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応用物理学会東北支部が70周年記念講演会をハイブリッドで開催

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応用物理学会東北支部が70周年記念講演会を開催

2020年03月23日公開

人数制限を設けてのリアル会場とオンラインのハイブリットで開催された応用物理学会東北支部70周年記念講演会のようす=3月6日

 応用物理学会東北支部(尾辻泰一支部長)は同支部発足70周年を記念した講演会と祝賀会を3月6日、人数制限を設けてのリアル会場(仙台市)とオンラインのハイブリッドで開催した。同会は物理学と工学を結ぶ「応用物理学」に関する学会として1946年に創立。その後、全国に7つの支部が発足し、東北支部は全国で2番目となる1951年に発足、学術講演会や啓蒙活動等を行っている。

尾辻泰一東北支部長による開会挨拶

 記念講演会の冒頭で尾辻支部長(東北大学電気通信研究所教授)は「新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けながらも、何とかハイブリットでの開催にこぎつけた。記念講演会では、各分野で世界を牽引する中沢正隆先生と城戸淳二先生にご講演いただく。特に青少年に対する啓蒙活動や若手研究者の人材育成が東北支部の活動の大きな柱。若い世代のエンカレッジになれば嬉しい」と挨拶した。

東北大学の大野英男総長による来賓挨拶

 次に来賓として東北大学の大野英男総長が挨拶し、「東北支部は70年の長きにわたり、青少年に対する啓蒙活動、若手研究者の人材育成、最先端研究の推進と産業技術の発展に多大な貢献を果たしている。西澤潤一先生、岩崎俊一先生、舛岡富士雄先生をはじめ、世界に誇る卓越した多くの研究人材が東北の地から輩出され、私自身も応用物理学会に育てられた。資源の乏しい我が国がこれから大きく発展し、持続的で明るい社会の実現に貢献するには、応用物理学の発展が大切だ」と語った。

応用物理学会の波多野睦子会長による来賓挨拶

 続けて、来賓の応用物理学会の波多野睦子会長(東京工業大学教授)がオンラインで挨拶。応用物理学会の歴史や活動について述べた後、「特に東北支部の長きにわたる青少年への教育活動は目を見張るものがある。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、いち早く教材を配布する策に転じ、500を超える教材を地域の親子に提供したことは、ニューノーマル時代の特筆すべき活動として、学会のみならず社会からも大きく評価されている」と称えた。

中沢正隆特任教授(東北大学電気通信研究機構、東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー)による特別講演

 記念講演会では、光ファイバー通信の高度化の研究で世界的に著名な中沢正隆特任教授(東北大学電気通信研究機構、東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー)が「超高速・高効率コヒーレントナイキストパルス光伝送と最近の話題」と題して講演。中沢特任教授らが発明し、超高速光通信の伝送効率を向上させることに成功した光パルス「光ナイキストパルス」の研究が「昔から原理と言われていたことが少し違うのではないかと気づいた瞬間から始まった」ことを語り、その解説を中心に、最近の研究活動も含め「1時間でわかる最近の光通信」という話題で講演を行った。

城戸淳二教授(山形大学)による特別講演

 次に、世界で初めて白色有機EL(有機エレクトロルミネッセンス)の開発に成功したことで知られる城戸淳二教授(山形大学卓越研究教授)が「有機半導体デバイスの開発と地域活性」と題して講演を行った。発光材料の研究を始めたきっかけが、大学の指導教官から「君は城戸(きど)くんだから、希土類(きどるい)はどうだ」と言われたエピソードも交えながら、今やスマホや大型テレビなどディスプレイ技術として広く実用化されている有機EL材料及びデバイスの研究開発の道のりを解説。さらに、開発してきた技術を基に複数のベンチャー企業を立ち上げ、大学を中心に地域活性化を目指す取り組みについて熱く語った。

 講演会後は、新型コロナウイルス感染症対策を徹底した上で祝賀会が開催され、歴代の支部長らが支部長当時の思い出やエピソードを披露した。


応用物理学会東北支部長 尾辻泰一さんインタビュー

 本日、支部発足70周年を記念する講演会・祝賀会をつつがなく開催できたことを本当に嬉しく思っています。応用物理学会は、日本の学術団体の中でも比較的大きな会員数約2万名の組織で、そのうち東北支部会員は約1千名。端的に申しますと「小粒でもぴりりと辛い」東北支部は、これまでの歴史の中でも幾多の世界的に著名な研究者を輩出し、本日の記念講演会でも、光ファイバー通信で世界を牽引する中沢正隆先生と、有機ELを中心とした有機半導体デバイスの産業開発イノベーションを牽引する城戸淳二先生に講演いただきました。東北発の研究者に貴重な講演をいただいたことを大変嬉しく思っています。

 東北支部の活動は、次代を担う青少年に対する教育・啓蒙活動を中心に、若手研究者の研究支援、世界最先端の研究のさらなる牽引と産学連携の推進です。特に「リフレッシュ理科教室」は東北6県で開催して久しいですし、NPO法人ナチュラルサイエンス主催で東北支部共催の「学都仙台・宮城サイエンス・デイ」も大きな活動に成長しています。これからも次代を担う青少年の皆さんに新しい発見や驚きをもって科学に親しんでもらえるよう、我々は引き続き活動を続けていきます。


産総研東北センターが新たに掲げた看板研究テーマ「資源循環技術」とは?(1/2)<産総研東北センター所長の伊藤日出男さんに聞く>

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産総研東北センターが新たに掲げた看板研究テーマ「資源循環技術」とは?(1/2)<産総研東北センター所長の伊藤日出男さんに聞く> 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/伊藤日出男(産業技術総合研究所東北センター ※)

2021年05月25日公開

東北発の地域イノベーションに向けて

伊藤 日出男 Hideo ITOH
(国立研究開発法人産業技術総合研究所東北センター所長 ※)

 国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)東北センターは、2020年4月から開始した第5期中長期計画で、看板研究テーマとして新たに「資源循環技術」を掲げた。その狙いや背景とは何か。また、従来の看板研究テーマである「化学ものづくり」からは何が変わるのか。東北センター所長の伊藤日出男さんに聞いた。

※ 本記事の所属・役職は取材当時(2021年2月)のものです。
※ 本インタビューをもとに「産総研東北ニュースレターNo.49」電子版ならびにインタビュー動画を作成させていただきました。詳細は、産総研東北センターHPをご覧ください。

【関連記事】
産総研東北センターが新たに掲げた看板研究テーマ「資源循環技術」とは?(2/2)<産総研 資源循環利用技術研究 ラボ長の佐々木毅さんに聞く>


◆ 産総研の総合力を生かし、エネルギー等の社会課題を解決

― 産総研東北センターは、看板研究テーマとして、これまで「化学ものづくり」を掲げてきましたが、2020年度からの第5期中長期計画で新たに「資源循環技術」を掲げました。

 産業技術総合研究所(産総研)は、2001年に複数の国立研究機関が統合・再編されて独立行政法人として発足し、2015年より法改正に伴って国立研究開発法人となり、現在に至ります。産総研では、中長期計画を5年に一度更新しており、2020年度からの第5期では、「世界に先駆けた社会課題の解決と経済成長・産業競争力の強化に貢献するイノベーションの創出」をミッションに掲げ、産総研の総合力を生かした、国や社会の要請に対応する世界最高水準の研究機関を目指しています。

 このうち東北センターでは、第5期中長期目標の柱のひとつである「社会課題の解決に貢献する戦略的研究開発の推進」の中でも「エネルギー・環境制約への対応」と、第4期に強化した「橋渡し」(※1)機能を拡充した「地域イノベーションの推進」、このふたつの観点から、新たに「資源循環技術」を看板研究テーマとして掲げました。

