取材・写真・文/大草芳江
2015年4月4日公開
世界一の観測装置で火星にリベンジ
中川 広務 Hiromu Nakagawa
(東北大学大学院理学研究科 地球物理学専攻 太陽惑星空間物理学講座 助教)
頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム「ハワイ惑星専用望遠鏡群を核とした惑星プラズマ・大気変動研究の国際連携強化」 × 「宮城の新聞」コラボレーション連載企画 (Vol.4)
装置開発未経験の中川広務さん(東北大学助教)がゼロから開発した装置が、赤外域で世界最高分解能を達成。中川さんがこれまで諦めなかった理由と、これから目指すものとは何なのか。ハワイ州マウイ島ハレアカラ山頂に昨年移設した惑星大気観測専用望遠鏡に装置を取り付け、長期滞在しながら惑星大気研究を進める中川さんに、研究内容や動機などについて聞いた。
中川広務さん(東北大学助教)に聞く
■他の誰にもできない世界一の装置をつくろう
―研究内容について、ご紹介をお願いします。
もともとは、福島県飯舘村にあった我々の惑星大気観測専用望遠鏡T60をハワイに移設する計画から始まりました。移設先の米国ハワイ州マウイ島ハレアカラ山頂は標高が高く(標高3,055メートル)、赤外線の観測に大変便利なので、赤外線の観測装置をT60に実装して、観測しようという話がもちあがりました。
せっかく自前の望遠鏡ですので、大型望遠鏡の装置ではできない、僕たちにしかできないことをやろう。自分たちの目的に特化した世界一の装置を使って、好きな惑星を好きなだけ観測して、自分たちがやりたいことをやろうと、このプロジェクトをスタートさせたのです。
図 1 ハワイ大学研究所内でくみ上げなおした装置
2009年に本格的に装置をつくり始め、2013年に装置が完成。2014年9月、ハワイへの移設が完了したT60に装置を無事実装し(関連記事はこちら) 、11月に初めて火星のデータを取得できました。いよいよこれから惑星の観測をスタートできるところにきたのです。
■どうしても火星にリベンジしたかった
―赤外観測で世界最高分解能を誇る装置が完成したそうですね。この装置が完成するまでの道のりは、どのようなものでしたか?
実は僕、それまで装置をつくったことがなかった人なんですよ。博士号を取得するまで、パソコンによるデータ解析が専門だったので、半田ゴテだってほとんど握ったことがなく、電子回路のつなぎ方さえよくわからなかったのです(笑)。
そんな僕が装置開発に至ったきっかけは、1998年に打ち上げられた日本初の火星探査機「のぞみ」の失敗でした。のぞみは途中トラブルに見舞われ、当初計画より4年延期して火星到着を2004年1月に変更。皆諦めずに頑張ったのですが、結局火星軌道投入を断念し、今なお火星と地球の間を永久に回り続けています。
僕は当時(2002-2007年)、のぞみに載せる装置のひとつを担当し、結局やりたかった火星の研究は全くできませんでした。一方、我々の失敗とは対照的に、同時期にヨーロッパの火星探査機Mars Expressは火星に無事到着し、良い成果をどんどん出しました。それがすごく悔しくて、もう一回、火星にリベンジしたいと思っていたのです。
しかし日本は、欧米のように何度も探査機を打ち上げるチャンスはすぐにはありません。ですから、自分で地上から火星を観測できる道具をつくれたらいいなと思っていました。
博士号取得後のテーマ変更は一般的ではありませんでしたが、どうしても僕は、火星にリベンジしたかったので、教授たちを集め、この装置をつくりましょうと持ちかけました。どうせやるなら世界一の装置をつくり、他ではできないことをやりたいと思ったのです。
■歴代の先輩たちが開発を諦めた装置
―世界一の装置をつくれる見通しは当時あったのですか?
