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計算材料学研究者の川添良幸さん(東北大学名誉教授)に聞く:科学って、そもそもなんだろう?

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計算材料学研究者の川添良幸さん(東北大学名誉教授)に聞く:科学って、そもそもなんだろう? 取材・写真・文/大草芳江

2020年10月23日公開

常識を疑い、本質を追求する

川添 良幸 Yoshiyuki Kawazoe
(東北大学未来科学技術共同研究センター シニアリサーチ・フェロー、名誉教授ドットコム株式会社代表取締役、NPO法人科学協力学際センター代表理事、アジア計算材料学コンソーシアム創設者、インドSRMIST卓越教授、タイ国スラナリ工科大学卓越教授、中国上海復旦大学顧問教授)

1947年宮城県仙台市生まれ。1966年3月東北学院中高等学校卒。1970年3月東北大学理学部物理第二学科卒業、1975年3月東北大学大学院理学研究科博士課程原子核理学専攻修了、理学博士。1975年4月東北大学教養部助手、1981年11月同情報処理教育センター助教授、1989年度から3年間、文部省視学委員、1990年5月東北大学金属材料研究所教授、同計算材料学センター長としてスーパーコンピューターの導入から運用に当たる。2005年4月東北大学情報シナジーセンター長(現サイバーサイエンスセンター)、この間、東北大学情報シナジー機構副機構長及び教員としては当時初めての事務職員兼務として同本部事務機構情報部長を併任。2012年3月定年退職。現在、東北大学名誉教授として同大未来科学技術共同研究センター内で研究を継続中。上記現職の他、日本半導体デバイス産業協会理事、NPO法人日本語教育e-learningセンター副理事長などを歴任。東方学術賞(Eastern Prize)、科学技術情報センター学術賞、The Ken Francis Award、日本金属学会学術功労賞、IBM Shared University Research Award、日本金属学会学術貢献賞、ACCMS賞等を受賞。

一般的に「科学」と言うと、「客観的で完成された体系」というイメージが先行しがちである。 しかしながら、それは科学の一部で、全体ではない。科学に関する様々な立場の「人」が それぞれリアルに感じる科学を聞くことで、そもそも科学とは何かを探るインタビュー特集。

 スーパーコンピューターを活用したシミュレーション計算による計算材料学の草分けとして、東北大学で第1位の出版論文数(1,253本、2020年9月現在)を誇る川添良幸さん(東北大学未来科学技術共同研究センター・シニアリサーチ・フェロー)。原子核物理の理論研究で博士号を取得後、教養部では計算機を活用した国内初の教養部全学生向けの大規模情報処理教育や、様々な専門分野の研究者との共同研究等を実施。金属材料研究所では、材料設計専用のスーパーコンピューターを多くの利用者に使いやすく設定する業務に取り組み、世界で初めて電子励起を維持したままでの化学反応過程の時間追跡や、材料系のエネルギーの絶対値算定に成功するなど、広範にわたる研究成果をあげた。さらに学会活動ではアジア計算材料学コンソーシアムやナノ学会を創設し、社会活動ではNPO法人科学協力学際センターや日本語教育e-learningセンターの設立にも関わるなど、人材育成にも尽力。国内外の客員・名誉教授、顧問などを歴任し、現在も共同研究を進めている。今年4月には、名誉教授の知恵と経験、ネットワークを生かしたコンサルタント会社「名誉教授ドットコム株式会社」を設立し、企業や行政等に助言等を行っている。広範にわたる活動を精力的に展開する川添さんに、科学とはそもそも何か、その原動力とは何かを聞いた。

<目次>
◆ 科学は技術ではない
◆ 「よく見ればわかる」は嘘
◆ 「わかる」とは何か
◆ 教科書の嘘を教えてくれた先生たち
◆ 原子核物理から教養部へ
◆ 国内初の教養部全学部生向け情報処理教育
◆ ハエの味覚の共同研究
◆ 分娩の判断基準に原子核物理のテクニックを適用
◆ 仏教文献の自動認識による科学的な仏典の比較研究法を確立
◆ 初期の単純なものから自分で扱えた経験
◆ 専門と違うことをやるとプラスになる
◆ 予言ができる物性理論
◆ ナノ学会、アジア計算材料学コンソーシアムの設立
◆ 五角形を単位としたグラフェンの発見
◆ 分子安定性及び磁性の根源、90年も続いた誤解を明らかに
◆ 何にでも興味を持っていた
◆ 多くの「トモダチ」に恵まれた
◆ 科学は中身が大切


◆ 科学は技術ではない

― 川添先生がリアルに感じる科学って、そもそも何ですか?

 まず、「科学である」「科学でない」を識別する定義があります。科学とは対象物を定量的に扱う方法を言います。定量化していないものは科学ではありません。ですから、私も仏教など、いろいろなものを研究してきましたが、科学の対象物は何でもよいのです。

 ところが日本の問題は、英語では「Science and Technology」と言いますが、「科学技術」とまるで4文字熟語のように言い、「科学は技術に関係している」と誤解している人が多い。例えば、マスコミも「科学の話を聞きたい」と取材に来ると、100%「それは何の役に立つのですか?」と聞いてくる。ファウンディングエージェンシー(研究資金の供与機関)も「役に立つ研究に競争的研究資金を配分している」と言いたい。しかし、役に立つために科学をやっているわけではありません。科学の結果を使って何かに役立たせたり、お金を儲けたりするのは、別サイドの人たちがやることで、「技術」もそっちサイドの話です。「科学」は「技術」ではないのです。

 もちろん、技術の人が科学を使うことはよいですし、最終的に役に立ったり社会に貢献したりすることはよいことです。しかし、まず何かの役に立つ・立たないを言っているレベルの科学は、大した科学ではありません。後で大化けする可能性がある科学は、その時点では何の役に立つかわからないものですよ。昔の研究所は、何をやっているかわからないような奇人変人ばかりでしたが、時にはとんでもなくよいものが出てきました。今目に見えているものを改善する話とは別物なのです。もちろん改善すれば儲かるし、競争にも勝てるし、目に見えて変わるから、何かやった気にもなります。少しずつよくなることが大事なことは、その通りですが、全然違うものが出てくる話にはならないのです。

