があるので、家族を大切にするバランスが取りやすいと感じています。

 あと、さくらんぼは山形の人は買わないことにも驚きましたね。ご近所からのお裾分けで、十分手に入るからです(笑)。


◆ 我が社の環境自慢は「猫」

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カメラを向けると、人懐っこそうに寄ってきた虎猫のフク。安永さん曰く「誰にでも腹を向け、髭を引っ張っても怒らない」そうだ。社員の皆さんから深い愛情が注がれていることが伺える。

 我が社の環境自慢ですが、社長も押していた、工場の外観と内部が非常にお勧めしたいところです。このほかに私が考えた我が社の自慢は、「猫」です。

 ある日の朝、子猫が会社に迷い込みました。皆で面倒を見るうち、社員の方から「飼ってもよいですか?」と提案があり、社長が「きちんと責任を持つならいいよ」と、許可を出しました。猫の餌やり当番もあり、長期休暇に入ると、きちんと餌をやったか、皆で確認し合っています。猫は、子ども向けの「危険だから工場敷地内に入らないでね」の看板にも登場しています。

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休み時間中に餌をやる安永さん。

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遊心溢れる、白田社長が猫に出した許可書。



◆ 綺麗な工場の秘密は、社員提案型の手作り「AKB活動」

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各加工機の隣に設置された自作エアブロー(右)

 「工場なのに、切り粉がないね」と、よく驚かれます。自作エアブローが各加工機の隣に設置されており、切り粉が落ちない仕組みになっているからです。また、エアブローの色が工場の外観と同じ赤色なのは、社員考案の「AKB活動」の一環です。AKB活動は業務を超えたチーム編成で、色々なチームがあります。どんな活動をすべきかを自分たちで話し合い、業務時間内に毎週30分から1時間程活動し、その進捗や成果を毎週報告しています。そのひとつのチームが「工場外観と同じ赤色に工場内の装置をペンキ塗りしよう」という活動というわけです。他には、例えば「新しい踏み台を作ろう」といった活動があります。社長からは「カネはかかっていなくとも、手のかかった職場づくりを」と言われています。ですから、外観をリニューアルするのに10年以上もかかったわけです。


◆ 当社にしかできない技術という誇りが自分の自信に
/熱処理を担当する入社5年目の川田康介さん(30歳、山形県出身)

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熱処理担当の川田さん(右)

 熱処理で一番シビアなのが「曲がり」で、最も気を使います。ものによって、やり方が違うんです。鉄を冷ます時、放置すると応力で縮んでしまい、それが曲がりになります。そのため、冷める前に、例えば600度の窯で一晩置くなどして応力を取り除き、曲がりをとります。この変寸データ管理は、他社には真似できない当社のノウハウです。この熱の変寸をコントロールできるために、他社では無理な精度を実現できるのです。さらに設計からマシンニング、熱処理、研削加工まで社内で一貫生産できる体制のため、前後の工程で「こうして、ああして」と調整できることも強みです。

 今はリニアモーターの部品を製造しており、世界トップシェアのメーカーに納品しています。まっすぐなものは、冷やす時にどうしても曲がりますが、マイクロメートル単位でも曲がると、リニアモーターが振動に耐えられなくなるので駄目になります。「まっすぐ」というのが難しいのですよ。当社の方針は、「多品種少量」。特殊なものに強いのが特長です。うちにしかできないことなので、リニアモーターのように大量発注だと現場は大変です(笑)。「まとめて発注するから安くしてよ」と言われるけど、時間がかかることは変わらないので、その辺りは難しいところですよね。入社当初は、「うちにしかできない技術」という自覚は正直なかったのですが、最近は自分の自信にもつながってきました。その自信が「よりよくしていこう」という気持ちにつながっていると思います。

【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.04】ダンボールの新たな可能性を追求し、一人カラオケボックスや非常時用ERがヒット/神田産業(福島県)社長の神田雅彦さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.04】ダンボールの新たな可能性を追求し、一人カラオケボックスや非常時用ERがヒット/神田産業(福島県)社長の神田雅彦さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2017年11月13日公開

簡単なものは、おもしろくない。
常に新しいことにチャレンジし、
ダンボールの可能性を追求していきたい。

神田産業株式会社(福島県須賀川市)
代表取締役 神田 雅彦 Masahiko KANDA

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.03)
 福島県須賀川市に本社を構える神田産業株式会社(従業員57名、資本金2,160万円)は、ダンボールの可能性を追求し、独自のダンボール技術を活用した新たな商品開発を手がける明治30年創業の企業である。主力である各種パッケージ用ダンボールの製造では、商品の市場調査から製品開発までトータルなパッケージを提供。さらに、軽量と強度を両立するペーパーハニカム(六角形の芯材を蜂の巣状に並べた構造)に注目・研究し、新素材「ハニリアルボード」を展開。ハニリアルボードを活用した新製品開発に取り組み、大手ゲームメーカーと共同開発したダンボール製の簡易防音室は「だんぼっち」としてヒット。そのほか非常時に用いる医療用移動ER(緊急処置室)等を開発し、国内外から注目を集めている。そんなオンリーワン企業である神田産業がオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役の神田雅彦さんに話を聞いた。


オンリーワン企業になるまでの軌跡

― はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。

◆ 新しいことにチャレンジし続ける文化

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2013年10月に完成した横山第3工場の外観。



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横山第3工場にある、梱包用ダンボール箱加工の最新機械。その大きさに驚いた。


 当社は明治30年(1897年)に材木商として開業しました。木材を仕入れて販売する材木商から、木材を引き切る製材業、その木を使って木箱をつくる製箱業等と、少しずつ業態を変え、1960年から木箱をダンボールに切り替え、現在はダンボール製造業を営んでいます。

 曽祖父が創業した会社を引き継ぎ、私で4代目となりますが、当社の歴史を振り返ると、少しずつ新しいことに挑戦して進化し続けた結果、今の会社が成り立っていると感じます。常に新しいことにチャレンジして、変えるべきところは変えて、「社会に貢献する」という経営理念は変えず、それを商売として進める文化が根付いているのです。

 主に製造業のお客様向けに梱包用ダンボール箱を製造していますが、東日本大震災以降、お客様の工場が県外移転や生産停止、分散発注される等の影響で、福島県内の生産は徐々に減少しています。そんな中、事業の柱として製造業向け以外の商品も持ちたいという思いがありました。

◆ ハニカム構造体のダンボールで個人用カラオケボックス

 そのきっかけとなったのが、地域の中小企業等の技術シーズ事業化支援のために日本大学工学部キャンパス内に設置された「郡山地域テクノポリスものづくりインキュベーションセンター」(公益財団法人郡山地域テクノポリス推進機構)の研究室を、当社が借りたことでした。

 当初はダンボールの製造機械について研究しようという趣旨でしたが、担当者の一人が音楽好きで、音楽を練習する時の防音に何とかダンボールを使えないかという個人的な想いから、音の減衰率を測定するなど、ダンボールの防音性に着目した研究を進めていました。

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個人向け防音室「だんぼっち」。標準サイズは、幅80㎝、奥行き110㎝、高さ164㎝。さらに縦長や幅広型も開発・販売している。

 そんな中、バンダイナムコグループの株式会社VIBEさんから「家庭でも音を気にせず一人カラオケができる防音室をダンボールでつくりたい」という依頼が、一般社団法人東北経済連合会のマッチング事業を通じてありました。そこから共同開発が始まり、防音性能・組立方法・耐久性など試行錯誤の末、ハニカム構造体(六角形の芯材を蜂の巣状に並べた構造)のダンボールパネルを組み立てる形式で「だんぼっち」が完成し、2014年から販売が開始されました。一人カラオケや楽器演奏の動画撮影のほかにも、漫画家の作業室や受験勉強用など、購入者のニーズによって使われ方も多様化しています。

