取材・写真・文/大草芳江
2018年01月29日公開
秋田の地で磨かれた技術で、業務用納豆国内シェアNo.1
株式会社ヤマダフーズ(秋田県仙北郡美郷町)
代表取締役 山田伸祐 Shinsuke Yamada
公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.08)
秋田県仙北郡美郷町に本社を構える「おはよう納豆」でおなじみの株式会社ヤマダフーズ(1954年創業、従業員数540人、資本金9,800万円)は、徹底した品質管理と独自技術による積極的な商品開発で、納豆を中心とした大豆加工食品を製造・販売する企業である。特にひきわり納豆の製造に優れた技術を持ち、その技術を応用した業務用納豆は、寿司・調理加工向けや宿泊・病院・介護施設向けに約6割のシェアを誇る。業界の中でいち早く納豆菌の研究を進め、大豆はアメリカ、カナダ等の農場で契約栽培したものを調達。東北をはじめ、関東・関西など全国に展開。1996年には茨城工場が完成し、首都圏への即日配送体制を整えた。2004年には横手市平鹿町に豆腐や豆乳、湯葉を製造する専用の新工場を竣工。2014年には納豆の日本一を決める「全国納豆鑑評会」の第19回大会において最優秀賞を受賞した。そんなオンリーワン企業であるヤマダフーズがオンリーワンたる所以を探るべく、代表取締役の山田伸祐さんに話を聞いた。
オンリーワン企業になるまでの軌跡
― はじめに、貴社がオンリーワン企業と言われる所以を教えてください。
◆ 業務用納豆で国内シェアNo.1
当社は、納豆や豆腐、豆乳などの大豆加工食品を製造・販売しているメーカーで、おかげさまで2018年9月に創業64年を迎えます。納豆市場で国内4位、このうち業務用納豆においては国内シェア1位です。
― 「業務用納豆」とは何ですか?
回転寿司チェーンやコンビニエンスストア等の納豆巻に使われている納豆や、ビジネスホテルの朝食バイキング等で出てくるカップ納豆を、業務用納豆と定義しています。納豆全体で約1,250億円と言われる国内市場のうち、業務用納豆市場は60~70億円というニッチマーケットでして、このうち当社の売上が占める割合は約6割です。ですから、「ヤマダフーズ」の名前をご存じない方は多いかもしれませんが、納豆巻を食べたことのある方ならば、当社の商品をお召し上がりになっている可能性が高いと思います。
◆ 秋田創業故に磨かれた技術
― なぜ貴社は業務用納豆で国内シェアNo.1になることができたのですか?
従来、納豆巻で使用されている納豆は、丸粒の納豆を料理人の方が包丁で刻んで細かくしてから使用していたそうです。それを当社では、ひきわり状に加工することで、刻む手間を省ける商品を開発し販売しています。当社は秋田の地で創業したが故に、ひきわり納豆の加工技術を磨くことができたと考えています。
秋田で昔から栽培されていた地場の大豆は、もともと粒が大きいものでした。今でいう大粒ですね。今は圧力釜があるので大粒でも柔らかく蒸せますが、昔はその大きさのままでは柔らかくすることができませんでした。そこで先人達が考えた知恵が、大きな豆を鍋などで炒ってゴリゴリと粗挽きする方法です。粗挽きすることで皮が剥がれ、豆が4分の1から6分の1程度の大きさに割れるので、昔の煮釜でも柔らかく煮ることができたと言われています。実際に、今でもその製法でひきわり納豆を作っている会社が県内にあります。
当社ではより工業生産しやすいよう、炒る代わりに自社で乾燥した大豆を臼で割ることで、ひきわり納豆をつくっています。
ひきわり納豆と粒納豆の消費量を比べると、日本全国で言えば、平均7%くらいの人しか、ひきわり納豆を食べていません。東京では約4%だけです。その一方、私の知る限り、ひきわり納豆を食べる割合が一番高いのが秋田県で、納豆消費量の約40%がひきわりです。ひきわり納豆を食べる文化が浸透している秋田の土地で創業して、お客様に育てていただいたことで、当社は独自の加工技術を磨くことができたと考えています。
◆ ひきわり納豆製造の独自技術
― 貴社独自の「ひきわり納豆の加工技術」とは、どのような技術ですか?
