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産学官連携でイノベーションを 最先端研究紹介フェア/「第5回みやぎ優れMONO」3件認定

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産学官連携でイノベーションを 最先端研究紹介フェア/「第5回みやぎ優れMONO」3件認定

2013年1月24日公開


仙台国際センター(仙台市青葉区)で17日に開催された同フェアのようす

 東北の学術研究機関等のシーズと社会のニーズが出会う場をつくろうと、「東北大学イノベーションフェア」(主催:東北大学)と「産学官連携フェア」(主催:みやぎ産業振興機構)が17日、仙台国際センター(仙台市青葉区)で同時開催され、企業関係者らに最先端研究が披露された。ナノテクノロジーや情報通信など分野ごとに、それぞれ約70の展示ブースが設けられた。震災復興プロジェクトの展示もあった。


宇宙から原発事故まで、極限環境で活躍するロボット


吉田和哉教授による極限ロボティクスの実演・解説のようす

 このうち、小惑星探査機「はやぶさ」や原発事故対応ロボット「クインス」の開発に携わった吉田和哉教授によるデモコーナーでは、「クインス」や将来の月惑星探査のためのロボットなどが、実演を交えながら解説された。

 特別講演では、吉田教授が「極限ロボティクス:『はやぶさ』から災害対応ロボットへの展開」と題して講演。「人の行けない環境で人に代わって探査する」宇宙探査ロボットの研究過程や、その技術を応用した原発事故対応ロボットの開発過程を紹介した。

 吉田教授は「現場のニーズを聞くことなしに、本当に役立つイノベーションは生まれない。また、失敗を恐ればイノベーションは生まれない。失敗から学ぶ経験を積重ねる先に、夢への挑戦がある。チャレンジこそ大切だ」とイノベーションのあり方に対して言及した。


「第5回みやぎ優れMONO」、今年度は3社認定


「第5回みやぎ優れMONO」認定式のようす

 このほか会場では、県内企業の優れた工業製品を応援する「みやぎ優れMONO」の認定式も行われた。本事業は、本県から数多くのものづくりヒット商品を生み出そうと、県内の自治体や経済団体等15団体が産学官一丸となり、優れた工業製品を発掘・育成・販売促進するもの。5回目となる今年度は11件の応募があり、選考の結果、3件が認定された。

 このうち、亀山鉄工所(仙台市青葉区)が開発した温度成層式の蓄熱・貯湯タンク「亀山貯蔵(かめやまためぞう)」は、ボイラーで温めた水を混ぜることなくタンクに貯蔵し、上層に熱いお湯、下層に冷水と分けたまま取り出せるシステムで、高効率にボイラーを運転できる。この独自の省エネ技術で、被災地の農家や行政等と産学官連携で復興に取組む点も評価された。

 このほか、プラスチック成形メーカーのアスカカンパニー東北工場(加美町)の「射出成形における超薄肉成形技術」は、従来難しかった薄さ0.3mmのプラスチック容器成形に量産レベルで成功。省資源化・コスト削減を実現した。

 また、プラスチック成形メーカーのプラモール精工(富谷町)が開発した「エアトース」は、プラスチック樹脂を金型に流しこむ際に必要となる空気抜きを容易にした。もともと自社で困っていた問題改善のために製造した装置を販売する開発姿勢も評価された。

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特別講演者インタビュー

◆宇宙開発は夢と挑戦の繰り返し
/吉田和哉さん(東北大学教授)

―なぜ宇宙探査ロボットを研究しようと思ったのですか?


東北大学教授 吉田和哉さん

◇宇宙とロボット工学の出会い
 アポロ宇宙船が月に着陸した1969年、8歳だった私は、世界中の人々と同じように宇宙に憧れた。宇宙の研究者になりたいと思い、実は大学も、第一希望は理学部だったが、諸事情で第二希望の工学部に入学した。
 けれども大学院生の頃、宇宙とロボットがつながった。人にとって非常に過酷で危険な宇宙環境で、人に代わって仕事をするのがロボットだ。例えば、宇宙飛行士が宇宙船外で作業をする時も、ロボットアームが使われる。将来、人類が月へ火星へ未知の惑星へと活動領域を広げる時も、ロボット探査は不可欠。博士論文研究以来ずっと私が一番やりたいことは、宇宙開発を助けるロボットの研究開発だ。
 「人の行けない環境で、人の代わりに作業をする」ロボット技術は、よく考えてみれば、宇宙開発だけでなく、例えば放射線量の強い原発事故現場にも応用できる。最近は、宇宙開発を柱にしつつ、応用にもチャレンジしている。
 小惑星探査機「はやぶさ」開発にも関わることができた。「はやぶさ」はロボット的な能力を持ち、人に代わって小惑星に行き、岩石のサンプルを採集して地球に持ち帰る世界初のミッションを、数々の困難を乗り越えて達成した。「はやぶさ」が持ち帰った岩石サンプルで、科学者は太陽系誕生と進化の謎を紐解くことができる。
 もともと宇宙の科学者になりたかったが、今はエンジニアとして、科学者の研究や発見を手助けする道具を提供している。そのような形で人類の知識に貢献できれば、もともとの夢を実現できていると思う。

―イノベーションで最も大切なことは何でしょうか?

◇失敗を恐れては、イノベーションは生まれない
 最近の日本は閉塞感が漂っていると言われる。「限られた国の税金を無駄遣いできない。失敗は許されない」雰囲気が、宇宙開発に限らず国の事業全般にある。しかし失敗を恐れては、日本のイノベーションは終わってしまう。それが構造的な問題だ。
 失敗を恐れずチャレンジすることが大切だ。失敗から学び、失敗の経験値を積重ねることで、リスクを見通す力、失敗に負けない力がつく。誰もしたことがないことに挑戦するのだから、失敗するのは当前。その先に夢への挑戦がある。
 「はやぶさ」はその典型例で、NASAも難しくてできなかった無謀とも言えるチャレンジを、日本が先に成功させた。一生懸命な挑戦が、国民の皆さんの支持を得たと私は思っている。一方で「次からは、あんな無謀なチャレンジはすべきでない」という意見もある。国民の税金で「説明責任・結果責任」が問われると、安全志向に傾きがちだ。しかし、「確実なことを手堅く」と言えば聞こえは良いが、チャレンジして失敗を乗り越えない限り、イノベーションは生まれない。

◇現場のニーズを聞くことなしに、役立つイノベーションは生まれない
 今回の原発事故直後、最初に現場に投入されたロボットは、米国製だった。「なぜ日本製ロボットは出てこない」と国民のフラストレーションは高まった。日本には、大学・研究機関の研究レベルでは、世界に負けない研究成果が多数ある。我々の研究室でも、開発したレスキューロボットを現場で訓練する手前だった。
 ところが、どうしても「研究室の中で動いて、会場でデモし、報告書に書いて終わり」という技術開発の流れがあり、現場に密着した開発に至らなかった。あるいは、システムがそれを求めていなかった。しかし、我々の技術を世の中に役立てようと思えば、現場のニーズを聞きながら一緒に技術開発を進める必要があることを、今回の原発事故対応ロボット「クインス」開発を通して実感した。
 実は宇宙開発も、科学的発見という目的達成のため、現場からのニーズに応える技術開発。これからのイノベーションのあり方として、現場の「もっとこんなものがほしい」「こう変えたい」ニーズに応える技術開発こそ大学の使命であり、そこから本当の意味で、役立つイノベーションは生まれると思う。

―中高生の読者も含めた次世代へのメッセージをお願いします。

◇夢と興味を持ち続けて
 宇宙開発は、一つ新しい発見をすれば、また新たな疑問が生まれる世界。常に夢と挑戦が繰り返される、夢のある分野だ。「こんなことをしたい」「こんなことできたらいいな」は、まさしく夢。夢がすべての原動力、挑戦へのモチベーションになる。今の若い人たちが大人になる頃、宇宙開発はまた新たな展開を迎える。次世代をつくる若いたちに、ぜひ夢と興味を持ち続けてもらいたい。


【主催者インタビュー】
Q.イノベーションで最も大切なことは?

◆素直な気持ちを皆で形にできる場が大切
/東北大学理事(産学連携担当) 数井寛さん


東北大学理事(産学連携担当) 数井寛さん

 イノベーションとは、新しい技術・製品・サービス。それに何が必要かと言えば、「こういうものがほしい・あれがあるといいな」という気持ちを、うまく皆で形にすることが重要。そのためには、皆が素直な気持ちで言い合える場が、とても大切だと思う。それを皆で協力し何とか実現していく。その場は、それを欲しい人だけでなく、作る人、作る人が足りない技術を持っている人、両者をつなぐ人、必要ならお金を出せる人が一緒になることで、新しいイノベーションが起こりやすくなる。
 そのような意味で産学官連携とは、ものをつくる産業界と、知恵を出す学(学術界)と、お金や制度をつくれる官(行政)の人が、一緒になって取組むことで、新しいイノベーションを生むきっかけの場をつくること。人間の素直な欲求や気持ちを、どのようにして科学技術が実現するか、うまくブレイクスルーすることが重要だ。
 だから、若い人たちは夢を持つことが大切。子どもの頃から「自分が大人になったら、こんな社会で、あんなものがあるといいな」と、いろいろな夢を持つ。映画を見たり本を読んだり、友だちと話をすることは、将来のイノベーションの重要なきっかけをつくると僕は思う。


◆イノベーションのベースに興味と想像力
/みやぎ工業会会長(みやぎ優れMONO発信事業実行委員長) 竹渕裕樹さん


みやぎ工業会会長(みやぎ優れMONO発信事業実行委員会委員長) 竹渕裕樹さん

 イノベーションには、イマジネーション(想像力)が大切だと思う。宇宙開発でも何でも「この先に何があるのだろう?」「月はどうなっているのだろう?」と興味を持って想像すれば、「だったら、それを見てみたい。行ってみたい」という興味を実現しようと、一生懸命いろいろなことを変化させたり、開発したりする。そんなスパイラルでどんどんイマジネーションを実現する積重ねこそ、イノベーションの本質。だから常に高みを求めるし、満足してはならない。
 イノベーションとは常に新しいものを生み出そうとする活動だが、そのベースにあるのは人間の興味と想像力。もしそれがなければ、今のままでもいいじゃない。でも、それじゃあ面白くないから、違う形を想像して、それに向かって実現していく。すると、今のままじゃ足りないから努力する。それがイノベーションのプロセス。
 子どもたちは、とにかく想像力を高めることが大切。それは本を読むことだと、僕は思う。子どもが知的好奇心として童話や本を読み、いろいろなことを想像する。それがだんだん夢になって、それに興味を持って成長していく。
 だから本当は、教えなくてもいい、本を読める能力さえ持てば。想像力がつけば、質問できる能力がつくから。「どうして?」が、本当のイノベーションの発端だから。想像力のない人はいないが、磨かなければ、全て与えられるのでは、止まってしまう。だから、自分で想像する努力をする。それが若い人たちには大切な気がしている。


◆直近の成果を求めてはならない
/みやぎ産業振興機構理事長 井口泰孝さん


みやぎ産業振興機構理事長 井口泰孝さん

 地域イノベーションも組織も、直近の成果を求めてはならない。直近の成果も必要だが、もっと広い世界を見てやらなければ、本当の地域イノベーションにはならない。そして大切なのは、人づくり。失敗しても、そこから学べ。失敗することで、次のステップに行ける。そして、小さくまとまるな。成果をすぐに求めるな。これは大学の先生にも言うことだが、子どもたちにも話すし、老人クラブでもそう話す。歳を取っても、まだまだこれから希望がある。私なんぞ来週で古希(70歳)だが、まだまだ育ちたい。夢や希望をどうするかは、吉田先生のお話に尽きる。


学生の新事業提案コンテスト、社会的視点の提案ふえる/第8回CVG東北

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学生の新事業提案コンテスト、社会的視点の提案ふえる/第8回CVG東北

2013年2月8日公開


第8回CVG東北表彰式のようす=5日、ホテルメトロポリタン仙台(仙台市青葉区)

 学生による新事業提案コンテスト「第8回キャンパスベンチャーグランプリ(CVG)東北」の表彰式が5日、ホテルメトロポリタン仙台(仙台市青葉区)で開かれ、各賞あわせて8件が表彰された。高橋宏明実行委員長(東北経済連合会会長)は「東北の復興に必要なものは、若い活力による事業活動。東北を牽引する人材として成長して」と挨拶した。

 CVG東北は、起業家精神に富んだ人材を育てようと、東北地域の経済人などでつくる実行委員会が2005年から実施。今年は9の大学や短大などから41件の応募があった。震災復興や地域産業活性化に貢献したいという社会的視点からの提案が多くあった。


最優秀賞受賞グループによるプレゼンテーションのようす

 審査の結果、最優秀賞に八戸工業大学の中居秀太さんらによる「ブルーライト照射したセミドライりんごの商品開発」が選ばれた。青色LED等を使用してりんごの新たな加工食品をつくる提案で、具体的な分析をもとに最適な条件を求めた科学的な姿勢だけでなく、地元産業に貢献したいという熱意が高く評価された。中居さんらは3月7日に東京都内で開催される全国大会に、東北地区代表として出場する。

 このほか、東北経済産業局長賞などの特別賞2件、奨励賞2件、努力賞3件が入賞した。入賞者には表彰式で賞状と盾、賞金が授与された。表彰式後は企業経営者との交流パーティーも開かれた。入賞者は次の通り(Gはグループ受賞で氏名は代表者、敬称略)。

▽最優秀賞=ブルーライト照射したセミドライりんごの商品開発(八戸工業大学・中居秀太G)▽特別賞・東北経済産業局長賞=高齢者に身近な生活圏を自由に移動できる手段を提供する事業(東北大学大学院・瀧澤勇人)▽同・日刊工業新聞社賞=特別な1枚を特別な形で。伝えたい記憶、残したい記録。(山形県立米沢工業高等学校専攻科・鈴木里実G)▽奨励賞=「習い事、何かしてる?」「私?...食育!」~子ども達の習食活動~(宮城大学・今野築G)▽同=University Managers~地方大学のマネージャー~(東北大学・佐藤克唯毅)▽努力賞=視界モニターの活用による、中小小売業の業績改善支援事業(東北大学・石橋蓉子G)▽同=おいてみるんるん(東北大学・宇羽野郁也G)▽同=ぶらり旅~廃線を利用して地域活性化を!~(会津大学短期大学部・富樫有里沙G)

20130206_03.jpg 入賞者と関係者による集合写真


受賞者インタビュー

■「ブルーライト照射したセミドライりんごの商品開発」
/最優秀賞受賞グループ代表の中居秀太さん(八戸工業大学)


最優秀賞受賞グループ代表の中居秀太さん(八戸工業大学)

―受賞おめでとうございます。喜びの声を一言。

 非常に嬉しい。私たちが研究してきた新しい商品が、実際に広く普及すればいいなと願っている。

―本プランを提案しようと思ったのはなぜ?

 地元青森のりんごの品種「ジョナゴールド」は、色づきが良くないことから、「ふじ」と比べて低価格である。しかし、生食用だけでなく加工用にも適するため、新しい加工食品をつくることで付加価値を高めることができると思い、私たちが立ち上がった。

―本プランをつくる中で最も苦労した点は?

 本プランの特徴は、りんごの乾燥処理過程で波長の短いプルーライトを照射することで、りんごの各種栄養分を向上させた点にあるが、りんごをどのように加工するかに頭を悩ませた。今後は実験結果を基に、どんな実験条件でどの成分が向上するかをさらに追求する必要があると考えている。

―全国大会にむけて意気込みを一言。

 全国大会に出場する他大学チームはIT関係が多いが、私たちは唯一ものづくりに関するチーム。それを突破口に全国大会に臨みたい。

―中高生も含めた後輩たちへメッセージを。

 色々なことに興味を持って、自分が今まで経験してきた様々なことを基に、自分が何をしたいのかを貫くことが大切だと思う。

―ありがとうございました。


関係者インタビュー
Q.今年のCVG東北を踏まえ、中高生も含めた若い世代に期待することは?


■協力し合いながら高めていく姿勢、大切に
/実行委員長の高橋宏明さん(東北経済連合会 会長)


実行委員長の高橋宏明さん(東北経済連合会 会長)

 特に今年は、東日本大震災からの復興や地元産業の活性化に貢献したいという提案が多かった点が、最も印象的だった。また、グループによる提案も多く、いろいろな技術や知識を持つ人たちが集まって、総合的なものを高度につくっていく、コラボレーションをうまくやっていると感じた。
 (中高生も含めた若い世代へ)いろいろな分野があるが、特に科学の分野を勉強すること。そして、自分を高めていく気持ちを持って、皆がお互いに協力し合いながら、研究の度合いを高次なものにしていく姿勢を大切にしてほしい。


■社会の課題解決のために技術使う発想、頼もしい
/審査委員長の原田晃さん(産業技術総合研究所 東北センター 所長)


審査委員長の原田晃さん(産業技術総合研究所 東北センター 所長)

 ITは現在の人間の技術として重要なポイントではあるが、ここ2年ほどの提案では、スマートフォンやSNSなどの普及に伴い、これらITをどう駆使するかを目的とする提案が多かった。もちろん今年の提案もITを利用する提案は多く見られたが、ITの利用自体が目的ではなく、それを何のために使うかという視点に立った提案が増えた。
 例えば、就職活動で地方は都市部の学生と比べて不利を感じた自身の経験から、後輩のためにその格差を是正しようとする提案や、仮設住宅の車を持たない高齢者が自由に移動できるよう、屋根付きの電動アシスト自転車を提供する提案など。誰かのために、特に、地元産業や社会的弱者のために、解決手段を考える中で技術を使おうという発想が増えた。これは今後の社会を考える上で大変良いことであり、頼もしく感じた。
 (中高生も含めた若い世代へ)いろいろ新しいことを考えることは大切だが、その時、基礎を勉強しながら考えていくことが重要。ぜひ一緒に科学を遊びながら学びましょう。


■工業の農業化、若い世代に考えてもらいたいテーマ
/主催者の佐野友昭さん(日刊工業新聞社 専務取締役)


主催者の佐野友昭さん(日刊工業新聞社 専務取締役)

 最優秀賞を受賞した「ブルーライト照射したセミドライりんごの商品開発」のように、ものづくりによって地元農産物の付加価値を高めようとする発想は良いと思う。農業の工業化は、特に東北で、これから若い世代にぜひ考えてもらいたいテーマだ。例えば福島県などでは、放射能対策の一つとして、植物工場が注目されている。若い発想で考えて実行したことが、最終的に、商品化されるなどの形になったら、素晴らしい。


■自分の足元の課題を解決する先に、循環社会
/実行委員の工藤治夫さん(宮城産業人クラブ会長)


実行委員の工藤治夫さん(宮城産業人クラブ会長)

 これから日本も地球全体も、資源循環社会に入らなければならない。今回のプランを見ると、競争による世界の支配という目線より、自分の足元に目線を向ければビジネスチャンスがあるという視点の受賞内容が多い。これはどうも今、循環社会に入りつつある流れではないか。
 循環社会は、動脈と静脈の役割に例えることができる。動脈産業は、化石資源に依存した大量生産・大量消費、いわゆる工業化して製品をどんどんつくり供給する。皆「競争」というと、お金の流れている動脈産業の方に目が向く。けれども人間の血液にも動脈と静脈があるように、お金の流れていない方向に目を向けると、これから静脈産業の方にお金が流れていく。それに若い人たちは気づいているかはわからないが、自分たちの足元の課題に目を向けていることは良いことだ。
 (中高生も含めた若い世代へ)循環社会とは、親子三代が同じ地域で幸せに生きれる社会のこと。自分のいる家庭でも学校でも地域でも良いが、困っていることはたくさんある。それを解決するためにどんなことができるか、考えていくことが一番大切だ。それが循環社会のきっかけをつくるだろう。


■思いを実行して人に説明する積み重ね
/山田尚義さん(東北経済産業局長)


山田尚義さん(東北経済産業局長)

 思いつきが、単なる思いつきで終わらず、それを文章にあらわして人に説明し、それが仕事として成立する形にできることは、大変なこと。それをできる人たちはすごいが、一日ではできないことだ。おそらく小さな頃から、積み重ねてきた結果だと思う。そして、その対象はどんなことでも良いはず。今日は、そのような人たちが大勢いることがわかって嬉しかった。
 (中高生も含めた若い世代へ)中高生の皆さんも、自分の中で何か思いついて、実際に思いついたものを実行し、何を実行したかを皆の前で説明することを積重ねることができれば、将来のビル・ゲイツになるかもしれない。


■新事業提案は、企業活動そのもの
/竹渕裕樹さん(みやぎ工業会 会長)


竹渕裕樹さん(みやぎ工業会 会長)

 企業として成立するかという観点で見れば厳しい点もあるが、何人かのチームで新しいものを考えたり、課題を見つけて克服しようとしたらビジネスになるという考え方は、いわゆる普通の会社が「お客様視点で物事を捉える」ことと同じ。課題、つまりニーズに対して、どんな解決策があり、それをどうやって展開していくか、その考え方は企業のマーケティング活動そのものだ。
 そのような意味では、プランをそのまま続けて企業になる場合もあるが、そうでない場合でも、その経験や考え方、チームで一つの提案まで実現したことは、社会に出た時の大きなアドバンテージ(優位性)になると思う。
 (中高生も含めた若い世代へ)今の世の中、暗い話ばかりで、若い人たちが夢を持てなくなっている。なぜかといえば、大人も夢を持てなくなっているから。目先のことで苦しいから、より弱いものに目が向いてしまうのではないか。やはり大人は、若い人に夢を見させてあげるよう努力しなければいけない。若い人は夢を追いかけて欲しい。夢を実現することが大切だ。

「宇宙を見続ける」望遠鏡、ハワイに建設/東北大学惑星プラズマ・大気研究センター長の小原隆博さんに聞く

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「宇宙を見続ける」望遠鏡ハワイに建設/東北大学惑星プラズマ・大気研究センター長の小原隆博さんに聞く 取材・写真・文/大草芳江

2013年2月12日公開

「宇宙を見続ける」
新しい観測で、新しい謎を。

小原 隆博 Takahiro Obara
(東北大学惑星プラズマ・大気研究センター センター長)

1957年、岩手県生まれ。1985年、東北大学大学院 理学研究科博士課程終了(理学博士)。1986年、文部 省宇宙科学研究所 助手(東大助手併任)。1997年、郵政省 通信総合研究所 宇宙環境研究室長。2008年、宇宙航空研究開発機構 宇宙環境グループ長。2011年、東北大学 惑星プラズマ・大気研究センター教授。2012年、同センター長、現在に至る。2004年、田中舘賞受賞。国連 宇宙天気専門家会合議長、国際宇宙空間研究委員会 宇宙天気パネル議長、日本地球惑星科学連合理事など、国内外の役職を務める。主な著書に「太陽地球系科学」「宇宙環境科学」「総説宇宙天気」(いずれも共著)、「アシモフの宇宙探検シリーズ(全26巻)」(訳)など。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。 
しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が
それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。


地球を起点に、火星、金星、水星、木星といった太陽系の惑星環境で生じる、
たくさんの不思議な宇宙現象について、光学・電波の最先端技術を用いた地上からの観測、
そして、人工衛星・探査機による直接観測を主な手段として研究を進めている
我が国唯一の惑星観測研究センターが、東北大学惑星プラズマ・大気研究センターだ。

東北大学惑星プラズマ・大気研究センターでは、ハワイ大学との協力により、
福島県相馬郡飯舘村にある東北大学惑星圏飯舘観測所からマウイ島ハレアカラ山頂へ、
望遠鏡(口径60cm)の移設を進めている。

また、ハワイ大学等との国際協力により、高精度な惑星専用望遠鏡「PLANETS」
(口径1.8 m)の建設も進めている。

この新しい望遠鏡の目的や特徴などについて、
2012年4月にセンター長に就任した小原隆博さんに聞いた。


<目次>
惑星の気象を連続観測するために、自前で望遠鏡をつくる
火星の気象を調べることで、火星から水が消えた謎を解明
地球と同サイズなのに全く環境の異なる、金星の大気の謎
木星オーロラの息づきを連続観測する
オーロラは生命の存在の証
月や水星など小天体に希薄大気があることがわかってきた
弱い光を長時間集めて、太陽系外惑星も発見したい
制約がある中で最も成果が出るテーマを探し当てる
世界の惑星探査機と連携し、より大きな科学的成果へ
地球の過去と未来を教えてくれる
地球最大の脅威は、宇宙から飛来する巨大隕石
連続観測によって、巨大隕石や宇宙ゴミから地球を守る
新しい観測で、新しい謎を見つけたい
惑星の世界に触れたい好奇心


東北大学惑星プラズマ・大気研究センター長の小原隆博さんに聞く


―ハワイのハレアカラ山頂に新しい望遠鏡をつくる目的は何ですか?

惑星の気象を連続観測するために、自前で望遠鏡をつくる


【図1】ハワイに移設される東北大学惑星圏飯舘観測所の望遠鏡

 前センター長の岡野章一教授が2006年、観測条件が世界で最も良いマウイ島ハレアカラ山頂に、ハワイ大学の協力で、望遠鏡をつくったことがそもそものきっかけです。その望遠鏡で見たら惑星がはっきり綺麗に見えると、岡野先生は大変感動されていました。

 マウイ島のお隣ハワイ島には、大きくて立派な「すばる望遠鏡」があります。すばるはよく見えるので、絶対に敵わないのですが、立派な望遠鏡なので、世界中の何百人もの人が、すばる望遠鏡での観測を希望します。すると東北大学の先生方は、ほんの一日や半日しか観測できません。

 地球にも四季を通じて気象の変化があるように、惑星にも大気の季節変化があります。それをずっと見るためには、一つの望遠鏡で連続的に観測する必要があります。そのようなことをしている国はあまりないため、岡野先生がまず最初に、口径40センチの望遠鏡をハワイに持って行ったわけです。


【図2】東北大学ハワイ1.8m望遠鏡計画「PLANETS」

 現在は、福島県相馬郡飯舘村にある東北大学惑星圏飯舘観測所からハレアカラ山頂へ、口径60センチの望遠鏡の移転を進めています。また、1.8メートルの望遠鏡を、ハワイ大学と資金を出し合ってハレアカラ山頂に建設中で、今から3年後に完成予定です。すると、今まで見えなかった宇宙を、しかも連続的に一つの惑星を見続けることができます。

 ポイントは、ずっと連続して一つのものを見続けることを可能にするために、自前で望遠鏡をつくることが、アプローチとしては、とてもユニークだと思います。私たちはこの望遠鏡を駆使して、今までわからなかったことを調べようとしています。


―どのようなことを調べようとしているのですか?

火星の気象を調べることで、火星から水が消えた謎を解明


【図3】火星の世界

 火星にも、春夏秋冬があります。火星の気候で特徴的なのが、春になると起こる巨大な砂嵐です。ちょうどそれまで地面の下にあった氷が溶けて砂を舞い上げるわけですが、火星探査機の前が見えなくなるくらい大変な砂嵐です。また、火星の北極・南極は「北極冠」「南極冠」と呼ばれますが、その氷が大きくなったり小さくなったりする様子も観測できます。

 かつて火星には海があり、川も流れていました。なぜ火星から水が消えたのかは、大きな謎です。おそらく、水と一緒に周りの空気も消えたのでしょう。火星の空気がどんどん外に逃げていく様子も、地球から観測することができます。ところが、火星の空気がいつどこから激しく逃げるのか、まだはっきりわかりません。いろいろな国は、火星の表面探査をしたがりますが、私たちはむしろ火星の気象をよく調べたいと思っています。

 火星の気象衛星、あるいは地上から、火星の春夏秋冬を連続的に観測することも、非常に大事です。砂嵐や氷の変化などを連続的に観察することで、なぜ火星から水が消えたのかという謎を明らかにしたい。それが新しい望遠鏡の目的のひとつです。


地球と同サイズなのに全く環境の異なる、金星の大気の謎


【図4】金星の世界

 地球のすぐ隣にある金星には、火星と違って雲が沢山あります。金星の大気の主成分は、二酸化炭素です。地球では窒素・二酸化炭素・酸素が主成分ですから、なぜ惑星によって大気の組成が異なるのかも謎です。

 金星の大気の主成分である二酸化炭素には、熱を吸収する性質があります。温暖化ガスと言われ、地球でも問題になっていますが、金星の温度は摂氏400度もあります。しかも金星には厚い硫酸の雲があり、硫酸の雨が降ります。非常に恐ろしい環境ですね。

 また金星は、非常にゆっくり自転します。1周するのに、地球換算で243日もかかるくらい、ほとんど自転していません。しかも地球とは逆方向に自転しているので、地球とは北と南がひっくり返っているんです。自転の向きが逆なのも謎です。

 さらに不思議なことに、金星はほとんど自転していないのに、金星の雲は地球換算でわずか4日間で金星を一周します。このように自転速度を大きく超えて大気が移動する現象は「スーパーローテーション」と呼ばれ、金星の大きな謎の一つです。このような不思議な現象も、連続観測によって、雲の形が時間的に変化する様子からわかっていくでしょう。

 ところで、不思議ですよね。金星も地球もほぼ同じサイズの惑星です。太陽と地球の距離を100とすると、金星は地球よりほんの30%だけ太陽に近いだけ、熱量としても約2倍程度を太陽から受け取ります。それなのに、片方(地球)は生命の星、もう片方は、ほんの少し太陽に近いだけで、随分と環境が違うものですね。


木星オーロラの息づきを連続観測する


【図5】衛星イオ火山と木星

 ハレアカラの望遠鏡で、木星も観測できます。地球も大きな磁石ですが、木星はさらに巨大な磁石です。惑星の周りには「磁気圏」と呼ばれる磁気に支配された空間があります。地球にも磁気圏がありますが、木星の磁気圏は太陽よりも大きいのです。地球や木星の磁力線が、宇宙空間に向かってどんどん伸びています。

 磁気圏そのものは、見ようと思っても、なかなか見れませんが、いくつかのヒントがあります。木星の磁気圏の中にある衛星です。木星はたくさんの衛星を持ち、その一つに「イオ」があります。イオには火山があります。

 木星は大変大きな惑星で、イオは木星の周りを少しひしゃげて回っています。するとイオは、木星に近づいたり離れたりするので、木星の引力の影響で、外から形が変化されるような力を受けます。そのため常に衛星の中が溶けた状態になり、火山がたくさんできることがわかってきました。


【図6】衛星イオの火山ガスが木星の回りに分布

 話はここからで、イオの火山が、周りに向かって、たくさんの火山ガスを吹き上げます。すると、そのガスが木星にすーっと綺麗な一本の筋を引くように、オーロラをつくるのです。衛星がオーロラをつくる姿は木星で初めて観測されたわけですが、そのような現象も、ハレアカラの望遠鏡で連続的に観測することができます。

 木星には、もう一つのオーロラがあります。はっきりとした、大きなオーロラで、これは「太陽風」によってつくられています。太陽の周りにはコロナがあり、コロナのガスが周りに向かって超音速で吹き出していることが、今から約50年前に初めて観測されました。これを太陽風と呼びます。

 太陽風には電気を帯びた粒子が含まれており、そのほとんどは、プラスの電気を持った陽子と、マイナスの電気を持った電子です。陽子と電子が太陽から超音速で惑星間空間に飛び出してくる影響を受けて、磁石の隙間から惑星に向かって太陽風の電子が流れこみ、それがオーロラをつくります。


【図7】木星の極域に現れたオーロラ

 ですから、磁石のある地球にもオーロラがあります。木星にもオーロラがありますが、木星は磁気圏が非常に巨大ですから、太陽風がつくる木星のオーロラはそれは見事です。このような現象も、ハレアカラの望遠鏡から連続的に見ることができます。

 オーロラの研究はもう100年以上続いており、地球でもいろいろなことがわかってきました。今では地球のオーロラ予報も可能です。しかし木星のオーロラ研究は、なかなか遠くにあるし、あまりはっきりと見えないので、これまで限られていました。

 「ボイジャー」や「ガリレオ」などの木星探査機によって木星も調べられてきましたが、探査機もずっと行けるわけではないため、研究できるチャンスは限られていました。ハレアカラの新しい望遠鏡では、連続的にオーロラが光ったり・静かになったりと、まさにオーロラの息づきが手に取るようにわかるのです。


オーロラは生命の存在の証


【図8】オーロラ

 オーロラは、土星にもあります。その先にある天王星や海王星でも、オーロラは光っていると思います。ただ、地球から遠いためになかなか見つけられず、今度のハレアカラの望遠鏡でも、せいぜい土星止まりでしょう。

 なぜオーロラは光るかと言えば、惑星の大気が、宇宙から磁石の隙間を通って入った粒子と衝突して光るわけですが、出す光の色が、空気の種類によって異なるのです。

 地球オーロラの場合、もちろん窒素もオーロラの光を出しますが、酸素が色を出します。木星オーロラの場合は、酸素がないため、地球とは異なる色になります。土星もいろいろな色のオーロラを出します。

 けれども、いろいろ探してみると、木星にも土星にも酸素はありません。酸素があるのは、やはり地球だけです。酸素がないということは、残念ながら、生命が存在しないということです。

 太陽系外の惑星も含めて、いろいろな惑星に磁石があれば、大抵オーロラが光ります。ですからオーロラの色を調べることが、酸素を見つける手がかりになるのです。つまり、オーロラは、宇宙の生命にも関わってくるのですね。


月や水星など小天体に希薄大気があることがわかってきた


【図9】水星大気の流出(東北大学のハワイ観測結果)

 水星は、太陽に近いため、日出直前あるいは日没直後といった、ほんの僅かの時間しか観測できません。なかなか連続して観測するチャンスは少ないですが、今回のハレアカラの望遠鏡では、水星をはっきりと見ることができます。

 水星はお月様ほど小さな天体なので、まわりにガスはないだろうと思われていました。水星は体が小さくて、磁石もないし、太陽に近いから、空気はどんどん吹き流されていて、水星の周りで溜まることができなかったのでしょうね。

 しかしこれまでの観測から、水星にも薄い空気があるらしいとわかってきました。そして空気の量は、どうやら太陽の活動に関係あるらしいと、少しずつわかってきたのです。

 当センター准教授の坂野井健先生らは、私たちのお月様を見て、薄いけれども、大気があることを見つけました。太陽風が直接、月の表面に衝突して、月の地面の中にあるものを外に飛び出させ、それで月の周りが大変薄い空気に囲まれている様子が、わかってきています。


弱い光を長時間集めて、太陽系外惑星も発見したい


【図10】太陽系外惑星(想像図)

 惑星の周りの空気の様子や、その中で海ができたり・海が消えたり、オーロラが光ったり・消えたりは、一つの惑星の中で起こっていることです。けれども、読者の皆さんからすれば、「どうして太陽系が生まれたのだろう?」「どうして地球が生まれたのだろう?」を考える方が、もっとわくわくする、大きな謎のような気がしませんか?実はそれを今、主題にすることができるようになりました。

 なぜかと言うと、大きな望遠鏡は、私たちの太陽系の外にある惑星(系外惑星)まで見ることができます。あるいは、今生まれようとする、新しい他の太陽系を観測することもできます。

 私たちの太陽系の誕生は、今から約80億年前。太陽が生まれる前にあった太陽が爆発を起こし、いろいろなガスを撒き散らして、その後に周り全体がガスになります。それが今度は、中に一つの大きな固まりができて、最初は大変大きな円盤になります。

 不思議なことに、最初はガスの板だったものが、時間が経つと薄い円盤になって、ぐるぐる回り始めます。すると中心部が光り出し、もう少し経つと、ガスに濃淡ができ、たくさんの輪になっていきます。今度は、1つずつの輪があるところに、物質が集まってくるのです。

 そして、一つの輪のところにあった物質を全部かき集めたもので、「原始惑星」ができます。ぼんやりしたガスが集まるを繰り返しながら、惑星は生まれるのです。

 その姿を見れるのですよ、望遠鏡で。それを一番はっきり見えるのは、すばる望遠鏡です。すばる望遠鏡で、原始太陽系が生まれる、つまり他所の太陽系が生まれる姿が、たくさん観測されています。

 ただし、すばる望遠鏡は、太陽系や系外惑星を探すだけでなく、他にもいろいろ、遠くの銀河やブラックホール、あるいは爆発する星なども調べることができるので、太陽系や系外惑星だけの研究に専有できません。

 そこで、「太陽系の外にある惑星も発見しよう」というチャレンジをするためにも、長時間ずっと見続けることで、弱いかすかな光を、たくさん蓄積する必要があるのです。小さくとも長時間観測すれば、はっきりとした映像になります。そんなことを根気強くやっていきたいと考えています。

 すると、やはり新しく見つかった惑星に、酸素があるかどうかが気になりますね。そこで、先述のオーロラ探しが始まるわけです。今は光で見ることで、惑星の存在だけでなく、惑星中にどんな物質があるか、酸素があるか、ハレアカラの観測でもわかるでしょう。

 私たちの太陽系は今しかないので、昔や未来はわかりません。けれども、他所にある年齢の違ったいろいろな太陽系を見ることで、太陽系が生まれてくる時間や、生まれてから死ぬまでの道筋など、宇宙の進化がわかります。そのためには、ずっと長い時間、微弱な弱い光を貯めこむことが、手法として大事になってくるわけです。

―小中規模の望遠鏡で連続観測するアプローチを、他の人がやらなかった理由は何ですか?
 また、センター全体のテーマからは、今回の新望遠鏡をどのように位置づけていますか?