話はさらに、僕がまだ学部生だった頃に遡ります(2000年)。研究室の先輩がずっと開発を続けていた装置がありましたが、結局うまくいかず、開発を諦めてしまったのです。その時に、坂野井和代さんという先輩がぼそっと言っていたんですよ。「もったいないなぁ、成功すれば、すごいのに」って。そのことをふと思い出して、「今、あの装置ができたら、確かに探査機でもできないことができる!」と思ったのです。
だから6年ぶりに、その装置の開発を再開しようと思ったんですよ。ただ、僕は装置を一度もつくったことがない人間なので、さぁ、どうしようか(笑)。歴代の先輩たちが何人やってもダメだったのに、僕が単純にやってもダメだろう、と思っていました。
■幸運な人の巡り合わせ
―装置を一度もつくった経験がなかったのに、どうやって世界一の装置を開発できたのですか?
そんな時、非常に幸運だったのが、今はJAXAで助教をしている山崎敦さんという方が、その時偶然、一時的に東北大の他の先生のもとにいました。そして、たまたま持っていたレーザー関係の雑誌を私に見せてくれ、「このレーザーを使えば実現できるんじゃないか」と教えてくれたのです。
つくりたい装置には技術的な難点が一点あったために、これまで皆頓挫していましたが、6年も経つと世の中は変わり、当時は考えられなかったようなレーザーが登場していました。「これはいける!」という話になり、開発を始めたのが2010年のことです。
図 2レーザと検出器を並べるだけの、ここからのスタートでした(この写真はレンズがあります)
当時は、今だったら笑われるようなところからスタートしました。例えば、レーザーは検出器に導く際にレンズで集光する必要があるのに、レンズを入れるのを忘れていたり。レーザーと検出器を2つ並べて、手で調整しながら「全然反応しないね」と(笑)。
けれども、その時、橋本明くんという学生がいて、その子が非常に苦労してくれたおかげで、新しいレーザーの特徴などが色々わかりました。その後も、歴代の学生たちのおかげで、開発に成功することになるのです。
■損得なしに教えてくれた
そうこうしていくうちに、だんだん装置ができあがってきました。ところが当時は知らなかったのですが、数年前、ドイツのグループが同じレーザーを使って全く同じ装置をつくり、すでに成功していたのです。他にもNASAが、別のやり方ですでに成功していました。
図 3 ドイツグループの観測に参加。観測の様々なノウハウを学ぶ。
僕らも装置がある程度できあがったら、彼らに連絡をとり一緒に研究できたらと思っていました。ところが僕らが始めてまだ間もない頃、学会で何回か発表していたせいもあり、向こうから声をかけてくれ、大変フランクに色々なことを教えてくれたのです。
僕がドイツのグループに里子に出された時も、一から色々なことを教えてもらいました。観測にも同行し、損得なしにほとんど全てのことを教えてもらいました。そのおかげで、日本に帰った後は、非常にスピーディに開発が進み、今までが嘘のように、色々なことができるようになったのです。
■東日本大震災で装置がバラバラに
図 4 震災直後にも関わらず、果敢にもドイツから装置の様子をみにきてくれた仲間。
ただ、装置の最後の一歩が、全くうまくいきませんでした。そんな時、東日本大震災が発生し、実験室の中がめちゃくちゃになり、装置もバラバラになりました。仕方なくゼロから装置を組み直したのです。
そうしたら、びっくりするくらい、すんなりできまして(笑)。いくつか本当はコツがあって、今だったらなぜできなかったかわかりますが、当時は全然わからなくって。ゼロからやるって大事だなと、あの時は思いましたね。
当時、福島飯舘の東北大学の望遠鏡は使えなかったので、広島大学の東広島かなた望遠鏡を使わせてもらうために、完成した装置をバンに乗せ、広島まで片道千何百キロメートルの道を交代しながら行きました。
