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未来の技術を体験/産総研東北センターで一般公開

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未来の技術を体験/産総研東北センターで一般公開

2013年8月28日公開

産業技術総合研究所東北センター(仙台市宮城野区)で10日に行われた一般公開の様子

 産業技術総合研究所東北センター(仙台市宮城野区)で10日、一般公開が行われ、家族連れら約560人が、同所研究者による実験や工作教室などを楽しんだ。

◆備長炭で燃料電池作り、温度差で発電も

 このうち、「実験ショー燃料電池のおはなし」では、燃料電池について講義があった後、身近な材料を利用して電気をつくる演示実験が行われた。講義では、燃料電池が水の電気分解と逆の反応で、水素と酸素を反応させて電気を取り出す仕組みであることや、燃料を供給すれば長時間連続して発電できることなどが説明された。

「実験ショー燃料電池のおはなし」で、備長炭を使って燃料電池をつくる演示実験の様子

 続いて、備長炭を使って燃料電池をつくる演示実験が行われた。重曹を溶かした水に備長炭を入れ乾電池をつなぎ、水を電気分解すると、備長炭には小さな穴があるため、マイナス極につないだ備長炭には水素が、プラス極につないだ備長炭には酸素が蓄えられる。備長炭から乾電池を外して電子オルゴールをつなぐと、今度は備長炭に蓄えられた水素と酸素から電気が生まれ、音楽が鳴る様子に、子どもたちは興味深そうに見入っていた。

ペルチェ素子を使って温度差で発電する実験の様子

 また、熱エネルギーと電力を直接変換できる電子部品「ペルチェ素子」を使い、温度差で発電する実験もあった。氷で冷やしたペルチェ素子を手で温めるだけで電気が発生し、おもちゃが動くと、子どもたちは「すごい」「本当に動いた」と驚いた様子だった。


◆粘土でできた薄い膜、絵の具で体験

「カラフル粘土で絵を描こう」で、産総研が開発した「粘土膜」を塗り絵で体験する子どもたち

 「カラフル粘土で絵を描こう」では、産総研が開発した新しいフィルム材料「粘土膜」を子どもたちが塗り絵で体験。粘土膜は、環境にやさしい粘土を原料としたフィルム材料。厚さ約1ナノメートル(ナノは10億分の1)の粘土の結晶が、向きをそろえ緻密に積み重なった構造をしている。柔軟でありながら、プラスチックより熱に強く、ガスを通さない性質に優れている。

 一般公開では、特殊な環境を必要とせずに、原料の粘土を混ぜ合わせたインク入りの水溶液をシートに薄く塗って乾燥させるという、簡単な方法で粘土膜が作れることを、塗り絵で体験。粘土膜は現在、水素ガスをほとんど通さない燃料自動車向けの軽量水素タンク用素材や、太陽電池の劣化を防ぐシート材料などへの応用が研究されている。


◆地元にある研究所の取組み、知って

 このほか、同センターの前身にあたる工藝指導所の試作品展示や、味噌汁のうずを再現する実験などがあり、専門知識無しに誰でも工作機械でハンコを加工できるコーナーが子どもたちの人気を集めていた。また、共催の製品評価技術基盤機構東北支所のブースでは、カビや細菌など身近にいる微生物を観察したり、電池の種類や正しい使い方を学ぶ体験があった。

同センターの前身にあたる工藝指導所の試作品展示の様子。工藝指導所出身で、世界を代表するインテリアデザイナー・剣持勇の家具などが展示された

味噌汁のうずの再現実験を観察する参加者。ハチの巣模様のうずの正体は、味噌汁の上部が冷やされることで密度が増し、下部に沈むことから起こる対流であることが、実験やシミュレーションで示された

専門知識なしに誰でも簡単に機械加工を体験できる印鑑製造システム「はんこ名人」が、子どもたちの人気を集めていた


産総研東北センター所長の三石安さん

 同センター所長の三石安さんは「同所をご存じない方にも気軽に来ていただき、地域でこんな研究所があることを知ってもらえたら嬉しい」と話している。



未来の技術を体験/産総研東北センターで一般公開

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未来の技術を体験/産総研東北センターで一般公開

2013年8月28日公開

産業技術総合研究所東北センター(仙台市宮城野区)で10日に行われた一般公開の様子

 産業技術総合研究所東北センター(仙台市宮城野区)で10日、一般公開が行われ、家族連れら約560人が、同所研究者による実験や工作教室などを楽しんだ。

◆備長炭で燃料電池作り、温度差で発電も

 このうち、「実験ショー燃料電池のおはなし」では、燃料電池について講義があった後、身近な材料を利用して電気をつくる演示実験が行われた。講義では、燃料電池が水の電気分解と逆の反応で、水素と酸素を反応させて電気を取り出す仕組みであることや、燃料を供給すれば長時間連続して発電できることなどが説明された。

「実験ショー燃料電池のおはなし」で、備長炭を使って燃料電池をつくる演示実験の様子

 続いて、備長炭を使って燃料電池をつくる演示実験が行われた。重曹を溶かした水に備長炭を入れ乾電池をつなぎ、水を電気分解すると、備長炭には小さな穴があるため、マイナス極につないだ備長炭には水素が、プラス極につないだ備長炭には酸素が蓄えられる。備長炭から乾電池を外して電子オルゴールをつなぐと、今度は備長炭に蓄えられた水素と酸素から電気が生まれ、音楽が鳴る様子に、子どもたちは興味深そうに見入っていた。

ペルチェ素子を使って温度差で発電する実験の様子

 また、熱エネルギーと電力を直接変換できる電子部品「ペルチェ素子」を使い、温度差で発電する実験もあった。氷で冷やしたペルチェ素子を手で温めるだけで電気が発生し、おもちゃが動くと、子どもたちは「すごい」「本当に動いた」と驚いた様子だった。


◆粘土でできた薄い膜、絵の具で体験

「カラフル粘土で絵を描こう」で、産総研が開発した「粘土膜」を塗り絵で体験する子どもたち

 「カラフル粘土で絵を描こう」では、産総研が開発した新しいフィルム材料「粘土膜」を子どもたちが塗り絵で体験。粘土膜は、環境にやさしい粘土を原料としたフィルム材料。厚さ約1ナノメートル(ナノは10億分の1)の粘土の結晶が、向きをそろえ緻密に積み重なった構造をしている。柔軟でありながら、プラスチックより熱に強く、ガスを通さない性質に優れている。

 一般公開では、特殊な環境を必要とせずに、原料の粘土を混ぜ合わせたインク入りの水溶液をシートに薄く塗って乾燥させるという、簡単な方法で粘土膜が作れることを、塗り絵で体験。粘土膜は現在、水素ガスをほとんど通さない燃料自動車向けの軽量水素タンク用素材や、太陽電池の劣化を防ぐシート材料などへの応用が研究されている。


◆地元にある研究所の取組み、知って

 このほか、同センターの前身にあたる工藝指導所の試作品展示コーナーでは、工藝指導所出身で世界を代表するインテリアデザイナー・剣持勇の家具などが展示された。また、味噌汁のうずを再現する実験や、専門知識無しに誰でも工作機械でハンコを加工できるコーナーなどが、子どもたちの人気を集めていた。共催の製品評価技術基盤機構東北支所のブースでは、カビや細菌など身近にいる微生物を観察したり、電池の種類や正しい使い方を学ぶ体験などがあった。

同センターの前身にあたる工藝指導所の試作品展示の様子。工藝指導所出身で、世界を代表するインテリアデザイナー・剣持勇の家具などが展示された

味噌汁のうずの再現実験を観察する参加者。ハチの巣模様のうずの正体は、味噌汁の上部が冷やされることで密度が増し、下部に沈むことから起こる対流であることが、実験やシミュレーションで示された

専門知識なしに誰でも簡単に機械加工を体験できる印鑑製造システム「はんこ名人」が、子どもたちの人気を集めていた


産総研東北センター所長の三石安さん

 同センター所長の三石安さんは「同所をご存じない方にも気軽に来ていただき、地域でこんな研究所があることを知ってもらえたら嬉しい」と話している。


【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯003】工学の魅力知って/東北大工学部で女子高生向けフォーラム開催

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯003】工学の魅力知って/東北大工学部で女子高生向けフォーラム開催 取材・写真・文/大草芳江

2013年9月3日公開

【レポート】女子高校生のためのミニフォーラム
「工学にかける私の夢」(東北大学工学部)


【写真】7月30、31の両日開催された、女子学生のためのミニフォーラム「工学にかける私の夢」のようす=東北大学工学部

 女子高生のためのミニフォーラム「工学にかける私の夢」が7月30、31の両日、東北大学工学部で開催された。女子高生に工学の魅力を伝え、進路選択の参考にしてもらおうと、同大工学研究科・工学部がオープンキャンパス特別企画として実施した。

 フォーラムでは、工学研究科等男女共同参画委員長の横堀壽光教授が「近年、工学部に入る女子学生の数は増え、社会的にも工学部を卒業した女性の活躍の場は広がっている。ぜひ工学部を受験してほしい」と挨拶。工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)による女子学生・女性研究者支援の紹介もあった。

 続いて、同大在学中の女子学生、同大出身の女性社会人、同大の女性教員ら6人が講演。それぞれの立場から、工学部を選んだ理由や研究・業務内容などについて紹介し、工学の魅力や女子高生へのメッセージを語った。講演内容は、以下のとおり。


◆建築女子 -トンチクで学ぶ女子達の日常-
/今泉絵里花さん(都市・建築学専攻 学生)

 幼い頃から人形の家を使って、どんな家にしようかと想像して遊ぶのが好きだった。絵を描くことや物理が大好き。そこで、工学と美術を併せ持つ、建築学科を選んだ。

 東北大学の建築学科は、トうほくだいがく×けンチク=「トンチク」と呼ばれる。トンチク女子の日常は、よりよいものをつくるために、ほとんど寝ずに大学で作業する毎日だ。大変そうに見えるが、皆で助け合いながら、何かをつくる過程はとても楽しい。皆で一つのものをつくり、学年を超えて家族のように仲良くなるのが、トンチクの特徴。皆でお花見やランチパーティーなども企画する。

 卒業設計は、東日本大震災の年だった。津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市雄勝町に1年間通い、何もなくなってしまった瓦礫の中をひたすら歩き続け、改めて「つくる」ということを考えさせられた。そして、雄勝の人々を結びつけていたのは、地域に古くから伝わる神楽だとわかり、雄勝法印神楽をテーマにした作品を提案。本作品は卒業設計日本一決定戦で日本一になり、アジア大会でも高い評価を受けた。

 「何かをつくりたい」という小さな夢が、トンチクで助け合える仲間と出会ったことで「人をつなぐような建築をつくりたい」という思いになった。トンチクで得たものを活かし、これからスイスへ留学する。トンチク卒業生の進路は建築家だけでなく、家具デザイナーから編集者まで大変幅広く、たくさんの可能性がある。何より一番大切なのは興味。それさえあれば、トンチクで何かを得て卒業できるはず。


◆リケジョのススメ 私の生き方
/白石安代さん(ボッシュ株式会社)

 高校で理系を選択した理由は、メーカー勤務や研究者など、職業をイメージしやすかったから。大学は、せっかく進学するなら専門的なことを学びたいと思い、全国的にも数少ない、材料を専門に学ぶことができる東北大学工学部のマテリアル・開発系に進学した。

 就職活動では、選択肢が数多くあった。学校推薦で就職するのが主流で、当時、学生数に対する求人は約3倍もあった。研究室の先輩の勧めで、ボッシュ株式会社にエンジニアとして就職した。私が就職した当時は60名の同期のうち女性は2名だったが、現在はエンジニアの約半数が女性。結婚や出産等で退職する女性はほとんどいない。

 会社では、エンジニアだけでなくマネージメントも経験できた。これが私の人生のターニングポイントに。経営に興味を持った私は、働きながら経営大学院で学び、MBA(経営学修士)を取得。エンジニアからマーケティングマネージャーへ職種転換した。

 女子高生の皆さんに、私が「リケジョ」(理系女子)を勧める理由がいくつかある。まず、職業の選択肢が広い。理系の基礎力は幅広い職業に生かせ、職種転換にも強い。次に、企業や研究機関は今、専門性の高い女性を求めている。女性ならではの視点を活かす機会が、社会の中で増えている。それに女性は少ない故に目立ち、顔を覚えてもらいやすい等、メリットもある。皆さんもぜひ、リケジョを目指してもらいたい。


◆ガラスの「不思議」に魅せられて
/井原梨恵さん(応用物理学専攻 助教)

 幼い頃から、材料が好き。その中でも一番最初に材料として認識したのがガラスだった。4歳の頃、エレクトーン教室でガラスの置物に出会い、「なぜこんなに色々な形がつくれるのだろう?」と不思議に思って以来、ずっとガラスに魅せられている。子供の頃の夢は、「白衣を着る人」。

 音楽が好きで私立高校の音楽科に進学することも考えたが、材料が学べる高専に進学した。そして、研究室配属で偶然、ガラスを研究することになる。高専卒業後、もう少しガラスの研究をしたいと思い、長岡技術科学大学の学部3年に編入し、さらに大学院へと進学した。

 修士課程修了後、就職と進学で迷ったが、博士課程に進学し、結晶化ガラス(※)を研究。博士号を取得後も、企業に就職するか大学に研究者として残るか再度迷ったが、最終的には大学に残った。現在は、光を制御できるアクティブなガラスをつくり、光ファイバに応用しようと研究している。大学に就職しても、企業との共同研究などによって社会貢献ができ、自分の研究成果が社会に広く使われる可能性がある。また、無限の可能性秘めた学生を社会に送り出すという「一粒の麦」となれる。

 研究の楽しさは、世の中で誰も知らないことを自分が一番最初に知ることができること。世の中は、まだわからないことだらけだ。自分たちの研究で、世の中を変えることもできるかもしれない。人生やり直しはできないが、方向転換や学び直しは可能。理系は比較的、方向転換がしやすい分野だ。中高生の皆さんは、よく遊び・よく学び、文系・理系を問わず、今いる環境で最善を尽くし、色々な勉強をぜひ楽しんでほしい。

(※ 結晶化ガラスとは、ガラスと結晶の両材料の特徴を併せ持つ機能性材料)


◆「金属ってすごい」からはじまった私の研究生活
/草間知枝さん(金属フロンティア工学専攻 学生)

 すべての物質は、元素の集まりで表現できる。その元素の違いは、陽子・中性子・電子の数の違いだけだ。つまり、全然違うものなのに、よく見ると、実は、すべて同じものからできている!そう授業で習った時、すごく不思議で面白いと思ったのが、私が物質に興味を持ったきっかけ。

 すべての物質が元素の組み合わせなら、では、その組み合わせ次第で、新しい物質をつくれるのでは?と考えた。そこで元素を簡単に分類すると、周期表のほとんどは金属元素で、実際に私たちが使える元素もほとんどが金属元素だ。つまり、金属元素を含む組み合わせの数が、最も多い。「金属ってすごい」と思った。

 材料科学分野の業績は、東北大学が世界第3位で日本トップ。最先端の研究とその分野における第一人者の教授陣を求め、東北大学工学部材料科学総合学科へ進学を決めた。女子学生数は多くないが、みんな優しく、他研究室にも知り合いができやすい等のメリットもある。大学院修士課程を修了後、伸銅メーカーで2年間勤務し、現在は博士課程に在学中。

 就職について、工学系は非常に有利。必要とされる業種が幅広く、学校推薦も豊富。重要な研究は日本で行われており、企業は優秀な研究者を求めている。工業製品の性能は使用する材料に大きく影響されるため、すべての工業製品は材料と切り離せず、材料の知識はどの工学分野でも必要とされる。材料研究者の活躍の場は広い。

 材料の研究でできること。それは、新しい材料で新しい特性の発見ができると、優れた性能を持つ新しい製品をつくることができる。すると、私たちの生活スタイルが変化し、より豊かな生活、地球環境問題の改善などにつながる。つまり、地球全体、生命全体の利益につながっていく。材料から世界を変えることができる。

 自分が何を好きか、もう気づいていますか?Yes.なら、それを一生懸命やってほしい。No.なら、とにかく色々なことを試してほしい。大学はそれができる場所。つまらないことより好きなことの方が楽しいし、自ら頑張れる。その結果、上達し、優れた成果も出る。すると、自分も嬉しく、社会の利益になり、全体のHappyになる。だから、自分が何を好きか必死に考えて、わかったら実行してほしい。それがもし、工学部でできることなら、仲間が増えて、私も嬉しい。


◆心を豊かにする「モノづくり」を目指して
/中村友香さん(花王株式会社 香料開発研究所)

 高校の時、何となく国語や社会より数学が好きで、衣食住全てに関わる化学に興味があった。まだ将来のことは決めていなかったが、選択の幅が広そうな理系を選択した。

 大学で化学を学ぶには工学以外にも理学・農学・医学など、色々な学部の選択肢があったが、「人や社会に役立つ、新しいモノづくりをしたい」「学んだ知識を社会貢献につなげたい」と工学を選択。オープンキャンパスで研究スケールの大きさと、そこで楽しそうに研究の話をする白衣姿の先輩たちに憧れ、東北大学工学部化学バイオ工学科に入学した。

 学部4年生の研究室配属時、化学の中で何を専門に学ぶか、悩んだ。学生実験を通じ、ビーカーの中で色や匂い等が変化する反応に興味があったため、応用有機合成化学を選択。自分の手で新しいものを生み出せる研究は楽しく、発見の毎日だった。これをきっかけに、就職活動では「もっと身近に感じられるモノづくりをしたい」と、メーカーの研究職を希望。女性の研究者も多い花王株式会社に就職した。

 会社では、香料開発研究所に所属。普段何気なく使用している日用品の多くに香りが関わり、香りを作る過程には様々な科学が関連する。科学と感性の融合をどう研究するかが面白く、自ら手がけた製品を店舗等で見て、お客様の喜びを実感できることがやりがいだ。これからも香りを通じ、人の心を豊かにするモノづくりを目指したい。

 女子高生の皆さん、今できること・自分がやってみたいことに、どんどん挑戦して。挑戦して失敗した分だけ、成長につながる。笑顔を忘れず、今ある状況を楽しもう。


◆過去と未来の災害をみつめて -ある女性土木研究者の日常-
/有働恵子さん(災害科学国際研究所 准教授)

 専門は、海岸工学。砂浜侵食によって海岸線が後退すると、国土が縮小するだけでなく、災害増加の原因にもなる。現在、東日本大震災による砂浜侵食被害の全容把握と被災メカニズムの解明を目指している。研究を通じて長期的なスパンでの津波後の湾岸管理を行政に提言することも、土木研究者の大事な仕事だ。

 また、気候変動に伴う海面上昇による、砂浜の大規模な侵食が懸念されて久しい。観測や実験、数値計算を通して、砂浜が変形していくメカニズムを解明し、これらの知見を考慮したシミュレーション予測技術を開発することで、海岸保全に役立てたい。

 土木の魅力は、理学的な面白さも、工学的な社会貢献も、どちらも満たせること。また、数学から文学まで多岐にわたる分野融合的な研究課題が多いのも魅力。土木は、長期的に人々の生活や産業を支える重要な役割を担っており、使命感を持てる魅力的な仕事だ。

 自分が「面白い」「大切だ」と思える仕事に携わることが大切。私は、何となく大学・大学院に進学したダメな学生の典型だった。しかし、目の前にあるものには、一生懸命取り組んできた。結果的に「面白い」「大切だ」と思え、今、それが仕事になっている。

 プライベートについては、結婚後、双子を出産。生後2ヶ月半で職場復帰し、研究と育児を両立中。今は、出産・育児と仕事の両立をあきらめる時代ではなく、自分の望むワーク・ライフ・バランスを実現できる。工学部に女性は少ないが、例えば、土木における社会基盤整備のように、男性的視点だけでなく女性的視点が求められる分野も多い。皆さんにも、女性であることを活かした役割をぜひ果たしてもらいたい。

さかなの未来を科学する/東北区水産研で一般公開

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さかなの未来を科学する/東北区水産研で一般公開

2013年9月11日公開

【写真1】24日に開催された水産総合研究センター東北区水産研究所一般公開のようす=宮城県塩釜市

 水産研究を身近に感じてもらおうと、水産総合研究センター東北区水産研究所(宮城県塩釜市)は24日、塩釜庁舎や調査船を一般公開した。

 日本は四方を海に囲まれ、魚介類をよく食べる国。同研究所では、それら水産資源を守り、増やすための研究や、皆が安心して利用するための研究を行っている。特に東北区では、黒潮と親潮が交じり合う海域で、海洋環境の特徴や水産資源変動のしくみなどが調査研究されている。

 一般公開では、約630人の家族連れらが訪れ、海のプランクトンを観察したり、ヒトデなど海の生き物にじかに触れる体験などを通じて、水産研究に対する理解を深めていた。


■密度差で発生する流れ、実験とクイズでしくみ解説

【写真2】「密度の違いで流れが発生」のようす

 このうち、密度の違いで流れが発生するしくみを解説するコーナーでは、アイスコーヒーを題材に、クイズ形式で実験が行われた(写真2)。用意されたのは、熱いコーヒーの入った、AとB、二つのコップ。Aは砂糖なし、Bはたっぷりの砂糖入り。これからアイスコーヒーにしようと、氷を入れる。

 そこで、問題。「氷を入れると、AとB、どちらが先に氷が溶けるでしょう?」「氷が溶けた時、コップの中のコーヒーの色は、どうなるでしょう? ①均一になる、②冷たい水が下になる、③冷たい水が上になる」。

【写真3】砂糖入りと砂糖なしのコーヒー、氷の溶け方はどうなる?