◆ 軽さを活かして非常時用ERにも

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パネル組立型ER。サイズは幅3m、奥行き2m、高さ2.2m。防水加工が施され、除菌も可能。活用はERだけでなく、エボラ出血熱などの感染症対策ユニットや、オリンピックなどマスギャザリング会場での治療室などとしても可能。海外からも問い合わせが寄せられている。

 その後、2014年に福島県から緊急時医療福祉機器開発事業の公募があり、そのテーマのひとつに非常時用の移動型ER(緊急処置室)がありました。東日本大震災では、生存率が急激に低下する「72時間の壁」が経過する前の治療が難しかったと言われています。そこで、災害現場ですぐ設置できる緊急救命スペースを開発することで社会に貢献ができるのではないかと思い、ハニカムダンボールを活用する案を応募したところ採択され、3ヵ年事業でパネル組立型ERを商品化しました。パネル組立型ERは防災訓練や国内外の展示会等で展示し、世の中に情報発信をして、様々なテレビや雑誌、新聞などに取り上げていただいています。

 当社が「オンリーワン企業」と言っていただいているのは、何とか自分たちの価値を上げていこうと、新しいことにチャレンジし、それが少しずつ形になっている結果だと思います。

◆ 試行錯誤の末に生まれた新素材「ハニリアルボード」

― 貴社のオンリーワン技術であるハニカム構造体のダンボール製品について、改めてその特長を教えてください。

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ハニリアルボード(ハニカムダンボール)の断面。

 ハニカム構造体は、1949年アメリカの軍用飛行機の構造として採用され、軽さと強さの両立を目指して航空産業の中で発達してきました。これを紙て?つくることで、さらに軽く、環境にやさしいマテリアルとして、ハニカムダンボールは生まれました。構造上、特に上下方向の圧力に強く、等分布荷重の条件で、厚さ 3cm で一平方メートルあたり30,000kgf の荷重に耐えられる強度を持っています。当社では「ハニリアル(「ハニカム」と「マテリアル」の造語)ボード」と名付け、当社独自の生産技術により、2012年から様々な製品を開発しています。ハニリアルボード製品のユニークな点は、軽量で組み立てに専門知識も道具も要らないため、誰でも簡単に組み立てができ、時間もほとんどかからないことです。

― そもそもなぜユニークな商品は生まれたのでしょうか?

 「だんぼっち」はお客様からのニーズがあって、「今までやったことはないけど、やってみよう」と始めた取り組みです。パネル組立型ERについても福島県から公募事業の情報をいただき、「当社なら、こんなことができます」と提案しました。はじめにニーズがあって、それにチャレンジした結果、ユニークな商品が生まれたのです。

 普通は「そんなの無理だよ」と言ってしまうようなニーズでも、それを「やってみよう」となったのは、先程もお話したように研究室を設けていたこと。また、この研究室の部隊にはダンボール箱製造の者は一人もおらず、別に新たな人材を採用したため、従来のダンボール業界の固定観念がなく、自由な発想で開発できたからだと思います。

― 開発では特にどのような点が難しかったのですか?

 もともとダンボールは物流に関わる梱包材にしか使われていないので、それをマテリアルとして使おうという発想自体、まず我々の業界ではなかなか思い付かないことでした。

 また、「だんぼっち」も、最初は普通のダンボールを貼り付けて試作しました。ところが、そもそもダンボールは紙ですので、湿度で大きく伸び縮みしてしまい、寸法がうまく出せませんでした。さらにダンボールを貼り合わると重くなってしまうという問題もありました。ならば、ハニリアルボードはもともと厚みがあるので、それでやってみようとなったのです。「だんぼっち」がハニリアルボードを全面的に使用した最初の商品でした。

 もうひとつのポイントは、枠材をつくったことです。ハニリアルボード製パネルのまわりを枠材で囲み、その枠に色々な加工を施すことで、うまく連結できるようにすることを考えました。はじめはダンボールだけで組み立てることにもチャレンジしたのですが、組み立てが大変だったり、最初から付けておくと非常にものが大きくなったりしたので、これでは現実性がないねと、かなりの試行錯誤を繰り返しました。もう、大変でしたよ(笑)。

◆ ダンボールが活躍できる場はもっとある

― これだけ世の中に溢れているダンボールは差別化が難しい商品だと思います。そんな中で付加価値の高い商品をつくるのは、並大抵のことではないですね。

 そうなんです、感じられた通り、差別化の難しい商品なのです。それを如何に差別化していくかという想いは昔からありました。

― これまでずっとダンボールと向き合う中で神田さんが感じている、ダンボールならではのポテンシャルとは何ですか?

 軽くて加工がしやすく、音も防げますし、表面に色々な加工ができますから、ダンボールはどんなものでもできる、手軽な材料だと思います。これまでダンボール素材では困難だった防炎基準にも適合し、さらに防炎・防水・防音性能等の向上を図る研究を重ねています。価格が他の材料と比べて安いのも重要なポイントです。また、100%リサイクルできるため、環境にも優しいです。

 ダンボールで何でもできると私は思うのです。先程お話したパネル組立型ERを含めた防災関連、あるいは、避難所に設置するダンボールベッドや間仕切りなど、もっともっと、ダンボールが活躍できる場があると思うのですね。ですから色々なことにチャレンジして、さらにダンボールの可能性を追求していきたいと考えています。

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ハニリアルボード製の演台(写真手前)。

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ハニリアルボード製の椅子。実際に座れる。


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ハニリアルボード製の机と畳下シート。写真奥のパネルは、ハニリアルボード製パネルの高品質印刷。

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当社マスコットキャラクターの「ダンボ・ウルちゃん」と社長の神田さん。


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横山第3工場にあるハニリアル事業部。

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工場内でも至る所でハニリアルボードが活用されていた。



社長が二十歳だった頃

◆ 簡単なものは、おもしろくない

― 次に、神田さんが二十歳だった頃について、教えてください。

 私がちょっとおかしかったのかもしれないですが、あまり何も考えずに生きていたので...(笑)。将来のことが明確に見えていたわけではないですし、自分が今やりたいことを、一生懸命やっていましたね。色々やっていましたが、二十歳の頃は、波乗りをずっとやっていました。夏も冬も千葉に行き、波と天気とサーフィンに使うお金以外のことは、全く考えていなかったです(笑)。

― 今振り返ると、なぜ当時サーフィンに夢中になったのだと思いますか?

 やっぱり難しかったから。今まで色々なスポーツをやってきましたけど、こんなに難しいのは初めてだと感じたので、はまっちゃったんですね。簡単なものは、おもしろくなくて、つまらないと感じてしまうのですよ。小さな頃からそうでした。

― 冒頭の「新しいものにチャレンジする」という貴社の文化に通ずるお話だと思います。神田さんの「難しいことにチャレンジすることがおもしろい」と思う性格は、今のお仕事にもつながっていると感じますか?