 今は、国の科学研究費が欲しいならとにかく「役に立つことをやりなさい」と言われます。僕らはそれを「お題」と呼びますが(笑)、「これについて研究しなさい」というリストが与えられ、「俺はこれについて研究したい」と言うと、「それはリストにないから、研究費は出せません」と言われる。けれども、それでは何も新しいことはやれないじゃないですか。いろいろな人が「もう日本からノーベル賞は難しい」と言うほどここまで問題が明らかなのに、変わらないのはとても不思議です。「奇人変人に好き勝手やらせてみろ」という度量はもう、日本にはなくなってしまったのでしょうか。明日役に立つことをやっている人が立派で、わけのわからないことをやっている人には研究費がまわってこない。これでは日本の将来がまずくなります。今の大学を見ても、もう奇人変人はいませんよね。奇人変人を大事にしない限り、科学の将来はないのに...。


◆ 「よく見ればわかる」は嘘

 では、どうすれば「全然違うもの」が出てくるか?が科学教育の基となる教え方ですが、どんなことをすれば本質的なものが出てくるか?は、なかなか難しい問題です。改善なら、すぐにできるのですが...。

 もうひとつ問題として、子どもの頃から我々が教わっている嘘があります。学校で「よく見なさい、そうすればわかります」と教わりますが、よく見てもわからないのです。というのも、人間の目で見て脳に信号が行くまでに回路がありますが、「網膜に映ったもの=脳に映ったもの」というのは誤解で、脳はセレクションしているからです。そのわかりやすい例が音です。話をしていると、お互いの声しか聞こえませんが、録音した音を聞いてみると、実際には雑音が入っていますよね。それは、脳が雑音をフィルタリングしているからです。聞きたいものしか聞いていないのと同様に、目で見た時も「こうあるべき」と見ているから、そう見えることがたくさんあります。ということは「目で見て何かがわかった」ことは、今までの知識に基づいて脳が判断した結果ですね。その「わかった」と「自然界をよくみてわかった」とは全くの別物です。

 子どもの頃から「虹は7色」と習い、教科書には7色の幅を同じにして分光しているプリズムが書いてあります。けれども、よく見ると黄色などほとんどないくらいです。日本では江戸時代までは、茜色や鳶(とび)色など、色がいっぱいありました。それが文明開化でイギリスから西洋文明が入り、7色に「後退」してしまいました。7色はニュートンが音階に合わせて分類したものです。今ではヨーロッパでは6色が主流です。LGBTの旗はそうなっています。思い込みは恐ろしいのです。連続的に変化する虹の色を6や7(さらに極端な国では2から5)にはっきり分かれているように「見える」のです。最近、日本の教科書の虹の色数が6色になりました。グローバル化と言って、西洋の単純なのを追跡するよりは、もっと増やす方向の方がよいのかもしれません。ガラパゴス化は時としては有用なのです。

 マクロなものならば、ある程度見ればわかりますが、今時の科学は、直接目では見えないものを対象にしています。例えば「電波望遠鏡でブラックホールを"見た"」と言うのも、計算機で再合成して表示しているだけですから、人間の目で見ているわけではありません。それとは異なる次元で理論や実験結果を用いて「確かにそうあるはずだ」と結論づけているわけで、それが客観的に新しい真実なのです。

 「科学技術」は、目に見えるもので自分の経験でわかったものに基づいて何かを改善してお金を生み出す話をしています。一方で「科学」は、今までわからなかったことをわかるために定量化しろという話なのです。なんとなく「大きい、小さい」でなく、「1か10か」がきちんとわかることをやれるかどうかです。

 ですから科学には、自然科学のみならず、人文科学もあれば、社会科学もある。これまで定量化していなかったものを、現象を記述する数式をつくり、測定して何が起こっているか、普遍化、一般化するわけです。すると、これまで見えていなかったものが見えるようになる。アインシュタインの言う思考実験をやることが、科学者のやることです。それをできずに、自分の目に見えた範囲だけで物事を判断すると、ある範囲のものはうまくいくかもしれませんが、新しいものをつくり出すこととは別物だと思います。


◆ 「わかる」とは何か

 子どもたちが学校で習うものに磁石がありますね。磁石にはNとSという極があって、半分に切ると、その両方に同様の極が発生する等と説明される。すると、どんどん切るとどうなる?そもそもSやNとは何か?...と、出来のよい子どもほど疑問が広がります。しかしそれを先生に尋ねると、磁石とは「そういうものだから」と紋切り型の回答がなされます。そこで「理科は暗記なのか」と割り切って覚えてみると、わかったことになるけども、実は何もわかっていないのです。

 もっと悪いのは、中学生になると、法則というものを教えます。例えば「こっち向きの磁場の中で、こっち向きに電流を流すと、こっちに力が発生するのがフレミングの左手の法則だから、覚えなさい」と。しかし、それは何かが起こったかを「記述した」だけであって、「わかった」わけではありませんね。記述方策と理解することの違いも、皆さんがわかっていない点だと思います。もちろん記述する必要はありますし、何かを見て一般化して法則が成り立つことが不要と言うわけではありません。しかし、それは「何かを"わかる素"が少し集まった」レベルであって、記述できれば終わりではないのです。

 これが、子どもの理科離れの原因のひとつだと思います。「理科とは、原理や法則が並ぶものだ」となれば、思考は停止します。すると、「理科は覚えるもの」だと思ってしまう。それなのに「よく考えなさい」と言われる。それでは全然おもしろくないですよね。ですから、オームの法則とかごちゃごちゃ教えてはいけません。「実験が大事」という人もいますが、それだけでは駄目です。そこから普遍的に何がわかったかや、どんなことが自然界で起こっているかを、理解させることが必要なのです。