※1 「橋渡し」:革新的な技術シーズを事業化に結びつける(産業界に「橋渡し」する)こと


◆ 東北センターが「資源循環技術」を看板研究テーマに掲げた背景

― 数ある技術の中で、なぜ「資源循環技術」を看板研究テーマとして東北センターは選んだのですか?その背景や理由について教えてください。

 日本の中でも東北地方は、たくさんの資源に恵まれていました。例えば、秋田県等で産出される「黒鉱」と呼ばれる鉱石は、当時(1960年代)の日本の非鉄金属資源の大半を占めていました。産総研東北センターの前身である東北工業技術試験所(1967年~)は、その高度利用技術に関する研究の一環として、黒鉱の選鉱自動化のプラント実証を行っていました。現在ではコストの問題もあり国内の大半の鉱山は閉山していますが、その敷地や施設を利用し、例えば、「都市鉱山」と呼ばれる携帯電話等から有用な金属を取り出す研究や、鉱山の地下水や土壌等の浄化を行う施設が数多く存在しています。また、秋田大学や東北大学をはじめ、東北地域は産学官の資源技術研究開発組織が結集している地域でもあります。

 また、東北地方で豊富に産する「スメクタイト」と呼ばれる粘土鉱物は、西日本の粘土とは異なり、薄い紙のような板状の粘土結晶を特徴としています。東北工業技術研究所(1993年に改称)は、透明で均質な材料として、合成スメクタイトの量産技術を確立し、塗料や化粧品、触媒やファインケミカルなど、多分野に貢献してきました。その研究成果は、「Clayteam(クレイチーム)」という産総研東北センターのコンソーシアムにより、様々な企業にソリューションを提供する形で結実しています。Clayteam会長の蛯名武雄首席研究員は、その功績によって平成30年度の「河北文化賞」を受賞しています。

 さらに、国連が提唱する「SDGs(持続可能な開発目標)」でも掲げられている通り、社会の持続可能性を高めるためには、資源を掘って使って捨てるだけでなく、資源を循環させる点に着目する必要があります。

 以上のように、東北センターの歴史的な背景と現在の研究分野、そして産総研全体としての基本方針やサステナビリティに対する社会や世界からの要求、これらを総合的に考える中で、東北センターとして新たに「資源循環技術」を看板研究テーマとして掲げることにいたしました。産総研全体あるいは経済産業省で行っている資源循環技術全体のポータル(窓口)として、また各支援機関と共に環境配慮型のオープンイノベーションを推進することで、東北の産業競争力の強化を支援させていただこうと考えています。


◆ オール産総研の「資源循環技術」窓口

― 具体的にはどのような活動を行うのですか?

 これまでも地域の企業の皆様や大学等各機関と連携を進めてきました。「資源循環技術」を新たな看板研究テーマに掲げ、この分野についてより力を入れた形での連携構築を推進していきます。

 本部である東京、つくばに加え、全国10箇所に研究拠点がある産総研全体では、資源循環技術研究を行う拠点がいくつかあります。例えば、社会課題の解決に貢献する研究開発を領域融合で推進するために第5期から始まった「融合研究ラボ」の一つ「資源循環利用技術研究ラボ」では、炭素や窒素、リン等の物質循環の研究を進めています。また、気候変動問題の解決にむけてエネルギー・環境の技術開発を行うために令和2年1月に設立された「ゼロエミッション国際共同研究センター」にも、資源循環をテーマに研究している研究者がいます。他にも、先程お話した水を浄化する研究や「都市鉱山」から有用な金属を取り出す研究等、産総研の様々な部署で資源循環技術に関する研究が進められています。一方で、産総研全体として「資源循環」で括った物理的な組織はなかった状況がありました。

 そこで東北センターが、東北・全国の企業の皆様からご相談を受けた際、全国あちこちの資源循環に関する最も適した研究者をご紹介できる、「資源循環技術」に関する窓口として、対応させていただきたいと考えています。


◆ 「資源循環」を切り口に、産総研の研究者を仮想的に束ねて見える化

― ということは、これまで東北センターが看板研究テーマとして掲げていた「化学ものづくり」をやめて全国から資源循環関連の研究者を東北センターに集め資源循環に関する研究のみを行う、という意味ではないのですね?

 はい。「資源循環」という新たな看板を掲げることで、産総研の資源循環関係の研究者が東北センターに集まるという意味ではありません。例えるならば、東北センターのみならず、全国の産総研にある満天の星の中から、キラキラと「資源循環」色に輝く星たちを束ねて、「資源循環」の星座をつくる、プラネタリウムのナビゲーターのような役割を東北センターが担うというイメージです。企業の皆様が満天の星の中から資源循環の星を探し出すのは大変な作業ですので、我々東北センターが翻訳しながら仲立ちをするということです。

 例えば、「この部署のこの研究者はこんな資源循環の研究をしています」といったデータベースをつくり、わかりやすく整備していくことも含めて対応します。産総研のみならず、資源循環に関する研究を行っている大学や関連事業を行っている企業の皆様も含め、まず東北から調べ始め、全国の資源循環関係の研究を上手にわかりやすくまとめていきたいと考えています。

 つまり、「資源循環」という角度から仮想的に産総研の研究者を束ねて、見える化する、ということです。当然のことながら、東北センターのこれまでの化学プロセス研究部門の研究を蔑ろにするつもりは全くありません。東北センターの特徴である化学ものづくり研究の中にも資源循環技術に関する研究がいくつかありますので、「スポットライトの当て方が少し変わった」とご理解いただければよいと思います。もちろん、引き続き、産総研全体の他分野の技術に関するご相談も喜んで受けますし、地元の研究組織である化学ものづくり研究についてのご相談あるいは連携構築も変わらず推進して参ります。


◆ "よってたかって"企業の発展を支援

― 最後に、東北センターとして目指すビジョンと、読者へのメッセージをお願いします。

 我々産総研が最終的に何を目指すかと言いますと、企業の皆様が我々を頼ってくださり、我々が相談に乗ったり共同で研究したりするわけですが、それ自体が目的ではなく、それを基に、企業の皆様が新たな製品や業態を開発して大儲けしていただくことが最終目的です。そのためにはまず我々を知っていただき、ぜひ使い倒していただきたい。そして我々なしでも企業の皆様に大儲けをして大発展していただき、卒業生として同窓生をバックアップしていただくところまでつながれば、一番の幸せです。

 産業を発展させる一番の大本は、企業の皆様です。そのために必要な技術は、我々産総研だけでなく地方自治体の公設試や、各地域の大学や産業支援機関の皆様、そして金融機関の皆様と一緒に"よってたかって"支援していくことで、企業の皆様に発展していただき、ひいては産業の発展を目指していきたいと考えています。ですから、まずは遠慮なくご連絡をいただきご活用いただければ幸いです。

― 伊藤さん、ありがとうございました。

産総研東北センターが新たに掲げた看板研究テーマ「資源循環技術」とは?(2/2)<産総研 資源循環利用技術研究 ラボ長の佐々木毅さんに聞く>

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産総研東北センターが新たに掲げた看板研究テーマ「資源循環技術」とは?(2/2)<産総研 資源循環利用技術研究 ラボ長の佐々木毅さんに聞く> 取材・文/大草芳江、資料提供/佐々木毅(産業技術総合研究所)

2021年05月25日公開

人類共通課題「エネルギー・環境制約」に領域融合で挑む

佐々木 毅 Takeshi Sasaki
(国立研究開発法人産業技術総合研究所 資源循環利用技術研究ラボ長)

 産業技術総合研究所(以下産総研)東北センターは、2020年度からの第5期中長期計画で、新たな看板研究テーマとして「資源循環技術」を掲げた。「エネルギー・環境制約」という社会課題の解決にむけて設置した「資源循環利用技術研究ラボ」を中心に、「資源循環技術」の研究開発を領域融合の"オール産総研"体制で推進し、東北センターもその窓口役を務める。資源循環利用技術研究ラボ長の佐々木毅さんに、同ラボの設立背景や東北センターとの関係性、研究テーマ等について聞いた。

※ 本インタビューをもとに「産総研東北ニュースレターNo.49」を作成させていただきました。詳細は、産総研東北センターHPをご覧ください。

【関連記事】
産総研東北センターが新たに掲げた看板研究テーマ「資源循環技術」とは?(1/2)<産総研東北センター所長の伊藤日出男さんに聞く>


1.資源循環利用技術研究ラボとは?