 そうですね。製造業なので設備投資も行うのですが、やっぱり、新しいもの好きなので、設備もスタンダートの機械ではおもしろくないんですね。自社のノウハウと「こんな設備だったらいいな」という想いをスタンダードに付け加えることはずっとやってきました。機械屋さんに相談して「こんな設備にしたいんですけど」「いや、今までやったことないんで...」「やったことないじゃなくて、やりましょうよ」、そんなやり取りが結構あります。

 設備投資って、生産性を上げたり、付加価値を上げる、ひとつのチャンスじゃないですか。他ではやっていない考え方の設備で、よりよいものがしっかりとつくれれば、それが差別化のひとつになると考えています。


我が社の環境自慢

― 続いて、貴社の環境自慢をいくつか教えてください。

◆ 全社員が経営に参加する「アメーバ経営」

 当社は「アメーバ経営」という、京セラ創業者の稲盛和夫氏が考案した経営管理手法を導入しています。社員を2~3人単位の"アメーバ"に細分化して、それぞれがまるでひとつの会社であるかのように独立採算と見なし、その単位で毎日決算を行っています。月毎の計画も経費もそれぞれの社員が自分たちで決めます。その総和が会社全体の経費と業績ですので、全社員が会社全体の経費も業績もすべて把握できるシステムになっています。もちろん、社長の私が使った経費も全社員が見られる状態になっています。

 それぞれの社員が自分の属するアメーバの決算を意識するようになり、その改善のため自発的に働くようになるので、全社員が経営者という感覚で仕事ができていると思います。やり方によっては自分たちの成績は非常によくなりますし、お互いがお互いの働きぶりを毎日見られるので、切磋琢磨できる、やりがいのある環境だと思います。社内のコミュニケーションも非常にフランクです。

◆ 神田産業グループのフィロソフィー

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全社員が携帯して毎日唱和する神田産業グループのフィロソフィー。

 その活動の良し悪しは、当社の経営理念である「顧客に信頼される商品の提案・提供をし、知識・知恵を活かし、社業の発展と全従業員の物心の幸福を追求すると共に、社会に貢献する」に従い判断します。当社の経営の考え方はすべて「フィロソフィー」として小冊子にまとめ、全社員が携帯しており、部署ごとに毎日唱和しています。さらに、毎月開催する当社の経営発表会において、全社員が前月の決算状況と当月の目標計画を発表するとともに、私からフィロソフィーの意味を1項目ずつ説明して、その考え方が根付くよう活動しています。

◆ 社員用コミュニケーションルーム

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工場2階ショールーム横に設置されている、社員向けのコミュニケーションルーム。

 部署内、あるいは部署を超えて、社員同士が自由にコミュニケーションをとれるよう、工場2階に「コミュニケーションルーム」を設けており、社員はいつでも利用することができます。飲食も飲酒もOKです。勤務時間内は困りますけど(笑)、勤務終了後やもちろん土日も使えます。


若者へのメッセージ

◆ チャレンジして無限の可能性を広げてほしい

― 最後に、今までのお話を踏まえ、若者へのメッセージをお願いします。

 若い方たちには無限の可能性があります。日々の生活の中で見失いがちですが、ぜひ色々なことにチャレンジして、自分を高めてください。

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― 神田さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢

◆ 季節や天候に左右されるものづくりにやりがい。ダンボールはおもしろい
/松本良介さん(入社3年目、26歳、福島県出身)

 福島県東白川郡塙町出身です。出身が町のため、郡山市や須賀川市などで働きたいと考え、当社に入社しました。前職はお菓子屋さんでしたので、手先の器用さを求められました。手作業と機械作業の違いはあるものの、現職でも丁寧にものをつくる器用さが求められるので、前職の技が活かされ、自分に打ってつけの仕事と感じています。

 入社3年目で、機械の使い方や名前も徐々に覚えてきました。ダンボールは紙ですので、気温や湿度で材質が変わります。1メートルあたり5mmほど、湿度が高いと延びて低いと縮むため、季節や天候にも左右されますし、お客さんが使う環境を考えながらものづくりをする必要があります。その見極めが大切で、そこにやりがいを感じています。アイディア次第で、色々なものに応用できるダンボールはおもしろいです。

【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.05】あらゆる物質の劣化度を測定する微弱発光検出装置で世界シェア1位/東北電子産業(宮城県)社長の山田理恵さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.05】あらゆる物質の劣化度を測定する微弱発光検出装置で世界シェア1位/東北電子産業(宮城県)社長の山田理恵さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2017年11月20日公開

「開発無くして成長なし」をモットーに、
生き続ける創業の精神
「優れた技術を売る誇り高き商人」

東北電子産業株式会社(宮城県仙台市)
代表取締役社長 山田 理恵 Rie YAMADA

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.03)
 宮城県仙台市に本社を構える東北電子産業株式会社(従業員数50名、資本金6,000万円)は、酸化する物質のわずかな光を捉える微弱発光検出装置で、世界トップシェアを誇る研究開発型企業である。強みは世界最高水準の50光子(フォトン)から検出可能という感度の高さで、ホタルの光の1万分の1くらいのレベルという。発光現象からは、物質が酸化し劣化するスピードやメカニズムがわかる。顧客の大半は大学や企業の研究機関で、食品や医療分野から、プラスチック素材、塗料、化粧品といった多様な分野で使用され、物質の酸化劣化に関する研究、品質管理、製品開発に大きく貢献している。経済産業省「元気なモノ作り中小企業300社」(2006年)、第1回みやぎ優れMONO選定(2009年)、第4回ものづくり日本大賞 東北経済産業局長賞(2012年)、プラスチック成形加工学会「第1回技術進歩賞」(2014年)ほか、各種の技術賞等を受賞。そんなオンリーワン企業である東北電子産業がオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役社長の山田理恵さんに話を聞いた。


オンリーワン企業になるまでの軌跡

― はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。


◆ 優れた技術を礎に新たな分野を切り拓く研究開発型企業

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世界トップシェアを誇る微弱発光検出装置

 当社がオンリーワンと言われるメインの製品が、自社ブランド製品として製造・販売する微弱発光検出装置(ケミルミネッセンスアナライザー)です。物質の劣化に伴い生じるフォトン(光子)50個程度の非常に弱い発光を検出できる世界最高感度の装置で、物質の極初期の酸化劣化度を高感度に検出でき、様々な分野で新製品開発、品質管理等に広く活用されています。

 当社の事業構成としては、様々な計測・分析機器を仕入れて大学などの研究者向けに販売する商社営業部門(本社)と、ものづくりをする部門(利府事業所)の二つに分かれます。ものづくり部門は、設計、製造、検査、生産管理、品質管理と、ものづくりの基本となる人材が一通り揃っているコンパクトな工場で、特に設計者が多く在籍しているため、お客様のニーズに合わせた設計ができ、一品物や試作品を提供できることが特長です。

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レーザー技術を応用した新製品「ルミリーフ」。

 ものづくり部門にも幾つかの柱があり、大手企業からの依頼で他社ブランド製品を月に何十台か製造している部隊と、自社ブランド製品を開発している部隊がいます。自社ブランド製品には先述の微弱発光検出装置のほか、新素材の振動子を使用した粘弾性変化測定装置「スマート・レオメーター」や、植物に書かれた文字が光る花ギフト「ルミリーフ」等の新事業などがあります。

 当社は設計者がお客様の会社に赴き、設計開発から試作まで行います。大手企業も大量生産品は海外に行きがちですが、日本国内で設計から試作までできる当社のようなメーカーを貴重に思っていただくことが多いようです。さらに自社ブランド製品の場合、「何をつくるか?」から自分たちで考えます。マーケティングから企画、開発、生産、営業・販売、納品後のアフターメンテナンスまで、一連の流れを全てできることが当社の強みです。

 「ものをつくって売る」ことの原点から自分たちで考えることは、大変ですが、おもしろいです。大きな工場で歯車の一部の仕事に携わるのではなく、入口から出口まで全体を考えるため、成長でき、どこに出しても通用する人材になれます。普通は工場にいると、お客様と触れ合う機会はあまりありませんが、当社の場合、エンドユーザーの声を直接聞くことができます。さらに中小企業だからこそ、若手であっても自らの想いを実現しやすい環境があります。小粒ですが、単なる一歯車ではなく、色々な人と出会って色々な経験ができ、自ら動かそうと思えば動かせる。それが中小企業ならではのよさだと思います。