 さて、どうなるか。めいめい答えを予想した参加者が注視する中、同所研究者がコップに同数ずつ氷を入れた。その結果、砂糖なしのAが先に氷が溶けた。さらに、Aは均一に混ざったのに対して、砂糖入りのBは冷たい水が上になった(写真3)。

 この理由について研究者は「水の重さを決める一つに温度があり、冷たい水ほど重い。Aは、氷で冷えた重い水が下になろうとするので、混ざりやすい。一方でBは、氷で冷えた水より砂糖が溶けている水の方が重いため、混ざりにくく、下から上へ熱が伝わりづらいので、氷は溶けにくい」と解説。軽い水と重い水が接した時、軽い水が上に、重い水が下になろうとして、流れ(密度流)が発生するしくみが説明された。

【写真4】海水と河川水の境界でも密度差による流れが発生する

 続いて「塩分でも同じです」と、海水と河川水が混じる汽水域を模した密度流の実験が行われた。まず、真ん中を仕切りで区切った水槽に、赤と青に着色した同密度の水道水を片方ずつ入れ、仕切りを外した。その結果、水はほとんど混ざらなかった。その理由は「密度差で生じる流れがなく、接面の分子拡散だけだから」と解説された。

 次に、海に模した食塩水を赤に、川に模した水道水を青に着色し、同様に水槽に入れ仕切りを外した。すると、重い食塩水が下に、軽い水道水が上になることを確認した(写真4)。

 実際に、仙台港でも阿武隈川から供給される河川水(軽い)が、川の流れの勢いでなく密度の違いで、海水(重い)の上に広がっていることが観測されているという。ただし、河川水はどこまでも広がるわけではなく、地球自転の影響で力学的にバランスするため、ある程度までしか広がらないことも説明された。


■調査船も一般公開/日本初導入の水中グライダーも展示

【写真5】水中グライダーの動作原理について説明を受ける親子連れ

 また、調査船「若鷹丸」一般公開では、海洋中の水温や塩分を測定する、無人の海洋航行測器・水中グライダーも公開された。この水中グライダーは、大がかりな機械的動力によらず、内部の重心移動や浮力調整により、推進力と深度を調整できる。その動作原理が模型などを使って解説された(写真5)。

 同所では、2007年9月に日本で初めて水中グライダーを導入。2011年3月の東日本大震災で被害を受けた調査船復旧までの間、国内最長記録となる70日間、水中グライダーによる長期観測を行っている。

 このほか、イカ墨習字や海藻しおりづくりなどの工作体験コーナーや、調査船員による魚の解剖実演やさばき方実演コーナーなどがあり、子どもたちの人気を集めていた。また、マリンピア松島水族館と連携したドクターフィッシュやクラゲの展示もあった。

【写真6】イカ墨で思いおもいの字を書く参加者

【写真7】調査船員による魚のさばき方実演のようす

【写真8】ドクターフィッシュを体験する参加者


 同所長の平井光行さんは、「東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の水産業は、復興に向けて頑張っている。微力だが我々も復興に役立ちたい思いで、一丸となり頑張っている。私たちの行っている調査研究を理解していただけたら有難い」と話している。

(8)仮説と真理/連載エッセイ「風に立つ」(南部健一さん)

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連載エッセイ 風に立つ

(8)仮説と真理

 研究者は仮説を立て、その正しさを証明して仮説が真理であると主張する。証明に疑問点が一切なければ、その仮説は真理となる。ニュートンの運動方程式も量子論の波動方程式も、数学の定理のように証明できる性質のものではない。ともに仮説である。しかし前者は惑星や振り子、ビー玉まで、身の周りのすべての物体の運動を正確に予測し、後者は電子や原子などの状態を正確に予測する。そこで科学者達はこの2つの方程式を真理と見なした。
 STAP細胞は存在したというのが、私の勘である。しかしその存在証明は余りにもずさんだった。これでは真理として受け入れられない。論文には研究者の人格が反映される。正直に生きるという人生観を持たない者には、論文を書く資格はない

南部 健一  (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
ひのき進学教室特別講師
南部 健一 (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
なんぶ・けんいち
1943年金沢市生まれ。工学博士、東北大学名誉教授。百年余学界の難問と言われたボルツマン方程式の解法を1980年、世界で初めて発見。流体工学研究に関する功績が認められ、2008年紫綬褒章受章。

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惑星を観続ける観測基地、ハワイに完成/東北大学

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惑星を観続ける観測基地、ハワイに完成/東北大学

2014年10月29日公開

飯館観測所(福島県飯舘村)からハレアカラ山頂(米ハワイ州マウイ島)に移設された、東北大学惑星プラズマ・大気研究センターの惑星大気観測専用望遠鏡(口径60cm)

 東北大学惑星プラズマ・大気研究センターの国内唯一の惑星大気観測専用望遠鏡(口径60cm)が米国ハワイ州マウイ島のハレアカラ山頂(標高3,055m)に移設され、試験運用を始めた。世界有数の天体観測適地で、火星の生命活動の痕跡や木星のオーロラなど、惑星をめぐる謎に挑む。<研究者インタビューはこちら

 同センターのターゲットは、惑星と宇宙の境目。この境界領域で、惑星は宇宙と様々なものをやり取りしながら、オーロラなどの複雑で謎に満ちた現象と変動を起こすことが、明らかになってきた。

 この惑星と宇宙の境界で生じる宇宙現象に伴って放射される光や電波を捉え分析することで、惑星大気環境の変動を明らかにしようと、同センターは惑星大気観測専用望遠鏡を1999年、飯館観測所(福島県飯舘村)に設置し観測を続けてきた。

 しかし、2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発事故により、観測所周辺の空間放射線量が毎時6.5マイクロシーベルトに達し、長時間滞在での観測が困難になった。代替地を検討した結果、研究仲間のいるハワイ大学の支援を得て、飯舘村からハレアカラ山頂へ望遠鏡を移設した。

 ハレアカラ山頂は、約7割の高い晴天率に恵まれ、観測を邪魔する大気や水蒸気の影響も少ないため、日本国内より好条件で観測できる。隣のハワイ島マウナケア山頂には、国立天文台の巨大望遠鏡「すばる」があるが、世界中の研究者から使用希望が殺到するため、年数回しか使えなかった。自前の望遠鏡移設により、惑星大気環境の理解に必要な時間変動や季節変化などのデータを連続的に取得できるようになる。

望遠鏡移設にあわせて開発された、赤外観測で世界最高分解能を有する分光装置

 移設にあわせ、赤外観測で世界最高分解能を有する分光装置も開発。惑星から放射される赤外線を調べることで、天体の微量な大気を検出し、風速や温度を高精度に計測できるという。装置は望遠鏡に実装され、火星大気からの信号の取得(ファーストライト=初受光)にも成功した。

 移設先のハワイ大学の敷地には、同センターが2006年に既設した口径40cmの望遠鏡もあり、2台体制となる。さらに最先端技術を搭載した惑星・系外惑星専用望遠鏡「PLANETS」(口径1.8m)もハワイ大学などと国際協力で開発を進めており、2016年にはハレアカラ山頂に新たな観測拠点が誕生する。


◆ハレアカラ山頂で開所式

9月にハレアカラ山頂で行われた惑星大気観測専用望遠鏡観測施設開所式のようす

 9月にハレアカラ山頂で行われた惑星大気観測専用望遠鏡観測施設開所式には、東北大学やハワイ大学などから約25人の関係者が出席。現地の司祭によるハワイ伝統のセレモニーが行われ、新しい観測施設の完成を祝った。

 挨拶にたったハワイ大学のギュンター・ヘイシンガー天文学研究施設所長は、「日本の東日本大震災からの復興に貢献しようと、今回の支援に至った。今回の連携はハワイ大学と東北大学の共同プロジェクトにむかう最初のステップ。今後も連携をさらに深めていきたい」と述べた。

 東北大学の早坂忠裕理学研究科長は、ハワイ大学の支援に感謝の意を述べ、「本連携には、震災前からのハワイ大学と本学研究者との長年の共同研究の礎があった。本学総長が推進する国際化の方針にもかなう連携で、特に若手研究者や学生が長期滞在しながら共同研究を行う意義は大きい。今後も研究のみならず教育でも連携を深めたい」と挨拶した。

ハワイ大学マウイ先端技術研究センターで行われた科学協力協定署名式のようす

 続いて、ハワイ大学マウイ先端技術研究センターで科学協力協定署名式が行われ、東北大学とハワイ大学との間で科学協力の促進を図ることを目的とした協定が締結された。

 ハレアカラ山頂に移設した口径60cmの望遠鏡と飯舘村に残した電波望遠鏡は、仙台市の同センターから遠隔操作できるよう改良されている。同センターの坂野井健准教授は「今後も飯舘村との交流を続け、飯舘村に恩返しができるよう、良い研究成果をあげたい」と話している。


関係者インタビュー

◆異なる発想の融合でブレイクスルーを
/理学研究科長の早坂忠裕教授の話

 科学のブレイクスルーには、異なる発想の人たちと一緒に研究することが大切だ。海外には日本とは異なるものの考え方をする人がいたり、異分野の発想を取り入れることもよく行われている。普段とは異なる視点で発想する力を身につける意味でも、今回のような海外長期滞在は若手研究者や学生たちにとって大きな意義があるだろう。今後も研究のみならず教育においても国際協力を深めていきたい。


◆世界トップクラスのサイエンスを目指して
/プロジェクトリーダーの坂野井健准教授の話

 岡野章一先生の努力等々も含め、これまでハワイ大学との長い信頼関係を構築してきたからこそ、ようやく一つの形として60cm望遠鏡移設が結実した。移設までの道のりを考えると感慨深いものがあるが、これは一つのゴールであると同時にスタートでもあるため、気の引き締まる思いだ。これから分析装置を開発し、世界トップクラスのサイエンスができるよう、実績を積んで、次のPLANETS望遠鏡計画にもつなげていきたい。


◆新しい現象を観るために、やるべきことをやるだけ
/60cm望遠鏡移設に大きく貢献した鍵谷将人助教の話

 (60cm望遠鏡の移設作業は、木材切りから鉄筋組立、ペンキ塗りや棚作りまで、鍵谷助教自身が中心となって行ったが)良い観測データを得るために、自分はやるべきことをやっただけ。予算も限られる中、かつ自分たちで全体像を把握するためにも、各種手続きや許可なども自分たちで行った。ハワイ現地の工事の会社と一緒に仕事をして、日本の業者とは異なる対応に戸惑いもあったが、海外で仕事をする意味でも大きな経験となった。
 今回移設した望遠鏡は口径60cmと比較的小さいが、非常にユニークな分析装置と、ハレアカラ山頂での連続観測によって、まだ誰も観たことのない新しい現象を観たい。木星や水星などの惑星周りの環境がどのような時間的変化をするか、過去の火星はどんな環境だったのか、地球はどれくらい普遍的なのか。そして太陽系の次は、系外惑星を理解したい。


◆赤外観測で世界最高分解能を目指す
/分析装置を開発しファーストライトに成功した中川広務助教の話

 分析装置と望遠鏡が無事動いたことを確認できたことは、大変嬉しかった。東北大学がこの分析装置の開発を始めて26年という長い年月が経ったが、ハレアカラ移設に伴って惑星観測が初めて成就したことは感慨深い。
 しかし一方で、天候的なタイミングの問題で、火星の水の痕跡や惑星大気の高度分布がわかるくらいの質の高いデータはまだ取得できていない。これから本格運用に向けて準備を進め、日本初の最高分解能である100万に達する赤外スペクトルを達成し、皆様にお披露目できるような成果をあげられるよう頑張りたい。
 分析装置の完成までには、いろいろな人たちの助けがあった。特にドイツの大学で働いていた恩人には組立を助けてもらった。また、ハワイ大学の先生方にも親切にしてもらい、積極的に議論できたのも、とても嬉しかった。何より楽しそうに研究している海外の研究者と一緒に研究することは、自分にとって良い刺激となっている。


◆着想から26年、ハレアカラ山頂に念願の惑星観測基地が完成
/岡野章一名誉教授(前・惑星プラズマ・大気研究センター長)の話

 やっとここまで来たなぁ。いろいろなことがつながって今日に至った。約30年前に東京大学天文台の方から「ハレアカラは観測に最高だよ」と聞いて、1988年に初めてハレアカラを訪れて以来、「ここで惑星を観測したい」と思っていた。約15年前、本学の地球科学専攻に惑星プラズマ・大気研究センターが新設され、やっと地球だけでなく惑星を研究対象にできるようになった。しかし日本国内の天候は観測に適さない日が多く、晴天率の高いハレアカラ山頂にあるハワイ大学の観測所に装置を担いで通った。何とかもっと恒久的な観測施設を持ちたいと思い、ハワイ大学のジェフリー・クーン教授にお願いして、口径40cm望遠鏡を設置できたのが、2006年のこと。ただ赤外観測は使用できなかったため、もっと良い観測をしたいと思った。そこで、「飯舘村の60cm望遠鏡を移設させてもらえないか」とクーン教授に相談したところ、「それよりも惑星観測に適したもっと良い望遠鏡をハレアカラ山頂に一緒に建設しよう」となり、PLANETS望遠鏡計画がスタートした。
 そして2011年の東日本大震災によって飯舘村で観測できなくなってしまった60cm望遠鏡を、再びハワイ大学に相談して受入を認めてもらった。こうして最初の着想から約26年、ハレアカラ山頂に日本の観測基地ができたわけである。60cm望遠鏡は、特に鏡が良くて、良い像が見える。この鏡はコメット(彗星)ハンターで世界的に有名なアマチュア天文愛好家の方に磨いていただいた。
 これから新しいプロジェクト(PLANETS)も頑張らないとなぁ。最終目標は地球外生命体を世界中の誰よりも最初に見つけること。PLANETSで地球外生命体を見つけられる、こともないこともない、と言われている(笑)。つまり、最終目標に向かって努力する、ということ。PLANETSが完成してはじめて、本当の意味でのリタイアになると思っている。あとは、若い人たちが新しい観測施設をフルに使って、惑星の世界を解き明かしてくれることが、今の私の願いだ。


◆歴史的に評価されるのは、これから出す結果
/惑星大気物理学分野の笠羽康正教授の話

 私の専門は人工衛星・惑星探査機だが、同時に、惑星探査機では得られない、地上望遠鏡の複雑な観測装置を使ったデータを取得したいという欲求がある。ところが日本は晴天率が低く、いざというタイミングでうまくデータがとれないため、晴天率の高い場所で観測したかった。日本でその位置にある望遠鏡はハワイ島マウナケア山頂にある「すばる」のみ。ただ、口径8mもある立派な望遠鏡のため、全国の研究者から様々な対象を観測するために使用希望が殺到し、我々は年2、3日しか使用できなかった。しかしながら惑星には、地球と同様に、季節変化もあれば日や時間の変化もあり、太陽活動に対応する変化もある。そのため、なるべく長期間一つの天体に望遠鏡を向け、僕らの太陽系惑星をじっくり丁寧に、地球と比べられるくらい深く調べたいと、日本の研究者は欲していた。
 そのような意味で、東北大学に赴任して8年目にして、僕らが立ちたかった入口に今回ようやく立てた。これから我々が国内外の様々なグループと共同で打ち上げる様々な惑星探査機や望遠鏡衛星と、ハレアカラの望遠鏡との共同観測ができるようになり、やっと、必要な時に必要なデータが取得できるようになる。私だけでなく共同研究をしている国内外の研究者たちも関心を持っており、ここにいない多くの人たちがデータを待っている。
 今回のハレアカラ観測施設開所は、過去に岡野先生が中心となってつくったいろいろな広がりのゴールでもあるし、これから未来へつながる広がりの出発点でもある。その意味では、我々にとってはまだ何も始まっていない。鍵谷君の建設・大工仕事をはじめとして大変な苦労で望遠鏡が移設されたが、歴史的に評価されるのは、当然、これから出す結果だから。最終的にその価値を決めるのは、今回ここに来れなかった人間、ないしは、これからこの分野に入ってくる若い学生たち。若い世代が情熱を受け継ぎ、拡大して、国際的にも意味がある良い仕事ができるよう、僕ら世代も頑張らなければいけない。


◆学生の研究と教育に大きく貢献
/惑星プラズマ・大気研究センター長の小原隆博教授の話

 大学の本来業務である学生の長期的な研究と教育に、今回のハレアカラ観測施設開所は大きく貢献できるだろう。これから海外観測の安全管理体制を整備すると同時に、仙台からハレアカラ山頂の望遠鏡を遠隔操作して観測を制御できるシステムを開発することで、より多くの学生が観測に参加できるよう環境を整えたい。また、飯館村とも相談しながら、飯館観測所の電波望遠鏡の高性能化を同時に進めている。すでに世界一の分解能を有する電波望遠鏡となり、これから仙台から遠隔操作で制御できるようにする。(ハレアカラの)光学望遠鏡と(飯舘村の)電波望遠鏡の両面で、センターとして非常に有意義な第一歩を踏み出した。
 太陽系惑星は、地球と同じように生まれた兄弟のような惑星だが、その運命はずいぶん異なる。その違いに私たちは興味があり、なぜだろうと考えてしまう。時を同じくして、地球の環境変化や温暖化といった問題を考えるヒントとしても、惑星の気候変動が解決の糸口を与えてくれるだろう。これらを明らかにするために、宇宙では実験ができないため、観測を通じて、規則的・原理的なことを推測していく。その精度は情報が集まれば集まるほど上がる。人工衛星から観る惑星と地上から観る惑星では得られる情報の種類が異なるため、センターでは惑星本来の姿を探るべく両面からアプローチする。その回答は永遠にわからないが、限りなく真実に近づいていくということだろう。そんな研究手法のため、逆に言えば、世代を超えて継続的に研究しなければ、真理に到達しない分野とも言える。
 なぜだろう?と考えられることは、幸せなこと。そんな世界があると気づき、足を踏み入れた先には、強い競争原理が働く世界が待っている。その時に必要なのものは、2つ。一つは自分の「居場所」を持つこと。もう一つは「心の支え棒」。居場所とは研究テーマ。支え棒とは研究室の研究力で、しっかりした研究設備と充実したスタッフを持つことだ。その支えの一つが今回のような観測設備を持つことであり、その支えによって、学生たちも安心して研究テーマを選べるだろう。そのような研究ファシリティ(設備)の整備に、センターとして引き続き、力を注いでいきたい。

坂野井健さん(東北大学准教授)に聞く:ハワイ望遠鏡で探る惑星の世界

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坂野井健さん(東北大学准教授)に聞く:ハワイ望遠鏡で探る惑星の世界 取材・写真・文/大草芳江

2014年10月30日公開

ハワイ惑星専用望遠鏡群で探る
惑星の多様性と普遍性

坂野井 健 Takeshi sakanoi
(東北大学大学院理学研究科・理学部 地球物理学専攻、
付属惑星プラズマ・大気研究センター 准教授)

1967年栃木県宇都宮市生まれ、幼少より天文と自然に興味をもつ、1986年東北大学進学、1996年オーロラ観測のため南極越冬隊として昭和基地で約1年過ごす。帰国後、東北大学助手に就任。現在、同理学研究科惑星プラズマ・大気研究センター准教授

 東北大学大学院理学研究科惑星プラズマ・大気研究センターは、国内唯一の惑星大気観測専用望遠鏡(口径60cm)を、福島県飯館村から米ハワイ州マウイ島のハレアカラ山頂へ移設した。さらに、最先端技術を搭載した新しい惑星・系外惑星専用望遠鏡「PLANETS」(口径1.8m)もハワイ大学などと国際協力で開発を進めている(ニュース記事はこちら)。これら惑星専用望遠鏡群を用いて、解き明かしたい謎とは何か。プロジェクトリーダーを務める坂野井健准教授に聞いた。


坂野井 健さん(東北大学大学院理学研究科・准教授)に聞く


■惑星の多様性と普遍性を探る

―まず、研究のモチベーションを聞かせてください。

図 1 太陽系惑星(出典:Wikipedia:実際の天体同士はとても離れており、天体直径比も圧縮され描かれている)

 研究の面白さを一言で言えば、惑星の多様性です。そもそも惑星って何だろう、と考えると不思議ですね。

 もともと惑星は皆、似たような材料(ガスや塵)からできました。ところが、そのできた結果は、どの惑星を見ても、全く異なる形と環境で、それぞれ異なる振る舞いをします。例えば、大気の成分も違えば、密度も違うし、生命が存在する星は、現在のところ地球だけ。オーロラがある星もあれば、自転しない星や灼熱地獄の星、大陸移動がない星もあります。

図 2 1995年、初めて発見された太陽系外惑星「ペガスス座51番星b」の想像図。木星ほどもある巨大な惑星が、わずか4日という公転周期で主星の周りを巡っていた。(出典:国立天文台)

 現在、人類の理解は、太陽系のみならず、他の恒星にも広がっています。恒星にも様々な種類があり、ベテルギウス(オリオン座α星)のように赤い恒星もあれば、リゲル(オリオン座β星)のように青い恒星もあります。さらに近年、観測技術の向上により、太陽系以外の恒星でも、実際に惑星が1,000個以上発見されています。生命の起源とも密接に関わる、水の存在が期待される惑星の候補もいくつか見つかっています。

 太陽系以外の惑星では、エネルギー(電磁波やプラズマ粒子など)のやり取りも太陽系とは全く異なるでしょう。当然そこで生まれる環境も、太陽系とは異なるはずです。逆に、太陽系以外の恒星や惑星を理解することは、私たちの太陽系の過去・未来の姿を理解することにもつながります。今はそんな比較もできる時代に入りつつあるのです。

 我々の理解を宇宙全体に広げ、普遍的な惑星環境を解き明かしたい―。そう思いながら、研究をしています。


■惑星に憧れた少年時代

―そもそもなぜ惑星を研究するのでしょうか。坂野井さんの研究の原点を教えてください。

 そもそもなぜ研究するかと言えば、まだ誰も見たことがない新しいものを見たいから。誰もが何か新しいことをして、ワクワクドキドキする感覚を持つと思いますが、私の場合、その対象がたまたま天体や惑星で、昔からの憧れだったのです。

 幼稚園の頃、親ではなく近所のおじさんに、近所にあるプラネタリウムに連れて行ってもらっていました。プラネタリウムに流れる音楽も全部暗記するくらい毎日のように通いました。読む本も星の図鑑で、「太陽の大きさは地球の何倍」と比較するのが好きでした。

図 3 木星の巨大な渦(大赤斑)は、おおよそ地球2?3個分の大きさ。発見以来、少なくとも350年以上にわたり一定の形状を維持し続けているが、詳しい発生原因・構造は未だに解明されていない。 (出典:NASA)

 小学校4年生の頃、父親が望遠鏡を買ってくれました。僕はせいぜい1万円くらいの安い望遠鏡と思ったのですが、父親が「きちんとしたものを買いなさい」と、口径10cmのニュートン式反射望遠鏡の赤道儀というタイプ、価格も忘れもしない、当時6万5千円もする望遠鏡を買ってくれたのです。その時から望遠鏡のメカ的な要素も学びました。

 その望遠鏡で、惑星を見ることが、なぜか好きでした。点にしか見えなかったものが、望遠鏡で拡大すると、木星に大赤斑があったり、土星に輪っかがあったり、金星が満ち欠けしたり。そのうち、星の写真を撮るようになってコンテストで入賞したり。中学生になると、望遠鏡を担いで、暗い田んぼを探して歩いたり。いわゆる天文少年だったのです。


■宇宙と地球の境界領域

 東北大学理学部物理系に入学すると、天文と地球物理に分かれます。天文と地球物理の分かれ目は、だいたい探査機が飛んで行ける範囲が地球物理で、探査機が飛んで行けない範囲が天文なんです。ですから、惑星関係は地球物理が多いのです。

図 4 オーロラが発生する高度100-500kmの大気(超高層大気)は希薄な気体であり、ここに宇宙から磁力線に沿って降り注いだ電子が衝突して、放電管と同じ原理で発光する(オーロラの発光)。

 ただ、学生時代に選んだ研究は惑星ではなく、地球の超高層大気という、高度約100kmの高さの大気の研究でした。そこは、宇宙空間と地球大気がせめぎあう境界領域。まるで海と陸の間でせめぎあう波のように、常に安定しているわけではなく時間変動して、行ったり来たりするわけです。

 その境界領域で、一つの重要な発光現象としてオーロラが現れます。オーロラを調べることで、宇宙空間から地球大気にどんなエネルギーがやってくるかわかります。太陽から与えられたエネルギーが、超高層大気から下層大気、対流まで届くわけですが、それらいろいろな段階の中の、宇宙空間と地球の一番最初のせめぎあいの部分の理解です。


■惑星大気は過去一定ではなく、常に進化し続ける

―宇宙と地球の境界領域は、なぜ重要ですか?

