取材・写真・文/大草芳江
2015年2月14日公開
社会とは皆でつくりあげていくもの
奥山 恵美子 Emiko Okuyama
(仙台市長)
1951年、秋田県秋田市生まれ。東北大学経済学部卒。1975年、仙台市役所に就職。仙台市役所では生涯学習課長、女性企画課長、せんだいメディアテーク館長、市民局次長、教育長、副市長などを歴任。2009年第33代仙台市長(1期目)、2013年2期目就任、現在に至る。
「社会って、そもそもなんだろう?」を探るべく、【社会】に関する様々な「人」をインタビュー。
その人となりをまるごと伝えることで、その「人」から見える「社会とはそもそも何か」を伝えます。
生まれてから20歳になるまで20回近くも引っ越し、全国の色々な地域で暮らしながら育った奥山恵美子さん(仙台市長)は、ひとつの地域に根を下ろす生活に憧れると同時に、それぞれの街で色々な人たちが暮らしを営み、それぞれに異なる良さがあることを肌身で感じた。そんな育ち方が、今の考え方のベースになっていると話す奥山さんが、リアルに感じる社会とはそもそも何か、インタビューした。
<目次>
・20歳までに20回引っ越し
・地域に根をおろした生活がしたい
・もう、あとは公務員しかない
・地域への誇りを持ちながらオンリーワンに
・仙台市長になるまで
・社会とは皆でつくりあげていくもの
・学び方も多様に
・チャンスの格差と社会の応援
・「関わろう」という意欲
・学都仙台のポテンシャル
・「人」こそ可能性
・皆の力を出し合える社会へ
・「大人になる」とは
奥山恵美子さん(仙台市長)に聞く
―奥山さんがリアルに感じる社会って、そもそも何ですか?
その質問にお答えする前に、私がどんな環境で育ったかが、その答えにつながってくると思うので、そのことをまずお話させていただきたいと思います。
20歳までに20回引っ越し
私は、父が国家公務員だったので、とてもたくさん全国を転勤しました。主に東日本ですが、幼稚園を2つ、小学校を5つ、中学校を2つ、高校を2つ、大学を1つ、通ったのです。つまり、それだけたくさんの街で暮らしてきました。ですから、普通の方よりも、ある程度、人の暮らし方には地域・地域によって様々な違いがあることを経験しました。
例えば、雪深い秋田や金沢で暮らした時は、本当に雪のある暮らしって大変だなと子供心に思ったり。一方、千葉や東京に住んだ時は、太平洋側は明るくて、冬なのに全く雪の心配なく活動できるんだなと思ったり。数えてみたら、生まれてから20歳になるまでの間、親と一緒に20回近くも引っ越しました。
地域に根をおろした生活がしたい
親と一緒に日本全国色々な風土や暮らしがあることを見られてよかったと思う一方、ひとつの地域にずっと住んでいる友達を大変羨ましく思っていました。「ここが私の故郷だ」と心から思えて、自分と記憶と共有してくれる幼なじみがいて、まるで船がいかりをおろしているように安定して暮らしている気がしたからです。
もちろん、「大学卒業後は海外に行きたい」「これまでひとつの地域に住んでいたから、ここを出たい」と思う人たちもたくさんいることは、同級生の話を聞いてわかっていました。けれども私の場合、あまりにも生まれてから20年間引っ越し続きだったので、大学を卒業して自分で仕事を選ぶ時は、転勤や引っ越しがない、地域に根を下ろした生活をしたいと思ったのです。大学で仙台に住んで、とてもよい場所だと思ったので、仙台で仕事を探そうと思いました。
もう、あとは公務員しかない
当時はまだ男女共同参画社会基本法が作られる前ですから、東北大学を出た女の子に、民間会社はほとんど求人票をくれませんでした。同級生の男の子には、「我が社を受験してください」と求人案内がダンボール箱1つ分も来ていたのですが、私には確か2通だったと思います。さすがに2通とダンボール1箱では、可能性が違い過ぎるなと(笑)。残すは、学校の先生か公務員しか、男女ともに受験できる就職先はありませんでした。例えば、看護師などは資格が要りますしね。
最初は、学校の先生でもいいなと思っていたのですが、中学や高校の教員免許には「青年心理学」という科目の履修が必要でした。ところが当時は大学紛争の真っ只中で、大学がストライキでしばらく休みになっている間、「青年心理学の単位は不可」という告知が掲示板に貼られていたのです。「下記の者は出席日数不足につき単位は認定できない」という名簿の中に、よく見たら自分の名前がありました...。