◆ あらゆる物質の劣化度を測定する世界シェア1位の自社ブランド製品

 当社の技術のベースであるアナログ回路、デジタル回路、ソフトウェア設計、機構設計、光検出技術などを応用した主力の自社ブランド製品が、冒頭にお話した微弱発光検出装置です。当装置に注目いただくことが多いのは、競合他社のいないニッチな製品だからです。今から35年ほど前に、前社長の佐伯昭雄会長が、東北大学電気通信研究所の稲場文男教授(当時)と共同で開発しました。今で言う産学連携の走りです。

 はじめは、とにかく微弱な光を測定する装置をつくろうと、応用目的より先に装置ができあがりました。次に、何がどれくらい光るかを調べてみようと、東北大学農学部の金田尚志教授や宮澤陽夫助手(当時)が色々なものを測定してくださり、最初に測定した結果が「古くなったインスタントラーメンが光ったよ」。インスタントラーメンの表面の油は古くなると酸化し、その酸化物が壊れる時、フォトンレベルの非常に弱い光を放出します。蛍の光の1万分の1の明るさで、そのわずかな光から物質が酸化し劣化するスピードやメカニズムがわかるのです。


◆ 食品、人間の血液、プラスチック、医療品など、幅広い分野で応用

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微弱発光ケミルミネッセンスの測定。

 こうして、はじめは食用油の劣化評価装置からスタートしました。その後、油が光るなら体の中の油も光るだろうと、医学部の先生が人間の血液を測定して病気との相関を調べたり、プラスチックやゴムなどの高分子を専門とする先生方が劣化度を調べたりして、生化学や高分子、薬や化粧品類などへ応用範囲がどんどん広がりました。これまで大手メーカーや大学・公設試験研究機関などに450台以上の納入実績があります。

 最近はほとんどがプラスチック関係です。特に多いのが自動車業界です。自動車の部品は、バンパーからケーブル、エンジンカバーやタイヤ、塗料に至るまで耐熱性・耐久性に優れたプラスチック製に代わっていますから、如何に劣化させず耐久性を向上させるかという研究開発目的で当装置が使用されています。次に多いのが医療業界で、例えばコンタクトレンズやカテーテル、注射筒なども皆プラスチック製ですから、割れたり折れたり変色したりしないよう、品質管理の研究目的で使用されています。


◆ オンリーワン技術が国内標準化(JIS化)認定へ

 さらに、当社の微弱発光検出装置を用いてプラスチックの極微量の酸化劣化を光学的に検出・判別する試験方法は、経済産業省の「新市場創造型標準化制度」を活用して標準化を行うことが平成28年3月に決定し、現在、国内標準化(JIS化)に向けて動いています。

― JIS化されるとどうなるのですか?

 経済産業省のプレスリリースには「今後、中堅・中小企業等の優れた技術や製品の標準化を進め、新たな市場の創出につながることが期待されています」とあります。簡単に言うと、JIS化するとは、国から標準的な方法として認められるということです。通常は競合メーカーが複数社いるので、標準化するためには業界団体でのコンセンサスの形成が必要ですが、当社のように競合他社がいない場合、それができないという問題がありました。それが今回の新しい制度の導入により、中小企業が開発した"尖った"(優れた)技術で1社しかいない装置や方法にもJIS化が可能になることが素晴らしい点です。

 当社の場合、JIS化によって大手企業からも一目置かれますし、劣化評価に当装置の活用が進みますから、販売につながる可能性があります。当社のみならず尖った技術を持つオンリーワンの中小企業は国内に数多くありますから、この新しい制度を活用したJIS化の効果は大きいでしょう。

― オンリーワン技術の標準化という、一見すると相反する強みを組み合わせることができることに驚きました。独占的に市場を拡げる強力な一手になりそうですね。そもそもなぜ貴社はオンリーワンであり続けるのでしょうか?


◆ 装置活用方法をきめ細やかに積極提案

 なぜオンリーワンかというと、他社に真似できないノウハウがあることでしょうか。カタログをポンと置くだけで売れる装置ではないのです。

 ひとつ目は装置自体のノウハウ。特許にできないものづくりの35年分のノウハウが詰まっています。ふたつ目は測定のノウハウ。もちろん、これまで当装置を使用した論文が400、500本出ていますから、それを参考にすることは可能ですが、よく相談にいらっしゃるのは、「一種類の材料ではなく、複数の材料が混じる特殊な材料をどのように測定すればよいですか」というような方です。当社では、複雑なサンプルでも測定条件を提案することができます。それに、一台800~2,000万円程する装置ですから、お客様は試し測定を行ってデータを確認してから購入される場合があります。その分、販売まで手間も時間もかかりますが、それができるのが中小企業のよさだと思います。

 社内でも「お客様のニーズに合わせて、こんなものをつくってみよう」「先生がこういうことをやっているから、こんなものをつくってみよう」「測定してこんな結果が出たから、学会や展示会で発表しよう」などの提案がでます。もともと当社は新しいものを開発して販売し、アフターフォローまでできることが強みで、それを当装置で実践しているのです。それを積み重ねてのオンリーワンだと思います。最近、少しずつ認知度が高まっていき、「微弱発光なら東北電子産業さんですよね」と言ってもらえるようになってきました。


◆ 微弱発光がライフワークに

― 山田さんご自身と微弱発光とのこれまでの関わりについては?

 私の卒業論文のテーマが微弱発光でした。東北大学農学部に入学した頃にはすでに当装置の1号機が農学部に入っており、金田先生や宮澤先生が実験をされていました。自然な流れで微弱発光を使った研究テーマが決まり(笑)、卒業論文ではネズミにどんな餌を与えれば老化防止に効くかを研究しました。以来、30年以上ずっと微弱発光の研究をしていて、微弱発光が私のライフワークになっています。

 学部卒業後は、東京にある日本分光株式会社に就職しました。生化学の実験とは無関係の全くやったことがない分析機器のソフトウェア開発を経験させていただき、その後の人生に大きなプラスになりました。その後、科学技術振興機構(JST)の創造科学技術推進事業(ERATO)で、当装置の共同開発者である稲場教授が総括責任者の「稲場生物フォトンプロジェクト」(1986年10月~1991年9月)が立ち上がったため、仙台に戻り、研究員として4年間、微弱発光の研究をさせていただきました。そこで植物種子の劣化評価や微量成分の分析技術の開発等を深く勉強できたことが、博士号の取得につながりました。

 1991年、当社に入社しました。私はどちらかと言えば、装置を使う側として、ものづくり企業と研究者の間に入るような立ち位置でユーザーサイドの声を現場に伝えながら、国のプロジェクトや共同研究、装置開発等を行ってきました

社長が二十歳だった頃

◆ 如何に困難を乗り越える力をつけられるか

― 次に、山田さんが二十歳だった頃について、教えてください。

 二十歳の頃は色々な苦労をして、困難を克服する力をつけなければいけない時期だと思います。どんな職業でも、あるいは家庭のことでも、乗り越えなければならない困難は社会に出てから次々とありますから。私も二十歳の頃にもっとそんな力を身につけておけばよかったと思います。


◆ 社長就任直後にリーマン・ショックと東日本大震災

― 山田さん自身、これまでどのような「困難」を乗り越えてきましたか?