 そこって意外と重要なんですよ。短期的に見ると、地球温暖化の裏返しで、地球温暖化が進むと、超高層大気は寒冷化します。なぜならば、布団を被る原理と一緒。厚い布団を被って寝ると、布団の下はぽかぽか温かいですが、布団の上段は下からの熱が遮断され、熱が放出されないため、逆に冷えるんです。よって、(布団の上段に当たる)超高層大気を調べると、(下層大気の)地球温暖化のバロメータ(指標)になるんです。

図 5 惑星大気の宇宙への流出。地球の大気も微量ではあるが宇宙空間へ流出し続けており、地学的タイムスケールでは大きな影響を及ぼすと考えられる。

 さらに長期的に見れば、実は、宇宙の渚である地球の超高層大気から、一日に数トン以上の勢いで地球の大気は宇宙空間へ流出し続けています。短期的には微量でも、地球が誕生して46億年という長いタイムスケールでは、地球の大気の組成も、どんどん変化し続けているのです。

 地球のみならず、どの惑星でも上層大気は宇宙空間へ、大量に流出しています。惑星大気は、過去一定ではなく、常に進化し続ける―そんな概念の変化がここ10年でありました。しかし、これらの効果が、従来のモデルに十分に組み込まれているとは言い難かったのです。

 特に、それは重力の小さく強い磁場を持たない火星で効くと言われます。重力が小さいから、どんどん大気が逃げ出していくのです。かつて火星には海がありましたが、今はありません。火星の海も宇宙空間に逃げ出した可能性が高いと、今は言われています。


■惑星は「閉じた系」でなく「開いた系」だった

図 6 オーロラ

 つまり、これまでは惑星を「閉じた系」で考えれば良かったのですが、最近の様々な観測事実は、惑星は「開いた系」であるということを示しています。

 例えば、超高層大気は、太陽や宇宙空間からのエネルギー(紫外線や太陽風)と、温暖化を含む下層大気からのエネルギーのせめぎ合いで、オーロラなどの複雑で興味深い現象と変動を示します。さらに宇宙空間から彗星や隕石が降り注ぐと、大気組成にも影響する可能性が高いことがわかっています。

図 7 衛星イオの火山ガスが木星の回りに分布(出典:Wikipedia)

 また、木星では衛星イオが火山ガスを大量に噴出し、土星では衛星エンケラドスが氷火山を噴出して、周辺環境(磁気圏)に大きな影響を与えます。木星や土星の衛星群では複数の衛星同士で物質輸送があり、おそらく惑星同士でも物質の輸送があると考えられています。

 これら惑星大気の「開いた系」の理解に我々は最も興味があり、T60やPLANETSなどのハワイ惑星専用望遠鏡群でこれらを明らかにしたいのです。


■地球の大気が安定するしくみ

―逆に、これまではなぜ「閉じた系」で考えられていたのですか?

図 8 二酸化炭素の循環と気候の安定(画像:北海道大学 倉本圭氏による)

 私の専門からは少し離れますが、これまで地球の大気は、他の惑星と比べて、わりと安定してきたと考えられています。なぜならば、海があったから、火山があったから、大陸移動(プレートテクトニクス)があったから、月があったからです。

 図8のように、火山から大気中に二酸化炭素が放出され、それが降雨して、陸地あるいは海に落ち、その中で石灰石が生成され、石灰石がだんだんプレートテクトニクスで陸中に沈み込み、地球のマントル中に入って溶け、溶けたものが揮発成分として上昇して火山になって...というサイクルが働いて、地球の大気組成はわりと過去安定してきたと考えられていました。

 逆に言えば、そのどこかが変われば、地球環境が激変します。もし火山がなくなったり、プレートテクトニクスがなくなったり、海がなくなったりすると、環境がドラスティック(劇的)に変わるのです。そもそも火山噴火やプレートテクトニクスがなぜ起こるか?と言えば、地球の中に熱源があるから。その熱は放射性物質の崩壊で核分裂して生成されるため、ある半減期でだんだん減っていきます。地球内部の放射線物質が減って、どんどん冷えて、内部の熱源がなくなり、最終的にプレートテクトニクスはなくなってしまうかもしれません。実際に今、まさに火星がそうで、冷えきっていると想像されています。

 ただ、これはまだ単純なモデルで、本当は他にも、いろいろ考えないといけないことがたくさんあるんですよ。これから考えなければいけない問題は、大きく三つあります。

図 9 太陽(出典:NASA-SDO)

 まず一つ目は、「暗い太陽のパラドクス」。太陽は過去45億年間で約30%明るくなったと言われます。昔の太陽が今より30%も暗ければ、地球の大気はもっと寒いはずです。ところが、不思議なことに、地球の環境はそれほど大きく変わっていません。つまり、このシステムが安定して作用するには、何か別のプロセスが働いているはずですが、未だに解明されていません。

 ちなみに、46億年前の太陽が暗かったことが、なぜわかったと思いますか?考古学などでわかるのは、せいぜい数万年前ですよね。なぜかと言うと、太陽と似たようなタイプの恒星は他にもたくさんあって、それらを調べることで、太陽の過去や未来の姿までわかるのです。そんな意味でも、天文学は、我々の地球物理学ともつながるので面白いですね。

図 10 過去に火星の表面を覆っていた水の想像図(出典:Wikipedia)

 二つ目に、大気中の二酸化炭素の量は一定か?という問題があります。

 先ほどもお話した通り、地球には海があるために、石灰岩が生成され、大気中の二酸化炭素が取り除かれたと考えられています。その結果、現在海のある地球だけ二酸化炭素が少なく、現在海のない火星や金星は二酸化炭素中心の大気です。しかし、海の量が常に一定とは限りません。地球も最初は海がなく、海ができた時、二酸化炭素の量もドラスティックに変わったと考えられます。あるいは、火山の活動も地球誕生時から、だんだん低下しているようです。これにより、二酸化炭素の供給量も減るかもしれません。

 このように、二酸化炭素はどのような長期的変動をしているか、どのくらいの時間なら安定と考えても良いかなどを、これから考える必要があるでしょう。

図 11 金星大気の宇宙への流出(出典:ESA)

 そして、三つ目が本題で、先ほどもお話した、惑星大気が宇宙空間へ大量に流出する「大気散逸」の問題があります。大気散逸が惑星の大気に与える影響がよくわかっていないために、かつての惑星の大気環境についても長期的な変化がよくわかっていません。この大気散逸を理解するために、我々は惑星の超高層大気を理解したいのです。そのためのツールとして、我々は「光」というテクニックを使います。


■光る理由がわかると、光は道具になる

―光をどうやって道具として使うのですか?

 光を使うと、何が面白いかと言いますとね。なぜ光が出るかがわかるから、逆に、光を測ることで、何が起きているかがわかるのです。

図 12 原子が発光するしくみ。原子核の周りを回る電子が別の軌道に移ると(電子遷移)、光が出る。

 まずは、原子はなぜ発光するか?から説明しましょう。原子の中には、原子核と電子があり、原子核の周りに電子が回っていますね。そこにエネルギーが与えられると、電子の軌道が高い準位に上がります(励起)。すると、ものが高いところにあると位置エネルギーが高くなるのと同じような感じで、電子が不安定な状況となり、基の状態に落ちようとします。その落ちた分だけの差のエネルギーが、光のエネルギーとして放出されます(図12)。

図 13 光の波長とエネルギーの関係

 この電子軌道の準位は、量子力学的に決められており、連続的ではなく飛び飛びです。ですから、電子の決まった準位差のエネルギー差に対応する、波長の光が出るわけです。よって、この(電子軌道のエネルギー準位の差の)幅が広ければ広いほど、(高いエネルギーである)紫外線や青い光など、短い波長の光になります。逆に、この幅が狭ければ狭いほど、(低いエネルギーである)赤い光など、長い波長の光が出ます。


■なぜ赤外線を使うのか

―坂野井さんの分析装置は赤外線を使うそうですね。そもそもなぜ赤外線なのですか?

 原子の場合は先ほどの説明で良いのですが、これら原子の電子遷移に伴う光は、主に、可視光から紫外線の範囲のエネルギーに対して起こります。じゃあ、赤外線は何なんだ?と言うと、原子じゃなく、分子なんです。

図 14 分子の振動準位と回転準位。上段が直線2原子分子(一酸化炭素など)の場合。下段が3原子分子(水など)の場合。左が振動状態で右が回転状態。

 分子には、それぞれの原子に先ほど説明した電子軌道のエネルギー準位もありますが、それに加えて、原子同士の関係で「振動準位」と「回転準位」も持っています。これらも、電子軌道のエネルギー準位と同様に、自由に振動や回転ができず、ある決まった、つまり量子化されたエネルギー準位の回転や振動しか存在しません。例えば、とある振動状態から別の振動状態に移る時も、エネルギーの差が生まれ光が生じます。振動モードにも何種類かあり、それぞれエネルギーの差があります。その差に対応する幅の波長で光るわけです。

図 15 分子の内部エネルギー(電子軌道、回転、振動)の大きさの比較

 これらの振動準位や回転準位のエネルギー差は、電子軌道が遷移するエネルギーの差に比べると、すごく幅が狭いのです。エネルギーが低いため、出てくる波長が、赤い方にシフトするわけですね。ですから、分子の発光を調べると、自ずと赤外線を調べることになるのです。つまり、分子の状態を知るためには、波長の長い赤外線が必要になってくる、ということですね。


■人類が行けない惑星の環境を、地上から光で調べる

―光を使って、大気の分子の状態を調べると、どんなことがわかるのですか?

図 16 オーロラの活動に伴って、高度100kmにおいて、風が吹いたり、温度が上昇する様子を南極の地上観測から明らかにした(坂野井さんの博士論文)

結論から先に言いますと、地球のオーロラの波長毎の光の強さを計測すること~これを分光観測といいますが~から、高度100-300kmの温度や風速などがわかります。また、地球の二酸化炭素やオゾンを太陽光の吸収線から測定することで、二酸化炭素やオゾンの量や高度分布、気温などまでわかってしまいます。気球などをあげて調べる必要がある高度分布が、分光するだけでわかってしまうのです。

 我々のグループは、このような分光技術を、約15年前までは、地球の大気に応用して研究してきました。ところが、このような分光技術は、地球に限らず惑星大気どこでも応用できるのです。

図 17 木星のオーロラ(出典:NASA)

 例えば、この分光器を地上の望遠鏡につけて観測すれば、木星のオーロラが発生する超高層大気の温度や風速、風向や大気組成などまでわかります。火星を望遠鏡で赤外分光観測すれば、火星の気候に重要な微量気体や、かつての海の証拠を得ることができる可能性があります。これと同じことを太陽系外惑星でもできれば、水の存在、さらには生命活動の証拠を得ることができるかもしれません。

 このように、分光して、そのスペクトルの形を詳細に調べることで、人類が決して行くことのできない環境までも知ることができるのです。


■ユニークな超高分散分光器と連続観測で世界トップクラスの成果を

―この研究のユニークな点は、どこにありますか?

図 18 スペクトルの形と分光計の波長分解能。青い実線が理想的なスペクトル曲線。赤い四角が分光計の波長分解能、赤丸が観測データ点。

 我々の分光技術はかなり特異で、いわゆる「超高分散分光」と言います。簡単に言うと、波長分解能が大変高いのです。どれくらい高いかと言うと、いわゆる「低分散分光」では波長分解能が10~1,000に対して、我々が現在開発中の分光装置は100万以上です。

 一般的に、天文観測は低分散分光の方が多く、高分散分光は少数派です。高分散分光の場合、たくさんのデータ点を取る必要があるので、手間も時間もかかるし、効率は悪いのです。一方、低分散分光は、光の量や場所だけを知りたい時など目的に応じては効率が良いことが多いのです。

図 19 T60に取り付けられた自作の超高分散分光器

 しかし我々の目的は惑星大気の分光観測で、非常に高い波長分解能が必要です。そんなことができる装置って、世界中でも、なかなかないんですよ。もちろん既製品はありません。だから、装置も自分たちでつくる必要があるのです。

 もう一つの特徴は、世界有数の天体観測適地であるハレアカラ山頂に自前の観測施設を設置でき、好条件で連続観測が可能になったことです。現象には因果関係があるため、時間変動を追う必要があります。そこで連続観測するためにも、自前の望遠鏡が必要なのです。

 と言うのも、日本の巨大望遠鏡「すばる」などを使う場合、公募に出しても観測できるのは、年に数回だけ。その積み重ねで我々も研究をしていますが、それだけで時間変動や季節変化を調べるのは限界があります。すばる望遠鏡を自分たちで1年間専有できるのが一番良いですが、それは不可能ですからね(笑)。

 自前望遠鏡による連続観測と、世の中にあまりない超高分散分光器という観測装置。この二つの組合せにより、いろいろな制約がある中でも、ある分野で世界トップクラスのユニークな成果が出せると思っています。

 もちろん、それぞれの惑星には、それぞれ違う物理過程があります。それぞれに面白いサイエンスがありつつも、しかし実は、観測という技術的な面では共通性が多いわけです。地球ですらまだたくさんの謎がある中で、火星や金星、木星などの惑星は、それこそ、これまで観測手段すら不十分でした。そんな中、これまで我々が地球の大気で培ってきた分光技術を惑星に応用することで、新たな科学フロンティアを拓けると考えています。

 それに、ここで経験を積まなければ、我々は次のステップに行けないと考えています。我々は地球大気から始め、これから惑星をフロンティアにしようとする中、地球大気だけでなく天文学の専門家たちとの接点も出てきます。そんなポジティブな刺激がある中、装置や望遠鏡の開発力や維持運営力、技術的・財政的な問題解決力、国際コミュニケーション能力といった地力を身に付ける必要があります。そんな中、今回移設したT60は、ユニークな観測に加え、我々の地力を身に付ける良い地固めとなるでしょう。自分の世代で閉じるのではなく、次の世代に繋がるようなサイエンスがしたいと思っています。


■新しいことを創造して人類の豊かさに貢献したい

―最後に、これからの豊富を聞かせてください。

 人と同じことをやっても、研究って面白くないと思うのです。人と同じことをやるなら、他の人にやってもらえば良いと思うから。人と違うことをやって新しいことを創造し、人々の知識や生活がより豊かで夢のある世界になることに、少しでも貢献したいです。

―読者の中高生たちにメッセージをお願いします。

図 20 ハレアカラ山頂に移設されたT60の前で

 いろいろなものに、面白さや楽しさ、可能性があると思います。自分が面白いと思った感覚を信じて、それを楽しみながらぜひ続けてください。人との価値観との違いで、「これはつまらないんじゃないか」と思わず、自分の感覚を信じて、それが面白いと思ったら、やってみてください。

 中高生にとって、科学者は別世界の人に感じるかもしれません。しかし、実は、その身近な好奇心の積重ねで成り立っているのです。それが新しいことの発見につながり、人々のより豊かな夢のある生活につながっていく。このように常に連続しているものです。

 ですから、中高生の頃の好奇心を、大事にしてもらっていいんじゃないかな。それぞれ違うのだから。やり方も違って当たり前。目標へ向うアプローチも、一つじゃなくて良い。そう伝えたいです。

 その目標=夢を与えられる仕事が、我々研究者ができたとしたら、それほど幸せなことはありません。

―坂野井さん、ありがとうございました。

(9)解けない謎は胸の蔵に/連載エッセイ「風に立つ」(南部健一さん)

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連載エッセイ 風に立つ

(9)解けない謎は胸の蔵に

 子供の時から謎をため込んで来た。並べて見る。なぜ自分は村祭りに出られないのか?なぜ川に突き刺した竹竿は首を振るのか?なぜ羽黒トンボだけが羽をたたんで休むのか?猫は目が回っても立てるのか?蛇は感電したらどうなるのか?なぜなまずの腹は白くやわらかいのか?
 村祭りの花は、獅子に立ち向かう武者姿の少年だった。しかし私の出番は全くなかった。父に訊くと「うちは小作(田畑を持たない貧農)だからだ」と言った。哀しかった。なぜ親の貧富で子供を差別するのか。竹竿の問題は大学で、カルマン渦が原因と知った。猫は抱いて実験した。ある回転数を超えると、猫はぶざまに落ちた。蛇も実験した。カエルと正反対、折りたたまれた。羽黒トンボとなまずの問題は今もお蔵入りのまま。

南部 健一  (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
ひのき進学教室特別講師
南部 健一 (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
なんぶ・けんいち
1943年金沢市生まれ。工学博士、東北大学名誉教授。百年余学界の難問と言われたボルツマン方程式の解法を1980年、世界で初めて発見。流体工学研究に関する功績が認められ、2008年紫綬褒章受章。

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯009】工学女子の現実と本音、ざっくばらんに語り合う/東北大で茶話会

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯009】工学女子の現実と本音、ざっくばらんに語り合う/東北大で茶話会 取材・写真・文/大草芳江

2014年12月2日公開

【写真1】11月21日に開催された「アリスのぶっちゃけトーク -工学女子の現実と本音-」のようす=東北大学青葉山キャンパスあおば食堂DOCK

 「アリスのぶっちゃけトーク -工学女子の現実と本音-」と題した茶話会が11月21日、東北大学青葉山キャンパスのあおば食堂DOCKにて開催された。工学系の女子学生や女性研究者23人が参加し、進路や結婚、仕事と育児の両立などについて、ざっくばらんに語り合った。

 女性研究者や女子学生のキャリア継続を支援する「東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(アリス)」が主催した。同大工学系に占める女性研究者や女子学生の割合は、わずか約1割と少数派。普段なかなか異性には打ち明けにくい悩みや不安を、一人で悩む前に女性同士で気軽に情報共有しようと、アリスでは女子学生・女性教員の交流会を定期的に開催している。

【写真2】お茶やお菓子を片手にざっくばらんに語り合う女性研究者や女子学生たち

 挨拶にたったアリス室長の田中真美教授は「辛いこととやうまくいっていないことも、ざっくばらんに話して。どうすれば支援制度として昇華できるかを考え、問題解決につなげたい。一緒に頑張って、成長しよう」と述べた。続いて参加者の自己紹介を行った後、お茶やお菓子を片手に茶話会がスタート。参加者たちは、「大学院博士課程に進学すると、婚期は遅れる?」「子どもが急病になった時や長期出張の時は、どう対応している?」など、日頃抱いている不安や悩みを、なごやかな雰囲気の中、語り合っていた。主なやりとりは、<参加者の声>の通り。

【写真3】女性研究者から女子学生にアドバイスする姿もよく見られた

 参加した女子学生は「大学院修了後は企業に就職し、将来は結婚と出産を考えている。先輩方は育児と仕事を両立し、様々な苦労を乗り越えた上でそれぞれ自分に合ったペースを見つけていた。私も経験を重ねながら自分のペースを見つけることが大切だと思った」と話していた。

 参加した育児中の女性研究者は「研究と育児の両立で毎日苦労しているが、育児経験者と交流し、大変なのは私だけじゃないとわかった。皆も頑張っているから、私も頑張ろうと励まされた」と話している。


<参加者の声(一部抜粋)>


■研究と育児の両立

・夫と勤務地が異なるため(東北大学工学系の女性研究者の中で、16人のうち11人が配偶者と別居中)、一人で育児と家事をこなしており、毎日が本当に大変。実家や親戚とも離れて暮らしており、いざという時に頼れる人がいない。特に子どもが急病の時、とても苦労している。研究と育児の両立の苦労を、先輩たちがどう乗り越えたか、ぜひ知りたい。

・研究と育児の両立に困っているが、何が必要かが自分でもわからない。経験を共有することで、不安をなくしたり、本当のニーズとサポートをつなげたい。

・大学のベビーシッター利用料補助制度は知っていたが、ベビーシッター利用そのものに不安や引け目があった。しかし状況が突然変わり、ベビーシッターが急に必要になった時、アリスに相談できてよかった。皆に背中を押してもらい、情報収集ができて助かった。

・現在は夫と別居中だが、これから同居して夫婦で育児ができるよう、ポストと勤務地を変えることにした。引っ越し先の地域は、子どもの教育環境を考慮して選びたいと考えており、いろいろと情報交換したい。

・職場や親戚などまわりの理解も重要。相手が仕事と育児の両立に理解がある人かどうかで、話しかけ方も変わる。顔に「イクメン」とでも書いてあれば、話が通りやすいのに...。


■博士課程に進むと婚期が遅れる?

・日本はまだまだ男性中心社会で、男性より高学歴の女性は敬遠されがち。海外の場合、むしろ「ラッキー」と思われるのに...。育児参加についても、男性の役割・女性の役割、という固定概念がまだ日本には残っていると思う。

・全ての男性が高学歴の女性を敬遠するわけではない。同じ研究職同士の結婚も多いし...。

・学生たちは育児よりも結婚をリアルに考えてるようだ。しかし一方で、育休を取得できる会社かどうかや、出産後に仕事をセーブしながら働けるかといったことは、かなり気にしており、詳しく調べている。


■育児経験者からのアドバイス

・育児中は思ったように研究ができず、イライラすることも多かった。しかし「できる範囲でやるしかない」と悟ってから、楽になった。

・若いうちに出産をした方が良い。若い頃の方が体力はあって、責任は小さいから。学生結婚もお勧め。高齢になるほど二人目以降の出産はだんだん難しくなる。

・将来の配偶者は、家事ができる人にした方が良い。


■茶話会に参加して

・普段なかなか女性研究者の方にお会いする機会が少ないため、参考になるお話が聴けてよかった。お互いの経験を共有し情報交換する女子会は、とても重要だと思う。

・将来の道は、自分が思っていた以上に多様であることを学ぶことができた。将来のことも焦らずに、様々なことに挑戦していきたい。

・育児と研究を両立する同じ立場で、悩みも一緒。同じ悩みの仲間がいると、同じ苦労の中にも明るさがある。


【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯010】東北大で工学系イクメン座談会、男性目線で育児を語り合う(後編)

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯010】東北大で工学系イクメン座談会、男性目線で育児を語り合う 取材・写真・文/大草芳江

2014年12月26日公開

前編はこちら...


■寝かしつけに工学系イクメン的発想

―奥さんや子どもに、普段は言えないけど、言いたい一言はありますか?

森口
子どもに「寝てください」と言いたいです。

奥山
子どもがまだ幼く、夜3時間おきくらいに目を覚ましてしまっていた頃は、車に乗せてドライブに連れて行きました。1時間くらいドライブをしていると、よく眠ってくれますよ。その頃は走行距離が1ヶ月で100kmになりました(笑)。

上田
子どもがパニックになって泣き叫んでいる時も、車に乗せると泣き止みますものね。それを応用した寝かしつけの装置はつくれないのでしょうか。振動の周波数とか測ったら、再現できそうなのに。

住井
青葉山発で、つくったら良いですよね(笑)。それが馬鹿売れしたら、大変な注目度に(笑)。

藤井
私は、子供を抱えて揺らしてさせて寝かしつけましたが、なかなか寝付かないときには40~50分もその運動を続けていました。

奥山
私は、一人目の子どもの時には、寝かしつけるための運動で10kg痩せました。良いシェイプアップになりました。

藤井
うちも、いろいろ試しました。上下方向に揺らした方が、よく寝ますね。揺らす方はしんどいですけど。

大野
うちの子も僕が抱えてスクワットしたら、寝つきがよくて(笑)最適なものがわかるまでは大変ですが、一回わかれば、あとはやるだけなので楽ですよね。


■育児が学生の教育に活かされた

―育児の経験が、例えば研究などの仕事に、活かされたことはありますか?

上田
私自身ではないのですが、旅館経営をしている妻が出産後、子ども連れ向けのプランの必要性を実感して、仕事に活かしています。長座布団が一枚あるだけで便利さがまるで違うとか、子どもの声が周囲の部屋に迷惑にならないか気になるから角部屋の方がいいなとか。

森口
土砂災害を考える時、子どもがいる時に避難をどうするかなど、今まで考えなかったことを考えたりするようになりました。

住井
研究面ではさほど変化はないですが、教育面では変化がありましたね。学生に対して、「まだ子どもだからな」と寛容になりますよね。

藤井
学生に対する接し方が変わって、子どもと接するような感じになりました。「皆さんお名前を呼ばれたら、元気良くお返事してねー」とか(笑)。学生と歳が離れてくると、余計そうなるかもしれません。

伊野
僕も、子どもと接することで教育について考える機会が増えました。なかなか思い通りにならない子どもと接することで、学生に対してもこういう接し方だとモチベーションが上がるだろうか、どういう教え方が学生にはいいだろうかと、以前より考えるようになりました。

大野
子どもが生まれるまでは全くわからなかった親の気持ちが、今はわかるようになりました。新幹線などで知らない子どもが泣き叫んでいたりしたら、昔はうるさいなとイライラしていましたが、今は「元気があってよい子だな(笑)」とストレスを感じなくなりました。学生に対しても以前は「なんでこんなことができないの?!」と感じることもあったのですが、むしろ最近は、「ここに来ている学生たちはいろいろなことを乗り越え、大学受験という関門を突破してきたすごい子たちなんだ」と、学生に対する見方が変わりましたね(笑)。

山川
私も、自分自身が成長したと感じます。学生との研究打合せでもイライラしなくなったり、授業でもこれまでより丁寧に説明するようになったり。視野が広がったと感じます。

奥山
コミュニケーションの取り方が変わりました。丸くなり相手の話を聞くようになりました。子どもとコミュニケーションをとるのは難しいので、それを経てスキルが上がったのかもしれません。学生の意図を汲んだり、些細な変化を感じとったりが、少しはできるようになった気がします。

住井
こうして同世代の方とお話する時、子どもには悪いですけど、子どもをネタにできます。異分野の方でも、共通の話題になりやすい。女性研究者の方ともお話しやすくなりました。


■育児とは日々の喜び

―育児中ならではの喜びはありますか?