① ひきわり納豆専用の大豆を調達
ひきわり納豆に適した大豆品種を選抜し、生産者の方々と播種前契約することで、安定調達しています。
② 自社工場で大豆を乾燥させて挽き割る
丸粒大豆を乾燥させて挽き割る作業を、当社では外部委託せず自社工場内で行っています。皮を剥いた後の大豆は酸化が進み品質が劣化しやすいため、割ってから3、4日で使い切る体制が必要です。それを当社ができる理由は、秋田県のひきわり納豆の消費量が多く在庫の回転が早いからです。
③ ひきわり大豆を独自の「連続蒸煮缶」で蒸す
ひきわり納豆は当社独自の「連続蒸煮缶」という釜で素早く蒸し上げるので、色味が明るく蒸し上がります。
④ ひきわり専用の納豆菌を自社開発
ひきわりは豆を割る分、同じ大豆でも表面積が大きくなるため発酵が進みやすいのです。そこで、ゆっくりと発酵が進む納豆菌を自社開発して使用しています。
⑤ ひきわり用に発酵プログラムをカスタマイズ
納豆菌を煮豆に摂取させた後は温度管理をしながら増殖させ、大豆のタンパク質をうまみ成分であるグルタミン酸等に変えていきます。この発酵のプログラムも、ひきわり納豆用にカスタマイズしています。
⑥ タレもひきわり専用
納豆のタレも、粒用とひきわり用で変えています。ひきわり納豆を召し上がってくださる方が東北エリアに多いこともあり、やや甘口に仕上げています。
◆ 積極的な商品開発で国内外へ販路を拡大
以上のひきわり納豆の加工技術を、従来は市販用納豆で磨いてきましたが、その技術を応用し、業務用納豆の商品開発を行っています。現在は、塩味や醤油味などに味付けしたひきわり納豆を、ホイップクリームを絞るような袋に充填・密封して瞬間冷凍し、鮮度の高いままお客様に届けています。また、ビジネスホテルなどで出されるカップ納豆も、冷凍して全国流通しています。
業務用納豆で、他社にほとんどない当社の商品が、小袋タイプの「スティック納豆」です。キムチ味やネギ醤油味などの味付きなので、味付けやかき混ぜる手間も要らず、御飯の上に絞り出してすぐ食べられます。パック納豆と比べてゴミも少ないですし、密封しているため、冷凍して長期間保管してもほぼ品質劣化しないことが特長です。消費期限も1年あるので冷凍物流に適しており、海外輸出も始まっています。
◆ 南極やオリンピック、甲子園にも納豆
スティック納豆は冷凍して長期保存可能なので、南極越冬隊に持って行っていただいたこともあります。また、アテネオリンピックの日本代表選手団に食べたい日本食のアンケートを取ったところ、「納豆」と答えた方が多かったそうで、当社の納豆に白羽の矢が立ち、御礼のお皿をいただいたこともありました。
2年前からは、地元の大曲工業高校野球部にも、納豆と豆乳を無償提供しています。そのきっかけは、野球部父母会の会長の方から「選手たちは授業後、お腹も空いているし体づくりのため、どんぶり飯を食べてから練習を始める」「練習後1時間以内に飲んでいる市販のプロテインが、年間6万円程度、各家庭の負担になっている」と聞いたことでした。「毎日ご飯だけでは飽きるでしょうから、当社の納豆には色々な味がありますし、プロテインの代わりに豆乳もありますので、提供しますよ」という話になったのです。協賛を始めて1年目で、大曲工業高校が甲子園に見事出場してくれまして、秋田のローカルテレビからは「納豆を食べて粘り勝ち」と取り上げていただきました(笑)。
◆ ボストンバッグに納豆を詰め、夜行列車で首都圏へ進出
― 首都圏から離れた秋田県に位置しているにも関わらず、業務用納豆で業界1位、納豆市場全体でも国内4位にまでなった背景についてはいかがですか?