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東日本大震災で全壊判定を受けた本社。

 私が社長に就任したのは2008年7月で、まさに私が社長になる時を待っていたかのように、同年9月、リーマン・ショックが起きました。その翌年は本当に大変でした。売上も激減し、様々な見直しを迫られ、大変な時期を過ごしました。

 それをやっと乗り越えたかなという矢先、2011年3月、東日本大震災が発生しました。地震で仙台市にある本社の建屋は鉄筋が破断し、全壊判定を受けるほど深刻なダメージを負いました。幸い宮城県利府町にある工場は、建屋や設備に大きな被害はありませんでした。そこで本社の社員を利府の工場へ移し、震災発生2週間後には出勤できる社員を集めて、操業を再開しました。4月6日には本社の機能移転を済ませました。

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現在の本社外観。

 震災の時は日本全国が混乱の中にあったと思います。ただ、当社には東京支店があり、そこが情報発信を一手に担ってお客様との連絡を密にできたので、拠点が分散している大切さを感じました。また、新幹線の運転再開前、高速バスで上京して取引先をまわりました。そこで多くのお見舞いや励ましをいただき、日ごろからの信頼関係の大切さ、人の温かさを実感しました。


◆ 創業の精神の大切さを改めて痛感

― なぜ危機の中で改めて研究開発の大切さを感じたのでしょうか?

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創業当時の本社。創業当時は家電製品などの製造・販売を行っていた

 当社は創業者である佐伯会長が「開発無くして成長なし」をモットーに、「優れた技術を売る誇り高き商人」を創業の精神に企業展開しています。当社の名前を「東北電子産業」とした理由は、佐伯会長の頭の中に「松下電器産業」の「産業」の字があったからだそうです。技術者は「これは素晴らしい技術だ」と独りよがりになりがちですが、売れる商品にならなければ仕方がありません。技術的に優れたものをつくり、新しい市場を切り拓くことを考え「産業」の2文字を社名に入れたのだと。だからこそ先程お話したように、言われたものだけ、部品だけをつくる下請け型企業ではなく、入口のマーケティングから出口のフォローアップまで、最初から最後までをやる提案型企業であることが、当社の特長なのです。

 リーマン・ショックの時も東日本大震災の時も、数種類の柱を持っていることの重要性を痛感しました。大手企業からのOEMの仕事や商社機能だけでなく、新しい技術で自社ブランド製品を開発することが大変重要です。創業50周年を来年に控える今、改めて創業の精神の大切さを感じています。


◆ 自社ブランド製品のグローバル化へ

― 今後の展望について教えてください。

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国際学会で口頭発表する山田さん。

 今後は、国内のみならず海外にも製品を展開したいと考えています。これまでも全世界で50台程納めましたが、さらに広がる手応えを感じています。中国でも動き始めていますし、ヨーロッパからも国際学会発表をきっかけにサンプル測定依頼が来ています。日本の酸化劣化の研究は進んでおり、日本企業の品質管理のレベルは非常に高いと、国際学会などを通じて感じています。その研究開発に使用されている装置ということで、もっと海外に展開できると、戦略を練っているところです。


我が社の環境自慢

― 続いて、貴社の環境自慢を教えてください。


◆ マーケティングからアフターメンテナンスまで全てを経験できる

 これまでもお話してきた通り、当社では、入口のマーケティングから出口のユーザーさんとお話をするところまで、ものづくりのすべてを経験できることが自慢です。言うならば様々な職種をひとつの会社ですべて経験できるようなところが、大手企業にはない魅力かもしれませんし、仕事のやりがいやおもしろみもそこにあると思います。


◆ 真面目で誠実な気質が強み

 うちの社員は皆、真面目で誠実な人が多く、いい人が多いのです。社内もそんな雰囲気ですね。真面目で誠実な東北人によるものづくりは強みだと思います。


◆ 女性社員が増えている

 最近、女性の社員が増えています。製造業なので、もともと男性の職場というイメージが強いと思いますが、従業員50人のうち女性は本社に5人、利府事業所に8人、合計13人います。皆さん、しっかりと真面目に仕事をしてくださる方が多いですね。設計や測定業務はコンピューターを使った仕事で綺麗な職場なので、女性でもできるのがよいと思います。

育児と仕事の両立は、私自身も経験しましたが、大変だと思います。その時期は、まわりからのサポートが必要ですよね。それは男性も例外ではなく、親の介護や家族の体調不良といった家庭の事情で仕事をペースダウンしなければいけない時期は誰にでもあることです。そんな時、少しでも社内で支えられる環境にできればと思います。

それが組織のよさでもあります。もし倒れた時、一人なら代わりがいませんが、サポートし合えます。もちろん、休んでも、会社や周囲が待ってくれる人間であるように、日頃から一生懸命仕事をし、相応の力をつけておくことが必要です。


若者へのメッセージ

◆ 0から1を生み出すものづくりはおもしろい

― 最後に、今までのお話を踏まえ、若者へのメッセージをお願いします。

 0から1を生み出すものづくりはおもしろいです。私自身も新製品を開発する過程はわくわくし、それが世の中に出て喜ばれるとやりがいを感じます。若い世代には新しいものをつくる楽しさを体感してもらいたいですね。

 就職する会社を選ぶ時、親に言われたからではなく、自分で決断して選ぶべきだと思います。そして自分で選んだからには「石の上にも3年」。自分の置かれた環境で自分自身を磨くことが社会人として生きていく上で必要です。どこへ行っても多少の困難は付きものですから、困難を乗り越えられる力を身につけてください。

― 山田さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢

◆ 色々なことができる理解ある会社
/高橋真理子さん(仙台市出身)

 中堅社員です...。勤続年数は秘密にしておいてください(笑)。もともとは利府町にある工場で、主にレーザ装置の電子回路やソフトウェアの設計を担当していましたが、昨年から本社で測定業務を担当しています。装置の作り手側から使い手側へと回り、工学から化学へと仕事の内容が全然違うのですが、社長から助言を頂きながら日々、測定業務にあたっています。

 小さな会社ですが、設計開発やものづくりをする部署があり、商社もあり、研究する場もあり、色々なことができるのが特長だと思います。そのため、例えば自分が実験をしてわからない点があればすぐ技術部門に問い合わせができたり、製造部門にこんなものをつくって欲しいとお願いできたりと、部署間の距離がとても近いので、色々と対応してもらえることが一番大きいと思います。

 当社に入社した理由は、制御系のソフトや回路を作りたかったから。そして将来的に仕事を続けていくことを見据えて地元で親に子どもを預けながら仕事ができるよう、転勤のない、宮城県の企業に入りたかったから。仕事をしながらの子育てはなかなか大変ですが、社長が理解のある方なので、両立できていると思います。部署は変わりましたが今の仕事もやりがいがありまして、新しい材料の実験方法を検討したり学会発表にチャレンジしたり、色々と自由にやらせてもらい充実しています。

 ここ本社の測定室は、お客様に実際に来ていただいて当社の装置で測定してもらい、装置のよさを知ってもらう場です。他にはない分析方法を求めて各地の研究開発者や技術者が訪れてくださいます。そのお客様が当社の装置を信頼して買ってくださるような測定データを提示できるよう、今後も努力していきたいです。

【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探る Vol.06】900年以上の歴史を持つ伝統工芸を進化させ、現代にも愉しめるよう革新。世界も認める「OIGEN」ブランドへ/及源鋳造(岩手県)社長の及川久仁子さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探る Vol.06】900年以上の歴史を持つ伝統工芸を進化させ、現代にも愉しめるよう革新。世界も認める「OIGEN」ブランドへ/及源鋳造(岩手県)社長の及川久仁子さんに聞く
取材・写真・文/大草芳江