 大学に入ると、さらにいろいろなことを習います。量子力学では、電子が流れて、電流が流れたり磁気が発生したりすると習います。ではそれが本当にわかったかと言うと、とても恐ろしいことがあります。今でもほとんどすべての大学では、それを「ハイゼンベルク模型」を用いて説明します。2つの電子があって相互作用する時、電子のスピン(自転)の相互作用は↑(アップ)と↓(ダウン)があり、スピンが↑↑のものは寄りにくいけど、↑↓は違うものだからよく寄る、と説明するのです。この時忘れている大切なことは何だと思いますか?プラスの電荷を持つ原子核の周りを、マイナスの電荷を持つ電子が回っている、ということです。所々に数オングストローム単位の原子がいれば、そこはものすごいプラスの電荷がある場所です。その間にある電子は一様に存在しているのではなく、原子核にトラップされています。ですから、「電子と電子が相互作用する」と言った時、原子核のプラスに大きく影響されることを入れていない理論はインチキ理論です。この100年間、計算機が進歩して...と言っても原子核まで入れて数値計算できるようになってきたのは、ごく最近ことです。ですから、計算できないうちは仕方ないですが、計算できるようになっても未だ教科書に嘘が書いてあるのは問題です。

 僕らが初めてですよ、磁性の根源が何かわかったのは。これから磁性の教科書を全部書き直すのに一体どれくらいかかるか、70歳になってもなかなか死ねません(笑)。役に立ってよいことであっても、嘘なことは山程あるわけです。ここが「技術」との違いで、多少間違っていても役に立てばよいという世界は、「科学」では受け入れられないのです。なぜならば、それをやる限り本質的な進歩がないからです。そこがわかるかどうかが、科学者になれるかどうかの境目だと思います。


◆ 教科書の嘘を教えてくれた先生たち

 子どもたちは最初から「おかしい」と感じていると思うのです。例えばバネを伸ばした時、変形の度合いが加えた力に比例する「フックの法則」を教わりますね。「でもバネが伸びると針金になって、それ以上伸びないよな」と子どもたちは気づくけど、弾性限界を教えずに、とにかく「フックの法則」と言われると変ですよね。確かに「技術」の人は、その弾性の話が成り立つある領域を取り出して活用し、車のサスペンション等をつくって実際に役立たせています。けれども、それをあたかも全部で成り立つ公式みたいに言うのはまずいと思います。子どもがバネをひっぱって元に戻らなくなることを、先生が「バネが戻る範囲でやりなさい」と言うのでは駄目で、逆に、バネを壊したらうんと褒めてあげなければいけません。

 子どもの頃に習った先生に、よい先生がいました。私は東北学院という私立の中高一貫校に通っていましたが、私立には変わった先生がいました。例えば、僕を砂場に連れて行き、地球の周りに月が周っていないことを教えてくれた理科の先生。昔は漢字で書かれていた古文を仮名交じり文で読むのは嘘で、日本語では「意味がない」と説明される枕詞も百済の言葉では意味があることを教えてくれた古文の先生。そうやって正しいことを教えてくれるのが先生というものじゃないですか。学習指導要領通りに子どもに教えることを「先生」と言うとすれば、皆を一様に育てることはできても、おもしろくはないですし、ある程度出来のよい子どもにとっては刺激ゼロですよね。

― そのようなご経験を経て、その後、川添先生はどのような研究を行ってきたのですか?


◆ 原子核物理から教養部へ

 大学院(東北大学大学院理学研究科原子核理学専攻)では5年間、武田暁先生のもとで原子核の理論研究をしていました。武田先生は40代で東京大学原子核研究所所長を務めたほど本当に出来のよい方で、まさに奇人変人の世界でした(笑)。修士1年の時、炭素原子核のエネルギー準位で説明できないのを3個のヘリウムから炭素原子核が成り立っていると仮定して算定すると説明できることに気が付きました。それを武田先生に自慢気に話した時、いただいた「それは川添君が気付いたことなのだろうけど、世界でまだ誰も気が付いていないことなのか?」という言葉が、その後に文献を調べる癖を付けてくれました。

 武田先生のもとで5年間いろいろ勉強し、そこそこ成績もよく、将来は「原子核物理でノーベル賞を取りたい」としか考えていませんでした。けれども私がドクター(博士)3年だった当時、原子核を修了したドクターで就職できた人は日本中で誰もいませんでした。私には子どももいたので、家族に飯を食わせるために就職しないとまずいと思っていたところ、就職することができました。それは3月に東北大学の教授が急に亡くなり、僕が入試で1番でほとんどの科目で100点を取っていたことを覚えていてくれた先生が、「川添を教養部で雇おう」と言ってくれた事情があったのです。

 武田先生に「教養部の助手しか職がないけれど、飯を食わないといけないし、行くことにしました」と報告しました。武田先生ならきっと「教養なんておもしろくないんじゃないか」と言うのかと思ったら、「それはとてもよいことだ」と仰ったのですよ。熱力学であろうが何であろうが、教える前に勉強しなければならない、教養を身につけることはよいことだと。教養部の英語名は「college of arts and sciences」と言います。日本の大学に欠落しているのはartsですよね。「そのartsが唯一あるのが教養部だ」と武田先生が仰って、よい名前だと気に入りました。それで、教養部の先生になったのです。

 教養部に行くと、「学生実験の助手をやれ」と言われました。私が(理論が専門なので)「実験はしたことがない」と言うと、「とにかく春休みが終わるまでにこの教科書を覚えて、学生に教えてもらわないと困る」と言われました。僕は真面目な人間なので(笑)、「私は教養部の先生になったのだから、教養の物理学をやります、私の専門は『教養の物理学』です」と宣言しました。調べてみると、「教養の物理学」と書いていたのは、日本中で私一人だけでした。


◆ 国内初の教養部全学部生向け情報処理教育

 そのような事情で教養の先生に変わったので、習わざることを教えるしかなくなるじゃないですか。職場に忠実に「College of Arts and Sciences」を体現しましたが、結構、大変だったんですよ。1年生相手に解析力学を教えたら、夏休みも学生が研究室に入り浸るようになって、保護者が心配したほどでした。そして教養部の先生になって6年目の時、原子核の仕事をするためにドイツへ2~3年留学する話をしていたところ、国立大学としては最後でしたが「東北大学で『情報処理教育センター』を設立するから、あなたが担当しなさい」と言われました。当時は誰も計算機なんてやってなかったですからね。「え、俺がやるんですか?また違うことを」と思いました。研究で計算機は使っていましたが、計算機を教えることはやったことがなかったからです。