国内大手納豆メーカーは、大消費地である首都圏にあります。当社は地の利という意味ではやや不利な秋田県にありますが、当社が首都圏に進出した時期は意外と早いのです。
― どのようにして、秋田県から首都圏へ販路を広げていったのですか?
当社の山田清繁会長(2013年8月まで社長)が「首都圏に販路を広げなければいけない」と思ったきっかけは、冬から春先にかけて、秋田県内での納豆の売上が大きく落ちこんでいたことでした。昭和40年頃は冬の農閑期に出稼ぎで首都圏に出る農家の方が大変多かったのです。
ならば、その人達が集まる首都圏に納豆を売りに行こう。そう考えた会長はボストンバッグに納豆を詰めて、夜行列車で上京。当時、上野駅前に秋田県が運営していた上京者向けの安宿に泊まりながら、都内の色々なスーパーにひたすら飛び込み営業をかけたそうです。
普通は秋田に近い仙台や盛岡から進出すると思うのですが、会長は最初から東京で取引先を開拓し、開拓後は秋田の工場から2台のトラックで納豆をピストン輸送したと聞いています。その足場を築くことができたおかげで、1996年には水戸納豆で有名な茨城県に、新工場を竣工し、首都圏への即日配送体制が整ったわけです。
― なぜ敢えて敵地に新工場を建設したのでしょうか?
お客様もしくはバイヤーさんによっては「納豆といえば水戸でしょう」という先入観を持つ方が多く、勝負の土俵にすら上げてもらえない経験を首都圏での営業で多々経験したそうです。「品質では負けていないのに不本意だ。ならば水戸納豆のふんどしを借りて、品質では負けていないことを証明しよう」という強い思いが会長にあったようですね。
ボストンバッグを持って秋田を出た頃から想いを温め、まず東京で売り先を開拓し、次に茨城に工場をつくり、その茨城工場も黒字化するまで7年もかかり、かなりの苦労がありました。茨城工場竣工当時、地元からの反発は激しいものがあったようですが、20年以上経った今では、茨城の方からも受け入れていただいていると感じています。
◆ 業界の中でいち早く納豆菌を開発
― 「業界の中でいち早く納豆菌の研究を進めた」ことについては、いかがですか?
納豆の原料は大豆と水と納豆菌です。一般的には、仕入れた納豆菌で納豆を製造していますが、国内に納豆菌の販売業者は3社しかありません。納豆菌が他のメーカーさんと共通で、大豆も乾燥大豆であれば全国流通可能ですし、水だって全国各地に名水がある。となれば原料3つのうち差別化するなら納豆菌だ、ということで、当社では業界の中でもいち早く納豆菌の研究を進めてきました。
納豆菌は、粒用とひきわり用だけでなく、旨味の強い納豆菌やにおいを抑えた納豆菌など、何十種類ものオリジナル納豆菌を開発・保有しており、色々な用途に合わせ使い分けることが可能になっています。
― ちなみに、納豆菌はどのようにして開発するのですか?