図 5 東広島かなた望遠鏡に実装して国内初の試験観測。
そこで初めて望遠鏡に装置を実装して試験観測できたおかげで、装置がほぼ完成しました。月のシグナルも取得することができ、あとはハワイにT60が移設されるのを待つだけとなったのです。
■火星からのシグナル獲得に成功
そして去年、さらに改良した装置をハワイに持ち込み、火星からのシグナルを無事取得できたのが2014年11月のこと。いよいよ今年から本格的に観測を始められる地点に到達しました。
図 6 ドイツグループから観測支援にハレアカラT60を訪れてくれた同僚と、本学鍵谷とともに。
この装置を担当した学生たちは、僕の知らないところで「もう諦めましょう」と言っていたらしくて(笑)。時間はかかりましたが、何はともあれ、うまくいって良かったです。
ただ、本当の意味でのスタートはこれからです。これから装置を故障なく運用して無事観測し、良いデータをたくさんとって、良い成果を出したいです。
■毎日ずっと観測は初めて
図 7 30年前のハレアカラ観測。
もともとこの装置は、岡野章一名誉教授(前・惑星プラズマ・大気研究センター長)が初めて日本でつくった装置で、当時の目的は地球大気の観測でした。そのために約30年前、岡野先生がハレアカラ山頂に装置を持ち込んだのです。今回、微弱な惑星のシグナルも検出できるようにグレードアップして、ハレアカラに戻ってきたことになります。
僕の装置はまだリモートで制御できないので、観測するためには、私が毎日、標高3,055メートルのハレアカラ山頂に登る必要があるのです。ですから、なるべく学生にも来てもらって、一緒に観測できたらいいなと思っています。
最近の学生たちも、星空を見ながら、自分でデータをとって、「自分はあの星を研究しているんだな」と実感することが少ないのですよ。パソコンに送られてくるデータの貴重さをあまり実感しないまま解析することが多いですから。そんな意味でも、学生にも実体験してもらうのは良いことだと思います。
■諦めずに皆でやろうという精神が養われた
図 8 初めてドイツのグループの観測に参加させてもらった時。私のネーム入りのオリジナルTシャツを用意してくれていました
―今まで自分で装置をつくったことがない事実を理由にせず、それだけの情熱を持って様々な困難を乗り越え、タイミング良く運を掴んできましたね。
皆、本当に良いタイミングで助けてくれるんですよね。正直NASAの人もドイツの人も、こんなにオープンに教えてくれるとは思っていませんでした。皆で一緒にやろうと、分け隔てなく色々教えてくれたのには、大変感動しました。
―そのような国際共同研究の経験は、今にどのようにつながっていますか?
図 9 NASAグループの観測に参加。NASAのIRTF望遠鏡とともに
何かを理由に、例えば「国内にいないから」「自分たちでできないから」と何かを諦めたりすることがなくなりましたね。「じゃあ、皆でやろうか」という精神が養われました。
そこだけが、おそらく違うんですよ。僕と、これまで装置ができなかった人と。僕より断然、装置をつくるのが上手だったと思うのですが、当時はおそらく「自分たちでやらなくちゃ」と思って、おそらく外の状況があまり見えていなかったと思うのです。
僕はあまり考えずに、ドイツやNASAの人たちとやりとりし始めて、教えてもらったり、一緒にやったことだけが、今までの人と違う点です。ですから、僕自身はあまりコアな革命をしたわけではないのです。
ちょっとしたことですけど、こんなレーザーがあるとか、それでうまくやっている人がいるとか。世界に3グループしかないのもミソで、密な関係になって仲良くなれたのだと思います。周りの人たちのおかげで、ようやくスタートに立てた気がします。
■他の研究者に負けないもの
―これからサイエンスがますます大きくなる中、自分一人でやれることは限られますから、これからの研究はそんな関係性の中から生まれる気もします。