◆ 領域融合で社会課題解決を目指すバーチャルなラボ

― 「資源循環利用技術研究ラボ」が設立された背景と東北センターとの関係性について教えてください。

 資源循環利用技術研究ラボ(以下、資源循環技術ラボ)のメンバーは主に、産総研の材料・化学領域の化学プロセス研究部門にいる東北センターの研究職員とつくばセンター、及び、一部中部センターの研究職員です。東北センターでは「資源循環技術」の看板を掲げる前は、「化学ものづくり」を掲げて研究を進めてきました。

 2020年度から産総研の第5期中長期計画がスタートし、ミッションとして世界に先駆けた社会課題の解決が掲げられ、その解決すべき社会課題として「エネルギー・環境制約への対応」、「少子高齢化の対策」、「強靭な国土・防災への貢献」が設定されました。

 これら社会課題の解決は、ひとつの技術領域だけでは難しく、様々な技術を集約する必要があります。そこで、様々な技術を持つ研究者が在籍する総合研究所としての特長を活かし、産総研では、領域融合で研究を推進するための「融合研究センター」と「融合研究ラボ」を設置しました。このうち、「エネルギー・環境制約への対応」をミッションとする融合研究ラボが、この資源循環技術ラボです。

 産総研全体としては、エネルギー・環境、生命工学、材料・化学、エレクトロニクス・製造、地質調査、計量標準の6つの技術領域が中心となって、関連する研究ポテンシャルを持つ研究者を横断的に集め、資源循環技術ラボを運営しています。

 その中で東北センターは、有機材料やバイオマス再資源化、二酸化炭素分離技術の研究等の「化学ものづくり」に長年取り組み、資源循環技術ラボの中核をなすメンバーが集積しています。かつ、資源循環は様々な材料に関わりますが、特に東北地方には、もともと秋田県を中心に鉱山関連企業が集積し、閉山後の今も、資源開発や精錬技術を基にした金属リサイクル企業が集積しています。このように、東北センターが化学系のポテンシャルを有し、かつ東北地域に材料系のポテンシャルがあることから、東北センターが「資源循環技術」を旗印に掲げるのがよいだろう、となったわけです。

 もちろん、東北センターの研究者の数は限られていますので、つくば本部や全国の地域センターの研究者とも連携しながら研究開発を進めます。その中で東北センターは、東北地域に対するハブ機能と、産総研全体をつなぐハブ機能を有します。東北センターにコンタクトいただければ、全国にある研究組織につないで様々なご相談に応じられる体制となっています。

― 東北センターにいる実際の研究者は従来と変わらないけれども、産総研全体の様々な技術領域の研究者を「資源循環技術」の切り口で括ったバーチャルなラボに、東北センターを窓口にしてアクセスできる、ということですか?

 その通りです。資源循環技術ラボに登録している約90名の研究者のうち、東北センターからは、材料・化学領域の化学プロセス研究部門に所属する多くの研究者が参画しています。さらに東北センターの他にも、資源循環技術のポテンシャルを持つ研究者が、つくば本部や全国の地域センターに多くいます。それをバーチャルにつなぐ組織として「融合研究ラボ」があり、その窓口役が東北センターという位置付けです。


2.資源循環利用技術研究ラボのミッションと研究テーマ

― このラボのミッションと研究テーマについて教えてください。

◆ 今、なぜ資源循環技術か

 今、なぜ資源循環技術かと言うと、世界的にもSGDs(持続可能な開発目標)が掲げられ、資源の枯渇や環境汚染といった環境問題は、地球規模の課題です。各種資源を採掘して製品をつくり廃棄するという従来の一方通行型の経済では、資源の枯渇や環境汚染を引き起こしますから、材料を再利用して循環させる必要があります。ただ、社会への普及のためには、それが経済的にも成り立つ「サーキュラー・エコノミー(循環経済)」の構築が重要です。産総研としては、環境保全と、産業としての収益を両立する技術開発に取り組むことが重要な使命です。また、廃棄プラスチック輸出入規制等、世界的な潮流となっている廃棄物規制への対応も重要な課題となっています。


◆ 資源循環技術ラボのミッション

 そこで資源循環技術ラボでは、資源循環型社会の実現に向けて、廃棄物を製品の材料として再利用する「マテリアルリサイクル」や、プラスチックを化学反応によって組成変換した後に原料として再利用する「ケミカルリサイクル」といった機能材料循環技術と、炭素・窒素・リン資源の循環技術の研究に取り組んでいます。さらに、LCA(Life Cycle Assessment:製品やサービスのライフサイクルの環境負荷を評価する手法)やコストの視点を入れて各資源循環技術を評価し最適化を図る、横串的な研究テーマにも取り組んでいます。

 資源循環技術ラボで設定した研究テーマは、上記スライドに赤色で示すように、産総研の持つコア技術で対応できるものにまずは限っています。しかし資源循環型社会の実現のためには、できないところまで広げていくことが今後必要ですので、そのための連携が重要だと考えています。


◆ 資源循環技術ラボの研究テーマ

 マテリアルリサイクルの例としては、リマニュファクチャリング(使用済み製品の再生)プロセスでの機能向上や、アルミニウム再利用時の品質向上等の研究に取り組んでいます。また、ケミカルリサイクルでは、例えば、材料として再利用できない廃棄プラスチックを化学反応によって原料のモノマーまで戻す触媒技術の開発等を行っています。さらに、炭素繊維強化プラスチックをリサイクルするためのプロセス技術の研究も行っています。また、先述の通り、炭素・窒素・リンの循環技術や、LCAとコストの観点からシステムを設計し評価する技術の研究を推進しています。


3.資源循環利用技術研究ラボの研究事例紹介

― それぞれ具体的な研究事例についても、ご紹介いただけますでしょうか。

① マテリアルリサイクルの研究事例:アルミニウム精錬時の電力大量消費

 アルミニウム精錬時、電力が大量消費され、大量の二酸化炭素が排出されます。ですから、精錬で新しい地金を製造するのではなく、製品として廃棄されたアルミニウム合金を回収し再利用するプロセスが必要です。ただ現状は、アルミニウム合金を回収してリサイクルするたびに不純物が混ざり品質が低下するため、リサイクルしても鋳造品にしか使えず、プレス加工等ができる「展伸材」としてはリサイクルできないという問題があります。そこで、不純物を取り除き、展伸材としてリサイクルできるよう、アルミニウム合金の品質と機能のアップグレードをターゲットにした研究を進めています。