結局、単位が取得できないので、先生の免許はもらえないことになりました。じゃあ、もうあとは公務員しかないと、公務員の受験勉強をして、正確に言うと、東京都に入り、その翌年に仙台市役所に来ました。こうして地方公務員になったわけです。
地域への誇りを持ちながらオンリーワンに
20歳までの間に全国色々な地域を見たことで、それぞれの街で色々な人たちが暮らしを営み、それぞれ異なる良さがあることを感じました。例えば、秋田の人は竿燈祭りをとても誇りに思い、金沢の人は前田家をとても誇りに思っています。それぞれの地域の人が、自分たちの故郷の歴史や文化の中で誇りをもちながら、オンリーワンとして暮らしているわけですね。
仙台も全国に誇るものをもち、仙台らしく暮らしていくのがよいのではないか。そう市の職員としても思いながら色々な仕事をしてきました。小さな時の育ち方が、仙台市の職員として仕事をする時の大きなバックボーンにあったことは幸せだったと思います。
市役所では、生涯学習や男女共同参画、消費者行政など、市民の方と一緒に行事や調査活動などを行う仕事に比較的長く携わらせていただきました。約三十年、市役所で色々な仕事を経験する中で、街とは市民と行政が一緒になってつくっていくものだということ、そして自ら関わることで誇りが醸成されていくという感覚を得ることができたと思います。
仙台市長になるまで
教育長や副市長という仕事もいただき、だんだんより高いポジションで街のことを考えられるようになりました。これは引き立てていただいた藤井元市長さんのおかげであったり、時代もまた女性の力を組織として活用しようという時期でもあり、本当にチャンスに恵まれていたと思います。
そんな中、前市長の梅原さんの時に副市長にしていただいたのですが、ご一緒に仕事をする中で、どうも梅原市長さんがお考えになる街づくりと、私の考える市民の方と一緒に力を合わせた街づくりは、ものの考え方が違うのではと感じるようになりました。
一緒に長い間市民活動をしてきた人たちの中からも、「奥山さん、人の下でやるのもいいけれども、あなたが思う街づくりを正面に出してやってみたらいいじゃないか。応援するから」という声もいただいて。そこで思い切って、2009年に仙台市長選挙に出馬しました。色々な方からのご支援をいただいて、当選させていただくことができたのです。
社会とは皆でつくりあげていくもの
ですから、私にとって社会とは「街」と言ってもよいと思いますが、そこに暮らしている人たちが自分たちの誇りを持てるような、自分たちの住んでいる地域をどうよくしていきたいかを皆で考えて、皆でつくっていくものです。その結果として、外から見た時に、仙台市なり仙台市域の社会ができていくのだと思います。ですから、まさに社会とは皆でつくりあげていくものだ、ということを実感として思いますね。
―与えられる意識では、誇りは持てませんね
そうですね。スーパーマーケットの棚に並んでいるのを、「はい、これがあなたの仙台市です。仙台には、こんな病院や学校もあります。さあ、どれでもあなたの好きなものを選んでください」と言われているように、(社会を)普通は思いがちですけど。
例えば、学校づくりひとつとってみても、実は自分たちの考えが反映されていることが、よく見ていただけるとわかると思います。仙台市内でも124の小学校がありますが、それぞれの小学校が違う学校です。もちろん教えていることは、全国学習指導要領で決められていることです。しかし、子どもたちがどんな地域活動を行い、地域の人達とどう関わるかなど、色々なことが全部違っており、124の違う学校ができあがっているのです。
学び方も多様に
―これまでのお話のキーワードに「多様性」があると思いますが、そもそも多様性というものを、奥山さん自身どのように考えていらっしゃいますか?また、色々なものを見た後ならば多様だと感じられても、最初からひとつだけしかない場合、それが「多様のひとつ」とどうしても気づけないと思いますが、そんな時はどうすればよいと思いますか?