制約がある中で最も成果が出るテーマを探し当てる

 まずは「大きな望遠鏡をつくって、遠くをはっきり見よう」と、すばる望遠鏡などの大型望遠鏡がつくられました。一方、小中規模な望遠鏡で、宇宙を連続観測するアプローチは、これからの新しいトレンドになると思います。

 研究グループが、それぞれのモチベーションをもって研究を進める場合は、どうしても自前の観測装置があった方が良いですから。これから口径2メートルくらいの望遠鏡は、世界で建設ラッシュになると思います。その先陣を切りたいですね。

 わりと少人数で可能なプロジェクトでもあります。当センターの中で、どんな研究テーマを選ぼうかという時、ネックになるのは、大学の研究規模です。2つの研究室を合わせて数人のグループですから、研究グループとしては小さいと思います。

 当センターでは少数精鋭とPRしておりますが(笑)、少数で大きなことはできません。しかも、大学ですから、JAXAのように大きな資金もありません。ロケットや国際宇宙ステーションも、なかなか使えません。

 数人で力をあわせ、約1億円と資金が限られる中、つくった望遠鏡で何が見えるかと言えば、どうしても惑星の周りしか見えないのです。惑星の固体表面や凸凹は見たいけれども、残念ながら見れない。すると、どうしても研究テーマが、大気環境になるのです。

 ですから、むしろ現実は逆でして。すごく立派な考えがあって、当センターとして、このテーマを選んだと言えば格好良いですが、資金とマンパワーが限られる中、最も成果が出るようなテーマを探し当てるのが、現実のお話です。


世界の惑星探査機と連携し、より大きな科学的成果へ

 もしJAXAや宇宙飛行士なら、もっと大きな夢を語るでしょう。例えば「人類が宇宙で家を作って住むんだ」など。そのためには大変大きな資金を要するので、一大学の一研究センターには、なかなか手が届きません。

 そこで、私たちは宇宙機関と連携して研究しています。これが第三の展開です。今、世界の探査機は、木星や金星、火星にむかっています。それを協同で観測するのです。

 人工衛星探査機は、どうしても飛びながらの観測ですから、一箇所のデータは非常によくわかる反面、裏側のデータの状況は、よくわかりません。裏側に行くと、今度は表の状況がわかりません。一周しなければわからないけれども、一周する中で、いろいろな物事は変化してしまいます。

 ですから、人工衛星から観測している人は、半分くらいしか、わからないわけです。それを他の誰かがずっと脇で冷静で見てくれると、「今、人工衛星の見たところは、こんな大きな変化のこの部分だな」とわかります。

 つまり、地上からの望遠鏡観測の大きなメリットは、実際に惑星探査機が観測しているデータを、より意味あるものにできること。それが、ずっと見続けることの意味です。

 日本でも、JAXAがこれから水星探査機を飛ばします。将来はヨーロッパと協力して、木星に探査機を送ろうという計画もあります。次のチャンスを狙って、金星探査機「あかつき」も観測を始めます。いろいろな世界の惑星探査機と、地球からの望遠鏡観測がうまく連携することで、より大きな科学的成果につながります。

 つまり、メインプレイヤーではありませんが、十分に脇役にはなり得ます。いろいろ異なった観測装置手法を持ち込み、総合的に、地球だけでなく惑星の環境を調べることが大事になってくるでしょう。


地球の過去と未来を教えてくれる

 ここで得られた知識は、これまでの地球の歴史だけでなく、これからの地球の将来の環境について、大きな情報を与えてくれます。

 例えば、過去に厳しい環境変化が、火星では非常に短い時間で起こっています。つい30年くらい前まで、火星全体は、今の火星の温度より数度くらい低かったのです。

 地球温暖化は100年で3度と言われますが、火星はもっと短いタイムスケールで数度以上も気温変化してしまう。そのしくみをよく調べれば、温暖化の正体がわかってきます。

 余談ですが、地球も過去に3回ほど地球全体がカチンコチンに凍った時期があり、「スノーボールアース」と呼ばれています。スノーボールになった後、地球は温暖化や寒冷化が進み、約十数度の気温変化がありました。

 十数度の気温変化を、過去の地球は何度も経験しています。赤道の領域に氷があった証拠など、いろいろな化石や地層を調べてわかるのです。グリーンランドも12世紀頃まで、木が生い茂り、緑の土地でした。一方、現在のグリーンランドはカチンコチン。アイスランドは比較的温暖ですが、昔は寒かったのでしょう。


地球最大の脅威は、宇宙から飛来する巨大隕石


【図11】恐竜の見た巨大隕石(福武書店)

 話はそれますが、何といっても宇宙で怖いのは、隕石衝突です。巨大隕石が地球にぶつかれば、あっという間に地球は破滅します。これまでも、地球に巨大隕石がぶつかったことはあります。火星程の大きさの天体がぶつかってきて、何ができたかと言えば、月ができたのです。

 月の誕生は諸説あります。巨大隕石がぶつかって、地球の地面を剥ぎ取り、地球の周りに大きなリングができて、それが今度はまた集まって月になったという説。ちょうど太陽の周りに惑星ができたような、ミニ太陽系ですね。この過程を追うと、小さな石の塊がどのように集まって、一つの天体、この場合は月になったかがわかります。

 実は、ハレアカラの望遠鏡では、地球に向かってくる小惑星も観測することができます。今から百数十年先に、大きな小惑星が、限りなく地球に近づき、ぶつかる可能性があります。そのサイズは約30キロメートルです。

 恐竜が絶滅した時に衝突した隕石のサイズは、約10~15キロメートル。これくらいで恐竜は死ぬんです。この隕石は何処に落ちたかというと、南アフリカのユカタン半島です。

 隕石衝突後、大気中に隕石の出した物質が、広がります。隕石に多く含まれて、地表にはほとんど存在しないイリジウムという物質が、いろいろなところで堆積していきます。ですから地層を見て、恐竜絶滅の時期と、どんな環境変化があったかわかります。

 10キロメートルくらいの隕石で、クレーターの半径は約100キロメートル、マグニチュード11、津波300メートルが発生。津波は内陸の大部分に入り、地上の生物を一掃します。空は、煙で舞い上がった塵が太陽の光を遮ります。恐竜は変温動物ですから、自分で体温コントロールができず死んでしまう。

 その時に、足元でちょこちょこ動いていたネズミは恒温動物だったので、生き残るわけですね。約6500万年前の話です。それが我々人類の祖先です。恐竜が死んでくれたおかげで、進化できました。


連続観測によって、巨大隕石や宇宙ゴミから地球を守る


【図12】小惑星帯の場所

 そういうわけで心配しているのは、火星と木星の間に位置する「小惑星帯」と呼ばれる、惑星になり切れなかった一帯です。すぐ外にまず木星ができてしまったせいで、木星はなかなか引力が大きいので、その内側の小さな粒々は集まることができず、今もなお小惑星として、残っています。

 その一つの小惑星「イトカワ」に、先日、小惑星探査機「はやぶさ」が到達し、中村智樹先生がイトカワ岩石を分析しました。外側にある小惑星と内側にある小惑星はでき方が違います。今回のはやぶさで内側の小惑星について理解したので、はやぶさ2号機では、外側の小惑星に行こうとしています。

 この小惑星帯から時々、軌道を弾き飛ばされて地球に落ちてくる、あるいは、太陽の方に入っていくものがあるんです。これは日常茶飯事、地上から観測できています。小惑星帯からやってくるものは、ゆっくりと落ちているので、今から100~200年先の軌道まで計算できます。

 ところが最も心配なのは、冥王星の外にある「カイパーベルト」と呼ばれる彗星の巣です。有名なハレー彗星が生まれた場所ですね。そこで時々、軌道が不安定になり、彗星が太陽の方に落ちてきます。すると遠い太陽系から急に来るので、あっという間に、3年くらいで、やって来るのです。

 その間は、ずっと毎日見ていなければ、軌道決定ができません。ですから一番怖いのは、ハレー彗星のように、遠いところにあるカイパーベルトからやってくる彗星が、地球にぶつかることなのです。

 岡山にある「スペースガード協会」は、遠くから来る巨大隕石をずっと観測しています。それをJAXAが支援しています。その理由は、宇宙ステーションに巨大隕石が飛び込まれたら困るからです。

 地球には空気があるため、多少のものは途中で燃え尽きます。なかなか大きなものでなければ、地上にクレーターはつくりません。金星や火星も空気があるため、宇宙からやってくる巨大隕石は途中で燃え尽きます。一方、水星や月には空気がないため、途中で燃え尽きず、どんどん落ちます。


【図13】解析によってわかった隕石落下痕

 クレーターの形を調べて、過去どんな隕石が太陽系の中で浮遊しているかを調べる研究もできます。月周回衛星「かぐや」は、月全体の地図をつくりました。その結果を分析すると、太陽系の中で昔、どの程度のアステロイド(彗星や隕石)があったかもわかるのです。

 やはり地球最大の脅威は、遠くからやって来る巨大隕石です。また、死んだ宇宙衛星などの宇宙ゴミ(スペースデブリ)も、落ちると大きな被害になります。数年前私がJAXAにいた時も、スペースデブリは大問題で、皆で一生懸命頑張りました。昔の衛星は、原子炉を積んでいたのです。たとえ今は停止していても、核燃料を積んでいるので、落ちたら大問題です。

 新しい望遠鏡で、毎日ずっと同じ方向を撮り続けることで、巨大隕石やスペースデブリをいち早く見つけて、地球を守る。新しい望遠鏡の使い方で、スペースガード協会に少し貢献できたら良いですね。


新しい観測で、新しい謎を見つけたい

 話を元に戻しますと、衛星も含め、惑星には非常に奇妙な現象がたくさんあります。ガリレオが望遠鏡で観測してから400年。木星の雲は帯状で、猛烈な強風が吹いていますが、その中にある台風は300年くらい生きています。地球の台風はせいぜい1週間で消えますが、木星の台風は動こうとせず、強風が吹いているのです。

 木星の帯の構造も、金星のスーパーローテーションも皆、大気の循環です。そんな惑星の特別な気象現象も、ゆくゆくは大気の研究センターですから、新しい謎を見つけたいですね。新しい謎が、新しい観測から出てきたら、それは私たち研究者にとって大きな喜びです。

 赤道の方は暖められ、北極の方は空気が冷えていきます。赤道の熱エネルギーを北極の方に持って行こうとして、大気が大きな循環、つまり対流を起こすわけです。

 その時間変化をずっと遠くから広い領域で観測すると、どこで空気が下から湧き上がり、どこで空気が下の大気に沈んでいくか、その運動がわかります。そんな大気の大循環を通じて、その惑星固有の気象学を学べます。

 惑星も衛星も太陽系も、いろいろな謎がまだまだたくさんあります。私たちは、その中のできる部分を拾い上げて、いろいろ調べている状況と捉えています。だからこそ「宇宙を見続ける」ことが大事だと考えているのです。


惑星の世界に触れたい好奇心

 いつも人から「それが面白いのですね。好き好きですね」と言われるのですが、本当に好きなのですよ、不思議と(笑)。そういうことを考えると、わくわくするし、誰も見たことのないことを自分たちが初めて見た時が、とても嬉しいのです。

 学生の皆さんも喜んで、いろいろな観測装置を一緒につくって、それを世界のいろいろなところに持って行き、皆、楽しそうに研究して卒業していきます。

 研究テーマも学生さん一人ずつで決めます。卒業論文などは小さなテーマかも知れませんが、一つのことを発見し、その中身がわかり、結果を論文としてまとめ、世の中に公表することは、達成感・満足感につながります。そのような経験が、社会に出た後、いろいろな仕事に就く時も、一つひとつを完結していける力となるでしょう。

 いろいろお話しましたが、結局は「不思議だな」と思う好奇心、この惑星の世界に触れたいと思う好奇心なのです。では、それをどうやったら身近に触れられるかを考えた時、それが望遠鏡だった。それが本当のところではないでしょうか。

―小原さん、本日はありがとうございました。

結晶成長「その場」観察で、二酸化炭素の回収・貯留(CCS)へ:東北大学塚本研究室の共同研究者Helen E. Kingさん(ミュンスター大学)に聞く

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結晶成長「その場」観察で、二酸化炭素の回収・貯留(CCS)へ:東北大学塚本研・共同研究者のHelen 取材・写真・文/大草芳江

2013年2月21日公開

結晶成長「その場」観察で、
二酸化炭素の回収・貯留(CCS)へ

Dr. Helen E. King (ドイツ・ミュンスター大学)
<東北大学大学院理学研究科塚本研究室・共同研究者>

温暖化対策の切り札の一つとして期待され、現在実用化にむけ開発が進められている、
「二酸化炭素の回収・貯留」(Carbon Capture and Storage:CCS)。
排出された二酸化炭素を分離・回収して、陸地や海底の地下深くに送り込み、
長期間貯留する技術の総称である。

ユニークな「結晶成長"その場"観察法」で知られる、
東北大学大学院理学研究科地学専攻の塚本研究室では、
「結晶成長"その場"観察装置」を活用し、大気中の二酸化炭素を
炭酸カルシウムの結晶として地中に固定化する研究を進めている。

このCCS共同研究のため、2012年9月にドイツから塚本研究室を訪れたミュンスター大学の
Helen E. Kingさんに、塚本研究室を選んだ理由や共同研究内容について聞いた。

【Interpreter】三浦均(東北大学理学研究科塚本研究室 助教)
【Interviewer】大草芳江(有限会社FIELD AND NETWORK 「宮城の新聞」)



東北大学大学院理学研究科 塚本研究室インタビューシリーズ


―Could you explain what are you studying?
 (どんな研究をしているのか、教えてください)


I am studying carbon sequestration by mineral carbonation (*). In the experiment in 2009, my main motivation is not for carbon sequestration. But carbon sequestration is the one of the applications in the 2009 experiment.

* What's the "carbon sequestration by mineral carbonation" ?
Carbon, in the form of carbon dioxide can be removed from the atmosphere by chemical processes, and stored in stable carbonate mineral forms. The process involves reacting carbon dioxide with abundantly available metal oxides to form stable carbonates. (ref. Wikipedia)

This key process is mineral dissolution and carbonate precipitation. In the 2009 experiment, my research is related to the dissolution process. And it is difficult to measure the very slow dissolution rate without Tsukamoto's machine. Then this time, my experiment is related to the precipitation process. I'll measure the precipitation rate of magnesite (MgCO3) with Tsukamoto's machine.

 私は「炭素隔離」(もしくは、二酸化炭素回収貯留(Carbon Capture and Storage:CCS))の研究を行なっています。2009年の実験は、別の目的で行いましたが、炭素隔離の研究は2009年に行った研究の応用事例の一つです。
 炭素隔離とは、大気中の二酸化炭素を化学反応によって回収し、炭酸マグネシウム(MgCO3)などの安定な炭酸塩鉱物として貯蔵しようというものです。この反応は、オリビンなどの鉱物から目的のイオンを抽出する溶解のプロセスと、それらが二酸化炭素と反応し、炭酸塩が晶出する析出のプロセスからなります。
 私の2009年の実験は、このうち鉱物の溶解プロセスに関係します。この大変遅い溶解速度は、塚本研の装置なしに測ることはできません。そして今回の実験では、析出のプロセスに関する測定を行います。二酸化炭素をマグネサイト(MgCO3)という安定な鉱物に固定化する際の析出速度は大変遅いため、それを塚本研の装置で測るのです。

※研究内容の詳細については、【研究ピックアップ】をご覧ください。

―What is the reason why you came to Tsukamoto laboratory ?
 (塚本研究室に来た理由は何ですか?)

My main purpose is to use the unique machine (phase shift interferometer : PSI) of Tsukamoto lab for my research. And the lab members are very helpful and kind with the machine.
 世界で塚本研究室にしかない装置(位相シフト干渉計:以下PSI)を使うために来ました。研究室のメンバーはとても親切で、装置の使い方や実験の議論に協力してくれます。

―Why do you use the Tsukamoto's PSI, not other machines ?
 (他の装置でなく塚本研の装置を使いたい理由は何ですか?)


The first, I need to measure very slow growth and dissolution rates. Tsukamoto's PSI is the very good equipment for it. There are alternative methods, for example AFM (Atomic Force Microscope). But AFM is unstable for the long time observations under high-temperature environment. So this is the second reason to choose Tsukamoto's PSI for my research.

 まず一つ目は、私はある結晶が成長したり溶解する過程を詳しく知りたいのですが、溶液中にほんの僅かしか溶けない結晶の極めて遅い成長速度と溶解速度を短時間で測れる良い装置は、塚本研の位相シフト干渉計しかないことが一番の理由です。
 ほかにも例えば、代替手段として「AFM」(原子間力顕微鏡:走査型プローブ顕微鏡の一種)を使う手もありますが、私の研究は高温環境で長時間観測する必要があるため、高温下で測定が不安定化するATMは適用できません。それが塚本研の干渉計を選んだ二つ目の理由です。

―How many times have you visited this laboratory for your research ?
 (これまで何回、塚本研究室に共同研究で来ていますか?)


This is the third time. I came twice in 2009. I visit again for different experiment. This is like a follow-up experiment when I did last time.  今回は3回目で、前回は2009年に2回来ました。今回再び訪れたのは別の実験のためですが、2009年に行った実験から発展した研究を続けています。

―Then, what is Tsukamoto lab's attraction in one word ?
 (では、塚本研の魅力を一言で言うと?)

Cool machines!!
すばらしい装置!

―Could you give me message for Prof.Tsukamoto ?
 (最後に、塚本教授へのメッセージをお願いします)


I greatly appreciate this environment. For example, in other laboratory, it is difficult to use the very precious machine by visitors. But in this laboratory, I can use such kind of machines. Thank you !
このような貴重な装置を自由に使わせてくれる塚本研究室の環境に、心から感謝しています。どうもありがとう。

―Thank you very much.


【写真】中央:ヘレン・キングさん、右:三浦均助教(インタープリター協力)、左:大草芳江(インタビュアー)。=東北大学塚本研究室にて。


【研究ピックアップ】
「結晶の成長速度を高精度に測定できる、
世界でここにしかない装置を求めて」
Dr. Helen E. Kingさん(ドイツ・ミュンスター大学)


■大気中の二酸化炭素を鉱物として貯蔵

―研究内容について詳しく教えてください。

 私は、大気中の二酸化炭素を鉱物として閉じ込めようという「カーボン・シークエストレーション(炭素隔離)」の研究をしています。

 鉱物が水に溶けると、いろいろなイオンが水中に放出されますが(溶解:dissolution)、そのイオンと二酸化炭素が反応して別の鉱物として晶出することで(析出:precipitation)、大気中の二酸化炭素を貯蔵しようという研究です。

 私が挑戦しているのは、オリビン(かんらん石)という鉱物が水に溶けてイオン化した後、それが大気中の二酸化炭素と反応して、マグネサイト(MgCO3)という安定した鉱物が新しくできる過程についてです。

 まず私は2009年、塚本研究室の位相シフト干渉計(phase shift interferometer:PSI)を用いてオリビンの大変遅い溶解速度を測定することに成功しました。今回の実験では、マグネサイトの析出速度を測定するつもりです。マグネサイトの大変遅い結晶成長速度を測定するためには、塚本研の高精度なPSIが必要なのです。


■高精度な溶解速度測定で仮説を実験的に検証

―2009年の実験結果は、いかがでしたか?


[Fig.1] Previous work conducted on the phase-shift interferometer. Top: Secondary electron, scanning electron microscope image of a dissolved olivine grain with etch hillocks visible on the top surface of the grain. Bottom: Interference image of an olivine surface during the phase shift interferometry experiments.

 実は、2009年の実験は、炭素隔離に直接関係していたわけでなく、結晶の形に関する研究をしていました。通常、結晶の表面は滑らかですが、溶けた経験を持つ天然のオリビンの結晶表面には、「humps」という山型の構造が見られます。この構造がなぜできるのか実験的に確かめることが、2009年の実験の主目的でした。

 これまで仮説としては「結晶中に欠陥(defect)が存在する部分は反応性が大変高いため、溶けやすい。そのため欠陥がある部分は速く溶ける一方で、欠陥がない部分は溶けない。このせいで最終的には結晶表面が山型になる」と考えられていました。しかし、本当に欠陥部分が速く溶けているのかを、実験的に確かめた人はこれまでいません。それを私はきちんと実験的に測ろうと思ったのです。

 私は欠陥に沿ったこの面を得て・・・と言いたいところですが、実は最初、全く異なる面を測ろうとしていて、たまたま偶然、この欠陥に沿った面を得られたのです(笑)。私は、このアクシデントを失敗と思わずチャンスと捉えて、この偶然得られた面が溶ける速度を測定しました。

 その結果、昔の人が考えていた仮説通り、欠陥が走っている面は大変速く溶けることを、実験的に明らかにすることができました。ただし、結晶の溶解速度が「速い」と言っても、普通の干渉計では測るのが難しいくらい大変「遅い」のです。塚本研の高精度な干渉計がなければ、これほど高精度に溶解速度を測定し、この仮説を実験的に検証する成果には、つながらなかったでしょう。


■硫黄は炭素隔離を助けるか?

―今回と2009年の実験の関係性と、今回の実験に対するモチベーションを教えてください。

 二酸化炭素という点で、今回の研究と関連があります。2009年に行った実験の主目的は二酸化炭素ではありませんでしたが、測定した溶解速度の応用例の一つとして、二酸化炭素の議論もしていました。


[Fig.2] Present research into the effect of sulphate on magnesite growth. Top: Atomic force microscopy of a growth hillock formed during growth in a sulphate rich solution. Bottom: Differential interference microscopy image showing change in etch pit shape during growth experiment in the phase shift interferometer indicating a direct interaction of sulphate with the magnesite surface, bright particles are gold.

 今回の実験は、二酸化炭素を取り込む役割をするマグネサイト(MgCO3)という鉱物についての研究です。マグネサイトには、高温では成長し、低温では溶けるという性質があります。私はすでに低温で溶ける時の振舞いを、原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscope:AFM)を用いて研究しました。AFMは高温では安定しませんが、低温ではある程度安定して使えます。

 二酸化炭素を鉱物に取り込むプロセスは、基本的には地中で反応させますが、地中の水には二酸化炭素だけでなく、硫化水素など硫黄を含んだ成分も必ず入っています。硫黄が水溶液中にあると、マグネサイトが溶ける速度が遅くなることを、私はAFMを用いて明らかにしました。

 カーボン・シークエストレーションの目的からすれば、二酸化炭素を閉じ込める役割をするマグネサイトが、硫黄のおかげで溶ける速度が遅くなることは、プラスの効果です。逆にマグネサイトがどんどん溶けてしまえば、二酸化炭素が開放されて困りますからね。これがAFMを用いて、すでに私が得た研究成果です。

 そして今回、塚本研の干渉計で測定したいのが、高温でのマグネサイトの成長速度です。今回の実験で期待することは、成長速度を調べた時、もし硫黄があることで成長が速くなれば、カーボン・シークエストレーションの目的からすれば、嬉しい成果ですね。

 つまり硫黄が水中に存在するおかげで、マグネサイトの溶解が遅くなり、もし成長も速くなるのであれば、マグネサイトがどんどん生成されて二酸化炭素固定化に良い環境をつくってくれるでしょう。以上のような理由で、マグネサイトの成長における硫黄の影響について、塚本研のPSIを使って明らかにしたいと考えています。

 塚本研の魅力は、PSIを始めとする様々な実験装置と、その装置に関するテクニックです。世界に一台しかない大変貴重な装置を自由に使わせてくれる機会を与えてくれていることに、心から感謝しています。

―ありがとうございました。

【新博士インタビュー】新しい博士の誕生をお祝い/東北大・物理学専攻

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【インタビュー】新博士誕生をお祝い/東北大・物理学

2013年3月22日公開

【写真1】東北大学で開催された新博士講演会と専攻賞授与式・祝賀会=東北大学青葉山キャンパス(仙台市青葉区)

 東北大学大学院理学研究科物理学専攻は先月、新しい博士の誕生をお祝いするイベントを同大の青葉山キャンパス(仙台市青葉区)で開いた。平成19年度から同専攻が毎年開催するもので、新博士による講演会や専攻賞授与式などが行われた。

 新博士による講演会では、物理学専攻賞を受賞した高山あかりさん、山根結太さん、丸藤(寺島)亜寿紗さんの3名が、他分野の非専門家でも研究のおもしろさが楽しめるよう講演し、教員や在校生ら約35名が熱心に聞き入った。

【写真2】講演する新博士の高山あかりさん

 このうち、総長賞も受賞した高山さんは、「スピン分解光電子分光装置の建設とBi薄膜におけるラシュバ効果の研究」と題して講演。「光電子分光装置」と呼ぶ世界最高レベル性能の分析装置を開発し、次世代の電子素子の動作メカニズムとして注目される「ラシュバ効果」を発見したことを紹介した。

【写真3】物理学専攻賞授与式のようす

 続いて、物理学専攻賞授与式・祝賀会が開催され、博士課程後期から高山さん(総長賞)、山根さん、丸藤さんの3名、博士課程前期から田中祐輔さん、髙橋遼さん、本多佑記さん、佐藤智哉さんの4名が選ばれ、専攻長の川勝年洋教授より賞状と記念メダルが贈られた。

 川勝教授は「学位取得おめでとう。基礎分野から応用分野まで、皆さん大変良い発表で嬉しい。これからは大学も外への情報発信が大切な時代。本専攻からぜひ物理を広めてほしい」と激励した。


新博士インタビュー

◆高山あかりさん(総長賞受賞)

論文題名:「スピン分解光電子分光装置の建設とBi薄膜におけるラシュバ効果の研究」
指導教官:高橋隆教授(電子物理学講座 光電子固体物性研究室)

―このたびは専攻賞受賞ならびに総長賞受賞おめでとうございます。まずは喜びの声を一言。

 総長賞は狙っても受賞できる賞ではないので、まさか推薦していただけるとはとても光栄です。実は、どうしても専攻長賞の金色のメダルが欲しかったんです。修士課程の時に(専攻賞を受賞して)銀色のメダルをいただいたので、二つペアで揃えたいなと(笑)。その願いは叶いませんでしたが、博士課程の研究をこのように評価していただいたので十分満足です。

―それでは、研究内容をご紹介ください。

 私は博士課程の研究で、電子の持つエネルギー、運動量、スピン(注1)の3つの自由度を世界最高の性能(分解能)で測定することができる「スピン分解光電子分光装置」を建設しました。また、この建設した装置を用いて、次世代のスピントロニクスデバイス(注2)の動作メカニズムとして注目されている「ラシュバ効果」(注3)という物性を調べるため、特別なスピンの性質をもつ「ビスマス(Bi)」(重い金属)のラシュバ効果を詳しく測定しました。すると、Biのラシュバ効果は、一般的な理論で予測されるスピン構造とは大きく違っていることがわかりました。今回の発見は、次世代の省エネルギーデバイス開発に向けて大きく道を開くものです。

(注1)スピン:電子が持つ、自転に由来した磁石の性質のこと。
(注2)スピントロニクス:電子の磁気的性質であるスピンを利用して動作する全く新しい電子素子を研究開発する分野。電子スピンの上向きと下向きの状態を、デジタル信号の「0」と「1」に対応させて信号処理を行う。電子スピンは応答が早く、熱エネルギーの発生も非常に少ないため、スピントロニクス素子は、超高速・超低消費電力の次世代電子素子の最有力候補とされている。
(注3)ラシュバ効果:最近の研究によって、重い金属の表面や半導体同士の界面に出現することがわかってきた、電子の運動方向とスピンの向きが連動する現象。しかし、実際のデバイスを構成する半導体界面ではラシュバ効果も小さくなってしまうことや、界面の電子状態の実験的観測が難しくラシュバ効果について理解が乏しかったことが、スピントロニクスデバイス開発への障害となっていた。

―研究生活の中で、最も印象に残っていることは?

新博士講演会で発表する高山あかりさん

 今思い返すと、研究室の引っ越しが多かったなあ、と。修士で入学した当初は、物理A棟(現:物理系研究棟)に居たのですが、建物の耐震工事で理学研究科合同B棟に移り、耐震工事終了後にA棟に戻ったところで東日本大震災が発生して、装置を復旧させた数ヶ月後に片平地区のWPI本館に引っ越して、現在に至ります。こんなに短期間で3回(震災復旧も含めると4回)も、引っ越しや大きな調整などをしたので、引っ越しマスターになれそうです。引っ越し作業で1トンもある装置が宙に浮く瞬間は、かなり興奮しました。

―中高生も含めた後輩にメッセージをお願いします。

 私は、生粋の東北大生・理学生ではないので(他大学教育学部卒・修士課程入学)、物理の勉強はとても苦手ですが、それでも何とか博士課程まで修了できたのは、きっと、一つの実験を継続した結果ではないかと思います。中には何でもできる人もいると思いますが、私はあまり器用ではないのに完璧を目指そうとするタイプなので、やる事が増えると全部できずに破綻することもあります。しかし、地味ですが、こつこつ進めた方が、進み方は遅いですが、最終的には上手くいくことが、最近わかりました。何か失敗しても、その方法が良くないとわかることが進歩だと思うので、何事にも失敗を恐れずチャレンジする勇気を持つと、新しい道や視点が見つかる気がします。


◆山根結太さん

論文題名:「強磁性ナノ構造におけるスピン起電力の理論」
指導教官:齊藤英治教授(金属材料研究所)

―このたびは専攻賞受賞おめでとうございます。まずは喜びの声を一言。

 ありがとうございます。とても嬉しいです。指導教官である齊藤英治先生と研究室の皆さん、理論(原子力研究開発機構)の前川禎通先生と森道康先生に感謝しています。

―研究内容をご紹介ください。

 電子とは「電気」を持った素粒子ですが、同時にそれ自身が一つの小さな「磁石」でもあります。そのため電子は電気エネルギーと同時に磁気エネルギーを持っています。これまで知られている起電力(電流を駆動する力)は電子の持つ電気エネルギーを利用してきましたが、実は磁気エネルギーからも起電力を得ることができ、これはスピン起電力と呼ばれています。物質の中には小さな磁石(つまり電子)がたくさん存在し、それらはお互いに相互作用をしています。その相互作用を利用して各磁石の向きやその変化を巧くコントロールしてやると、磁石の持つ磁気エネルギーが電気エネルギーに化け、起電力として使えるというのがスピン起動力のコンセプトです。
 スピン起動力は、理論的に予言されたのが2007年、実験的に観測されたのが2009年と、非常に新しい現象です。そのため、基本的な理論も実験も、まだまだやらなければならない課題がたくさんあります。その中で僕は、「これを計算すれば、スピン起電力を計算できる」という一番基本的な式を理論的に導出しました。また、物質を変えるとどうなるか?など詳しい部分も系統的に研究しました。

―それでは、研究生活の中で、最も印象に残っていることは?

新博士講演会で発表する山根結太さん

 僕が所属する斎藤研究室所属は実験のグループですが、僕は実験をやらないので、ドクターの3年間は、原子力研究開発機構(茨城県)で前川先生と森先生に日々指導していただきました。理論の前川先生と森先生、実験の斎藤先生、いろいろな方にお世話になりながら研究をしてきました。一番嬉しかったのは、初めて論文が出版された、博士1年生の時ですね。まわりが良い方ばかりなので、気楽にやっています。

―中高生も含めた後輩にメッセージをお願いします。

 冬の寒さにも夏の暑さにも負けずに、がんばってください。


◆丸藤(寺島)亜寿紗さん

論文題名:「カムランド禅でのニュートリノを伴わない二重β崩壊探索の最初の結果」
指導教官:井上邦雄教授(ニュートリノ科学研究センター)

―このたびは専攻賞受賞おめでとうとざいます。まずは喜びの声を一言。

 このような賞をいただくことができて光栄です。指導教官である井上先生から素粒子実験に参加するチャンスをいただいて、本当に嬉しく思っています。私が実験に参加したのは、修士1年生の頃。学部までは天文学専攻でした。天文学と素粒子実験、近いイメージがあるかもしれませんが、やっていることはだいぶ違います。専攻を変更した理由は、井上先生からカムランドのお話を伺って、すごくおもしろそうだと思ったから。自分も参加してみたいと思ったのが、きっかけです。

―それでは、研究内容をご紹介ください。

 ニュートリノの性質を調べる実験を行っています。特に、一つはニュートリノの質量を探るため。もう一つは、ニュートリノと反ニュートリノが同じものなのかどうか、つまり、ニュートリノがディラック粒子かマヨラナ粒子かを調べるのが目的です。
 そもそもニュートリノには質量がないと考えられていましたが、ニュートリノにも質量があることが、最近の研究でわかりました。他の素粒子では質量が測られています。ニュートリノの質量は、軽いことはわかっているのですが、上限値でしか与えられていないため、それを決めたい、というのが一つです。
 また、これまでニュートリノには質量がないと考えられていたので、ディラック粒子かマヨラナ粒子かは区別されていませんでした。他の素粒子は電荷をもっているため、ディラック粒子だとわかっています。ニュートリノに質量があることから、ニュートリノはディラック粒子とマヨラナ粒子どちらなのか注目されています。これを実験を通して調べようとしています。
 具体的には、ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊を使って調べます。これは、素粒子の標準理論では禁止されている崩壊で、ニュートリノがマヨラナ粒子でなければ起こらない反応です。もしニュートリノがマヨラナ粒子であれば、ニュートリノがなぜ軽いかを説明する理論(シーソーモデル)が成り立ちます。
 また、なぜ我々は反物質でできていないか?を説明する理論も成立ちます。この世界は反粒子でできていても、おかしくありません。最初は、粒子と反粒子がほぼ同数つくられますが、対消滅した結果、反粒子は無くなり、我々の体も反粒子でなく粒子でできています。それがなぜかは不思議ですが、ニュートリノがマヨラナ粒子であれば、その謎を説明できるかもしれません。

―研究生活の中で、最も印象に残っていることは?

新博士講演会で発表する丸藤亜寿紗さん

 ニュートリノの実験施設がある神岡鉱山に初めて入った時が、最も印象的でした。ヘルメットを被って、岩盤剥き出しの鉱山の中を2キロくらい直進すると、実験施設があります。「こんなところで実験するのか」と驚きましたね。
 実験装置は、簡単につくれる小さなものから数十人がかりの大きな装置まで、いろいろな装置を自分たちの力で手作りしています。基礎からつくっていけるのは、すごくおもしろいですね。もちろん、やっているときは大変なこともありますが、実験は楽しいです。他ではできない経験をできたと思います。

―中高生も含めた後輩にメッセージをお願いします。

 素粒子と聞くと、とっつきにくいイメージがあると思いますが、実験はすごく人間臭いものです。いろいろな人達が、細々と、いろいろなことをやって実験が成り立っていきます。単に検出器をつくるだけではおもしろくなく、解析だけではおもしろくなく、それらが最終的に物理に結びついていく感じが、すごくおもしろいのです。ですから、素粒子にも興味を持ってもらえたら嬉しいですね。

KDDI会長の小野寺正さんに聞く:社会って、そもそもなんだろう?

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KDDI代表取締役会長の小野寺正さんに聞く:社会って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2013年3月26日公開

どれだけ「共同体」に重層的に関われるか。
それによって、人間としての視野は決まる。

小野寺 正  Tadashi Onodera
(KDDI株式会社 代表取締役会長)

1948年、宮城県生まれ。幼稚園から中学校まで東北大学付属校(現・宮城教育大学付属)、宮城県仙台第二高等学校を経て、1970年、東北大学工学部電気工学科を卒業後、旧日本電信電話公社(現NTT)に入社。電電公社時代は、主に無線技術者として働く。1984年、後のDDIの母体となる第二電電企画に転じる。1997年、DDI副社長。2000年にDDI、KDD(旧国際電信電話)、IDO(旧日本移動通信)三社が合併し、現在のKDDIが発足、株式会社ディディーアイに社名変更。代表取締役副社長に就任。2001年、KDDI株式会社に社名変更、6月に同社代表取締役社長に就任。2005年、代表取締役社長兼会長。2010年、代表取締役会長(現在に至る)。

 「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【社会】に関する様々な「人」をインタビュー。
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とはそもそも何か」を伝えます。


宮城県出身でKDDI株式会社代表取締役会長の小野寺正さんは、
社会とは「人の共同体」であり、生まれてから重層的に広がる
共同体にどう関わるかで、その人間の「視野」は決まる、と話す。

「一番最初の小さな共同体から徐々に広げて考えなくてはならないのに、
社会がどんどん大きくなり、広い社会で考えざるを得なくなってる。
しかし実は、狭い範囲を蔑ろにして、広げ過ぎているのではないか」

そう問題点を語る小野寺さんに、共同体の形が歴史的に変化する中、
共同体としてやらざるを得ないこと、中高生のうちにやるべきこと、
そして、これからの社会はどうなるかについて、幅広く聞いた。


<目次>
【そもそも社会って、なんだろう?】
社会とは「人の共同体」
共同体は重層的に広がる
大人になるということ
【そもそも教育って、なんだろう?】
教育の基本は小さなコミュニティから
親に対する教育にならざるを得ない
初等教育に力を入れるフィンランド
家庭教育が疎かになる中、初等教育が重要に
狭いところで考えれば良いことを広げ過ぎている
与え過ぎは、むしろ子どもに混乱を起こさせる
【中高生のうちに見つけておくべきこと】
「自分は何が好きなんだろう?」と考えてみて
自律的に考える―これを如何につくるか
好きなことがあること自体、幸せなこと
最後は「考え方」の問題
【これからの社会はどうなる?】
情報社会・最大の特徴は「情報発信」
「情報を握る人が勝つ」社会構造そのものが変わる
何を自分の価値として付加できるか
情報発信できる・できないで、格差が生まれる時代
次のステップへ行くには


KDDI代表取締役会長の小野寺正さんに聞く


社会とは「人の共同体」

―小野寺さんがリアルに感じる社会って、そもそもなんですか?

 「社会って、なんだろう?」と言えば、それこそ「人間社会」という言葉があるように人間の社会とも捉えられるし、「動物社会」のように動物の社会とも捉えられますね。また、環境問題を考えれば、自然との関わりも社会と捉えることができます。「社会」という概念の捉え方は、非常に幅広いものです。

 しかし僕は今、社会を中高生にわかってもらうとすれば、社会は「人の共同体」と捉える方が、わかりやすいと思うのです。そして社会を「人の共同体」と捉えれば、共同体の形が、少なくとも歴史的に変化していることが一番大きいのではないでしょうか。それがいろいろな意味で、ご質問の問題に関わってくると思います。

 大昔の原始時代を考えれば、最初の共同体が家族であることは、おそらく間違いないでしょう。その家族がもう少し広く集まって、村のような、最初の共同体ができた。この共同体自体が、ある目的を持った共同体だったと思います。農業社会では、例えば田植えや稲刈りの農繁期に、一家族ではできないことも、皆で一緒に共同すればできる。そんなことから「共同体」は始まったのでしょう。

 それが今、家族という共同体から、地域社会という共同体のように、どんどん大きくなっています。会社も、一つの共同体ですね。それこそ国連だって、共同体の一つであり、「国際的な共同体」という言い方もできるでしょう。


共同体は重層的に広がる

 ただ、社会は重層的にできています。一人の人が一つの共同体だけに入るわけでなく、あちこちの共同体に重層的に入っています。ですから、大人になってからだって、会社に入ってからだって、必ずしも会社だけが一つの共同体ではなく、自分の住む地域社会がありますし、人によって異なりますが、例えば、学会も一つの共同体なわけです。

 最初に入る共同体は、まさしく赤ちゃんが生まれた時の家族のみです。それが保育園、幼稚園、小学校と進むにつれ、徐々に共同体が広がっていきます。小学校までなら、クラス替はあるにせよ、6年生まで同じ集団が続きますね。それが中学校になると、複数の小学校が集まって一つの中学校になるでしょうから、今までと違う人たちに出会うわけです。それがまた新しい共同体になります。

 では、小学校の時の共同体が分解されるかといえば、そうではない。同窓会や何らかの形で同学年でもって集まるコミュニティは、ちゃんと存在するわけです。ですからコミュニティは、重層的にどんどん広がっていくわけですね。


大人になるということ

 ただ、その時に一番重要なことは、どんどん広がりを持っていく共同体の中で、「自分の位置づけがどこにあるか」です。それを見失ってしまうことが、個人にとっては一番大きな問題だと僕は思うのです。

 「社会から阻害される」という言い方をする人もいますが、社会から阻害されるのは、個人側の問題と社会側の問題、両側に問題があると思いますね。そのような意味で「社会」を捉えていくと、少しはわかりやすいと、僕は見ています。

 子どもから大人になるにつれ自分が関わる社会はどんどん広がっていきます。ここで問題なのは、社会が広がっていく時、自分から積極的に関わるか、それとも受け身で関わるかです。

 その関わり方は人それぞれですが、それによって、ある意味で「自分の視野」が決まるでしょう。つまり、共同体に重層的に関わることが、大人になることだと、僕は見ています。


そもそも教育って、なんだろう?

教育の基本は小さなコミュニティから

―もともと社会がどう生まれてきたか、歴史的な必然性と同じように、今、私たちが生きている社会も、ある目的をもった共同体であり、重層的に広がっていく共同体に主体的に関わることで、社会はリアルに感じられるわけですね。けれども逆に言えば、社会が大きくなって複雑化・細分化するほど、その必然性が感じづらくなるので、社会に積極的に関わるか・受け身になるかと言えば、できない人が増えると思うのですが、それについてはどのようにお考えですか?

 僕は、そこに教育が関係してくると考えています。

 昔は、それこそ家族の中で子どもを教育する、もしくは地域コミュニティの中で指導するという、非常に狭い範囲での教育でした。教える人も、両親や親類であり兄弟であり。そこから地域社会のおじさん・おばさんへと広がったのでしょう。

 その中で、地域社会で過ごすための最低限のルールやノウハウが伝承されたと思うのです。例えば農業であれば、「こんな時期に籾蒔き(もみまき)や田植えをして」「田植えの方法はこんな方法でやって」というように。

 それが社会がどんどん広がり、共同体がどんどん大きくなると、子どもの数も増えるでしょうから、ある共同体単位で何らかの形で組織的に伝承する必要性が出てきます。それで寺小屋のようなものができたり。そうやって、どんどん広がっていったのでしょう。

 今でもそうですが、小学校の学区は非常に狭いものですし、中学校で少し広がって、高校でさらに広がり、大学では基本的に学区は無しです。そのような広がりを持った中での教育だと思うのです。

 つまり、教育の基本は、小さなコミュニティから広がります。その最初のコミュニティである家族の中での教育が絶対に必要です。大都会の場合は難しい問題かもしれないですが、地域のコミュニティもなくてはならないものです。

 ところが今、大きく勘違いされていると思うのが、どうやら「教育とは与えられるものだ」と思われているのではないか?そう僕は見ているわけです。

 教育は、与えられるものではありません。与える側とは、一体誰なのか?いわゆる公教育の先生方だけが、教育を与える人なのか?そこが間違いの大きな要素だと思うのです。

 親が子どもをしつけること。これもあきらかに教育です。ところが、家族でやるべき教育が無しのまま、例えば保育園や幼稚園などのある集団に入ってしまったら、そのお子さんは一体どんな行動をとるか。非常に大きな問題だと思いますね。


親に対する教育にならざるを得ない

―小野寺さんが仰ったように、どんどん広がる共同体の中で自分の位置づけを見失い、あたかも自分の役割ではないと錯覚するのでしょうね。これも社会が複雑化・細分化するほど起こりやすくなる問題だと思いますが、そのような現状に対してどのように立ち向かえば良いとお考えですか?