執筆した「コンピュータ概論」や「情報処理演習」などの教科書

 そこで自分で勉強して、「コンピュータ概論」という教科書を書きました。そして、以前は計算機の文法が書いてある教科書しかなかったのですが、訳のわからない文法や書式を教えるからわからなくなるわけで、プログラムを順番にやったらできるようになる「情報処理演習」を日本で最初につくりました。その後は文学部も含めて全学部向けでこの形式になりました。僕は結構自慢にしているのですが、その最初を東北大学で僕らがやったのです。また、国立大学で国際コンピューターネットワークに最初につないだのも僕らです。

 さらに、当時の教養部の目玉である情報処理教育と日本語教育、この2つを一緒にやったらもっとよくなると思って、計算機を用いた日本語教育を行い、一頃有名になったんですよ。情報処理教育と日本語教育は一見関係ないように見えますが、日本語の先生が足りなかったり、外国にいる人に教えたりするために、今で言うリモートで日本語を教えたわけです。この時につくったコンテンツが一頃ニューヨークの高校で標準的に使われたりもしました。今でもNPO法人 e-learningセンターとして日本語教育活動が継続されています。

 このように、情報処理教育センターに行ったら行ったで、真面目に計算機の先生を9年もやりました。つまり、教養部に6年、情報処理教育センターに9年いたわけです。


◆ ハエの味覚の共同研究

 教養部でもうひとつよかったことは、教養部には、文系も含めて、いろいろな専門の人がいたことです。講義や学生実験の合間を縫って、大学院時代の原子核理論研究の継続に加え、物性物理、生物、日本語、仏教、心理学、産婦人科等の先生方との共同研究を行いました。

 例えば、生物学の嶋田一郎先生とは、ハエの味覚について共同研究をしました。ハエは手にある50本くらいの毛で味を識別しています。「ハエは甘いものと甘くないものを識別して飲んでいるように見える」という嶋田先生の話を、先程の「科学」にするために測定しようと、一緒に実験しました。ハエが甘いところに行く・行かないや、どれだけ吸ったかを、テレビで撮しながら計測し、理論もつくって一緒に発表しました。良い思い出です。


◆ 分娩の判断基準に原子核物理のテクニックを適用

 次に東北大学産婦人科の佐藤章先生が来ました。佐藤先生は、子どもが何グラムの時、何ヶ月目で出産するとよいかを研究していました。要するに、グラフの横軸を時間(ヶ月)、縦軸に体重(グラム)を書いた時、小さいうちに生まれてしまうケースは多いですが、大きくなってしまうケースは少なく、等高線が閉じていませんでした。そこで佐藤先生に「データをたくさん測ってきて」と言うと、佐藤先生は約16,000事例を調べてきたので、私は原子核物理でよく使う「少数例のサンプリング」という(例えば、ニュートリノが2、3個測定された時、本当にあったと言えるか?を検証する時に使う)テクニックを適用し、クローズしたグラフを書きました(データはたくさんあったのですが、重くて長い妊娠例は極めて限られていました)。そのグラフは今でも産婦人学会で分娩の判断基準に使われています。それもおもしろかったですね。

 その研究結果を利用してあるメーカーが約200万円で商品を販売していました。それを見て私が「俺らが発表した成果で稼いでいる奴がいる。俺たちも少し貰ってよいのでは」と言うと、佐藤先生は「我々は論文で公表したのだから、役に立っているなら、それでよいのだ」と言っていて、立派なものだと思いました。意地汚いことを言うことはいけないのだと、そこで学習しました。


◆ 仏教文献の自動認識による科学的な仏典の比較研究法を確立

 その次に来たのが、インド仏教が専門の塚本啓祥先生でした。梵字をローマ字にして処理したいけど、法華経の写本が43種類もあるから、手で処理できない、計算機で処理したい、という相談でした。塚本先生は有名な先生ですが、いろいろなところに行って断られて僕のところに来たのでした。東北大学はチベット仏教研究でも有名で、河口慧海によって収集されたチベット仏教の写本を所蔵しています。けれども誰も読んだことがないので、それを計算機で読み取らせようというわけです。

 では、それをサイエンスにするには、どうするか。写本で同じ内容と言われている部分を43種類分切り取って並べ、それを読み取って計算機データにして比べました。比べることで何がわかるかと言うと、まず短い・長いはすぐわかりますよね。どちらが古いかというと、短い方が古く、新しい方が長い。一般的に皆だんだん書き足していくので、長くなっていくのです。


43種類ある法華経の写本の同内容を切り取って並べたデータ

 次に、中の単語の変遷等を調べました。僕らがこれを調べて明らかにしたことで、実は、有名になったことがあるのですよ。「観音様が観自在菩薩に変わった」ことは、昔は"説"のひとつでした。その説を科学的に検証するにはどうするか。サンスクリット語で観音様は「アヴァローキタスヴァラ(Avalokitasvara)」で「Avalokita=観ること」+「svara=音」という意味ですが、それが「アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokitesvara)」、「イシュヴァラ(isvara)神(自在神)」というインドの言葉に、非常に似た音ですが、変わっているのです。「自在神」はもともと仏教には無かった概念で、ヒンズー教が入ってきた時に混ざったと言われており、それで名前が「観音から観自在菩薩に変わった」と言われていました。そのことを中国人はきちんと理解していて、インドで神様の名前が変わったことを中国語に翻訳しています。そこで、そのタイミングがいつかを調べました。

 実は、中国の三蔵法師たちの話も古訳、旧訳、新訳、何とか訳というのがあって、インドから何回も書物を持ってきては翻訳しています。しかし残念なことに、インドの古い書物は、環境が悪いために無くなってしまったし、中国はインドから古い書物を持ってきたはずですが、中国語に訳した時、いつも宗教は同じ運命ですが、「訳し直しはまずいから」と原本を燃やして(焚書)しまうのです。ですから、中国にも最も古い書物は無く、訳したものしか存在していません。その中国の書物に「観音」と書いてあり、しばらくすると「観自在菩薩」と書いてある書物があり、その「観自在菩薩」に対応するインドの書物はあっても、「観音」に対応する古い書物はよくわからないとか。そういうことをあれこれ足して、何が起こったかを調べたのです。すると、他の歴史を見ると確かにインドにヒンズー教が入ってきた頃に名前が変わったタイミングとこれがぴったり一致しました。そのような方法で、僕らが"説"を"科学"にしたので、有名になったのです。