奥山
出張から帰ってくると、娘が「パパ!」って迎えに来てくれるのが、嬉しいです(笑)。

伊野
同じです(笑)。うちの娘は以前は「パパよりアンパンマンやしまじろうの方が好き」と言っていたのですが、今は「パパの方が好きよ」と言ってくれるので、良かったなと(笑)。

山川
上の子二人が大きくなり、日々大変だった苦労も、振り返ってみれば良かったと思います。

上田
「なぜ全く泣き止まないのだ?」と大変な時もありますが、振り返れば、良い思い出です。子どもの日々の成長を見て楽しいですし、自分も成長できていると思います。

藤井
子どもに玩具を買ってあげる時、自分自身もかなり楽しいです(笑)。あとは、子どもと一緒に見るようになったアニメや映画も意外と楽しくて、子ども以上に自分が楽しんでいる面もあります。

住井
大変なことも多いですし、家でもイライラして奥さんや子どもと喧嘩になる時もあります。でも仲直りして、奥さんや子どもが手紙を書いてくれたり、子どもがつくってくれた絵本に「おしごとにつかれたときによんでね」と書いてあったりして、本当に嬉しいですね。私自身、出張以外では旅行に行くタイプではありませんでしたが、家族と旅行に行くと、やはり出張とは違って楽しいですね。(笑)。家族がいる嬉しさを感じる瞬間です。

大野
毎日いろいろな発見があり、すごく面白いです。最近僕が一番びっくりしたのが、子どもって、すごいデカイうんちするんだなって(笑)。正直、僕は子どものパンツを交換するのが好きじゃなかったんですが、こんな小さな身体なのにこんなに大きなウンチをするんだと感動して以来、交換するのが楽しくなりました。毎日びっくりすることがあるって、良いですね。この苦労って、楽しいです。

森口
もう皆さん言われた通りです。立った!とか、歩いた!とか、嬉しい喜びや楽しみが毎日ぴょこぴょこある感じです。


■若い世代へのメッセージ

―最後に、読者の中高生も含めて、若い世代へメッセージをお願いします。

奥山
将来結婚して、もし奥さんが専業主婦であれば土日は家事をサポートして、奥さんも働いている場合は家事や育児はフェアに。育児は楽しいですから、ぜひ男性にも体験してもらいたいです。

伊野
子どもって本来、学ぶのがすごく好きで楽しんでいるんです。知らないことを学ぶことって本当は楽しいことなのに、ある時に勉強が辛くなるのは悲しいこと。ぜひ勉強を楽しんでください。

山川
今は退屈な勉強かもしれませんが、それは視野や人生の幅を広げてくれます。少し我慢すると、その先には楽しい世界が待っていますので、そんな目的意識をもって勉強してください。ちなみに、私の所属している地盤工学会が、子ども向けマンガや夏休み子ども実験などをHPに載せています。我々専門家の子ども向けの活動にも注目してもらえると有り難いです。

上田
最近家事をしていて、義務教育で習ったことは、実は生きていく上ですごく役立つと感じます。受験のみにとらわれず、いろいろなことに興味を持って体験し、知識を得ることが、人間力を高める意味でも大切。同じものを見てもより楽しめますので、頑張ってください。

藤井
中高生にとっては受験が大きな目標だと思いますが、その先に就職があり、さらに結婚して子どもを持つことは人生の大きなイベントです。最近は育児両立支援も充実していますし、育児をネガティブにとらえないで。楽しいことが待っていますよ。

住井
僕は料理が全くできないまま、この歳になってしまいました。今さら料理を覚える時間もなくて。特に男子は料理をやる機会が少ないかもしれませんが、料理はやっておいた方が良いと、今のうちにお伝えしたいです(笑)。

大野
あらゆることに好奇心を持ち「知りたい」と思っている人たちが、たまたま何かの専門にはまって研究者になります。子どもも同じです。常にいろいろなことに興味を持つ前向きな姿勢と、それを生み出すためいろいろな人に会いに行く行動力をぜひ養ってください。

森口
人生頑張っていると、何とかなるものです。ですから最初から諦めずに、やりたいことにぜひ挑戦してください。


■ずんだぬきのぶっちゃけ質問


(生々しいことを聞きたい、ブラックなずんだぬきが登場...)
Q.もし次のお子さんが生まれた時、育児休業を取得したいですか?

一同
...どうですかね...。

藤井
僕の場合、講義や会議がある時間は大学に出勤するなど、時間刻みで育休をとりました。

奥山
育休と有休(有給休暇)の違いって、あるのですか?

藤井
僕も事務に聞いたのですが、実はよくわかりませんでした...。それまで有休をほとんど使っていなかったので、育休ではなく有休を使っても大丈夫だったのかも...。

橋爪圭(東北大学男女共同参画推進センター 助手)
育休のメリットは、有休の日数を減らさずに、休暇が取れる点です。また、20日以上の育休を取得すると、育児休業給付金が出ます。しかし実は、女性研究者でも、「大学教員の場合、裁量労働制なので、育休を取るメリットがあまりない」と育休を取得しない先生もいます。男性教員は有休で対応している方が多いようです。

住井
なかなか有休がとれない現状がありましたからね。ものすごく欲を言えば、育休を取れば授業や会議も免除、と制度的に認められたら、すごく大きな意義があると思います。逆に言えば、それがなければ大学教員は裁量労働制のため、育休をとっても・とらなくても、あまり変わらないかもしれないですね。ただしその時、育休を取った人の代わりに講義ができる人がいるかと言うと、そう簡単にはいないのが問題です。

大野
講義もインターネット経由でできれば良いですよね。知人の先生は海外出張が多過ぎて講義がなかなかできなく、違う日に振り替えることもできないときに、出張先の海外からWEBを通じて講義をしていました。その手があったかと、びっくりしました。

住井
望み過ぎかもしれませんが、理想を言えば、学外から非常勤講師をお願いできれば完璧なのですが。全く同じ分野の専門家は二人、同じ学科には普通いないですからね。

上田
私もよくボスに、「大学の研究室は、中小企業みたいなもの。教授とスタッフ数名しかいないところで代替は利かないよね」と言われます。その構造をどうにかしないことには、休みは取れないと思います。とはいっても全く同じ分野の人が他にいても仕方ないのはその通りで、なかなか良いアイディアが浮かばないですね。


Q.今は女性研究者が少ないため、女性向け支援が多いですが、「なぜ女性ばかり、俺達もやっているのに!」とは思いませんか?

大野
逆に女性が大変だと思います。最近、学会等で委員を選ぶ際もメンバーに女性を入れるようになっていますが、工学系に女性が少ないこともあって、明らかにある特定の方に全ての仕事が集中し、相当な苦労をされています。この過渡期においてキーパーソンが少ない今、逆に不幸が起こっている気がしてならないです。男女限らず誰がやっても、僕は良いような気がするんですよね。

森口
僕もそう思います。男女共同参画を履き違えているのかな、って。

住井
今日みたいな座談会とか、皆さんの声が聞けてすごく良いですし、2時間くらいで済むし、ぜひ書類仕事は増やさずに、こういう中身のあることをやると、とても良いと思います。


Q.女子学生から「博士課程に行くと婚期が遅れる」と相談されます。どう答えてあげればいいですか?

大野
全体的に晩婚化しているから、会社に就職した場合とあまり変わらない気がしますけどね。

住井
私の感覚ですと、幸か不幸か、今のところ日本社会はまだ家計の負担は男性メインなので、むしろ男性の方がその問題は大きいのではないでしょうか。博士課程の時は給料が少ない、あるいは(今は少なくなりましたが)0円で、生活が不安定だから、少なくとも助教くらいにならないと結婚できない、というのはよくある話。今どきの理系男性なら、博士課程の女性を敬遠することはないので、あまり心配しなくても良いと思うのですけど。


Q.「結婚なんてするもんじゃない」と、ささやく人もいます。結婚・家族って、良いものですか?

森口
時々、瞬間的に腹立つこともありますが、トータルで言うと、良いもんだと思います。

住井
生活が健全になりますよね。もし結婚していなかったら、ひょっとしたら私、もう過労死しているかもしれない(笑)。子どもがいるからお迎えの際に幼稚園のママ友とかと会う機会がありますが、そうでもしないと社会との接点もものすごく限られてしまうと思います。結婚しないで一人で生活していたら服のセンスなども気にせず、ボロボロの服を着て一生過ごしていた可能性もあります(笑)。もちろん大変なこともありますし喧嘩もしますが、やはり人間の幅を広げる上で、ものすごく良いことだと思いますよ。

大野
家族がいる幸せって、意外と経験するまでわからないものですね。僕は独身時代、よく一人で温泉に行っていたのですが、最近たまに一人で温泉に入ると、もう寂しくて、しょうがないです。食事をしても、ちょっと味気ないな、って(笑)。

住井
出張に行って一人で寝ていると、さびしいですね。隣に子どももいなくて、ベットが冷たいんですよ。

一同
そうなんですよね(笑)。

―ありがとうございました。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯010】東北大で工学系イクメン座談会、男性目線で育児を語り合う(前編)

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯010】東北大で工学系イクメン座談会、男性目線で育児を語り合う 取材・写真・文/大草芳江

2014年12月26日公開

【写真】11月20日に開催された「育児期の男性研究者座談会-青葉山のイクメンたち-」のようす=東北大学青葉山キャンパスBoook

 「育児期の男性研究者座談会-青葉山のイクメンたち-」と題した座談会が11月20日、東北大学青葉山キャンパスのカフェ「Boook」にて開催された。育児期の工学系男性研究者8人が参加し、自身の育児への関わり方やワーク・ライフ・バランスなどについて、ざっくばらんに語り合った。

 女性研究者や女子学生の支援や男女共同参画の推進を行う「東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(アリス)」の主催。女性だけでなく男性の視点をこれからの育児支援制度に反映しようと企画した。

 アリス室長の田中真美教授は「男性研究者による育児参加の現状は、大学内でもあまりよく知られていない。普段の育児のようすや、男性目線で必要な支援など要望があれば、ぜひ話して欲しい」と挨拶。

 続いて、参加者による自己紹介の後、それぞれ育児参加の状況が語られた。また、希望する育児支援として、ネット会議や学会保育などがあげられた。参加した男性研究者たちは「育児は苦労も多いが、日々の喜びがある」「育児の経験が、学生の教育にも活かされた」などと語っていた。主なやりとりは、以下のとおり(敬称略)。


■参加者の自己紹介

森口周二(災害科学国際研究所 准教授)
1児(女1歳)の父。
妻は、専業主婦です。研究は、土砂災害のシミュレーションや調査をしています。
大野和則(情報科学研究科 未来科学技術共同研究センター 准教授)
1児(男2歳)の父。
妻は、東北大学の生物系の研究室で働いています。子どもは、東北大学川内けやき保育園に預けています。研究テーマは、レスキューロボです。
住井英二郎(情報科学研究科 教授)
2児(男小3、男6歳)の父。
妻は、東北大学の別のキャンパスで働いています。研究分野は、理論計算機科学です。
藤井啓道(工学研究科 材料システム工学専攻 助教)
2児(男3歳、男0歳2ヶ月)の父。
妻は、専業主婦です。下の子が生まれたばかりで、てんやわんやです。
上田恭介(工学研究科 マテリアル開発系 助教)
2児(男3歳、女0歳4ヶ月)の父。
妻は自営業(旅館経営)で比較的自由度が高いため、今は妻にいろいろお願いして何とかまわっている状態です。研究テーマは生体材料で、人体に使われる金属やセラミックなどの研究をしています。
山川優樹(工学研究科 土木工学専攻 准教授)
3児(女小5、男小2、女0歳2ヶ月)の父。
2ヶ月前に3人目の子どもが生まれ、育児を再開しました。妻は、助産師の仕事をしています。今は、妻が育休中のため少し落ち着いていますが、彼女が職場復帰し、子どもが保育園に入る頃になると、また時間のやりくりが大変になる毎日です。
伊野浩介(環境科学研究科 助教)
1児(女3歳)の父。
妻は専業主婦です。僕も妻も愛知県出身で、どちらの両親からも離れたところで子育てをしています。
奥山武志(工学研究科 バイオロボティクス専攻 助教)
2児(女小1、女4歳)の父。
妻は医師で、病院に勤務しています。近所に住む妻の両親のサポートを受けながら育児をしています。人の動きや感覚を計測する研究をしています。

■工学系イクメンの一日

―皆さんは普段、どんな家事や育児をしていますか?

森口
皿洗いや子どもの夜泣きを静めるのが、今の私の役割です。昼は妻が子どもの面倒を見てくれているので、夜はできるだけ私があやし、土日は家族一緒の時間をつくろうと心がけています。

大野
僕の担当は、お風呂と遊び相手です。平日は帰宅後に子どもをお風呂に入れ、土日は一緒に遊びに行きます。子どもが生まれてからは、1日のスケジュールも変わりました。以前は20時や21時から打合せを始めることもありましたが、今はそういったことは避けています。また、子どもと一緒に22時には寝るので、早い時には朝3時、遅くとも大体5時には目が覚めるように。僕も昔は夜型でしたが、今は朝型というか、明け型になりましたね(笑)。早朝にメールの仕事をして、家でゆっくり朝ご飯を食べて朝9時半頃には大学に出勤する感じです。

住井
私の専門は理論計算機科学で、ノートパソコンさえあればどこでも仕事ができるので、裁量労働制ということもあって勤務時間も子どもに合わせて少し不規則です。朝は幼稚園に子どもを送り出した後、大学に出勤します。妻が仕事の都合で幼稚園のお迎えに間に合わない場合、15時半頃に一度帰宅して子どもを迎えに行き、習い事へ送っていきます。そこから17~18時頃に再び大学に戻って、夜間まで仕事をしています。

藤井
二人目の子が生まれた時、私も1週間の育児休業を取得し、その間はほぼ全ての家事を担当しました。今は基本的に、平日は子どもをお風呂に入れるのと掃除くらいです。休日は、料理と一週間分の食料の買い出し、上の子を公園に連れて行くのが僕の担当です。

上田
平日は奥さんに100%任せ、私は上の子を幼稚園に送るくらい。逆に、土日は妻が仕事があるため、私が面倒をみます。最近二人目の子が生まれ、「下の子ができると上の子が嫉妬するので、きちんと上の子も構わなければいけない」と聞いたため、私は主に上の子を担当し、遊ぶようにしています。そんな感じで、分業しています。

山川
 三人目の子どもが2ヶ月前に生まれ、今は妻が育休を取得中のため、育児と家事は任せている部分が多いです。それでも三人目の子どもをお風呂に入れたり、休日には私が子どもたちの面倒を見て、平日なかなか外出できない妻が外出できるように気遣っています。妻の仕事(助産師)は勤務時間が不規則で、週1~2回の夜勤や突然の呼出しもあります。育児に限らず、家事を夫婦半々で分担しなければ家がまわりません。上の子どもたち(小5と小2)が幼い頃、妻が夜勤の時には私が早めに仕事を切り上げて保育園へ子どもを迎えに行き、夕食をつくってお風呂に入れ寝かしつける。そして翌朝、帰宅した妻とバトンタッチで大学へ出勤するというサイクルでした。三人目の子が保育園に行くようになったら、再びそんなサイクルになるでしょう。

伊野
普段の家事は子どもをお風呂に入れたり寝かしつけたり、食器洗いなどをやっています。22時には家族みんな一緒に寝て、僕だけ朝早く起きて出勤する感じです。

奥山
妻は医師で、私とほぼ同様の勤務体系のため、家事はフェアにしています。特に役割は決めず、気づいたほうが行うというやり方です。子どものことで急に帰らなければいけない時など、妻は診察の都合などでなかなか帰宅できないですが、私の上司が理解のある方で、私が帰宅することもあります。


■苦労や引け目も

―仕事と育児の両立で、ご苦労などはありますか?

上田
出張に行くのが大変です。出張中は家をあけることになるので、妻をどう説得するかですね。

伊野
確かに、妻との会話は大事ですよね(笑)。僕が米国に3ヶ月間留学した時も、妻と「その間は育児や家事をどうする」となりました。結局、妻は愛知の実家に帰りましたが、逆に1週間くらいの短さだと、実家に帰るか、それとも仙台で頑張るか、悩みます。

住井
海外出張は、本当に大変ですよね。私の専門(計算機科学)は雑誌への論文投稿より国際会議での口頭発表が大事な分野なのですが、関連する国際会議に全部出席していたら、月に1週間は海外出張になってしまうため、今は招待講演も半分くらい断っています。また、東日本大震災発生時に海外出張中で大変だったこともあり、出張で家を留守にするのが不安です。さらに以前には、私が海外出張に出発する当日に妻が食中毒になってしまい、他に育児を頼める人もいなかったため、やむを得ず出張をキャンセルしました。しかし大学の規定ではキャンセルが認められるのは「本人の病気等」とあり、家族の病気は対象外とのことで,その際のキャンセル料は自分で支払いました。これは何とかならなかったのかと思います。

大野
僕の場合、保育園に預けられることもあり、長期の出張も気にせず行っていましたね。普通の保育園は、18時を超えると延長保育になるそうですが、僕が預けている東北大学川内けやき保育園の基本保育は19時まで。「東京で講演して仙台に帰ると19時はギリギリだから、20時まで保育してくれるといいな」なんて僕はワガママ思っていたのですが、それを周囲に言ったら、「え?!19時まで預かってくれるなんて良いじゃない」と言われ、保育園の開所時間は大事だなと思いました。

-大野先生、逆に奥さんから「1週間、海外出張に行くから、よろしくね」と言われたら?

大野
いやぁ、楽しみなんですけどね(笑)。普段は僕がお風呂に入れても、最後には必ず「お母さんー!」と母親の方に行ってしまうじゃないですか。お母さんという頼れる存在がいなくなったら、もうこちらに頼るしかないだろうと(笑)。

伊野
わかります。俺が寝かしつけたのに、朝起きると子どもは妻の布団に移動している...。あれは何なんですかね(笑)。

―身近な研究室のボスや学生たちに、理解してもらいたいことはありますか?

奥山
周囲の先生方の理解もあり、基本的には大丈夫ですが、まだ負い目はある気がしますね。例えば子どもの用事で仕事を中断して帰宅する際に「男として、仕事と家庭どっちが大事なんだ?」と変な葛藤が起こることもあります。自分の中に、古い考えがまだ少し残っているのかもしれません。

大野
大きなプロジェクトの会議など学外から関係者が集まるような会議は途中で抜けられませんが、研究室の会議なら「もう19時半だから終わりにするよ」と終了しちゃいますね。学生たちもわかっているので。

住井
まわりの理解がある人でなければ、この座談会に参加するのも難しいでしょう。私も准教授だった頃に上司だった教授をはじめ、周囲の方からは理解をいただいています。けれども今年5月から私自身が教授になり、15時半頃に幼稚園へ子どもを迎えに行くとなると、その時間はゼミなどのスケジュールが組めなくなる。その分、学生さんには負い目があります。

上田
研究者は裁量労働制で、自由に時間を使える一方で、勤務時間が明確に決まっていないですよね。住井先生のように午後に一時帰宅する分、夜間に仕事時間を確保すればOKという一方で、明確な勤務時間が決まっていないため、早く帰宅することに負い目を感じてしまいます。

大野
それが功を奏して、朝型にシフトできるかもしれないですよね。良い面もあります。


■育児中にあったら良い仕組み

―アリスや全学でもベビーシッター利用料補助制度や病後児保育室(星の子ルーム)などの育児両立支援がありますが、他にもあったらいいと思うサポートはありますか?


◆学会保育

大野
ベビーシッター利用料補助制度はすごく良いですよね。うちの妻も利用していますよ。この制度を知ってから気が付くようになったのですが、工学系の学会には学会参加者の子どもを会場で預かる学会保育を行っているところがあまりないんですよ。

奥山
機械学会の学術講演会では学会保育が行われていて、私も今年初めて利用しました。ただ、利用者は少ないですね。

大野
そうなんですよ。おそらく利用者が少ないから、議題にあがっても「採算が合わないし、やめよう」となる傾向にあると思うのです。もちろん主催者側として難しいところがあると思いますが、学会としても保育のサポートができれば、工学系研究者、特に女性研究者が助かると思います。先日も、学会会場に子どもを連れて来て、発表中は誰かに預けて、自分の発表が終わったらすぐに帰っていく女性研究者の方を見て、大変だと思って...。日中の学会そのものには出席しても,保育園の開所時間などの事情で夜の懇親会には出ない女性研究者の方も多いです。

上田
私が所属する学会は、会員の約半分が企業に所属している人で女性が多く、女性の会の活動も活発で、学会保育もしっかりしています。工学系では相対的に女性の数が少ないため(東北大学の場合、工学系の女性研究者は、助教以上で全体の約4%)、学会等でも「保育が必要」などと強く言えないのかもしれないですね。


◆研究者夫婦で同居できる仕組み

奥山
結婚した当時、私は東京の研究所にいて、妻は九州で勤めていたので、結婚後もしばらくは離れて生活をしていました。子どもが生まれ、かつ妻が仙台で就職することになった時にせっかく子どもが生まれたので一緒にいたいと思い、私も仙台で職を見つけ、同居することにしました。

住井
女性研究者の方で夫婦別居の方が多いように(東北大学の工学系女性研究者のうち16人中11人が夫婦別居で育児中)、大学の研究職として夫婦揃って同じ都市に住むのは日本では難しいと思います。私たち夫婦も子どもが生まれる前は米国に住んでいましたが、柄が悪い土地だったこともあり子どもを持つ前に家族で日本に戻ってきました。そこでもし「このまま米国で研究を続けたい」と私が主張していたら、今頃は別居か、ひょっとしたら...。研究者は物理的にどこで働くかが大変難しいですね。


上田
もう一つ気になるのが特に若手の研究職における任期制についてです。数年の任期が終わるまでの間に、次の職を探さなければいけません。私は学生の頃からずっと東北大におりますが、どこか他の土地に異動するとなったら、家族をどうするかは常に問題として感じています。それも女性研究者を少なくする原因の一つになってはいないでしょうか。

住井
一つの大学だけではできないことですが、例えば国立大学全体として一括したポストを用意し、育児や介護などの都合で異動が難しい場合には各大学間でポストをやり取りすることで物理的に移動しなくても済むような制度が整備されると良いと思います。実際にフランスでは、多くの高等教育・研究機関が国立だということもありますが、ある大学で採用されても、育児などの都合で物理的に移動できない場合は、近隣の違う大学に勤務することも可能らしいのです。そこまでいけば本当に理想的だと思います。


◆ネット会議

住井
育児で少し研究のペースがダウンしていたので、育児が一段落した今からバリバリと研究に復帰しなければ、研究の第一線から退いてしまう恐れがあると、少し心配しているところです。子どもが生まれる前なら3日徹夜してでも締切に間に合わせたことが、今は体力面もありますが、そもそも3日間集中する時間がとれません。そういう時間のやり繰りをしている状況なので、参加している日本学術会議の委員会においてネット会議が正式に認められたのは助かります。会議のたびに出席者が地方から東京に集まるのも大変ですし、ぜひ他の会議にも広がって欲しいですね。大学の教授会もネット会議を認めていただきたいくらいです。

大野
論文などの締切前だと移動時間中に作業ができるので嬉しいのですが(笑)、確かに移動そのものが負担となりますよね。うちのボスも最近は、「東京での会議が週3回あると、さすがに疲れるね」と言うようになりました。ネット会議などの導入は女性だけでなく、男性にとっても良いと思います。

後編へ続く...