 一つは大人の責任だと思います。少なくとも親になった時、親としての責任とは何か、家族というコミュニティとは一体何なのか、やはり親が考えないのが問題だと思います。

 自分のお子さんに何も指導しないことは無いとは思いますが、親御さんがきちんと教育したところのお子さんは、親になってもきちんと教育はできるだろうと思います。問題はそれがうまくいっていない時、一体どうすれば良いのか、という話ですね。

 そのような意味で言えば、幼稚園や小学校で教えるべき相手は、残念ながら、本当は子供だけではないのかもしれません。もともとコミュニティとしてやるべきことを全くやっていないのであれば、それをやらざるを得ないですから。

 ただ、それを例えば幼稚園や小学校の先生方だけに押し付けること自体も問題です。当然ながら、先生になったばかりの段階では、まだ先生方も親を経験していないわけです。

 先生方が子どもの時に親から言われたことは、基本路線は一緒でしょう。それが家庭ごとに言われ方が異なっていたり、いろいろな教えられ方がなされるわけですね。その教えられ方を集大成した、共通のものが、「教育」だろうと思うのです。

 そのような意味で言うと、小学校・幼稚園は、非常に重要な教育の場です。それが今の時代、子どもだけではなく、親に対する教育の場にならざるを得なくなっている。そう僕は思っています。


初等教育に力を入れるフィンランド

 本来であれば、小学校の先生は大変重要な役割を担っています。昨年、フィンランドの首相が当社に来られました。フィンランドはご存知の通り、教育水準の大変高い国です。それと同時に、ICT(情報通信技術)の利活用も非常に進んでいます。

 せっかく首相が来られるので、僕は「フィンランドの教育は、どのような理念で、どのようにしているのですか?」と尋ねました。首相のお子さんは小学生で、公の小学校に通っているそうですが、自分の子どもを例にした方が早いだろうと仰ってね。

 なんと小学校の1クラスは23人と言ったかな。少人数クラスですよ。そこに当然、クラス担任が一人いるわけですが、このクラス担任は、基本的にマスター取得者(主に4年制大学卒業後、通常2年間の大学院修士課程を修了すること)が原則なのだそうです。

 それにも関わらず、もう一人、先生がいるそうです。その先生は「アシスタントという言い方ではない」と首相は仰っていました。その二人が、クラスの子どもたちの教育に当たる形ということです。

 フィンランドの場合もそうですが、核家族化が進行しているのは間違いありません。北欧の場合、もともと人口が少ないので、夫婦共稼ぎは当たり前の話です。

 すると、公的教育できちんと最初の教育をやらなければならない。それがフィンランドの理念ではないかと僕は思いますね。だからこそ小学校教育に、それだけのお金をかけるのでしょう。

 社会崩壊がどうこうという話は、あちこちで言われています。一方、フィンランドは、人口が少ないこともあるかもしれませんが、あまりそんな話は聞かないですね。単に知らないだけかもしれませんが、「少なくとも小学校義務教育の一番最初が重要」と考えて、社会教育も含めて力を入れているようです。


家庭教育が疎かになる中、初等教育が重要に

―コミュニティの機能が低下している以上、できるだけ共同体の最初の段階で、教育をきちんとすることが重要になるのですね。

 日本の場合、家庭教育が疎かになる中、義務教育の一番最初に子どもたちが接する先生が如何に重要かということです。もちろん、それを全部、先生に押し付けるのも問題ですが、小学校1年生の担任は、子どもにとって大変大きな影響力を持つのです。

 もし一番最初の先生が、自分のクラスをきちんとまとめられ、クラスの仲間と皆、仲良くやれるようなクラスであれば、ある意味で大変ハッピーな共同体人生の第一歩を歩み出すことができるでしょう。それが逆に、学校に行っても面白くないと思うようになると、後々問題を起こしやすくなると思います。

 日本の場合、大学・大学院などの高等教育についてはよく言われますが、初等教育にもう少し力を入れなければ、今の社会情勢では難しいのではないか、と僕は思うのです。

 本来であれば、家族が一番最初の共同体なはずですから、両親との関係性が最も重要な関係性だと思います。そこで知らず知らずに受けている、しつけなり教育が、最も重要なんだろうと思うのですよ。

 それが今、うまくいっていないのであれば、親に対する教育と同時に、そのような親のもとで育った子どもたちを、できるだけ早い時期に、共同体として、きちんと方向付けてあげなければ問題だろうと思います。


狭いところで考えれば良いことを広げ過ぎている

―私も、教育行政の外部委員を色々やらせていただいたり、教育関係者の方々にお話を伺う中で感じるのは、現状に対する危機感をお持ちだし、それに対して何とかしたい、しなければいけないという気持ちも伝わってくるのですが、実際は、どうしたらいいかわからないという印象も強く受けます。

 僕はね、そこなんだと思うんですよ。おそらく「どうしたらよいのかわからない」というのが、本当だと思うのです。

 そのような意味で言えば、教員養成大学は非常に数多くあるわけですね。ただ教員を養成する時、知識だけで養成してはいないか?ということだと思うのです。もちろん知識が、一つの重要な要素であることは事実です。

 しかしながら先生方こそ、子どもたちを指導する立場になるのだから、先生方同士のコミュニティなり、先生とその先生を教えている先生とのコミュニティなりがきちんとできていれば、動きはあるだろうと思うのです。ただ、そこも難しいかもしれないですね。

 良し・悪しは別として、ICTが広がってくると、放送も含めてですが、どこか遠隔地での出来事も皆、知ってしまうわけですね。

 極端な例を挙げれば、ラジオしか無い時代は、それこそ遠隔地のことも、ラジオでは聞くけれど、やはり目で見るのと耳にするのでは大きな差があるし、情報量としては非常に少なかったわけです。

 その時、例えば市町村単位や、それより小さな単位のコミュニティが主導的に全部やらざるを得なかったし、やれたと思うのです。ある程度「狭いところ」でやろうとすれば、そこに誰かきちんとした人が一人いれば、その人の影響で十分できる範囲でしたから。

 それが今、誰でも情報を自由に知れるようになると、そのコミュニティとは関係ない、より広いコミュニティの問題点が、どんどん浮き彫りになり、どんどん耳に入ってくるわけです。

 すると、もともとは小さな社会で考えれば良かったことが、もっと広い社会で考えざるを得なくなっていますね。もう少し言えば、例えば小学校は「狭いところ」で考えれば良いことを、実は、広げ過ぎているのではないかと僕は思うのです。

 先生方も、まわりのことを気にし過ぎる。親も、まわりのことを気にし過ぎる。けれども小学校低学年の行動範囲なんて、自分の街から出るのも親と一緒に行くだけであって、そのエリア内でしか動いていないはずです。

 そのような小さなエリア内の共同体で生活するのに必要な知識と、社会に出てから、大きなところで必要な知識は違うはずですよ。まずは「狭いところ」をきちんとやらなければ。その上である程度の立ち位置が与えられれば、その次は違うと僕は思います。


与え過ぎは、むしろ子どもに混乱を起こさせる

―実際にその子どもにとって等身大な共同体の範囲を、例えば世界の問題を考えなければいけないと、頭だけで急に広げすぎた瞬間、逆に目の前のものが疎かになってしまいがちですね。

 そうですね。例えば我々は、先日のアルジェリアの問題は、非常に気になるのです。これは我々企業の立場からすれば、やはり海外進出した時の安全を考えざるを得ないという意味で、気になるのは当前の話です。

 では、あの情報は小学校低学年の子どもたちにどれだけ必要か。僕は正直なところ、知らなくともいいのではないかと思うのです。しかし、それも知らざるを得ないのが、今の社会です。

 情報をコントロールするという意味ではありませんが、例えば小学校低学年で知るべきこと・見せるべきこと・教えるべきことと、中学校と高校では当然違うわけです。

 その時に何でもかんでも与えることが良いのかどうか。僕は、必ずしも、何でもかんでも与える必要もないし、むしろ与え過ぎて、子どもに混乱を起こさせる面もあるのではないかと思います。

―どんどん情報が簡単に取りやすくなるほど、反対に心持ちとしては、すべて受け身で取るのではなく、その中で、子ども本人は判断できないかもしれませんが、その前にいる親が「何が必要か?」に責任を持たざるを得ないということですか?

 やらざるを得ないよね。昔であれば、家族の次の小さなコミュニティがあったとして、そのコミュニティの中で生活していくためのことを勉強すればよかったことが、今はもう「世界で生活するため」みたいに、最初からなっています。

 本当は、赤ちゃんの時は家族しかいないのだから、とにかく狭い範囲から、徐々に広げていかなきゃいかんのに。狭い範囲を蔑ろ(ないがしろ)にして、ぼんと広い範囲を教えてしまったら、そりゃ、子どもは混乱しますよね。


中高生のうちに見つけておくべきこと

「自分は何が好きなんだろう?」と考えてみて

―今までのお話は、どちらかと言うと「大人の責任」ということで、大人が認識しておくべきことをお話いただいたと思うのですが、今度は、中高生の立場からすると、これからどんなことを意識すべきだと思いますか?

 これは難しい問題ですが、中高生といえども、見ている範囲はやはり狭いのですよ。ですから僕は、極端な言い方ですが、中高生はまず自分の好きなことをやれるようなしくみをつくってあげるべきではないかと思うのです。

 例えば、中学校・高校のサークル活動は、好きなことをやれるひとつのチャンスですね。けれども今、塾や何かで忙しくて、サークル活動も、ごく一部を除けば、あまり活発ではないのでしょう?僕の聞いている範囲ですが。

 けれども僕は、中高生はまず「自分は何が好きなんだろう?」と考えてみたら良いと思うのです。好きなものが自分で見つからないのであれば、やはり広く勉強する中で、好きなものを見つけるしか無いと思います。

 「好きなもの」とは、学科という意味でなくても、一向に構わないと思います。例えば、工作や美術、体育や音楽など、どんなものでも良いと思います。その好きなものに、ある一定期間打ち込めるかどうかが大事なのです。

 これは大学受験や高校受験を考えると、一見、無駄なことのように見えます。けれども意外と、その無駄が後々、人間性という意味で大きく効いてくると、僕は思うのです。


自律的に考える―これを如何につくるか

―「自分の好きなことに打ち込むことが、後々の人間性に大きく効いてくる」の意味について、もう少しご説明をお願いします。

 対象は何でも良いですが、自ら打ち込んだことに対する、本人の自信が大きいのです。自慢できるかどうかは別にして「これを自分は少なくとも人よりやってきた」という自信につながります。

 逆に、全く自信のない、自分は何だかよくわからないままで来ると、要するに、世の中に流される格好になりかねないだろうと思うのですよ。

 流されること自体、悪いことではないですよ。けれども自分が、少なくともこれについては自信があるという分野を持つ。すると、他分野も勉強しようという気になるでしょう。

 何よりも、自信を持った自分の好きなことは、人から言われてやった部分だけではないはずですね。「好きだから自分でやろう」と思っているはずなのですよ。

 すなわち「自らやろう」と思うことを見つけられたことが、一番大きいのです。それが社会に出る時、どんなことを自分がやろうかを考える一つの要素になると思います。

 つまり、自律的に考える―これを如何につくるか、なのです。人から言われたことをやるだけでは、意味がありません。やはり自ら考えられるようにするにはどうするかが、中高生にとっては最も重要だろうと思います。

 米国式にディベートをするのも一つの訓練と思いますが、訓練だけではなく、「自分が本当に好きなことは何だろう?」と思ってやることが、やはり重要な気がするのです。

 我々の世代で言うと、エレキをやれば、親から怒られるのが当たり前でしたね(笑)。けれども、打ち込めるなら、僕は打ち込ませてやった方がいいと思うのです。


好きなことがあること自体、幸せなこと

 僕は、「好きなこと」を職業にできる人が、一番ハッピーだと思います。好きなことに打ち込んで、それで生活できるのなら、これほどハッピーなことはありません。ものすごく僕はうらやましいと思いますね。そうなれる人は、全体のごく一部だと思います。

 好きなことがあること自体、その人にとってはハッピーなのかもしれません。何か困った時、好きなことに没頭できることで、逃避になるかもしれないけども、そこから得るものが必ずあるはずです。

 対象は何でも良いのですが、「好きなこと」なら、自らやるでしょう?そして次のステップに行くために、自分が何をしなければならないか、自ら調べますね。

 幸か不幸か、今はインターネットで何でも調べられるようになったから、それは過去とは随分違うだろうと思います。調べることや自分で勉強することは、昔に比べたら、大変やりやすくなりました。

 我々の業界ではセキリュティの問題もありますが、ハッカーと呼ばれる人たちは、好きで打ち込み自ら勉強して、ハッカーになった人が多いのです。日本語でハッカーと言うと全て悪人みたいに思われますが、そんなことはなく、ハッカーは本当の意味で専門家ですよ。

 では、その専門家をどう育てるかと言えば、もちろん大学で勉強したハッカーもいるでしょうが、その多くが全部自分で勉強している人たちです。

 今では中学生のハッカーもいますね。PCの中身、動作原理を知ってしまって、好きでのめり込んでしまう人が。のめり込めるものがあること自体、ものすごく幸せなことだと、僕は思うのです。


最後は「考え方」の問題

 ただし、のめり込む時、1つだけ言っておかなければいけないことがあります。

 これは稲盛和夫さん(京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者、日本航空取締役名誉会長)だけでなく、多くの方が言うことですが、稲盛さんは「人生の方程式」と言って、仕事や人生の結果は「能力」×「努力」×「考え方」、この3つの要素で決まると言っています。

 「能力」は、先天的に人に備わったものであって、数字で言えば、0から100まであります。能力0の人なんて、誰もいません。その能力をどう生かしていくかが、一つの方向性です。もう一つの「努力」は後天的なもので、その人がどこまで努力するかです。

 そして、最後の「考え方」が問題でしてね。その「能力」と「努力」を正しい方向に使えば、世の中のため人のため、本人のためになりますが、「考え方」を誤ると、マイナスの方向になる可能性があるのです。

 過去の話ですが、オウム真理教の問題がありました。当時の教団幹部は、高い「能力」を持ち、大変「努力」しました。けれども、「考え方」がマイナスの方向だったために、大問題になったわけです。

 先述のハッカーの例でも、自分の「能力」と「努力」で他人のIDとパスワードを盗み出し、お金をとってやろうとするなら、これは大問題です。「考え方」がマイナスなため、大きなマイナスになるわけですね。

 けれども、これもどこまで正しいかはわかりませんが、ハッカーが、ある会社のサイトの弱点を見つけて、「この弱点があるので、こういう攻撃ができますよ」と教える人たち(ホワイトハッカー)もいるわけです。

 つまり最後は、「考え方」の問題になるわけですね。何が正しいかという判断が大事なのです。本来であれば、コミュニティ内で、この「考え方」を身につけていれば、そう大きな過ちは犯さないのでしょう。

 その前提で、好きなことにのめり込めれば良いのですが、きちんとやるべきことがやられていないために、いろいろ大きなトラブルが起きているような気がしているのです。


これからの社会はどうなる?

情報社会・最大の特徴は「情報発信」

―そのような前提で見た時、これから社会は、どうなっていくと思いますか?

 社会は、「農業社会」から「工業社会」へ、そして「情報社会」へと進展してきていると言われます。「情報社会」最大の特徴は、誰もがインターネットを当たり前に使えるようになり、自由に「情報発信」できる点が、これまでとは大きな差だと思うのです。

 インターネットのない時代は、自ら情報発信しようと思っても、それこそ学校の中で壁新聞をつくることはできたでしょうが、発信できる先は、ごく小さなコミュニティに限られていました。それが今では、世界相手に、情報発信をいくらでもできるわけです。

 もちろんgoogleに代表される検索によって情報を簡単に得られる点も、非常に大きな進歩であり、大きな影響力を持つと思います。しかし問題は、情報発信の方が、これからの世の中にとっては、非常に大きな変化だろうと思うのです。「アラブの春」「ジャスミン革命」なども、誰かがインターネットで情報発信したものですね。

 そのような意味で言えば、ICTリテラシーは、これからのリベラルアーツではないかと僕は思うのです。そのリベラルアーツを身につけられるかどうかによって、その個人の社会との関わり合いが、非常に変わってくるような気がして仕方がないのですよ。


「情報を握る人が勝つ」社会構造そのものが変わる

―ICTリテラシーを身につけるか・そうでないかで、個人と社会との関わり合いは、どう変わるとお考えですか?

 別にネットを使わなくても生活できるのなら、それはそれで結構だと思います。ただ、ネットを使えば、もっとすごいことができるということが大きいと思うのです。

 今までの世の中、はっきり言えば、情報を握っている人が勝っているんですよ。今までは、ピラミッド構成のトップにいる人に全ての情報が集まり、下の方では自分の情報しか持てない。したがって今までの社会は、最終判断はトップしかできない仕組みでした。

 例えば、総理なら情報が全部あがってくるけれども、大臣なら自分の所管内の情報しかあがってこない。会社の社長なら、会社全体の情報をとろうと思えば全部とれる立場にあるけれど、部下なら必ずしもでそうではない。だから最終判断は社長しかできない。

 その情報発信をしている相手が、僕だけに送っているのであれば、僕だけにしか情報が入りません。ところが、ネットの世界では、意外と簡単に、そんな情報も得ようと思えば得られる時代になっています。

 それによって何が変わるか。皆が同じ情報を自分で自由にとれるようになれば、判断する人は社長である必要はないかもしれない。社会の構造そのものが変わってくると思うのです。


何を自分の価値として付加できるか

 要するに、情報は得られても、その情報は皆が知っていれば価値はないのです。その情報から自分の考え方や知恵で何かを創り出さなければ、意味がありません。その創り出したものに価値があるか・ないかという社会になってくるだろうと、僕は思うのです。

 「創り出す」とは、別に「もの」である必要性はありません。それこそ、自分の考え方をいろいろな情報を得てまとめれば、それは一つの価値なのです。

 今は大学でもコピペで卒論を書く学生がいるようですが、昔はコピペという方法ではなく、書き写した学生もいます。

 では、コピペ時代は、昔の時代と何が違うか。昔も書き写していた人たちはいくらでもいるわけなので、それが非常に簡単にできるようになっただけです。その上で何を自分の価値としてアドオンできるんだ?それが非常に重要な社会になってくると思います。

 そしてアドオンしたものが、自ら情報発信して世の中に認められれば、それはその人にとって大きな次のステップになるはずです。「認められる」とは極端な言い方ですが、例えばユーチューブに投稿し非常に多くの人に見られるのも、一つの価値でしょう。すべて勉強の世界だけではないのですよ。

 世界に自ら情報発信ができる、この情報社会・最大の特徴を、どのようにうまく使えるか。それによって、大きく違ってくるだろうと僕は思うのです。


情報発信できる・できないで、格差が生まれる時代

 過去は受け身の世界でした。報道機関が報道しない限り、誰も情報発信できなかったのです。けれども今からの世界は、誰でも情報発信ができます。これが、やはり今からの社会の一番大きな差だろうと思うのです。

 例えば選挙制度も、インターネットを使った選挙活動を認めるような話が出ていますが、あれでも随分、変わるだろうと思います。今回の震災時も、はっきり言えば、情報発信をうまくできたところには、支援物資がたくさん届きました。

 問題は、情報発信をできる人・できない人で、残念ながら大きな格差がついてしまうこと、その差がますます広がってしまう可能性があることです。

 ですから僕は、ICTリテラシーは非常に重要だと考えているのです。先述のフィンランドの話では、小学校の頃からPCを使わせるのは当たり前。PCは、新しい情報社会で生きていくための最低限の手段になりつつあるわけですから。

 よって、先ほどリベラルアールと言いましたが、そのようなICTリテラシーが非常に重要な時代になってくると思います。はっきり言えば、皆さん若い人たちは全部自分でやれる人も多いのです。問題は、それをやれない人たちに対して、どう教えていくかです。

―ICTリテラシーはもちろん、それこそ主体的にやれるか・やれないかで、大変な格差が生まれる時代になるのですね。

 そう思いますよ。それはね、良い意味でも悪い意味でも、仕方ないことです。こういう社会ですからね。


次のステップへ行くには

―最後に、今までのお話を踏まえて、中高生の読者へメッセージをお願いします。

 自分の好きなことを見つけてほしい、ぜひ好きなことに打ち込むのが必要ではないか、というのが、私の一つ目のメッセージです。それが認められるかどうかは、わからないですがね(笑)。

 もう一つは、勉強の最初は、暗記が必要なところは、やはり暗記せざるを得ないと思いますよ。最低限の知識は、やはり教育の中でつけざるを得ません。

 例えば、「計算なら、電卓を叩けばできるのだから、計算なんて手でやる必要ないじゃないか」と言う人がいるかもしれませんが、それは別だと思います。まずは基礎的な知識をきちんとつけた上で、次のステップがあるのです。

 要するに、自分が好きなことに打ち込んだ自信、そして、自分の中に蓄えられた知識がサマライズ(要約)されることによって、次のステップに行けるのではないでしょうか。


―小野寺さん、本日はどうもありがとうございました。
 (東京都千代田区飯田橋にあるKDDI株式会社・本社にて)

ものづくりの原点を体験して/仙台二華でソニー「分解ワークショップ」

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ものづくりの原点を体験して/仙台二華でソニー「分解ワークショップ」

23日に開催された「分解ワークショップ」=宮城県仙台二華中学校・高等学校(仙台市)

 公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンとソニー株式会社の協働プロジェクト「RESTART JAPAN」は23日、宮城県仙台二華中学校・高等学校で、ソニー社員と一緒に同社製品を分解する科学教育ワークショップ「分解ワークショップ」を開催した(※)。

 ソニー現役エンジニアが"分解博士"として指導しながら、参加者が同社製品の分解を通じて機器の仕組みや工具の使い方などを学ぶもので、同校地学部などの生徒ら約35人がペアとなり、同社製ノートパソコン「VAIO」の分解に挑戦した。

 ワークショップでは、ナビゲーターを務めた元ソニー社員の金子金次さんが、「日本初のテープレコーダーに使用する記録用磁気テープは多賀城の工場でつくられた。今も東北はソニーを支える大切な存在」と同社と東北の関係性について紹介するところからスタート。

「分解ワークショップ」の意図を語る、元ソニー社員の金子金次さん。

 ソニー創業者である井深大さんのものづくりの原点は、幼少期に体験した時計の分解だったという。「井深さんの夢を、今の子どもたちにも体験させてあげたい」。そんな思いから同ワークショップが始まった経緯が話された。

 さらに金子さんは「分解」と「破壊」の違いについて、「分解は元に戻せるが、破壊は元に戻せない。分解の漢字は『分けることで解る』だが、破壊は『破って壊れる』」と述べ、「ぜひ『分解』して発見をしてほしい」と生徒らに語りかけた。

部品の役割を"分解博士"に教わりながら、ノートパソコンを分解する生徒ら。

 いよいよ分解のスタート。まずバッテリーを外した後、生徒らは「分解カルテ」に製品名・型番・シリアルナンバーを記入し、使われているネジの本数を予想。

 ドライバーの使い方やネジの回し方などについて、分解博士から説明を受けた生徒らは、思い思いにネジを探してはパーツを外す「分解」を繰り返していった。生徒らは時折、「こんなところにネジがあった!」「やった!パーツがとれた!」と歓声をあげながら、まるでパズルゲームのようなネジ探しとパーツ外しに真剣な面持ちで取り組んだ。

分解した部品を用いて、液晶ディスプレイの仕組みを解説する分解博士。

 分解された部品は顕微鏡で構造を確認したり、部品の役割を分解博士に教わった。液晶ディスプレイなどの構造も、分解した部品を用いながら解説された。普段なかなか見る機会の少ない機械の仕組みに、生徒らは感心した様子だった。

 作業を終えた生徒らは、分解の過程で気になったことやアイディアを分解カルテに記入。ワークショップで分解された部品は、資源リサイクル利用のため、分別・回収された。最後に、金子さんから生徒一人ひとりに「分解博士ジュニア認定証」が手渡された。

金子さんから生徒一人ひとりに「分解博士ジュニア認定証」が手渡された。

 金子さんは「分解する前と後では、皆さんの目の輝き方が違った。機械の仕組みを知ることは如何に楽しいか、気づいてくれたのでは。今回の経験を今後に役立ててほしい」と生徒らを激励した。

 参加した生徒は「普段目にすることのできない機械の内側が、どんな仕組みでできているかがわかった。特に感動したのは、液晶ディスプレイの仕組みとネジの多さ。実際のネジの本数は予想を大きく上回ったが、大変良い経験になった」と話していた。

※ 本ワークショップは、科学の結果だけでなくプロセスを五感で感じられる科学イベント『学都「仙台・宮城」サイエンス・デイ2012』において、「RESTART JAPAN賞(公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン,ソニー株式会社)」を受賞した宮城県仙台二華高等学校地学部へのAWARD副賞として開催されたものです。

「仙台城南高校」開校/第一期生356名が入学式

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「仙台城南高校」開校/第一期生356名が入学式

2013年4月9日公開

8日に行われた仙台城南高校の入学式=仙台市太白区

 東北工業大学高校(仙台市太白区、久力誠校長)は、今年度から学科を再編して校名を「仙台城南高校」に変更し、8日、入学式を行った。仙台城南高校として初の入学式。一新された制服に身を包んだ新入生356名が、新たな一歩を踏み出した。

 仙台城南高校では「大学と接続した新しい学びの創造」を基本理念に教育内容を一新。従来の普通科と電子科を廃止し、「特進科」「探究科」「科学技術科」の3学科に再編した。

 先進的な取組みとして、探究科にタブレット端末「iPad」を導入した授業や大学と連携したテーマ研究、海外研修などを実施する。平成25年度入試では、仙台城南高校の受験者数は、前年を400人以上上回る約1700人だった。

式辞を述べる久力誠校長

 入学式では、久力校長が「どんなに学習環境が整っても、皆さんの学びなくして学校はない。新しい教育を生み出す挑戦者として、一緒に学校を創っていこう」と式辞。

 次いで岩崎俊一理事長が「これからは変革の時代。50年前、電子工学を中心に発足した本校の歴史を受け継ぎながら、新しい文明を創っていく決意を新校に込めた。震災の苦難を乗り越え、十分学んで成長していただきたい」と祝辞を述べた。

 新入生代表が誓いの言葉を述べた後、生徒たちは東北工業大学高校から引き継がれた校歌を合唱。新学校での生活に、新入生らは希望に胸を膨らませた。


東北経済産業局長の山田尚義さんに聞く:社会って、そもそもなんだろう?

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東北経済産業局長の山田尚義さんに聞く:社会って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2013年4月16日公開

社会は一つではないからこそ、
自らつくることで、広がっていく。

山田 尚義  Naoyoshi Yamada
(経済産業省 東北経済産業局長)

昭和33年、東京都生まれ。昭和57年、東京大学法学部卒業。昭和57年、通商産業省入省。平成7年、北海道通商産業局総務企画部総務課長。平成9年、産業政策局博覧会推進室長、国際博覧会事務局(BIE)日本政府代表。平成13年、警察庁交通局高速道路管理室長。平成15年、原子力安全・保安院原子力安全特別調査課長兼訟務室長。平成17年、中小企業庁経営支援部経営支援課長。平成18年、香川県警察本部長。平成20年、中小企業基盤整備機構理事。平成22年、国土交通省観光庁審議官。平成24年より現職。

 「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【社会】に関する様々な「人」をインタビュー。
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とはそもそも何か」を伝えます。


経済産業省東北経済産業局長の山田尚義さんは、
アメリカへの留学、そして経済産業省や警察などの仕事を通じて、
言葉も常識も異なる様々な社会に身を置いてきた経験から、
「社会はあまりに広く、それぞれ社会は皆、違うものだ」と語る。

自分のいるところですら、今まで知らなかった社会が「ある」。
それが「見える」には、自分が本気で突っ込んで、五体を動かし、
本当に何かをやり出して、初めて、理屈でなく肌でわかるという。

「自分がおもしろいと思う分野を、一生懸命突っ込んでみると、
必ずそこから、今まで自分が気づかなかった社会が生まれる。
社会はすごく広いから。すると、社会がどんどん広がっていく」と語る、
山田さんという"人"から見える社会とはそもそも何かを探った。

<目次>
社会は「皆、違うよ」としか言い様がない
その社会で大切にする価値とは何か?をちゃんと見つける
自分の得意分野を伸ばす競争の中で、新たな社会が生まれる
何もしない限り何も起きないが、何かをやれば何かが起きる
何かを始めたら、まずは続けないことには始まらない
五体を動かすことで、今まで見えなかった社会が見えてくる


東北経済産業局長の山田尚義さんに聞く


社会は「皆、違うよ」としか言い様がない

―山田さんがリアルに感じる、社会ってそもそもなんですか?

 難しい質問ですが、「あまりにも広すぎて、答えようがない」。それが私の答えですね。

 これまで私は、いろいろな仕事をしてきました。例えば、「どうやったら、この業界の国際競争力を伸ばせるようになるか」「どうやったら、この地域に多くの企業が来るか」「外国へ行き、日本政府の立場を相手の政府に伝え、また相手の国の人たちに日本を紹介する」「博覧会の準備をする」「警察官になって、人の命や安全を守る役割を果たす」「海外からのお客様を日本にお招きする」といった仕事です。

 その仕事・仕事すべてに別の人たちが生活しています。そして、私とその生活をしている人たちとの接点がそれぞれ皆、違っているわけです。すると、「社会とはなんて広いのだろう」と思います。違う言い方をすると、「職場が変われば、自分が今度入ろうとする社会は別物に決まっている」とずっと思っていました。

 そこには良さと悪さがあるのですね。一つの社会を深く知ることができない悪さが一方でありますが、一方で新しい社会に直面した時に、びっくりするけれども、たじろかない。そんな経験もしています。

 社会の中でもずっと変わらないのは家族や親戚です。何十年間もずっと一緒で変わりません。それが皆、どんどん歳をとっていき、上が欠け、下に新しく追加されていく。その社会は変わりませんが、それ以外は随分、変わっていくところに身を置いていました。

 ですから、「リアルな社会って、そもそも何ですか?」と聞かれても、「皆、違うよ」としか言い様がないですね。


その社会で大切にする価値とは何か?をちゃんと見つける

―では、「そもそも社会とは皆違う」中、どんなことをスタンスとして大切にしていますか?

 まず何に驚くかと言うと、言葉が違うのですね。海外で外国人相手にお話する時、言葉が違うという意味だけでなく、国内で日本人相手にお話している時でも、言葉が違うのです。業界用語、あるいは業界の常識というものが、あるのです。

 その常識は、そこに住む人たちにとっては常識ですから何も言わないのですが、他所からその社会に入った人間にとっては常識ではないので、常識外れのことをしてしまう。時には、意図せずに相手を傷つけてしまうこともあります。

 そんなことをしないよう、その社会で大切にする価値とは何か?を、ちゃんと見られるようにしたいと思いました。その社会・その社会で良いところは何だろう?やってはいけないことは何だろう?を、できるだけ見つけようとしました。そこに気づいたのです。

―具体的なエピソードはありますか?

 例えば、経済産業省で働いている人たちは、いつも議論をします。議論をする中で、地位の偉い人も地位の偉くない人も、若いのも歳を取っているのも、関係ないのです。

 議論は議論だからこそ、相手の議論がよくわからなければ「わからない」と言ったり「その議論は違うのではないか」と言ったり。決まった後も、実は、その通りに動かなかったりする困ったこともありますが(笑)、とにかく議論を大切にします。

 他方、警察という社会は、皆が一致団結して動かなければいけない社会ですから、上の人が命令をしたら、それで皆が動く仕組みになっています。もちろん警察でも様々な検討が必要ですから、そういう時、上司の人は「今は検討の段階だから、様々な意見を聞きたいのですよ」という姿勢を、言葉遣いや口調も含めて、はっきりと示すことが重要です。さもないと「議論」をしているのでなく、「命令が下された」と受け止められてしまいます。そこに文化の違いが現れます。

 ですから、警察にいる時、経産省の人間のように気軽に議論をふっかけると、混乱が生じてしまう。反対に経産省の社会で、警察の社会のように、本当は意見があるのに聞かれるまで黙っていようとすると、それもまた混乱が生じてしまう。

 他にも、例えば博覧会でも、経産省で言うと、多少は危なくとも、おもしろければ良いのですね。けれども警察の社会は、やっぱり安全が一番なんですね。その上で、おもしろさはあっても良い。

 ですから、両方の気持ちで折り合いをつけなければ、楽しい博覧会はできないのですよ。おもしろくて、安全な。その時、両方の気持ちがわかっていると、仕事はしやすいですよね。


自分の得意分野を伸ばす競争の中で、新たな社会が生まれる

―本当は全く違う価値観がすぐ隣にあっても、ずっと同じ社会の中にいると、別の価値観を想像できず、てっきり同じと思って接点をつくろうとすることが、たくさんありそうだなと思いました。

 仰る通り、本当に違うのです。日本国内もそうですし、世界に出ていけば、本当にいろいろな天気があり、いろいろな食物があり、いろいろな言葉があり、従って、いろいろな常識があり。

 まずは、その違いを受け止め、その中の良さを見つけていけば、自分の頭の中の世界が広がるのです。そうする中で、そのうちに、とはいえ、どんな社会でも良いこと・悪いことが見出せるようになる。人は違うんだ。そして、違って良いんだ。それが理屈でなく、肌で感じられるようになると思うのです。

 中学生の段階で言えば、勉強ができる人はそれで立派。スポーツができる人はそれも立派。演劇ができる人はそれも立派。手先が器用な人はそれも立派。どれも、その中で一生懸命やって成果を上げる人は、やはり立派なのだということが、よくわかるかな。

 それから、もう一つ。社会の中でやはり競争はありますから、その中で競争して自分を高めなくてはならないことも、多分わかってくると思うのです。

 運動できる人は立派、勉強できる人は立派、それぞれ別なのですが、だから「私は私だから、それで良いのだ」では、ないのです。私の中で"良いもの"は一生懸命伸ばしていかなければいけない。そう思うのですね。

 "良いもの"という分野で、自分を高めていくこと、あるいは競争していくことが大切です。けれども、それは自分の一部で、自分の全人格ではありません。

 つまり、運動ができる自分は、自分の一部なのですよ。勉強ができない自分も、自分の一部。運動はできるけど、勉強はできない、それを全部あわせて自分なのです。そして、運動のできる自分を、一生懸命伸ばしていく競争は、どこの社会でもあると思います。

 違う言い方をすると、例えば「英語」、あるいは「美術」で、とても他の人と競えないと思うことってあるではないですが。そんな時には、そこで「俺は駄目な人間だ」なんて自分の価値を決めてしまう必要はなく、どこかに自分の得意になりそうな分野、例えば「調理」だったり、「接客」だったり、を自分で見つけ、そこで頑張って活動すると、新たな社会が生まれてくることがあるのですね。

 新たな友達も生まれるし、新たな先生も生まれるし、新たな後輩も生まれる。社会はいっぱいあるから、自分がつくっていけるのですよ。一生懸命やればね。


何もしない限り何も起きないが、何かをやれば何かが起きる

―それは、どんな社会であっても共通のものだと思いますか?

 僕は全部そうでしたね。それを一番最初に強く思ったのは、大学生の時に3ヶ月間、米国に行った時の経験です。こちらが言わない限り、誰も何もしてくれない。けれども、こちらが「ああしたい、こうしたい」と言うと、協力してくれる人がたくさんいる。

 そうやって、こちらから新たに働きかけることで、新たな友だちもいっぱい生まれました。ですから、頭で考えている、あるいは、黙って待っているだけではダメなんだ、動けば何かがあるな、ということをすごく感じました。

 それまでは、そういうことを意識せず、あることはやってみるし、あることはやらないし、でした。けれども米国にいる時は、何もしない限り、何も起きないことに直面し、逆に何かをやれば何かが起きることがわかりました。それが大きいですね。

 そう思って会社に入ると、自分の会社でも、あるいは会社の中の課という小さな社会でも、先輩に聞けば何かあるし、お仕事を一生懸命やると、必ず何かが起こるのです。すると相手の反応が出てきて、今まで知らなかった人ともお友達になっていきます。

 苦手な分野は、あまり動こうとしないじゃないですか。だから、広がらない。でも、しょうがないと思うのです、苦手だから。ただ得意な分野は楽しいはずだから、辛くたって我慢できるはずだから、得意な、好きな分野で一生懸命やれば、広がると思いますね。

 自分が気に入っている分野、あるいは自分が「おもしろい」と思う分野を、一生懸命突っ込んでみると、必ずそこから新しい社会、今まで自分が気づかなかった社会が生まれるのです。社会はすごく広いから。すると、社会がどんどん広がっていく。そうに違いないと感じました。

 社会は本当に広いし、知ることがおもしろいのです。おもしろい時、苦手な分野でやっていこうとしても、どうしても、すくみあがっちゃう。けれども、得意な分野でやれば、本当に広がっていきますよ。苦手な分野でも、広がらざるを得ないのだけど。

―それは得意な分野につられて?

 いやいや(笑)、そうじゃなくて、やらざるを得ないから。けれどもそれは、やっぱり楽しくないからね。


何かを始めたら、まずは続けないことには始まらない

―振り返ってみると、山田さんの得意な分野は何だったと思いますか?

 未だにわからないですね。自分ではわからないけど、振り返ってみると、社会人という面で見た時、いろいろな職業についても、比較的短い時間の中で適応して、ある程度は役に立てる、適応できる能力があるのかもしれません。

 それはなぜかというと、先ほど言ったように、「わからないに決まっているや」と最初から思っているから。驚くけれども、失望はしない。

―もともと違う社会だと思っているから、じゃあ、この社会はどんな価値を大切にしているかを見れる。だから、うまく適応できるということですか?

 そうじゃないかなと思うのです。だって、外国に行く時は、最初から「外国だ」と思うじゃない。

―そもそも「好き」とはどういうことなのかについて、大事だと思うから伺いたいのですが、山田さん自身も最初から「好きなこと、得意なことはこれだ」と明示的に意識していたというより、後から振り返って、いつの間にかそうなっていた、という感じですか?

 そうそう。そういうことでしょうね。私は中学・高校とバスケットボールをやっていたのです。中学校の時、なぜバスケットボールを始めたかと言えば、兄がやっていたから。それだけです。高校は、中学校でバスケットをやっていたから、そのまま続けました。

 大学に行った時、バスケットを辞めたのです。それは「お前の背じゃ、4年生になってもレギュラーやれるかは、ギリギリだよ」と言われて、「それなら厳しいな」と思って辞めたのです。けれども運動は捨てられず、少林寺拳法に移りました。

 じゃあ「好きか?」と言われれば、バスケットボールは好きですけど、大学に入って、レギュラーになれないと思ったら、やらない程度です。じゃあ、入った時にバスケットが好きだったかと言われたら、そういうわけでもない。

 少林寺拳法だって、嫌で嫌でしょうがなかったですが、やっていると、それなりの魅力は出てきます。ですから今でも好きか嫌いかと言えば、よくわからないですね。

 仕事も、そういうことが多くて。毎朝起きる時は「嫌だな」と思うし。けれども職場に着く頃までには、頭はぐるぐる回りだすし。それで仕事が一段落して、皆で打ち上げをするときは、すごく幸せだし。

 というわけで、自分探しとか、自分の好きなもの探しということで言うと、僕は全く失格で。何が好きかなんて、考えることもなく終わってしまったけれども。じゃあ、これまで辿ってきた道を後悔しているかと言えば、後悔はしていないです。

 ですから、もうしばらくすると定年になるのですが、定年後も何をしていくかは、きっと何かをぽっとやってみて、そのうちに何か気に入ったものと、うまくいかないものが、出てくるのではないかなぁ、と思うのですけどね。

―実際にやってみながら自分でしっくりくるかをやっていく感じで、始めから「こうだ」というものではない、ということですね。

 そう思っている時には、全然何もできないです。恐らくどんなものでも、最初しばらくの段階は、嫌に決まっているのですよ。これは運動をやっている人なら皆わかる話で、あるレベルまで行かないと、おもしろくないのです。

 そこで辞めてしまうのはいかん、それだけは僕、骨身に染みているからね。まずは続ける、何かを始めたらね。そうしないことには始まらないし、本当の良さはわからないと思います。


五体を動かすことで、今まで見えなかった社会が見えてくる

―今までのお話を踏まえ、読者の中高生にメッセージをお願いします。

 将来はいろいろな可能性があります。そして誰にでも可能性があると思います。だから、どんなことでもいいから、頭の中で考えるだけでなく、五体を動かしてみましょう。まずは始めて、少し頑張って続けてみる。その中からきっと今までとは違う、新しい喜び、新しいお友達が広がってくると思います。

 身近なところから始めるとしたら、一番よいのは、まず、旅行をしてみて。それも、ツアーじゃなく、一人で全部手配をして旅行をしてみると、否が応でも違う社会に触れなくてはいけないから、それが一つのきっかけになるかもしれません。

 自分のいるところにすら、今まで知らなかった社会が、いっぱい出てくることに気がつくと思うのです。実際に違うのですよ、それが見えていなかっただけで。

 よくありますでしょう?まず、まわりの景色をパッと見てください。はい、眼を閉じます。次に、その中に赤いものがありますから、もう一回見直してください。すると、前と少し光景が変わって見えませんか?気づかなかった赤いものが、見えてきますね。

 そこに「ある」ことと、「見えている」ことは違う、良い例ですね。そこに「ある」ものを、前の自分は「見えて」はいなかった。見えてなかった違いが、自分の意識が変わることで、見えてくる。そこから、新しい社会がどんどん広がっていきます。それが一点目のメッセージです。

 もう一つは、繰り返しになるけれど、五体を使いましょう。ネットの社会もいいけど、やっぱりネットは目でしか見ていないから。やっぱり、手を使って、足を使って、見えるものは、全然違ってきますから。

 なぜかというと、ネットの社会で見ていることは、見えているものしか見えていないから。いわば、自分の今の社会を見ていることと一緒なのです。けれども違うということは、その中に放り込まれて初めてわかるものです。やらされて、感じるものだから。

 つまり、自分が本気で突っ込んで、手足を動かして、本当に何かをやり出せば、今まで見えていなかったものが見えてくる。「ある」ことと「見える」ことは違うのですから。

 そんなことを言ってはおりますが、私も毎日修行中です(笑)。

―山田さん、ありがとうございました。

みやぎ工業会会長の竹渕裕樹さん(東京エレクトロン宮城会長)に聞く:社会って、そもそもなんだろう?