 もうひとつ僕らの研究で有名になったのが、日蓮上人の弟子である日持上人が中国に仏教を教えに行ったことを明らかにしたことです。歴史の教科書では、中国や朝鮮経由、あるいは直接インドから、日本に仏教が入ってきたことしか書いてありませんが、実は日本人も仏教を中国に教えに行っているのです。その中国の寺に日持上人の遺物と言われる袱紗が残っており、それが本物かどうか鑑定してほしいという依頼でした。そこで、国宝級の遺物をハサミで切り取り、東京大学の原子核の実験装置で、炭素の放射性同位体である炭素13と炭素14の存在比率を基にした年代測定を行いました。すると、確かに日蓮上人の生きた少し後頃に、この袱紗があったことが明らかになったのです。日持上人が日蓮上人の教えを中国に布教しに行ったことは仏教界で大ニュースになり、お寺さんが大変喜んで、だいぶ酒を飲まされました(笑)。


◆ 初期の単純なものから自分で扱えた経験


当時自作した並列計算機の基板

 教養部助手から情報処理教育センター助教授に異動した時に併任となった工学部電気系では、計算機研究部門で並列計算機の研究をしていました。Z80(米国ザイログ社製の8ビット・マイクロプロセッサー)を山ほど買い、基板も自作して、ワイヤラッピング(素子の足に電線を巻き付けること)をしながら並列計算機をつくりました。階層的構造を考え、そのための並列Cコンパイラも自作しました。我が国初の並列Cコンパイラだと思います。あの頃は「普通の」オシロスコープで波形が見えたのですが、もう今はGHzになり、測定器が高価過ぎて買えなくなりました。自動車も私が若い頃は故障すればボンネットを開けて、スパークプラグをワイヤーブラシで磨いたりしましたが、今はもう計算機化が進んで、素人には手を出せません。

 私が幸せだと感じるのは、自動車も計算機も初期の単純なものから知っていて、自分で扱えた経験があることです。ほかにも計算機を使って経営の合理化を行ったり、啓蒙活動を行ったりと、いろいろなことをやりましたね。


◆ 専門と違うことをやるとプラスになる

― もともとの専門である原子核物理や計算機科学の枠に留まらず、様々な分野の研究者と連携しながら多岐にわたる研究を、都度楽しみながら取り組んできたのですね。

 そうですね。その後、1990年から金研(東北大学金属材料研究所)の教授になりましたが、当時約30人いた金研の先生方も私と共同研究をしていない人は、いないくらいでした。結局何が大事かと言うと、違うことをやっていると、何かのプラスになるじゃないですか。武田先生が「教養部に行くことはよいことだ」と言ったことと同じですが、いわゆる「専門バカ」になってしまうと、1+1=2以上はなくなってしまう。僕は教養部に行ったために、当り前のように違う分野の先生ばかりでしたから、否応なしに違うことができたわけです。

 僕が金研の教授に雇われた1990年は、教授3人が定年退職した年だったため、3人の新人が雇われました。うち2人は井上さんと小林さんという、立派な研究室の後継者で失敗しないから、3人目は訳のわからないのを採ろう、「教養に川添という変わった奴がいるから」と声がかかったのです(笑)。

 金研で教授選考の面接を受けた時、ちょうど金研では膨大な実験結果をデータベース化し、今で言うインフォマティックス(情報学)を行っていこうという時でした。私は仏教のデータベースならやったことがあっても材料のことは知らなかったのですが、それでもよいからということで、これまで自分が何をしてきたかをプレゼンしました。

 金研の教授に採用された後に川添の何がよかったのかを聞くと、「プレゼンがすごかった」と言うのね(笑)。当時はOHPが普通でしたが、OHPシートの代わりに透ける表示版を乗せて、パソコンでそれを制御して動画を出したりしながらプレゼンをしたのです。質疑応答も「その道具は何ですか」「私も欲しい」と、中身ではなく道具の質問だったことを今でも覚えています(笑)。新しいものに非常に興味を持つ人たちが教授をしていて、それで僕は「金研はよいところだ」と思ったのですよ。


◆ 予言ができる物性理論

 金研の教授になってから、まず他の人が何をやっているかを調べました。僕は原子核物理をやっていたので、基本的に理論と実験の関係は、「理論で予言したことを実験で見つける」ことだと思っていました。けれども、他の人の仕事を調べてみると、実験で見つけたことをただ説明するだけだったので、それを理論とは言わないと思い、「予言ができる物性理論」を始めたのです。「予言ができる物性理論」は僕が言い始めたことではないですが、非常に運がよかったのが、当時の日本はバブルでお金があり、アメリカとの貿易摩擦もあったので、スパコンを買うための研究費40億円をすぐ貰えて、誰もできなかったようなことができたことでした。


金研が蓄えていた膨大なデータをデータベース化し、Springer社のLandolt-B?rnsteinシリーズとして出版

 当時は、フラーレン(炭素原子が球状のネットワーク構造を成している化合物の総称)が流行っていて、フラーレンに他の原子を内包させて機能性をもたせようと、畠山力三先生が実験していました。「本当にフラーレンの中に原子が入るか計算してみて」と言われて計算したのが、金研に来て最初の仕事でした。その後、20、30年経って、内包フラーレンは工業化されています。


◆ ナノ学会、アジア計算材料学コンソーシアムの設立

 金研でもいろいろなことをやりましたが、ほかにも「ナノ学会」や「アジア計算材料科学コンソーシアム」等を設立しました。それはなぜかというと、既存の学会で他の人の理論の間違いを指摘すると嫌がられ、おもしろくないから、自分で学会をつくる方にシフトしたのです(笑)。ナノ学会はおかげさまでちょうど流行りだったし、アジア計算材料科学コンソーシアムでは金研のスパコンを外国人が使える仕組みを日本で最初につくりました。スパコンは戦略物資なのでいろいろ大変でしたが、今、アジアの人たちがたくさん入っています。日本発、仙台発の学会です。仙台オリジナルの学会には、金研初代所長の本多光太郎先生がつくった「金属学会」が有名で、未だ仙台に本部がある珍しい学会です。でも他は聞かないですよね。