私のように、小さな頃から色々な街に暮らすことはあまりできることではないと思いますが、今の学び方の中で、色々な大人の人の話を聞く機会は、むしろ我々が学校に行っていた時代より増えたと思います。
例えば、職業学習で大人の方が子どもの教育に参画してくださる度合いが増えています。大人の方が自分の仕事や街への関わり方などの経験を子どもたちにお話してくださる中で、色々なヒントがあると思います。
また、修学旅行の地域学習も他地域を理解する大きなチャンスですし、最近はインターネットを利用して、遠隔地や海外の小中学生同士で議論することも可能になっています。学び方は今、とても多様になっていると思います。
チャンスの格差と社会の応援
―今は環境として、「そうしたい」と望む意思さえあれば、むしろ昔より多様な人と交流できる機会が増えているわけですね
今の方が環境は整っていますし、子どもたちの活動を応援するNPOや団体は今、とても増えています。ですから願う人にとっては、非常に機会は開かれています。ただ一方で、そのような意欲を持ちにくい人や、家庭が経済的に厳しく、親御さんも含めて、そういうところまで、なかなか思いや考えを発展させにくい環境にいる人たちも実際、子どもたちの中にはいます。
そのような子どもたちに、どのようにして居場所をつくり、また可能性の芽を引き出してあげるかは、逆に、これまで以上に考える必要があります。やはり伸びる子どもはどんどん伸び、たまたま生まれたお家の都合によって伸ばせるものも伸ばせないままでいる子どもたちもいるのが今の日本社会です。社会がそこに目を向け如何に応援していけるかは、これからますます大事だと思います。
そんな中、若い学生さんが、家庭のお金で塾に行けない子どもたちにボランティアで勉強を教えたりするような、ボランタリーな形で応援しようという動きが、ここ10年間で増えていることを、とても心強く思っています。
「関わろう」という意欲
―問題意識を感じ、それを解決しようとする人たちもまた多様な形で増えているのですね
そうですね。もう30年も前ですから遠い昔ですが、私たちが大学生の頃と比べて、今の社会に可能性を感じる点があります。我々の時代、1960年台後半の学生運動の流れの中で、大学生は社会全体に対して「ノー」と言う、日本的な学生運動がありました。
逆に、今のお話のように、自分たちの足元の社会の課題に対して目を向け、そこに働きかける活動は、当時も若干のボランティア活動はあったものの、今の時代に比べてはるかに少なかったと思うのです。
一方、今の大学生は、もちろん何もしない方もたくさんいることはわかっていますが、「関わろう」という意欲は、昔よりはるかに多くの方が持っています。現に、七夕や環境、教育や食生活など、それぞれテーマを見つけて活動している人たちが増えていると思うので、それはすごいことだと思います。
学都仙台のポテンシャル
―そのような点に奥山さんはポテンシャルを感じていらっしゃるのですね
そうですね。特に仙台は、ご承知の通り「学都仙台」と言われるように、周辺自治体も含めて高等教育機関が約25もあります。たくさん大学があるからこそ、お互いに刺激し合い、それぞれの大学の多様性を活かした、よりバラエティに富んだ活動が展開されています。
これも仙台の街としての強みですよね。このような良さは、気づきにくいけれども、この街が誇るべきことじゃないかという気がします。
―住んでいる人は、それを当たり前に思ってしまいがちですね
空気のように思っているから、なくならない限り、あって当たり前みたいなことですけど、やはり仙台にとって大学があることは、とても大きな可能性です。
よく東北の他の地域の市長さんから、「仙台は昼間から若い人たちがたくさん駅前を歩いていて羨ましいね」と言われます。それを仙台市民は何か特別なことだと思う人は少ないと思いますが、仙台以上の少子化や人口減少に悩んでいる街からすると、とにかく若い人が日中、街中にたくさんいること自体がすごく羨ましいことなのです。やはり仙台を前提に考えるだけでは、わからないものがありますね。
「人」こそ可能性
―改めて、奥山さんがこの社会、そして仙台に対して、一番可能性を感じているものとは何でしょうか?