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みやぎ工業会会長の竹渕裕樹さん(東京エレクトロン宮城会長)に聞く:社会って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2013年4月17日公開

絶えず変化するものに、
とらわれていては、おもしろくない

竹渕 裕樹 Hiroki Takebuchi
(みやぎ工業会会長、東京エレクトロン宮城会長)

群馬県出身、東京都立大(現首都大学東京)卒。1978年に東京エレクトロンに入社し常務執行役員を経て、2010年7月から東京エレクトロン宮城会長。2012年6月からみやぎ工業会会長。

 「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【社会】に関する様々な「人」をインタビュー。
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とはそもそも何か」を伝えます。


みやぎ工業会会長の竹渕裕樹さん(東京エレクトロン宮城会長)は、
「社会とは絶えず変化するものだからこそ、とらわれて、
とどまってしまえば、変化していく中に、生きてはいけない。
その変化をどう認識し、どう受け入れ、そこに存在していくかが大切だ」と語る。

社会は変化するものだから、そこにずっと生きていけるよう、自分も努力していく必要がある。
その時に大切なことは「とらわれのない」心であると、竹渕さんは繰り返し強調する。
とらわれてしまっては、変化についていけず、とどまってしまうからだ。

それでは、そもそも「とらわれのない」心とは、努力の為所とは何なのか。
「絶えず変化するものに、とらわれていては、おもしろくない」と語る、
竹渕さんという"人"から見える社会、そして生き方の筋とは何かを探った。

<目次>
存在し続けるためには、変化しないことを願って生きても仕方がない
社会に流される生き方だけじゃなく、社会にいた証明を示したい
好奇心があったから、生き残れた
小さい企業が成長していくプロセスにいたことがラッキーだった
おもしろいことは、そこら辺に転がっている
とらわれのない心でいるが故に恐怖がなくなる
情報化社会による「個人の覚醒」、そして本当の民主主義へ
うまく乗り切れば、日本は非常に高い生産性を維持し再生できる
好奇心を持って、絶望しないで生きて欲しい


みやぎ工業会会長、東京エレクトロン宮城会長の竹渕裕樹さんに聞く


存在し続けるためには、変化しないことを願って生きても仕方がない

―竹渕さんがリアルに感じる社会って、そもそも何ですか?

 非常に難しい質問ですね。よく考えたことはないですが、社会とは、自分が存在している環境そのものではないでしょうか。結局、自分が接するものは、自分の外のものであり、それが絶えず変化している。それが社会なのだろうなぁ、と思います。

 社会とは一人でつくられていないもので、いろいろな相互作用が起こり得るところ。人に限らず、そこにある自然や生物も、社会を構成していますが、刺激という意味で一番多いのは、人だと思います。こうやって宮城に来れば、また同じでなく違う社会です。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明が『方丈記』で言ったように、全く同じに見えても同じでない。1分後は現在ではなく、全て過去になる。絶えず変化している状態が、むしろ普通で、つまり、変化の中にいるわけです。ですから、社会も変わっていくものと捉えておいた方が良いと思います。

―「社会は変わっていくものと捉えておいた方が良い」とは、見方によっては、そう捉えられたり・捉えられなかったりする、という意味ですか?

 僕の場合、「変わっていくことが当たり前だ」と思っていますが、中には「そうではない」「とどまっていたい」と思う人たちもいるかもしれません。

 しかしながら、それはできない現実を直視しなければいけません。自分が社会に"いる"存在である限りはね。存在がなくなれば、とどまっている状態になります。けれども社会にいる存在である限りは、変化の中にいる前提を認識した方が生きやすいと思います。

 僕は、とらわれるのは好きではないのです。「ずっと、こうでなくてはいけない」とか「こういうものだ」とか。それは必ずしも、変化ある時、ずっと通用するものではないでしょう?とらわれてしまっては、変化についていけず、とどまってしまう気がします。

 つまり、社会は変化するものだから、そこにずっと生きていけるように、自分も努力していく必要がある、という気がしますよね。もちろん健全なこだわりは別の話で、プロフェッショナルになろうと高めていく部分は大切だと思います。

―自分と接する外のものは常に変化する存在だからこそ、自分がとどまってしまえば、生きてはいけない、ということですか?

 変わっていく中に、生きてはいけない。ですから、変化する中に"いたい"と言うより、"いなければいけない"。その変化をどう認識し、どう受け入れ、そこに存在していくかが、とても大切なことだと思うのです。

 とどまってしまうと、「社会が悪い」と感じてしまったり、「こんなところにいたくない」と絶望してしまう人もいるかもしれない。自分の思い通りにはならないからです。

 しかし、自分がやろうと思ってできる領域も存在はするものの、全てを自分の思い通りに持っていくことは不可能です。ですから、変化していくことを受け入れておけば、諦めではないですが、達観できる気がするのですよ。絶望せずにね。

 絶望的なことが今、多いじゃないですか。けれども、そう考える必要はないと思うのです。これから先どんなことが起こり得るかもわからないのが、現実です。ですから、変化しないことを願って生きていても仕方がない。存在し続けるためにはね。

 口には出さないけれども、僕はそんなことを感じていると思うのです。


社会に流される生き方だけじゃなく、社会にいた証明を示したい

―昔から自然にそう感じていましたか?それとも、そう感じた転換点がありましたか?

 社会に出て、気がつけば、そう感じていました。では、社会に出るタイミングとはいつか。一つは会社に入ること。いわゆる、自分の選択だけでは生きられないところに入ること。

 学生は、ある程度、自分の選択が自由ですね。けれども会社に入ると、自分の思いや何かだけでは、生きていけない。すごく変化が求められる。いろいろな変化に追従していかなければダメです。そこで「とらわれていても仕方ない」と徐々に思ったのでしょう。

 けれども、社会に流される生き方だけじゃなく、社会の中で自分の存在証明を、アイデンティティを示したい。それは、特別な能力や才能というものではなくともね。せっかく生まれて、せっかく生きているのだから。

 「どうせ人間死んでしまうのだから、別に何もしなくて良いや」では最悪じゃないですか。そんな思いにとらわれてしまってはね。とにかく僕、楽観的に見ることが好きなのです。あまり悲観的に見ても、仕方がないから。とらわれると、止まってしまうから。

 それぞれ自分のやりたいことなり目指したいことなりに、それ自体は変化しても良いけれども、一生懸命取り組んでみる。そういう一種の「こだわり」はやはり必要で、社会にいた証明を示したい。それを持つことが大切だろうと思います。

 でも僕なんかは、何をどう目指せば良いかなんて、中高生の頃は一切考えたことがありませんでした。中高生は思い悩むことがいっぱい。楽しいことをずっと続けていくことが難しかったり。本当に自分のやりたいことで身の立つ人の方が、一般には稀でしょう?

 ただ、どこかのタイミングで気づいて、自然に取り組んでいくようなものができてくるんです。ですから気づけばこうなっていた、というのが僕の経験ですね。

―「気づけば」とはいえ、それは無意識ですか、それとも何かを大切にしてきた結果ですか?

 子どもの頃から一人でいるのが好きだったんです。「仲間がたくさん欲しい」と思ったこともなくて、人と争うことも嫌いでした。孤独になる寂しさは感じたことが少なかったな。男三人兄弟の末っ子で、知らず頼ることもあったけど、割りと独立していました。

 基本的に、疲れることは嫌なんです。疲れるような、無駄なことはしたくない。「それをやったら何かあるの?」と、思っちゃう。楽しいことは好き。楽しくないことは嫌い。ですから、仕事も楽しいと思って、取り組んできました。そんな考え方です。

 ですから自分は、地位や名誉が欲しいと思ったことが、一度もないのです。それが良いか悪いかは、外から見たら、わからないですけれどもね。

―ボキャブラリー不足で恐縮ですが、普通は大人になるにつれ削られるところが、小さな頃から削れていないのが不思議ですね。

 ラッキーだったと思います。もちろん、生きていく中でいろいろなことがありました。企業人としては「甘い」と思われるかもしれません。

 子どもの頃から、「死ぬ」ということがよくわかりませんでした。死んでから魂はどうなるかとか、生まれ変わるのだろうかとか。そんな一種の哲学に、影響を受けているのかもしれません。

 僕は、『般若心経』が好きなんですよ。僅か300字足らずの短いお経で、どの仏教でも読まれているものです。「色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)」(※1)を聞いたことはありませんか?観音菩薩(お釈迦様の修行中の姿)(※2)が悟りを開く過程で、世の中をどう感じていたかを書いたものらしいです。

※1:「色」とは、宇宙のすべての形ある物質のこと。「空」とは、実体がなく空虚であるということ。「即是」とは、二つのものが全く一体不二であること。すべてのものは、永劫不変の実体ではないという、仏教の根本教理で『般若心経』にある言葉。
※2:「如来」とは悟りをひらいた仏様。「菩薩」とは如来になるための修行中の仏様。

 要するに、世の中は絶えず変わっていくし、捉えどころがあるようで、捉えられない。そんな風に書いてあるのです。『般若心経』を見ると、何となく生き方が楽になると言うかね。ボキャブラリーは僕も足りないですが(笑)。感覚で生きていますからね。


好奇心があったから、生き残れた

 自分の人生において、偶然が多いのです。やはり世の中は変化しているから。自分の思うような方向には行かずに、偶然の出来事を繰り返して、今ここにいます。もちろん遡れば「あの時、あれがあったから」というものはありますがね。

 だから、変わってしまうものに対して、柔軟に対応せずに一々とらわれても、その先おもしろくないんじゃないかなぁ?と思うようにしているですよ。

 例えば「宮城なんか行きたくないなぁ」「なんで俺が宮城なんだ?」と思っちゃったら、宮城に来ても、おもしろくないでしょう?(笑)。そうじゃなく、「全然知らないところに行って、おもしろいかもしれないぞ」と思う。人生おもしろいと思って生きた方が、良いじゃない。僕はずっとそんな感じで生きていると、自分では思っています。

 だから、「何も考えなくていいよ」と言われる環境にいたら、何も考えないかもしれないですね。仕事でも、考えなければいけない・やらなければいけない環境がある時は、一生懸命なのだろうけど。やらなくていい時は、やらない。そういう人間なんだね。

 つまり、他人ができることはやらないで、僕がやらないといけないことだけをやる主義。人ができることをやることは、人の仕事を奪うことになるから。自分がやらなきゃいけないことをやらないのでは、単なる給料泥棒だから。

 仕事を変わるのも、極端にこだわって「嫌だ」と思うことは、無かったですね。逆に言えば、3年くらい経つと、飽きちゃうから。「そろそろ変わりたいな」とか「変わったほうがいいな」と思う。

 仕事が来るということは、僕がやった方が良いということだから、それに一生懸命取組む。あとは「ここはこう変えた方が良いな」というところは、そうなるように努力します。

―「たまたま偶然の出来事」に対して「自分にしかやれないことをやる主義」と仰っていました。会社からすると、竹渕さんにしかお願いできないからお願いしていると思うのですが、そこには何があるのでしょうか?

 それが、たまたま転がってきたら、一生懸命やる。やるなら、徹底的にやる。逃げ出すのは、好きじゃないのです。そこは、求めてきました。「今までやってきたこの方法で、本当にいいのか」という疑問は常に持っていました。

 それは好奇心、疑問ですよね。一つのことをそのまま見るのではない。それがあったから生き残れたのかもしれません。それもなく単に流されて来ていたら、ふらふらした単なるおじさんで、こうやってインタビューを受ける立場にもならなかったでしょう。

 つまり、理不尽だと思うことは嫌なのです。自分の関わることでね。自分の関わっていないことは、どうでもいいのです。そこまで突っ込む気持ちはありません。

 ただ、自分の関わることで理不尽だと思うこと、変えた方が良いものは、変えた方が良いなと思う。そんなに大それたことはないのです。あまり大きく考えちゃうと、「あぁ無理だな」と、今度はやらない方が良いと思っちゃうじゃないですか。それは嫌だね。

 なるべく他人に迷惑かけないで生きて行きたいしね。僕を「わがままだ」と言う人はいるけど(笑)。でも他人に迷惑をかけるような生き方ではないと思っています。それだけは、心がけたいな。実は、迷惑をかけているのかもしれないけど(笑)。


小さい企業が成長していくプロセスにいたことがラッキーだった

―「自分の選択だけでは生きられないところに入る」のに、心は死なずに、かつ社会に存在し続ける筋があるのですね。

 僕は自分で「これやらなやきゃ」と思った瞬間がなくてね。ただ、好奇心はあるのですよ。この会社では、好奇心を発揮できる環境が常に用意されていた。と言うより、そんな環境しか無かったのかもしれない。だから、僕は生き長らえてきたのかもしれないね。

 当時、東京エレクトロンという会社はまだ300人くらいの小さな会社で、上場もしていない、いわゆる中堅企業的な感じでした。会社もちょうど変わっていくタイミングだったのだろうけど、社会の変化がすごく速いところで、絶えず会社も変化したのです。

 だから、自分が興味を持つチャンスが、いっぱいあった。やりながら、その中で"遊べていた"わけね。そういう捉え方をすると、これは「おもしろい」となる。もちろん苦しいこともあるよ。でも、そういうチャンスもあったわけです。だから僕も生き残ってこれたんじゃないかな。好奇心はあったからね。

 もし好奇心がなかったら、動物園の餌をもらって生きているだけかもしれない。でも、そういう会社じゃなかったから、結果的に、その変化に対応してきたのだろうね。自分では、そんなに一生懸命やった感じはないのだけど。

―逆にいえば、好奇心を発揮できるチャンスのある環境を、選んだということですか?

 自分で選んではいないのです。ある出会いがあって、たまたま紹介されて、あとで調べたら、「この会社、おもしろそうじゃん」と思って、入ったのです。

―けれども、「おもしろい」と思ったから、入ったわけですよね?

 おもしろくなきゃ、働く気がしないじゃない?本当に最後の最後まで、就職が決まらなかったしね。「一応教授が言うから」とか、「やっぱり就職しなきゃ」と思って試験を受けたこともあるけど。でも、何かがおもしろくない。この会社は拾ってくれたから、有り難かったね。

 なんで皆、そんなに大企業に行きたがるのか、僕にはわからないね。もし僕が大きな会社に行ったら、死んでいたかもしれないね。「何?仕事もできないのに云々」とか言われちゃって。けれども当時は小さな企業で、やらざるを得ない状況だったから。

 繰り返すけど、ラッキーだったんですね、この会社で働いてきたことが。小さい企業が今くらいの規模の企業グループになった過程にいたことが。やっぱり、おもしろいじゃない。

 全く同じことをこれからの人が経験できるかと言えば、そうじゃないかもしれない。だから誰にも通用しないし、そのタイミングにたまたま自分がいた。それが、こんな考え方になったのでしょう。もし違うところにいたら、違ったでしょうね。そういう風に思えるようになるくらい、良い場所だったのではないかな。

 けれども誰にでも、同じようなところがあると思います。個人だからね。自分が少なからず選択しているだろうから。自分の人生は最後、自分で総括するのが大切だという気がするね。他人に総括されるのではなく、自分で総括する。

 他人の評価って、気にはなるけど、そんなのにとらわれる生き方は、僕は好きじゃないから。だから、評価を受けたくて、こうしてきたのではなく、その時々、そういう役割がたまたまあって、ラッキーだった。逆に、単純だったら、辞めていたかもしれないね。

―他人から位置づけられるのでなく、自分でどう位置づけるか、ということですか。

 人間って、自分でどう思うか、だからね。自分の人生を、やっぱり自分で良かったと思って終わりたいものね。それは、自分だけで選択できなかったことも、いっぱいあるだろうから。

 でも、やっぱり運が良かったというのは、いいね。肩の力を抜いて生きていけるような気がする。最後に「こんな人生だったら良かったのになぁ」と思わないで生きたいのよ。ま、そんなところかな。


おもしろいことは、そこら辺に転がっている

 今の社会って、何が起こるかわからないから、おもしろいじゃないですか。絶対に起こらないと思ったことが、いとも簡単に、当然のように起こっているわけです。

 この先、過去の歴史にあったことが繰り返し起こることを、どのように捉えるか。恐怖にとらわれて、活動を止めてしまっても仕方ないじゃないか。つまり地球も宇宙も、生き物だから変わっていく。その中にある社会も当然、変わっていく。

 だからこそ、自分で自分の身は守るくらいの教育をしてあげた方が良いのではないかと思います。今はあまりにも、過保護に守ろう・守ろうという方向に、なり過ぎていると感じます。

―これまで自分が受けてきた教育は、あたかも「変化しないこと」が前提だった印象がありました。けれども実際に、何か自分の前提でやろうとすると、こんなにも社会とは動きがあって柔らかいものだったのかと、最初は大きなギャップに大変驚きました。そこまで前提が違うのなら、それまでの生き方も全然違ったんじゃないかと、ショックを受けたくらいです。だからこそ『宮城の新聞』では、その柔らかさ・多様性を可視化したいと思っています。

 疑問に思わず従順な人間をつくりだそうと、ずっと長い間、教育でやってきたんじゃないかな、という気がしますよね。画一的に、どんどんなっていく。

 でも、僕なんか、すごくそれが嫌いだったからね。なぜ僕がそんなことをやらないといけないんだ、なぜそんなこと言われるんだ、って。だから先生に嫌われました。ただ単にそれが嫌いと言っているのではなく、理由がわからないのが、一番嫌だったのです。

 それでも、おもしろい先生がいましたよ。高校1年生の生物の先生です。いきなり、RNA・DNAとか、僕ら全然知らないわけなのに、自分が興味のある「人間は・・・」と熱心に話す先生、すごいと思いましたね。でも今は、そういう先生がいないでしょう?だって、受験のための勉強なんでしょう?

 社会ってそもそも何だろう?ということを、本当は一番勉強した方が良いのかもしれないね。なぜ勉強するんだろうね、って。非常に哲学的になるかもしれないけど、それをきちんと小学生の頃からディスカッションするような教育が必要ではないでしょうか。

 すると、自分の意見を言える人間をつくることができるのでは、と思います。単なる自己主張の塊のような人じゃなくて。そうじゃないと、つまらないと思うのだけど。

 教育システムを大きく変えた方が、良いのでしょうね。興味を持てば、自然に勉強って、やるじゃない。その必要に迫られるのは、やっぱり自分で大きな体験なり刺激を受けることでしょうね。

―竹渕さんは、小さな頃、どんな体験や刺激がありましたか?

 僕は大学では物理学を専攻しました。なぜ物理学を志したかと言うと、ちょうど僕らが小中学校の頃は、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功したという華々しい時代。とても興味を持ったので、随分、勉強しましたね。

 アポロ11号を飛ばしたロケットの高さ、わかりますか?高さ110メートルもあるんですよ。なぜかと言うと、何十トンもある宇宙船を月に飛ばすため、ほぼ燃料だけのロケット一段目をつくらなければ、地球の引力から離脱して飛び出せないから。それくらい、重力の力ってすごいんだ、と興味を持ったら、体系的ではないけど、勉強するわけです。

 ですから、本当は巨大なチャレンジが必要なんですよね。お金は誰が負担するかの問題はありますが。はやく火星に人類が行って、帰って来て欲しいですね。それくらいのことをしないと、おもしろくないじゃない。今、世の中が停滞しているのは、あまりにも安全を優先し過ぎるあまり、無謀とも言えるチャレンジが少なくなったからではないでしょうか。

 そうやって学者にまでなった人は、本当に偉いなと思います。僕も中学校の頃までは科学に興味があったけど、高校で音楽と出会い、科学への興味はなくなっちゃった。ギターをかき鳴らして歌うことを、高校3年間ずっとやっていました。

 つまり、おもしろいことって、そこら辺に転がっているものですね。それに思い切って自分でチャレンジして、おもしろかった、という感覚が大切なのでしょうね。


とらわれのない心でいるが故に恐怖がなくなる

 僕は、あまり過去にとらわれないようにしているんです。とらわれるのが、嫌いだから。戻れないじゃないですか、過去なんかに。後悔しても仕方ない。ここから先、生きていく上で、反省した方が良いことはあるかもしれないけど。終わったことにはとらわれない、と思うようにしているんです。

―そう意識している、ということですか?

 意識しなきゃいけないことって、あるじゃない。自分で「こうじゃなかったな」と思うタイミングに接することも、あるじゃない。けれどもその時、「そうじゃない、終わったことだ」とすることが、経験として大切だと思うのです。

 もちろん、その先、生きていく上で役立つことはあるかもしれないから、全て捨て去ることはしなくとも良いけれども。ただ、それにとらわれて、うじうじ、そこにとどまることは、したくないなぁ。

 つまり、面倒くさいことが嫌なんですよ。子どもの頃からそうなんです。うじうじ考えて、腹立って云々考えるのが、面倒くさい。だから自然と、こんな人間になったのかな。やらなきゃいけなくなったら、やりますよ、ちゃんと。やらなくて良かったら、やらないですよ。

 たまたまこうなったし、この先、どうなるかもわからないけど。あえて自分で自分の話をしたら、そんなにとらわれてきてないし、とらわれないようにはしよう、としていました。

 とらわれのない心は、先ほどお話した『般若心経』にも「心無罣礙(しんむけいげ)」とあります。「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)」。けいげ(とらわれること)無き心故に、恐怖というものもない。とらわれていると、恐怖になるが、とらわれない心でいるが故に、恐怖がなくなる。そういうことなんですよね。

―自分は起業してからしか社会を意識していないのですが、その7年だけ見ても、社会は「とらわれる」方にバイアスがかかっている感じがします。

 インターネットが普及し始めたのは、ここ10年でしょう。情報過多なんですよね。人間の弱い部分として、他の誰かが言ったことに影響を受ける傾向が、少なからずあるじゃないですか。自分の中で判断できるフィルターがなければ全て信じてしまい、とらわれてしまう。それで、戸惑っているんじゃないか、という気がします。

 それに、希望がない報道が多過ぎますよね。「この会社がダメになった」とか。でも仕事って、いっぱいあるんです。ただ、「この大きな会社じゃなきゃダメだ」と考えているから、何となく絶望して、怖いと思っちゃうところがあるのでしょうね。

 けれども、そんなことはなく、怖いのは昔から変わらないわけです。自然災害も破壊的な戦争も昔からあったわけで、この先もないとは限らない。だから、そんなことにとらわれて、怖がっていても仕方ない。なるようにしかならない。それが大事じゃないかな。


情報化社会による「個人の覚醒」、そして本当の民主主義へ

 価値観の多様性を認めないと言うよりも、見せていないのが悪いよね。「こうでなくてはいけない」となっている。多様な生き方がとりあげられる必要があるでしょう。

 逆に言えば、これからの情報化社会、10年20年たてば、自分で判断できる人間が生まれてくるでしょう。それを「個人の覚醒」と言います。インターネットによって、現在は個人が混乱しているかもしれないが、独立した個人が生まれてくる。そんなネクスト・ジェネレーションが来るでしょう。

 そうなると、世の中は、また違った動きになります。政治も大きく変わるだろうし、政治が変われば、社会も大きく変わる。だから今、問題になっていることは、覚醒した個人が増えることで、問題がなくなるかもしれません。

 今はまだ自分の言葉で喋る人が少ないですが、覚醒した個人が増えれば、ジャーナリズムも変わるでしょう。そのうち、署名入りで発言をしていく。その重さは、大きいですよね。すると世の中、変わると思います。今はその過渡期ですね。

 そのような意味では、これから世の中、もっとおもしろいと思いますよ。「こんな社会にしていこう」、そんな動きを、自分たちでつくっていくのです。

 今は、「つくってもらいたい」と思っている人が多いでしょう?だから今、不満に思っている人たちは、そういう社会のつくられ方を容認していることと同じだから、それが嫌なら、自ら立ち上がらなければいけない。

 今までは、ただ単に、皆の中に入って流されながらという人が多かったけど、やっぱり自分の言葉で発信する人が増えている感じがするものね。

 そんな動きを持つ人たちが中心になって、政治のリーダーシップを持つようになれば、変わると思います。だって、今からインターネットを止めるなんて、できないもん。進化こそすれ、戻ることはない。独裁的に何かをやっていく人は、出にくいでしょう。

 民主主義最大の欠点は、インフォメーション・ディバイド(Information Divide:情報格差)でつくられていました。自分で参画しようと思えばできるのに行けない。でも今は情報化社会によって簡単に行けるようになっています。すると個人が覚醒するチャンスも増えてくるからね。

 本当の意味での民主主義ですね。本当にこれが必要なのか、こう言われているけど本当にいいのか、そんなことを考える人が増えてくるかもしれない。

 ただ、そこで注意しなければいけないのが、アジテート(agitate:扇動すること)して、誘導するものが生まれやすくなります。けれども一方で、それを冷静に見る人も出てくるから、そうなると、やっぱり本当の民主主義なんでしょうね。

 その代わり、自分で選択したことに対する責任をどうとるかは、また別の難しさがあります。そこにとどまることがあると、また、問題ですが。


うまく乗り切れば、日本は非常に高い生産性を維持し再生できる

 それで、あなたは、将来どうなると思うの?

―情報社会のおかげで、これから本当の民主主義に近づいていくと自分も思っています。けれども逆に言えば、今まで以上に、主体的にやれるかどうかで、人間として、ものすごい格差が生まれる時代になると思います。どんどん人間らしさが問われてくるのでは。

 僕は、むしろ格差が無くなるんじゃないかと思っているのですよ。少子高齢化は、全人類が歩んでいく最後の道筋だから。それが、日本は最初に来ているだけであってね。

 食料を確保するために、生きていくために、労働力が必要だから、子どもをつくる。けれども、だんだん生産性が上がり、豊かさがある水準を超えると、子どもが必要なくなって、老人社会になる。だから、だんだん人間の数が少なくなる。そんな現象です。

 昔、『スタートレック』というSFがありました。僕が小中学校の頃の米国のSFで、映画にもなっています。成熟化した星が舞台で、究極的には人間、食べることに困らなくなれば、争い事もなくなり、少ない人間で生活している、という話。

 情報と教育の質が上がれば、ある程度、同じような情報や能力を持った人間の集団になっていく。すると少ないエネルギーで長生きでき、人間は少なくても良い、あとは全部、機械にやってもらう。そんなSF的な世界に、将来なっていくんだろうと思いますね。

 それは今の日本がつくれる世界かもしれないですよ。今の日本は少子高齢化で、経済が発展しない状況にあります。じゃあ、人間を労働力として捉えるのか。あるいは機械でそれを補うのか。もしくは高齢者をもう少し効率的に働かせる形をとるのか。そうやって、生産性を落とさずにいければ、ある程度、経済は発展していくことができます。

 例えば農業だって、今は生産性が低いですが、少ない人数でもって、それを上げるようなことをしていく。そういうモデルをつくれれば、地球がその方向に向かっていく中で、先取りができます。

 人口ピラミッドの形も、あと30年くらいで我々・団塊の世代が死んでしまえば、一気にあの山が消え、真っ直ぐな形になります。間違いなく、いなくなるわけですから。これを乗り切ると、後はすごく楽で、多少は人が関わることが少なくなるかもしれないけど、一人あたりの生産性は上がる社会になると思います。

 ですから、いたずらに移民を増やし、今の人口構造を維持しようとすることが本当に良いかは、議論の余地があるでしょう。現在、ヨーロッパで起こっている問題は、多分そうではないですか。移民をたくさん入れたけど、思ったより生産性が上がっていない。一方、移民をあまり入れていないベルギーでは、一人当たりのGDPが世界最高クラスです。その代わり、国の単位で見ると、規模は小さいです。

 ですから日本は、生産性を上げ、そこをなんとかうまく乗り切ると、非常に高い生産性を維持した形で、再生できると思うのです。そこで培った技術を、今度は他の国々に売る。日本は、住んでもらわなくてもいいけど、遊びに来てね、という国にする。

 また全然別の話になっちゃったけど、そういうことは、若い人たちに聞いてみたり、話をさせてみて、想像させてみるのが良いかもしれないね。僕らの時代、情報が少なかったから、なんとなく夢があったけれど、今は超現実しか言わないから。やっぱり夢を大きく語ると言うか、見せていく。新しいもの、難しいものに、チャレンジしないと、社会の進歩がないからね。


好奇心を持ち、将来は明るいと考えて生きて欲しい

―最後に、今までのお話を踏まえて中高生へのメッセージをお願いします。

 やっぱり、好奇心だよね。自分の身のまわりにあることでも、世の中のことでも良い。自分の興味のあることに「なんでだろう?」と思う好奇心を持って欲しいですね。そして、将来は明るいと考えて生きて欲しいです。だから、絶望する必要はない。

 「夢を持ちなさい」と言うと、僕、不遜だからね。自分で持ったことも、無いしさ(笑)。皆、一応言わないといけないから、言うけれども。でも僕は、あなたに言われる筋合いは無いよな、と思うのよ。

 ただ、絶望しないで欲しい。世の中、色々なことが起こって、大変なことばかりのような気もするかもしれないけど、そんなことは決してなくてね。そもそも色々なことが起こって、変わっていくものだから、希望を捨てることもない。

 自分が生きていく人生、歩んでいくところが素晴らしいところだと、思い続けて欲しいです。

―竹渕さん、本日は長い時間、どうもありがとうございました。

なぜ寒い冬や暑い夏になるの?天文台で海洋物理学者が講演

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なぜ寒い冬や暑い夏に?天文台で海洋物理学者が講演

2013年5月8日公開

20日に行われた「おもしろサイエンス講演会」のようす=仙台市天文台(仙台市青葉区)

 仙台市天文台で20日、地球環境について考える日「アースデイ」(4月22日)にちなんだ講演会が行われ、エルニーニョ現象などの研究で知られる海洋物理学者の花輪公雄さん(東北大学理事)が、「寒い冬や暑い夏にどうしてなるの?」と題して講演した。

 講演会では、台長の土佐誠さんが「地球という星で何が起こっているか、ぜひ考えてみて」と挨拶。続いて花輪さんが「天候や気候を左右する大きな要因の一つは、実は、海の状態の変化なのです」と話し、赤道域の海の温度の変化(エルニーニョ/ラニーニャ)が、遠く離れた日本の天候や気候にどう影響するかについて解説した。

 エルニーニョ/ラニーニャとは、太平洋西部の赤道域の暖水が移動する現象である。暖水が十分に西側に寄っている状態がラニーニャで、本来は冷たいはずの東部に暖水が移動した状態がエルニーニョだ。エルニーニョとラニーニャは、おおむね数年おきに繰り返し発生することが知られている。

 大気は気体であり、海は液体であるため、すぐに変わってしまう大気に比べて、海の状態はめったに変わらない。しかし、いったん変われば、大気と海は相互に作用し合い、気候にも大きな影響を与えるという。

テレコネクション・パターンとエルニーニョの関係について説明する花輪さん

 海は大気の1000倍もの熱量を蓄えており、エルニーニョは、大気を温める熱源の移動とみなすことができる。赤道域での局所的な暖水の移動は、上空で高気圧と低気圧が波のように連なる大規模な大気のパターン「テレコネクション・パターン※」を発生させ、世界中の天候や気候に大きな影響を及ぼすことが説明された。

 テレコネクション・パターンの出現により、日本付近上空が高気圧性循環に覆われるか、低気圧性循環に覆われるかが変わり、暑い夏になったり、寒い冬になったりするという。しかし、テレコネクション・パターンは、十数例発見されているものの、どの条件下で発生しているかは、まだ解明されていない。

 講演では、エルニーニョやラニーニャの発生を監視している国際計画についても紹介された。最後に花輪さんは「冬や夏の天候を変調させているのは、エルニーニョやラニーニャなどの海の現象。海を知らずして、天候や気候は語れない」とまとめた。

※ テレコネクション(teleconnection):遠く離れた地点の天候が同期して変動している現象を指す。テレは「遠く離れた」という接頭語、コネクションとは「結びつき」という意味。遠隔結合、遠隔連結とも訳される。


講演した花輪公雄さんの話
 「自然現象の背景におもしろい仕組み/疑問を持って幅広く見て」

花輪公雄さん(東北大学理事)

―改めて、今回の講演で最も伝えたかったことは何ですか?

 私たちは大気の中で生きているので、大気が変わっていることは実感できます。では、なぜ大気が変わるのか?その本質を見ていくと、実は、海が非常に大切なことがわかります。海の変動が非常に大きく関与して、天候や気候を変えていることを、伝えたかったのです。

―「寒い冬や暑い夏にどうしてなるの?」と、私も不思議に思っていました。

 特に今年は、気象庁が昨年11月、暖冬予測から一転、低温傾向に3ヶ月予報を修正しました。なぜ急に変えたんだろう?と皆さん思ったわけです。長期予報はどの国でもなかなか難しいのですが、ご存知の通り、今年の冬は非常に寒く、気象庁は今回見事にぴったり当ててしまったのです(笑)。その理由は「エルニーニョの終息」と新聞にも書いてありました。そこで今回はそれをネタにしようと思ったのがきっかけです。

―エルニーニョと異常気象の因果関係がよくわからず、とにかく「困ったらエルニーニョ」と言っているんだとさえ思っていたので、今回、海洋と大気の関係について伺えて、よかったです。

 テレコネクション・パターンの研究は、エルニーニョの研究とパラレル(並列)で行われています。最初は全くわからなかったのですが、調べていくと、それらが結びついていることがだんだんわかってきました。

 今回はお話しませんでしたが、大気の方では「南方振動」といって、太平洋赤道域の西と東で観測される気圧の平年からのずれが、片方で高まればもう片方では低くなるシーソーのような関係で上下する現象を、英国人でインド気象局長官ウォーカーが1930年台に発見しました。南の方の振動なので、南方振動といいます(実は、北方振動もあります)。

 そして実は、この南方振動はエルニーニョと同じ現象の大気の部分を見ているとわかったのが、ここ20~30年の動きなのです。つまり、大気と海が、実は一つの現象をつくっていた。そのうち、海だけを見るとエルニーニョだし、大気だけを見ると南方振動なのです。

 さらに、テレコネクションという概念が導入されました。例えば、川の下に石ころがあると、こう(川の水が)乗り上げていきますが、それと同じことなんですよ。石ころが下からの熱とすると、あるところでどんどん暖めてやると凸となり、次は凹となって、高いところと低いところができる。これが高気圧と低気圧のつながりになっている、それがテレコネクションです。

 ただ、あるテレコネクション・パターンはエルニーニョで励起されることがわかっていますが、他のテレコネクション・パターンについてはエルニーニョと関係がないのもあり、なぜ励起されるかは未だにわかっていないのです。気象の研究者も非常に手こずっていますね。

―「エルニーニョ」という用語はよく聞きますが、大気と海洋の相互作用はとても複雑な現象なのですね。

 我々も数年前に、一つひとつのエルニーニョに対して、どんなテレコネクション・パターンが出ているかを調べたのです。海面水温の偏差の分布が違うんじゃない?とか、いろいろな観点で調べたつもりなのですが、もう複雑でね、未だに謎です。1985年頃から現在もなお国際計画で研究していますが、全貌がまだわかっているわけではないのです。

―最後に、身のまわりの自然現象を見る時、どのようなことを心がけるとおもしろいでしょうか。アドバイスをお願いします。

 「暖かい」「寒い」だけでなく、「なぜ?」「どうして?」といつも疑問を持ち、幅広くものごとを見ることが大切だと思います。本日の講演でも、日本の天候と、遠く離れた赤道域の現象が絡んでいるお話をしましたが、幅広く見ると、おもしろいと思いますよ。自然で起こっている現象の裏には、非常におもしろい色々な仕組みが隠されています。ぜひ興味を持って見ていただきたいですね。

―花輪さん、ありがとうございました。

KDDI復興支援室×宮城の新聞インタビュー♯001 東北大学理事(震災復興推進担当)の原信義さんに聞く

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KDDI復興支援室×宮城の新聞インタビュー「東北復興の今、そして日本の未来の形」♯001東北大学理事(震災復興推進担当)の原信義さんに聞く 取材・写真・文/大草芳江

2013年5月9日公開

東北復興、ひいては日本再生の先導を目指す、
歴史的使命がある。

原 信義  Nobuyoshi Hara
(東北大学理事(震災復興推進担当))

1951年生まれ、工学博士(東北大学)。1975年、東北大学工学部卒。1977年、東北大学工学研究科修了。1977-1990年、東北大学助手。1990-2003年、東北大学助教授。2003年-東北大学教授(大学院工学研究科 知能デバイス材料学専攻 材料電子化学講座)。

KDDI復興支援室×「宮城の新聞」コラボレーション連載 ♯001
~東北復興の今、そして日本の未来の形を探るべく、復旧・復興に携わる「人」に聞くシリーズ~


東日本大震災の被災地域の中心にある総合大学として、
東北復興、ひいては日本再生の先導を目指す、東北大学。

震災直後の同学教職員による自主的な復旧・復興活動をベースに、
震災発生から約1か月後には「東北大学災害復興新生研究機構」を
立ち上げ、大学一体となって復興プロジェクトに取り組んでいる。

復興に取り組む中で見えてきた今、そして未来の姿とは何か。
東北大学理事(震災復興推進担当)の原信義さんに聞いた。

<目次>
大学に何ができるか。震災直後の東北大学の取り組み
①災害科学国際研究推進プロジェクト/文理融合型の世界的な災害科学研究の拠点へ
②地域医療再構築プロジェクト/東北を医療過疎地から医療最先端地域へ
③環境エネルギープロジェクト/次世代エネルギーによる災害に強いまちづくり
④情報通信再構築プロジェクト/東日本大震災で明らかになった情報通信の課題解決
⑤東北マリンサイエンスプロジェクト/地震・津波で海の環境や生態系はどう変化したのか
⑥放射性物質汚染対策プロジェクト/放射線被害の最小化へむけて
⑦地域産業復興支援プロジェクト/新しい産業をつくらなければ本当の復興にはならない
⑧復興産学連携推進プロジェクト/被災地企業と産学連携で研究成果を地域に還元
復興アクション100+
誰も取り組んだことのないことに取り組むということ
行政の手が届かない領域を大学が壁を越えて前へ
科学技術の進歩だけでは解決できない問題がある
創造的な未来へ


東北大学理事(震災復興推進担当)の原信義さんに聞く



Q. まず、東北大学として震災復興に取り組んだ経緯について教えてください。


大学に何ができるか。震災直後の東北大学の取り組み

◆東日本大震災で東北大学の被害800億円弱
 東日本大震災で、東北大学は非常に大きなダメージを受けました。学生は春休み中ということもあり、キャンパス内で亡くなったり怪我をしたりする人はほとんどいませんでしたが、帰省中の学生や新しく入学予定だった方3名が、津波で亡くなりました。また、建物と研究設備に大きな被害がありました。特に、青葉山キャンパスエリア(工学部・理学部・薬学部)一帯が非常に大きな被害を受けました。工学研究科では3つの建物が使用不可能となり、理学研究科の建物では火災が発生するなどの建物被害がありました。研究設備は約6000台の装置が壊れました。金額にして、建物と研究設備で800億円弱の被害です。

東北大学病院は、災害直後から被災地市町村と連携し、患者の受入れを行った(c)東北大学

◆震災直後の教職員による復旧・復興活動
 そんな中、震災直後から東北大学の先生方が、それぞれの専門分野で災害からの復旧・復興に貢献しようと、現地へ飛び出しました。例えば、大学病院は、被災地への医療物資の搬送、医師の派遣、患者の受入れ・搬送などを行ったり。地震や津波の専門家は、現地調査を行って情報発信をしたり。ロボットの専門家は、ガレキの上を移動できるロボットを使って貢献したり。放射線の専門家は、原発事故直後から福島にセンターをつくり放射線量を計測したり。いろいろな場所で多様な活動が行われました。このような取り組みの多くは、それぞれの先生方が個人あるいはグループとして行ったものでした。

◆東北大学は震災復興の先頭を走る歴史的使命がある
 大学全体として、復興へ向けた取り組みが必要ではないか、ということで、震災発生から1か月後の2011年4月、「東北大学災害復興新生研究機構」を立ち上げました。国や被災地域の県・市町村、関連するさまざまな機関や企業と話し合いながら、東北の復旧でなく復興のため、東北大学として何ができるかを検討したのです。東北大学は、東日本大震災の被災地域の中心に位置し、しかも唯一といえる総合大学ですから、復旧・復興に関係する学問・研究分野を全てカバーできます。そのような意味で、東日本大震災からの復興に対し、東北大学は先頭を走る歴史的使命があるのではないか。それが、私たちの一致した想いだったのです。

◆8つのプロジェクトと復興アクション100+
 その結果、8つの大型プロジェクトを計画しました。震災の年の2011年秋から国に支援していただいて始動したプロジェクトもありますが、多くは2012年春にスタートしました。今、8プロジェクトすべてが走り出しています。この他にも、東北大学の先生方がそれぞれ自主的に行っている活動が、2011年夏に集計した段階で、100以上ありました。それらをまとめて、「復興アクション100+(プラス)」と呼んでいます。大学全体の取り組みは、「8つのプロジェクトと復興アクション100+」に集約されています。


Q. 震災復興に対する取り組みについて、具体的にご紹介ください。


①災害科学国際研究推進プロジェクト
/文理融合型の世界的な災害科学研究の拠点へ

 今更申し上げるまでもなく、今回の震災は人類史上かつてない形の災害です。特に日本は、これまで繰り返し地震と津波の被害を受けてきました。しかし今回は、原子力発電所の事故という今から50年過去にさかのぼれば起こり得ないような事故が、自然災害に誘引されて起こった複合的な災害であり、まさに人類史上経験したことがないものとなりました。東日本大震災での経験と教訓を次へと繋ぎ、また確実に起こり得る大災害を、いかに防ぎ、被害を最小限におさえるか。それをきちんと科学としてやっていかなければなりません。