ただ、そこはバランスだと思っています。やはり研究者は、ある一つのことに関して、世界トップであるべきと思うのです。広く見られる人も必要ですが、それぞれが確固たるものを持ち、どこかでトップでなければ、やはり生き残りは難しい気がします。
やはり、何としても、他の研究者に負けないようなものを自分で持ちたかったのです。しかも、東北大学は自前の望遠鏡を所有という国内では数少ない貴重な状況にあります。そこに自分で装置をつくれたら非常に大きな強みになると思って、挑戦しました。
でも、諦めないでやっていると、色々な話が舞い込んでくるものですね。昨年、火星探査衛星のぞみをもっとすごくしたようなNASAの火星探査機が無事火星の軌道に入りました。名古屋大学の関華奈子さんや東北大学の寺田直樹さんの提案が採択され、有り難いことに僕もその貴重なデータを解析させてもらえることになりました。さらに、「のぞみ2」と言うべき日本の次期火星探査機に搭載する機器を開発させてもらえることになりました。
探査機と望遠鏡でできることは異なり、それぞれ良い点と悪い点があります。逆にそのおかげで、火星探査機の研究者と一緒に研究できる状況になります。何をするにしても、「僕なら地上の望遠鏡でこんなデータがとれるよ」という特徴があると、色々つながるのです。
最終的には、大変良い寄り道をしました。むしろあの時、もしのぞみが火星に無事到着してデータを解析できていたら、それで終わっていたかもしれません。
■惑星大気の情報を地上から得る
―ここまで、装置開発に至るまでの背景やモチベーションを伺いました。それでは、そのユニークな装置の特徴と、装置を使った研究について、ご紹介いただけますでしょうか。
この装置は、世に言う「分光器」、つまり、光を分ける装置です。光のうち、目に見える光(可視光)よりも波長が長い光「赤外線」を分光する装置です。
―なぜ赤外線を分光するのですか?
図 10 赤外ヘテロダイン分光器外観
惑星の大気中に存在する二酸化炭素やオゾン、メタンなどの分子が、特徴的に光を吸収したり発したりする波長帯域が、赤外線なのです。その吸収線は分子によって波長が異なるため、赤外線を分け、例えばメタンの場所で光が暗いとわかれば、そこにメタンがあるとわかるわけです。
つまり、現地まで行かなくても、遠い星から来る赤外線を分ければ、「あの星にはオゾンがある」といったことが地上からわかります。ですから赤外線は大気を研究するのに大変便利な波長帯域なのです。私の開発した装置は、この赤外線を分光して、惑星の大気の色々な情報を得る装置です。
ただ、普通は赤外の分光器というと、プリズムで虹色をつくるように屈折率の違いから光を分けたり、フーリエ分光器で干渉計のように光路差から干渉縞をつくって光を分けるなどという方法が一般的で、「直接分光」と言われます。一方、僕らの装置は全く違う"からくり"で光を分けるので、一般的な直接分光とは一線を画するのですよ。
■装置のユニークなポイント
―普通の赤外分光器とは異なる"からくり"とは?
望遠鏡を通して惑星の光が装置に届きます。その光の中で見たい波長に近い赤外のレーザーを当てるんです。すると、まるで音がうぉんうぉんと鳴り始めるように、光と光が唸り(ビート信号)を発生します。そのビートを、光の検出器で高速検出します。赤外線の情報を持ったまま、違う周波数に移動するのですよ。
例えば、10マイクロメートルの赤外線の波長は、周波数で言うと30テラヘルツくらいで、それを数ギガヘルツまで、周波数を落とすのです。つまり、4桁(10,000倍)くらい波長が伸びるので、「切りやすい」のですよ。さらに、ギガヘルツ帯まで行くと電波領域です。電波領域まで来ると、ギガヘルツ帯の電波を分ける技術は色々な機器が整っています。
■世界一の赤外波長分解能
―4桁くらい波長が伸びて「切りやすい」とは、どのような意味でしょうか?