◆ 五角形が単位のグラフェンの発見


 他にもペンタグラフェン(五角形のグラフェン)の発見等、人気のあった成果がいくつかあります。ペンタグラフェンの何がおもしろいかというと、2次元平面を埋め尽くす(タイリングする)ことができる正多角形は、三角形、四角形、六角形の3種類だけで、五角形では埋め尽くせないことが「タイルの敷き詰め問題」として知られています。("正"多角形の条件を外せば、五角形でも可能で、エジプトの首都カイロのタイル舗装で使われていることから「カイロタイリング」と呼ばれています。)それを"完全"な2次元ではなく、少し"厚み"を持たせた疑似2次元にすることで、ほぼ正五角形のみでタイリングできることに気がついたのです。


 実はこれ、六角形を4個の五角形に分割しています(六角形は2、3、4個の五角形に分割することができます。六角形に線を引いて、確かめてみてください)。それでは、さすがに"正"五角形とは違った五角形ができるので、なかなか難しかったのですが、シンメトリーにはだいぶ近くなるので、そこに少しだけ厚みを出してやれば、正五角形にできることに気がついたわけです。

 この問題は、材料研究から発生しました。炭素のつくる最近話題の2次元物質、すなわちグラフェンやフラーレン、ナノチューブ等は基本的に全て6員環(炭素が六角形に結合した形)から構成されており、5員環(五角形)は隣り合わないという規則(Isolated Pentagon Rule、IPR)までが教科書に書いてあります。我々は、"完全"2次元という幾何学条件を緩和し、"厚み"を認めた上で可能な形状を探索し、すべてほぼ正五角形からなる新型の炭素構造体を発見して、IPRは絶対的な規則ではないことを示しました。法則なんて神様しか知らないのです。

 さらにいろいろ計算した結果、ペンタグラフェンは「ポワソン比」が負になる(横方向に引っ張ったのに縦方向にも膨らむ、自然界の弾性体とは逆の変形特性)、稀有なケースであることが判明し、大変興味を持たれています。炭素(グラフェン)のみならずマクロなものでもポアソン比は負になるので、例えば、これを角材に使えば衝突しても壊れないとか、防弾チョッキに弾が当たっても大丈夫とか、応用できるものになるでしょう。僕がうまくいったと思うのは、実験的には見つかっていない新規の幾何学構造を計算によって見つけ(予言し)、(理論家として)実験家に提案できたことです。

 グラフェンを研究している人は山程いるけども、グラフェンはすでにノーベル賞を貰ってしまっているので、ノーベル賞を貰える可能性があるペンタグラフェンを研究した方がよいと、若い人たちには言っています。


◆ 分子安定性及び磁性の根源、90年も続いた誤解を明らかに

 理論の仕事で一番の自慢にしているのが、磁石の根源は全くの誤りであることを示したことです。磁石だけじゃないんですよ、ものの安定化の根源という、90年も続いた誤解を明らかにしたこと。誰もやらなかったことをやったことが、おもしろかったよね。

 例えば、教科書に登場する有名なモデル「ハイトラー・ロンドン模型」では、最も簡単な水素分子を最初の例として取り上げています。今でも教科書には「電子と電子が寄ってくると、電子の雲が重なって分子が安定化する」と書いてありますが、それで納得しますか?客観的に考えてみてください。

 電子同士はマイナスの電荷を持つ粒子で斥力を及ぼし合っているはずだから、それらが重なって安定することはありえませんよね。学生さんもなぜ安定化するのだろう?と疑問に思うはずです。それを「電子は雲だから」と説明され、量子力学は普通とは違う世界だからしょうがないと思考停止する人も多いですが、雲なわけないのです。

 そもそも電子は、レプトン(軽い粒子)に分類される素粒子の一種で、つまり粒子です。粒子を観る時の問題は、光を当てないと見えないことです。古典的な物体は、光を当てても変わらずに観測できます。一方、電子の場合は約10のマイナス30乗kgしかないので、電子に光を当てると移動してしまいます。その移動範囲が限られていて、そこを「雲」と呼んでいるだけです。要するに、雲とか言っているのは観測の問題で、測定では場所と運動量を同時に決められないという「不確定性原理」が量子力学の言っていることであって、もの自体の問題ではないのですよ。

 それで説明できてしまうので皆満足していたわけですが、その問題点を指摘していた人たちはいました。しかし、これまで計算できなかったり特定の例だけだったりしたのを、網羅的に計算し、電子と電子の相関だけではいけないときちんと決めたのは、東北大学教養部時代からの先輩である安原洋名誉教授のアイデア(ビリアル比を確認する)を数値的に実施した僕らです。分子の安定性は原子核の影響がすごく効いていて、電子と原子核の引力によるものであり、電子と電子の相関によるものではない、ということを明らかにしました。

 これも教育的にまずいことをやっているよい例です。「わからない」と言っているのに、「そういうものだ」と答えてしまう。そうやって、理科とは原理や法則を覚えるものだと信じ込まされ、長年悩まず、あっさり既存の概念を受け入れる態度が育てられてしまっているのが、根本的な問題ではないでしょうか。


◆ 何にでも興味を持っていた

― 研究、教育、学会、社会活動と、非常に多岐にわたる活動を、川添先生は大変精力的に展開されています。その原動力とは何でしょうか?

 子どもの頃から「何にでも興味を持っていた」と親や先生から言われます。1924年創刊の『子供の科学』を熱心に読み、書いてあることを何とかやってみようと努力しました。あと4年で100年の長寿雑誌の初期の読者でした。子どもが電気屋さんに行って部品を買う...普通の電気屋さんだったので、奇妙だったと思います。実家があった西多賀(仙台市太白区)の工藤電機には何度も行きました。今年6月に亡くなった工藤会長が若い頃によく面倒を見てもらったのです。今になって思うと、作業服のおじさんたちの中でたった一人の子ども。可愛がりたくなったのでしょうね。具体的にやってもらったことで覚えているのは、HOゲージのトランスが相当飛び飛びの電圧変化しかしない。機関車をスムーズに速度変化できるようにトランスを改造。全部電線を巻き直し、途中からいっぱい引き出し。無料でやってもらったような気がします。

 近くの東北大学理学研究科附属原子核理学研究施設には修士時代から出入りしていたのですが、工藤さんにはそこの電気系統も面倒を見てもらっていました。つくばの高エネルギー物理学研究所には、東北大学から工藤電機も含めて人や知識が移動しました。最近では、現在所属している未来科学技術共同研究センターでも工藤さんと会う機会が多かったのです。60年以上も面倒を見ていただいた大先輩でした。お悔やみ申し上げます。