災害科学国際研究所のロゴマーク(c)東北大学

◆68年ぶりの研究所新設/災害科学国際研究所
 具体的には、その実施のため「災害科学国際研究所」(IRIDeS:International Research Institute of Disaster Science)を新設。IRIDeS(イリディス)はアイリス(あやめ)の複数形で、ロゴマークはあやめの花の形なのですが、上下逆さまにして見てみてください。「災(わざわい)」という字に見えませんか?「災い転じて、災害に賢く対応できる社会に変えていく」という決意を表しているのです。これまで東北大学として研究所の再編・統合はありましたが、完全に新しい研究所をつくったのは、68年ぶりのこと。この研究所の新設が、大変重要性があるということだと思います。

◆理学・工学だけでなく人文科学・社会科学や医学も
 日本には、既に東京大学地震研究所や京都大学防災研究所など災害を研究する研究所がありますが、IRIDeSの特徴は、理学・工学だけでなく、人文科学・社会科学や医学の分野の研究者も参加している点です。「文理融合型」の災害研究機関は、恐らくIRIDeSが唯一でしょう。特に地震・津波の発生に関しては、現在の理学・工学の力だけでは予想ができません。規模や周期などについては、歴史学の力を借りることも重要です。例えば、約1100年前に、東日本大震災と同じような場所・規模の地震と津波があったことは、地質分析などで科学的にはわかっています(貞観地震)。一方で、歴史的な記録に地震や津波のことが書かれていたり、古くからある神社やお寺の名前が災害に由来していたりすることもあります。これらを総合的に考える必要があるため、人文科学の分野が一緒なのです。また、被災地の状況にすばやく対応できる災害医療を研究するため、医学の分野もあります。

◆災害の記録を次の世代に伝える
 この他、災害の記録を次の世代に伝えるアーカイブ事業「みちのく震録伝」に取り組んでいます。アーカイブ事業は全国いろいろな形で行われており、総合的には、誰かがまとめる形になるでしょう。皆それぞれの想いで取り組んだものを、全体の記録として残すことをしようと、東北大学が中心となって取り組んでいます。

2012年5月、災害科学国際研究所(IRIDeS)開所式(c)東北大学

◆災害科学の世界的拠点へ
 日本の災害科学の研究成果を、日本の今後の防災・減災につなげることは当然のことながら、「国際」と名をつけた通り、同時に国際展開を重視する点が、もう一つの需要なポイントです。日本で起きるようなタイプの災害は他の国ではあまりないかもしれませんが、防災・減災という点では自然災害に対する方法があるわけですから、皆で共有しなければなりません。そこで様々な国内外機関と連携しながら災害科学の研究を進めています。2013年の4月からは、環太平洋の大学連盟APRU (The Association of Pacific Rim Universities : 環太平洋大学協会)の自然災害に関する研究の中核をIRIDeSが担っています。

 このように国際展開を重視しながら、かつ防災・減災は国民一人ひとりのためのものですので、国民と密接に繋がるような活動も、一方で非常に強く意識しています。例えば、学校で防災についての授業を行ったり、市や町の避難訓練に協力したり。大変欲張りな取り組みですが(笑)、恐らくこのような形態で取り組めるのは私たち東北大学だけではないかと思っています。IRIDeSには、80名程の研究者がおり、約100の研究プロジェクトが動いています。


②地域医療再構築プロジェクト
/東北を医療過疎地から医療最先端地域へ

 もともと東北の沿岸地域は「医療過疎地」で、病院が少なく、医師や看護師などの医療関係者の不足も深刻な問題となっていました。そんな中、今回の津波で、病院も流され、医療関係者も地域を離れ、放っておけば地域医療が完全に崩壊しそうな状況でした。そこで地域医療を何とか立て直そうと、次の(1)(2)の取り組みをしています。

(1)総合地域医療研修センター

総合地域医療研修センターでは、シミュレーターを使った各種医療技術トレーニングを行っている(c)東北大学

◆被災地の地域医療・災害医療を担う人材を育成
 一つ目の柱である「総合地域医療研修センター」では、東北大学病院や医学部等で被災地から医療関係者を受け入れ、再教育を行い、地域に戻って地域医療を担っていただく取り組みを行っています。具体的には、東北大学に「クリニカルスキルスラボ」というトレーニングセンターをつくり、シミュレーターを使った医療技術トレーニングを行っています。また、学生にも災害医療や地域医療を経験してもらおうと、学生を被災地域の病院に派遣する体験実習も実施しています。さらに、被災地の医療機関への支援を強化しようと、東北大学病院が中心となって「地域医療復興センター」を新設。医師が足りない地域への医師派遣の調整や、地域医療に関心のある若手医師の育成等、地域の医療に携わる人材を確保するための仕組みをつくっています。

(2)東北メディカル・メガバンク機構

2012年9月、東北大学は、東北メディカル・メガバンク事業について、宮城県と協力協定を締結した(c)東北大学

◆被災地への循環型の医師支援システム
 もう一つの柱、「東北メディカル・メガバンク機構」の目的も、地域医療の再構築です。そのために地域医療を支える循環型の医師支援システムをつくりました。勤務している病院からの医師派遣は一方通行になりがちです。そこで、医師を循環させるために、現在行っているのが、「ToMMoクリニカル・フェロー」を任命する循環型医師支援制度です。3人の医師でチームをつくり、交代で1年にわたって地域医療の支援に当たります。医師1人につき、1年の中で8カ月間は大学で研究を行い、残り4カ月間は被災地の医療機関で診療に当たる、それを3人の医師でローテーションする仕組みです。若手の医師は、研究への興味も強いですから、大学で研究を行うことで、彼らのやる気を高めることができます。

◆「個別化医療・予防」のためのバイオバンク事業
 では、そこで何を研究するかですが、東北の震災復興に役立つ研究をしようと、被災地住民に対する15万人規模の「バイオバンク事業」を行います。一つ例をあげると、子ども・両親・祖父母の親子三世代の遺伝情報と診療情報等を長期間継続して調査し、遺伝情報と環境要因と病気の関係性を解析します。その結果をデータベース化することで、将来的にはある人がどのような病気にかかりやすいのかがわかるようになります。また、病気の発症は遺伝だけでなく環境要因が大きく働きますので、環境要因を抑えることで病気の予防もできます。つまり、個別化医療・個別化予防が可能になるのです。これほど大規模な調査は、海外では事例がありますが、まだ日本では行われたことはありません。

 要するに、被災地で医療を立て直すのはもちろん非常に重要ですが、同時に、東北発の新しい医療を生み出したいのです。被災地の人たちが最初に最先端の医療を受けることができます。そのためには被災地域の住民の方の協力なしにはできません。住民の方の血液や情報を頂いて行う事業になりますから。その人たちがどのような病気にかかるかに関係しているので、健康診断をやりながら、調査を行います。つまり、この活動そのものが医療活動の一部であり、長期にわたって住民の健康調査をしながら行っていきますので、住民の方にとっても役立つ調査です。東北が最初に健康な地域になろう、ということです。

◆カルテの電子化・情報ネットワーク化
 東日本大震災では、津波で紙のカルテが流されたため、被災地で医療行為ができず、非常に大変でした。そこで、東北メディカル・メガバンク機構の事業の一つとして、カルテを電子化し、病院同士を情報ネットワークで結ぶ宮城県の事業のサポートも行っています。


③環境エネルギープロジェクト
/次世代エネルギーによる災害に強いまちづくり

 今回の原子力発電所の問題もあり、次世代のエネルギー研究開発が非常に需要です。この環境エネルギープロジェクトでは、東京大学や筑波大学の協力を得ながら、次の3つの研究課題に取り組みます。

◆【課題1】波や潮流の力を利用する海洋発電
一つ目の課題が、三陸海岸へ導入可能な波力(岩手県久慈市)と潮力(宮城県塩釜市)の海洋再生可能エネルギーの研究開発です。東京大学の生産技術研究所が中心となって昨年から研究が始まり、今年は海での実証試験が始まる予定です。

◆【課題2】植物プランクトンから油をつくる
 2つ目の課題が、微細藻類と呼ばれる植物プランクトンからエネルギーをつくる研究開発です。本研究に関して有名な筑波大学の研究者と、東北大学の先生が協力して行っています。実証試験は、津波で壊滅的な被害を受けた蒲生(仙台市)の下水処理場で行います。目標は、下水処理水を使って油をつくることです。

◆【課題3】地域特産エネルギー+電気自動車
 3つ目の課題は、東北大学が中心になって取り組む、再生可能エネルギーを中心とし、人・車等の移動を加えた都市の総合的なエネルギー管理システム構築のための研究開発です。エネルギーのやりくりと人・物の流れのやりくりをうまくやりましょう、普段から使えて、災害時にはスイッチひとつで災害モードになるシステムをつくりましょう、というものです。
 エネルギーに関しては、地域特有のエネルギーを使います。例えば、宮城県大崎市は有名な鳴子温泉のある穀倉地域です。そこで温泉熱による発電やバイオマスのエネルギー利用を研究している東北大学の先生がいます。このような地域特産エネルギーを上手く使って、電気自動車などにエネルギーを供給する。電気自動車は蓄電池を積んでいますので、平時は電気自動車にエネルギーを供給して人を運び、災害時は電気自動車が電気を運ぶ。そんなエネルギーを管理するシステムをつくっていきましょう、という災害に強い、新しいまちづくりのためのエネルギー研究です。


④情報通信再構築プロジェクト
/震災で明らかになった情報通信の問題解決

◆災害に強い情報通信技術の仕組みづくり
 震災の時は、なかなか携帯電話がつながらず、全く情報が得られないなど、情報通信技術の弱さが明らかになりました。そこで、情報通信の仕組みを災害に強いものにしようという研究に取り組んでいます。東北大学は日本唯一である通信関係の研究所を持つのが特徴ですが、その電気通信研究所が中心となり、独立行政法人情報通信研究機構、民間の通信会社であるKDDIやNTT、製造メーカー等が連携しながら、研究を進めています。もし次に災害が起こって停電しても、携帯電話に電池さえあれば、何も問題なく電話がつながるよう、研究開発を頑張っています。


⑤東北マリンサイエンスプロジェクト
/地震・津波で海の環境や生態系はどう変化したか

東北大学の調査実習船「翠皓」による定期環境調査を行っている(c)東北大学

◆海洋生態系の変化の調査研究と水産業復興
 主に津波によって、海洋の生態系が大きな影響を受けました。海洋の生態系の変化は、水産業の復興に影響しますが、海洋の環境や生態系がどう変化したかは全く不明な状況でした。このプロジェクトでは、今回の震災の地震と津波で海がどのように変化し、それに対して生態系がどのように変化するか、調査研究を行います。
 科学的にも非常に興味深い調査ですが、一方で漁師の方や水産加工業者などの水産業者にとっては、海は今どうなっているかが非常に重要な問題です。そのため、漁場環境の分析調査を定期的に行い、漁業関係者への情報発信も同時に行っています。基本的には生態系の調査研究なのですが、「養殖の方法をこう変えた方が良いのでは」など、水産業の復興に役立つ提案も行いながら進めています。特に、宮城県の亘理辺りでは、ホッキ貝猟のエリアにガレキがあるのですが、宮城県が調査しているのはさらに沖合なので、東北大学がその隙間を埋める形で調査しています。


⑥放射性物質汚染対策プロジェクト
/放射線被害の最小化へむけて

 福島原発事故によって汚染された生活環境の復旧・復興を目指し、除染や放射性物質の検出技術の開発と食品の汚染測定への応用を、東北大学の技術を活用しながら行っています。

宮城県丸森町の小学校校庭での除染作業のようす(c)東北大学

◆魚や野菜切り刻むことなく短時間で放射能検査
 放射性物質によって汚染された生活環境の復旧技術の開発では、新しい除染方法の研究をしています。例えば、食品の放射能検査では、これまでサンプルを切り刻んで、時間も長くかける必要がありました。東北大学の先生が、野菜や魚を切り刻むことなくそのまま短時間で検査できる、放射能測定器をつくりました。機器は、宮城県石巻漁港と福島市の放射線モニタリングセンターに設置され、一般市民に解放されています。まもなく、ベルトコンベアに魚などを載せて連続的に測定ができる装置が完成予定です。風評被害をなんとか取り除くための研究開発プロジェクトです。

◆生物への放射性物質の影響を研究
 被災動物の包括的線量評価というプロジェクトでは、生物への放射性物質の影響を調べています。福島第一原発の周辺で殺処分された牛や豚の臓器や血液を取り出し、周辺の植物や土と一緒に、冷凍保存して、それを順次分析しています。例えば、血液中のセシウム濃度と、臓器中のセシウム濃度の関係を調べたり、母牛と子牛の放射線の蓄積の違いを調べたり。すると、生きている牛や豚に関しても、血液の中のセシウム濃度を測れば、臓器にどれくらいセシウム濃度があるかが比例関係でわかります。また、セシウムが体のどの部分に溜まりやすいかなども、わかってきました。それを今度は人間に活かすわけです。いずれにせよ、原発事故があった今だからこそやらなければいけない調査であり、結果を次世代に残していかなければならない仕事です。


⑦地域産業復興支援プロジェクト
/新しい産業をつくらなければ本当の復興にはならない

◆東北発イノベーションを起こす人材を育成
 やはり今まで無かったものを今回つくらなければ、本当の復興にはなりません。建物や道路といったハードウェアは、非常に時間はかかるものの、いずれは何とか元に戻るでしょう。しかしながら、そこに産業がなければ人は戻ってこられないのです。とにかく雇用を生み出すような新しいビジネスをつくっていかなければ、本当の復興にはならない。そんな想いで取り組むのが、復興を継続的に支援するための調査研究活動と人材育成です。

地域イノベーションプロデューサー塾の入塾式のようす(2012年5月)(c)東北大学

 調査研究では、アンケート調査などを実施してまとめると同時に、産業復興に対する提言を行っています。また人材育成では、東北発のイノベーション(革新)を起こす人材を育成しようと、経済学研究科の先生方が中心となって「地域イノベーションプロデューサー塾」という人材育成事業に取り組んでいます。昨年の試行的開講では12人が受講し、今秋から本格的に開講。東北大学で30人、岩手県花巻市と福島県会津若松市のサテライトで5人ずつ、計40人の塾生を募集します。塾生には新しいビジネスのプロジェクトを計画してもらい、良いアイディアで実現可能な計画ができれば、その計画に対して資金援助が得られるでしょう。銀行がお金を貸してくれるかはなかなか難しいですが、活動を見たある団体から、実際に資金援助の申し出も出ています。


⑧復興産学連携推進プロジェクト
/被災地企業と産学連携で研究成果を地域に還元


 東北大学の理念の1つに、「実学尊重」があります。その理念に基づき、大学で開発した新しい研究成果を社会に還元しようと、これまでも産学官連携を積極的に行ってきました。その復興バージョンです。特に地域を意識しながら取り組む産学連携で、被災地の企業と連携しながら、地域経済が活性化するように国などの支援を活用して取り組んでいます。

復興アクション100+

菜の花プロジェクトのようす(2012年5月)(c)東北大学

◆津波塩害のための菜の花プロジェクト
 教職員が自主的に取り組む復興支援プロジェクト「復興アクション100+」の一部もご紹介します。「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」(農学研究科)では、東北大学が持つ世界唯一のアブラナ科作物の「ジーン(種)・バンク」から、塩害に強い品種を選び、仙台市の農業園芸センター等に植えました。地表面に積もったヘドロを取り除いて表土を露出させれば、津波をかぶり、他の作物が育たないような塩分の強い土でも、菜の花が育つのです。今年もそろそろ花が咲く頃で、4月下旬には実際に菜の花を植えている畑の見学会を行います。現在はさらに、なたねから取れる油で、バイオディーゼル燃料をつくり、発電しようという計画も出てきました。放射線被害のあった南相馬市でも菜の花を植えています。全国的に複数の団体が関わっている大きなプロジェクトです。このほか、子ども向けの心のケアを行う「震災子ども支援室 S-チル」(教育学研究科)など、様々な活動が行われています。


Q. 震災復興への取り組みを行う中で、見えてきた現状や問題点とは何ですか?


誰も取り組んだことのないことに取り組むということ

 一部は震災直後からスタートしたプロジェクトもありますが、プロジェクトが本格的に始動したのが昨年の春から、多くのプロジェクトは秋以降のスタートです。もう少し経てばこれから問題も出てくるかとは思いますが、実際は多くが始動してまだ半年ですので、現時点ではまだ問題に遭遇している状態ではありません。

 一方、先ほど申し上げた「東北メディカル・メガバンク機構」のバイオバンク事業など、もともとの課題を解決しなければ進めないプロジェクトもあります。これを実施するには当然、住民の方から血液や情報をいただいて研究する必要があるわけです。個人情報の扱い方や倫理の問題など、今まで誰も取り組んだことのないことを全て決めていかなければできない事業ですから、このような難しい課題を一つ一つ解決していかなければなりません。こういうことは法律だけ作って適用しても、恐らくうまくはいかないものです。

 しかし逆に言えば、それらの課題がきちんと解決できれば、日本全国に展開できるようになるため、日本は一気にゲノム調査の先進国になれます。では、それをどうすればできるかを、私たちが実践・検証しながらつくっているのです。

―ゲノム調査は、倫理の問題など様々な問題があるためになかなか踏み込めない現状があるということですが、それが今回の震災をきっかけに踏み込める、ということですか?

 先ほど申し上げたように、個人情報や倫理の観点から、日本では、これまで大規模なゲノム調査に、なかなか踏み出せなかったのです。今回の震災があって、皆が医療に関心を持っており、そして、東北大学はやはり、東北地方の医療の中心的役割を担っています。ですから住民の方からの信頼が非常に厚い。そのようなポテンシャルもあり、また人の移動が少ない地域なので、調査が行いやすいことなど、いろいろな要因があり、東北でしかできない事業なのではないかと思います。東北でうまく行けば、それが成功例となり、他の地域に展開できます。他に展開することは将来的には重要ですが、これが成功することで、東北の人たちが最初に恩恵を被るのです。


行政の手が届かない領域を大学が壁を越えて前へ

 震災復旧・復興の現場では、法の規制や縦割り行政の弊害など前進を妨げる壁の存在が問題になることがあります。私たちは大学ですから、基本的に教育・研究ベースで動いています。そのため、復興そのものの進み具合と必ずしも直接はつながっていないので、壁を感じることは少ない方だと思います。どちらかと言えば、「もう一歩先の東北の未来を創造すること」を私たちは考えているからです。一方で、「復興アクション100+」を行っている先生方の取り組みは、どちらかと言えば、現場に近い取り組みで、壁を感じることがあるようです。

 例えば、福島県では国の政策で子どもたち全員に線量計を配布し、調査をしていますが、宮城県は県全体で同様の調査はやらない方針です。しかし宮城県南には、比較的空間放射線量が高い所があります。そのような行政の手が届きにくいエリアがあるのです。そこで東北大学の先生が、福島県と隣接する宮城県丸森町で子どもたちの被ばく調査を実施してくれています。今やるべきであると思われる場所ではやる。そのような取り組みへの支援をしっかりとやらなければいけないと思います。

 そして、私自身が去年から1年間見ていて感じているのは、やはり、今回の震災からの復興には時間がかかるだろうということ。特に、福島第一原発事故に関わる復旧・復興は、非常に時間がかかるだろうということ。先ほど申し上げたように、県を境にして行政の取り組みが異なることもあります。子どもたちには放射線防護教育が必要ですが、きちんとした良いマニュアルなどなく、学校の先生にも知識がありません。組織的な取り組みがないと思われます。そのようなことにも、やはり私たちが大学として協力しなければいけないと感じています。

 どうしても、子どもたちの未来を支える形のプロジェクトは、研究としては中身を作りづらいのです。子どもを育てる部分は、研究としては非常に限られた部分になってしまうので、どうしても後回しになってしまう。それが今、おそらく私が感じている問題点の背景ではないでしょうか。そこの部分で、国から直ぐ支援していただけないものに対しては、私たちが大学として支援を続けていきたいと思っています。


科学技術の進歩だけでは解決できない課題がある

 やはり特に放射能に関わる課題が一番大変だと思います。風評被害もそうですが、いろいろな課題がまだたくさんあると思います。例えば、新しい放射能測定装置を開発して測定しました、すると「20Bq(ベクレル)/kgでした」。しかし、その数字を出しても必ずしも売れるわけではないのです。私も工学系の人間ですから、科学技術の進歩は人類の福祉に役立つと信じていますが、やはりそれだけでは解決できない課題がある。そういうことも見えてきました。

 10Bqとか100Bqとかいう数字そのものに対する信頼性が揺らいでいるせいかもしれません。放射性物質の基準値が、ある日突然変わると、一体その前の数値は何だったのだろう?ということになりますから。ですから科学者も、もう少し踏み込んできちんと説明する責任がありますし、もっと地道な努力が必要でしょう。おそらくプロジェクトとして資金援助してもらってやることではないことが、これから重要になると思います。

 東北大学の一つの重要な使命として、より広域にむけて、一層協力していく必要があるでしょう。これまでも、各県の大学が中心となり、東日本大震災からの復興へ取り組んでいます。もちろん、私たち東北大学も岩手県や福島県で活動していますが、より一層、特に福島側にむけた活動を重点的に展開していかなければいけないと考えています。

 しかし大学としては、国から付託された8つの大きな研究プロジェクトできちんと成果を出さなければいけないので、そちらも一生懸命やる必要があります。最初にも申し上げましたが、この復興の取り組みは、全ての分野・領域が一気に集中して動いており、なかなか大変ですが、プロジェクトが全て成功したら、やっぱり東北が変わるよね、という夢を持って、進めていきたいです。


Q. 最後に、今までのお話を踏まえて、未来にむけたメッセージをお願いします。


創造的な未来へ

 震災からの東北復興と日本再生、その先頭を切るのが、東北大学の歴史的な使命です。この先2~3年の話ではなく、5年、10年、15年先を見据えて、大学として今後もしっかり様々な取り組みを進めていきます。特に、新しい東北の未来につながるようなものと、一方で福島の復興ですね。この2つが私としては重要だと考えています。

 「これが、あの震災の時に、東北から生まれたのだよね」。新しい東北、生まれ変わった東北と言える、いくつかのもの。それが同時に地域に役立つ形で還元できるようなもの。「東北発」・「震災発」を形にしていくには、時間がかかると思いますが、東北大学全体で応援して取り組んでいく必要があると考えています。

 一方、福島第一原発は廃炉そのものに30~40年かかりますので、大学としても長期的な支援を行う必要があると思います。一日も早く、多くの人が地元に戻れるよう、除染による生活環境の復旧を加速し、また新しい産業をつくるなど、いろいろなことをやらないといけないでしょう。私たち東北大学も福島にできるだけ貢献していきたい。それが、これからの未来です。

―原さん、本日はありがとうございました。


関連リンク

東北大学「復興アクション」に関する詳しい情報は、下記WEBサイトに掲載されています。
東北大学災害復興新生研究機構

(7)へそまがりでいい/連載エッセイ「風に立つ」(南部健一さん)

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連載エッセイ 風に立つ

(7)へそまがりでいい

「雁がわたる、鳴いてわたる。鳴くはなげきか喜びか」。小三の音楽で教わった。僕は「雁(かり)」を「がん」と歌ったので先生が怒った。「がんではだめですか」。先生はにらんで返事もしてくれない。中二で連立1次方程式を教わった。「yはいりません」と言って、僕はxだけですべての問題を解いた。小島先生は、「おもしろいわ。それでいいのよ」と優しかった。先生方にほめられたことがなかった僕はがぜん勉強意欲がわき、中二の数学は最後のテスト以外はすべて満点だった。あれから57年、今も先生から励ましの年賀状が来る。連立方程式は科学の問題を解く基本。未知数はx、yの2元ではなくいまや100万を超える。昨年私は、スパコンで、100万元方程式を1秒で解く方法を見つけた。胸が躍った。

南部 健一  (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
ひのき進学教室特別講師
南部 健一 (東北大学名誉教授、2008年紫綬褒章受章)
なんぶ・けんいち
1943年金沢市生まれ。工学博士、東北大学名誉教授。百年余学界の難問と言われたボルツマン方程式の解法を1980年、世界で初めて発見。流体工学研究に関する功績が認められ、2008年紫綬褒章受章。

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今春、『仙台城南高校』開校/「新しい学び」とは

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今春、『仙台城南高校』開校/「新しい学び」とは

2013年6月25日公開

 平成25年4月に開校した仙台城南高等学校(久力誠校長)で「新しい学び」がスタートした。東北工業大学高校50年の歴史を受継ぎ「大学と接続した新しい学びの創造」を理念に掲げた。普通科の「特進科」「探究科」、工業科の「科学技術科」の3学科構成で、考える力・調べる力・発表する力の育成に力を注ぐ。

 今春入試は前年を約400人上回る1728人が受験した同校。第一期生として門をくぐった356名は「明るく積極的で、伸び伸びした良い雰囲気だ」と久力校長は語る。

 人気ブランド・ビームスデザインの新制服に身を包んだ生徒たちに、真っ白な校舎でどんな「新しい学び」が行われているのか。同校を取材した。


◆仙台城南高校の「新しい学び」


◆「新しい学び」体験するには

 仙台城南高校の「新しい学び」を直に体験できる機会がある。7月15日(月・祝)に同校で開催されるオープンスクールだ。各科の入試説明の他、iPadを使った授業など、18講座の授業体験が企画されている。詳細は、仙台城南高校のホームページを。

 また4月に創刊された月刊誌「城南ジャーナル」では、同校のトピックスや在校生の近況報告を外部に情報発信中。誌面には在校生も登場、生の声が聞ける。同誌は中学校へ配布されるほか、同校ホームページからも閲覧可。興味のある人はぜひチェックを。


仙台城南高等学校 オープンスクール

【日時】2013年7月15日(月・祝)9:00~
【会場】仙台城南高等学校(太白区八木山松波町5-1)
【内容】①全体説明会(高校紹介、入試説明、制服ファッションショー等)、②授業体験(18講座)、③個別相談(希望者:入試相談会、施設見学、制服試着、記念撮影会等)、④部活動見学会(希望者)
【問合】022-305-2111(代表)
【HP】http://www.sendai-johnan.ed.jp/

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯001】「真に豊かな社会」実現のために、女性が活躍できる環境整備を

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯001】「真に豊かな社会」実現のために、女性が活躍できる環境整備を 取材・写真・文/大草芳江

2013年7月11日公開

「真に豊かな社会」実現のために、
女性が活躍できる環境整備を。
~平成25年度、東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)設立~

ALicE室長の田中真美さん(東北大学大学院 医工学研究科 教授)×
ALicE副室長の有働恵子さん(東北大学 災害科学国際研究所 准教授)

東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)×「宮城の新聞」Collaboration ♯001

 100年前の1913年(大正2年)、日本初となる「女子大学生」が東北大学で誕生した。大正2年に3名だった女子の入学生数は、平成25年には1,184名(東北大学)となり、数多くの女子学生や女性研究者たちが、様々な分野で活躍している。

 しかし、その一方で、「真に豊かな社会の実現には、女性への支援が必要」という現状が指摘されている。そもそもなぜ、女性支援が必要なのか。それにより実現される「真に豊かな社会」とは何か。

 「女性が安心してキャリアを継続できる社会の実現」をミッションに掲げ、平成25年度に設立された「東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)」への取材から、「女性」を切り口に見える、社会とはそもそも何かを探るシリーズの第一弾。


真に豊かな社会を実現し、東北大学から発信する

―まずは、「東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)」設立の経緯について、ご説明ください。

【ALicE室長】田中真美教授(以下、田中) 東北大学の自然科学系、特に自然科学系の約85%を占める工学系は、学生だけでなく教員(研究者)も含めて、女性が1割未満と、とりわけ女性が少ないのが現状です。

 しかし、真に豊かな社会の実現には、多様性を尊重し、その多様性の一つとして、女性の力を活用することが大切です。そこで、「女性が研究するなら東北大学工学系!」と、モデルとなるような仕組みを打ち立て、東北大学から発信すべく、ALicEは今年度からスタートしました。

 ALicEでは、女性が工学分野で安心してキャリアを継続できる社会の実現を目指して、更なる飛躍のための支援/女性の見える化/情報の共有化の3本柱で活動しています。

 これまでも東北大学では、女性研究者がキャリアパスを形成する上で障害となる「ハードル」を乗り越えるために、2005年、全学で「女性研究者育成推進室」を設立し、2006年から3ヵ年、自然科学系分野での女性研究者育成の促進を目的とした「杜の都女性科学者ハードリング支援事業」(以下、ハードリング支援事業)を実施しました。

 そこでは、育児介護支援、病後児保育や休憩室整備などの環境整備が行われました。また、女子大学院生を対象にした次世代支援も実施されました。例えば、「サイエンス・エンジェル制度」では、女子大学院生を自然科学系を希望する女子中高生のための身近なロールモデル(お手本)として活動させたり、女子大学院生たちにスキルアップの機会を与えました。ハードリング支援事業は、期間終了後も、本学独自の制度として継続されています。

 そして、2009年からは、「杜の都ジャンプアップfor2013」をスタートし、現在実施中です。この事業では、女性教員が特に少ない理・工・農学系を対象に、女性の安定的な教員(研究)職への採用と、女性研究者の養成を目標としています。


これまで身につけたものを社会に還元することが、皆の幸福につながる

―そもそも女性研究者への支援が必要なのは、なぜですか?それがなぜ「真に豊かな社会の実現」につながるのですか?

田中 人は誰しも「自分がこれまで身につけたもので、社会に貢献したい」と願う気持ちを持っています。自分が得た何かを社会に還元することが、皆の幸福になると思います。

 ところが、女性特有の問題として、育児などの理由で、離職率が高い現状があります。女性が離職せず、ずっと活躍できるようになること。それが、これまで身につけたものを、社会に還元できることにつながると、私は考えています。

【ALicE副室長】有働恵子准教授(以下、有働) 多様な視点がなければ気づかないことは、たくさんあります。世の中の半分は女性ですし、お年寄りもいれば、子どももいます。

 私は、土木が専門ですが、例えば、社会基盤を整備する時も、様々な立場の方が快適に社会基盤を利用できるよう、多様な視点を取り込む必要があります。その多様性の一つとして、もちろん様々な年代の視点も必要ですし、女性の視点も必要でしょう。

 ところが、他の工学と同様に土木においても、圧倒的に女性の数は少なく、そのような意思決定の場に、なかなか女性はいないのが現状です。

 よって、女性の育成や、離職せずに仕事を続けられる環境整備などの支援が必要です。もちろん、育児支援も必要ですが、私自身強く必要性を感じるのが、女性のスキルアップ支援です。私自身も様々なスキルを身に着けていかなければと強く感じています。


ロールモデルを知っているか・知らないかで、大違い

田中 もう一つ問題があります。特に工学系は女性が少ないために、女子学生にとっては、ロールモデル(お手本)となる女性研究者が見えにくい現状があります。

 実は、出産しながらも、充実した研究生活を送っている女性研究者は存在するのです。実際に、最近では、有働先生も双子の赤ちゃんを出産されましたね。なかには、第二子、第三子をもうけながら、研究をする女性研究者もいます。

 ところが、その姿が見えないために、特に育児期に入ってからの影響が大きいのですが、研究との両立を諦めて離職してしまうケースが多い。そこで、ロールモデルとして、女性教員を"見える化"することで、そのハードルを下げよう、と考えています。

 もしくは、昔の工学の「夜遅くまで仕事」「油まみれ」のイメージで避けられている部分もあるかもしれません。工学の魅力も伝えながら、興味を持って活躍される方が増えると良いですね。

有働 私も、ロールモデルは、とても大切だと思います。やっぱり諸先生方がいろいろな困難を乗り越えた経験談を知っていると、全然違いますよ。

 先週、うちの子どもが入院して、私も夫も一週間仕事を休み、24時間付き添いで大変だったのですが、「意外と何とかなる」と思えました。それは諸先生方から、同じような状況で「大変だったけど、何とか乗り切れた」経験談を聞いていたことが大きいと思います。

 私が出産したのは2年前ですが、その時も田中先生に、わからないことや不安なことを、いろいろ相談しました。そんな時に頼れる同業者の女性の存在は、大変心強かったです。


問題になる前に、気軽な「お話」で、解決していく

田中 やはり、一人では乗り越えられないハードルがあるのですよ。けれども、皆で問題を共有して、「大丈夫だよ、なんとかなるよ。うまい方法があるはずだ。こうやればいい、ああやればいい」と知恵を出し合って、情報を共有していく。すると、「辛い」とならずに、頑張れます。それも、ALicEの重要な役割の一つでしょう。

 それでも、なかには周囲に知人がおらず、孤立して、情報源に辿りつけない人もいます。そんな人達のためにALicEでは、「どこに聞けば良いですか?」「皆さんはどうしていますか?」といった井戸端会議のような「お話」ができる「女性研究者メーリングリスト」と、「メーリングリストで聞くほどのことではないけど、誰かに話を聞いてほしい」という方のために「お話窓口」という仕組みをつくっています。

 問題が起きてからでは、遅いのです。「相談」まで行かずに、「お話」で解決したい。そんな思いがあるので、「相談」窓口ではなく「お話」窓口なのです。問題が起こる前に、「お話」することで、不安を解消していこう、というものです。

 この窓口では、女性だけでなく、男性の先生や学生からの相談も受け付けています。例えば、「女子学生と、どうやって接すれば良いかわからない」といった悩みなど。お互いに、過ごしやすく研究しやすい環境になっていくのが一番ですから。

有働 私も出産前、「どこに相談したらいいのかな?」と調べたのですけど、大学の総務課となると、急に敷居が高くなっちゃって、相談しづらいですね。どうしてもプライベートな話になるので。ですから、ALicEの「お話」窓口は、とても良い取組みだと思います。

田中 話は脱線しますが、実はプライベートな話もオープンにした方が良いと思うんです。何かが起きた時、研究室のメンバーに、迷惑をかけるのは当然ですからね。それを下手にクローズにしてしまうと、「なんで、あの人、休むんだろう?」となって、研究室がまわらなくなると思いますよ。

有働 でも、なかなか勇気のいることですよね。先週も「子どもが入院しているので」と理由を言うべきか悩み、結局、理由は言わずに謝っただけでしたが、言った方が良かったのかな。

田中 そんな時は組織のトップに言えば良いのですよ。私も、だんだんわかってきました(笑)。そこから、メンバー全員に的確に伝わっていくから、大丈夫。

有働 そうそう(笑)、ちょっとしたことでも、「どうしよう」と悩むことがあるんです。わざわざ「相談」に行くまではないけど、こうやって気軽に「お話」できる場があるって、大事ですよね。


データ分析で、問題を可視化

田中 他にも、ALicEを通して、やらなければいけない大きな問題があります。いわゆる「ガラスの天井」(マイノリティや女性が組織内で昇進する障壁となる、その能力や成果とは関係ない、不可視の破れない壁)の問題です。

 データでは、工学研究科の女性研究者の比率(平成23年度)は、助教が6.725%、准教授が3.74%、教授が2.52%です。准教授から教授に昇進する人は、ほとんどいません。

 女性自身も、男性の信頼をきちんと得るためにも、もっとスキルアップして、ちゃんとやれることを見せて、活躍して貢献できる人材が増えることが重要だと思います。

   また、研究者へのステップとなるドクター(大学院博士課程後期)進学率が、女子学生は低いので、就職の中に進学があることを女子学生に見せていく必要性もあるでしょう。

有働 ALicEの大事な取組みの一つは、データの収集と分析ですね。具体的にデータを収集して現状を正確に分析し、今の問題は何かをデータで示すことが大事だと思っています。

田中 最近のデータで驚いたのは、東北大学工学系女性研究者の既婚者の別居率が、16人中11人と、非常に高いこと。そのまま出産・育児に入れば女性研究者が全て一人で子育てや家事をこなすことになるので、ぜひ支援していただきたい、ということなのです。

有働 離職理由の一つに、「配偶者との別居の解消」がありましたね。根本的解決は難しいですが、別のサポートの方法で負担を軽減することで、離職を減らせるかもしれません。いずれにせよ、分析は大事です。


男性と女性で、性差はある

有働 私たち女性教員のキャリアアップも必要ですね。もちろん女性にも、いろいろな方がいるとは思いますが、やっぱり男性と女性で、どうしても性差はあると思うんです。

 私もそうなんですが、例えば、女性は外堀を全部埋めちゃって、逃げ場をつくらないで、相手を追い詰めちゃうとか。

田中 私も、同じことを昔ボスに言われ、気をつけるように注意されました(笑)。

有働 私、ある雑誌で見たのは、「女性は、相手に対して注意する必要があった時、過去のことを持ち出すことが多い」と。その時のことだけで話したら良いのに、過去の話をどうしても持ち出してしまう。私も身に覚えがあるなと思って(笑)。

田中 私、子どもに対しても、そうだよ(笑)。

有働 そんな性差もあって、結果的には、多様性を生んでいる、ということだと思います。ただ、それがキャリアアップや学生指導という前提では、正さなければいけないかな、と思うこともあります。その辺が、自分はうまくできていないと思うのです。

 人間関係を円滑に進めようとする時、性差もあると思いますが、女性の先生が、どう学生と接してマネジメントしているかを見る機会は、やはり少ないですね。

 未だに「どうすればよいだろう」と迷ったり、悩むことが多くて。けれども、わざわざ相談しに行く程のことでもない。ですから、そんな意味でも、いろいろな情報交換ができるALicEのような組織の存在は大切です。

田中 私も講師時代、活躍されている女性研究者たちの物凄い速断力を見て、「私にはないものがいっぱいある」と思いました。けれども、そのことをボスに報告したところ、「あれは慣れだから」と言われました。経験が増えれば、答えの出し方が、徐々に見えてくるところがあります。とは言いながらも、私も右往左往しています。新たな問題もどんどん出て、それがどんどん難しくなっていきますからね。

有働 ALicEの中でも、いろいろな女性研究者がいるのが良いと思います。育児期って、仕事をセーブせざるを得ないところがあります。海外出張なんて、もってのほか。そんな状況が何年続くかな、と焦ってしまったり。

 けれども田中先生が「私、子どもが4歳だけど、一回も海外出張、行けなかったよ」と仰っていて。そうやって皆、セーブしながらも、続けているんだ。そんな、ちょっとした会話の中で、自分の中の焦りを解消したり。コミュニケーションが一番、大きいですね。

田中 ある男性の先生から、「女性の話は脱線する」と言われたことがあります。女性は、脱線しながら、いろいろな話をして、問題を解決していくところがありますよね。

有働 よく「女性の話には結論がない」とか、「女性は話したいのであって、相手に解決策を求めているわけではない」と(笑)。よく私、夫に言われるのですけど、「こんな時は、『ふうん、そうなんだ』と聞いているだけでいいんだね」って(笑)。夫から「これは、こうしたらいいんじゃない」と言われたら、「いや、違くて」と、つい反論しまう(笑)。

田中 わかる、わかる(笑)。私なんか、もっとひどいですよ。夫に「わかるよ」と言われたら、「いや、あんたはわかっていない」と言うことが、あります(笑)。こんな暴言を受け止めてくれている懐の広い旦那に感謝していますよ。

有働 ALicEの時は女性がたくさんいますが、それ以外の場では、仕事をするパートナーは、ほぼ男性です。普段は、女性の好きなおしゃべりをする場がなかなかないですものね。女性同士だから話せることもたくさんあります。女性ならではの悩みとか、男性にはわからないことって、いっぱいありますものね。

田中 とはいえ、私たち女性教員自身が女子学生のロールモデルになるためには、問題を一人で抱えずに解決できる術を身に付けることが重要です。そうでなければ、「さあ、女性研究者の世界に来なさい。でも、問題はいっぱいよ」では、女子学生に来てもらえないですからね(笑)。


「日本の女性は高学歴なのに、勿体ない」

―社会全体としても、多様性の一つに女性を位置づけ、活用しようという機運が高まっています。

田中 先日、ノルウェーのラグンヒル・セッツオース教育・研究副大臣を迎えて講演会が開催されました。副大臣は「日本の女性は高学歴なのに、勿体ない」と話していました。

 「これだけ人数の少ない工学部に女子学生が入学するということは、少なくとも、それなりの覚悟がある人たちが入っている。それなのに、その人たちが、なぜ大学に残ったり、仕事を続けたりしないのか。大変勿体ないことだと思う」と。

 社会としての損失が大きいですよね。せっかく大学まで出て、入社して教育も受けて、それで何年後かに、理由はわかりませんが、離職してしまう。女性の力を活用することは、社会としても、非常に重要だと思います。

有働 講演では、女子学生の意識改革も大事という話もされていました。「仕事を続けるのは当たり前なんだ」という意識です。「結婚・出産したから、仕事を辞める」のではなく、仕事を続けることが可能だし、続けたいと思っていれば、当然、それは選んでいける社会になりつつあるということ。それをこちらからも発信していくことも大事だと思います。

田中 そういったことを学べる機会が少ないのですよね。だからこそ、働き続けるロールモデルに教員自身がなる必要があるわけです。あと一番厄介なのは、やはり周囲の理解だと思います。「周囲に反対されて」が、離職の原因としてあります。そのような意味でも、ロールモデルは必要です。

有働 何かを決めなければいけない時は大抵、先が見えない、判断材料が少ない中である場合が多い気がするのです。大学を出た時は、世の中がどんな状況かもよくわからないし。

 ただ、知らないことで、自分の持つ知識だけで判断してしまい、結果的に辞める判断をしてしまうことが、勿体無くって。だから、そのような可能性を、ロールモデルという形で見せられることが、大事だろうと思います。

田中 周囲で相談する相手は、親や夫くらいになってしまって。とても狭い世界になってしまいますからね。

有働 男性なら、「仕事をどうするか」なんて選択肢はない場合がほとんどですからね(笑)。女性だから、悩むことも多くなってしまう。

田中 そこでアンバランスが起こっているのです。もし男女間でバランスがとれていたら、「じゃあ、お互い、どう頑張りましょうか?」という話になるのですが。

 でも今はどうしても「女が育児をする」となっているので、女性が選択する機会が増え、悩み、辛くなってしまうから、仕事を辞める、という考えが起こってしまう。

 家庭内のバランスの問題については、男性の意識改革も必要でしょう。男性にも育児支援の制度があることを、知ってもらう必要性も感じています。

有働 男性が育児に参加するのは大事ですね。例えば、自分の部下の女性が育児や出産を経験する時、どんな問題が起きうるかが、育児に参加していない男性には、わからないと思うのです。ですから、そのような意味でも、男性が育児に参加することは、大事だと思いますね。あとは純粋に、参加して楽しいと思いますしね。

田中 本当は、男性も育児をやりたいんですよね。うちの旦那も、離れて暮らしているのですが、やっぱり「成長を見れないのは寂しい」と言われると、ちょっとつらいですね(笑)。「私は充実した毎日を過ごしているよ、ありがとう」と、言っておきました(笑)。

 「経験しなければわからない」のは、家庭内に限った話ではありません。私が兼任する工学部機械系には、「女子静養室」があります。その部屋を、男性教員の中には、女子学生や女性職員が寝たりお昼ご飯を食べる場所だと思っている人もいて、「なんで女性ばっかり」「男性の場所は無いじゃん」と言われたこともありました。

 けれども、「出産されたばかりの先生が搾乳するのに必要」と伝えたら、「なんだ、それなら絶対に必要だよね」と納得してくれました。それは女性でも、出産をしていなければ、わからないことですよ。やはり経験していないことは、想像がつかないですよね。お互いに知った上で納得することが、必要だと思います。


女性にも覚悟が必要

―これからALicEとして、どのような存在でありたいですか?