齊藤英治さん(東北大学教授)に聞く:スピン流で基礎物理を書き換える

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齊藤英治さん(東北大学教授)に聞く:スピン流で基礎物理を書き換える 取材・写真・文/大草芳江

2015年1月2日公開

スピン流で基礎物理を書き換える

齊藤英治 Eiji Saitoh
(東北大学 金属材料研究所 原子分子材料科学高等研究機構(WPI-AIMR) 教授)

1971年、東京都生まれ。博士(工学)。東京大学工学部物理工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。慶應義塾大学理工学部物理学科助手などを経て、2009年東北大学金属材料研究所教授、現在に至る。専門は物性物理学。2011年に日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞、日本IBM科学賞(物理学分野)、2012年にドコモ・モバイルサイエンス賞(基礎科学分野)、2014年に読売新聞ゴールド・メダル賞などの賞を受賞している。2014年11月から科学技術振興機構「戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)」研究総括。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。 
しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が
それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。

今日、電子の性質を利用する技術(エレクトロニクス)無しには
もはや成立しないような生活を私たちは送っているが、
そもそも電子には、電気(電荷)と磁気(スピン)、二つの性質がある。

これまで電気と磁気を別々に利用してきた「エレクトロニクス」に対して、
電子の電荷とスピンの両方の自由度を利用しようという「スピントロニクス」が登場し、
新しい機能を持つ素材や素子が開発されることが期待されている。

そんな中、スピンの流れである「スピン流」を組み込んだ基礎物理の創成を目指し、
研究室立ち上げ以来、数々の賞を受賞している齊藤研究室(東北大学金属材料研究所)に、
研究の魅力やモチベーション、教育などについて、インタビューした。

<目次>
スピン流を入れて基礎物理法則を書き換える
スピン流の良さの根源は、時間をひっくり返せること
物理学としての美しさと工学的応用
スピントロニクスの歴史と分野への貢献
2年間練って、今のテーマを設定
やる気のある若手をどんどん前に
能力と評価の問題
科学と社会の接点の問題
次のプロジェクトは「スピン量子整流」
小宇宙の有効理論を創ろう
齊藤研究室 学生インタビュー


齊藤英治さん(東北大学金属材料研究所 教授)に聞く


スピン流を入れて基礎物理法則を書き換える

―研究内容について、ご紹介をお願いします。

 我々は「スピントロニクス」という分野の基礎物理を研究しています。最近、「ナノテクノロジー」という言葉をよく耳にするようになったと思いますが、人間は、ナノ(10の-9乗=10億分の1)メートルのスケールをコントロールできるようになり、電子の「スピン」までをも操作できるようになりました。それに伴い、スピンを使った新しい物性(物質の性質)やエレクトロニクス(電子の性質を使った技術)が可能となり、「スピントロニクス」と呼ばれています。スピントロニクスは、もう既に皆さんの生活に浸透し始めています。例えば、コンピュータの中のハードディスクなどに、実際に応用されています。

―電子の「スピン」とは何ですか?

 スピンとは、「だいたい自転」です。正確に言えば、素粒子(物質を構成する最も基本的な粒子のこと)に大きさは無いため、そもそも自転という概念はなく、本来であれば相対論的な量子力学で理解されるべき概念ですが、あくまで直感的理解のために便宜上、「自転みたい」と言っています。このスピンとペアになるのは、電子の「電荷」(電気の性質)という概念です。電荷とスピンは電磁気学的には裏表のようなもの。両方が必要で、両方がないと矛盾する概念なのです。

 従来、物質を表現する基礎有効理論では、基本的に電子の電荷のみが考えられており、スピンやスピンの流れであるスピン流は考えられていませんでした。しかしナノスケールではスピンが表面化するため、電荷だけでなくスピンもセットで扱わなければ誤った理論になることは明白です。そこで、物質の電気や磁気に関する基本的な性質に、スピン流が入った時、どうなるかを調べて、ナノスケールで必要とされる新しい基礎物理をつくろう、というのが我々のアプローチです。その基礎物理法則を、ここ数年間でつくってきました。

 これによって物質中の電磁気(電気と磁気)だけでなく、様々な基礎法則が書き換わるはずです。それによって可能になることには様々な予言があります。少なくとも我々は、新しい演算素子やエネルギー変換素子などを期待しており、既に一部は使われ始めています。


スピン流の良さの根源は、時間をひっくり返せること

―ナノスケールではスピンも考えなければ理論的に矛盾することはわかる気もしますが、応用面でスピン流を使うとなぜ新しいことができるのか、その良さの根源とは何ですか?

 電気(電荷)には、得意なものと不得意なものがあるのです。スピンにも、得意なものと不得意なものがあります。いろいろなことが、電気とスピンでは逆の対応になっていることが多いため、スピンが苦手なことは電気が得意だったりするし、電気が本来できないことがスピンにはできたりするのです。

 例えば、電気の場合、電流は時間をひっくり返すと、反対側に流れます。一方スピンの場合、スピン流は時間をひっくり返しても、同じです。このように、スピン流には時間をひっくり返せる性質があり、それがスピン流の良さの根源なのです。

 具体例としては、電気にはなかなか難しい整流(物質中のランダムな運動を一定の方向にそろえること)やエネルギー変換も、スピンにはその性質がもともと備わっています。スピンの情報はマイクロスケール(10の-6乗=100万分の1)で無くなるため、大きな世界では電気しか使えませんが、ナノスケールの世界では電気だけでなくスピンも相補的に使うべきなのです。


物理学としての美しさと工学的応用

―齊藤先生自身の研究に対するモチベーションは何ですか?

 私の専門は物理ですので、実は役立つことにモチベーションがあるわけではなく、従来の物性物理にはなかったスピン流を考えた時、物理的にどうなるのだろうという興味から、研究をしています。それに、スピンと電気のペアで考えると、やはり構造が美しいのです。そこに一番のモチベーションがありますが、近年のナノテクノロジーの進歩は素晴らしいので、実際にそのようなことに役立つことは良いことですよね。

―齊藤先生個人のモチベーションは、物理学としての美しさということですが、同時に、工学的に役立つことにもつながっている点も面白みなのですね。

 その要因は、エネルギースケールの問題です。多くの場合、新しい現象が発見されても極めて低温にしなければ現れないのが普通で、応用の観点では、ハードルが高いのです。一方でスピン流に関係した現象の場合、エネルギースケールが大きく室温で十分に(現象が)見えます。それがスピントロニクスが、現象の発見から世の中に役立つまでのスパンが短いことの、大きな原因だと思います。ですから、我々で考えた基礎物理が、わりといろいろなところで早く応用される可能性があり、中には実際に使われ始めているのだと思います。

―基礎物理への興味が工学的応用に、すぐ一直線で結びつくケースは珍しいと思いますが、初めから想定されていたのでしょうか?

 なかなか始めから想定してやれないものではないでしょうか。なぜ、これほど早く普及したかと考えて、ここに原因があったのだろうというのも、やはり後から考えてみないとわからないことです。物理では、あまり取り入れられない観点ですよね。


スピントロニクスの歴史と分野への貢献

―「スピントロニクス」はまだ新しい分野と聞きますが、これまでの歴史と、その中で、齊藤研究室が貢献した領域は、全体の中でどのような位置付けにあるのでしょうか?

 スピントロニクスの黎明期は、我々の一つ上の世代から幕を開けました。その代表例は、1988年に発見された巨大磁気抵抗効果(ペーター・グリューンベルクとアルベール・フェールが2007年にノーベル物理学賞を受賞)で、現在はハードディスクドライブのヘッドに使われています。

 主に材料科学とエレクトロニクスの観点から始まったスピントロニクスですが、ナノスケールになると物理法則が変わる必要があるとの認識に立ち始めたのが2000年頃のこと。そんな中、材料開発等でスピン流を考えた時に物理法則はどう変わるのか、「スピン流の基礎物理」を創ったことが我々の貢献だと思います。

 もともと僕のバックグラウンドは別分野でしたが、自分の研究室を立ち上げた時から、この分野を始めました。今ではスピントロニクスは非常に幅広く、物理学会だけでなく、応用物理学会や電気学会、金属学会など様々な学会にあり、分野間の交流も非常に盛んになっています。


2年間練って、今のテーマを設定

―昔を振り返って、齊藤先生の今につながっていると思う原点や、スピン流の基礎物理を始めた経緯など、齊藤先生の個人的なモチベーションを伺ってもよろしいでしょうか?

 基本的には深く考えていないのですが(笑)、何となく研究者になりたいと思ったのは、高校生の頃。でも実は、他にもいろいろな興味があって、一番は「音楽家になりたい」と音楽に一生懸命で、高校の頃は勉強成績はビリに近かったです。初めて物理が面白いと思ったのは、予備校の時。理路整然として美しい学問だと思いました。それから一生懸命勉強するようになり、大学に無事合格。大学では周囲が研究者を目指す人ばかりで、自分も研究者になるものと自然に思っていました。このように何となく流されてきたわけです。

 大学では固体物理を専攻し、慶応大学で助手になり、そろそろ自分の研究室を持てる時、何をやるのが一番面白いかを、2年くらい考えました。そして、練りに練った結果が、このテーマです。当時はまだ、スピントロニクスという言葉すらない時。スピントロニクスがこれから大きな産業になりそうなのに、基礎物理はほとんどつくられていなかったので、これは絶対に行けるだろうと思いました。そこで、今までやってきた研究を全部変えて、今のテーマに全力投球しました。2006年、研究室を立ち上げた頃のことです。


やる気のある若手をどんどん前に

―研究室を立ち上げてからは、研究と同時に教育も大切な要素ですが、若い世代への教育で齊藤先生が気をつけていることは何ですか?

 教育は難しいですね。僕が最初に考えたことは、成功者をたくさんつくることでした。どんどん若い人を前に出して、やる気のある若い人が好きなだけ伸びる環境を、一生懸命頑張ってつくってきました。最新の装置を入れて、最先端の研究者とどんどん交流させ、良い成果が出たら、論文をどんどん出させよう。そして可能な限り国際的にしよう。できるだけ海外から多くの人に来てもらい、研究室でも基本的に英語で議論するようにしよう。そうやって、若かろうが何であろうが、成果を出して目立たせて世の中に売っていこう。それが、まだ小さな研究室を世に売っていく上で重要な考え方だと思ったのです。

 それが功を奏した面もありますが、一方で、不安に思うこともあります。研究室の学生がどんどん若いうちから世界トップレベルで売れるのに対して、基礎力がどうしてもおろそかになる学生も出始めます。もちろん、世界最先端で全力で走りながら、基礎力は後から身に付ければ良いという考えもあります。けれども、もしかすると、長い目で見れば、学生時代にはあえて地味なことを一生懸命やらせる方が、基礎力は伸びるのかもしれません。僕もこのやり方だけが全ての人にとって正解だと思ってはいないのです。

 一方で、それでも良いのかなと思う時もあるのです。僕は昔、自分の先生たちが何でも知っている優秀なタイプの研究者ばかりだったので、研究者とはそうあるべきだと思っていました。けれども、必ずしも同じタイプではなくても、良い発見をしている人や歴史に貢献している人もいるので、多様なタイプの研究者がいても良いのかなとも思うのです。このように、教育に関しては日々、悩みながら考えています。


能力と評価の問題

―教育は難しい問題で、多くの人が非常に頭を悩ませています。

 大学の使命として、教育は大変悩みですよね。例えば、とてつもなく優秀で素晴らしい若手がいたとします。けれどもスターになりたい欲求は全くなく、しかし物理能力や研究能力はずば抜けて秀でている、そんな若手もいるわけです。彼のような人は日本にとって本来プラスになるべき存在です。しかし、昔の日本にはそのような人材を育てる土壌がありましたが、今の時代はスーパースターが好まれるため、なかなか評価されないのです。

 そのような意味で、物理の業界でも、業績リストと能力が一致する場合も、一致しない場合もあるのが現状です。業績は華々しいのに、実力が伴わない人もいれば、逆に業績は地味なのに、1時間議論するとこれは素晴らしく優秀だとわかる人もいます。昔は後者のようなタイプが学者の典型だったと思いますが、今の制度ではなかなか評価されないのです。今はどちらかと言うと、私も含めて半分セールスマンの才能が必要で、それ無しには生きていけない大変な世代なのですよ。逆に言えば、話さえうまければ何とかなる世代でもある点が、将来、日本のリスクになる気がするのです。


科学と社会の接点の問題

―どのような点にリスクを感じますか?また、その原因は何と考えますか?

 これはある意味、日本独特の問題だと思います。日本では大学が大々的なプレスリリース(記者発表)を頻繁にしますが、これは国際的には珍しいことです。多くの国では主に会社がPRのためにすることを日本では大学がやるわけです。

 もともと最初に出すプレスの文章は、大抵は地味なはずなんですよ。ところが、「国民の生活がどう変わるか、国民にわかりやすくイメージさせるものでなければ、プレスになりません」と指摘されます。本来、科学が社会を変えるのは遠いことなので、イメージするのは難しいのですが、それを敢えてやると、どうしても話が膨らんでしまうんじゃないか、と思います。すると「皆がしているからいいや」とプレスに誠実さをだんだん求めなくなる。僕はそれを集団心理だと思っています。STAP細胞のような問題を無くすには、こういったことを一旦ちゃんと議論する必要があると思うのです。

 そもそも理学は基本的に小説や音楽と同じで、「小説が何の役に立ちますか?」「ロック・ミュージックが何の役に立ちますか?」と聞く人はいません。面白いからあるんですよね。理学の根源はそれと同じです。面白いから・知りたいから、という根源が理学にはあるのではないでしょうか。

 ただし、理学が小説や音楽と異なるのは、歴史的に産業と結びつき、理学に対する評価が工業の基礎という概念があるため、その点に対して税金が使われるところです。それが複雑化した原因でしょう。本来、基礎科学に大きな税金を使って良いかは、国民の了解が必要なはずで、国民に説明するためにプレスも必要なのでしょう。ある意味、面白いから知りたいことに税金を使わせてもらう環境にいさせてもらえるのは有り難いことで、やっぱり我々としては頑張りたいですよね。それは皆が考えても良いことでしょう。


次のプロジェクトは「スピン量子整流」

―それでは、これからどうありたいですか?今後の抱負をお願いします。

 スピンは基本的に回転量です。しかし回転量は、物性物理の中であまりつくられてこなかった概念です。例えば回転している物体上にある電子の運動を記述するフレームワーク(枠組み)はありません。それは回転が基本的に非慣性系であるためで、本来であれば、一般相対論を使わないと記述できない概念ですから、そこまで行くと固体物理に含まれる全てのものを、その概念で書き直す必要があります。例えば、流体科学や光学、プラズマ物理など様々なものに独特のスケールがあり、その長さ以下のものは、すべてスピン流を考えることによって変更される必要があります。すると古典物理に限定されず新しい領域を創成できます。このように固体物理だけでなく、さらに広い観点で角運動量がどのようにキャリア間をやり取りされているかを、全般的に理解していこうと目指しています。

 我々はそれを今、戦略的創造研究推進事業(ERATO)のプロジェクトとして立ち上げ、「スピン量子整流」と呼んでいます。そのために今、スタッフとして様々な分野の研究者を集めています。原子核物理の研究者もいれば、場の理論や固体物理、材料科学の研究者もいます。物性物理より、もう少し広い物理体系を創っていきたいと考えています。


小宇宙の有効理論を創ろう

―最後に、中高生も含めた若い世代へのメッセージをお願いします。

 科学は面白いですよ。科学が好きで、かつ向いていれば、自分の能力を100%発揮でき、フェアな土壌で争える良い場です。それに物理は極めて論理的ですから、フィーリングが無くても、ピシっとつくれます(笑)。原理を創っていけることが物理ならではの喜びではないでしょうか。

 中高生の皆さんは、物理学は既に仕上がった学問と思うかもしれませんが、全くそんなことはありません。物理法則がなぜあの形で、その物理法則がなぜこの世に存在するかは明らかになっており、それは現代物理学の成果です。宇宙全体の物理法則を変えることはもちろん不可能です。しかしながら、物質中のように人間が操作可能なところで物理法則を変えることは設計可能です。それを我々は「有効理論を創る」と言います。

 例えば、真空中の電子と物質中の電子は、同じ電子と呼びますが、ある意味、別の粒子なのです。多くの人は、真空中の物理だけを習い、それが物質中でそのまま使えると思うかもしれませんが、真空中と物質中は別世界です。ある意味、物質中は別の小宇宙で、そこで新しく物理法則を創っていけるのですよ。それがこれからの物理の新しい方向性の一つと我々は考えています。

 ですから、中高生の皆さんは、法則を知ってそれをどこかに当てはめる発想だけでなく、なぜこの宇宙にこの法則があるかをきちんと理解してみてください。すると、物質の中の別の宇宙ではこんな法則にしたい、という有効理論を創れるのではないでしょうか。私も研究室の学生には「できるだけ原理から考えましょう、迷った時は必ず原理に戻って」とできるだけ言うようにしています。

 それに、東北大学は仙台の街の中心地にあり、誰でも科学に触れられる良い街だと思います。中高生の皆さんは、もっと気軽に大学の先生に科学のことを質問しに来ても良いのでは、と思う時があります。前の職場(慶応大学)にいた時は、急に高校生から電話があったり、しょっちゅう若い人がとんでもない質問も持って来たりしていました。でも、東北大学に来てからはまだ一回も経験がないですね。中高生を中心に、若い人はどんどん大学を利用されると良いと、僕は思っています。

―齊藤先生、本日は大変お忙しい中、ありがとうございました。

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齊藤研究室 学生インタビュー

■齊藤研究室を選んだ理由

―皆さんが齊藤研究室を選んだ理由は何ですか?

廣部大地(修士2年)
 ある教員に進級相談をしたところ、齊藤研究室を紹介され、2年生の時に訪問したのがきっかけです。当時はまだ知識が全然追いつかず、齊藤先生が何を言っているかほとんど理解できませんでしたが(笑)、すごそうなことをやっているなと思いました。あとは教授が頭良さそうだな、と(笑)。そこで一生懸命勉強して、やっぱりこの研究室は面白いことをやっていると感じ、学部4年生の研究室配属時に齊藤研に入りました。

大門俊介(修士1年)
 僕も2年生の時からどの研究室に入るか探しており、理学部物理学科のHPで、准教授の内田健一さんが当時博士3年生で賞を総なめにしていたのを見つけ、こんなに若くして賞をとれるなら、僕もここで良い研究ができるのではと思い齊藤研を選びました。それに実際に齊藤先生と話してみると、齊藤先生がものすごく頭が良いことがわかるので、そこに惹かれて齊藤研に来る人が多いと思います。本当は紆余曲折あったようなことでも、予定調和でなるべくしてそうなったと、ストーリー性のある話し方に惹かれるんですよね。


■研究室に入っての実感

―実際に、齊藤研究室に入って、どのように感じていますか?

廣部
 結局、最後は自分で考えなければいけない(笑)。齊藤先生に聞けば、瞬殺でほとんどの問題は解決しますが、それでは自分の頭は良くならないし、齊藤先生は出張で不在のことも多い。ですから、自分なりに考えて、具体的に何がわからないのか、要は問題を定式化した上で聞くようにしています。結局は、人に頼っているだけでは研究はできないというのが今の実感ですね。

大門
 最先端を研究している実感が、この研究室にいるとあります。例えば、自分の研究が、他グループでも研究されており、一秒でも早くどちらが論文として出せるかを競り合っています。実際、僕が齊藤研に入って最初に携わった実験が他グループに先を越され負けてしまったことがありました。最先端の研究をやっているからこそ起こることだと思います。スピントロニクスという分野を、うちの研究室で引っ張っている実感が多々あります。


■日々の研究で心がけていること

―特に研究室に入ってから、日々研究する中で心がけるようになったことはありますか?

廣部
 自分とはバックグラウンドの異なる方からのアドバイスをしっかり聞くことを心がけています。ここは理学部物理学科の研究室ですが、物理だけでなく材料系や工学系出身の方など多様な専門家がいます。そんな方と研究をしていると、実験に至るまでのプロセスや次の実験への活かし方など、物理学とは考え方が異なるため、大変参考になります。

大門
 僕が研究をする上で最も大切にしていることは、原理をきちんと理解した上で実験することです。これは齊藤先生がいつも仰っていることで、ただやみくもにパラメータを振るだけでは、無駄な行動が多くなってしまいます。ですから原理を理解した上で、その実験で重要なパラメータをひとつ取り出し、そのパラメータを変えてやることを考えながら、実験をするように心がけると、スピードも上がりますし、原理もより深く理解できます。


■分野ならではの魅力

―この分野に対してどんな魅力やポテンシャルを感じていますか?

廣部
 基礎研究の成果が応用につながるまでのサイクルが、短いというのが自分の感想です。例えば、代表的な例として、超電導の発見は大変インパクトがありましたが、未だ応用に至っていません。一般に、原理を探求して面白いという理学的研究が応用に活かせるかは未知数ですが、スピントロニクスは例外的に、原理としても面白いし、それが例えばHDの容量アップなど、身近なところにすぐ応用されるところがすごいと思いますね。分野によって基礎研究から応用分野に至るまでの時間のスケールが違いますが、自分の知る限り、恐らく最短の部類ではないかと思います。ですから、さっさとやらないと置いて行かれるのですよね。心配しているのは、近いうちに焼け野原になってしまうのではないかと...(笑)。

―そんな最先端のスピード感の中で、同時にプレッシャーも大きいのではないですか?

廣部
 プレッシャーは皆、感じていると思います(笑)。うちの研究室は集中する時は集中して、羽目を外して遊ぶ時は羽目を外すメリハリが効いているので、その切替ができるのなら、ストレスの閾値を超えない程度に(笑)、問題なく生活できるのではないかと思います。

大門
 スピントロニクスはできたばかりの分野なので、新しい現象がバンバン発見されるのが魅力ですよね。他分野では今ある効果を如何により良くするかの研究が多いと思いますが、スピントロニクスは今ない効果が新しくどんどん出てきています。それに、例えばHDやMRAM(磁性体の性質を利用した次世代メモリーの一つ)も最近有名ですが、新しくできた原理がどんどん製品化されていくのが、すごいと思っています。

廣部
 理学の面白みはやっぱり発見ですが、最終的には、どの分野も少しずつ最適化の方向に移行し出してきます。けれどもスピントロニクスという分野は、もちろん最適化を目指すところもありますが、今はまだ発見型の研究がたくさんできるんじゃないかと思います。そこが一番の魅力ですよね。


■齊藤研を一言であらわすと?

―では、そんな齊藤研究室を、一言であらわすと?