 子どもの頃のほかの思い出は、西多賀から東北学院に毎日バスで通っていたのですが、運転手がシフトギアを操作しているのが不思議で、「なんで滑らかに加速するの?」と質問したら、丁寧に教えてくれました。中川さんという運転手さんでした。荒町の辺りで虹を見て「rainbow」と彼が言ったのを覚えています。仙台の人なら掛詞なことがわかると思います。今は運転手と話などしていたら、怒られますよね...。

 わからないことを何とか理解しようとする、という態度は子どもの頃にこのような環境があったから育ててもらったのだと思います。不思議なことを見せて、科学はおもしろい、とかいう世界とは違います。「なぜそうなるか」を知らないと、自分ではつくれませんから。

 ラジオにもとても興味がありました。ゲルマラジオが最初でした。電波がそこにある!それをいじれる、というのが嬉しくて、次々とレベルアップ。最後は6球スーパーまでつくりました。イヤホンと違ってスピーカーから音が鳴る!!感激して、ずっと切らないで鳴らし続けたのを覚えています。今みたいにシャーシーに穴の開いたの等はなく、電気屋さんで開けてもらったのだと思います。その後は自分でやったので、おかげで半田付けは上手になりました。

 大学院に入ると車を買いました。スバル360。2気筒の古物で、よく故障し、1気筒に。さすがにちゃんと走らない。ボンネットを開け、スパークプラグをワイヤーブラシで磨いて修理完了。今は、車のリコールというのでディーラーに行くと、ソフトのアップデート!昔とは全く違う世界になりました。

 我々の世代の強みは、車に限らず、機器が単純で全部理解できたことだと思います。今はほぼブラックボックス。物理実験も、ラマン散乱の最初の実験装置をインドで見たのですが、そこには「His light source was sunlight, and his detector was the human eye」と書いてありました。高価な実験装置で「立派な」測定をしても、原理の理解につながるわけではありません。さらに今までにない装置をつくるには、これまでの装置をよく理解する必要があります。

 それと、「口から生まれた」と言われるほど話すことが好きで、知っていることは何でも人に教えたがる。そのために、今で言うプレゼン能力(技法)は新しいものは何でも取り込んでいます。先程も話しましたが、プロジェクターでパソコンから動画を映したのは私が最初かも。聴衆が喜ぶことに喜びを見出したのは、金研での面接だったかもしれません。

 30年前、アメリカの「トモダチ」(これは園山俊二さんの漫画『ギャートルズ』の中で、ゴリラのドテチンが人間と出会った時に最初に覚えた言葉です。動物どころか神様まで皆トモダチ。私はこれを見習い、カタカナでトモダチと書くのが私の座右の銘です)と日本でほぼ最初のチャットをすでにしていました。もちろんローマ字だけ。そのトモダチはボストン大学だったのですが、「ボストン空港で待っているよ」というのですが、飛行機が着く寸前、顔を知らないことに気が付きました!まずい...!でも降りたら、「Yoshi」と言ってニコニコ寄ってきました(^^)。顔に特徴があるらしいのです(自分ではわからないですが、人によく覚えてもらえます)。

 30年前にインターネット(当時はBITNET)に参画するにあたりTOHOKUドメインを要求しました。すると、「日本の場合にはJPNを付けることになっている」と言うのです。MITやSTNFORDはそのままなのに、TOHOKUはどこにもないのになぜ?JPNTOHOKとなりました。当時は8文字が最大長だったので、TOHOKUとさえ書けない。こんな差別は許されない、とずっと文句を言い続けました。その後、金研に異動し、「世界の金研」と言うのだからimr.eduが欲しいと言うと、今度も拒否されました。ところが日本賞の授賞式で天皇陛下ご夫妻と直接お話しする機会に恵まれました(美智子様に理論物理の説明をすると、「あなた方は観念で仕事をされているのですね」とのお言葉。確かに我々の仕事を見事に見破られています)。このことを伝えると次の日にはimr.edu利用の許可が来ました。とても嬉しかった。やっと世界の金研になれた、と思いました。

 昔からのメールの他にも、Twitter、Facebook、LINE、WhatsApp、Skype、...これらは、年に10回以上外国に行っていた去年までは、電話代を倹約するために必須でした。必要があって使うようになったのです。今年はオンラインで会議をするため、Zoom、Teams、Skype、BlueJeans、...相手次第で何でも使うようになりました。

 (今年は新型コロナウイルスの影響で)楽器も一緒に演奏するのが難しくなり、ヤマハのSYNCROOM(遠隔合奏のアプリ)を使っています。私の同級生とエレキバンドの練習に行くスタジオでは一番年寄りのグループですが、景気良く若者に負けない音量でやっています(耳が悪くなっただけ?)。ただ、下手!中学生の時から弾いているクラシックギターがよいですね!あの頃覚えた『禁じられた遊び』など、何年も弾かなくてもちゃんと弾けますが、この頃覚えた(ようとした)エレキバンドの曲はそうはいかなくなりました。皆が還暦を過ぎ、何かやろうかとなった時もギターが弾けたので一緒にバンドを組めました。皆さんも若いうちに大事なことを身につけましょう。一生の宝物になりますから。

 クラーク先生の言葉は「Boys, be ambitious like this old man(少年たちよ、この老人のごとくに大志を抱け)」と言います。その後にも、金や名声のために仕事をするものではないとか、いろいろ言っています。「大志を抱け」とだけ言ったのではないのです。このような言葉も含め、基盤に何があるのかという興味を持ち続け、実際に(ネットサーフィンだけでなく、北海道大学に行ったり、インドに行ったりして)調べてみてください。本当のことが見えてきますから。


◆ 多くの「トモダチ」に恵まれた

― 定年退職後も共同研究を進め、さらに今年4月には、東北大学名誉教授の知恵と経験、ネットワークを生かしたコンサルタント会社「名誉教授ドットコム株式会社」を立ち上げていらっしゃいますね。