 これは産総研中部センターによる研究ですが、溶融したアルミニウム合金を凝固させると初めに純度の高いアルミニウムが晶出し、添加物・不純物などが残液部に濃化します。この固相アルミニウムと残液部の性質の違いを利用してアルミニウム相を選択的に取り出すことによって、高純度アルミニウムの分離・回収を行うという研究です。これまでに、凝固過程においてアルミニウム合金に電磁撹拌を付与することで高純度アルミニウムの晶出量が増大することを見出しており、今後は晶出量増大メカニズムの解明と、晶出量最適化について研究を進めます。

② ケミカルリサイクルの取組事例:プラスチックごみの法規制対応

 また、東北センターにポテンシャルがあるケミカルリサイクルに関しては、先程も触れたように、プラスチックごみの法規制対応に取り組んでいます。日本の廃プラ総排出量は約900万トンで、現在、プラスチックのリサイクル手法としては、マテリアルリサイクル(約200万トン)、ケミカルリサイクル(約40万トン)、燃焼によるエネルギー回収(約500万トン)がありますが、実はこのうち91万トンは海外輸出されていました。しかし、近年のアジア各国の廃プラ禁輸措置、あるいはバーゼル条約改正(2021年)により、汚れたプラスチックごみの輸出が規制されたため、この91万トンを国内でリサイクルする必要があります。一部はケミカルリサイクルされていますが、そのマスはまだ非常に限られているため、新技術の開発によって、この91万トンに対応していく必要があります。

 ここで、国内のケミカルリサイクル技術開発の動向を整理しましょう。廃プラスチックを再資源化するケミカルリサイクルの手法には、大きく分けて、次の4つの技術があります。1つ目が、高炉でコークスの代わりに還元剤として利用する、あるいは、廃プラスチックを高温で熱分解しコークスやコークス炉ガスに変換する「高炉・コークス炉原料」。2つ目が、高温で熱分解してガス化し、化学工業原料や発電に利用する「ガス化」。3つ目が、熱分解して炭化水素油を得る「油化」。4つ目が、バージン材と同品質のモノマーに化学的に分解し、再度プラ製品に活用する「モノマー化」です。設備的にも処理量は飽和状態ですので、新たな技術開発が求められています。そこで、環境に優しい条件で廃プラを原料のモノマーまで分解するプロセス技術の開発に、東北センターが中心になって取り組んでいます。

 特に、高温水中で廃プラを加水分解し、モノマーに変換するケミカルリサイクルプロセス技術は、東北センターが核となって推進している研究です。プラスチック原料であるPETを高温高圧水で、モノマーであるテレフタル酸やエチレングリコールに分解する基礎的な技術はすでに開発済みですので、現在、それを連続的に処理できる装置設計やプロセス開発に取り組んでいます。

③ 炭素循環技術の取組事例:2050年CO2排出実質ゼロに向けて

 次に、炭素循環技術に関しては、「2050年二酸化炭素排出実質ゼロ」を菅総理が表明し、日本もその実現に向けて動き出しました。2050年に二酸化炭素排出を実質ゼロにするためには、世界で年間約100億トン、日本でも年間約10億トンの二酸化炭素を分離・回収し、貯留あるいは再利用していく必要があります。

 しかし特に二酸化炭素は、発電所や工場、自動車など、様々な産業から発生するために、幅広い濃度や、二酸化炭素以外の不純物が含まれる割合の違いに応じた、分離・回収技術の開発が必要です。また、二酸化炭素は極めて安定な物質で、そのまま反応させて別の物質に変えることが難しいため、必要な反応エネルギーを下げてやる新しい触媒を利用し、新たな反応系の開発も進めています。

 中でも東北センターにポテンシャルがあるのが二酸化炭素の分離技術です。ゼオライト膜の一種である「チャバザイト型ゼオライト膜」に、どれくらい二酸化炭素の選択性があるかを計算し、100以上もの高い選択性があることを見出し、実験的に実証しました。そして、膜をつくるための支持体であるアルミナの上に欠陥のないゼオライト膜を均一に堆積する技術の開発や、ゼオライト膜の構造を制御する研究を行い、その分離能評価を東北センターが中心になって行っています。

④ 窒素循環技術の取組事例:「地球の環境容量の限界」を超えた窒素循環問題

 続いて、窒素循環技術の話題に移ります。人間活動による地球システムへの影響を客観的に評価する方法として、「プラネタリー・バウンダリー(地球の環境容量の限界)」という概念があります。人類の活動がある閾値を超えてしまった後は元の地球環境には戻せないという、地球の環境容量の限界と、現在のレベルを科学的に評価したものです。

 この研究が対象としている9つの環境要素のうち、種の絶滅の速度と窒素・リンの循環については、実はすでにその閾値を超えてしまっていることが指摘されています。また、気候変動の原因である炭素排出についても、リスクが増大する不確実性の領域に達していると分析されています。このような危機的状況の中、地球環境を循環する窒素やリンの量を減らす技術開発が重要になっています。

 環境中で増大している窒素(N)とは、いくつかの窒素化合物ですが、その代表がアンモニア(NH3)です。では、アンモニアはどこから来るかと言うと、食料です。窒素肥料を大量生産して撒き、農産物を栽培して、それで家畜を飼育し、それを人間が食べ、その食べたものが排水として環境中に放出されます。また一部は、工場からの排ガスと同様に、廃棄物として焼却された後に、大気へも窒素化合物として排出されています。

 アンモニアは、大気中の窒素から化学的に合成する「ハーバー・ボッシュ法」という随分昔(1916年)にドイツで開発された技術によって、人工的に合成できるようになりました。これにより人類は大量の窒素肥料を手に入れ、高い食料生産を維持する一方で、地球環境を循環するアンモニアの量も増大し、それが多くの問題を引き起こしています。ですから、大気中や下水のアンモニアを分離・回収する技術開発が必要になるわけです。

 現状どのような処理をしているかと言うと、下水処理場の場合、生物化学的に窒素を処理するのですが、実はその時にポンプで下水を回して空気を入れてやる等、エネルギーを過剰に投入しています。そこで、低エネルギーでのアンモニア分離・回収技術の開発にも取り組んでいます。

 これはつくばの研究グループによる研究ですが、「プルシアンブルー」という、葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』にも使われている青色顔料が、実は、アンモニアを吸着することを見出しました。

 もともとのプルシアンブルーは、鉄と鉄がシアノ基をはさんでくっついた結晶構造をしていますが、この空隙の中にアンモニア分子を吸着できることを見つけました。また、鉄をコバルト(Co)や銅(Cu)に置換することで、分子構造を人工的に制御できることもわかりました。スライドの図に示すように、コバルト置換体は吸着量と脱離量がほぼ同じ、ということは、吸着と脱離を何度繰り返しても、その吸着力が落ちないプルシアンブルーができたということです。

 これらは、他の吸着物質であるイオン交換樹脂やゼオライト、活性炭と比べても、吸着量や脱離量が非常に大きく、高性能な吸着剤になります。また、これらを水で洗えば、アンモニアをアンモニウムイオンとして洗い出すことができるので、洗浄して再度吸着させるという、繰り返し使用できる材料になっています。

 実際に、農林水産省のプロジェクトで、豚舎の糞尿から発生したアンモニアを吸着する実証試験を行い、悪臭を感じないレベルまで吸着することができました。これを高性能化するための研究も行っています。

⑤ リン循環技術の取組事例:100%輸入と価格上昇の懸念

 そして、リン循環技術についてです。リンは世界的に枯渇が危ぶまれ価格が高騰していますが、持続可能なリンのバリューチェーンが日本国内に存在しておらず、100%海外からの輸入に頼っています。