廣部
 「有言実行」ですね、やると言ったからやる。齊藤先生は、例えば「少なくとも2、3年以内に新しい原理を見つけ、拡張したい」と言って本当にその通りにやってしまいます。齊藤研の成長の軌跡を見ても、実際にその通りではないかと思います。

大門
 自分で言うのも何ですが、齊藤研のイメージは「エリート」って感じなんです。まず、教授が42歳で准教授はまだ20代とめちゃめちゃ若い。他のスタッフも、ものすごく優秀な人が集まっています。学生も院試で上位成績の優秀な人ばかり。エリートが集められて、最先端で戦っている感じが、すごく刺激になりますね。


■自分が面白いと思うことの積み重ね

―そんな皆さんから、後輩である中高生たちへ、メッセージをお願いします。

廣部
 勉強に限らず、自分が好きなことは、突き詰めた方が良いと思います。自分は、小学校から中学校までは野球漬けの毎日でしたし、高校はわりと勉強を頑張った方かな。でも、最初から研究者になるために物理をやったわけでなく、自分で勉強していたら物理が面白そうだなと思って、流れ流れて、ここに辿り着いた感じですね。ですから今巷で流行りの「まずは目標を立て、そこからブレイクダウンして...」というパターンだけでなく、その時、自分が面白いと思ったことを突き詰めてやっていくことも大事だと思っています。

大門
 僕は、中高生に、勉強を勉強だと思ってやって欲しくないという思いがあります。僕は、物理学科なので物理の話をしますが、例えば、高校の時、ボールを投げた時の軌跡などを計算しますよね。でもそれをテストのために勉強するのではなくて、単純に「ボールってこんな風に動くんだ」と現実と対応させて勉強すると、テストのために頑張るのではなく、ただ単純に僕は楽しくなっていたのです。ですから勉強をテストのためにやるのではなく、現実と関連付けて楽しく学んで欲しいと思います。

―本日はありがとうございました。

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ノーベル賞受賞・天野教授が仙台で講演、高校生と対談も

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ノーベル賞受賞・天野教授が仙台で講演、高校生と対談も

2015年1月5日公開

 青色発光ダイオード(LED)の開発で2014年のノーベル物理学賞を受賞した天野浩さん(名古屋大学教授)の特別講演会が12月26日、仙台市民会館で開かれた。東北大学多元物質科学研究所と東北大学知の創出センターの主催で、宮城県内の中高生や大学関係者など約1,200人が来場した。


■松岡隆志さん(東北大学教授)による講演
「白色LED光源の発光原理、開発経緯、そして、その意義」

【写真1】松岡隆志さん(東北大学教授)による講演「白色LED光源の発光原理、開発経緯、そして、その意義」

 講演会では、まず松岡隆志さん(東北大学教授)による、LEDの発光原理や関連技術の開発意義などについての解説があった。

 青色LEDの材料となる「窒化ガリウム」の結晶は、そのまま使うと、青色の光ではなく紫外線が出てしまう。青色の光を出すには、ガリウム原子の一部をインジウム原子に置き換える必要があった。

 松岡さんは、NTT光エレクトロニクス研究所の研究員だった1989年に、青色発光の発光層として必須の窒化インジウム・ガリウム単結晶の作製に世界で初めて成功。この技術は、市販のLEDに活かされており、今回の青色LEDのノーベル賞受賞に大きな貢献をしている。


■天野浩さん(名古屋大学教授)による講演
「明るく省エネ効果抜群の白色LED光源を可能にした高効率な青色LED 
プラス 10月7日から12月16日までに起きたことなど」

【写真2】天野浩さん(名古屋大学教授)による講演「明るく省エネ効果抜群の白色LED光源を可能にした高効率な青色LED プラス 10月7日から12月16日までに起きたことなど」

 次に、天野さんによる講演があった。天野さんは、ノーベル賞の受賞が決まった日から受賞式の日までの様子をユーモアを交えながら紹介した後、青色LED開発の経緯を説明。

 「テレビのブラウン管は大き過ぎる。もし自分が青色LEDを作れれば、世界を一変できるかもしれない」と夢を描いた天野さんは、1982年から名古屋大学赤﨑研究室で、他の研究者が青色LEDの材料としてセレン化亜鉛を選択する中、窒化ガリウム結晶の作製に挑戦。

 1,500回を超える失敗を経て、当時大学院生だった1985年、基板の上に緩衝材となる物質を吹き付ける「低温バッファ層技術」により、高品質な窒化ガリウム結晶 の作製に世界で初めて成功した。

 さらに1989年にはLEDに必須のp型伝導を実現したが、当時は学会発表時に1人しか聴衆がなかったなど、あまり関心を持たれなかったエピソードなども語られた。

 最後に若い研究者へのメッセージとして「集中しなければできない仕事は、若い時が大切。夢を持っている人はそのまま突き進み、そうでない人は自分の頭で考えて夢を見つけて。そうすれば、夢が 実現するまで道半ばで諦めることもない。夢は裏切らない」とエールを送った。


■天野浩さんと高校生10人のトークセッション/夢描く大切さ語る

【写真3】天野浩さんと高校生10名とのトークセッションのようす

 続いて、天野さんと東北の高校生10人のトークセッションが行われた。高校生たちからは「物理が好きになった経緯は?」「研究者になった理由は?」「世間で不可能と言われた壁を乗り越えるのに必要なことは?」「研究者に必要な素質は?」などといった質問が出た。

 これに対して天野さんは「なぜ勉強をしなければならないか、高校生の時まではわからなかった。しかし、大学の講義で工学とは人のためになる学問と聞いて以来、視野が広がり、どんな学問も好きになり、何でも頭の中に入るようになった」

 「私は研究者になろうと思ったことは一度もなく、今でも研究者だと思っていない。私の原動力は人の役に立つこと、世の中を変えることで、その実現のために何をしなければいけないか、それを考えるのが研究者といえば、研究者。なぜ研究者になりたいのかを突き詰めて考えると、自ずと自分の立つ位置がわかるのでは」

 「不可能と決めるのは、多くの場合、やってきた人たちの言い訳に近い。当時の人たちが諦めた理由をよく突き詰めて考え、まだ試されていない方法を自分で見出すことが大切」

 「青色LEDが開発できれば、世の中の役に立つというイメージを持っていたことが、ずっと続けられた理由。研究者に大切なことは、楽観的であることと、成功イメージを常に持ち続けることだ」などと答えていた。

 参加した高校生たちは「将来は天野先生のように、人のためになるような研究をしたい」と夢を膨らませていた。

早坂忠裕さん(東北大学教授)に聞く:「気候変動」って何だろう?

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早坂忠裕さん(東北大学教授・理学研究科長)に聞く:「気候変動」って何だろう? 取材・写真・文/大草芳江

2015年2月2日公開

「気候変動」のメカニズム解明は、
地球の未来や過去、そして惑星の理解へ

早坂 忠裕 Tadahiro HAYASAKA
(東北大学 大気海洋変動観測研究センター教授/
東北大学 理学研究科長・理学部長)

1959年仙台市生まれ、理学博士。専門は大気物理学。1982年 東北大学理学部地球物理学科卒、1984年 東北大学大学院理学研究科前期課程修了、1988年 東北大学大学院理学研究科後期課程修了。1988年 日本学術振興会特別研究員PD(東北大学理学部)、1990年 東北大学理学部助手、1994年 東北大学理学部助教授、1998年 東北大学大学院理学研究科助教授、1999年 東北大学大学院理学研究科教授、1999年 国立極地研究所教授、2001年 総合地球環境学研究所研究部教授を経て、2008年より現職。2014年度より同大理学研究科長・理学部長。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。 
しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が
それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。

 地球の気候は、太陽からのエネルギーを受けながら、大気と海、陸、そして地球に住む生物など、それぞれの変化がさらに相互作用し合うことで、未だ人類が予測できないほど、複雑な変化を繰り返している。そんなシステムとしての気候が複雑に変動するメカニズムを解明するためには、人類のこれまでの様々な知見や方法論を結集させることが重要だ。そんな中、4つの大学が連携して気候変動に関する研究や教育を行う「地球気候系の診断に関わるバーチャルラボラトリー」の取り組みについて、東北大学大気海洋変動観測研究センター教授の早坂忠裕さん(理学研究科長・理学部長)に聞いた。


早坂忠裕さん(東北大学教授・理学研究科長)に聞く


■そもそもなぜ「気候変動」研究か

―そもそもなぜ「気候変動」を研究するのですか?

 地球温暖化問題を考えてみましょう。地球温暖化とは、単なる気温の上昇だけでなく、雨の降り方や海水面の変化など様々な変化を含めた気候の変動を指します。時間スケールも、千年一万年先の話ではなく、数十年百年先の自分の子や孫の世代に、予測もできないような気候変化が起こる可能性があることが大問題なのです。

 それを予測するために、地球表面の大気・海洋・陸域、そしてそこにいる生物も含めた地球の「気候システム」がどのように変動するかというメカニズムを、サイエンスとしてきちんと調べる必要があります。

 気候システムの変動メカニズムを理解することで、将来予測もできます。同時に、将来の気候変動を予測するためには、氷河期や間氷期といった大規模な気候変動を繰り返してきた地球の過去を理解することも非常に重要です。そられを明らかにするのがサイエンスとして面白いのです。


■「バーチャルラボラトリー」を形成

 日本には、気候変動を研究する研究所がたくさんあります。東京大学大気海洋研究所(前・気候システム研究センター)、名古屋大学地球水循環研究センター、東北大学大気海洋変動観測研究センター、千葉大学環境リモートセンシング研究センターの4つの大学は、関連分野を研究していますが、それぞれ特徴や得意技の根幹が異なります。

 そこで、4大学のセンターを一つのバーチャルなラボラトリーとみなして、それぞれの大学の得意技を共同の研究に役立てたり、各大学の特色を活かした若手人材育成を行おうと形成されたのが、「バーチャルラボラトリー(以下、VL)」です。2007年から文部科学省の特別経費事業としてスタートしました。


■4大学の得意技を活かした連携とは

―各大学の得意技とは何ですか?また、どのような共同研究をしていますか?

(1)東京大学大気海洋研究所(前・気候システム研究センター)

 東京大学大気海洋研究所は、前身となる気候システム研究センター時代から、地球全体(全球)の気候変動のシミュレーションや気象データなどの解析を行っています。スーパーコンピュータを用い、数式を駆使した、全球の気候のシミュレーションを得意としています。なお、気象データは、1957年から1958年の国際地球観測年(International Geophysical Year)を契機に始まった地球全体規模の共同観測結果など、膨大なデータを利用しています。

 さらに東京大学では、より精密な気候の再現や、将来や太古の気候もシミュレーションしています。例えば、二酸化炭素が二倍に増えた場合、地球の気温や雨の降り方がどのように変わるかや、数万年前の地球の気候はどうであったかなど、現在では観測できないことをその時の色々な条件を与えて再現するわけです。

 しかし、シミュレーションの結果が正しいかどうかは、例えば、現在の気候を観測したデータと比べることで確かめる必要があります。もちろん、シミュレーションの専門家も自分たちでデータを集めて比較をしていますが、観測の専門家と協力し合えば、より強力な検証ができます。そこでVLでは、以下に示すように、観測が得意な大学と共同で研究を進めています。


(2)名古屋大学地球水循環研究センター

 名古屋大学水循環環境センターは、レーダーで雨を観測・解析する研究から始まり、衛星のデータも使って、同センターの名通り、水に関係することを研究しています。水循環は海も関係するため、海を研究する専門家もいます。

 名古屋大学は、レーダーによる観測をさらに発展させ、雨を降らせる雲を大変良く再現できる「雲解像モデル」という局域的なシミュレーションモデルを持っています。そのシミュレーション結果は、衛星の画像と見間違うほど、数百メートルレベルの大変高い空間分解能を誇ります。自分たちでレーダーによる観測とシミュレーションの結果を比較して検証できる強みもあります。

 さらにシミュレーションモデルを進化させ、「大気海洋結合モデル」による研究も行っています。例えば、台風通過後は風によって海面が混合されるため、海面水温は下がることが衛星データなどからわかっています。そのため大気の変化だけでなく海の変化も併せてシミュレーションする必要があるのです。

 名古屋大学は局域的なシミュレーションを得意技としていますが、地球全体などの広域については、東京大学の全球シミュレーションや千葉大学の衛星による地球全体のデータなど、広域が得意な大学と連携することで相乗効果があります。

 また、気候変動の要因となる日射量の変動にも、雲は大きく影響します。日射量の変動要因として雲がどれくらい影響するかを、名古屋大学のシミュレーションの専門家たちと、東北大学の観測の専門家たちが連携して研究を進めています。


(3)東北大学大気海洋変動観測研究センター

 東北大学大気海洋変動観測研究センターは、「観測重視」の伝統を継承し、二酸化炭素やメタン、一酸化二窒素などの温室効果ガスや日射・赤外放射の観測、その変動メカニズムの研究などを得意としています。

 東北大学では、二酸化炭素濃度を1979年から観測し続けており、気候が変化した時の二酸化炭素の増え方も調べています。海は現在、熱帯を除き、基本的には二酸化炭素を吸収しているため、大気中に排出された二酸化炭素は、その全てが大気中に残るわけではなく、半分弱が海に吸収されています。そのため気候変動で海水温度が変化すると、海による二酸化炭素の吸収量が変化し、大気中に残る二酸化炭素の量も変化するわけです。そこで東北大学では、二酸化炭素が大気中にどれくらいあり、どれくらい大気中に排出され、海に吸収されるかを観測しています。さらに東京大学のシミュレーションの研究者と協力して将来、海水温度が変化した場合、現在の観測で得られた知見から海による二酸化炭素の吸収量の変化などを予測し、シミュレーションモデルにフィードバックさせています。

 また、東北大学は国立極地研究所と共同で南極の氷を分析し、過去の地球の環境や気候を研究しています。簡単に言えば、南極の中心付近で積もった雪が氷になり、基本的にはずっと溶けずに、平均2千メートルの厚さの氷になって大陸の上にのっています。その氷を深く掘れば、下方に数十万年前の氷が残っています。氷は全て密に氷になるのではなく、隙間があるため、氷の隙間に空気が挟まったまま上に雪が積もり、空気が保存されているわけです。その極わずかな量の空気を取り出し、過去の二酸化炭素濃度や酸素同位体などの成分を分析します。酸素の同位体からは気温がわかるので、過去70万年間に及ぶ温室効果気体の濃度と気温の関係などがわかります。

 さらに、シミュレーションで古気候復元に取り組む東京大学の研究者と共同研究をしています。氷河期や間氷期が起きるのは基本的に地球の軌道要素の変化によることは明らかになっていますが、より詳細がわかるでしょう。このほか、黄砂やPM2.5などの大気汚染物質に代表される大気中のエアロゾルに関する観測や、放射収支の研究も行っています。


(4)千葉大学環境リモートセンシング研究センター

 千葉大学環境リモートセンシング研究センターは、その名の通り、観測手法に特化したセンターです。もともと同大学には、写真や印刷、画像などの分野で歴史があり、前身の「映像隔測研究センター」を拡大して「リモートセンシング」をキーワードに衛星データなどを利用した様々な研究を行っています。

 同センターでは観測ネットワーク「SKYNET」を運営しており、日本と東アジアにある多数の観測地点に、太陽光を波長別に測る装置などを設置し、大気中のエアロゾルの濃度を分析したり、そのためのリモートセンシングの手法を開発しています。例えば、東北大学は地上の観測で日射量や赤外放射がどのような要因で変化するかを調べますから、観測の手法を開発している同大と一緒に研究することで相乗効果があります。

 さらに同センターは、衛星のデータやネットワークにある大量のデータをアーカイブ化して他の研究者も使えるよう提供したり、データを使った研究も行っています。例えば、天気予報で皆さんもご存知の気象衛星「ひまわり」は赤道上の約3万6千キロメートルの高さにいます。空間分解能は約1キロメートル。地球は1周約4万キロメートルですから、相当高い解像度です。それと同程度の高解像度で雲を再現できるモデルを、東京大学とJAMSTEC(独立行政法人海洋研究開発機構)が開発し、理化学研究所のスーパーコンピュータ「京」も使ってシミュレーションができています。同学はそのような大量のデータをアーカイブ化したり、それらデータを使って地球全体での日射量の変動を研究しています。

 東京大学などによる衛星並みの高解像度な雲モデルと、千葉大学による気象衛星ひまわりの解析結果を直接比べられるような共同研究が、ここ数年で進みました。


■学生の人材育成でも連携

―人材育成については、どのような連携をしていますか?

 VLでは、研究のみならず人材育成でも連携し、学生向けの講習会を4大学の持ち回りで毎年1回開いています。シミュレーションのプログラムの使い方や、観測からデータを取得して解析する方法、衛星データを利用する方法など、各大学の得意技を活かした内容です。4大学以外にも、全国の関係する大学に声をかけ、北海道大学から長崎大学まで、大学院生を中心に毎年30~40人くらいの学生が参加します。
 4大学が個別に講習会を実施するよりも、連携によって、多様なトピックを取り上げることができ、学生の多様な興味に応じることができます。我々は様々な気候変動の研究を紹介することで、気候変動のサイエンスに興味を持つ人を増やし、研究者後継者や社会で活躍する若手を育成したいのです。


■現在の地球の気候を調べることが、地球の過去や未来、惑星の理解までつながる

―最後に、中高生も含めた、若い世代へのメッセージをお願いします

 地球の気候システムの変動メカニズムは非常に複雑で、わからないことがたくさんあり、それを解明すること自体がサイエンスとして面白いのです。現在の気候を理解することで、将来予測もでき、社会に貢献できます。また、純粋に学問的な興味として、数十万年前の過去に遡って理解する面白さもあります。

 さらに過去へ遡ると、地球は過去2~3回、地球全体が雪や氷で覆われていたと考える「スノーボール・アース仮説」が、主に地学の研究者たちによって主張されてきました。しかし一方で、地球が全て凍れば、太陽の光の反射率は大きくなるため、ますます冷たくなり、地球は一度凍れば溶けないだろうと反論する意見も、約40年前にはあったのです。

 ところが、その後、どうも地球はスノーボール・アースに近い状況を何度か経験しただろう、という考え方が主流になってきました。では、なぜ氷が溶けるかと言うと、最近は研究が進展し、いろいろなことが計算機でシミュレーションできるようになってきました。

 例えば、実際の雪面も積もった後に新しい雪が積もらなければどんどん汚れ、太陽光の反射率は下がります。もし現在と比べて、過去の地球の二酸化炭素濃度が約10倍あり、氷が火山灰などで汚れて少し黒くなっていれば、全球が雪で覆われていても、温室効果で気温はそれなりに上昇し氷が溶け出すことはあり得る、といったシミュレーション結果もあります。現在の気候を理解することが、過去の地球を理解することにもつながるのです。

 さらに最近は地球を惑星の一つとみなし、他の惑星や衛星などと比較して理解する研究へ発展しています。例えば、地球と「双子の惑星」と呼ばれる金星は、大きさはほぼ同じですが、大気組成の90%以上は二酸化炭素で、雲は硫酸でできています。また、土星の衛星エンケラドスは氷で覆われていますが、観測すると、どうも水が噴き出ているようなのです。さらに、太陽系の外にある惑星に、地球と同じような岩石質の惑星が十数個見つかっています。地球をとことん調べることで見えてくる、他の惑星や衛星などとの相違がまた面白いのですよね。

 気候変動研究はいろいろな領域につながる学問分野ですから、純粋な理学としても非常に面白いのです。同時に、温暖化や自然災害など我々の生活や社会にも密接に関係しますから、非常に幅広い関連性を持つ面白い研究分野だと思います。このようなことに興味がある若い方には、ぜひ気候変動の研究分野に進んでもらいたいと願っています。

―早坂さん、本日はありがとうございました

「光技術」テーマに未来を展望/ノーベル賞・中村修二さんら仙台で講演

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「光技術」テーマに未来を展望/ノーベル賞・中村修二さんら仙台で講演

2015年2月3日公開

1月31日に開催された「光技術 革新と進化がもたらす社会」のようす=東北大学川内萩ホール(仙台市)

 「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオード(LED)の発明」で2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二さん(米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)らによる講演会「光技術 革新と進化がもたらす社会」が1月31日、東北大学川内萩ホール(仙台市)で開かれた。東北大学と河北新報社の主催で、大学関係者や中高生など約750人が参加した。


イントロダクション 「光を放つ半導体」
秩父重英さん(東北大学多元物質科学研究所教授)

秩父重英さん(東北大学多元物質科学研究所教授)によるイントロダクション「光を放つ半導体」

 講演会ではまず、秩父重英さん(東北大学多元物質科学研究所教授)が「光を放つ半導体」と題し、この後に続く二人の講演者や、光通信発祥の地としても知られる東北大学の研究について、中高生や一般向けにわかりやすく解説した。

 一人目の講演者である中沢正隆さん(東北大学電気通信研究機構長、電気通信研究所教授)は、「エルビウム光ファイバー増幅器」という、光通信の途中で弱まってしまう光を再現性よく整形して増幅する技術を開発。この技術により今日の高速・大容量な光通信が実現し、インターネットや電話になくてはならぬ技術をつくったことが解説された。

 二人目の講演者である中村修二さんは、「窒化インジウムガリウム」(InGaN)という材料で青色LEDを開発し、2014年にノーベル物理学賞を受賞。現代の照明や表示に無くてはならぬ技術をつくった意義が語られた。このほか、青色LEDの基本原理や、青色LED研究に従事した東北大学教授陣の研究についても概説された。


東北大学講演 「光通信技術はどこまで進化するのか」
中沢正隆さん(東北大学電気通信研究機構長、電気通信研究所教授)

中沢正隆さん(東北大学電気通信研究機構長、電気通信研究所教授)による講演 「光通信技術はどこまで進化するのか」

 続いて、中沢正隆さんによる「光通信技術はどこまで進化するのか」と題した講演があった。まず中沢さんは、電気通信研究所から生まれた、八木・宇田アンテナやマグネトロン、磁気テープや光通信の3要素など、歴史的発明を紹介。次に、光通信技術の基本技術について解説した後、光通信の最前線と将来展望を概観した。

 光通信は、異なる波長の光信号を同時に使うことで高速で大容量のデータ通信を行う「波長分割多重」と呼ばれる技術と、光通信中に減衰してしまう光パワーを約千から一万倍増幅する「エルビウム光ファイバー増幅器」の技術により、1997年頃から大容量化に成功。この技術は太平洋横断ケーブルなど海底ケーブルにも使われ、世界が光ファイバーでつながった。

 ところが、光ファイバーに高い光パワーを入れると、光ファイバーのコアが溶ける「ファイバーフューズ」という現象が発生する。このため、光ファイバー一本あたりの伝送容量は、100テラビット/秒(テラは一兆倍)近辺が限界と考えられている。一方で近年、通信トラヒックは年々急増し、インターネットの情報量は年率約40%の割合で増えている。つまり、20年後には1.4の20乗で約千倍の伝送容量が必要になる。しかし今、光通信の研究分野には、現状の千倍の性能を持つ光通信インフラを実現する技術がないという。

 そこで中沢さんらは現在、現状の約千倍の性能を持つ光通信インフラの実現を、産学官連携で目指している。光ファイバーのコアに入れられる光パワーの上限が決まっているため、複数のコアを一本のファイバーに配置する「マルチコアファイバ伝送路技術」や、一つのコア中にたくさんのモードを乗せる「マルチモード制御技術」、無線通信に匹敵する高効率な「超多重化コヒーレント光伝送技術」。これら3つの革新的光通信技術を同時に実現することで、20年後の社会的要請に応えたいと結んだ。

 さらに中沢さんは「光通信でまだできていないことはたくさんある」と指摘。最先端の研究者たちは光の速度の制御に挑戦していることや、光の粒子性を使った量子暗号通信の研究も進んでいることなども紹介。一度成長期を迎えた光通信が今また新たな発展期を迎えていることを次世代に伝えた。


特別講演 「窒化インジウムガリウム青色LEDと紫色半導体レーザー」
中村修二さん(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)

中村修二さん(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授による特別講演 「窒化インジウムガリウム青色LEDと紫色半導体レーザー」

 最後に、中村修二さんが「窒化インジウムガリウム青色LEDと紫色半導体レーザー」と題して講演。中村さんは、青色LEDの基本的な構造と発光原理を概説し、青色LED発明までの道のりを、ざっくばらんに語った。

 中村さんが青色LEDに挑戦した当時から、材料の候補は、セレン化亜鉛 (ZnSe) と窒化ガリウム(GaN)があった。しかし、GaNは結晶欠陥が多過ぎ良い結晶ができないため、ほとんどの研究者はZnSeを選んだ。応用物理学会で、ZnSeのセッションには500人以上も聴講があったが、GaNは10人弱で、聴講はわずか1、2人。赤崎勇さんや天野浩さんら(2014年ノーベル物理学賞受賞)が発表し、それを中村さんは「こっそり聞いていた」。

 なぜ中村さんは、人気のないGaNを選んだのか。中村さんは、日亜化学工業で約10年間、発光ダイオードを研究開発した。しかし会社の売上は思うように伸びず、まだ実用化されていなかった青色LEDへの挑戦を、冗談半分で当時の社長に直訴した。意外にもあっさりと許可が降り、1988年から1年間、米国フロリダ大学に留学。ところが博士号がないために研究者として扱われず、苦しい日々を送った。

 1年後、米国から会社に戻った中村さんの夢は「博士号をとること」。博士号取得には当時、5本の論文執筆が必要だった。既にZnSeは論文が山のようにあったが、GaNの論文はほとんどなかった。「GaNなら、自分でも論文を書ける」。そう思った中村さんは、2億円もする市販の装置を会社に購入してもらい、まず基板上にGaNの結晶膜をつくることから始めた。ところが数ヶ月やっても結晶はできない。悩みに悩んだ。「この装置は改造しなければならない」。毎日午前7時から午後7時まで、土日返上で研究に没頭した。

 そして完成したのが「ツーフロー」という方式の装置だ。ガスを基板の2方向から吹き付ける方法を、中村さんは独自にあみ出し、GaNの結晶膜の成長に成功。「これで論文が書ける」と喜んだ。次は、GaNバッファー層だ。これも世界一の成果がまた出た。さらに、p型GaNという半導体を熱処理で実現し、そのメカニズムも解明。すでに赤崎さんや天野さんが電子線照射で成功していたが、中村さんは熱処理だけで実現できることを示した。そして1993年、従来の青色LEDの百倍の明るさのInGaN層を発光層とする、ダブルヘテロ構造高輝度青色LEDの発明に成功。これらの業績がノーベル物理学賞の受賞につながった。

 ただ、InGaNの結晶欠陥は10の9乗個/平方cm。青色以外のLEDは10の3乗個/平方cmまで、結晶欠陥を減らさなければ明るく光らないのが常識だった。「なぜInGaNだけが明るく光るかはミステリーだった」が、1996年、秩父さんが「Inの局在効果が関連している」と解明した。このほか、中村さんは現在研究を進めている紫色半導体レーザーを使った照明についても紹介した。

 最後に、次世代を担う高校生たちへのメッセージ。長い目で見れば、本当に自分の好きなことを見つけることが重要だ。高校生は好きな科目を見つけて、一生懸命頑張って勉強して欲しい。また、欧米では博士号が大変重要。これからのグローバル化時代、日本人もどんどん外国に出る必要がある。皆さんも、博士号を取得するつもりで頑張って欲しい。


会場からの質問コーナー

会場からの質問に応える中村さんと秩父さん

Q.中村先生の考える光の面白さとは?(高校生)

A.可視光で色々なことができるので、色とりどりで面白い。

Q.これからのLEDの可能性とは?(高校生)

A.LEDは値段がまだ高い。LEDは効率が悪いため、長い目で見れば、照明はLEDからレーザーに変わるだろう。レーザーは高速通信も可能なため、通信の観点からも面白い。

Q.ディズニーランドのエレクトリカルパレードを見てどう思うか?(小学生)

A.非常に綺麗で嬉しい。

Q.小学生の時、どんな勉強をしていたか?子供の頃の夢は?(小学生)

A.算数と理科と図工が好き。他の文系科目は大嫌い。しかし今は本も書いている。歳とともに他の教科が好きになる。

Q.部活は何をしていたか?