納豆菌は「枯草菌」という分類に入り、もともと自然界のどこにでもいる菌です。ただ、どの菌でも納豆になるわけではありません。自然界から土壌や落ち葉等を採取し、色々な菌が混じっている中から、美味しい納豆をつくる菌を探し出すという地道な作業が必要です。その他に、ベースとなる菌に紫外線を照射して突然変異を起こし、その中から特徴ある菌を探し出す方法もあります。納豆菌の場合、時間をかければ必ずいいものが見つかるというわけでもないのが難しいところです。
ちなみに、2014年2月に開催された全国納豆鑑評会で、最優秀賞(農林水産大臣賞)を受賞した「国産ふっくら大粒」で使用している菌は、世界自然遺産の白神山地から採取した納豆菌で(白神山地は立入禁止のため、もちろん許可をいただいて、県の方に同行いただき採集しました)、現在、当社の工場でメインに使用している菌です。非常に力強く、旨味の強い、また香りもよく粘りも強い、理想的な菌を見つけることができました。
◆ 全国納豆鑑評会で日本一の納豆を目指し「プロジェクトX」立ち上げ
「国産ふっくら大粒」の開発秘話についても、ぜひ話をさせてください。最優秀賞を受賞した2014年から遡ること3年前、全国納豆鑑評会で最優秀賞を受賞することを目指し、当社の山田会長が研究所の全社員と一緒にチーム「プロジェクトX」を立ち上げました。
まずは第一ステップとして、日本全国から最優秀賞受賞歴のある納豆を買い集めました。当社には「美味しさを数値化する」という社内の考え方があります。具体的には、「旨味」「粘りの強さ」「匂い」「見た目」「固さ」の5つの指標で計測し、過去の受賞傾向を分析して目標を設定しました。
次に第二ステップとして、その目標を実現するための原料を選別しました。第一の原料である水は変えようがないので、第二の原料である大豆を日本全国から買い集め、それぞれの品種で納豆を仕込んでみました。すると灯台下暗しで、蓋を開けてみたら秋田県産「リュウホウ」という大粒の品種が美味しいことがわかりました。大粒納豆といえば普通は北海道産が多いのですが、秋田県産大豆にスポットライトを当てたのです。
そして第三の原料である納豆菌も探しました。先程お話した白神山地の納豆菌は、昔採集してストックしておいた納豆菌のひとつで、当時はまだ量産用には使っていませんでした。秋田県産リュウホウと白神山地産納豆菌の組み合わせで美味しい納豆ができることがわかりましたので、白神山地の納豆菌を使うことにしたのです。
第三ステップは加工技術です。目標とする「旨味」「柔らかさ」「粘りの強さ」等を実現するために、大豆の処理時間や温度など、品質に影響する加工条件を煮詰めていきました。そして3年にわたる研究開発の末、当初設定した目標値に到達できる方法を見出すことができたのです。
当社は長年「ひきわりのヤマダフーズ」と定評をいただいていましたが、このプロジェクトXの成果として最優秀賞を受賞でき、粒でも美味しい納豆をつくれることをお客様に知っていただくことができました。受賞後は反響が大きく、販路も広がりました。当初は秋田工場でのみ製造していた商品でしたが、現在では茨城工場でも製造するようになっています。
◆ 冷凍やフリーズドライの納豆で海外販路開拓
― 今後の展開については、どのようにお考えですか?
今後、人口減少と高齢化の二つ要因で、一人あたりの食べる量は減り、納豆業界に限らず、国内の食品市場が縮小化していくことに、食品業界の誰もが危機感を抱いています。そこで、対策その1が「海外市場の開拓」です。当社も約2年前から海外の展示会に出展しています。納豆消費量が少ない外国だからこそ、冷凍やフリーズドライの納豆等を提案しています。
― 海外市場における納豆の需要は、どのような状況ですか?
海外で納豆を食べる人は、まだ日本ほど多くはありません。納豆を食べる海外在留邦人の数に比例して各国の納豆消費量が増える傾向です。そんな中、韓国や中国で今、納豆ブームが起こっているそうです。そこで、韓国向けに小袋タイプ納豆の輸出を始めました。
― 在留邦人以外の、現地の韓国の方が納豆を食べるのですか?