 一方、リンは肥料として使われている用途が最も多いのですが、大きな問題は、リンの大部分は作物に使われずに土壌に吸着されてしまうことです。つまり、リン肥料のほとんどは土壌に捨てているようなものです。そこで、リンが少しずつ出て効果的に植物に吸収されるようなリン肥料や、土壌からリンを低コストで回収する技術を開発しています。現時点では回収コストが非常に高いのですが、技術開発を通じて、回収コストが輸入コストを下回り、社会実装されることを目指しています。

⑥ LCAと経済性を考慮したシステム設計・評価技術の取組事例

 最後に、LCAと経済性を考慮したシステム設計・評価技術について、最も重点的に取り組んでいるのが二酸化炭素の循環です。産総研のLCA、コスト、プロセスのデータベースを用いて、二酸化炭素排出量とコストを最小化する製造プロセスに係るシステムの設計や評価手法を構築しています。これまでご紹介したプロセスの中にも、この設計を入れ込み、最適なリサイクル技術を開発していく研究に取り組んでいます。


4.メッセージ

― 読者の方へ届けたい想いをお聞かせください。

◆ オール産総研で資源循環技術に対応

 東北センターの看板として「資源循環技術」を掲げていますが、実際の研究は東北センターを含めたオール産総研で対応しています。東北センターがその窓口機能を務めるという意味もありますし、先程ご紹介したように、高いCO2選択性のゼオライト膜技術や低環境負荷ケミカルリサイクルプロセス技術の研究ポテンシャルは東北センターにあります。二酸化炭素の分離・回収やケミカルリサイクル等で困っている企業の方、あるいは新しいビジネスを考えている企業の方は、ぜひ東北センターにコンタクトしてください。もちろん、産総研のつくば本部でも地域センターでもどこでもコンタクトいただければすべて資源循環技術ラボに関わっている研究者につなげてディスカッションすることが可能です。


◆ 人類共通の重大課題に協力して取り組む

 このエネルギー・環境制約という社会課題は、人類が協力して取り組んでいかなければ、人類が生存できなくなる可能性のある、人類に背負わされた非常に深刻な問題です。この重大テーマに中長期スパンで取り組むことが国立研究所としての重要な使命ですし、企業や色々なセクターの人が協力して取り組むべき時期が今だと思います。産総研として、環境保全とビジネスを両立する技術開発を実現しようと努力していますので、このような課題に興味をお持ちの方はぜひコンタクトいただき、産総研をご利用いただきたいと思います。

― 佐々木さん、ありがとうございました。

「技術を社会へ橋渡し」する産総研東北センターの産学官連携活動とは?<産総研東北センター上席イノベーションコーディネータの南條弘さんに聞く>

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「技術を社会へ橋渡し」する産総研東北センターの産学官連携活動とは?<産総研東北センター上席イノベーションコーディネータの南條弘さんに聞く> 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/産業技術総合研究所東北センター

2021年08月31日公開

産総研ネットワークと企業との連携で
日本企業の国際産業競争力強化に貢献

南條 弘 Hiroshi Nanjo
(産業技術総合研究所 東北センタ- 上席イノベーションコーディネータ)

宮城県生まれ宮城県育ち。東北大学大学院工学研究科修了、博士(工学)。1986年工業技術院 東北工業技術試験所入所、2010年 産業技術総合研究所(本部)産学官連携推進部門 総括主幹(連携業務開始)、2011年 イノベーションコーディネータ、2014年 東北センター所長代理、(兼)イノベーションコーディネータ、2017年 上席イノベーションコーディネータ、現在に至る。

 産業技術総合研究所(産総研)は「社会の中で、社会のために」の理念のもと、政府が推進する産業技術・イノベーション政策を、中核となって実施する特定国立研究開発法人である。7つの研究領域を持ち、東北センターを含めて全国に11箇所の研究拠点を置き、約2,300人の研究者を擁する日本最大級の公的研究機関として、産総研の総合力で「世界に先駆けた社会課題の解決と経済成長・産業競争力の強化に貢献するイノベーションの創出」をミッションに掲げ、各種活動を推進している。その中でも、企業の課題解決のために産総研の先進的な技術シーズを企業へ「橋渡し」する役割を担うのが、「産学官連携コーディネータ」だ。産総研で産学官連携のための役職が新設された当初からその役割を担ってきた南條弘さんに、東北センターの産学官連携の活動内容や目指すものについて聞いた。

※ 本インタビューをもとに、産総研東北センター展示スペースのポスター原稿を作成させていただきました。

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1.研究者から産学官連携コーディネータへ

- はじめに、南條さんのバックグラウンドからご紹介をお願いできますでしょうか。

◆ ポリマー水溶液中のキャビテーションで博士論文研究がnature掲載(1986年)

 私は宮城県で生まれ育ち、東北大学工学部の機械系で学部の4年間と大学院の5年間を過ごしました。大学では、流体が高速で流れる際などに気泡が発生する現象(キャビテーション)を抑制するためのポリマー添加に関する研究を行っていました。ポリマー水溶液には粘弾性という特徴があることに関連しておもしろい振動キャビテーション現象を発見し、博士論文の成果がnatureに掲載されました(1986年)。その関係で産業技術総合研究所(以下、産総研)東北センターの前身となる東北工業技術試験所(以下、東北工試)に採用いただき、以来ここ苦竹の地(仙台市宮城野区、産総研東北センターの所在地)でお世話になっています。


◆ 地熱用材料のエロ-ジョン・コロ-ジョン評価と金属の表面処理

 東北工試入所当時、「サンシャイン計画」(エネルギー危機への対処、環境問題 の抜本的な解決を目的として、通産省が打ち出した太陽光、地熱、石炭液化、水素等の新エネルギー技術開発計画)が動いておりました。東北と九州では特に地熱エネルギーが着目されており、地熱用材料に関する評価を担当しました。地熱流体は地下から高速で噴出するため、コロージョン(化学的な損傷、腐食)とエロージョン(機械的な損傷)の両方が起こりうる現象です。地熱用材料のコロージョンに加えて、エロージョンについての研究を始めるタイミングで、機械系で流体(キャビテーション損傷)を研究していた私が採用されたわけです。その後、金属の表面処理を原子レベルで観察あるいは構築する研究を行いました。代表的な研究は、原子レベルで表面を平面化することによりコロージョンを抑制しようという研究(2011年米国電気化学学会誌掲載)です。


◆ 研究員から産学官連携コーディネータへ

 研究員、研究グループ長を経て、50歳を過ぎた頃に(2010年~)総括主幹、その半年後、新設の連携主幹に転じました。その頃、グラフェンの技術研究組合の立ち上げに関わった関係で技術研究組合事業部運営委員長を務めました。その後、イノベーションコーディネータ、東北センター所長代理を経て、上席イノベーションコーディネータとなり現在に至ります。


2.産総研になって変わった産学官連携

- 産学官連携担当になってからの活動についてご紹介いただけますでしょうか。もともと産総研に統合される前の東北工試時代は、産学官連携の活動は行われていたのですか?


◆ 技術を社会へ

 東北工試時代は、産学官連携のための専門職は特になく、こちらから企業に赴いてPRするよりも、企業からの共同研究の申込を待つ姿勢だったと記憶しています。2001年、独立行政法人として産総研が発足して以来(2001年)、「技術を社会へ」をスローガンに、研究開発にとどまらず、研究成果を産業界に「橋渡し」するために、企業連携を積極的に推進するようになりました。その中心的役割として「産学官連携コーディネータ」が配置されました。連携の実現にむけて、産業界の皆様と産総研をつなげる調整役です。私が産学官連携担当になってから今年で12年目ですが、これまで1,800近くの機関と面談し、このうち1,500社が企業面談でした。年間20件ほど、共同研究契約など様々な連携制度の契約に携わっています。


◆ 2011年「東北コラボ100事業」設立・事務局長 公設試巡回、130社の推薦を頂戴

 2010年につくば本部で連携主幹を務めた後、2011年、東北センターに戻り「東北コラボ100事業」の設立に携わり事務局長を仰せつかりました。東北地域の研究開発型企業を公設試とともに訪問し技術相談や情報交換を行う事業で、公設試から130社、産総研から130社、合計260社をリストアップし、このうち恒常的に深いお付き合いができる企業を約100社選ぼうと設立したものです。

- 従来の産学官連携の取り組みとは、何が違ったのですか?