A.中高6年間バレーボール部だった。自分たちで激しく練習したが、あれだけ苦労したのに、試合は全部負けた。あれ以上の苦労はない。それが大人になってからの自信になっている。

Q.科学者にとって必要な素質とは?(大学生)

A.人それぞれなので何が良いとは言えないが、一番大事なのは探究心。研究の謎解きが好きで、科学者になった。小さな頃から色々な問題を自分なりに解くのが好き。自分の頭で考えた方が楽しい。

Q.研究成果のアピール能力を身につけるために心がけることは?(大学生)

A.私は全部自己流。偉い先生についた試しもない。

A.(秩父さん)卑下せず、うぬぼれないこと。自分はこれだけできると正しく伝える。そうでなければ外国では相手にされない。

Q.研究生活の中で一番楽しい瞬間と辛い瞬間は?

A.一番面白いのは謎解き。謎が解けたら最高に嬉しい。

Q.日々の研究で譲れないことは?

A.成果は論文に書く。論文と特許が科学者の全て。論文を読んで評価して欲しい。

A.(秩父さん)正しいと思ったら伝える。「できない」とは言わない。「できる」より「できない」を証明する方が難しい。

Q.4日後に修論審査会がある。アドバイスと激励を。

A.大きな声で、はっきり自信を持って話すこと。自分が知らないことは言わない。知ったふりをすると、すぐに追求される。

Q.好きな食べ物は?(小学生)

A.ラーメンとうどん。日本に帰ったら最初に食べる。

Q.次世代を担う若い世代や東北にメッセージを。

A.いつも私はどん底まで行って苦労して、「それ以上のどん底はない」と苦労を捨てずにエネルギー源にして研究に費やしてきた。皆さんも、東日本大震災での苦労をぜひエネルギー源にして頑張って欲しい。


「生まれたての宇宙」再現実験、東北が候補地に/3月15日国連防災世界会議でILC講演会

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「生まれたての宇宙」再現実験、東北が候補地に/3月15日国連防災世界会議でILC講演会

2015年2月5日公開

宇宙の謎を解き明かす/山下了さん(東京大学准教授)に聞く

山下了さん(東京大学准教授・ILC戦略会議議長)

 宇宙の年齢は約138億年。ビックバン以来、宇宙は膨張し続け、どんどん広がっている。逆に、時間をさかのぼると宇宙はどんどん小さくなり、宇宙の始まりに到達する。世界中の科学者たちが知りたいのは、一番最初の宇宙がどうやって始まったかだ。

 世界の素粒子物理学者が挑戦するのが、生まれたての宇宙を再現する実験である。彼らが世界中で実験の候補地を探した結果、北上山地(岩手、宮城県)が最も良い建設候補地だと評価された。

 東北に新しく誕生する可能性がある最先端研究施設について、素粒子物理学者の山下了さん(東京大学准教授・ILC戦略会議議長)に聞いた。

円形から直線へ

2020年代の完成を目指し計画が進むILC(イメージ)

 計画中の研究施設は、「国際リニアコライダー(ILC)」という全長約30㎞の巨大装置。電子とその反対の電気を持つ「陽電子」を光速近くまで加速して正面衝突させ、生まれたての宇宙を再現する装置だ。

 この装置は「コライダー」と呼ばれ、最先端の装置は欧州原子核研究機構(CERN)の円形の加速器である。その次世代の加速器が「国際リニアコライダー(ILC)」だ。

 円形の加速器を直線にすることでカーブによるエネルギー損失をなくし、粒子をさらに速く加速できる装置を、世界中の科学者たちと一緒に計画している。

宇宙の謎に挑戦

宇宙を構成する物質のうち人類が知り得ているのはわずか4%に過ぎず、残り96%のうち、23%は未知の物質「暗黒物質」、73%が正体不明の「暗黒エネルギー」だと考えられている

 宇宙にはまだまだ謎がある。第一の謎が「ヒッグス粒子」だ。ヒッグス粒子は宇宙を「のり付け」する特殊なもの。ヒッグス粒子がなければ、皆さんの体内にある電子は留まっていられなくなり、宇宙の果てまでバラバラに飛んでいってしまう。ヒッグス粒子の謎も加速器で詳しく調べられる。

 もう一つの謎が「暗黒物質」。宇宙を観測すると、今までわかっていた素粒子以外にも、正体不明の暗黒物質がたくさんあることがわかってきた。暗黒物質も加速器で人工的につくり出せるかもしれない。

 宇宙の謎を解き明かすためにつくられた加速器は、医療や製薬など様々な分野で応用されている。例えば、癌の場所を調べるための陽電子放射断層撮影検査や、薬をつくるためにタンパク質を分析する時などにも加速器を使う。

 宇宙はどうやって始まったのか、宇宙は何でできているのか、宇宙になぜ我々はいるのか。その答えはまだどこにも載っていない。この謎解きに、皆さんもぜひ一緒に色々な形で挑戦してもらいたい。


高エネルギー加速器研究機構(KEK)で加速器を見学しました

加速器とノーベル賞

電子と陽電子の衝突点に設置されたベル測定器

 茨城県つくば市にある「高エネルギー加速器研究機構」で世界トップクラスの加速器を見学した。まず驚いたのが敷地面積の大きさだ。東京ドーム33個分(約153万㎡)もある敷地の地下11mに、1周約3㎞の円形の加速器がある。

 加速器は、電子と陽電子が2つのリングの中でそれぞれ光速に近い速度で逆方向にまわり、3㎞ごとに1箇所の的(的の大きさはわずか4μm※)で衝突するよう設計されている。その衝突性能は世界一。このようにして電子と陽電子を衝突させ、ミニビッグバンを人工的につくり、そこで生まれる粒子を詳しく調べる。

 この衝突点には高さ約8mもある測定器「ベル測定器」が設置されている。このベル測定器を用いた実験で、小林・益川理論が実験的に検証され、二〇〇八年に両氏はノーベル物理学賞を受賞している。


鈴木厚人さん(高エネルギー加速器研究機構 機構長)に聞く

小さなものを見るのに、大きな装置が必要な理由

鈴木厚人さん(高エネルギー加速器研究機構 機構長)

 素粒子の世界では、日常のニュートン力学が成立しない。量子力学という学問が必要だ。量子力学では、全ての物質は波と粒の両方の性質を持つと考える。波なので、ある大きさのものを見る時、それより長い波長の波では見えないが、それより短い波長の波なら見える。短い波長の波をつくるには高いエネルギーが必要であるため、小さなものを見るには大きな装置が必要になる。

月の引力だけでなく、海岸を打つ波の影響もコントロール

 電子と陽電子を衝突させるには、nm(※)サイズで軌道を制御する必要がある。ところが、月と地球の引力による潮汐効果でμmサイズで地球が膨らんだり縮んだりする影響や、研究所から約50㎞離れた海岸に打ちあげる波が地面を揺すり nmサイズで地盤が変動する影響なども制御する必要がある。研究者はその方法も自ら考える。必要は発明の母で、誰も答えを知らないことを考えることは楽しいことだ。

※サイズについて:μm(マイクロメートル)は10のマイナス6乗メートル=100万分の1メートル。nm(ナノメートル)は10のマイナス9乗メートル=10億分の1メートル

鈴木厚人さん(高エネルギー加速器研究機構 機構長)インタビュー全文はこちら


吉岡 正和さん(東北大学・岩手大学客員教授)

東北から新しい街づくりのモデルを創造/
吉岡 正和さん(東北大学・岩手大学客員教授)に聞く

 宇宙の謎を解明するための次世代加速器「国際リニアコライダー(ILC)」が東北にできると、どんなインパクトがあるのか。ILCを核にした新しい街づくりを提唱する、吉岡正和さん(東北大学・岩手大学客員教授)に聞いた。

モデルはCERN

CERN上空写真。加速器は赤い円の地下100mのトンネル内にある。この加速器を使った実験で、ヒッグス粒子を発見し、2013年ノーベル物理学賞に貢献した(提供:CERN)

 巨大加速器を核とした国際研究拠点のモデルは、ヒッグス粒子を発見したスイス・ジュネーブの欧州原子核研究機構(CERN)だ。

 CERNは第二次世界大戦からの復興まもない一九五四年に発足。宇宙の謎の解明という人類共通の目的の前に国境はない。欧州の英・独・仏・伊など、かつての連合国と枢軸国が協力し合い、世界の平和に貢献。昨年、創立六十周年を迎えた。

 もし今回、東北にILCができれば、日本初の国際研究拠点となる。そして、世界中からトップクラスの研究者と家族たち約一万人が長期滞在する。

 この環境は次世代育成に大きな影響を与え、さらにイノベーションを生み出す力になりうる。それは、CERNを見ても、歴史が示している。

ILC建設候補地である北上山地の位置。ILCの設置には振動の少ない固い岩盤地帯が30kmから50km広がっていることが必要。北上山地は、地下深くからマグマが上昇して花崗岩となり隆起してできた山地ゆえに硬い岩盤があるため、科学者たちは、最も最適なILC建設候補地と評価している

ILCを核に産業活性化

 日本が高度成長の時代から人口減少の時代に転換した今、日本が今後どのような新しいモデルをつくるべきか、国民一人ひとりが考えなければならない問題だ。ILCを核にした新しいモデルを東北で生み出し、ひいては、日本の進むべき道の一つを提案したい。

 ILCという最先端装置と世界トップクラスの研究者が集まる環境を活かし、住環境や交通、新産業などを取り込んだ新しい街づくりを考えている。

 例えばILCが電力を使う装置であることを逆に利用し、既存の電力源だけでなく、バイオマスや風力など、地域ならではの多様な電力源を複合的に組み合わせ、持続可能な施設にする。

 さらに発電時の排熱も農業や融雪など様々な用途に利用できる。複合的に考え、色々な産業を同時に活性化する作戦だ。

最先端を絶えず先取り

 東北には、世界遺産はじめ文化財や被災地など日本人が見ておくべき場所が多数ある。そこにILCを加え日本中の修学旅行生を東北に集めたい。

 さらに自動車や航空機など、様々な製造業が東北にはある。そこに加速器産業が加われば、東北のハイレベルな製造業がさらに幅を広げるだろう。

 将来、ILCを経験した人が地域に増え、ILCで得た技術で新しいものをつくろう、という人たちも出てくると思う。

 CERNは六十周年を迎えたが、国際研究拠点としての役割は重くなる一方だ。ILCも同様に、その時代の科学や技術の最先端を先取りし進化しながら長い歴史を刻んでいく国際研究拠点になるだろう。

 自分たちの未来をどんな世界にしたいのか。誰かに与えられるのではなく自ら創り出す発想で、ぜひ考えて欲しい。


リニアコライダー・コラボレーションディレクターのリン・エバンス氏(右)と握手を交わす東北ILC推進協議会の高橋宏明共同代表(左)

【ニュース】
ILC国際組織幹部、候補地の東北を訪問

 ILCの実現を目指す国際的な研究者組織「リニアコライダー・コラボレーション」の幹部八名全員が一月、東北視察に訪れ、東北ILC推進協議会の高橋宏明共同代表らと会談した。


第3回 国連防災世界会議パブリック・フォーラム
「ILC誘致と新たな国際学術研究ゾーンを考える」



英語版フライヤーはこちら

■申込は、学都「仙台・宮城」サイエンスコミュニティのWEBページへ

仙台市長の奥山恵美子さんに聞く:社会って、そもそも何だろう?

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仙台市長の奥山恵美子さんに聞く:社会って、そもそも何だろう? 取材・写真・文/大草芳江

2015年2月14日公開

社会とは皆でつくりあげていくもの

奥山 恵美子 Emiko Okuyama
(仙台市長)

1951年、秋田県秋田市生まれ。東北大学経済学部卒。1975年、仙台市役所に就職。仙台市役所では生涯学習課長、女性企画課長、せんだいメディアテーク館長、市民局次長、教育長、副市長などを歴任。2009年第33代仙台市長(1期目)、2013年2期目就任、現在に至る。

 「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【社会】に関する様々な「人」をインタビュー。
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とはそもそも何か」を伝えます。

生まれてから20歳になるまで20回近くも引っ越し、全国の色々な地域で暮らしながら育った奥山恵美子さん(仙台市長)は、ひとつの地域に根を下ろす生活に憧れると同時に、それぞれの街で色々な人たちが暮らしを営み、それぞれに異なる良さがあることを肌身で感じた。そんな育ち方が、今の考え方のベースになっていると話す奥山さんが、リアルに感じる社会とはそもそも何か、インタビューした。

<目次>
20歳までに20回引っ越し
地域に根をおろした生活がしたい
もう、あとは公務員しかない
地域への誇りを持ちながらオンリーワンに
仙台市長になるまで
社会とは皆でつくりあげていくもの
学び方も多様に
チャンスの格差と社会の応援
「関わろう」という意欲
学都仙台のポテンシャル
「人」こそ可能性
皆の力を出し合える社会へ
「大人になる」とは


奥山恵美子さん(仙台市長)に聞く


―奥山さんがリアルに感じる社会って、そもそも何ですか?

 その質問にお答えする前に、私がどんな環境で育ったかが、その答えにつながってくると思うので、そのことをまずお話させていただきたいと思います。


20歳までに20回引っ越し

 私は、父が国家公務員だったので、とてもたくさん全国を転勤しました。主に東日本ですが、幼稚園を2つ、小学校を5つ、中学校を2つ、高校を2つ、大学を1つ、通ったのです。つまり、それだけたくさんの街で暮らしてきました。ですから、普通の方よりも、ある程度、人の暮らし方には地域・地域によって様々な違いがあることを経験しました。

 例えば、雪深い秋田や金沢で暮らした時は、本当に雪のある暮らしって大変だなと子供心に思ったり。一方、千葉や東京に住んだ時は、太平洋側は明るくて、冬なのに全く雪の心配なく活動できるんだなと思ったり。数えてみたら、生まれてから20歳になるまでの間、親と一緒に20回近くも引っ越しました。


地域に根をおろした生活がしたい

 親と一緒に日本全国色々な風土や暮らしがあることを見られてよかったと思う一方、ひとつの地域にずっと住んでいる友達を大変羨ましく思っていました。「ここが私の故郷だ」と心から思えて、自分と記憶と共有してくれる幼なじみがいて、まるで船がいかりをおろしているように安定して暮らしている気がしたからです。

 もちろん、「大学卒業後は海外に行きたい」「これまでひとつの地域に住んでいたから、ここを出たい」と思う人たちもたくさんいることは、同級生の話を聞いてわかっていました。けれども私の場合、あまりにも生まれてから20年間引っ越し続きだったので、大学を卒業して自分で仕事を選ぶ時は、転勤や引っ越しがない、地域に根を下ろした生活をしたいと思ったのです。大学で仙台に住んで、とてもよい場所だと思ったので、仙台で仕事を探そうと思いました。


もう、あとは公務員しかない

 当時はまだ男女共同参画社会基本法が作られる前ですから、東北大学を出た女の子に、民間会社はほとんど求人票をくれませんでした。同級生の男の子には、「我が社を受験してください」と求人案内がダンボール箱1つ分も来ていたのですが、私には確か2通だったと思います。さすがに2通とダンボール1箱では、可能性が違い過ぎるなと(笑)。残すは、学校の先生か公務員しか、男女ともに受験できる就職先はありませんでした。例えば、看護師などは資格が要りますしね。

 最初は、学校の先生でもいいなと思っていたのですが、中学や高校の教員免許には「青年心理学」という科目の履修が必要でした。ところが当時は大学紛争の真っ只中で、大学がストライキでしばらく休みになっている間、「青年心理学の単位は不可」という告知が掲示板に貼られていたのです。「下記の者は出席日数不足につき単位は認定できない」という名簿の中に、よく見たら自分の名前がありました...。

 結局、単位が取得できないので、先生の免許はもらえないことになりました。じゃあ、もうあとは公務員しかないと、公務員の受験勉強をして、正確に言うと、東京都に入り、その翌年に仙台市役所に来ました。こうして地方公務員になったわけです。


地域への誇りを持ちながらオンリーワンに

 20歳までの間に全国色々な地域を見たことで、それぞれの街で色々な人たちが暮らしを営み、それぞれ異なる良さがあることを感じました。例えば、秋田の人は竿燈祭りをとても誇りに思い、金沢の人は前田家をとても誇りに思っています。それぞれの地域の人が、自分たちの故郷の歴史や文化の中で誇りをもちながら、オンリーワンとして暮らしているわけですね。

 仙台も全国に誇るものをもち、仙台らしく暮らしていくのがよいのではないか。そう市の職員としても思いながら色々な仕事をしてきました。小さな時の育ち方が、仙台市の職員として仕事をする時の大きなバックボーンにあったことは幸せだったと思います。

 市役所では、生涯学習や男女共同参画、消費者行政など、市民の方と一緒に行事や調査活動などを行う仕事に比較的長く携わらせていただきました。約三十年、市役所で色々な仕事を経験する中で、街とは市民と行政が一緒になってつくっていくものだということ、そして自ら関わることで誇りが醸成されていくという感覚を得ることができたと思います。


仙台市長になるまで

 教育長や副市長という仕事もいただき、だんだんより高いポジションで街のことを考えられるようになりました。これは引き立てていただいた藤井元市長さんのおかげであったり、時代もまた女性の力を組織として活用しようという時期でもあり、本当にチャンスに恵まれていたと思います。

 そんな中、前市長の梅原さんの時に副市長にしていただいたのですが、ご一緒に仕事をする中で、どうも梅原市長さんがお考えになる街づくりと、私の考える市民の方と一緒に力を合わせた街づくりは、ものの考え方が違うのではと感じるようになりました。

 一緒に長い間市民活動をしてきた人たちの中からも、「奥山さん、人の下でやるのもいいけれども、あなたが思う街づくりを正面に出してやってみたらいいじゃないか。応援するから」という声もいただいて。そこで思い切って、2009年に仙台市長選挙に出馬しました。色々な方からのご支援をいただいて、当選させていただくことができたのです。


社会とは皆でつくりあげていくもの

 ですから、私にとって社会とは「街」と言ってもよいと思いますが、そこに暮らしている人たちが自分たちの誇りを持てるような、自分たちの住んでいる地域をどうよくしていきたいかを皆で考えて、皆でつくっていくものです。その結果として、外から見た時に、仙台市なり仙台市域の社会ができていくのだと思います。ですから、まさに社会とは皆でつくりあげていくものだ、ということを実感として思いますね。

―与えられる意識では、誇りは持てませんね

 そうですね。スーパーマーケットの棚に並んでいるのを、「はい、これがあなたの仙台市です。仙台には、こんな病院や学校もあります。さあ、どれでもあなたの好きなものを選んでください」と言われているように、(社会を)普通は思いがちですけど。

 例えば、学校づくりひとつとってみても、実は自分たちの考えが反映されていることが、よく見ていただけるとわかると思います。仙台市内でも124の小学校がありますが、それぞれの小学校が違う学校です。もちろん教えていることは、全国学習指導要領で決められていることです。しかし、子どもたちがどんな地域活動を行い、地域の人達とどう関わるかなど、色々なことが全部違っており、124の違う学校ができあがっているのです。


学び方も多様に

―これまでのお話のキーワードに「多様性」があると思いますが、そもそも多様性というものを、奥山さん自身どのように考えていらっしゃいますか?また、色々なものを見た後ならば多様だと感じられても、最初からひとつだけしかない場合、それが「多様のひとつ」とどうしても気づけないと思いますが、そんな時はどうすればよいと思いますか?