はい当社では現在、1袋約30gの小さなパックに充填して冷凍輸出しています。すると、商品の在庫の回転が日本より遅い韓国の飲食店でも、ロス無く商品を販売することができます。
また、フリーズドライ納豆は乾燥させると粘りも香りもほぼなくなりますが、食べた時に口の中で粘りが戻ってくるという面白い素材です。当社のフリーズドライ納豆には、納豆せんべい等、他メーカーとのコラボ商品があります。海外の展示会で紹介すると、「チルド納豆は苦手だけど、これは美味しい。今までなかった風味だね」と好評です。
他にも、海外の展示会に出展したことで、商売につながった事例が色々あります。例えば、台湾ではベジタリアンの方が多く、納豆のタレに入っている鰹節エキスが食べられないことがわかったため、台湾向け商品として、動物性原料を含まないタレを開発しました。また、米国では畜肉エキスやグルタミン酸ナトリウム(うま味調味料)を含む加工食品は敬遠される傾向が強まっているため、新規でタレを開発し輸出を始めています。
◆ 「ご飯にかけて食べる」以外の納豆の食べ方を提案
国内食品市場の縮小化対抗策その2としては、日本国内で「納豆の食べ方」を増やす必要があると考えています。納豆の食べ方は、ご飯にかけて召し上がる方が多いのですが、お米の消費量は右肩下がりです。このままでは、お米の消費量減少に引きずられる形で、納豆の消費量も減少してしまいます。
ご存知のように、パンや麺、パスタなどの形で食べられる小麦粉の消費量がお米の消費量を上回る状況が続いています。そこで、納豆をパスタやサラダ等と一緒に食べる提案を行っています。
また、秋田の郷土食である「納豆汁」を普及啓蒙するため、首都圏で納豆や秋田の発酵食品をテーマにしたイベントを開いたり、イベントで接点ができた飲食店とのコラボレーションで納豆を使った新メニューを提供したりして、「納豆の食べ方」しいては「納豆の需要」を拡げる活動も進めています。
また、少子高齢化社会の進展を踏まえ、約3年半前に栄養士の資格を持つ新卒の女性2名を採用し、納豆や豆腐等を使用した介護食や病院食のメニュー・レシピの提案も始めました。当社の商品を単に素材として提案するだけでなく、調理手順や所要時間はもちろん、原価計算から栄養成分、アレルゲン、料理写真等まで、従来は先方の栄養士や調理師の方が考えていた内容をメーカー側から情報提供する、つまり、サービスを付加価値として提供することを始めたのです。おかげさまで県内の学校給食等に当社の納豆や豆腐の採用事例が徐々に広がっています。県内でのケーススタディをもとに、今後、県外への提案に活かしたいと考えています。
さらに、子育て中のお母さん方をターゲットにした商品も考えています。離乳食として、細かく刻んだ納豆が推奨されているそうで、もともと当社の商品「超・細か~い きざみ納豆」がお母さん方からのご支持をいただいていました。国産原料を求めるニーズを受けて、秋田県産大豆を使用した国産「超細か~い きざみ納豆」を2018年3月に発売予定です。さらに、離乳食用に小分けして冷凍しているお母さん方も多いそうなので、その手間を省けるように、一食分ずつ小分けした冷凍スティック納豆の販売も考えています。お母さん方からのご意見・ご要望を伺うために、今年度から食育イベントにも出展を始めました。
おかげさまで「おはよう納豆・ヤマダフーズ」は創業63年を迎え、秋田県内でのシェアは約7割ありますが、おはよう納豆が秋田県の会社だということを知らない若い方が増えています。昔は、同じ秋田のメーカーという親近感が買い物カゴに入れる選択基準のひとつでしたが、今は、認知度で言えば、大手の競合他社が勝っているのが現状です。そこで、地元企業ならではの接点を増やそうと、地元のプロスポーツやお祭りに協賛し、地元の方の目に触れる機会を増やしています。ちなみに、当社キャラクターの「なっちゃん」の着ぐるみも昨年度つくりました。ゆるキャラブームはもうとっくに過ぎていますが(笑)、イベント等で皆さんから好評でよかったです。