 今となっては普通のことですが、当時は、産学官連携担当個々人の想いで行動しており、組織全体としてどのような企業にターゲットを絞って連携に導くのがよいかという思想がありませんでした。そこで、東北センターの産学官連携担当の経験を集約して、研究を志向する研究開発型企業と産総研との相性が良いと考え、当時6人いた担当がカバーできる範囲として約100社にターゲットを絞り、深いお付き合いをして連携に導いていこうと設立されたものです。実際は260社から100社への絞り込みはなかなか行われませんでしたが、面談をして有望な企業との連携は随時進み、外部評価委員や産総研本部からの評価も高く、横展開の方針も打ち出されました。


◆ 2012年、グラフェンコンソーシアム立ち上げ

 産総研には、産総研の産学官連携の支援、成果利用の促進、情報収集・提供等を目的に、趣旨に賛同する民間企業・研究機関等で構成される研究会「産総研コンソーシアム」があり、現在40を超えるコンソーシアムが活動しています。蛯名所長が会長を務める粘土膜・無機ナノ材料の成果普及を目指すコンソーシアム「Clayteam」をお手本にして、2012年、グラフェンのコンソーシアムを当時在籍していたつくば(当時のナノチューブ応用研究センター)に立ち上げ、現在も運営委員を務めております。


◆ 2014年、工業会総会セミナー事業(広域コラボ47)立ち上げ

 2014年には、「広域コラボ47」事業を立ち上げました。東北コラボ100では研究開発型企業への個別訪問を行ってきましたが、企業経営者が参加する工業会総会で産総研の技術を紹介できれば効率的であることに気づき、工業会総会向けPR活動を展開したものです。産総研中部センターの連携担当の方と相談しながら、東北コラボ100というネーミングのよさを引き継ぎ、全国どこでも展開可能との意図から47都道府県の47を事業名に入れましたが、実際には東北地域を中心に実施した事業でした。ただ、工業会を一周すると二周目はなかなか難しく、一部を除き最近はあまり行っていません。

 そのほか、JST(科学技術振興機構)やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のプロジェクト(9件)、「サポイン(戦略的基盤技術高度化支援事業)」(4件)や「もの補助(ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金)」(2件)に携わったり、補助金の審査員(10件、委員長3件)や、産総研技術支援成果事例集や日刊工業新聞への記事執筆(12件)なども行っています。今回、「宮城の新聞」に取り上げていただき、大変光栄に存じます。


3.産総研東北センターの産学官連携活動

― それでは、現在の産総研東北センターの産学官連携活動についてご説明いただけますか。

(1)技術と企業をテクノブリッジでつなぐ

 先進的な技術シーズと企業の皆様をつなぐ架け橋「橋渡し」になる事業です。その最初の橋渡しが、企業様からいただいた技術相談への回答や、先程ご紹介した「東北コラボ100」事業での定常的な企業訪問です。このほか、企業の技術責任者様を招いた技術シーズの展示会「テクノブリッジフェア」や、Web上で産総研の技術シーズを閲覧できる「テクノブリッジ On the Web(会員制/無料)」も全国で展開しています。

 論文発表やプレスリリースのように不特定多数への情報発信だけでなく、こちらから出向いてFace to Faceの関係を築くことは、敷居を下げることにつながると感じています。ただ、訪問できる数には限りがありますので、東北センター一般公開のように、子どもたちや社会の皆さんに向けたPR活動も、長い目で見れば敷居を下げる手法になると思っています類似のイベントとして、高校生・高専生・大学生など未来の研究者を対象に「日本が誇るマテリアルの世界 材料フェスタ in 仙台」が仙台国際センターで2014年夏に2日間に渡って開催されました。来場者は延べ2,640名で、私は学生企画を担当し、学生968名に参加いただきました。


(2)無料技術相談

 技術的なお困りごとは、無料の技術相談をお試しください。企業様の課題を丁寧に伺い、オール産総研の知見から調査し回答いたします。また、産総研の技術に興味を持っていただいた時には、課題解決にむけた、技術コンサルティングや共同研究、企業様と産総研のチームによる公的資金への応募など、本格的な連携メニューのご提案も行っています。


(3)課題解決のための連携メニュー

◆ 技術コンサルティング

 技術コンサルティングは、無料の技術相談に対して、有料の技術相談という位置づけです。最先端の研究開発で培った産総研の技術力を活かし、ステージに応じた多様なコンサルティング・サービスを提供しています。共同研究は経営層の決済が必要な契約の場合が多く、企業様によっては敷居が高いため、簡便に産総研をご活用いただける技術コンサルティング制度が2015年にできました。6年目で年間数百件と利用率がどんどん高まっています。


◆ 受託研究・共同研究

 技術コンサルティングに対してフル規格なのが、受託研究・共同研究です。共同研究は、産総研の技術シーズを活用して企業様と一緒に研究開発を行うもので、受託研究は産総研が研究テーマを全面的に受けて研究開発を行うものです。


◆ 技術移転(研究試料提供、技術情報開示、ライセンス供与)

 産総研の研究成果を研究試料としてお試しいただける形で提供する、「研究試料提供」の制度があります。また、ものだけでなく、産総研未公開の特許明細情報や技術ノウハウ、プログラム等を開示する「技術情報開示」の制度もあります。必要に応じて、ライセンス供与、秘密保持契約などの連携関連メニューをご紹介しています。


◆ 人材育成

 連携メニューには、研究成果だけでなく研究試料をつくるプロセスなどを習得いただく技術研修もあります。このほか、産業界で活躍できる幅広い技術を有する若手博士人材を育成する「産総研イノベーションスクール」という取り組みも行っています。


◆ 事業化支援

 先端的な研究成果をスピーディーに社会に出していくため、ベンチャーの創出から事業強化まで新産業の創出を推進する「事業化支援」の制度もございます。産総研技術移転ベンチャーは累計150以上に上ります。


(4)オール産総研で徹底サポート

 東北センターは全国11か所に研究拠点がある産総研の総合窓口としての機能を持っています。ですから、東北地域の企業様はわざわざ他センターに行かなくとも、ここ東北センターにご相談いただければ、オール産総研の技術でサポートさせていただきます。

 例えば、アダマンド並木精密宝石株式会社(青森県)から「細い孔の内周面を可視化できるようにしたい」という技術相談を受け、東北センターから他センターの最適な研究者へつなぎました。その結果、経産省のサポイン事業(戦略的基盤技術高度化支援事業)に採択され、共同研究により、業界初となる高精度・高速の3Dプローブ式精密測定器の開発・販売へと導くことができました。


(5)連携スペースの提供(オープンスペースラボラトリー:OSL)

 産総研が企業や大学の皆様に提供する連携専用スペース「オープンスペースラボラトリー(OSL)」を、東北センターをはじめとする全国6拠点にご用意していますので、産総研の施設や装置を利用して共同研究が可能です。産総研内に研究室を開設して研究者間の連携を深めていただくことで、使える技術力の強化や研究開発の加速化につながります。