今、我々が住んでいる日本社会には、たくさんの課題や問題はあります。例えば、経済的格差問題がここ十年で非常に大きくなり、自治体も国も含めて財政が厳しく、また仙台でも人口減少が進みそうな状況です。
ただ一方で私が可能性を感じているのは、その問題に立ち向かい解決できるだけの「人」が、我々の日本社会なり仙台・東北に十分いること。それを私は信じているのです。
これだけの高い教育レベルを持ち、さらにひとつの言語で社会全体での意思疎通ができ、しかも「公共」、つまり皆でやることに対して、日本人はとりわけ真面目ですよね。
例えば、ゴミは落ちていたら「片付ける人が拾えばよいので、自分が拾う必要はない」と思う人はいても、大部分の人はちゃんとゴミを捨てずに持ち帰りますよね。楽天の優勝パレードで仙台に約25万の人が集まっても、終わった後、ゴミが散らばっているわけではないですから。世界的に見ても、公共性に対する責任が高いレベルにある人たちが住んでいると思います。
だとすれば、もちろん色々な議論は必要で、その過程で困ったことも起こると思いますが、必ず問題を解決していけるポテンシャルはあるはず。そのことを私はとても楽観視しているのです。
あとは、それをきっちりと束ねるもの。それは街づくりに対する首長のリーダーシップかもしれないし、学校であれば、校長先生や地域の人達の「うちの学校はこれでやっていこう」という強い気持ちかもしれない。
そこに向かって皆が力を合わせるんだという気持ちをひとつにさえすれば、一歩一歩でも必ず社会は変わっていくし、今までも社会は変わってきたわけです。
歴史的に見れば、過去100年間で、我々の生活水準も教育水準も格段に上がっていることは確かです。それ故の弊害もありますが、良くなっていること自体はしっかりと信じ、これからもなお頑張っていけば、日本社会をそれほど悲観する必要はないと思います。
皆の力を出し合える社会へ
それに、「大人になってもいいことはない。子どものうちが一番責任も問われず、社会の楽しいところだけを受け取れるから、楽でいい」という声を、時々聞かないわけではないですが。
けれども私は、人間の究極の生きがいとは、なるべく自分の労力を提供しないで安楽に何か与えてもらうのところにあるのではなく、やはり自分の持てる力を少しでも社会に向けて使い、そのことで社会から感謝される、あるいはそのことに対価を得ることが、人の究極の生きがいじゃないかと思っているのです。
そういう意味で、皆が持っている力を出し合える社会をつくっていきたいと思うのです。仙台市の掲げる「市民協働」とは、難しい言葉ですが、ある意味ではそういうことなのです。ですから、中学生には中学生としてわかっていただける街との関わり方があるので、それは大きく言えば、市民協働なのです。
もちろん市民とは基本的に参政権を持つとか、法律の要件は色々あります。けれども、そんな風に難しく考えなくても、「自分たちの街は自分たちで望むように、悪いところがあれば変え、良い所は伸ばし、少しでも住みよい街にして、皆で生きがいをもって、暮らそうね」という気持ちがあればよいのです。本当にそれが何よりの願いだと思います。
「大人になる」とは
―最後に、今までのお話を踏まえて、読者の中高生へメッセージをお願いします
よく言われることですが、人間は一人で生きているわけではありません。必ず社会や仲間に支えられて生きています。自分が支えられるだけでなく、自分も支え手の一人になることが、「大人になる」ことだと思います。
自分はどのような力を持てば、人を、そして社会を、支えることができるのか。それに向けて力をつけていくことが「勉強」だと思うのです。大学に入ることも本当に大事なことですが、自分の中にどんな力をつけ、社会の中で「自分」をどう出していくかを考えれば、色々な学びの道があると思います。
一人ひとりの方が、自分に合った学びの道を見つけ、力をつけて欲しいです。そして、大人になるということは、人からも感謝され、手応えのある、生きがいのあることですので、希望を持って大人になってほしいと思います。
―奥山さん、本日はありがとうございました