2017年12月04日公開

900年以上の歴史を持つ伝統工芸を進化させ、
現代のライフスタイルにも愉しめるよう革新。
世界も認める「OIGEN」ブランドへ。

及源鋳造株式会社(岩手県奥州市)
代表取締役社長 及川 久仁子 Kuniko Oikawa

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.06)
 岩手県奥州市に本社を構える及源鋳造株式会社(1947年設立(1852年創業)、従業員68名、資本金9,000万円)は、伝統技法を進化させ革新的な技術を開発し、伝統工芸の可能性を広げる南部鉄器の老舗である。伝統的な鉄鍋等にとどまらず、現代のライフスタイルに合わせた商品開発に取り組み、1999年に「タミさんのパン焼器」を発売し、有名通販雑誌やTVショッピングなどを通じて高い評価を得た。さらに2002年には、岩手大学八代仁教授の指導のもと、鉄瓶の防錆技法「金気止め」を応用した防錆効果の高い酸化皮膜形成技術を確立。酸化皮膜を施した「上等焼」技法による鍋やフライパンを商品化し、伝統的工芸品から新分野へ販路を拡大している。一方、1965年頃から海外の販路開拓にも取り組んでおり、鉄瓶や急須を欧米や中国等に、鍋やフライパンを豪州等に輸出。経済産業省中小企業庁「元気なモノづくり中小企業300社」(2007年)、第2回ものづくり日本大賞「東北経済産業局長賞」、平成25年度文部科学大臣表彰「科学技術賞」等を受賞。そんなオンリーワン企業である及源鋳造がオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役の及川久仁子さんに話を聞いた。


オンリーワン企業になるまでの軌跡

― はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。


◆ 頼るのではなく「自分たちから」

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全国メディアでも度々紹介される同社のヒット商品「タミさんのパン焼器」。

 自分たちがオンリーワン企業とは思っていませんが(笑)、「重くて黒くて錆びるし手入れも面倒な田舎の民芸品だ」と思われていた南部鉄器にデザインを取り入れ、現代のライフスタイルにも愉しめる商品開発を行っている点が、当社の特長です。「タミさんのパン焼器」や「南部ごはん釜」など、これまで数多くの自社商品を世に送り出してきました。

 問屋さんから言われてつくったものは、問屋さんが買ってくれます。けれども、問屋さんに言われたから「丸いものを四角く」「浅いものを深く」「三千円を二千五百円に」とつくるのではなく、自分たちでマーケットリサーチを行い、自分たちがよいと思う商品を自分たちでデザインを起こして開発している点が、南部鉄器業界では珍しいのではないかと思います。ですから「伝統工芸品の中に、こんなに格好いいものがあるの?」と皆さんに思われるところから、及源(OIGEN)のイメージは変わってきたのではないでしょうか。

 自分たちでデザインを起こすと、やっぱり失敗もあるんです。後発の企業さんや問屋さんから言われたものをつくる企業さんは、非常に効率的な商売ができると思います。けれども、私たちは常に自分たちの仮説をぶつけながら試行錯誤で進んできました。頼るのではなく「自分たちから」というスタンスは、昔からある当社の風土です。


◆ 伝統をよりよく革新していく

 行政などから評価いただくようになったのは、当社が特許を取得した「上等焼」からです。上等焼とは、南部鉄瓶の伝統的な防錆技法である「金気止め」を当社がブラッシュアップし、鍋やフライパンの商品化に結びつけたものです。これにより経済産業省中小企業庁「元気なモノづくり中小企業300社」(2007年)に選定いただいて以来、マスコミなど周囲の目も変わってきました。

 もともと金気止めは、この地の鋳物屋にとっては当たり前の技法で、特に注目されていた技法ではありませんでした。そんな中、機械系エンジニアで、この業界から見ると「よそ者、若者」だった私の主人が、着色加工を一切行わずに酸化皮膜をつくるという金気止めの発想に着目し、伝統技法を進化させた結果、上等焼は生まれました。それを皆でつくりあげるという、柔軟な発想で新しいことに挑戦する社風が当社にはあると思います。

― 上等焼はどのような点が革新的だったのですか?

 上等焼というネーミングは当社のオリジナルです。通常の金気止めは、熱を加えることで黒錆を出す(酸化皮膜を形成する)南部鉄瓶伝統の防錆技法で、職人の窯焼きによって酸化皮膜を形成します。ただ、鉄鍋には、金気止めが応用されませんでした。なぜかと言うと、鉄鍋には漆を塗る防錆技法が江戸時代の前からずっと続いていたためです。近年、漆の入手が困難になってからは、漆に似たカシューナッツの塗料が使われてきました。つまり、防錆技法がずっと「鉄瓶は窯焼き」「鉄鍋は塗料」に分かれていた中、私たちは「鉄鍋に窯焼き」をしたわけです。

 試行錯誤の末、全く表面加工をせず、熱を加えるだけで(当然、炉中の空気のコントロールはしますが)、錆びにくい鉄鍋をつくることに成功しました。その技法を上等焼と名付けたわけです。一般的な鉄鍋やフライパンのようにフッ素加工や塗料等の化学物質を全く施さないため、安全・安心で環境に優しい商品です。また、塗膜がないことで表面温度も高いので、ダイレクトに鉄器の熱が食材に伝わると、料理人からも好評を得ています。岩手の行政の方からは、「900年も前から製造され、すでに完成されたと思っていた鋳物が、まだ進化できるのか」と仰っていただきました。「伝統をよりよく革新していく企業だ」と見ていただけたのだと思います。


◆ 世界も認める「OIGEN」ブランド

― 海外の販路開拓にも積極的に取り組まれているそうですね。

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色付急須など、多彩な色や形の南部鉄器。


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フォションパリ本店の広告に使用されたOIGENのティーポット。


 50年程前から海外に輸出しています。最初は、商社さんが外国人のバイヤーさんを当社に連れて来たところから始まりました。そのバイヤーさんからの「これに赤い色、こっちに青い色を塗って」といったニーズに応える形で、当時から色付急須は海外向けに展開していました。色付急須は最近になって日本でも話題になっています。

 約10年前、当時の経済産業大臣に、当社の海外販路開拓の話をする機会がありました。そこで、フランスパリの高級食材商「フォション(FAUCHON)」本店の壁に貼られた大型広告に、当社の鋳物のティーポットが使われた写真を大臣に見せました。すると、大臣が驚いて「フォションに頼んだの?」と聞くので、「いいえ、うちはただ南部鉄器を売っただけです」と答えると、さらに驚いていました(笑)。大臣に知っていただいたことで、海外進出する南部鉄器に注目していただき、その後、色々な発展がありました。


◆ 外部の力を取り入れる柔軟性と、譲れない及源の軸

― 伝統的工芸品産業の中で、革新的な経営を成功させる秘訣とは何でしょうか?

 「南部鉄器屋だから」と業界内の常識で考えるのではなく、外部からも情報を取り入れて、自分なりに会社をつくっていく柔軟性と多様性が重要ではないでしょうか。様々な局面で、公的機関やマーケティング関係など多様な方々から当社の足らない点をご指導いただき、その中で精査しながら素直に外部の力を取り入れられた点が、当社の経営革新につながったと考えています。

 もし私が自分の力だけですべてを解決できるスーパー社長なら話は別ですが(笑)、私一人でできること、中小企業でできることは限られています。ですから、必要な時に必要な人たちと柔軟に話ができる関係性が、特に中小企業には重要であると私は思っています。そのために私は話をする人も自分独自で探します。それはやっぱり、自分と馬の合う人と合わない人がいるからです。

― 価値観の「合う、合わない」は、どのような軸を基準としていますか?