 私のように、小さな頃から色々な街に暮らすことはあまりできることではないと思いますが、今の学び方の中で、色々な大人の人の話を聞く機会は、むしろ我々が学校に行っていた時代より増えたと思います。

 例えば、職業学習で大人の方が子どもの教育に参画してくださる度合いが増えています。大人の方が自分の仕事や街への関わり方などの経験を子どもたちにお話してくださる中で、色々なヒントがあると思います。

 また、修学旅行の地域学習も他地域を理解する大きなチャンスですし、最近はインターネットを利用して、遠隔地や海外の小中学生同士で議論することも可能になっています。学び方は今、とても多様になっていると思います。


チャンスの格差と社会の応援

―今は環境として、「そうしたい」と望む意思さえあれば、むしろ昔より多様な人と交流できる機会が増えているわけですね

 今の方が環境は整っていますし、子どもたちの活動を応援するNPOや団体は今、とても増えています。ですから願う人にとっては、非常に機会は開かれています。ただ一方で、そのような意欲を持ちにくい人や、家庭が経済的に厳しく、親御さんも含めて、そういうところまで、なかなか思いや考えを発展させにくい環境にいる人たちも実際、子どもたちの中にはいます。

 そのような子どもたちに、どのようにして居場所をつくり、また可能性の芽を引き出してあげるかは、逆に、これまで以上に考える必要があります。やはり伸びる子どもはどんどん伸び、たまたま生まれたお家の都合によって伸ばせるものも伸ばせないままでいる子どもたちもいるのが今の日本社会です。社会がそこに目を向け如何に応援していけるかは、これからますます大事だと思います。

 そんな中、若い学生さんが、家庭のお金で塾に行けない子どもたちにボランティアで勉強を教えたりするような、ボランタリーな形で応援しようという動きが、ここ10年間で増えていることを、とても心強く思っています。


「関わろう」という意欲

―問題意識を感じ、それを解決しようとする人たちもまた多様な形で増えているのですね

 そうですね。もう30年も前ですから遠い昔ですが、私たちが大学生の頃と比べて、今の社会に可能性を感じる点があります。我々の時代、1960年台後半の学生運動の流れの中で、大学生は社会全体に対して「ノー」と言う、日本的な学生運動がありました。

 逆に、今のお話のように、自分たちの足元の社会の課題に対して目を向け、そこに働きかける活動は、当時も若干のボランティア活動はあったものの、今の時代に比べてはるかに少なかったと思うのです。

 一方、今の大学生は、もちろん何もしない方もたくさんいることはわかっていますが、「関わろう」という意欲は、昔よりはるかに多くの方が持っています。現に、七夕や環境、教育や食生活など、それぞれテーマを見つけて活動している人たちが増えていると思うので、それはすごいことだと思います。


学都仙台のポテンシャル

―そのような点に奥山さんはポテンシャルを感じていらっしゃるのですね

 そうですね。特に仙台は、ご承知の通り「学都仙台」と言われるように、周辺自治体も含めて高等教育機関が約25もあります。たくさん大学があるからこそ、お互いに刺激し合い、それぞれの大学の多様性を活かした、よりバラエティに富んだ活動が展開されています。

 これも仙台の街としての強みですよね。このような良さは、気づきにくいけれども、この街が誇るべきことじゃないかという気がします。

―住んでいる人は、それを当たり前に思ってしまいがちですね

 空気のように思っているから、なくならない限り、あって当たり前みたいなことですけど、やはり仙台にとって大学があることは、とても大きな可能性です。

 よく東北の他の地域の市長さんから、「仙台は昼間から若い人たちがたくさん駅前を歩いていて羨ましいね」と言われます。それを仙台市民は何か特別なことだと思う人は少ないと思いますが、仙台以上の少子化や人口減少に悩んでいる街からすると、とにかく若い人が日中、街中にたくさんいること自体がすごく羨ましいことなのです。やはり仙台を前提に考えるだけでは、わからないものがありますね。


「人」こそ可能性

―改めて、奥山さんがこの社会、そして仙台に対して、一番可能性を感じているものとは何でしょうか?

 今、我々が住んでいる日本社会には、たくさんの課題や問題はあります。例えば、経済的格差問題がここ十年で非常に大きくなり、自治体も国も含めて財政が厳しく、また仙台でも人口減少が進みそうな状況です。

 ただ一方で私が可能性を感じているのは、その問題に立ち向かい解決できるだけの「人」が、我々の日本社会なり仙台・東北に十分いること。それを私は信じているのです。

 これだけの高い教育レベルを持ち、さらにひとつの言語で社会全体での意思疎通ができ、しかも「公共」、つまり皆でやることに対して、日本人はとりわけ真面目ですよね。

 例えば、ゴミは落ちていたら「片付ける人が拾えばよいので、自分が拾う必要はない」と思う人はいても、大部分の人はちゃんとゴミを捨てずに持ち帰りますよね。楽天の優勝パレードで仙台に約25万の人が集まっても、終わった後、ゴミが散らばっているわけではないですから。世界的に見ても、公共性に対する責任が高いレベルにある人たちが住んでいると思います。

 だとすれば、もちろん色々な議論は必要で、その過程で困ったことも起こると思いますが、必ず問題を解決していけるポテンシャルはあるはず。そのことを私はとても楽観視しているのです。

 あとは、それをきっちりと束ねるもの。それは街づくりに対する首長のリーダーシップかもしれないし、学校であれば、校長先生や地域の人達の「うちの学校はこれでやっていこう」という強い気持ちかもしれない。

 そこに向かって皆が力を合わせるんだという気持ちをひとつにさえすれば、一歩一歩でも必ず社会は変わっていくし、今までも社会は変わってきたわけです。

 歴史的に見れば、過去100年間で、我々の生活水準も教育水準も格段に上がっていることは確かです。それ故の弊害もありますが、良くなっていること自体はしっかりと信じ、これからもなお頑張っていけば、日本社会をそれほど悲観する必要はないと思います。


皆の力を出し合える社会へ

 それに、「大人になってもいいことはない。子どものうちが一番責任も問われず、社会の楽しいところだけを受け取れるから、楽でいい」という声を、時々聞かないわけではないですが。

 けれども私は、人間の究極の生きがいとは、なるべく自分の労力を提供しないで安楽に何か与えてもらうのところにあるのではなく、やはり自分の持てる力を少しでも社会に向けて使い、そのことで社会から感謝される、あるいはそのことに対価を得ることが、人の究極の生きがいじゃないかと思っているのです。

 そういう意味で、皆が持っている力を出し合える社会をつくっていきたいと思うのです。仙台市の掲げる「市民協働」とは、難しい言葉ですが、ある意味ではそういうことなのです。ですから、中学生には中学生としてわかっていただける街との関わり方があるので、それは大きく言えば、市民協働なのです。

 もちろん市民とは基本的に参政権を持つとか、法律の要件は色々あります。けれども、そんな風に難しく考えなくても、「自分たちの街は自分たちで望むように、悪いところがあれば変え、良い所は伸ばし、少しでも住みよい街にして、皆で生きがいをもって、暮らそうね」という気持ちがあればよいのです。本当にそれが何よりの願いだと思います。


「大人になる」とは

―最後に、今までのお話を踏まえて、読者の中高生へメッセージをお願いします

 よく言われることですが、人間は一人で生きているわけではありません。必ず社会や仲間に支えられて生きています。自分が支えられるだけでなく、自分も支え手の一人になることが、「大人になる」ことだと思います。

 自分はどのような力を持てば、人を、そして社会を、支えることができるのか。それに向けて力をつけていくことが「勉強」だと思うのです。大学に入ることも本当に大事なことですが、自分の中にどんな力をつけ、社会の中で「自分」をどう出していくかを考えれば、色々な学びの道があると思います。

 一人ひとりの方が、自分に合った学びの道を見つけ、力をつけて欲しいです。そして、大人になるということは、人からも感謝され、手応えのある、生きがいのあることですので、希望を持って大人になってほしいと思います。

―奥山さん、本日はありがとうございました

子どもの科学技術教育拠点が東北大に完成、カタールが復興支援

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子どもの科学技術教育拠点が東北大に完成、カタールが復興支援

2015年2月25日公開

 東北大学工学部(仙台市)に、カタール国からの支援で整備した「カタールサイエンスキャンパスホール」が完成し、2月21日、オープニングセレモニーが開かれた。セレモニーには、カタール国や東北大学の関係者、協力団体や児童ら約160人が出席。関係者らによるテープカットが行われた後、カタール国のハリッド・ビン・モハメド・アルアティーヤ外務大臣から、施設の完成を祝って鍵のモチーフの記念品が児童代表に手渡された。

 同大工学部では、カタール国が東日本大震災復興支援のために設立した「カタールフレンド基金」を活用して同大の既存施設を改修し、地域の子どもたちが最先端のものづくりや科学を学べる場として整備。ホールは延べ床面積約650平方メートル。3Dプリンターや5軸マシニングセンタといった機器や、円形の壁に360度映像を投影できる「パノラマスクリーン」などを設置した。2014年7月から、地域の団体と連携して体験型科学教室や工場見学ツアーなどを実施し、県内の小中高生ら延べ1万人以上が参加している。

 セレモニーでは、まず主催者の里見進東北大学総長が、カタール国の支援に対する感謝を述べた後、「学校では体験できない科学実験体験やものづくり体験、世界最先端研究に触れらる機会を通じて、子どもたちが科学やものづくりに興味を持つきっかけを作り、地域への理解と愛着を深め、地域復興や新産業創出を担う科学者や技術者として、将来活躍する日が来ることを願っている」と挨拶した。

 次に、ハリッド・ビン・モハメド・アルアティーヤ外務大臣から「子どもたちは将来発展の鍵。カタールも日本と同様に知識とイノベーションを国家戦略の中心と位置づけている。地域コミュニティの維持に教育が果たす役割は大きい。新しい地域産業を担う次世代の教育者や技術者が育つことを願っている」と祝辞があった。

 続いて、宮城県知事と仙台市長からの祝辞があった後、カタールフレンド基金親善大使で俳優の別所哲也さんが「当たり前と思っていることを見直し向き合うことが、科学の始まりかもしれないし、人間が人間らしく未来を築くためのスタート地点だと思う。同じ志を持つ仲間たちと友情を育み、当たり前に立ち向かって欲しい」とメッセージを送った。

 最後に、児童代表の樋口歩美さん(小学5年生)が「兄弟の部屋に手作りラジオがあり、ぐるぐる巻の導線から、なぜ音が鳴るのか、不思議に思っていた。カタールサイエンスキャンパスで念願だったAMラジオを作成でき、その疑問を聞くこともできた。また、学校にはない電子顕微鏡で昆虫を観察でき、マクロの世界に驚いた。この素晴らしい施設とプログラムは、カタール国からの支援と、協力してくれる企業の支えで成り立っていると知った。この施設を活用して多くのことを学び、社会に役立つ人間になりたい。そして、いつかはカタール国と日本の架け橋になりたい。学都仙台のシンボルとなる東北大学に小中高生が学ぶ場ができたことを嬉しく思っている」と、日本語と流暢な英語でお礼の言葉を述べた。

東北大学に免震構造の新研究棟が完成 理学研究科の新たな顔に

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東北大学に免震構造の新研究棟が完成 理学研究科の新たな顔に

2015年2月26日公開

東北大学理学研究科に新しく完成した「合同C棟」の外観(提供:東北大学理学研究科)

 東北大学理学研究科に新しい研究棟「合同C棟」が完成したことを祝い、2月19日、同研究科で竣工記念式典があった。2011年の東日本大震災で被災し、大きな損傷を受けた化学棟(化学専攻)と物理研究棟(天文学専攻、地球物理学専攻)の研究室が入居する。

 新しい研究棟は地上8階建で、延べ床面積は約9千5百平方メートル。免震構造を採用し、72時間電力供給が可能な非常用電源設備も備えている。2階にはセミナースペースやカフェなどの交流スペースを配置し、学生からの要望が多かったコンビニエンスストアも3月にオープン予定。12月開業予定の仙台市営地下鉄東西線の青葉山駅に面し、理学研究科の"顔"となる。

東北大学理学研究科合同C棟竣工記念式典のようす=2月19日、合同C棟2階「青葉サイエンスホール」

 式典では、理学研究科長の早坂忠裕さんが「国立大学の改革が求められる中、本研究科の強みを活かし何をすべきか、ミッションの再定義を行っている。本研究科の強みは、幅広い分野をカバーする多様性と、実験や観測を活発に行っている伝統。東北大学の他部局とも連携を図りながら、本研究科の強みを活かし今後も成果をあげていきたい」と式辞を述べた。

 続いて、総長の里見進さんが「東日本大震災で理学研究科も高層階で甚大な被害があり、教育研究機能に支障をきたしたが、教員や学生の努力で震災以前に勝るとも劣らない成果があった。これまでも世界をリードする成果をあげられているが、新しい環境でますますの成果をあげ、新しい歴史を踏み出して欲しい」と挨拶した。

祝辞を述べる仙台市天文台台長で東北大学名誉教授の土佐誠さん。仙台市天文台と理学研究科は連携と協力に関する協定を結んでいる

 来賓の土佐誠さん(仙台天文台台長)は「物理研究棟は宮城県沖地震でも被害を受け、年々大きくなるひびを心配していた。補強工事が完了した翌年に今度は東日本大震災が発生。このたび新棟が完成し、長年の心配が解消したと喜んでいる。曲線を取り入れた斬新なデザインの新研究棟のように、自由で柔軟な発想で研究や教育の成果がますますあがることを期待している」と祝辞を述べた。

上田実さん(化学専攻教授)と井上邦雄さん(ニュートリノ科学研究センター長)による講演会のようす

 式典後は講演会が行われ、上田実さん(化学専攻教授)が「天然物ケミカルバイオロジー」、井上邦雄さん(ニュートリノ科学研究センター長)が「ニュートリノが伝える地球内部の活動」と題して研究を紹介し、理学研究の魅力をいきいきと伝えた。

 続けて内覧会も行われ、惑星系実験室(地球物理学専攻)や合成・構造有機化学実験室(化学専攻)、望遠鏡(天文学専攻)を見学した。また、望遠鏡を寄贈したIK技研代表取締役の石川勇さんには感謝状が贈られ、天文学専攻の教員や学生たちとの記念撮影があった。最後に、2階のカフェで祝賀会があった。東日本大震災の苦労を乗り越えた関係者たちは、新しい研究棟の完成を喜ぶと同時に、さらなる研究力向上にむけて心新たにしていた。

惑星系実験室(地球物理学専攻)

合成・構造有機化学実験室(化学専攻)

望遠鏡を寄贈したIK技研代表取締役の石川勇さんと天文学専攻の教員・学生たちとの記念撮影

2階セミナースペース



インタビュー

■里見進さん(総長)

 東日本大震災発生からの4年間、仮設で不自由な思いをしたと思う。これまでも一生懸命頑張り、震災以前と変わらない成果をあげてくれたが、今回新しい建物が完成し、それ以上の成果をあげてくれると期待している。仙台市営地下鉄東西線が開業すれば、まさにここが地下鉄を出て東北大学を見た時のメインストリートであり、顔になる。それに相応しい良い理学研究科をぜひつくって欲しい。


■早坂忠裕さん(理学研究科長)

 本研究科の特徴は、一つは多様な分野の先生がいること、もう一つは実験や観測を一生懸命やっていること。今日の講演会でも、上田先生は化学専攻だが生物との関係を、井上先生は素粒子物理学の専門だが、天文や地球物理、地学にもまたがる話をされていた。このように幅広い分野の多様な人がいることが大事であり、そのような研究をどんどん発展できると良い。また地下鉄開通時には、新しい研究棟が本研究科の玄関になるため、本研究科がいきいきと活発に研究する姿を、広報やアウトリーチを通じて見える形にしたい。

太陽系惑星、そして太陽系外の惑星へ/鍵谷将人さん(東北大助教)に聞く

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鍵谷将人さん(東北大学助教)に聞く:太陽系惑星、そして太陽系外の惑星へ 取材・写真・文/大草芳江

2015年4月1日公開

太陽系惑星、そして太陽系外の惑星へ

鍵谷 将人 Masato Kagitani
(東北大学大学院理学研究科・理学部 附属惑星プラズマ・大気研究センター 助教)

頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム「ハワイ惑星専用望遠鏡群を核とした惑星プラズマ・大気変動研究の国際連携強化」 × 「宮城の新聞」コラボレーション連載企画 (Vol.3)

 ハワイ州マウイ島ハレアカラ山頂に昨年完成したばかりの惑星専用望遠鏡観測基地に長期滞在しながら惑星大気研究を進める鍵谷将人さん(東北大学助教)に、研究内容や動機などについてインタビューした。


鍵谷将人さん(東北大学助教)に聞く


■太陽系惑星の希薄大気やプラズマ発光を地上からとらえる

図 1 イオの火山ガスが宇宙空間に広がっていく様子を東北大学の惑星大気観測専用望遠鏡T60で観測した例。木星は火山ガスの発光に比べて極端に明るく観測の支障となるため、短冊状の遮光フィルタで覆い隠されている。

―研究内容についてご紹介をお願いします

 太陽系内にあるいくつかの惑星の希薄な大気、あるいはプラズマ発光を、地上から観測する研究をしています。

 例えば木星の衛星「イオ」は、太陽系内で最も火山活動が激しい天体と言われています。イオから放出される火山性ガスは、木星磁気圏にばら撒かれ、それが木星やその周辺にある衛星の環境に大きな影響を与えます。それらがどのような影響を与えており、どのような物理的理由で影響が与えられているかについて、私は研究しています。

 特に、我々の目で見える領域の光では、木星や衛星などの"眩しい明かり"に比べて、その周辺にある火山から噴出されたガスやプラズマ(電離したガス)の発光といった"微弱な明かり"を見なければならないという、観測上の困難があります。その困難を克服し、観測方法や装置を開発するところに面白みや工夫し甲斐があります。今まで見えなかったものを、見えるようにしたいのです。


■ハイダイナミックレンジイメージング

―今まで見えなかったものを見えるようにする観測方法や装置とは?

 一言で言えば、「ハイダイナミックレンジイメージング」です。要は、階調(色や明るさの濃淡の段階数)です。例えば、10,000の"眩しいもの"がある中に、1の意味あるシグナルが混じっている時、その10,000から1をどうやって見分けるか?という話です。

 具体的には、明るいものを覆い隠すことで周辺の暗いものを見る「コロナグラフィ(コロナグラフ)」と、「高い波長分解能を持った分光観測」、現在のところ、この二つの技術で攻めています。

―まず、「コロナグラフィ」とは何ですか?

図 2 コロナグラフの原理を示した模式図

 「コロナグラフィ」とは、人工的に日食を起こすようなものです。太陽が月を隠すのが日食ですが、日食が起きると、昼間でも太陽近くの星が見えますね。明るくて眩しいものを隠してやると、その近くにある暗いものが原理的には見えます。

―具体的には、どのようにして人工的な日食を起こすのですか?

 右上の模式図(図2)に示すように、望遠鏡に接続した光学系の中に、明るい天体を覆い隠す「遮光マスク」を配置します。併せて、回折によって生じる邪魔な光を効果的に抑制する「瞳マスク」も配置します。これらのマスクによって、観測対象のごく近傍にある100万倍ほど明るい光を効果的に減光します。

―もう一つの「高い波長分解能を持った分光観測」とは?

図 3 太陽や惑星から来る光は、広い波長範囲で光っている(連続光スペクトル)。一方、ガスやプラズマの発光は、ある特定の波長で光る(輝線スペクトル)特徴を持つ。観測される光の量は、波長に対する明るさの積(色を塗った面積)に相当する。そのため、観測する波長の幅(帯域)を狭くしてやると、相対的に太陽や惑星のまわりの眩しさが軽減されることになる。

 太陽や惑星の光は特定の波長ではなく、広い波長範囲で光っています(連続光スペクトル)。それに対して、我々がターゲットにするガスやプラズマの発光は、ある特定の波長で光る(輝線スペクトル)特徴を持つため、ある特定の波長に限って見れば、太陽から来る光の量を相対的に小さくできます。そのため観測する波長の幅を狭くしてやると、相対的に太陽のまわりの眩しさが軽減されることになるため、それを実現するのが、高い波長分解能をもった分光観測です。

―現在、装置開発はどのように進んでいますか?

 ハイダイナミックレンジイメージングができる装置を開発し、昨年12月、T60(東北大学の口径60cmの惑星大気観測専用望遠鏡)に取り付け、一番心配だったステップを無事クリアすることができました。想定以上にうまくいったので、非常に良かったと思っています。これから、面白いデータが取得できるところです。現在は、高波長分解能の分光器を取り付ける準備をしており、また再来週からT60観測基地のあるマウイ島ハレアカラ山頂へ行く予定です。

―どのような面白いデータがとれているのですか?

 T60では、衛星イオの火山から放出されたガスが木星磁気圏にばらまかれていく様子が観測されます。一方で、JAXAの宇宙望遠鏡「ひさき」 が、2015年の1月下旬以降、木星磁気圏でのプラズマの発光が徐々に明るくなっていく様子をとらえています。我々は、イオの火山ガスの増加がプラズマの密度を増加させ、明るく光らせているのだと考えています。 今後、イオの火山ガスの変化とともに、どのような変化が生じるのか、見守っていきたいと思います。


■系外惑星研究へのステップ

―T60観測基地は昨年9月に無事完成しましたが(ニュース記事はこちら)、T60建設には様々な困難があった中、鍵谷さんが大きな貢献をしたと伺っています。

図 4 米国ハワイ州マウイ島のハレアカラ山頂に完成したT60の前で

 あくまで道具をつくる先にあるサイエンスが目的であり、T60の建設はそのための整備という位置づけでしかありません。しかし、T60で得た経験は、現在準備を進めている惑星・系外惑星専用望遠鏡「PLANETS」(口径1.8m)によるサイエンスをより具体的に描けるようになったという意味で、私にとっても良いステップになりました。

 私自身、太陽系外の惑星(系外惑星)に興味があり、少なくとも現在のステップの先に、系外惑星を見据えて研究をしています。「木星の周りを木星の衛星が回っている」様子を地球から見ることは、「太陽系外の主星の周りを惑星が回っている」様子を地球から見ることと非常に似通った状況です。ガリレオが望遠鏡で木星の周りを回っている衛星を見つけて地動説を確信したように、系外惑星をシミュレートするのに、太陽系惑星はうってつけのターゲットです。

―今後の抱負について、お話いただけますでしょうか?

 まずは、PLANETSを完成させること。サイエンティフィックには、やはり系外惑星をターゲットにしたいですね。そのための手段はいくつかあり、そのためのステップとしてT60でできることを始めています。

―具体的には、現段階でどのように研究が進んでいますか?

 フィンランド、ドイツのグループと協力して、太陽の周りを回る惑星による偏光を0.001%まで精密に測定する観測装置を設置し、観測を進めています。偏光を精密に測定することで、惑星の大気がどのような性質を持っているか、木星や土星のような大気や雲に覆われているのか、あるいは金星や地球のような大気や雲に覆われているのか、はたまた水星や月のようにほとんど大気を持たないのか、といったことを知ることができます。


■ものづくりと天文学への興味がつながる

―そもそも本研究分野に進んだ理由は何ですか?

 小さな頃から、ものを分解したり壊したりしながら、自分の好きなものを自分でつくることが好きでした。そこに天文学的・惑星科学的な観測という目的がつながったのは大学に入ってから。ものをつくる動機付けとしてサイエンスという目的がある楽しさを知ったのです。

 大仰に言えば、そもそもなぜ私たち人間は存在しているのだろう?と議論できるのは、哲学か天文学くらいしかありません。さらに、私たち人間以外に生命は存在するかしないかを確実に言えるのは天文学だけです。そんな面白さを中学生の頃から天文学に感じていました。今それにつながる仕事ができて面白いです。


■海外で研究する意味

―本プロジェクトで得られたことは何ですか?

 良い点や悪い点も含めて、考え方などが異なる環境に行くことで視野が広がったことは、非常に良かったですね。日本ではあまりお目にかからなかったような価値観や生き方の人もいたので、そういうやり方もいいなと思いました。それに日本ではあまり会ったことがなかったような、僕と似た考え方の人もいて、自分の考えもいいんだと思えたことも良かったです。

 また、日本人は精神論的で、欧米人は合理的とよく言われますが、欧米の人たちはよく休み、働く時はよく働くという、切替がはっきりしています。「人間、頑張って何とかなる範囲はたかが知れている」と個人的には感じましたね。


■一生懸命やったことは無駄にはならない

―最後に、今までのお話を踏まえ、中高生にメッセージをお願いします

 好きなこと、つまり、一生懸命できることがあればそのまま一生懸命やったらいい、というのがメッセージです。大それたことはないですが、自分が中高生の頃に好きなことを熱心にやって何かを失ったことはないですし、一生懸命やったことは無駄にはなりません。

 また、自分は絶対に英語を喋る必要のない仕事に就きたいと思っていましたが、今では海外で研究する立場になってしまいました(笑)。「英語は必要ない」と思っていても、これからの時代ますます必要になるでしょう。英語は身につけておいて損はないと思います。

―鍵谷さん、ありがとうございました

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