このように、お客様への情報発信の仕方は、シニア世代、お母さん世代、小中高生世代、それぞれで取り組みを分けています。
社長が二十歳だった頃
◆ 「親に敷かれたレールに乗りたくない」と父親と"賭け"をする
― 次に、山田さんが二十歳だった頃について教えてください。
幼い頃から「納豆屋の息子」と周囲から言われてきたので、いずれ自分が継ぐだろうとは思っていました。けれども高校生の頃まで、社長がどんな仕事をしているかは、まだ見えていませんでした。
大学進学を考える高校生の時、思春期でしたので、親に敷かれたレールには乗りたくないと思いました。自分には自分のやりたいことがあったのです。そこで「もし自分が第一志望の大学に受かれば、自分のやりたいことをやらせてもらう。もし不合格になれば、親父の敷いたレールに乗って、秋田の納豆屋を継ぐ」という"賭け"を父としたのですが、残念ながら、私が負けてしまいました(笑)。
結果的に、第一志望ではない大学に進学しました。けれども、工場の生産管理や会計等を学ぶ学科で、先進的な企業の事例などを聞くうち、徐々に経営に興味を持ち始めました。「人のモチベーションを如何に引き出すか、工場で肉体労働の負荷を軽減するために何をすべきか、物流の組み立てをどうすべきか等々。非常に多種多様な要素が会社の中にはあり、会社の経営とは非常に複雑でおもしろそうだ」と、おぼろげながら見えてきたのです。
大学卒業後は、当時から原料の大豆を海外から輸入していたので、英語を話せた方がよいだろうということで、米国に3年間留学しました。帰国後は、大手食品メーカーで3年間営業部員としてお世話になりました。秋田に戻ってきたのが29歳の頃です。
◆ 世代交代にあたり、父親と意見を戦わせたことは有り難いことだった
― その後、秋田に戻ってからは、どのようなことをしたのですか?
大学在学中は父と仕事の話をする機会は全くなく、仕事の話を始めたのは、私が秋田に戻ってから、会長が65歳の時でした。私は4人姉弟の4番目の長男で、父とは36歳も歳が離れています。その時に意識したのが、会長が元気なうちに、会長の経営方針や想い、経営者として必要な知識や人脈等の引き継ぎをしなければいけないということでした。それができるまでにあと何年残されているかわからない、不安な中で働き始めたのです。
蓋を開けてみれば、おかげさまで会長も健康を保ってくれ、喧々諤々、意見を戦わせながら(笑)、ここまで来ることができました。私が2013年9月、社長に就任してから取り組んできたことは、実は、社長交代後に考え始めたことではなく、その前からずっとやりたいことを書き留めてきたファイルがあるのです。本当はすぐにでも始めたかったのですが、会長の理解がなかなか得られなかったことを自分が社長になってから始めている次第です。当時はストレスがかなりありましたが(笑)、今になれば、意見を戦わせる相手がいたことは、非常に有り難い話だったと思います。
父から学べることは、現段階までのことです。これから、全社員と力を合わせて、働く社員にとって、当社を育てていただいた地域社会にとって、さらには当社の納豆や豆腐を召し上がってくださるお客様にとって、必要とされ愛される企業を、目指していきたいと考えています。
◆ 社員が働きやすい環境を整備するのが経営者の役割
― 具体的には、どのような取り組みをしていますか?