4桁も波長を伸ばして分光するので、大本の30テラヘルツからは想像できないくらい光を細かく切れるんですよ。どれくらい細かく切れるかを、「分解能」といい、150万以上になります。世の中で今、僕らの装置を除いて、赤外域で世界一高い分解能を持つ装置で、分解能は10万強ですから、それより一桁(10倍)以上良くなるわけです。
ですから、当然ながら、波長分解能が必要な観測には、これ以上のものはないのですよ。例えば、火星のとある高度で、風速毎秒10メートルの風が毎秒20メートルに変化したことがわかります。これは、他の装置ではなかなか難しい計測です。
普通は限られた情報からモデルを使って見積もったり、探査機で直接惑星に行って特化した観測でもしない限り無理ですが、それを地上にいながらできることが、この装置の最大の特徴ですね。
■「光の顕微鏡」のように天体の情報を得る
―波長分解能が世界一高いために、遠く火星の大気の様子まで、地上からわかるのですね。
図 11 本装置を使った観測の意義を訴える。ハワイ大学IfAのJeffrey Kuhn博士とともに。
それに波長分解能は、地上から赤外線を分光するのに、とても大事なのです。なぜかと言うと、どの天体を見ても、光路の途中で必ず、地球の大気を通りますね。そして僕らが見たい分子は、たいがい地球の大気も同じ分子の成分を持っています。例えば、惑星の二酸化炭素を見たい時には、地球にも二酸化炭素が、しかも火星よりだんぜん分厚い大気があります。
そのままでは、(天体と地球の大気の分子の)輝線の場所が一緒なので、重なってしまい、地球大気がその情報を全部吸ってしまって何も残らないので、地上からでは、本当は何もできないはずなんですが、天体は地球に対して相対速度をもっており、そのおかげで、天体からの光が波長方向にずれてくれます。
すると、その若干ずれた分だけ、地球の分厚い二酸化炭素の吸収線の「肩」に、ぴょこって乗っかったような感じで天体からのシグナルがみえるのです。ただし、そのずれは極僅かですから、波長分解能がかなり高くなければ、分解できずに、混ざってしまうのです。
しかも、すごく強いやつの「肩」にちょこんと乗っかっているので、その「肩」をどう取り除くかで、過大評価したり過小評価したりと、全く違う「大発見」をしてしまうこともあり得るわけです。地球の望遠鏡で常に苦労する点は、そういうところです。
けれども、私たちの装置は、波長分解能が高いのでそういう苦労をしなくて済みます。完全に地球の信号と他の惑星の信号を区別することができるのです。
■火星メタンを地上から観測する
―赤外線で世界一の波長分解能を誇る装置で、これからどんな研究をするのですか?
このプロジェクトの目的の一つが、「火星メタン」です。遡ること約10年前、大発見がありました。3つのグループが一斉に「火星にメタンがあった」と発表したのです。
―なぜ火星メタンは、世界的な注目を集めたのですか?
図 12 本装置を使った観測の意義を訴える。ハワイ大学IfAのJeffrey Kuhn博士とともに。
なぜかと言うと、地球のメタンは9割方、生命起源なんです。生命の死骸である石炭や牛のげっぷ、水田の微生物などから出ます。地球や火星などの地球型惑星を考えた時、メタンは生命活動や地殻活動の証拠となり得るため、世界的な注目を集めているのです。
今のところ、火星には生命が見つかっていません。そんな中、メタンが発見されたので、「火星に生命がいるかも(いたかも)!」と、10年前に大騒ぎになったわけです。ところが、先ほどもお話した通り、地球にもメタンがたくさんあるので、地上から火星メタンの観測は、普通の分光器では難しく、皆さん苦労しながら見積もるわけです。メタンの見積もり量や検出された場所などはバラバラでした。
そして、2012年、「やっぱり火星にメタンはないのではないか」という論文が発表され、その1年後、NASAの大型火星探査機「キュリオシティ」がメタンを高精度に測定した結果、探査機の着陸点1箇所だけですが、少なくともそこにはメタンがないと発表しました。「やっぱり、火星にはメタンがないのか」という話になったわけです。
図 13 NASAの着陸機Curiosityが今年火星でメタンを検出したと報じられた(copyright:NASA)