田中 女性は覚悟を持って自立し、オープンにすることはオープンにして、働いて欲しいですね。女性にもいろいろな人がいます。皆が皆、向上意識を持って取り組んでいるわけではないのが現状です。ですから、現地点ではALicEを必要としていない人たちに対しても、メッセージを送り続けたい。ぜひ一緒に、キャリアアップをしていきたいですね。

有働 いつかALicEのようなシステムを使いたい、と思う時が来るかもしれないですね。その時に、いつも連絡が来るから「知っている」という状態が、すごく大事だと思います。

田中 そうですね。まだ独身で必要性を感じていない人でも、結婚して必要だとなった時、「そういえば、あんなシステムがあったなぁ」と、頼っていただけると良いと思います。

 やはり心配なのは、ここに来ない人が孤立していないかどうかですね。ALicEは、全学より小規模ですから、同じ青葉山にいる研究者たちに、細やかに浸透させていきたいです。

有働 私の立場としては、東北大学の教員であるという強い自覚を持って、これまで自分が受けてきたものを、きちんと社会に還元しなければいけないと、最近強く感じています。

 実は、ALicE設立のきっかけとなった男性の先生から、「あなた達の子どもを育てるのも大事だが、社会に羽ばたく学生もきちんと育ててください」と言われたのです。

 その意識が、今までの自分には十分ではなかったのです、自分のことで精一杯で。ですからプライベートと両立しながら、もっと上のステップを目指さなければいけないと、最近強く感じています。

 女性研究者の育成という意味でも、ALicEは、教員にとって大事な組織になっていくでしょう。このように、ALicEの可能性は、たくさんあります。ぜひ私自身も利用したいし、皆さんにも利用してもらえるような存在に、これからもなっていきたいですね。


自分の夢や、好きなものを、見つけて欲しい

―最後に、次世代を担う中高生へメッセージをお願いします。

田中 工学とは、より良い社会をつくるための学問だと考えています。時代が変われば、当然、求められるものも変わっていきます。ですから、変化していくものに、臨機応変に対応できるよう、「こんな世界だったら良いなぁ」という夢を持って過ごして欲しいですね。その夢があれば、必要な学問を学んで、ものづくりをしたり、より良い社会を実現できると思います。

有働 よく大学の先生方には、「幼い頃から、これがすごく好きで、その分野を目指して、大学に入学し、今もこの研究をやっている」という方が多いですね。けれども、私自身は、わりと、流されるままに大学に入って、流されるままに、今の分野に来た感じなんです。

 けれども最終的には、自分が熱中できるもの、好きだと思えるものを見つけられ、それを仕事にできていることは、とても幸せなことだと思っています。そういうものを、皆さんにもぜひ見つけて欲しいですね。

 工学に限らず、そういうものを見つけられれば、それが、仕事を続けたい気持ちになると思います。多分、本当に好きでやってなかったら、私は仕事を辞めていると思います。子どもと天秤にかけても、辞めないくらい、大切なものなのです。

 今の社会は、両立を支援する方向に向かっているので、二者択一でなく、両立していけます。ですから、どちらかを諦めなくても良いのです。きっと将来はもっと、仕事を続けていける社会になっているでしょう。

 ですから、好きなことを見つけた上で、プライベートも充実させ、自分の人生を楽しむことが大事だと思っています。楽しい人生を、私自身も送りたいと思っています(笑)。

―本日は、ありがとうございました。


【KDDI復興支援室×宮城の新聞 ♯002】生態学者の鈴木孝男さん(東北大学・助教)に聞く:「東北グリーン復興プロジェクト」

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【KDDI復興支援室×宮城の新聞 ♯002】生態学者の鈴木孝男さん(東北大学・助教)に聞く:「東北グリーン復興プロジェクト」 取材・写真・文/大草芳江

2013年7月29日公開

干潟の生きものたちは、僕らの財産

鈴木 孝男 TAKAO Suzuki
(東北大学大学院生命科学研究科 助教)

KDDI復興支援室×「宮城の新聞」コラボレーション連載 ♯002
~東北復興の今、そして日本の未来のカタチ~

 生態系からの恵みを活かして、人・海・田んぼ、そして森のつながりから復興を考える「グリーン復興」。これからも繰り返されるであろう地震・津波に備え、地域の豊かさを支える生物多様性の回復を促すことが、より確かで持続可能な復興につながるという考え方だ。

 干潟に住む底生生物の調査・研究を行っている生態学者の鈴木孝男さん(東北大学大学院 生命科学研究科 助教)は、市民参加型干潟調査手法を確立。大学・NPO・企業・市民で協働調査を行い、自然との共生に対する意識や市民の環境リテラシーを促進させ、それが持続可能な地域復興へとつながることを目指している。

 今回、東日本大震災で被災した、蒲生干潟(宮城県仙台市)と鳥の海(宮城県亘理町)で行われた市民参加型干潟調査に、記者もボランティアとして参加。震災の干潟への影響や現状、そして「グリーン復興」という視点から見える復興のあるべき姿について、鈴木さんからお話を伺った。

<目次>
震災前から干潟をずっと調査
市民参加型干潟調査手法を確立
自然の回復力に驚き
干潟が元に戻るために大切な3点
干潟の役割が我々にもたらす恩恵「生態系サービス」
干潟の生きものたちは、僕らの財産
僕らは、体の中に自然を入れておかなければいけない
体験してみなければ、わからない


―まず、自己紹介も兼ねて、ご専門や干潟との関係について、ご紹介ください。

■震災前から干潟をずっと調査

 主に、干潟の底生生物(カニや貝、ゴカイの仲間)に関する生態学の研究をしています。
 2002~2004年、環境省の事業で全国の干潟調査が実施され、僕ら底生生物の研究者が、全国157箇所の干潟を調査しました。このうち、東北の南半分を僕が担当しました。この時初めて、全国の干潟が全て同じ手法で調査され、約1700種の底生生物について、良いリストができました。

 2008年には、宮城県レッドデータブック掲載種の見直しが行われ、10年前にはリスト化されていなかった、沿岸部の底生生物も掲載されることになりました。そこで僕が分科会代表を務め、県内全ての干潟を皆で調査しました。そして2012年の完成に向けて、2011年2月の会議では、レッドリストに掲載する生物もほぼ決定し、残すは補足調査のみ、という、ちょうどその時に、津波が来たのです。ですから、津波直前の県内の干潟データが、全てありました。そのような経緯で、これまで近隣の干潟を、ずっと見続けてきたのです。

■市民参加型干潟調査手法を確立

【図】市民による干潟の底生生物調査のための手法を確立し、その手法を解説するために作成したガイドブック(著者:鈴木孝男、木村妙子、木村昭一、発行:日本国際湿地保全連合)。 市民参加型干潟調査手法のポイントは、①他地域と比較可能な、再現性のある手法であること、②未経験者でも取組みやすい手法であること、③調査用具が入手しやすいこと。

 そんな中、バードウォッチングや干潟保護の活動をする人たちが、「私たち市民でもできる調査手法はないだろうか」と考えていました。干潟保全の際、市民が自ら調査して、データを持つことができれば、開発側と渡り合うことが、できるためです。しかし、干潟に出現する底生生物の分類群は大変幅広く、それぞれの専門家でなければ、同定が困難な種も多いことから、なかなかきちんとした調査は実現できていませんでした。

 そこで、市民が気軽に調査でき、なおかつ、きちんと定量的になる市民調査の手法を、何とかつくれないだろうか。そう考えて、日本国際湿地保全連合と協力し合いながら、5~6年に渡る試行錯誤の結果、その手法をやっと確立。その解説ガイドブックを出版したのが、2009年のことです。

 そんなバックグラウンドがあった中、あの震災が発生したものですから、津波で干潟があちこちで壊れ、干潟の生物はどうなったのか、非常に心配でした。ただ、震災直後は、沿岸部の復旧や、行方不明者の捜索や瓦礫等々の問題があったものですから、すぐには行けませんでした。けれども、干潟の生きものはどうなっているかは、僕らが調べるしかない。そう思い、少し落ちついた頃の2011年6月から、あちこち歩いて、干潟を調査してきました。

―東日本大震災の発生直後、干潟はどうなったのですか?

■自然の回復力に驚き

【写真】市民による干潟の底生生物調査のようす=蒲生干潟(宮城県仙台市)

 干潟を見続けてわかったことは、干潟ごとに震災や津波の影響が大きく異なることです。津波で甚大な被害を受け、干潟そのものが無くなる程、大きな撹乱を受けた干潟もあれば、一方で、松島(宮城県松島町)など、津波の影響をほとんど受けなかった干潟もあります。

 東日本大震災で被災した蒲生干潟(宮城県仙台市)の場合、いったん干潟が壊れて、「干潟が無くなった」と思いました。ところが、震災後、わずか3ヶ月で砂がついたのです。「自然の力で、これほど回復するんだ」と自然の偉大さに驚きました。恐らく蒲生干潟は、過去これまでも数百年、千年に一度の津波が何度か来たと思われますが、地形的に、なるべくして干潟になる場所なのでしょう。

■干潟が元に戻るために大切な3点

【写真】堤防が設置されたことで、産卵場所に行くことができなくなったカニのために、移動対策として設置されたネット=蒲生干潟(宮城県仙台市)

 ただ、干潟が元に戻る時に、大きな問題として、次の3つが挙げられます。

①干潟環境が戻ること。つまり、潮の干満によって、干出し、水を被り、干出することを繰り返す、干潟環境が元に戻ること。

②干潟が戻っても、生きものが戻らなければダメです。生きものが干潟に戻るために、子どもを産む親(幼生の供給源)を守ること。

③干潟と海の繋がりを断ち切らないこと。干潟の生物は、プランクトンになって海へ渡り、また干潟に戻る種類がほとんどです。しかし、干潟と海の連絡網を考慮しないまま、復興事業によって堤防や護岸工事等が進められると問題です。

 以上3つが大切です。それを考えながら、どんな干潟が存在し、どう変化しているかを、つぶさに見て行く必要があると思います。

―そもそも干潟の生きものが元に戻ることは、なぜ大切なのですか?

■干潟の役割が我々にもたらす恩恵「生態系サービス」

【図】干潟の食物連鎖

 干潟には、たくさんの生きものたちが住み、川が運んでくる有機物などの汚れや水中のプランクトンなどを食べて育っています。そのため、水中や底土中の汚れが少なくなる=水質浄化の働きを、干潟は持っています。しかも、それらが食べられる貝や魚になるなど、干潟は、様々な生きものを育む場所でもあるのです。

 それから、稚魚や稚ガニなどの隠れ家、成長する保育所としての働き。渡り鳥が採餌し、休息する国際空港の働き。津波や洪水の被害をワンクッション弱めてくれる防災機能の働き。釣りやバードウォッチングなどのレクリエーションの場。美しい景観、精神的なやすらぎの場。生物多様性を実感する環境教育の場など。

 このほか、観光資源や漁業資源にも関わっています。また、干潟と触れ合いながら暮らし続けてきた人たちにとっては、かけがえのない存在でもあると思うのです。このように、干潟が持つ効能や働きは多岐に渡っているのです。

 しかし、干潟の役割の恩恵を我々が受けていることに、社会では気づいていない人が多いと思います。干潟が我々にもたらしてくれる恵みを、最近では、「生態系サービス」と呼び、その恩恵を経済的価値として可視化する試みも行われています。それを考慮しない復興の土木工事には、問題があります。

 干潟の大切さを伝えつつ、干潟を元に戻していくことが、沿岸部に住む人達の復興にも関わることを説明する必要性を感じています。そんな意味でも、市民ボランティアに調査に参加してもらいながら、色々な場面で情報発信することが必要です。

―それでは、これからについては、どのようにお考えですか?

■干潟の生きものたちは、僕らの財産

【写真】市民参加型干潟調査では、ガイドブック等を参考にしながら、干潟で採集した底生生物の種を同定していく。未経験者で同定が困難な場合は、現場で調査経験者が確認する。

 海の干潟の生きものたちは、自然の博物館です。水をきれいにする場でもあるし、生物生産性が非常に高い場でもあるし、生物多様性を教える場でもあります。それを、僕らの自然財産として、僕らが守らなければいけないのです。

 訪れて「きれいだな」と思う景観は、生きものたちがたくさんいるところです。逆に、生きものが住まなくなると、きれいではなくなります。植物・動物も含め、生きものがいると、泥やヘドロを処理するから、きれいになるのです。

 干潟・沿岸域をきれいにしておくためには、実際に、たくさんの人が訪れて、「きれいだな」「こんな生きものがいるんだ」「おもしろいな」と実感してもらうことが大事です。それが、干潟・沿岸域をきれいにしていくための手法だと思っています。そのためには、いろいろな媒体を通じて、干潟が大切な場所であることを伝えていくことも必要だと感じています。

■僕らは、体の中に自然を入れておかなければいけない

【写真】蒲生干潟で数多く見られたカワゴカイ類とコメツキガニ。

 僕らは、自分の体の中に自然を入れておかないと、いけないのです。小さな頃から、自然と切り離されて、コンクリートの中で育つ子どもも、たくさんいます。そういう人たちには、自然の息吹や大切さが宿らない。本当の暗闇の怖さや自然の怖さが、わからない。今は、自然に触れ合う機会を積極的にもうけなければ、自然になかなか触れ合えない、残念な状況にあります。

   「危険だから」が先になりがちですが、だからこそ水辺に行って、普通に遊ぶ中で、自然と生きものたちとの付き合い方も、体で覚えていけると思います。そんなことを学ぶ場として、干潟は危険も少ないし、いろいろな生きものも発見できるし、環境教育には大変良い場です。

 干潟は、稚魚の保育所であり、エビやカニのゆりかごであり、渡り鳥の国際空港でもあります。そんなことを、体験しながら、干潟を守っていくことが、大切だと思います。


【写真】今回の市民参加型干潟調査で見つかった干潟の生きものたち(一部)。上段左から順に、アサリ、ヤマトシジミ(準絶滅危惧)、ハマグリ(絶滅危惧II類)、オオノガイ(準絶滅危惧)、下段左から順に、ニホンスナモグリ、ガザミ、マメコブシガニ(準絶滅危惧)、コメツキガニ。震災前と比較して、干潟は回復しつつある。

―最後に、次世代を担う中高生へのメッセージをお願いします。

■体験してみなければ、わからない

 干潟の生きものたちを見続けている立場としては、一度、現場を見て欲しいです。その場に身をおいて、考えてもらうことが一番大切です。やはり、体験してみなければ、わからないですから。

 実際に中高生を干潟に連れていったことがありますが、ほとんどの学生は、泥の中を歩くことが初めての人ばかり。そういうことも、経験だと思います。

 世界の面積の3分の2を占める海の中を、まずは、実際に見てごらん。今までとは全然違う世界が広がっていることがわかりますよ。やっぱり体験してみることが、一番です。

―鈴木さん、ありがとうございました。

井上邦雄さん(東北大学ニュートリノ科学研究センター長)に聞く:ニュートリノで宇宙・素粒子の大問題に挑む

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井上邦雄さん(東北大学ニュートリノ科学研究センター長)に聞く:ニュートリノで宇宙・素粒子の大問題に挑む 取材・写真・文/大草芳江

2013年8月9日公開

ニュートリノで宇宙・素粒子の大問題に挑む

井上 邦雄 INOUE Kunio
(東北大学ニュートリノ科学研究センター センター長)

大阪大学理学部物理学科を1988 年に卒業後、同大学大学院修士課程において太陽ニュートリノ問題への挑戦を始めた。1990年には東京大学大学院物理学専攻博士課程に進学しカミオカンデ・スーパーカミオカンデでの太陽ニュートリノ観測へ研究を進めた。1992年には博士課程を中退して同大学宇宙線研究所助手として研究を推進する傍ら 1994 年に論文博士(理学)を取得。1998 年には「ニュートリノに質量があることの発見」により朝日賞をグループ受賞し、同年、東北大学ニュートリノ科学研究センター助教授に異動、カムランド実験立上げに加わった。そこでの太陽ニュートリノ問題解決により 2004 年第一回小柴賞を共同受賞し、同年より同センター教授、2006 年からは同センター長としてニュートリノ地球物理・天体物理などを推進。 原子炉反ニュートリノの研究により2008年度日本学術振興会賞、また、 地球反ニュートリノの研究により2012年仁科記念賞・2013年戸塚洋二賞を受賞。 東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構 主任研究員を併任。現在に至る。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。 
しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が
それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。

ニュースでも耳にする「ニュートリノ」。
ところで、そもそもニュートリノって何だろう?
どうして、ニュートリノを、研究するのだろう?

東北大学ニュートリノ科学研究センター長の井上邦雄さん曰く、
ニュートリノは、これ以上分解できない究極の粒子、「素粒子」の一つ。
自由気ままに飛び回り、何でも突き抜けてしまう、まるで幽霊のような粒子らしい。

(ちょうど今だって、ニュートリノは、私の体も、地球さえも、楽々と通り抜けている!)
逆に言えば、ニュートリノをつかまえるのは、非常に大変ということだ。

とはいえ、「電子」や、陽子や中性子を構成する「クォーク」といった素粒子に比べて、
私たちにはあまり関係がなさそうにも思えるニュートリノ。

しかし実は、宇宙はニュートリノで満ち満ちているそうである。
それなのに、わかったことも多い一方で、まだまだ謎だらけのニュートリノ。
その性質を調べる研究が、世界中で進められている。

そして、ニュートリノは今、なぜ宇宙に私が存在するのか、
その大きな謎の鍵を握る存在として、注目されているという。

そんなニュートリノ研究で世界をリードする井上さんに、
ニュートリノ研究の最先端の世界を、案内してもらった。

<目次>
そもそも「ニュートリノ」とは何か?
ニュートリノは、電気的に中性で、非常に軽い、お化けのような粒子
宇宙はニュートリノでできている
ニュートリノを使って見えないものを見る
ニュートリノは変化する
「太陽ニュートリノ問題」を解明
ニュートリノが地球内部を見通す新たな目に
「軽いニュートリノ質量の謎」「宇宙物質優勢の謎」に挑戦
ニュートリノと反ニュートリノは存在する?存在しない?
「軽いニュートリノ質量の謎」も一挙に解決へ
「ニュートリノと反ニュートリノは同じ」、どう調べる?
自然の中にある大変有難い反応 「二重ベータ崩壊」
わずか2年で実験開始、さらに世界最高性能を叩き出せた理由
「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」がもし見つからなくても
カムランド火災事故の影響について
ニュートリノ研究の道に進んだ理由
研究に対して誠実でありたい
何事にも一生懸命、打ち込んでほしい
学生インタビュー

<関連記事>
鈴木 厚人さん(高エネルギー加速器研究機構 機構長)に聞く:科学って、そもそもなんだろう?


東北大学ニュートリノ科学研究センター長の井上邦雄さんに聞く


そもそも「ニュートリノ」とは何か?

―ニュースでも聞いたことがある「ニュートリノ」ですが、そもそも「ニュートリノ」とは何ですか?


【図1】原子と素粒子。我々の体をつくっている原子をさらに細かく分解していくと、これまで判明している粒子の中で最小単位である素粒子「アップクォーク」や「ダウンクォーク」が現れる。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 ニュートリノとは、素粒子(物質を構成する最小の単位)の一つです。素粒子は、大きく分けて2種類あります。物質を構成する素粒子と、力を伝える素粒子です。そのうち、物質を構成する素粒子の中に、ニュートリノがあります。

―では、物質を構成する素粒子とは何ですか?

 例えば、皆さんご存知の電子は、そのうちの一つです。それ以外にも、(陽子や中性子を構成する)「アップクォーク」や「ダウンクォーク」があります。

 物質は、陽子と中性子と電子から、ほぼできています。陽子と中性子が集まって原子核ができ、そのまわりを電子がまわって、原子ができています。そして、原子と原子が結合すると分子になって、我々の体になるわけです。

―すると、我々の体をどんどん分解すれば、電子とアップクォークとダウンクォークだけになるのですか?

 突き詰めていけば、ほとんどの物質は、アップクォークとダウンクォークと電子だけでできているはず。なのですが、実は、同じ仲間で、それ以外にも、複数の素粒子があるのですよ。


【図2】素粒子はクォーク族とレプトン族に分類され、あわせて12個確認されている。また、これらの粒子には、質量が同じで電荷などの符号が反対である「反粒子」が存在する。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 【図2】の通り、実は、クォークは6種類あります。6種類のクォークとは、それぞれ軽い方から第一世代、第二世代、第三世代と呼ばれ、その中で一番軽い世代(第一世代)に属しているのが、先ほどお話したアップクォークとダウンクォークです。

―「軽い世代」とは、どんな意味ですか?

 一番軽いから、安定だと考えます。それより重たいチャームクォーク、ストレンジクォーク、トップクォーク、ボトムクォークは、つくり出すことはできますが、不安定なので崩壊して、すぐアップクォークやダウンクォークに変わってしまうのですね。

―馴染み深い「電子」にも、世代があるのですか?

 電子にも、第一世代から第三世代まで計3種類あります。電子より重たい、ミュー粒子、タウ粒子があるのですが、実はこれもやはり不安定なので、すぐ崩壊し、一番軽い電子(第一世代)に変わってしまいます。

―だから、「ほとんどの物質がアップクォークとダウンクォークと電子だけでできている」のですね。では、本題のニュートリノは?

 電子の仲間をレプトンといいますが、第一世代には電子の相棒がいるわけです。それが「電子ニュートリノ」と呼ばれるものです。電子、ミュー粒子、タウ粒子という3世代のレプトンの中でも、電荷を持った粒子に対応して、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノと3種類あるわけです。

 つまり、原子核を構成する要素であるクォークにも、そのまわりを回っている電子にも、各世代に2種類ずつあり、それが三世代あるので、クォークとレプトンで6種類ずつ計12個が、物質を構成する素粒子として確認されています。


ニュートリノは、電気的に中性で、非常に軽い、お化けのような粒子

―ニュートリノは電子(レプトン)の相棒ということですが、では、ニュートリノとは、どのような粒子なのですか?普段は、どこにいるんですか?

 先ほどもお話した通り、チャームクォーク、ストレンジクォーク、トップクォーク、ボトムクォークも、ミュー粒子、タウ粒子も、一瞬であれば人工的につくり出すことはできますが、第二世代と第三世代は重たいのです。そして、すぐに崩壊して第一世代になってしまうため、物質を構成する要素にはなりにくいわけですね。

 ところが、ニュートリノは事情が違います。ニュートリノは、レプトンの中にあり、電子ニュートリノの場合は電子が相棒ですが、電子から電気(電荷)を剥ぎ取ったものが、ニュートリノなんですよ。

 それで何が起きるかと言うと、「電磁相互作用」と呼ばれる電気的な力を及ぼさないことになります。電子が物質を構成する粒子として物質の中にじっと存在しているのは、原子核とプラスとマイナスで引き合っているからなのですが、その力が存在しないために、ニュートリノは、自由気ままに飛び回っています。

 しかも、ニュートリノは三世代3種類ずつあるわけですが、多分、重たいものから軽いものには崩壊しない、と考えられています。さらに特徴を挙げると、ニュートリノは非常に軽い、という性質を持っています。つまり軽くて電荷を帯びていない(電気的に中性な)素粒子、それがニュートリノの特徴です。

※ニュートリノ(neutrino)の由来は、「電荷を帯びていない(電気的に中性)」という意味の「ニュートラル(neutral)」に、イタリア語で「小さい」という意味の「イノ(-ino)」を組み合わせたもの。

―ほかの「物質を構成する素粒子」とニュートリノは、随分、特徴が異なるのですね。

 ついでに、「ニュートリノは中性でレプトンである」ということから、いくつかの特徴が出てきます。先ほど「プラス・マイナスで引き合わないので、ニュートリノは自由に飛び回ってしまう」とお話しましたが、その飛び回り方が尋常じゃないのですよ。地球くらい、簡単に突き抜けて行ってしまうくらい、何でも突き抜けてしまいます。

―どんなものでも、突き抜けられるのですか?

 ニュートリノにも種類があるので一概には言い難いですが、例えば、約20光年(1光年とは光が一年間に進む距離)の水を、ニュートリノは突き抜けることができます(正確に言うと、反電子ニュートリノの中で、約4メガ電子ボルトのエネルギーを持っているものは、約20光年の水を突き抜けて行くことができる)。

 つまり、天文学的な距離を物質中でも飛行することできる、まるでお化けのような、透過性の高い粒子がニュートリノなのです。


宇宙はニュートリノでできている

 これで、大体ニュートリノの特徴を話したつもりですが、実はもう一つ、ニュートリノには、注目すべき点があります。

 我々の体をつくる素粒子は、突き詰めていくと、結局は「アップクォークとダウンクォークと電子だ」と言っても良いと思います。では、それらが宇宙にどれくらい存在するのか、考えてみましょう。

 我々の体をつくるクォークや電子は、地球上には、1ccあたりアボガドロ数(約6.02×10の23乗個)程度のすごい量があるわけですが、宇宙全体で平均すると、1ccあたり1億分の1個ずつくらいしかありません。宇宙はほぼ真空状態で、すごく密度は小さいのです。

 一方、ニュートリノは、「第一世代から第三世代まで多分、崩壊しない」と先ほど話しましたが、3世代すべて集めると、1ccあたり300個程度あると言われます。

 ですから、我々の体をつくるクォークや電子は、数で言えば、1ccあたり1億分の1個しかないのに、ニュートリノはその300億倍もある。これが非常に重要な意味を持つと、私は思っています。

 つまり、宇宙は何でできているか?を考えると、数で言えば、宇宙はニュートリノでできているのです。

 ちなみに、最近の話題で、エネルギーという測り方をすると、宇宙にはニュートリノも含めて物質が約4%、暗黒物質が20数%、暗黒エネルギーが70数%という話があります。

 けれども数だけで言えば、ニュートリノが一番多いですね。よって、ニュートリノの性質が、宇宙の性質を理解する上で非常に重要だろうと、想像がつくわけです。

 そのようなわけで、我々の研究の大きな柱として、「ニュートリノの性質を調べたい」という研究が、まず一つあります。ニュートリノの性質にもいろいろあるので、それはこの後で、詳しくお話します。


ニュートリノを使って見えないものを見る

 我々には、「ニュートリノの性質を調べたい」という研究の他に、もう一つ研究したい柱があります。ニュートリノは、非常に透過性が高い性質を持つと先ほどお話しましたが、透過性の高さを利用して何かができるのではないか、と考えています。

―「ニュートリノの性質を調べる」だけでなく、「ニュートリノを利用する」とは、どんなことですか?

 例えば、星内部で起きていることを、直接目で見る(光学的に見る)ことはできませんが、ニュートリノを使うことで見ることができるのではないか、という研究です。

 地球の内部にせよ、太陽の中心にせよ、超新星の内部にせよ、通常、人間の目では(光学的に)見ることはできない場所から、ニュートリノは情報を伝えてくれるメッセンジャーだと考えると、ニュートリノは非常に利用価値が高いのです。

 星内部を見ることは、生活が便利になる意味では、今のところ、まだ実用的ではないかもしれません。けれども例えば、原子炉内部の情報を、ニュートリノでなら非破壊で外から監視することができます。そのような実用的な側面も、将来は生まれるかもしれません。

 いずれにせよ、例えば、太陽中心で核融合が起きて、それが表面へと伝わるのに、100万年くらいかかると言われていますから、ニュートリノで太陽中心を研究することは、100万年後の太陽を調べることだ、と言えるわけですね。


【図3】地球内部で作られたニュートリノは地球内部の様子を知らせてくれる。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 地球の場合、なかなか難しいのですが、ニュートリノに関連して、地球内部のエネルギー生成も調べることができます。地球内部で放射性物質のつくる熱が、地球内部での熱生成の大部分を占めると信じられています。それに伴ってニュートリノが出てきますので、ニュートリノを観測することで、地球内部の熱生成を知ることができます。

 その地球内部の熱生成は地球を理解する上で、非常に重要な意味を持っています。地震にせよ火山にせよ、すべて地球内部の熱生成と関係するはずですし、あるいは、地磁気も地球内部の熱生成に関連していると考えられています。

 地磁気は非常に重要で、太陽から吹き寄せる放射線の嵐を弾き飛ばしてくれているわけですね。ところが、地磁気が今どんどん弱くなっています。今のペースのまま弱くなると、約1000年後には地磁気の強度が0になってしまいます。

 今のペースで弱くなるかはわかりませんが、それも結局、地磁気のエネルギー源がどういうものかに関わってきます。それをニュートリノで解明しようとしているのです。ですから、1000年後の地球が、安全に住めるかどうかを調べることにもつながる、と期待しています。

 つまり、我々の研究は現地点ではアカデミックな興味が大きいですが、「ニュートリノの性質を調べたい」、そして「ニュートリノを利用して、通常、光学的に見ることができないところを見たい」、この二本柱で研究をしています。


ニュートリノは変化する

―では、ここから研究について、詳しくお話を伺っていきたいと思います。これまで、どんな研究が行われてきたのですか?

 歴史的には、ニュートリノの質量を調べたいという研究がずっと続いており、今もなお続いています。そして1998年、大変革が起きました。「ニュートリノ振動」という現象が発見され、それがいろいろな難問を解決していったのです。

―「ニュートリノ振動」とは何ですか?


【図4】ニュートリノ振動。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 ニュートリノ振動とは、先ほどお話した3種類のニュートリノが、飛行中に入れ替わって戻る変化を繰り返す現象です。電子ニュートリノをつくったつもりが、ある距離を飛行すると、ミューニュートリノ、あるいは、タウニュートリノに変わっている、それがまた元に戻る。そんな現象を、ニュートリノ振動と言います。

 少し話が難しくなりますが、相対性理論を考えます。光の速度で移動しているものは、時間が止まってしまいます。けれども、ニュートリノ自身が変化を繰り返すということは、「ニュートリノの中の時計は進んでいる」ことになります。ですから、ニュートリノは光の速度では移動していないことが結論できます。

―もう少し詳しく因果関係を説明していただけますか?

 ニュートリノが「自分自身で時間を刻んでいる」がために「ニュートリノが変化する」のですが、「変化する」ということは、「時間が進む」ということです。「時間が進む」ということは、「光の速度で移動していない」ということですね。

 よって、「光の速度で移動しない」ことから、「ニュートリノは質量を持っている」ことがわかります。質量が0のものは、光の速度で移動しますからね。

 まさに光がそうです。光とは光子のことで、光子は質量が0ですが、質量が0であるがために、どんな波長の光であろうが、光速で移動するわけです。

 ところが、ニュートリノは光速ではないので、質量があることがわかりました。(ニュートリノ振動で)入れ替わることもわかったのですが、質量があることがわかったのが、非常に驚きを持って受け入れられたのです。

―なぜ「ニュートリノに質量がある」ことが驚きなのですか?

 「素粒子の標準理論」では、「ニュートリノの質量は0」と仮定していたのです。その大前提が、実は真実ではなかったので、大変驚かれたのです。

 さらに、ニュートリノだけが他の素粒子よりも、桁違いに軽いことがわかっています。ニュートリノに質量があり、なおかつ非常に軽いのは、どうしてだろう?という謎が、非常に大きな問題になっています。

―最近、話題のヒッグス粒子は「質量を与える粒子」とニュースで聞きますが、それとの関係は?

 最近、ヒッグス粒子が見つかりましたが、もしヒッグス粒子が質量のもとになっているのであれば、同じレプトンである電子と電子ニュートリノで、なぜこんなに質量に差があるのか?が簡単には説明できません。おそらく特別な機構が働いているのではないかな?と想像するわけです。

 いろいろ話が発散してきたので、自分でも難しくなってきましたけれども・・・(笑)。要するに、我々はニュートリノ振動の研究もしています、ということです。


「太陽ニュートリノ問題」を解明

―「ニュートリノ振動」は、どうやって研究するのですか?

 ニュートリノ振動の研究をするには、「これだけニュートリノをつくったので、それが、どれだけ観測されるか調べましょう」とするのが、一番やりやすいですね。

 かつては、太陽のニュートリノを使ったりしました。しかし、太陽内でどれくらい核融合が起きているのか、よくわからない状況で実験をすることになるので、実験装置がうまく動いているかどうかよくわからない、という問題がありました。

 そのような問題が色々ある中で、予測するニュートリノの数と、観測したニュートリノの数を比較すると、観測したニュートリノの方が少ないという謎がありました。これが「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれる、約35年解けなかった謎でした。それを我々は最近、ニュートリノ振動の研究で簡単に解決したのです。

―どうやって「太陽ニュートリノ問題」を解き明かしたのですか?


【図5】日本の原子力発電所の位置と東北大学ニュートリノ検出器「カムランド」。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 例えば、人工のニュートリノなら、原子力発電所でこれだけのニュートリノをつくりました、とわかります。すぐ横で観測したら、予測通り観測できました。でも遠くで観測したら、やっぱり減ったように見えます。

 そうなれば、本当にニュートリノが飛行中に減ったんだな、とわかるわけですね。つまり、つくった時から少ないのか、観測した時に少ないのか、飛行中に少ないのか、それぞれで全然意味が違ってきます。

 もし太陽を問題にした時、作った時に少ないのなら、「太陽の理解が不十分だった」ことになります。観測した時に少ないなら、「実験技術が不十分だった」ことになります。けれども飛行中に減ったのなら、「ニュートリノの性質の理解が不十分だった」となりますね。

 我々はニュートリノ振動の研究を、原子力発電所のニュートリノを観測することで実践しました。そして実際に、飛行中にニュートリノが減っていることがわかったので、ニュートリノは質量を持っており、お互いに入れ替わることのできることが解明されました。太陽ニュートリノ問題を解決した、大きな成果でした。


ニュートリノが地球内部を見通す新たな目に

 実は、原子力発電所から来るニュートリノは、地球内部から来るニュートリノと、同じニュートリノです。原子力発電所から来るニュートリノを観測して、ニュートリノがどう伝わってくるかを理解できたので、メッセンジャーとしてニュートリノを利用する観点から、我々は地球内部の観測も行ない、それにも成功しました。

 地熱の測定によって、47兆ワットという非常に大きな熱が地球内部から発生している、と見積もられています。そのうち、実際に地球内部で新たにつくられているエネルギーは、放射性物質が原子核の崩壊をすることによってつくり出すエネルギーが、ほぼ全てだと考えられていました。それを我々は今回、ニュートリノを使って観測することに成功し、約21兆ワットという結論を出しました(2011年)。

―47兆ワットと比べて、明らかに少ないことがわかったわけですね。この結果が意味することは何ですか?


【図6】熱収支の概念図。カムランドの観測により地球の熱源で放射性物質起源のものは半分に過ぎないことが判明し、熱流量がすべて放射性物質からなるモデルを排除しただけでなく、46億年前の地球形成時の原始の熱が今も残っていることが判明した。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 この結果から何が理解できるかと言うと、「地球は、あまり熱はつくっていないけど、どんどん熱を放出している」ことがわかりました。つまり地球はどんどん冷えていることがわかったわけです。

 地球がどんどん冷えていること、あるいは、地球内部で約21兆ワットの熱をつくっている事実は、地球のダイナミクスを理解する上で、非常に重要なパラメータです。しかしながら、これまで直接測定することはできませんでした。

 それが今回、ニュートリノという非常に特徴的な素粒子を使うことで初めて測定に成功しました。これは「ニュートリノ地球物理」という新たな学問の創出を意味します。今、素粒子と地球科学の研究者が密接に歩調を合わせながら、この分野からどんな研究ができるか、話を進めています。


「軽いニュートリノ質量の謎」「宇宙物質優勢の謎」に挑戦

―最近は、どんな研究をしているのですか?

 先ほどの話にも関連しますが、宇宙や素粒子の研究では今、4つの大問題があると、我々はよく言います。それは、①「暗黒物質の謎」、②「暗黒エネルギーの謎」、③「軽いニュートリノ質量の謎」、④「宇宙物質優勢の謎」です。

―どのような謎ですか?

 ①暗黒物質とは何か?はまだきちんと見つかっていませんが、何か我々の知らない素粒子的なものが重力を担っていることを知っています。これを発見しようと今、皆さんが頑張っています。

 ②暗黒エネルギーについても、正体不明な何かがあることがわかっています。暗黒エネルギーはどんな性質を持っているかを調べようと今、いろいろな研究が進んでいます。

 その他にも、③軽いニュートリノ質量の謎は、先ほどお話した通り、二重の意味での謎(ニュートリノに質量があり、なおかつ非常に軽いのは、どうしてだろう?)があります。ここでは、④宇宙物質優勢の謎について少し説明します。

―宇宙物質優勢の謎とは何ですか?


【図7】物質(粒子)でできた宇宙。宇宙ができた時には同数あったと考えられる粒子・反粒子が、現在では粒子のみの世界になっている。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 「宇宙はビックバンで始まった」、そう我々は理解しています。とりあえず何もなかったところから、あるエネルギーが与えられ、ビックバンが発生し、物質なり何かなりをたくさんつくり、現在の宇宙になったと考えられています。

 エネルギーが物質に変われることは、アインシュタインのE=mc2の式でOKです。けれども実は、何もないところから、エネルギーを与えて「物質」をつくると、素粒子の理論では「反物質」というものを、必ず同数つくらなければいけないのです。

―「物質」「反物質」とは何ですか?

 素粒子の粒子でできているものが物質で、反粒子でできているものが反物質です。素粒子の理論では、素粒子のレベルでエネルギーから粒子をつくる時は、反粒子も必ず同数つくりなさい、となります。それが我々の非常に基本的な理論だったわけです。

 では、宇宙の始まりに、エネルギーから粒子・反粒子をつくったら、今はどうなるのでしょう。ごく自然に、粒子と反粒子はそのうちまた出会って、エネルギーあるいは光に戻ってしまうことが、想像つくわけですね。すると、今の宇宙は光の塊になるべきで、物質だけが生き残っているのはおかしい、という結論に帰着します。

―では、なぜ物質が今、存在しているのですか?

 今、我々はこうやって生きているわけで、物質というものが存在するわけですね。じゃあ、宇宙のどこかに反物質が存在するのかと言えば、全く見つかっていないのです。

 つくりだすことはできるが、物質と出会って、すぐに消えてなくなってしまう。というわけで、宇宙の初期に物質を少しだけ多くつくる、つまり「物質を優勢にする」メカニズムがあったことが、4つ目の謎ですね。

 我々は、宇宙・素粒子の4つの大問題のうち、「③ニュートリノはなぜ軽いか?」「④宇宙はなぜ物質優勢になったか?」に挑戦する研究を始めました。それが「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊の探索」という研究です。


ニュートリノと反ニュートリノは存在する?存在しない?