社員が自身の力を発揮し、働きやすい環境を整備することが、経営者の役割と考えています。お恥ずかしながら過去には整備されていなかった、人事考課制度や給料制度等の見直しを私が社長に就任する前後から行っています。頑張った人がより報われる会社にするために、年齢や性別、役職に関わらず、能力や実績がある人は若手でも引き上げます。現に、(若手と言っても勤続20年ですが)40歳の社員を今年4月、工場長に抜擢しました。
そもそも自ら成長しようという意欲がなければ人は成長しないと考え、社員の自己啓発を応援するために、資格手当制度も拡充しました。大型特殊免許など、会社の業務に必要な現在74種類の資格を対象に、受験料や交通費を1回目は全額、2回目は半額を会社が負担します。
また、若手社員や女性社員、役職者等を対象とした社外研修にも、積極的に参加してもらっています。社内研修も、社外からコンサルタントの方にお越しいただき、3S(整理整頓清掃)活動を中心とした改善活動を若手社員中心に指導いただいています。もともと皆、やる気はあったのですが、起きている現実をどう分析してどう対処したらよいか、やり方がわからなかったようです。ものの見方や考え方をご指導いただき、若手がすくすく育ちつつあります。
当社でも今、世代交代が始まっています。会長と私の交代もありましたが、これまで会長と一緒に30年以上、当社を引っ張ってきた役職者の方々の世代交代が目前に迫っています。その方々からバトンを受け取る若手社員を各部署で育てることが、目下の課題ですね。
当社には、「Advance」というものがありまして、そこに掲げている、「お客様の声に耳を傾け、一歩先を行く商品やサービスを開発します」「年齢、性別、役職に関係なく、新たなチャレンジをする社員を応援します」「夢と誇りと生きがいをもって社員が働ける職場環境をつくります」「お客様と地域社会に必要とされ、愛される企業を目指します」等は、経営者である私から社員に対する約束であり、また社員と共にこんな会社を目指しましょう、という行動指針でもあります。これらは、事業年度が変わる毎年9月1日に見直して更新し、社内にも掲示しながら、当社の信条を組織内外に浸透させたいと考えています。
我が社の環境自慢
―続けて、貴社の環境自慢を教えてください。
◆ 社員が生き生きと働ける環境を整備
「目に見える環境」は、私が社長に就任した後も、ほとんど変わっていないと思います。けれども目には見えないですが、私は経営者として、先程もお話した通り、社員の皆さんが生き生きと働けるように環境を整えているつもりですし、これからも、先行している他社の事例を見習いながら、よりよい環境を整えていきたいと考えています。
若者へのメッセージ
― 最後に、今までのお話を踏まえて、若い世代にメッセージをお願いします。
◆ 自分が本当にやりたいことは何か、自分と向き合ってほしい
過去5年を見ても、時代の移り変わりは非常に早いと感じています。例えば、小学生が将来なりたい職業ランキングに突如表れた「YouTuber」のように、自分の能力を活かす仕事の形は今後ますます多様化していくでしょう。将来どんな仕事をするかを考えるにあたり、まわりの意見を聞くのもよいですが、自分が本当にやりたいことや、自分が何をした時に喜びを感じるか、ぜひ自分と向き合ってほしいと思います。自分のやりたいことをやる方が、自分の能力は2倍にも3倍にもなると思います。
ただ、高校生の頃は、それがわからないのですよね。私も将来の進路を決める時に親父と"賭け"をした時、私がもう少し骨のある男なら、そこで土下座をして「浪人させてくれ」という選択をしたと思うのですが(笑)。
― ちなみに、当時、山田さんが「どうしてもやりたい」と思っていたことは、何だったのですか?
きっと笑いますよ(笑)。宇宙飛行士です。何らかの形で宇宙に関わる仕事がしたい、と思っていました。高校生の時も「将来の夢は宇宙飛行士です」と自己紹介して大爆笑でした。きっと大多数の人にとって宇宙飛行士は小学生の頃に卒業する夢なのでしょうね。
― 今の立場から「宇宙に関わる」ことは狙っていないのですか?
実は私、ヤマダフーズに入社した当初、納豆屋さんになっても宇宙に関わる仕事ができると思っていたのですよ。例えば、宇宙食とか。
― フリーズドライ納豆の宇宙食は、日本人宇宙飛行士からのニーズがありそうですよね。
でしょう?でも私、それが非常に難しいことに最近気付いてしまったのです。宇宙船の中は無菌状態でなければいけないので、宇宙食も完全に殺菌してから持ち込むのです。ですから、納豆も納豆菌がいるうちは、宇宙に持っていけないのですよ。
― では、納豆菌のいない納豆を開発するしかない...、でも、そんなことは不可能ですよね?