ところが、最近になって、キュリオシティが「大変少ない量だが、火星にメタンはあり、しかも時間変動している」という測定結果を報告しました。そうなると、俄然、盛り上がってくるわけですよ(笑)。
生命がいたか(いるか)・ないのかは、まだ結論がでていませんが、少なくともメタンを発生する何かが火星にあるかもしれないということは大変興味深いことです。ですから僕は、この装置で、これまでにない高精度のメタンのデータを火星全球規模で計測したいと思っています。世界で初めて、地上からきちんとした精度で出したいのです。
実は、光を分ける能力が非常に高いことに、逆に弱みがあります。光を分ければ分けるほど、光の強度が薄まってしまうのです。非常に弱いシグナルを受けるため、火星メタンを高精度に見るためには、たくさんの積分時間、つまり長時間ファインダーを開ける必要があるのです。けれども僕ら、自分たちの望遠鏡ですから、ずっとファインダーを開けて、思う存分見ていられるのです。
―なるほど。装置の持つ原理的な弱点を、自前望遠鏡がある強みと組み合わせることで、克服できるわけですね。
そうなんです。そして、火星を観測する好機は、2年に1回、やって来ます。それが2015年12月から2016年2月頃まで。火星が最も地球に近づくのはその後ですが、その前に最も相対速度が大きくなる時期があるのです。そのドップラーが一番高い時期に集中して観測しようというのが、この頭脳循環プログラムの最後の3ヶ月です。
そのタイミングを逃すと、2年後はもうメタンを観測する欧州の探査機が火星に到着するので、その前に一回ぜひ結果を残したいです。あとは、天気がいいと良いですね。
■金星の謎の大気に迫る
―火星の他に、この装置でターゲットにする惑星はありますか?
図 14 Venus Express探査機が捉えた金星(copyright:ESA)
金星も重要なターゲットの一つです。金星は、地球と同じくらいの大きさの惑星ですが、気温は500度に達し、大気も90気圧くらいあります。同じような材料でできたはずなのに、なぜこれほど全く違う進化を遂げたのかは、大きな謎です。また、金星の大気の特徴として、水がほとんどありませんが、なぜ水がなくなったかも、まだよくわかっていません。
この謎を解き明かすためには、金星に微量ながら残っている水の同位体や分布を調べることがポイントで、そこに色々なヒントが隠されています。現在の金星の大気内に残る、ごく僅かな水蒸気がどんな役割を担い、どんなサイクルでまわって宇宙に逃げていくかを、追いたいと思っています。
例えば、水の同位体(水素原子Hの一つが重水素Dになっている同位体HDOなど)は地球に少ないので比較的地上から観測しやすいのですが、H20は、先ほどもお話した通り、(地球の大気を挟まない)探査機でなければ、なかなかデータが取れなかったので、それを僕らは地上から取れるようにしたいと思っています。
また、金星の自転は非常にゆっくりなのに、自転の約60倍のスピードで大気だけが回るという不思議な高速風が吹いており、仮説は幾つか提案されていますがその理由はよくわかっていません。日本の金星探査機「あかつき」も、この謎を調べるため2015年12月、金星周回軌道へ再投入します。
超高速で吹く風の謎に迫るには、大気の下方と上方がどのようにエネルギーや運動量をやり取りしているか、大気中の色々な時間スケールの大気波動を知ることが重要です。ところが、大気の密度や風速、温度のゆらぎ成分などが測定できるような精度の装置は非常に限られています。
けれども僕らの装置なら、先ほどお話した通り、風速10メートル毎秒の惑星の風の変化が地上から測定できます。ですから、金星の風速や温度を高精度に観測し続けることで、ぐるぐる回る雲の上と下で、どのようにエネルギーの出し入れがされているかわかると思います。
■諦めずに走り続けたい
―最後に、今後の意気込みをお願いします
今まで諦めずにやってきたおかげで、やっと当初のやりたかったことが実現しそうなスタート地点まで来ることができました。けれども、望遠鏡で連続的に観測・運用することは、想定以上に、自分の装置のみならず、たくさんの人たちのサポートなくして成り立たないことを身にしみて感じています。
これからの1年も初めてのことばかりなので、きっと色々なトラブルがあると思いますが、せっかく諦めずに目の前まで来たので、これからも諦めずに、楽しみながら走り続けたいと思います。
―中川さん、ありがとうございました