 東北大学に54年。ガリガリの理論物理から応用研究に主軸を移しても、基礎をちゃんとやり続けられたのは、多くのトモダチに恵まれたお陰です。その人たちもすでに多くは名誉教授になりました。これからの高齢化社会で日本が強くなる源として、老人パワーを生かさない手はない!と気付き、今年4月に「名誉教授ドットコム株式会社」を立ち上げました(英語名Professor Emeritus.com。業務内容等の詳細については、http://www.pedc.tohoku.org/をご覧ください)。日本中から世界中で検索しましたが私が最初の登記。企業のトモダチで一緒にこの仕事をしようと付き合ってくれている株式会社ブレインワークスの近藤昇社長が登録商標を取得してくれました。全くそんなことは知らない私にとってとても助かりました。これで他大学から名誉教授ドットコム株式会社を立ち上げることを抑制できますから。

 会社の立ち上げも、トモダチの鹿野哲義弁護士にお任せでスムーズに行き、数ヶ月ですでに5件の契約が成立しました。お客さんになってもらったのもトモダチの会社が主体です。有り難いものですが、これでは広がらないので、来年度にむけて仕込み中です。また、トモダチにしている私の所属している東北大学未来科学技術共同研究センターの長谷川史彦センター長に無理なお願いをし、東北大学内にはじめて正式に企業を設置する制度もつくってもらいました。最近では、東北大学卒業生で「ものづくりドットコム」を主催されている熊坂治社長ともトモダチになり、業務提携しつつあります。

 私のこれまでのお付き合いで、理工系に留まらず文系や国内外のトモダチにも参画していただいています。その成果のひとつは、アメリカ、フィリピン、インド、タイのトモダチと、従来主流の語学研修のレベルではなく、学生さんや企業人がオンラインで国外大学教育をインタラクティブに受けることのできる(単位も取れる)システムを構築中です。コロナ問題が収束したらハイブリッド型で実施しようと計画中です。開業からすでに7件の新聞記事に掲載されました。これらも長年のトモダチの記者の皆さんに感謝。今回のこの記事もトモダチの大草さんに感謝です。


◆ 科学は中身が大切

― 最後に、今までのお話を踏まえて、中高生も含めた読者へメッセージをお願いします。

 中高生は、若いうちに「英語を勉強しろ」とか「今のうちに何しておけ」と言われるかもしれませんが、まるで問題は違いますよ。私が金研に雇われた30年前、当時の金研所長だった増本健先生に、「国際会議で1時間半の招待講演を行うため、これから海外出張します」と言ったら、「たった1時間半のために、何日もアメリカに行くのですか?あなたが立派なら、あちらがこちらへ聞きにくるはずだ」と言われました。あの時、「中身が大切なんだ」と本当に思いましたね。もちろん表現力は必要ですし、今時の「パプリカ」ダンスをあんなに速いリズムで踊るのは我々なんかとてもできないですが、研究者をやりたいなら、やっぱり中身が大切なのだと思います。英語を話せるかという問題ではなくて、自分がやれることで他人がやれないことを如何につくれるかですよ。ですから、英語を勉強する暇があったら、もっときちんと基礎勉強をしてください。

 基礎とは、例えば、二次方程式の根の公式を覚えて、そこに数字を入れる暇があったら、二次方程式の公式をきちんといつでも導き出せるようにすること。数式とは、使うためではなく、つくるためにあるのです。自分で新しい数式をつくれるようにならないなら、サイエンスには向いていないと思った方がいいですよ。

 基礎から理解するには時間も手間もかかるし、夜も寝ないで頑張らないといけないかもしれないけど、若いうちはできます。諦めずに終わるまでやるかです。途中でやめちゃうと、プログラムだってできないじゃないですか。僕も3日間寝ずにプログラムしていたら流石におかしくなって、未だに内出血した点が上を向くと動いて見えますが、若いうちはそれで死んだりはしません。規則正しい生活をして言うことをきちんと聞く労働者をつくる学校教育とは違って、「科学」は中身しかない世界ですから、中身が大切です。そういうことを今から習慣付けてください。

 その時に諦めてほしいのは、お金の儲かる話は「科学」の全くの目的外です。役に立つことには目的があるので、「何を」と言った途端、限定的になってしまいます。すると「科学」としてはレベルの低いものになってしまう。ですから「何のために」を忘れて、「おもしろい」ということのために「科学」を始めます。すると、とても幅広いサイエンスになります。

 人間は社会的存在と言われます。まわりができれば、それが「普通」になります。「科学」も同様で、何もないところから一人で全部立ち上げることは不可能です。現在の環境が基盤になります。私の親の世代は自転車が普通の乗り物の時代でしたが、我々は自動車を動かすのが普通。国立大学で国際コンピューターネットワークに最初につないだのは私、東北大学情報処理教育センターのIBMマシーンでした。当時の国産計算機は単なる計算機で、国際ネットワークに接続するための識別コードがOSに入っていませんでした...ので、当然つなげない!今は計算機でネットワークにつながっていないものはなくなりました。若い世代はこの環境を享受できます。

 図書館に行って膨大な時間をかけて関係論文を探した我々の若い時代と、「Web of Science」や「SCOPUS」等のデータベースで簡単に調べられる現代は、まるで研究環境が違います。我々の若い頃は闇雲におもしろそうなテーマを始めました。今はまず膨大な文献を検索します。どちらがオリジナルな仕事をするためによいのか?たくさん論文を出版しないと将来がない若い研究者。評価も簡単にできてしまいます。SCOPUSで検索すれば、すぐ私が東北大学所属で一番の出版論文数の研究者であると表示されます。数が多ければよいというものではありません。科学は中身です。量より質の世界なのです。最近、タイ国スラナリ工科大学から「名誉博士号」をいただけることになりました。王女様から直接渡される...11月にタイに行ければ。

 学会の会長になったり、賞をもらったりすることを目標とする研究者も多いのです。仕事としてやっているので、しょうがない面もありますが、「科学」の本質からは全くかけ離れています。科学は知らないことがわかることを楽しみにやるものです。自分がおもしろがる!すると、人に教えたくなる、それで発表する。何かの役に立つことを目標とするようなものではありません。

 若い皆さんは、今の環境がとてもよいことを認識し、それを活用し、それに流されず、自分独自の他の人にはできない「科学」をつくってください。


― 川添先生、ありがとうございました。


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