実は、当社の研究所で「納豆菌のいない納豆」を開発しています。それは宇宙向けでなく、国内のある用途に使えるだろうというニーズがあって、開発しているものです。あわよくば、それを宇宙に持っていきたいと、実は密かに考えているのですが(笑)。実用化したときに、宇宙へ行く日本人宇宙飛行士の方が納豆嫌いなら、泣けますけどね(笑)。
― 宇宙への夢を諦めず、粘り強く納豆の研究開発と普及啓蒙を進めていけば、納豆が宇宙に旅立つ日もそう遠くはなさそうですね。山田さん、本日はありがとうございました。
社員に聞く、我が社の環境自慢
◆ 東京からUターン。仕事と育児の両立に理解が深い環境が自慢。
/商品企画開発室 永渕菜美子さん(34歳、入社3年目、秋田県大仙市出身)
主に、当社の商品企画や商品開発、パッケージデザイン、それに付随する販売促進物の作成を行っています。もともと私は、東京の広告会社で10年ほど販売促進物のデザインの仕事をしており、東京で結婚もしました。そろそろ秋田にいる両親が心配になり、地元に戻りたいと思った時、ヤマダフーズの求人募集がありました。当社への入社を決めた理由は、前職のスキルを活かせる業務内容の募集であったこと。広告会社で残業が多い経験をしてきたので、食品メーカーの中でデザインをしたいと思ったのが一番の決め手でした。あとは給料のよさですね(笑)。入社後は、デザイン以外にも商品開発に携わることができ、新しい分野に挑戦できたことがいい経験です。
妊娠から育児中の現在に至るまで、会社からは非常に手厚く対応いただいています。特に、出産後は時短勤務となり、子どもの急な体調不良で早退することも度々あるのですが、周囲の理解が深いおかげで、特に困ったこともなく、後ろめたさも感じずに、育児と仕事を両立できていることが一番大きいです。人事の方も積極的に相談に乗ってくれ、とてもよい環境だと感じます。他の部署にも子育て経験者の方が多いので、「おむつはいつ頃取れるのか」といった相談も気軽にできるのがいいですね。育児中は昇進しづらいと一般的には言われますが、理解ある職場環境の中で、さらに上を目指し、格好いいお母さんになりたいです。
◆ OJT(On-The-Job Training)で成長できる環境が自慢
/食品開発研究所 大阪朝美さん(23歳、入社2年目、秋田県美郷町出身)
農学系の大学で学んだ知識を活かし、地元に戻って、農業や食品に関わる仕事がしたいと考え、当社に入社しました。
私が配属された食品開発研究所では、商品開発をチーム制で進めています。私は入社1年目からチームで商品開発に携わってきました。すべてが初めてのことばかりで、わからないことや覚えることも多く苦労もしましたが、OJT(On-The-Job Training:実際の職務現場において業務を通して行う教育訓練のこと)で成長できる環境が整っていることが、我が社の自慢です。さらに、部署の垣根を超えて、仕事のみならずプライベートでも協力し合える関係性があるのもよいですね。来年は私も入社3年目になり、後輩も入ってくるので、私も先輩方から教えていただいたことを後輩たちに返していけるよう、頑張りたいです。
◆ 社員の意欲アップにつながる資格手当制度が自慢
/本社管理部人事労務課 細谷文乃さん(25歳、入社5年目、秋田県横手市出身)
短大で学んだ情報系の知識を活かし、事務系の仕事で、地元に就職したいと思っていました。応募してご縁のあった当社に入社し、今年で5年目です。現在は人事労務課に配属され、主に新卒採用やインターンシップの受入れ、資格手当制度の運用、人事考課制度の評点集計などを担当しています。
我が社の環境自慢は、私も担当している資格手当制度です。受験料のみならず、受験地が遠方の場合でも交通費を会社が全額負担してくれるので、自分だけでは手が出せない資格を受けやすい体制があることがよいと思います。まだ始まって数年しか経っていない新しい制度ですが、毎月色々な資格が新しく対象に加わっており、社員の意欲アップにつながっていると感じています。対象となる資格の中には秋田のご当地検定もあり、私もこの制度を活用して2級まで取得しました。工場見学で県外の方を案内した時、秋田のよさをアピールできたと思います。資格取得の他にも、色々な研修やセミナーに参加させてもらえることも自慢です。私も積極的に参加して色々なことを知り、幅広い仕事をできるよう、これからも頑張っていきたいです。