(6)産総研コンソーシアムで研究の最新情報を共有

 先程もご紹介した通り、産総研が会員を募り、様々な企業様と一体となって、テーマ別の研究会(産総研コンソーシアム)を運営しています。産総研の最新技術をコアに、関連する大学や研究機関の先生方を招聘して講演会やセミナー等を開催しています。東北センターでは、粘土膜・無機ナノ材料の成果普及を目指す「Clayteam」と、グリーンプロセス技術の実用化と普及を目指す「グリーンプロセスインキュベーションコンソーシアム(GIC)」、ふたつのコンソーシアムが運営されています。現在40を超えるコンソーシアムが全国で活動しており、GICは5番目、Clayteamは9番目に長い、歴史あるコンソーシアムになっています。


(7)東北センター独自の産学官連携活動

◆ 東北コラボ100事業

 先程もご紹介した「東北コラボ100事業」については、研究開発型企業に加えて、最近は、経産省選定「地域未来牽引企業」も訪問し、産総研の技術と企業様の技術課題のマッチングの企画、産総研の知名度向上、産業動向調査等を行っています。Web面談で無料の技術相談にのらせていただいたり、企業様の課題解決にむけ、必要に応じて、サポイン事業など公的資金のチームによる応募や、技術コンサルティング、共同研究などの連携メニューをご提案したりしています。


◆ EBISワークショップ

 また、東北センター独自の取り組みとして、中堅・中小企業の経営層を対象に、先進技術に触れることができる少人数制の勉強会「EBISワークショップ」を2018年から始めました。工業会を対象とする場合には「広域コラボ47事業」と重なります。小規模開催のため気軽に質問でき、質問や要望を出し合いながら議論を深めていただけます。また、企業の皆様が抱える疑問を元に開催テーマのご提案をいただくことも可能です。これまで、IoTや生産性向上に向けたソフトウェアプログラム、デザイン思考などをテーマに開催しました。各企業様の課題解決、そして新事業創出へつながるような気づきを得る場として、ぜひご活用ください。

― 企業からの様々なニーズに合わせて多様なメニューが用意されているのですね。

 「うちはこれしかできません」ではなく、企業様からの必要性があれば、産総研は制度をつくりニーズに対応する体制を構築してきました。産総研コンソーシアムや技術コンサルティング制度はその代表例となっています。今後も「こんな制度があれば、うちも産総研を使いやすいのだけど...」という声があがってくれば、新しい制度が構築されていくと思います。敷居が高いと思わずに、事業の拡張や経営基盤強化など新展開にむけて、産総研にぜひ遠慮なくご相談くださいませ。


4.これまでの産学官連携活動で感じたこと

― これまでの産学官連携活動で、どのようなことを感じていますか?

 私個人としては、実は、小学生の頃から研究者を目指し、研究職で就職したこともあって、いつまでも研究者でありたい、独創性のあることに挑戦したいと思っていました。50代になって連携担当を命じられたものの、私自身、連携は大の苦手と自分では思っていました。

 しかし、産学官連携担当になってからは、「コーディネータは産学官連携を研究する研究者だ」という見方を思いついて、苦手を克服しました。具体的には、グラフェンの技術研究組合の立ち上げ時、自分独自の活動が役に立っていることを実感でき、おもしろいと思った次第です。産学官連携活動を通じて、これまで出会ったことのない独創的な考えの持ち主と出会えることも、連携能力の向上においておもしろいことだと思っております。

 以来、独創性のある活動で産学官連携関係者の役に立ちたいと思っております。企業の皆様の役に立つことが第一ながら、日本の国際産業競争力強化や社会に役立つための産学官連携コーディネータという立場から見れば、企業様も支援機関様も産総研をはじめとする研究者様も重要な顧客の一人です。

 最近の私の夢は、産総研の技術で「グローバルニッチトップ企業」を育成することです。経産省が選定するグローバルニッチトップ企業の定義は、大企業は製品サービス市場の規模が100から1000億円で、3年間のうち1年でも20%以上のシェアを確保したことがある企業、中小企業は、同上で過去3年のうち1年でも10%以上のシェアを確保したことがある企業です。産総研のネットワークと企業の皆様との連携によって従来技術との差別化を図るとともに価値創造を追求し、日本企業の国際産業競争力の強化に貢献したい。そして最終的には経済的にも精神的にも豊かな日本の成長を少しでも推進したいと考えています。

― 南條さん、ありがとうございました。


5.産総研の産学官連携について企業からよくある質問(Q&A)

― 産総研の産学官連携活動の目的や特徴などをQ&A形式でご紹介します。

Q1. 「共同研究」と言えば、産総研は大学とは何が違うのですか?

A1. 大学と企業の間にいて、産業化まで「橋渡し」するのが産総研です。

 産総研は、基礎研究中心の大学と、応用重視の民間企業の、ちょうど中間(やや企業寄り)の立ち位置にいる公的研究機関です。大学とは違って経済産業省の管轄なので、産業に関連する研究テーマを基礎から実用化フェーズまで幅広く扱っています。大学と企業の「橋渡し」をして民間企業に研究成果である技術をより使いやすい状態で移転することも、産総研の大きなミッションです。

Q2. 「技術相談」と言えば、産総研は公設試とは何が違うのですか?

A2. 病院に例えるなら、公設試は身近な主治医、産総研は大学病院のような存在です。

 地方自治体が設立した公設試験研究機関(以下公設試)は、地域の中小企業の身近な技術相談の窓口です。公設試は産業技術連携推進会議のメンバー同士であり、産総研とも非常に仲の良い関係ですので、「日常的な技術相談は公設試様に、公設試様で解決できない問題は産総研に相談してください」と立場を切り分けています。病院に例えるなら、公設試様は身近な主治医、産総研は大学病院のような存在です。

Q3. いきなり共同研究は重過ぎる、でも無料の技術相談では物足りないのですが...

A3. 気軽に契約できる、有償の技術コンサルティング制度もあります。

 いきなり共同研究契約は重過ぎる、でも無料の技術相談では事足りない、というニーズを受け、企業が気軽に契約しやすいよう手続きを簡略化した有償の技術コンサルティングをご用意しています。コンセプト共創、先端技術調査、技術アドバイザー、分析・計測・評価、事業化サポートなど、多彩なメニューで事業化を支援します。まずはお気軽にご相談ください。

Q4. 産総研は企業のニーズにどこまでコミットしてくれるのですか?

A4. 最も自由度高くお応えできる契約形態が、共同研究です。

 困っている課題やニーズをぜひお気軽にお聞かせください。連携担当が課題解決に向けて調査し、最適な制度でもってお応えします。最も自由度高くニーズにお応えできるのが共同研究です。もちろん何でもできるわけではないのですが、できる限りご要望にお応えします!

Q5. 産総研の技術を使って新規事業を創出したいけど、社内にはスペースや装置がない...

A5. 産総研東北センターの連携専用スペース、施設・装置をご提供できます。

 産総研の技術ポテンシャルを活用して新規事業やベンチャー企業の創出を目指す方々や、産総研と共同研究を行う方々を対象に、東北センターの連携専用スペース、施設・装置を、装置等の使い方のノウハウも含めてご提供します。駐在いただいて一緒に研究開発活動を行えるので、自社に戻ったときに効率的に技術開発を進めることができます。企業様との共同研究は毎年1,500件以上動いており、ぜひご活用ください。

Q6. 東北センターの専門は化学だから、化学に関係ないうちの企業は、関係ないですよね。

A6. 東北センターは全国の産総研の窓口ですので、オール産総研の技術で対応できます。

 東北センターは、確かに化学工学に強みがありますが、全国各地の産総研の窓口としても機能しています。東北地域の企業様はまず、分野に関係なく、窓口の東北センターにご相談いただければ、オール産総研の技術でサポートさせていただきます。例えば、青森県の企業からの技術相談を受け、東北センターから他センターの最適な研究者へつなぎ、共同研究によって、業界初の精密測定器の開発・販売へ導きました。また最近、ものづくり企業様でも化学の力でこのものづくりを革新できないかとのご相談をときどき承り、異分野融合でのイノベーションが待たれていると感じています。

Q7. 将来を見据えた情報収集をしたいのですが、どこにアクセスすればよいでしょうか?