―「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊の探索」とは、どんな研究ですか?まずは、どんな理屈を考えているか?から教えてください。

 先ほども「エネルギーがあると、粒子と反粒子をつくることができる」と言いましたが、粒子と反粒子とは何ぞや?と考えた時、我々は最初から勝手に定義するわけです。

 我々の身体をつくるのが粒子で、その相棒が反粒子です。先ほども紹介した、電子・アップクォーク・ダウンクォークなど12種類の素粒子を全て粒子と定義すると、それぞれ反粒子の相棒がいます。電子の場合は「陽電子」、アップクウォークの場合は「反アップクォーク」と言います。

―そもそも粒子と反粒子は、一体何が違うのですか?

 それぞれ相棒とは全く同じ質量ですが、電荷が逆転しています。電子はマイナスeという電荷を持つのに対して、相棒の陽電子はプラスeという電荷を持っています。アップクォークはプラス2/3eという電荷を持つのに対して、相棒の反アップクォークはマイナス2/3eという電荷を持っています。

―なるほど、粒子と反粒子は電荷が反転するわけですね。でも、ニュートリノは電気的に中性というお話でしたが、どうなるんですか?

 ところが、ニュートリノは中性なんですね。電荷が違えば、明らかに違う粒子とわかるのですが、中性の粒子に対してニュートリノと反ニュートリノは区別がつくんですか?というところが、そもそも謎なんですね。

 さらにおもしろいことに、ニュートリノには変わった事実が知られています。我々の知っているニュートリノは、すべて進行方向に対して左向きに回転しています。なぜ右に回転するニュートリノがないのか?というのが、よくわからないのです。

 一方、我々が反ニュートリノと呼ぶものは、進行方向に対して、右に回転しています。左に回転するものがないのですね。なぜ左に回転する反ニュートリノはないのだろう?

 ここで、右に回転しているニュートリノや、左に回転している反ニュートリノが、実は「存在する」と思うのか、それともそもそも「存在しない」と思うのかで、理論が大きく分けて二つあるのです。

―どんな理論ですか?

 それは、「実は、我々が観測できないだけで、逆に回転しているニュートリノや反ニュートリノもある」という立場を、その理論を提案した人の名前をとって、「ディラック・ニュートリノ」と言います。

 一方、「我々の知るニュートリノと反ニュートリノは、そもそも同じ粒子であって、左に回転しているものをニュートリノと呼び、右に回転しているものを反ニュートリノと呼ぶ」という立場を、その理論を提案した人の名前をとって、「マヨラナ・ニュートリノ」と言います。

 実は、素粒子の理論の多くは、ニュートリノはマヨラナであることを好むようです。理論的にはマヨラナであって欲しいと思う人が多いわけですね。けれども、ニュートリノが本当にマヨラナであるかどうかは、まだ誰も検証できていません。それを調べたいのが、我々の実験です。

―それと、件の宇宙・素粒子の大問題とは、どう関係するのでしょうか?

 まず重要なことは、実はニュートリノがマヨラナ・ニュートリノで、粒子と反粒子の区別がないとすると、宇宙の初期に物質が多くできたとか、反物質がちょっとだけ少なかったとか、そのこと自体に意味が無くなるんじゃないか、と注目できます。

 要するに、物質と反物質の数は、粒子と反粒子の数ですが、ニュートリノはどちらに数えたらよいのかわからないわけですね。そういうことで、もしニュートリノがマヨラナ・ニュートリノであれば、宇宙物質優勢の謎を解明できる可能性があります。

 実際にレプトジェネシスという理論では、ニュートリノが原因となって、宇宙に物質を少しだけ多くつくり、それが現在の宇宙をつくり出したのではないかと考えられています。


「軽いニュートリノ質量の謎」も一挙に解決へ

―「③ニュートリノはなぜ軽いか?」については、いかがですか?

 ニュートリノ・反ニュートリノは、左に回転するか・右に回転するかだけで区別するという、マヨラナ粒子の立場をとると、実は、もう一つ、理論的な考察ができます。

 素粒子は、電子の場合もそうですが、左に回転している電子、右に回転している電子、左に回転している陽電子、右に回転している陽電子、というように4つの自由度があります。

 マヨラナ・ニュートリノは、このうちの二つの自由度しか使っていないので、残り2つの自由度を、理論的には好きに使っても良くなるわけですね。そこで、非常に重たいニュートリノが宇宙の初期にあったのではないかと考えるわけです。

―マヨラナ・ニュートリノで粒子と反粒子の区別がない分、2つの自由度が残るのはわかる気がします。でも、なぜ「非常に重たいニュートリノが宇宙の初期にあった」と考えられるのですか?

 ディラック・ニュートリノの場合は、観測されていないだけで、左に回転しているニュートリノ、右に回転しているニュートリノ、左に回転している反ニュートリノ、右に回転している反ニュートリノ、4つの自由度を全部使ってしまったので、それ以外に使える自由度はないわけです。

 ところが、マヨラナ・ニュートリノの場合は、左に回転しているニュートリノと、右に回転している反ニュートリノしかないため、2つしか自由度を使っていないから、残りの自由度は好きに使ってください、と理論的にはなるわけです。

 それに対して、少なくとも我々は今、観測できていないわけだから、今の宇宙には多分存在しない、あるいは、我々の加速器や宇宙空間での現象ぐらいではつくり出せないくらい、重たいニュートリノなんだろう、と思いたいわけなんですね。

 つまり、残りの自由度がまだ発見できないくらい、重たいニュートリノなんだろうな、と想像するわけです。重たいので、不安定だから今の宇宙には存在しない。あるいは、重たいのでつくれない、ということです。

―では、どんな重さなら、素粒子の研究者は納得するのでしょうか?

 この辺は、もうほとんど理論的な仮説の世界ですね(笑)。我々・素粒子の研究者たちは、理論をどんどん統一していくことに情熱を傾けてきました。現在の素粒子の標準理論の次には、恐らく素粒子の大統一理論があるだろう、と考えられています。

―素粒子の大統一理論とは?

 大統一理論は、エネルギーの非常に高い世界を記述できる理論だ、と考えられています。エネルギーの高い世界では、重たい粒子も簡単につくれます。

 ですから、「重たいニュートリノは、大統一理論の世界くらいの質量を持っていれば、良いのでは」と想像するわけです。すると、理論的にも非常に美しいわけですね。

 そういうことを研究していくと、おもしろいことがわかったのです。もし重たいニュートリノが存在すると、実は、その相棒である普通の重さのニュートリノは、実際に観測する時には非常に軽く観測されてしまうのですよ。

―なぜ「重たいニュートリノが存在すると、相棒の普通の重さのニュートリノが軽く観測されてしまう」のですか?

 我々の知っているニュートリノが自由度を2つ使っていて、我々の知らないニュートリノが残り2つの自由度を使っている。そして、それぞれのニュートリノはお互いに関係し、片方のニュートリノを重くすればするほど、残りのニュートリノは軽くなる。これを、シーソーに例えて「シーソー機構」と呼ぶ理論があります。

 数学的な言葉を使えば、質量行列を対角化すると、重たいニュートリノの質量が分母にあらわれるので、分母を大きくすると、ニュートリノが軽くなる、と説明します。

―シーソー機構で「ニュートリノは他の素粒子に比べてなぜ非常に軽いのか?」を説明できるということですね。

 普通であれば「ヒッグス機構」で質量をもらうようなニュートリノは、他のクォークやレプトンと同じくらいの質量であればよいと考えるのですが、実は「シーソー機構」によってニュートリノだけが特別軽く見えてしまっている、という理屈ですね。

 要するに、マヨラナ・ニュートリノであることがわかれば、ニュートリノがなぜ軽いか、そして宇宙になぜ物質だけが生き残ったか、という宇宙・素粒子の大問題2つを一挙に解決へ導ける可能性があるということです。


「ニュートリノと反ニュートリノは同じ」、どう調べる?

―「大問題2つを一挙に解決へ導ける」とは大変魅力的ですね。では、どうやって調べるのですか?

 どうやって調べるかが、大事ですね(笑)。簡単に言えば「ニュートリノと反ニュートリノは区別がない」と言っているので、本当にそうなのか?を調べれば良いのです。

 「進行方向に対して左に回転するとニュートリノ、右に回転すると反ニュートリノ」と言いましたが、では「左に回転していますか?」「右に回転していますか?」は、実は、見る人によって変わってくるのです。

―「見る人によって変わる」とは、どんな意味ですか?

 先ほど「ニュートリノ振動を観測したことによって、ニュートリノには質量があり、光速よりも遅く動いていることがわかった」とお話しました。

 光速よりも遅いということは、光速にはたどり着けないけど、ニュートリノの速度を超えて観測できる人がいることを意味します。物理用語では「系」(システム)と言いますが、ニュートリノの速度を超えた観測系というものが存在することになるのです。

 ニュートリノが遅ければ遅いほど、反転して見ることは簡単になります。もっと簡単に言えば、例えば、止まっているニュ―トリノは、進行方向に対してどちらに回転していますか?と言えば、回転していません。進行していないわけですから。

 その場合、50%と50%の確立で、ニュートリノと反ニュートリノが観測されることになるはずです。実際には、ニュートリノは非常に光速に近い速度で動いているので、そう簡単ではありませんが。

 というわけで、例えばニュートリノをつくって観測した時に、反ニュートリノとして観測されれば、ニュートリノと反ニュートリノは同じものだったとわかります。それを調べたいのです。

―ニュートリノをつくり、反ニュートリノとして観測されれば、もともと同じものと言えるわけですね。ニュートリノ自体は簡単につくれるのですか?

 簡単かと言うと、別に難しくないですね。例えば、「ベータ崩壊」という名の原子核の崩壊があります(図1)。電子は粒子ですから、電子をつくった時は、必ず反電子ニュートリノ(反粒子)をつくらないといけません。一方、陽電子をつくる反応があれば、電子ニュートリノができます。

 というわけで、陽電子ができたか・電子ができたかを考えると、ニュートリノが飛んできたか・反ニュートリノが飛んできたかが、わかります。

 あるいは、電子を変化させて、電子ニュートリノにすることも可能です。電子を、例えば原子核にぶつけて、ニュートリノに変えることができます。電気を原子核に渡してしまい、残ったものがニュートリノになって飛んでいくことができるのです。

 その時にできるニュートリノは、もともとが粒子だったので、次も粒子である必要があります。すると、左に回転したニュートリノができます。

 けれども、「左に回転した」と言っていますが、実は、非常に高速で動いている人から見ると、右に回転しているように見えます。ですから、そんな人が観測すると、反ニュートリノに見えてしまうはずなのです。それを調べたいと考えています。


自然の中にある大変有難い反応 「二重ベータ崩壊」

―お話いただいた理論を、実際にはどのように実験するのですか?

 ニュートリノを打ち込んで、反ニュートリノに見えることを調べよう。それは検出する側の立場からすると、エネルギーが高ければ高いほど、観測しやすいのですね。低いエネルギーでは観測できません。

 じゃあ、ニュートリノのエネルギーを高くしてください、と要求することになりますね。しかし実は、ニュートリノのエネルギーが高くなると、より光速に近いので、反転することが、ほぼなくなってしまうのです。

 それが非常にジレンマになって、結局、現実的には観測できないことになります。ですから、ニュートリノを打ち込んで、反ニュートリノに見えることを、なんとか大きな装置でやろうとしても、どだい無理な話なんですね。

―では、実験不可能なのですか?


【図8】原子核の二重ベータ崩壊。通常の二重β崩壊(左、2νββ)は二つのβ崩壊が同時に起き、電子2つと反ニュートリノ2つを放出する。ニュートリノがマヨラナ粒子の場合、ニュートリノを放出しない崩壊(右、0νββ)が可能となる。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 じゃあ不可能なのかと言うと、実は、自然の中に非常に有難い反応がありましてね。それが「二重ベータ崩壊」です。原子核が崩壊し、電子を二つ同時に放出するような崩壊です。β崩壊が二つ同時に起きるので、二重ベータ崩壊と言います。

 本来であれば、崩壊時に反電子ニュートリノが2つ放出されるはずですが、非常に狭い原子核の世界なので、二つの反ニュートリノがお互いに反応しやすいんですね。

 我々の住む空間は、ニュートリノからすると、スカスカなんです。だからこそ、どこまでも飛んで行ってしまうわけです。ところが、原子核というフェムトメートル(1000兆分の1メートル)の非常に狭い世界で、二つ同時に反ニュートリノをつくると、それぞれが反応するチャンスは飛躍的に高まるわけですね。

 そういうわけで、片や反ニュートリノをつくりました。もう片方は、反ニュートリノをつくったつもりなのだけど、もう片方の反ニュートリノから見ると、ニュートリノに見えました。

 すると、速度の問題ですね。速度を超えていれば、反転して見えますから、反ニュートリノがニュートリノに見えた。すると、反ニュートリノとニュートリノは、お互いに出会って消えることができます。もしニュートリノと反ニュートリノが同じものであれば、そういうことになるのです。

 その結果、ニュートリノが出ないで、電子が2つだけ出てくるような反応が起こり得る、ということになります。我々は、こういう反応を探しています。

―「ニュートリノが出ない二重β崩壊」は、つまり、どんな意味を持つのですか?

 本来、反電子ニュートリノが2個出てくるはずが、出てこない、ということは、重大な現象を引き起こしましてね。いきなり粒子が2つポコっと増えたことになりますから、先程来お話していた「粒子をつくったら、反粒子をつくれる」という理屈を真っ向から否定する現象なわけです。

 要するに、こんな反応が起こると、実は、ニュートリノと反ニュートリノは同一の粒子ですよ、という証明になるのです。それは、マヨラナ粒子であるという証明です。

 ニュートリノがマヨラナ粒子であると証明できれば、ニュートリノが軽い質量を持つ謎と、宇宙物質優勢の謎という、宇宙・素粒子の大きな2つの謎を解決できるので、これはぜひやりたい、と皆さんが思うわけですね。


わずか2年で実験開始、さらに世界最高性能を叩き出せた理由

―なるほど。でも皆さんが「ぜひやりたい」と思うなら、その分、競争も激しいのでは?

 物理現象としては非常に重要な現象ですから、皆さんも「ぜひこれをやりたい」と、世界中で非常に激しい競争状態です。

 ところが、そもそも二重ベータ崩壊自体がなかなか起きない特別な反応なのです。「こんな反応はまず起こらないでしょう」というくらい、非常に稀な反応なんですよ。先ほどの「ニュートリノを打ち込んで・・・」という方法よりは、まだマシとは思いますが。

―どれくらい稀な反応なのですか?

 どれくらいの寿命かと言うと、原子核を一個持ってきたら、約10の20乗年、待たなければ崩壊しません。

―では、やっぱり無理なのですか?

 いいえ。10の20乗個持っていれば、1年で崩壊します。ですから、たくさん持っていれば良いわけです。このようなニュートリノを出す二重ベータ崩壊に比べて、ニュートリノを出さない二重ベータ崩壊は、さらに珍しいはずですね。

―どれくらい珍しいのですか?

 どれくらいの寿命かと言うと、10の25乗年よりは長いだろうと思っているわけです。すると、少なくとも10の25乗個とか、10の26乗個くらいの原子核を持ってこないと、実験ができません。ですから、このような現象を調べるためには、大型の実験装置が必要です。

―実験装置は、どれくらいの大きさですか?

 どれくらい大型じゃないといけないかと言うと、100キロや1トンくらいの、非常に特殊な原子核を持ってくる必要があります。二重ベータ崩壊をする原子核は特別な原子核なのですが、実用的なものは10個くらい挙げられています。

―その中で、どんな原子核を使うのですか?

 どんな原子核を使うかは、実験装置の仕組みに密接に関連しており、実験グループごとに違います。我々のグループは、キセノンの同位体136を使っています。これは希ガスで、取り扱いしやすいのが特徴です。

 全体を監視するのに装置が大きくなってしまうので、できるだけ濃縮したいわけです。いろいろな同位体がある中で、136という同位体は、キセノンの8.9%しかありませんが、希ガスを濃縮するのは割りと簡単で、遠心分離ですぐに濃縮できます。濃縮しやすく扱いやすい希ガスに、我々は注目したわけです。

 大きな実験ですから、大量のキセノンを集めてこなければいけません。我々は、320キログラムの90%に濃縮したキセノン136を使いました。我々が実験で使用した量が、世界最大量です。

―他にも強みはありますか?


【図9】カムランドエリアの概略図。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 もう1点我々の強みがあります。我々の研究では、実は、ニュートリノ観測装置を流用しています。ニュートリノ観測装置は、そもそもニュートリノがなかなか反応しないため大きい必要があるのですが、我々の実験装置「カムランド」は、1200立方メートルという大きさをもった装置でした。他のライバルの実験装置に比べて、圧倒的に大きいのです。

 さらに、ニュートリノは観測しにくいので、放射性不純物が少なくないといけないことが、重要な課題だったのです。もちろん、それもクリアしたからこそ、ニュートリノの観測に成功したわけです。カムランドは巨大で、極低放射能であることが特徴です。

 稀なために大きくないといけない。稀なために放射性不純物が少なくてはなけない。この二つの特徴が、いずれも二重ベータ崩壊という稀な現象を探索するのに向いているのです。ニュートリノを観測するのと稀な現象を観測するのは、非常に似通ったものです。

 実は、カムランドが使っているのは「液体シンチレータ」という油なのですが、油にこの希ガスがよく溶けることがわかりました。じゃあ、いっそのことカムランドの中にキセノンを溶かして測定すればいいじゃないかと始めたのが、我々の実験です。プロジェクトとしては2009年から始まり、実際の実験開始が2011年9月末でした。

 我々はそれ程大きなグループではないのですが、2009年からわずか2年で実験を開始できたことは、ライバルから見れば、非常に素早い動きだったと思います。我々の存在を知らない人がたくさんいたわけですが、ダークホース的に急にあらわれた感じでした。そして今、我々の実験装置が世界最高性能を持っています。

―プロジェクト立ち上げから、わずか2年で実験開始。さらに世界最高性能をすぐ叩き出せたのは、なぜですか?


【図10】カムランド禅実験の概略図。キセノン136を400㎏溶解した液体シンチレーターをミニバルーンに入れ、カムランドに沈めることによって、極低放射能環境での測定を行うことが可能となる。(C)東北大学ニュートリノ科学研究センター

 そんなポッと出の実験が、なぜ世界最高性能にすぐ辿りつけたのかというと、まさに先ほど、大きくて綺麗(極低放射能)という2つの性質を最初から持ち合わせた実験装置を、すでに持っていたからなんですね。

 我々が開発しなければいけなかったことは、もちろん簡単ではありませんでしたが、小さな風船をつくり、その中にキセノンを溶かした油を入れること。けれども、それ以外に開発するものは比較的無かったのです。ですから、すぐに始めることができた。今も苦労はしていますが、世界最高性能を実現しています。


「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」がもし見つからなくても

―では、今後については、どのようにお考えですか?

 今後、カムランド自体の感度をどんどん向上させるために非常に大掛かりな改造も考えています。今の観測装置をそのまま使っても、世界最高性能はしばらく維持できるとは思いますが、物理的な要請から、どうしてもカムランドの性能向上をしたいのです。

―なぜカムランドの性能向上をしたいのですか?

 もちろん、ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊が見つかれば、先ほどお話したように、ものすごい大発見ですから、もう十分、大成功で良いのです。けれども見つからなかった時にどうするか、それに対する答えを用意していなければいけません。

 我々としては、反ニュートリノを観測するという王道が常にあるわけですから、比較的マルチパーパスな、よくできた実験ではあるのですけれどもね。

 しかし、二重ベータ崩壊の研究でも、装置を改造しておくことで、たとえ見つからなくとも、消去法である結論に到達することができます。あるいは、他の実験と組み合わせることができれば、ある非常に決定的な物理の発展に寄与できることを期待しています。そのためには、今の性能だけでは不十分で、拡大しなければいけないと思っています。

―ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊がもし見つからなくとも、装置の改造によって、どんな結論が得られるのですか?

 見つからなかった場合、「ニュートリノは、ディラック・ニュートリノだ」と言える可能性があります。さらに「ニュートリノは、ある質量よりももっと軽い」と言える可能性があります。

 「軽いです」と言って、ちゃんと決まらないのはおかしいと思われるかもしれませんが、先ほどお話したニュートリノ振動で下限がわかったので、上限がぐっと狭ばれば、ほぼ決まったようなものです。

 特に決定的に世界が変わると思われているのが、「ニュートリノは3種類ある」と最初に説明しましたが、3種類の質量の関係が、よくわかっていません。それを「ニュートリノ質量構造」と言います。

 簡単に言うと、三つがそれなりの重さを持っているか、二つがそれなりの重さを持って一つが軽いのか、1つだけがそれなりの重さを持って二つが軽いのか。この3パターンがありえますが、どれなのかがわかっていないのです。

 これを我々は消去法で「三つが重い」と「二つが重い」を排除できるのです。その実現のためには検出器の改造が必要なため、今、積極的に改造のための開発や予算要求を行なっています。


カムランド火災事故の影響について

―競争激しい分野ということですが、昨年のカムランド火災事故の影響は?

 ご存知の通り、カムランドは昨年、火災事故を起こしてしまいました。怪我人は一人もおらず、全員無事に救出されました。実験装置も、本体には全く損傷が無かったため、事故から1ヶ月も経たないうちに、カムランドの再開はできました。ただし、周辺装置とつなげている信号線や配管などが火災で損傷を受けたため、実は現在、二重ベータ崩壊の研究が停止中です。

 非常に間が悪かったのですが、我々が世界最高感度に達したという論文を投稿し、それがパブリックに掲載された、その翌日に火災が発生したのです。

 実はその論文を投稿する前に、キセノンに放射性物質が入っていることがわかり(福島原発事故の爆発に由来するのか、キセノンを航空便で輸送した際に宇宙線を浴びてつくられたかはわかりませんが)、実験の感度を制限していたので、純化をしていました。

 純化をしてちょうどキリが良かったので論文を出したのですが、純化中だったため、キセノンが全て外へ取り出されていたのです。そのためキセノンが残っていない状態で、配管だけが焼かれてしまったので、キセノンを戻せなくなり、実験停止中なのです。

 総長からも、火災翌日には激励をいただき、一生懸命復旧作業をしたわけですが、どうしても契約上、時間がかかるところがあり、工事待ちのところがあります。

 今年8~9月頃には、キセノンを入れて実験を再開できるのではと期待しています。当初の予定から約半年強遅れており、当然ライバルがいる研究なので、ドギマギしています。

―競争の激しい分野での半年は大きいですね。

 半年も待たされたら、怖いですね。実際に、我々が2011年10月に実験を開始し、2012年1月に世界最高性能を達成した、すぐ後でアメリカに塗り替えられてしまいました。それを再度塗り替えたのが昨年11月、火災の前日です。

 今は世界最高性能を維持していますが、これだけ時間を置いてしまうと、ライバルが次のデータを出してくるのではないかと、ヒヤヒヤしています。ただ、我々の純化がうまくいけば、圧倒的に性能は向上するため、そこまで辿りつければ、もし抜かされたとしても、またすぐに抜かし返せると思います。けれども早く始めたいところですね。

―火災の原因は?

 我々が使わなくなった装置の解体を業者さんに依頼したのですが、それがメタノールを扱う装置でした。メタノールは非常に引火性が高いわけですが、一部残留していたメタノールが解体時に漏れ出しました。その対処が不十分なまま、ボルトを切ろうとグラインダーを使ったために火花が散り引火してしまいました。

 本当にその時は、大変なことになりました。火事が起きた情報は伝わってきたのですが、電話線も全部焼かれてしまいました。中に5人が閉じ込められたのです。一人だけ火災現場近くにいた人間が避難してきたのですけが、真っ黒な姿で現れました。逃げてきた人が真っ黒で、中に5人残っているなら、5人はどうなるんだろう?と非常に怖いのだけども、連絡がつかないのです。

 結局、火災近くにいたから真っ黒になっただけで、中にいた5人は、すぐに避難していました。今回の火災現場は通路でしたから、外に逃げない方が良いとわかったので、奥にある実験室に避難したのです。通路で火災が起きた場合、中の実験室へ避難するように、と普段から避難訓練を実施していた通りに5人が行動したおかげで、汚い空気や煙も来ることなく、全員無事でした。

 事故を起こしたこと自体は非常に問題ですが、その後の対応を中にいた人は非常によくやってくれました。そのおかげで、誰も怪我せずに済んだのだと思います。

 我々としては、業者さんとのコミュニケーション不足を反省しています。危険物が入っている場所では、グラインダーは使用不可であることを、どれだけ徹底できていたかが反省すべき点です。その後、安全対策委員会を設立するなどして事故防止に努めています。まだ復旧活動は続いていますが、体制としては平時に戻っています。


ニュートリノ研究の道に進んだ理由

―話は変わりますが、井上先生がこの道に進んだ個人的なモチベーションをお聞かせください。

 道とは何処から始めるかが難しいのですが、実は、何もないのですよ。もともとは素粒子の理論をやりたかったのですが、能力不足と言うと非常に悔しいですが(笑)、あるところで実験をやることになりました。その研究室がニュートリノの研究もやっていました。

 そこで、たまたま指導教員になった先生が、「ニュートリノの観測装置をつくろうよ」と。非常にこじんまりとした実験でしたが、ゼロから開発して夢は大きくという研究で、非常に打込めました。それが実は「太陽ニュートリノ問題を解明したい」という研究プロジェクトでした。

 太陽の核融合で予測されるほどニュートリノが来ないため、きちんと核融合が起きているのだろうか?という謎があったのですが、その延長上で「カミオカンデ」という有名な実験装置に加わり、「スーパーカミオカンデ」にも加わりました。スーパーカミオカンデでは「絶対に太陽ニュートリノ問題を解決する、ニュートリノ振動の証拠が見つかるはずだ」と意気込んでやっていたんですよね。

 ところが見つからなくて、逆に、大気ニュートリノという、また異なる観点で観測した同じチームから、ニュートリノ振動の結果が出てきました。

 それで「あぁ、なかなか太陽ニュートリノ問題の解明は難しいな」と少し閉塞感を感じていたところで、鈴木厚人先生が「東北大学で原子炉ニュートリノの実験をするよ」と呼んでくださったのです。

 実は最初、「まぁ、そう都合良くは答えは見つからないだろう」と思っていたのですが(笑)、スーパーカミオカンデの研究をそのまま続けても、やりがいはありましたが、若干の閉塞感もあったので、「とりあえず違うこともやってみよう」くらいの気軽な気持ちでした。

 そのうち戻るつもりで勝手にいたのですが(笑)、建設の責任者や解析のリーダーなど割りと重要な仕事をさせていただいていて。そして実験を始めた途端、原子炉ニュートリノですから来る量がわかっていて、ニュートリノが少ないぞ!という、ものすごい成果が出ちゃったものですから、もう大変ですよ(笑)。

 楽しくって、仕方ない。最初のうちは、色々な国際会議など充実した日々を送っていました。その時の論文は引用数が大変多くて、素粒子分野では世界3位、当時は物理学分野で世界1位という、非常に注目された論文になったのです。

 その後も、ニュートリノ振動でも進展があり、地球ニュートリノも見えた、大成果を挙げるうちに、厚人さんがKEKに行っちゃったわけですよ。本当は研究者って研究をやっているのが好きなのですけど、厚人さんがいなくなると、東北大学の研究センターとして、ビジビリティとかお金とか、運営を考えないといけなくなりました。

 二重ベータ崩壊も、もともとはあまり興味がなかったのです。逆に言うと、もう何十年も研究されているのに、なかなか解決しないものだから、今頃ノウハウもない我々が加わっても貢献できないんじゃないか、というネガティブな考えではあったのです。けれども、実際にいろいろ設計や開発をしていると、「行けるぞ」という雰囲気が出てきました。そして、予算申請をしたところ、これまでカムランドグループはしっかりした成果を出していることもあって、ほぼ満額回答で、「特別推進研究」という6億円超の予算をつけていただきました。

 実際に、そのおかげで、ニュートリノセンターとしても頑張って資金調達をしまして、最初はキセノンを約100キロしか買えない予算でしたが、頑張って、400キロくらい買いました(実際の実験で投入できた量は320キロしかないのは、それ以外は入れたのだけど、なかなか簡単には入らないので、戻ってきてしまったのです)。そして世界最高感度を達成しました。

 ここまでは非常にうまく行った方ですね。ただ、これからは、やはりライバルが存在する中で、我々として、多目的を追求したいと考えています。

―多目的とは?

 もちろん、先程お話した二重ベータ崩壊が見つかれば非常に重要な意味を持つし、見つからなくても消去法が使えるところまで頑張りたいということを主目的にしつつ。世界で一番良いデータを出している地球ニュートリノのデータも出しつつ。もう少し他にもできないかなと考えています。

 極低放射能環境でできる物理をいろいろ考えています。クォークもレプトンも3世代あるのが非常におもしろいのですが、なぜ3世代しかないのかは、不思議ではあるわけです。そして、4世代目があるかもしれない兆候が、ニュートリノのいろいろな実験の中で、出てきています。それが本当に4世代目があるかどうかを、大変好感度で調べる研究が、カムランドを使って可能なのです。

 あるいは、暗黒物質。宇宙の4大謎のうち、残り2つの中にありましたね。日本では、東京大学が「エックスマス実験」で非常に頑張っています。そこと直接競争というよりも、「過去に暗黒物質を見つけたかもしれない」と言うグループがいます。

 普通に考えると、「間違っていたよ」と否定されるはずなのですが、あまりにも綺麗なデータなので、全く違う実験手法ではなかなか否定できずに、苦労しています。それを全く同じ実験手法で検証したいと考えています。もう一回、我々も見てしまうと、今度こそやっぱり本当にあったのかな、となるかもしれませんが。そのような、いろいろな多角化を考えています。

 というわけで、最初は何というわけでもなく、なんか素粒子研究をやりたいとは思っていて、知らない間に実験をやることになって、それが非常にやりがいがあった、という感じですかね。小さな開発をいっぱいしまして、物理的成果だけでなく、装置の性能でも、いろいろな世界で誰もやったことのないことに、挑戦していましたね。


研究に対して誠実でありたい

―以前、KEK機構長の鈴木厚人さんにインタビューした時も「結局、必要は発明の母で、必要なことは考えてやる。坑内の電気配線一つにしてもプレハブの組立にしても、すべて研究者が手順の仕方を考えて自分でやる。程度の差こそあれ、常に未知の課題に挑む、その積み重ねだ。それが単に対象がプレハブかニュートリノかだけで、思考プロセスは同じ」とお話されていました。

 そうですね。特に、我々は「非加速器実験」という分野なのですが、我々の実験グループの特徴は、自分たちでデザインして、自分たちでつくれるところは全部つくっちゃう。大きな土方作業などは、さすがに業者さんにお願いしますが(笑)、そういうところが特徴ですね。

 だから段取りするとか、プレハブを作るのも、まさにそういうことだと思いますが、人を集めて、どこに物をおいてとか、あらゆる段取りから自分たちで考えることが特徴ですね。

 研究の種類によっては、装置を買ってきて、あとは試料をつくって測定に集中する分野もありますが、我々は装置を開発して、コストダウンを図り、つくるのに人を集めて、というようなことを、全部をやる(笑)。それがまた、おもしろいのですよね。

―毎年のようにニュートリノ科学研究センターの学生さんが東北大学理学研究科物理学専攻賞を受賞されますが、受賞者インタビューでは皆さんも口を揃えて「自分の手を動かす小さな開発から、大きな物理学の成果まで、つながっている点が大変おもしろい」とお話されます。

 ええ、魅力なんです(笑)。ですから実際、そういった建設に参加できるタイミングの世代は非常に恵まれていて、そういう人たちは、割りと研究者になって活躍する人が多いですね。

 我々のような装置は大きいので、10年に1回建設できるか、という頻度なんです。すると、解析メインの世代も、どうしても出てきてしまう。そういう人たちの場合、我々ほどの感激は味わえていないかもしれませんが、できるだけ小さな開発はしてもらうようにしています。それが実際に使われ、世界最先端で競えるものになるのは、10年に1回あるか、という話だと思います。

―まさに今、その建設をやっている状況なのですね。

 今までは非常に良かったのです。まさに世界最高性能を達成し、これからも純化をしている状況なので、しばらくは世界最高性能を競いながら、自分たちのアイディアを埋め込んだ開発と製造をしなければいけない状況ですね。

―そんな中、井上さん自身が心の軸として大事にしていることは、ありますか?

 そういうのに答えるのは、ちょっと恥ずかしいのですが(笑)。ずっと、研究に対して誠実でありたいと思っています。いろいろな意味があるとは思うのですが、アカデミックな意味だけではなく、学生との関わりも誠実でありたいと思っています。
 そうですね。学生の頃から、やるときは一生懸命やるし、遊ぶ時も一生懸命遊びますが、それも誠実の一つじゃないかと思います。最近は歳をとってきたせいか、「時間を有効に使いたい」気持ちが出てきまして・・・それは学生には可哀想かなと思いますが。


何事にも一生懸命、打ち込んでほしい

―最後に、今までのお話を踏まえて、中高生も含めた読者へメッセージをお願いします。

 何事にも非常に一生懸命、打ち込んでやってほしいと思っています。もちろんそれは研究である必要もないし、勉強にも限らないわけですが、一生懸命やって、それが続けられると、そのうち個性的なものになったり、あるいは世界で自分だけ、グループだけのものになって、世界で競えるような活躍ができるようになると思うのです。ですから、一生懸命やって欲しいなと思いますね。

―井上さんが仰る「誠実である」ことと「一生懸命取り組む」ことは関連していますね。

 そうですね。一生懸命と誠実は非常に近いと思います。

―それなしに、「他にはない自分」は、あり得ないということですね。

 「自分は特別だ、競わなくても良い」というものではないんですよ。一生懸命やった先に自分という特別なものがあるんですよね。自分の利害や利益だけを主張するのは、僕は非常に嫌いで、そういうのは誠実と真反対だと思うのです。一生懸命やった上で、自分の特徴をつくって欲しいなと思っていますね。

―それで「誠実さ」というお話にもつながるわけですね。だからこそ、打ち込んでやっている。

 そうですね。すごく打ち込んでいますよ、私も(笑)。ここにいる学生さんにせよ職員にせよ、すごく、そういうタイプの人が多いです。私としては、その誠実である一環として、皆さんにやりがいのあるテーマを見つけないといけないことが、非常にプレッシャーですが(笑)、頑張りたいと思っています。

―井上さん、本日はありがとうございました。



東北大学ニュートリノ科学研究センター 学生インタビュー

写真右から、①松田さゆりさん(D1)、②林田眞悟さん(M1)、③石尾昌平さん(M1)、④立花創さん(M1)、⑤朝倉康太さん(M1)、⑥松田涼太さん(M2)、⑦小原脩平さん(M1)

―この研究室を選んだ理由は?

①松田さん
 物性か素粒子に興味を持っていたのですが、学部1年生の時にカムランドを見学して、「すごく大きくて、格好いいな」と思ったのがきっかけです。東北大学が中心になって進める大きな実験と言えば、真っ先にこの研究室が挙がりました。研究室の雰囲気も良く、中心になってできそうだなと思って、選びました。

②林田さん
 学部4年生の頃、学生実験で泡箱の実験がありました。そこで、素粒子みたいなよくわからないものを、何とかして視覚化しようとする物理学者のスピリットに感銘を受け、素粒子の道に進みたいと思いました。

③石尾さん
 この研究室には大学院生から入りました。4年生の頃、ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊について詳しく勉強する機会があり、それがおもしろかったので、詳しく研究したいと思って、選びました。

④立花さん
 そもそも物理学科には天文系に興味があって入ったのですが、星自体を観測するよりも、もう少し理論的にやりたいと思いました。素粒子系の講義を受けたのをきっかけに、この研究室に入りました。

⑤浅倉さん
 素粒子に興味があり、「ニュートリノ振動」について調べていた時、ここの実験結果がよく出ていたので興味を持ち、この研究室で実験したいと思ったのが、きっかけです。

⑥松田さん
 僕はシンプルに、素粒子はロマンの塊じゃないですか。数式だけで世界を導ける。そこに惹かれて素粒子を選び、どの研究室にするか探した時、この研究室が世界と戦える場所だと、その大きさに憧れて来ました。

⑦小原さん
 素粒子や原子核の研究の方が、物性よりも格好いいなと思いまして(笑)。そこで素粒子や原子核の実験系の研究室をまわった時、この研究室が充実していて先輩たちの空気が良かったので、あっさりと決めました。

―実際に、この研究室で研究をしてみて、いかがですか?