 私たち及源は、鉄器というものが、経済性や合理性を優先しがちな現代に対するアンチテーゼのポジションにあると考えます。だからこそ、鉄器を使ってお料理をする醍醐味やその手応えを伝えたいのです。それは何も1から調理する形だけではなく、例えば、買ってきた食べ物を鉄器で温める愉しみ方もあるでしょう。

 ですから、私たちは「簡単便利で、こうすればもっと儲かる」という考え方とはなかなか付き合えないのです。もちろん経営ですから「やっぱりあの注文はとっておけばよかった...」と数字を見て思うことはありますよ(笑)。けれども、そっちは選べないのです。経営的に潤沢な資金があるわけではないですが、鉄器も及源もそういうものではないからです。それを感じてくれるマーケットは必ずあるはずですし、そのマーケットに売ることができないのは、当社の力がないだけのこと。当社にとって正しいことを一緒に考えてくれる人たちとは、長いお付き合いができていると思います。

― 経営的に色々な判断を迫られる時もあると思いますが、どうしても譲れない「最後の軸」とは何ですか?

 まず、お天道様や産地の歴史に対して失礼にならないように考えること。商売では「残念だな」と思うことだけはしたくないですよね。もちろん社長として苦しい時に色々な判断が必要な時はありますが、納得できない時は、たとえ千本の鉄瓶、一万個の鉄鍋でも断わってしまいます。単に「ものを売る」のではない、「一緒にやっていく」のに納得がいくかどうかなんです。


◆ 本当のブランディングとは

―「それは及源ではない、これが及源である」、その輪郭はどのように伝えますか?

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工場併設の直売店「OIGEN ファクトリーショップ」。商品の陳列に加えて、レシピや手入れ方法など、鉄器のある暮らしの愉しさが提案されている。

 当社ではブランディングに力を入れています。「OIGEN」というブランドでしっかり商品をつくり、しっかり売っていこうという想いで立ち上げて今、徐々に世間様に伝えつつあり、それもこの業界では他社さんと差別化している点だと思います。ただブランディングも手探りで、まだまだ形だけだと思っています。私自身にも社員一人ひとりにも、それが落とし込まれなければ、本当のブランディングにはならないから。そのためにはもっと学び、もっとやらなければいけないことがたくさんあります。まだまだ私自身の中で現在進行形なのです。

― 「本当のブランディング」とは、どのような状態ですか?

 単なるマークやメッセージではなく、社員一人ひとりがOIGENのメッセージである、「愉しむをたのしむ」を伝えられて、そのために自分がどのような行動をする必要があるか、それがお客様にしっかり伝わるか、ファンになってもらえるか。それを考え続けること、かつ、ブランドを本物にしていくことではないでしょうか。

― その具体例として、工場併設のショップについては?

 OIGENの想いをダイレクトに伝えることのできる店として、Factory Shopがあります。工場や鉄器の歴史をお客様にイメージしていただき、すがすがしく快適な空間に鉄器を展示しています。ここで大切なことは、販売スタッフとお客様とのコミュニケーションです。目の前にいるお客様とのコミュニケーションに対してもですが、明日の、3ヶ月後の、1年先のお客様とのコミュニケーションを考える。「あのスタッフさんはいる?」とお客様がリピートして来てくれるお店にしたいです。それから最も大切なことは、販売スタッフ以外の工場のスタッフが、お客様に「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と笑顔で挨拶ができること。皆でOIGENブランドをつくることです。


社長が二十歳だった頃

― 次に、及川さんが二十歳だった頃について、教えてください。


◆ 「お前はうちのお墓を守り続けるんだ」

 今思えば、あの頃の私は子どもでした(笑)。親のお金で東京の美術系短期大学に進学し、たいして勉強もせず、人生の目的とは何かも考えず、友達を増やすことも特にせず、ただ田舎の子が東京に行ったくらいの感じでした。

― 創業150年以上の伝統を持つ南部鉄器の老舗を継ぐことに対しては、当時はどのように感じていましたか?

 小学校の頃から、祖父母に「お前がうちを継ぐんだ。うちのお墓を守り続けるんだ」と、徹底的に言われ続けて育ちました。特に女の子が跡取りの場合、お嫁に行ってしまえば跡継ぎがいなくなりますからね。ただ、私くらいの年代では長男・長女は家を継ぐものでしたし、特にこの辺りの地域は友達も皆そうでした。女の子が大学に進学してキャリアを積む時代でもなかったですしね。「これしかない」状況でしたから、多少の居心地の悪さはあっても、「そういうものだ」という感じでしたよ。


◆ 及源は何を表現したいのか

― 東京からこちらに戻って来た後、どのようなことからはじめましたか?

 当時の社長で父が「現場を知らずして何も始まらない」という考え方でしたから、ずっと現場にいました。約6年、同じ部署にいて、私の方から「このままでは、まずいですよ」と言ったのです。まさしく問屋さんから言われたものをつくる状況がずっと続いていました。自社での商品開発も多少やっていましたが、デザイナー任せで自社でのマーケットリサーチがこの会社は全くできていないと思ったので、「社内で独立させてください。そして私に、マーケットリサーチの時間を少しください」と当時の上司に頼んだのです。そして、社内で別部署のようなものをつくってもらい、短大で学んだデザインやマーケティングの知識を活かしながら、商品開発など、自分が足りないと思うことは色々やらせてもらいました。そのための予算はついていなかったので自分の給料だけでしたが、色々勉強させてもらいました。

― 具体的には、どのような点が「このままではまずい」と思ったのですか?

 例えば、南部鉄器の展示会を東京で開くにしても、階段状の白い布の上に、すき焼き鍋の横に灰皿が並び、その横に花瓶が置いてある状態でした。「これは誰がターゲットでどんなシチュエーションで使われることを想定しているのだろう」という状態だったのです。それは当社だけでなくどの会社さんも皆そうで、それが南部鉄器総合見本市でした。それを見て、「やばいな」と思ったのです。そこから変えていこうと、当社は独自のテーブルをつくり、独自の展開をすることからスタートしました。そのために別部署にさせてもらったわけです。

― それは南部鉄器業界で革新的なことだったと思うのですが、及川さんが「やばいな」と感じたセンスは、どこから来たと思いますか?

 若い女性で、特にデザインを勉強した者ならば、誰でも違和感を覚える光景だったと思いますよ。当時の南部鉄器業界には女性の営業マンは一人もおらず、当社だけでなくどの他社さんを見ても、おじさんしかいませんでした。だから白い布の上に、すき焼き鍋と灰皿が隣り合って並んでいても、誰も何とも思わないんです。それは絶対におかしいのに。

 単に「ものが売れればいい」ということではなく、「私たち及源が何を表現したのか」を伝えないと駄目だと思ったのです。及源も他社さんも、白い布の上にずらっと並んでいると、どこから及源で、どこから他社さんかが、わからない。だって「南部鉄器」で終わりだから。だから「これではまずいのではないでしょうか」と言ったわけです。当時の上司からすれば、まぁ煙たかったとは思いますよ(笑)。

― 及川さんが当時から提案し続けてきたことが、今日の貴社の形になったのですね。

 そう思いますね。それがなかったら、ただ単に作業をこなすだけで、未来をどうしたらいいか、わからない状態ですよね。その中で、自分なりに学んだのです。人との付き合い方だったり、値段の付け方だったり、お客さんがどうやったら買ってくれるかだったり。色々な意味で、独自にやりました。

 どの企業さんもそうだと思います。父親の頃とは時代も違うわけですし、従業員さんも機械もすべて環境が違う中で、父親のやり方は参考にはならないですよね。それは父親も同じで、時代の違う祖父の経営は参考にならなかったと思います。ただひとつ、私たちは「鉄器をつくること」だけは共通軸としてあります。鉄を溶かせるから、「マンホールをつくろう」「大手自動車会社の下請けになろう」という方向には行かずに、「自社の鉄器をつくろう」という社風は、及源としてあり続けるのです。