①松田さん
 メインの実験は、二重ベータ崩壊の観測実験ですが、それ以外にも地球ニュートリノや太陽ニュートリノなど、いろいろな物理的に意味のある実験を一緒にできることが、カムランドの特徴だと思います。学生の立場でも、興味のあるいろいろなものを広く選べて、ハードからソフトまでいろいろなことを一生懸命できる環境があることが、すごく良いと思っています。

②林田さん
 ニュートリノセンターは世界的な大発見をいくつかしているので、研究室の雰囲気は、割とシビアじゃないかなと最初は思っていたのですが、実際にはそんなことはなく、自分のやりたいように自分のペースで研究できる環境が、すごく良いと思います。

③石尾さん
 まだ研究室に入ったばかりですが、カムランドの将来に役立つような可能性を検討する研究をしています。最先端の未来につながるような研究を、4年生の立場から扱わせてもらえるとは最初は思っておらず、正直びっくりしました。

④立花さん
 研究と言えば、先生から「これをやって」と言われたものを研究するというイメージでしたが、ここでは「自分がこんなことをしてみたい」「こんな結果が出た」ということを、もちろんヒントはくれますが、自由にやらせてもらっているのが良いですね。

 大学生までは人から教わったことを勉強しますが、自分の研究を始めると、学会で発表する時、年齢が異なる人達とも対等に話すことができるのが、今までとは異なる感覚ですね。この発見を知っているのは世界で自分だけで、それを他の人から聞かれるのは、不思議な感覚です。

⑤浅倉さん
 以前、物性の実験にいた時は聞ける相手が先生しかいませんでしたが、ここでは気軽に情報が入ってきます。学生も皆それぞれ違うことをやっていて、一人ひとりがプロフェッショナル。「これがわからなければ、この人に聞け」というものがあります。

⑥松田さん
 ここの研究室の一番の特徴は、人数が多いにもかかわらず、好きなことをやらせてくれること。素粒子はロマンで格好いいイメージを持ちながら、実際にやることは、ハードウェアの回路をいじったり、ガラスを磨くなど、大きな成果につながる小さなことを、自分の手を動かしてできることが、ここの特徴だと思います。

 世界的な実験の中で、一人の研究者として対等に見てもらえるのが有難い環境だと思います。自分はプロという意識を持ちながら、研究生活を送ってきました。言われたことをやるだけでは、そんな意識は芽生えて来なかったと思います。

⑦小原さん
 皆も言っていますが、実験の自由度の高さが一番の魅力です。「これがわからない」「これを確かめたい」と言うと、適切にアドバイスをくださり、必要な知識と時間と材料を与えてもらい、予算のつく範囲で、自由に実験をさせてもらえるのがとても良いです。

 当前と言えば当前ですが、自分が直接携われるのは巨大な装置の一部であり、直接、素粒子を見ているわけではありません。けれども、自分の小さな研究が、何十年後には大きな発見に役立つかもしれないですね。

―最後に中高生も含めた後輩へメッセージをお願いします。

④立花さん
 中高生の頃って、「勉強って何の役に立つんだろう?」と思いますが、自分の興味がある方向に行くのが良いと思います。将来何に役立つのだろう?というより、自分の興味で良いのではないかと思います。

③石尾さん
 自分がやりたいと思う学問をやったら良いと思います。いろいろな道は選べますから。

⑦小原さん
 リアルな話で言うと、たとえ英語の読み・書きができたとしても、コミュニケーションができなければ、国際学会などの舞台で通用しません。相手に質問されても何を聞かれているのか、わからないからです。英語を使わないところに行けば良いとも思いましたが、そんなところは世の中ありません。大学に入ってからでも良いですが、英語はどの世界でも必要だと感じています。

②林田さん
 将来のことじゃなくても、今を楽しむのが良いですよ。中高生の時間って、何をしても楽しかったと思っています。楽しめる時期に、思いっきり楽しんでおくことが良いと思います。

④立花さん
 選択肢を広めるという意味でも、あまり打算的にならずにね。どこで何が役立つか、わからないですからね。

―皆さん、ありがとうございました。

【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯002】育児や研究の不安、語り合い解決のヒントに/東北大ALicEキックオフ交流会

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【東北大学ALicE×宮城の新聞 ♯002】育児や研究の不安、語り合い解決のヒントに/東北大ALicEキックオフ交流会 取材・写真・文/大草芳江

2013年8月12日公開

育児や研究の不安、語り合い解決のヒントに
/東北大ALicEキックオフ交流会


【写真】6月28日に開催された「東北大学工学系女性研究者育成支援推進室」キックオフ交流会のようす=東北大学Boook

 女性が安心してキャリアを継続できる社会の実現を目指し、今年度設置された「東北大学工学系女性研究者育成支援推進室」(ALicE)のキックオフ交流会がこのほど、同大のカフェ「Boook」で開催された。同大工学系の女性研究者ら14人が参加し、お茶やお菓子を片手に、日頃抱いている育児や研究の不安などを語り合った。

 同大工学系に占める女性研究者や女子学生の割合は、わずか約1割と少数派。ロールモデルとなる女性研究者の姿が見えにくく、女性が出産や育児などのライフイベントによって、キャリア継続をあきらめるケースも多いという。

 ALicEでは、女性が安心してキャリアを継続できる社会の実現を目指し、育児と研究の両立支援やキャリアアップ支援、ロールモデルとなる女性研究者の「見える化」等により、女性研究者や女子学生のキャリア継続を支援する。

 交流会では、ALicE室長の田中真美教授が「女性が、女性特有の理由でキャリア継続をあきらめ、身に付けた能力を社会に生かせないのは、社会的にも大きな損失。特に工学系はロールモデルも少ないが、皆で情報や問題を共有しながら頑張ろう」と挨拶。続いて、参加者がひとりずつ自己紹介し、ALicEへの期待や悩みなどを語った。


参加者の声(一部抜粋)

  • 出産したばかり。復帰後は、勤務の関係で配偶者と別居し、単身赴任で育児を行う。育児に不慣れなので心配だ。先輩から意見をもらえる良いチャンスと思い、参加した
  • 第二子を妊娠中。勤務の関係で配偶者と別居中だが、育児と研究をぜひ両立させたい
  • 妊娠中。4月から夫が単身赴任のため、別居しながら育児と研究を両立する。周囲に親戚もいない。まずは、保育園情報が欲しい
  • 10年ぶりに米国から日本に帰国し、夫と初めて共同生活中
  • 独身。結婚すると、しんどくなるだけでは?その不安から踏み出す一歩になれば
  • 独身。女子学生が大学研究職を選択しないケースが多い。その理由を最近考えている
  • 育児中。交流の場は研究者として大切。懇親会参加時は、シッタ―を利用している
  • 出産したばかり。いろいろな先輩からの育児経験談は大変参考になり、とても有意義
  • 単身赴任で、研究と育児を両立中。そんな状況が自分だけではないとわかり、心強い。すでに心は決まっているが、確信を持てるよう、同じ立場の先輩からアドバイスが欲しい

【写真】閉会後も、会場で和気藹々と情報交換を行う女性研究者たち

 自己紹介後は、女子学生の博士課程進学推進の方策や課題などが話し合われた。閉会後も会場では、日頃抱いている疑問や不安を打ち明けて互いにアドバイスをするなど、情報交換する女性研究者たちの姿が目立った。

 ALicE副室長の有働恵子准教授は「わざわざ相談しに行く程の問題ではないけれども、聞きたい時に聞ける場があることは大切。そんな場でありたい」と話している。

光と遊ぼう、理研仙台で一般公開/「未来の光」テラヘルツ光など体験

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光と遊ぼう、理研仙台で一般公開/「未来の光」テラヘルツ光など体験

2013年8月22日公開

3日に行われた理研仙台(仙台市青葉区)一般公開「杜の都にあがる、不思議な光」のようす

 「テラヘルツ光」などを研究している理化学研究所仙台地区(仙台市青葉区)の一般公開「杜の都にあがる、不思議な光」が3日、行われ、親子連れら約490人が光の科学を楽しんだ。

 テラヘルツ光とは、電波と光のちょうど中間の周波数(0.1~10テラヘルツ ※テラは一兆)の電磁波で、電波と光の両方の性質を兼ね備える。一般公開では、そのユニークな性質から「未来の光」として注目されるテラヘルツ光を体験できるイベントや、光の性質を利用した実験や工作教室などが行われた。

◆テラヘルツ光で透視する

「テラヘルツ波で透視しよう!」のようす

 「テラヘルツ光で透視しよう!」コーナーでは、箱の内部にある物体をテラヘルツ光で透視する実験が行われた。テラヘルツ光は、電波のように、プラスチックや紙などはよく透過し、金属や水分が含まれているものは透過しない。また、電波より波長が短いため、画像化に必要十分な空間分解能がある。被爆の恐れがないため、X線に次ぐ透視法として、空港の所持品検査などへの応用が検討されている。

◆テラヘルツ光で見分ける

「体感しよう、テラヘルツ光!」のようす

 「体感しよう、テラヘルツ光!」コーナーでは、独自の技術を用いて発生させたテラヘルツ光を、種類の異なる気体が入った風船に当てて、テラヘルツ光が通るか・通らないか、比較する実験が行われた。テラヘルツ光は、大半の物質を透過するが、物質ごとに吸収や反射の程度が異なる。そのため、さまざまな周波数のテラヘルツ光を当て、周波数ごとの吸収の分布(スペクトル)を見ることで、指紋のように物質の種類を見分けることができる。

◆テラヘルツ光で封筒中の薬物検出

テラヘルツ光とX線を使って、封を開けずに中身を検査する郵便物検査装置の実演のようす

 このテラヘルツ光の見分ける力を応用し、封を開けることなく大量の封筒の中から隠された麻薬や覚せい剤を見つけ出す郵便物検査装置が開発されており、一般公開ではその実演もあった。このほか、テラヘルツ光は、ガン細胞を識別したり、回路の故障を発見するなど、さまざまな分野での応用が期待されているという。

◆光ファイバーや夕焼けのしくみなど解説

光ファイバーのしくみを説明する「光を曲げてみよう!~光の屈折と全反射~」のようす

 このほか、光ファイバーは光がガラス内部を全反射を繰り返しながら進むことを利用した技術であることや、青空や夕焼けのような空の色の違いは光の散乱現象によって説明できることを、簡単な実験装置を使って再現するコーナーなどがあった。偏光板やセロハンテープなどを使って万華鏡をつくる工作教室もあり、親子連れらが光の科学を楽しんだ。

◆研究で一番大切なのは、ワクワクする心

テラヘルツ光研究グループディレクターの大谷和行さん

 テラヘルツ光研究グループディレクターの大谷知行さんは「科学は、一見難しそうに見えるが、素朴な疑問から始まり、手を動かしながら、当たり前のことをたくさん積み上げているだけで、特別なことではない。研究は、大変で時間もかかるが、一番大切で必要なことは、ワクワクする心。科学のおもしろさを、ぜひ感じてもらいたい」と話している。


文化祭の舞台裏から見える高校の「今」:壱高祭(仙台一高)v.s.北陵祭(仙台二高)宣伝合戦2013

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文化祭の舞台裏から見える高校の「今」:壱高祭(仙台一高)v.s.北陵祭(仙台二高)宣伝合戦2013 取材・写真・文/大草芳江

2013年8月24日公開

壱高祭(仙台一高)v.s.北陵祭(仙台二高)
宣伝合戦 2013

■仙台一高「壱高祭」実行委員会
・第56代壱高祭実行委員長 鶴田華子さん(3年生)
・宣伝広報部・部長 門間奏士くん(2年生)
・宣伝広報部・副部長 阿部莞太郎くん(2年生)


■仙台二高「北陵祭」実行委員会
・第65代北陵祭実行委員長 野川麗くん(3年生)
・企画局長 五十嵐祐樹くん(3年生)
・副委員長 葛西真澄さん(2年生)
・副委員長 武田明佳くん(2年生)

 ~「教育って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【教育】に関する様々な人々をインタビュー~

仙台二高・仙台一高の文化祭実行委員会から、
「宮城の新聞」への取材依頼が今年も舞い込んだ。
今年も、各校で開催する文化祭の宣伝合戦をしたいのだと言う。

文化祭は、生徒達が日頃の学習成果を総合的に生かす場であり、
校風を肌身で感じたり、今後の方向性を垣間見ることができる好機である。

古くより良きライバルとして切磋琢磨してきた両校。
そもそも高校生の彼らは一体何にリアリティを感じて活動しているのだろうか。

彼らの原動力やスタンスなどのインタビュー取材を通じて、
文化祭の舞台裏から見える、仙台一高生・仙台二高生の「今」を探った。

【リンク】
仙台一高「壱高祭」(8月31日~9月2日)
仙台二高「北陵祭」(8月30日~9月1日)

【関連記事】
文化祭の舞台裏から見える一高生・二高生の「今」/実行委員会・座談会(2012年)
文化祭の「裏」から見る高校生の今:仙台二高「北陵祭」実行委員会に聞く(2009年)
文化祭から見える高校の「今」(2008年)
文化祭から見える高校の「今」(1/4)~宮城二女「二女高祭」編~
文化祭から見える高校の「今」(2/4)~仙台一高「壱高祭」編~
文化祭から見える高校の「今」(3/4)~仙台二高「北陵祭」編~
文化祭から見える高校の「今」(4/4)~宮城一高「秋桜祭」編~
特集:仙台一高「らしさ」にせまる(2008年)


仙台一高「壱高祭」・仙台二高「北陵祭」実行委員会の皆さんに聞く


―今年も「宮城の新聞」に取材をご依頼いただき、ありがとうございます。
 今年は、皆さんから「こんな質問をして欲しい」と提案もいただきました。
 せっかくですから、今年の「仙台一高v.s.仙台二高 文化祭・宣伝合戦」は、
 皆さんからのリクエストにお応えしながら、進めたいと思います。
 それでは、皆さん、準備はよろしいですか?

■仙台二高
野川くん(実行委員長)
 表立ってはいないですが、
 これもプチ定期戦ですね。
 今の意識としては、そんな感じです。

■仙台一高
鶴田さん(実行委員長)
 少しだけ、待ってもらえますか?
 (ヒソヒソ声で作戦をたてる、壱高祭実行委員の皆さん)
 ・・・はい、大丈夫です。

―では委員長、先攻と後攻は、どうやって決めますか?

■仙台二高
野川くん(実行委員長)
 では、じゃんけんで。
 どっちが先にする?勝った方?負けた方?

■仙台一高
鶴田さん(実行委員長)
 そりゃ、勝った方が、仕事をとるでしょう。



(じゃんけんの結果、仙台一高が勝利する)

―では、一高さんの攻撃から、参りましょう。


テーマは「壱高 is 夢」「二高定理」/両校とも「学校らしさ」全面に

―それでは、まず仙台一高さんからのリクエストにお応えして、
 今年の文化祭のテーマについて、お伺いしたいと思います。
 テーマには、皆さんの思いが込められていると思いますが、
 今年のテーマや、その意図等について、教えてください。

■仙台一高
鶴田さん(実行委員長)
 今年の壱高祭テーマは、「壱高 is 夢」です。
 そこに、二つの解釈の仕方があると、わたしたちは考えています。

 一つは、「~イズム(ism:主義)」をもじって、壱高主義。
 やっぱり一高生は、一人ひとり明確な考えを持っている人が多いです。

 来場者の方に対しては、自分にぴったり合う、
 一高に対する思いを見つけて欲しい、という思い。

 一方、一高生には、自分の一高に対する考え方を、
 「壱高主義」として、改めて見つけて欲しいですね。

 もう一つは、「一高は夢」と書きますが、
 文化祭は、日常ではなく夢のような日です。

 来場者や、出店する一高生に、
 夢の中に入ったような気持ちになってもらいたい。

 抽象的ですが、一人ひとりの考えにぴったりなように、
 解釈いただければと思います。


―それに対して、仙台二高さんは?

■仙台二高
野川くん(実行委員長)
 今年の北陵祭のテーマは、
 「二高定理~真夏の課外授業~」です。

 「二高定理」とは、
 二高にしかないもの、二高らしさのこと。

 二高らしさは、二高生にしかわからないし、
 それを伝えることができるのも、二高生だけです。

 それを、北陵祭に来てくれる人たちに伝えたい、
 そんな思いが込められています。

 話はずれますが、僕達、ナンバースクール6校(※)で、
 毎年、文化祭の合同ビラ配りをしています。

※仙台一高、仙台二高、仙台三高、宮城一高、仙台二華、仙台三桜

 去年、二高のビラを配ったところ、
 「なんだ、二高か」と相手にしてもらえず、
 すごく悔しい思いをしました。

 やっぱり、二高は進学校で、「勉強しかできない」
 イメージが染みついています。

 でも二高生も、皆を楽しませようと、文化祭に対して
 本気でやっていることを全面に押し出すことで、
 「二高は勉強だけ」のイメージを払拭したいのです。

 上からという気持ちはないですが、課外授業なんで、
 二高らしさを授業する、と言うか、
 二高らしさを証明する、そんな感じです。



仙台一高「自発能動」/自由と責任、行動であらわす

―今年のテーマは「壱高 is 夢」「二高定理」ということで、
 両校とも、「学校らしさ」を中軸におく点が共通ですね。
 その「らしさ」は文化祭の至る所にあらわれていると思いますが、
 特に、文化祭のどんなところに体現されていると考えていますか?

■仙台一高
阿部くん(宣伝広報部・副部長)
 壱高祭には、
 一般部活による出店やステージ発表、
 夜祭のコント等いろいろありますが、
 一日中、全てを通して、「一高らしさ」が
 あらわれていると思います。

門間くん(宣伝広報部・部長) 基本、生徒が全部やり、
 先生たちが手伝う様子は、あまり見られません。
 生徒たちが生き生きしていて、相手を楽しませよう、
 という気持ちが、にじみ出ている人が多いです。
 そんな考え方が、実行委員だけでなく、一般生徒にあります。


阿部くん(宣伝広報部・副部長) 一高の標語は「自発能動」。
 字の通り、自ら考えて能動的に動く、という意味です。
 その標語を一高らしさと捉えると、やっぱり、
 お客さんを自ら楽しませようという意志があらわれている、
 と思います。

鶴田さん(実行委員長) ちょっと補足してもいいですか。
 一人ひとり、お客さんを楽しませようと考える気持ちは、
 一つの目的ではありますが、そこに至るまでの手段が、
 一高の校風である「自由さ」が、すごく出ていると思います。

 長年続く伝統企画もあれば、毎年やり方を変える新企画もあり。
 それを実現するために、生徒も実行委員も、努力しています。

 ここで言う「自由さ」とは、
 「やりたいからやる」という単純なものではありません。

 私たちに求められている「自由」とは、努力あっての自由。
 自由に対して努力する気持ちがあることは、忘れないで欲しいです。

阿部くん(宣伝広報部・副部長) 皆、責任感を持って、
 「自由」を体現していると言うか、行動で表しているんですよ。

 自分たちの中で、お客さんを楽しませよう、という意志をもって、
 自分たちが店を出す責任をもつ。それに基づいた自由なんです。

 いろいろ自分たちで店や接客の仕方を考えられる、という自由も、
 すべて、そういう「責任」に基づいた自由なんです。
 ですから、自由気ままとは、また別の形です。

 「自由」の解釈の仕方は、一高の中でも色々分かれますが、
 文化祭においては、そういう「責任」というものが、
 ものすごく大きなものであるのかな、と考えています。

鶴田さん(実行委員長) 具体例を出せば、
 去年まで綿飴を出していた団体が、
 「今年は金魚すくいをやりたい」「パンを売りたい」
 と言い始める例が、時々あります。

 でも、食品を出すには検便が必要ですし、
 金魚すくいをやるには、生体を扱うわけじゃないですか。
 パンを売るには、クリームはダメとか、いろいろ規制があって。

 そういうのもすべて、先生たちが関わらないからこそ、
 自分たちで考えなければいけない。
 実行委員会と何回も協議を重ねることもあります。

 それが、「自由」と「責任」の関係の具体例です。


仙台二高「文武一道」/苦しみの中に見出す「楽しさ」とは

■仙台二高
五十嵐くん(企画局長)
 一高さんから標語の話があがったので、
 こちらも標語の話からさせていただきたいと思います。

 二高の標語は、「文武一道」。人によって解釈は変わりますが、
 部活動も勉強も一つの道だよ、という捉え方が一般的です。


 僕の中では、勉強を極めても、部活動を極めても、
 行き着く先は結局、一つのところ、と解釈しています。

 それは、今の二高の生活にもあらわれています。
 二高生は、正直、忙しいです。
 部活も忙しいし、勉強もすごくしないといけない。
 でも、その中でも、楽しさを見出せる。

 一高さんが「自由」を象徴するように、
 二高の象徴は、忙しさの中に楽しさを見出すところにある。
 そう僕は考えているのです。

 そんな中で、今年の企画なんですが、
 「劇二高」という新企画を講堂で行います。
 一つの劇を、複数の団体が演じるものです。

 見どころは、ストーリーも演出もすべて、
 二高生・完全オリジナル。
 もちろん、携わっているのも、すべて二高生です。

 まさに、この企画は、今年のテーマで伝えたかった、
 二高らしさ、二高生の本気を、
 苦しい中でも楽しさを見出していく、その楽しさを、
 存分に押し出した企画です。

 「楽しさ」と言っても、二高生、勉強しているだけあって、
 知的なギャグが多いですね。
 そういうところが、ストーリーにあらわれている企画です。

野川くん(実行委員長) 二高らしさもあらわれているし、
 楽しませようという思いは、一高さんと一緒。
 本気でやっています。
 全力で、生徒たちの手でやることが大事です。

五十嵐くん(企画局長) やっている生徒たちからすれば、
 お客さんを楽しませようという気持ちも大切ですが、
 自分たちが楽しみ、満足いくものをつくっていこう、
 という高いモチベーションもありますね。

 夏休み前から入念に打合せを重ねていますし、
 リハーサルも、かなり何度も行なっています。
 「劇二高」、今年の一押しの企画です。

―両校とも標語にあらわれる「らしさ」をそれぞれどのように捉えて、
 それが文化祭にどう体現されているか、認識をお話いただきました。
 両校のスタンスが違う点も、大変興味深いですね。



共通点は女装?/「ミス二高」「ミスコン~男の娘よ!集え!」

―次は、仙台二高さんからの質問リクエストに行きましょう。
 聞いたところによりますと、今年は、壱高祭と北陵祭とで、
 似ているようで、実は違う、そんな企画があるそうですね?

■仙台二高
五十嵐くん(企画局長)
 二高には、伝統企画「ミス二高」があります。
 一高さんの企画「男の娘」とは、共通点もあり、違った点もあり。

野川くん(実行委員長) それ、俺らが紹介してよかったの?

五十嵐くん(企画局長) 名前くらいは、いいでしょう(笑)

 それで、ミス二高なんですけど、
 団体ごとに女装して、ダンスを踊る企画です。


 そこにネタを盛り込んだり、派手な演出があったり。
 女の子らしさより、盛り上がり重視の企画です。

 この企画は、毎年やっている伝統企画の中で、
 一番人気を誇っており、かなりお勧めです。

 出場する団体さんも、かなり気合が入っています。
 6月中旬のテストが終わった後から下準備に入り、
 北陵祭にむけて、入念な練習を重ねていくんです。

 大体3つの観点から評価します。毎年異なりますが、
 去年は、女の子らしさ、演出、盛り上がり、の3点。

 毎年先生をお呼びして、点数をつけてもらい、
 その合計点を競います。

■仙台一高
門間くん(宣伝広報部・部長)
 先ほど、紹介いただいた通り、
 壱高祭では今年、「ミスコン~男の娘よ、集え!」があります。

 昼のメインイベント「ステージ企画」の一つです。
 ステージ企画では、他にも、一日中、
 バンド演奏や応援団の型披露などが行われます。

 二高さんの「ミス二高」は長く続く伝統企画と思いますが、
 一高の場合、今年の新しい企画です。

 一高生は、普通の行事で結構、
 女装する人が多いんですけど。

 この企画も、どれだけ高いクオリティの女装ができるか、
 という、割りと、本気の女装と言いますか(笑)
 それが、二高さんと比べて、違うところかな、と。

 メイクも自分たちでやるんですが、
 出演者がメイクさんを探します。
 どれだけ可愛い「男の娘」になれるかを競う企画です。

阿部くん(宣伝広報部・副部長) 女装と言うと、ネタ性が強いですが、
 そこで敢えて、ガチで女子になろうとします。

 女性になった自分のアピールは、自由に決められます。
 例えば、ダンスをしたり、歌ったり。

 それで、よりクオリティの高い「男の娘」に対し、
 一高生によって順位がつけられ、表彰されます。

 あと、「ステージ企画」について、補足説明させてください。

 壱高祭には、例年、「新企画枠」があります。
 これは現2年生が、1年生の時の文化祭が終わった段階で、
 「来年はこういう企画をやってみよう」と考えるものです。

 自分たちで壱高祭をつくること、お客さんを楽しませることを、
 1年生のうちからどんどん染み付かせ、そこからどんどん考えて、
 2年生になった時、一高らしさあふれる文化祭をつくるためです。

 それで今年は、ステージ企画として、「男の娘」をやるんです。
 新企画は、ステージ企画だけでなく、いろいろなところで考えます。

鶴田さん(実行委員長) 3年生は、これまでの2年間の経験を踏まえて、
 アドバイスをする役割で、実際は2年生が壱高祭の主導権を握っています。



イベント対決/「前夜祭」v.s「夜祭」、「猛者二高」v.s.「ミスター壱高」

―では、今度は「他とは違う、うちの学校ならでは」の企画を教えてください。
 これは「宣伝合戦」ですから、どんどん攻めていただいて、構いません。

■仙台一高
:新企画「ダンス甲子園」

阿部くん(宣伝広報部・副部長)
 先ほども挙げた
 「ステージ企画」の新企画枠として、
 今年は、「ダンス甲子園」があります。

 応募者がダンスをステージ上で披露して、
 それを、一高生が順位付けします。

 続けて、何か言った方がいいかな?

■仙台二高
:「前夜祭にもぜひ来て!」

五十嵐くん(企画局長)
 じゃあ、いいかな?
 別の話になりますが、北陵祭は3日間開催なんです。

 初日は、「前夜祭」のみ。
 講堂だけを開放し、お客さんが自由に出入りできます。
 その前夜祭のギター部ライブについて、説明します。

 前夜祭では、毎年7組のギター部バンドさんが出演します。
 機材も発注し、今年はポスターもつくり、力を入れています。


 というのも、お恥ずかしい話ですが、毎年、
 前夜祭はなかなか人が集まらないのが悩みでして。

 「北陵祭は2~3日目がメインで、前夜祭は前座扱い」
 というイメージを払拭すべく、今年は前夜祭に力を入れ、
 「本当は前夜祭も楽しいんだよ」とアピールしています。

 二高のギター部は、成績を残すなど、頑張っています。
 前夜祭ライブには、主にギター部3年生が出演しますが、
 彼らも、前夜祭が終われば引退。最後の締め括りなので、
 気合を入れています。

 ライブ以外にも、バンドとバンドの間の準備時間に、
 抽選会やお笑い等、新企画をプチ盛り込んでいきまして、
 より前夜祭を楽しめるものにできるよう、考えています。

 今年は前夜祭にぜひ来ていただきたいということで、
 飲み物も自由に・・・無限に、ではないですが(笑)、
 一人一杯配布しています。ぜひ来てもらいたいですね。

■仙台一高
:一高生のユーモア発揮される「夜祭」

門間くん(宣伝広報部・部長)
 今年の壱高祭は、
 8月31~9月2日の3日間開催になります。

 二高さんは前夜祭があるみたいですが、壱高祭には、ありません。
 でも、1日目と2日目に「夜祭(やさい)」というものがあります。

野川くん(仙台二高・北陵祭実行委員長) それって、
 女子が入れないやつ?

門間くん(宣伝広報部・部長) いや、誰でも入れます。
 壱高祭って、ほとんど、誰でも入れるので。

 それで、1日目の夜祭は、「初夜祭」というのですが、
 一高生のエンターテイメント性が、すごく発揮されます。

 校内に募集すると、「我こそは」という人が出てきて、
 コント等を披露したりし、お客さんを楽しませます。

 「初夜祭」には、「ミスター壱高」という企画があります。
 おもしろい一高生の中でも、最高におもしろい一高生を決めよう、
 一高生の中の一高生を決めよう、というものです。

 ミスター壱高では、即興で出場者がコントを披露し、競い合います。
 来てもらえるとわかりますが、一高生のユーモアが感じられます。

 一般の人たちも入って、体育館もいっぱいで、皆で盛り上がります。
 次々と、いろいろな一高生たちが出てくるので、飽きません。

鶴田さん(実行委員長) 結構、先生方にも笑っていただいてます。(笑)

阿部くん(宣伝広報部・副部長)
 「ミスター壱高」の前には、「M-壱」があります。
 「M-壱」は、前々から準備された漫才を披露するもので、
 クオリティもすごく高いです。

 ですから、初夜祭では、お客さんに、
 たくさん笑っていただけるかなと思います。

 2日目の「中夜祭」は、またちょっと違った視点で・・・
 「中夜祭」のテーマは、「フェロモン全開」ってことで。

 どういうことかと言えば、ま、そういうことです(笑)
 初夜祭とは違った視点から、また壱高らしさがあらわれます。

門間くん(宣伝広報部・部長) 二高さんのようにバンド演奏とかは、
 夜祭ではやらないですが、二日間でそれぞれ違った笑いあり(笑)。
 どちらも魅力的です。

鶴田さん(実行委員長) 初夜祭と中夜祭、どちらも誰でも入れます。
 ニーズに合わせて、どうぞ(笑)

■仙台二高
:二高生の中の二高生を決める『猛者二高』

五十嵐くん(企画局長)

 一高さんは、一高生の笑いを主軸にした企画のようですが、
 うちで笑いの方は、先ほど紹介した「劇二高」になります。

 劇二高の笑いや緻密性が、二高らしさをアピールするところなら、
 ミス二高は、盛り上がり。

 そして、これから紹介する「猛者二高」は、
 仙台二高の真の猛者を決めよう、という伝統企画です。
 参加を希望した二高生の中から、一番の団体を決めます。

 言うなれば、二高の中での「強さ」を競う企画ですね。
 二高の中での「強さ」とは、ただの強さではなく、
 知力も体力もセンスも兼ね備えた、万能さです。

 具体的には、全3ラウンドのステージがあるのですが、
 各ステージで、知力・体力・センスを競い合います。

 第一ラウンドでは、知力を試すクイズ。
 早押し問題もあれば、なぞなぞや、ひっかけ問題もあります。

 第2ラウンドは、「恋愛メール」。
 スクリーンに、異性からのメール画面が写り、
 「こんなメールが来たんですけど」という内容です。

 毎年恒例ですが、年によってシチュエーションは、様々。
 うまく好意を相手に伝えながら返信する、という企画です。

 二高生のなかなかお目にかかることができない下心?(笑)、
 と言うか、いかに口説くか、が見られる企画です。

 ファイナルラウンドは、スポーツチャンバラで、体力を競います。
 頭上に紙風船を載せ、それを柔らかい剣で叩き、先に潰したほうが勝ち。

 スポーツチャンバラは、今年はじめてのガチ企画です。
 準備を入念にしているので、うまくいくことを願っています。

 従来は、各クラスから必ず一組出してもらう募集形態でしたが、
 今年は「真の猛者を募るには、真の志願者を」と、募集枠を取り払い、
 「3人1組をつくって応募してくれ」と募集しました。

 すると今年は、例年の24組を上回り、
 28組84人の猛者が挑戦することになりました。

野川くん(実行委員長) やっぱり、質も違うよね。
 無理やり出されているのではなくて、
 やりたいからやっているので、盛り上がりも違います。

五十嵐くん(企画局長) 二高生のプライドを賭けた、
 普段は見えないところが見える企画です。
 所々にインタビューも入れて、もちろん笑いもあり。

 2日目と3日目に分かれて行います。2日目で第1ラウンド、
 3日目に、第2ラウンドとファイナルラウンドがあります。

 ちなみに、ミス二高も、二日間に分かれて行われています。
 前半の組が2日目、後半の組が3日目に出ます。



一般出店対決/パイ投げや応援団、スタンプラリーや福引も


■仙台二高
:スタンプラリー全クリアで、オリジナル缶バッチ贈呈

五十嵐くん(企画局長)
 ただ、実行委員主催の講堂企画に
 来てもらいたい気持ちは強いですが、
 北陵祭を本当に楽しんでもらうには、
 生徒が軸となり動いている出店で、
 生徒の活躍ぶりをぜひ見てもらたいですね。

 そこで去年に引き続き、今年もスタンプラリーを行なっています。
 北陵祭の見どころを3箇所ピックアップし、ハンコを設置します。

 パンフレットの裏表紙にスタンプラリーのページがついているので、
 それを見ながらスタンプを押していく企画です。

 今年はより参加者を増やそうと、スタンプを全部集めると、
 参加賞として、二高オリジナルデザインの缶バッチを、
 特別記念品としてプレゼントします。

 あまり北陵祭を知らない方にも、よく知っている方にも
 よりわかりやすく、より楽しんでもらえるよう、実施しています。

 小さい子でも楽しんでもらえるよう、難しいものではないですし、
 文化祭を楽しめることにつながるので、ぜひやってもらいたいです。

―記念品贈呈も、予算獲得などでご苦労があったのでは?

五十嵐くん(仙台二高・北陵祭企画局長)
 毎年、総務部(生徒会)と、もめますね・・・(笑)

■仙台一高
:文化祭の予算の約半分は、自分たちでとってきた広告費

鶴田さん(実行委員長)
 壱高祭は、生徒会から降りる予算だけでは、
 毎年、予算が足りないんですよ。

 そこで、彼ら宣伝広報部の精鋭たちが、広告を取りに行きます。
 壱高祭の予算の約半分は、自分たちでとってきた広告費です。

阿部くん(宣伝広報部・副部長) 広告取りは、ほぼ1年生の仕事です。
 入ってきたばかりの1年生に、自ら電話をかけてもらい、
 具体的には、「広告をお願いしたいんですけど」から始まって、
 会社や病院に行き、契約を済ませ、戻ってくる形です。

 そういうのって、中学校の頃は、なかなか経験できないことだし、
 これから大人になるのに必要な能力、社会性が身につくと思います。

 ちょっと内面の話ですが、そういうところでも文化祭実行委員は、
 やりがいもあるし、やっていて楽しいかな、という感じですね。

■仙台一高
:もぐらたたきやパイ投げ等、約40の出店。福引も。

阿部くん(宣伝広報部・副部長)
 さて、話は変わりますが、
 壱高祭でも一般展示があります。
 今年は、約40団体くらいが、お店を出しています。

 夜祭やステージ企画も、もちろん人気ですが、
 一般の部活が出している出店も人気です。
 例えば、もぐらたたきがあったり。

― 一高生が、もぐらになってくれるんですか?

阿部くん(宣伝広報部・副部長) そうですね。
 あとは、パイ投げがあったり。

― 一高生が的になってくれるんですか?

阿部くん(宣伝広報部・副部長) そうですね。

鶴田さん(実行委員長) パイ投げやもぐらたたきも、
 普段やっていることの延長上にあることが多いのですよ。

野川くん(仙台二高・北陵祭実行委員長)
 体育とか?「先生来たぞ!」とか?

鶴田さん(実行委員長) いいえ(笑)、
 シンプルに料理だけをする団体もありますが、
 例えば、もぐらたたきは、剣道部がやっているんです。
 パイ投げは、野球部がやっているんですよ。

門間くん(宣伝広報部・部長) 部員たちは、
 投げる方じゃなくて、受ける方をやってくれるんです。

鶴田さん(実行委員長) 人が大好きだと思うんです(笑)

 あと、映像を作る団体も結構ありまして、
 ドラマ仕立ての作品を上映し、DVDにして販売する団体もあります。
 それぞれ工夫が見られるのが、壱高祭のおもしろさだと思います。

阿部くん(宣伝広報部・副部長) あと、まだ暑いので、
 カフェやアイスを売っていたり、
 文化部は、合唱をしたり、化学部とかが実験を披露したり。

 あと、福引もやっています。
 一般展示で、50円お買い上げ毎にシール一枚。
 シール10枚で、空引なしの福引ができます。

 商品もいろいろな種類があって、ポケットティッシュや缶バッチ、
 一高の校章入りステッカー。消しゴムは毎年デザインが違います。

 デザインはグッズ販売のとは異なる、福引限定のデザインです。
 一番よい賞品は、すべての詰め合わせです。

■仙台一高
:人気の水泳部シンクロは・・・

鶴田さん(実行委員長)
 やっぱり、壱高祭と言えば、
 「水泳部のシンクロ」という方も、多いと思います。
 毎年、人気投票すると、上位に入る人気ぶりです。

 しかし今年は残念ながら、壱高祭当日に水泳部は大会があり、
 当日講演ができないため、夏休み中にやることになりました。
 (水泳部主催、8月20日(火)10:30~@仙台一高)。

 すごい楽しみにされていた方も、とても多いと思います。
 でも、いつも水泳部しか見てこられない方にも、
 今年は、他団体にも目を向けていただき、
 今年は今年の良さを感じ取ってもらいたいですね。

■仙台二高
:出店数は57団体、人気は応援団と同窓会ブース

五十嵐くん(企画局長)
 出店に関して、付け加えると、
 二高は一高より校舎は小さいですが、出店数が57団体で
 壱高祭より多く、場所がぎゅうぎゅうです。

 毎年、出店で人が集まるのが、応援団と同窓会のブースです。
 応援団ブースでは、応援団が着用する学ランを着せてもらえます。
 応援団が物珍しい方もいらっしゃるので、斬新で人目を引きます。
 あと、同窓会ブースでは、OBの方にも多く来ていただけます。

 出店は、食品団体、非食品団体の2つに分けられるのですが、
 今年も、一般展示の時間帯は、食品団体がおススメです。

 また、文化祭ということで、化学部や生物部、物理部が
 理科棟で実験を披露したり、
 地学部は、北陵館でプラネタリウムをやります。

 あとは定番のお化け屋敷や射的など、いかにもお祭り的なものから、
 ダーツの出店は、ちゃんとしたダーツを借りてやることになっていたり。
 「高校生クイズ」みたいな早押しクイズができる出店もあったり。

 その他、様々な委員会や部活が趣向をこらえたものを出店します。


文化祭の顔対決/モニュメントv.s.ゲート

■仙台二高
:県内唯一の校門モニュメント 今年はクオリティ追求

野川くん(実行委員長)
 毎年、校門に「モニュメント」を作っています。
 昔から長く続く伝統で、昔の写真を見ると、おそらくミス二高より古い。

 県内で二高だけなんで、すごいレアです。
 入口にモニュメントを飾っているので、
 二高に来たら、まず目に入る、文化祭の顔ですね。

 去年は、「革命」というテーマに合わせ、
 ナポレオンをつくりました。
 今年はテーマとは別に、クオリティを追求して、
 ドイツのノイシュヴァンシュタイン城の城門をつくります。

 4メートルくらいあるって話です。まだ完成してないですけど。
 もちろん当日までには、完成しますよ。お楽しみに。


■仙台一高
:今年は、大型アーチ型ゲートにも注目

鶴田さん(実行委員長)
 モニュメントに対抗しても、いいですか?
 一高は、入口がたくさんあるため、文化祭では、
 実行委員が門にゲートをつくって置いています。

 2つ大きなゲートあります。
 一つはアーチ型のゲートで、もう一つは大きな看板のようなゲート。
 毎年テーマに合わせてつくっています。

 今年は特に、アーチ型ゲートに、注目してもらいたいです。
 去年はトリックアートを応用したデザインにしてみましたが、
 時代は3Dだな、ということで、今年は3Dにしてみました。

 今年は発泡スチロールを使ってみよう等、素材も変えてみたり。
 組立も大変で、人が通る高さを考えるのが難しかったりします。
 建築家が使うようなソフトを使って、最近は設計をしています。

 恐らく、登れると思うんですが、登らないでください。
 今年も大作なので、ぜひ注目を。

 あと、毎年、壁画を作っています。
 約2メートルの大きな板に、1クラス1枚、貼り絵を作ります。

 一高の企画としては恐らく一番古く、第10回頃から続いています。
 全員参加で、受験を控えた3年生も、夏休みも貼り絵に参加します。
 その辺りにも、ぜひ注目してほしいですね。

「一高・二高で協力して文化祭の企画をやらないか?」

―なるほど、両校とも、特徴ある企画が盛り沢山ですね。
 まさに宣伝合戦らしく、差別化を図っていただきながら、
 それぞれの企画の意図等も、お話いただきました。
 そろそろ締めに入ろうと思いますが、言い足りないことはないですか?

■仙台一高
:幅広い年齢層に配慮したステージ

阿部くん(宣伝広報部・副部長)
 ステージ企画に関して、
 バンド出演などがあると、先ほどお話しました。

 でも、壱高祭には、近隣住民の方からも来ていただけるので、
 最近の若者向けのミュージックだけになってしまうと、
 やっぱり、年齢層に合わなかったりすると思うのです。

 ステージ発表の中には、一高の合唱部や室内学部の発表もあるので、
 バンドでは賑やかさ、合唱部や室内学部では美しさ等が出てきて、
 幅広い年齢層の方に楽しんでいただけるかな、と思っています。


 あとは、OBの方が出演してくださったり、
 今年は宮一さんとニ華さん(※)にも来ていただけるので、
 飽きることのない、楽しいステージだと思います。

※「宮一」は宮城県宮城第一高等学校、「二華」は宮城県仙台二華高等学校

―なるほど、幅広い年齢層の方への配慮もされているのですね。

■仙台二高
:より高みを目指していくことが、僕らに求められること

五十嵐くん(企画局長)
 二高も、広く年齢層に合わせた企画を用意しています。
 2日目、3日目の講堂では、書道部のパフォーマンスがあります。
 音楽に合わせ、書道部が大きな紙に大きな筆で書くパフォーマンスです。

 他にも、吹奏楽部や合唱部の発表、生徒がマリンバを演奏するなど、
 学生じゃない方に向けての企画を進めている面もあります。

 あと、今年は宮一さんと協力して企画をやろうかな、ということで。
 実は、ここに至るまでには、いろいろな経緯があったわけですが(笑)

 まず最初に、「県内1番、2番の文化祭を誇る、
 一高・二高の両校で協力して企画をやらないか」と、
 かなり前に、一高さんの方から話をいただきました。

 二高も「是非やらせていただきたい」という形で、
 当初、話し合いはうまく進んでいたんですが・・・
 まぁ、いろいろ・・・

野川くん(実行委員長) 振られちゃって(笑)

五十嵐くん(企画局長) そういうわけじゃないですが(笑)、
 一高と二高では、距離が遠いということで、
 物理的な面から、いろいろ問題点がありました。
 結局、「両校で協力してやるのは厳しいんじゃないかな」
 となって、今年は断念したのですけど。

 まぁ、それと並行しまして、
 「じゃあ、宮一となら、できるんじゃないか?」
 という風に、こっちでは、なっていまして(笑)
 宮一の秋桜祭実行委員さんと打合せを重ねました。

 今年の北陵祭では、3日目の11時から、
 宮一さんのジャズダンス部誘致を予定しています。
 宮一さんのジャズダンス部はとても有名で、
 全国大会に毎年出場している実力派です。

 同時に、二高からは、「ミス二高」の団体と、
 二高内では有名な漫才コンビに、
 宮一さんの秋桜祭の会場で活躍してもらうことで、
 両校の文化祭をより活性化しよう、としています。

 この目的ですが、北陵祭は二高で行われるもので、
 もちろん僕らがつくっていくものですが、
 二高生だけで終わらせたくない気持ちがありまして。

 もっと宮城県内や他の学校と協力して、
 よりよいものをつくっていく、
 より高みを目指していくことが、
 実行委員として僕らに求められるものではないか。

 ということで、今年は、
 宮一さんと協力してやっていこうと思います。

 来年、3年生の僕らは卒業しますが、きっと後輩たちが、
 きちんと、今年の反省点などを来年に生かして、
 もっとよりよい文化祭をつくってくれると思います。
 今年はその先駆けとして頑張っていきたいと思います。

野川くん(実行委員長) 男子校時代には、
 他校誘致をやっていたらしいのです。宮一さんや二華さんと。

五十嵐くん(企画局長) 今年は、その復活ということで。
 北陵祭をお客さんに楽しんでもらうのはもちろんですが、
 自分たちも楽しみたい気持ちを僕個人はかなり持っています。

 この宮一さん誘致に関しては、二高生にも講堂に足を運んでもらい、
 北陵祭をもっと楽しんでもらいたい。
 それにより、より北陵祭が盛り上がるんじゃないかな、
 と思って企画したものです。

 一高さんとも、ゆくゆくは、一緒にやっていきたいですね。


百聞は一見にしかず 実際に来て肌身で「学校らしさ」感じて

―では、いよいよ最後の質問に入りたいと思います。
 生徒さん自らが、それぞれ自分の学校の特徴をどう認識していて、
 それをどう文化祭として具現化しているのかが、とても伝わってきました。
 皆さんのお話を伺って、きっと読者の方もますます文化祭が楽しみと思いますが、
 最後に、改めて、来場者にむけたメッセージを一言、委員長からお願いします。


(じゃんけんの結果、再び、一高が勝利する)

野川くん(実行委員長) ええ~?!なんで、また?!

■仙台一高
鶴田さん(実行委員長)
 一高生として、プライド賭けてやっています。
 うちの校風はすごく独特なので、合う・合わないがあるとは思います。
 
 けれども、百聞は一見に如かず、という言葉もありますので、
 ぜひ自分の目で確かめていただきたいですね。

 あとは、もう、ほとんど言ってしまったので(笑)

■仙台二高
野川くん(実行委員長)
 二高も一高さんと同じで、
 実際に来ていただかないと、わからないことがあります。

 実際に来て、自分で見て、肌で感じて、
 二高らしさを感じてほしいなと。
 後悔はさせないので。

 絶対に全力でもてなすというか、
 僕達・実行委員も全力ですし、
 生徒たちも本気でやるので、ぜひ来てください。

―皆さんが、それぞれプライドを持って、本気で、
 文化祭に取り組んでいることが伝わってきました。
 今日は、どうもありがとうございました。


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