我が社の環境自慢

― 続けて、貴社の環境自慢を教えてください。


◆ 「鉄」という自然の素材をシンプルにつくる

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鋳物は、溶けた鉄を鋳型に流し込んでつくる。

 「鉄」という自然の素材を、シンプルにつくっていることが一番よいと思っています。化学的にAとBとCを合成してつくるのではなく、溶かして固めるという一番シンプルなつくり方です。


◆ 自社ですべてつくる、ものづくりの会社

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及源では手作りの時代を経て、昭和40年頃から量産可能な設備を入れ、分業作業を行っている。

 自社ですべて製造していることも自慢です。鋳物以外の着色は分業制のため、着色屋さんにお願いする必要がありますが、マーケットリサーチからデザイン・商品開発、製造して完成した商品を梱包して出荷するまで、一連の流れのすべてを自分たちで把握でき、責任を持ってやれる点が、よいと思います。ものづくりの会社で、独自技術の上等焼を持っていることも強みですし、皆で一生懸命つくっていることもよいと思います。


◆ 商品の多様性

 「このシリーズはこうじゃなきゃいけない」という発想ではなく、「お母さんにはこれ」「三星シェフにはこれ」「海外の人にはこれ」「小学生ならこれ」というように、意外と枠がない商品構成を持っていることも、うちのよいところだと思います。


◆ 南部鉄器の産地の中にいる

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型から出した後、丁寧に磨かれた鉄器。

 900年以上の歴史がある南部鉄器の産地の中に会社を構えていることもよいと思います。「ここじゃなきゃいけない」意味がちゃんとあるから。お客様に対しても、ここまで来ていただくことに対して、「申し訳ないな、岩手までわざわざ来てもらって」ではなく、「ここだからこそ感じられるでしょう?」くらいの誇らしさが、よいと思うのです。もちろん広報活動として出先機関は必要ですが、うちにはまだそこまでの力はないので、「岩手に来たら、ここは外せないよね」と思われるまでになりたいです。そのためには、やはりブランディングが必要ですね。


若者へのメッセージ

―最後に、今までのお話を踏まえ、若者へのメッセージをお願いします。


◆ すべてを無駄とは思わないで。すべてが自分に返ってくる。

 今の若い人たちは、結果が出ないことを「無駄」と捉えているように感じます。例えば、「お掃除は無駄なこと」「挨拶するのも無駄なこと」とは思わないで。それはすべて自分に返ってくることだから。昔から言われているような「挨拶をきちんとしなさい」「お天道様が見ているよ」といったことに気が付いてもらえるといいですね。会社では、その人の正直さや礼儀正しさや優しさが、チームの中でモチベーションを上げていくのに必要です。1+1が3になる。そんな人が魅力的じゃないですか?

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― 及川さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢

◆ 自分の意見を積極的にお店づくりに反映できる
/千葉雄祐さん(31歳、岩手県奥州市出身、入社3年目)

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南部鉄器のお手入れ方法について、実演をしながら丁寧に教えてくれた千葉さん。

 千葉県で自然体験を提供する会社に勤めていた時、伝統工芸の魅力を再認識する機会がありました。地元の伝統工芸を後世に残したいとの想いから、Uターンで入社して今年で3年目です。
 はじめの2年間は、ものづくりの現場にいて、今年度からショップの担当になりました。現場では直接的にものづくりに携わることにやりがいを感じ、ショップでは自分が工夫したことに対する反応をお客様から直に感じられる点にやりがいを感じています。南部鉄器は「お手入れが大変そう」と敬遠される方も多いですが、お手入れ方法などを伝えることで「愉しんで使えるものなんだ」と見方が変わり、実際に使った話をしてくださるリピーターのお客様もいて、そんな時に「よかった」と実感できます。
 我が社の環境自慢は、上司との距離が近く、自分の意見を積極的に発言でき、実際のお店づくりに反映できるところです。社長はよく「とりあえずやってみて、駄目なら変えればいい」と言ってくれ、入社したばかりの自分の意見も否定せず、どんどん挑戦させてくれます。
 ショップには、県外のお客様が多いのですが、意外と地元の方が少ないと感じています。自分たちの地域によい伝統工芸があることを誇りに思ってもらえるよう、南部鉄器のことを自分自身も日々勉強しながら、お客様目線で南部鉄器の魅力をより伝えていきたいです。


◆ 誰にでも質問でき一緒に考えてくれる「人」が自慢
/小川原諒さん(25歳、岩手県奥州市出身、入社4年目)

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社長の及川さん曰く「社内のムードメーカー的存在」の小川原さん。

 小さな頃から、ものをつくるのが好きでした。ものをつくるなら、ありきたりのものではなく、おもしろいものをつくりたいと思い、及源に入社して今年で4年目です。
 当社では生産効率の向上を図るために機械化を積極的に進めていますが、機械化できない複雑な工程は手作業で行っています。私の仕事は、溶けた鉄を流し込むための砂の型をつくることです。手で砂を握りその感触を確かめ、ものによって圧力を変えています。砂の水分含有量等は日々変化し、固め過ぎても柔らか過ぎても駄目ですから、手は抜けません。今の仕事は自分の肌に合っていると感じます。自分がつくった型が鉄器という形になってお客様のもとに渡った時が最もやりがいを感じる瞬間です。
 我が社の環境自慢は、「人」です。他の生産ラインの人も含めて誰にでもすぐ質問ができ、一緒に考えてくれる雰囲気が、とてもよいです。


◆ 自分の意見を尊重してもらいながら創作活動ができる
/小野竜也さん(27歳、岩手県奥州市出身、入社5年目)

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南部鉄瓶の伝統技法を外部デザイナーの廣瀬愼さん(写真右)から直に学ぶ小野さん。


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小野さんが創作した鉄瓶。

 高校卒業後は造園業に勤務しましたが、もっと手先を使ったものづくりがしたいと考え、色々な会社を探しました。その中で唯一工場見学をしていた及源の「伝える」スタンスに惹かれて、南部鉄瓶の若手職人として入社し、今年で5年目です。
 及源では、昔ながらの南部鉄瓶の伝統技法を絶やさないために、後継者の育成を行なっています。その一環として、私が外部デザイナーの廣瀬愼さんから直に南部鉄瓶の伝統技法を学んでいます。社内の色々な人の意見も取り入れながら、日々、創意工夫で鉄器づくりに励んでいます。失敗も多い仕事なのでめげそうになることもありますが、その分、成功した時の嬉しさは格別です。
 我が社の自慢は、自分の意見を尊重してもらいながら創作活動ができる環境です。朗らかな人が多く、こちらがお願いすると怒らずに話を聞いてくれ、自分の意見を積極的に発言しやすい環境がよいと思います。これからもさらに腕を上げて、よりよいものをお客様に届けていきたいです。


◆ 実は女性にも向いている、ものづくりの仕事
/宇部めぐみさん(26歳、岩手県盛岡市出身、入社3ヶ月目)

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「女性にも向いている仕事だと、ぜひ発信したい」と話す宇部さん。

 及源に入社した理由は、ものづくりをしたかったからです。古さと新しさの両方を兼ね備え、世界に羽ばたくOIGENブランドに惹かれて、3ヵ月前に入社しました。
 実際に入社してみると、外から見ただけではわからなかった及源のよさがわかりました。鋳物工場の中は清潔で、取っ付き辛さがなく、新鮮さを感じながら日々の仕事に取り組んでいます。私の仕事は鉄器の砂を刷毛で取る細やかな仕事で、女性や器用な人に向いていると思います。そのようなこともぜひ発信していきたいですね。
 我が社の自慢は、遠方から訪れるお客様にも愉しんでいただける、ファクトリーショップです。また、当社の鉄鍋は国内外の有名なシェフにも使われており、幅広い方が愛用する鉄器づくりに自分も携われていることに誇りを感じています。

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