A7. 情報収集とネットワーク形成に、産総研コンソーシアムをぜひお役立てください。

 産総研が会員を募り、様々な企業様や大学・研究機関等と一体となって、産総研の最新技術をコアに、テーマ別の研究会「産総研コンソーシアム」を40以上運営しています。タイムリーな世界先端技術が紹介されますので、新規事業創出に向けた情報収集や業界関係者とのネットワーク形成にどうぞお役立てください。

Q8. とはいえ、産総研は敷居が高くて相談しにくいのですが...

A8. 産総研に敷居はございません!お困りごとがあれば、産総研を思い出してください!

 産総研は、企業様からのご相談を待つだけでなく、こちらから「課題はないですか?」と企業様を訪問する活動(東北コラボ100)も行っています。具体的なご相談でなくとも構いません。お困りごとがあれば、「そうだ!産総研があった!」と思い出していただき、お気軽にご相談ください。喜んで参上させていただきます。元企業社長様から、「産総研に敷居はございません!」とご確認のお言葉を頂戴しています。

Q9. なぜそこまで産総研はしてくれるのですか?

A9. 企業の皆様のお役に立つことが、産総研のミッションだからです。

 企業の皆様のお役に立つことで、日本の国際産業競争力を高めることが、産総研のミッションだからです。そのために税金を使って様々な制度を準備していますし、日本の産業界で使ってもらえる技術の開発に日々磨きを掛けています。ですから日本の産業界を支えている企業の皆様も強い経営基盤の構築に向け、自社事業の拡大のために、お気軽に産総研をぜひ使い倒してください。

Q10. 産総研に相談したいのですが、どこに問い合わせればいいですか?

A10. 技術的課題でお困りの方、連携メニューにご興味のある方は、以下のお問い合わせ先までお気軽にご連絡ください。

東北センター産学官連携推進室(TEL:022-237-5218)
【問合】https://www.aist.go.jp/tohoku/ja/contact/index.html
【詳細】https://www.aist.go.jp/tohoku/ja/collabo/index.html

2050年カーボンニュートラル実現にむけた技術革新とは?<産総研化学プロセス研究部門インタビュー>

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産総研化学プロセス研究部門インタビュー「2050年カーボンニュートラルの実現にむけて、排出されたC02を分離回収する技術と、CO2排出を抑制するスマートな化学生産技術で、CO2排出量削減に貢献!」 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/産業技術総合研究所東北センター

2021年08月31日公開

持続可能な循環型社会の構築にむけて、
化学プロセスイノベーションを推進

研究部門長 遠藤 明、
副研究部門長 宮沢 哲、木原 秀元

 我が国の強みである「ものづくり」の未来には、新しい機能を持つ物質や材料の合成を、限られた資源から無駄なく利用することに加え、省エネで・環境に優しく・安全に製造する新たな「つくり方」(プロセス)を開発することもまた不可欠な要素である。日本の化学プロセスイノベーションを推進するために、化学プロセスのさらなる高効率化と省エネ化を目指す国の研究機関が、産業技術総合研究所(以下、産総研)の化学プロセス研究部門だ。2020年からの5ヵ年における産総研第5期中長期計画では、持続可能な循環型社会の構築にむけて、資源循環促進に資する研究開発も開始した。同研究部門が目指すものとは何か、研究部門長の遠藤明さん、副研究部門長の宮沢哲さんと木原秀元さんに聞いた。

※ 本インタビューをもとに、産総研東北センター展示スペースのポスター原稿を作成させていただきました。

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「技術を社会へ橋渡し」する産総研東北センターの産学官連携活動とは?<産総研東北センター上席イノベーションコーディネータの南條弘さんに聞く>
日本初の国立デザイン研究所から始まった産総研東北センターの歴史とは


1.化学プロセス研究部門とは
 ~化学プロセスイノベーションを推進~

- はじめに、化学研究プロセス研究部門のミッションについて、研究部門長の遠藤さんからご紹介いただけますか。

◆ 化学プロセス研究部門の重点テーマは「資源循環技術」と「スマート化学生産技術」

 産業技術総合研究所(以下産総研)は、産業技術に関する国内最大級の公的研究機関です。「技術を社会へ」をスローガンに、日本の産業や社会に役立つ技術の創出とその実用化や、革新的な技術シーズを事業化につなげるための「橋渡し」機能に注力しています。2020年度から5ヵ年の第5期中長期計画では、「世界に先駆けた社会課題の解決と経済成長・産業競争力の強化に貢献するイノベーションの創出」をミッションに掲げています。

 このうち我々化学プロセス研究部門では、社会課題の中でも「エネルギー・環境制約」に対応するため、「資源循環技術」のうち「炭素循環技術」、特に「二酸化炭素の分離・回収技術」の開発を他領域と融合しながら重点的に進めます。また、産総研の橋渡し機能を拡充すべく、「スマート化学生産技術」、特に「二酸化炭素排出量の少ない化学品生産技術」の開発にも注力します。

 要するに、産業活動により排出された二酸化炭素を分離・回収する技術と、ものを生産する段階の反応効率を上げて二酸化炭素排出を抑制するスマート化学生産技術、このふたつを柱に研究開発を進めることで、二酸化炭素排出量の削減に貢献することを目指します。

 化学プロセス研究部門は、東北センターとつくばセンターの二拠点体制で研究を推進しています。また、研究部門として企業と組織したコンソーシアム(研究会)をふたつ(グリーンプロセスインキュベーションコンソーシアム、スマートコンビナート研究会)運営しています。


2.資源循環技術
 ~二酸化炭素の分離・回収技術~

- 化学プロセス研究部門第5期中長期目標の柱である「資源循環技術」と「スマート化学生産技術」のうち、まずは「資源循環技術」について、副研究部門長の木原さんから概要をご説明いただけますでしょうか。


◆ 資源循環利用技術研究ラボ

 資源循環の課題解決に全所的に取り組む研究体制として、産総研に7つある領域が融合して研究を推進するバーチャルなラボ「資源循環利用技術研究ラボ」が設置されました。資源循環利用技術研究ラボのターゲットは、炭素、窒素、リン、金属やプラスチック等と広く、それぞれチームに分かれて各テーマに取り組んでいます。このうち二酸化炭素を扱うのが「炭素資源循環チーム」で、その中でも化学プロセス研究部門は、二酸化炭素の分離・回収技術に注力して研究を進めています。


◆ アミン化学吸収法に代わる省エネな二酸化炭素分離・回収技術

 火力発電所や製鉄所等から排出される(中濃度から高濃度の)二酸化炭素は、主に「吸収」という操作によって回収されます。二酸化炭素は酸性ですから、アミンなどのアルカリ性の溶液を用いて、酸とアルカリの反応で吸収する「化学吸収法」が実用化されています。その吸収効率は非常によく、二酸化炭素の排出量を大幅に削減できるため、商用化も進んでいます。ただし、アミンで二酸化炭素を吸収した後、今度はアミンを「再生」する操作が必要になるのですが、この工程で120℃近くまで加熱する必要があり、エネルギーコストがかかる課題がありました。

 その解決手段として我々が研究を進めているのが、「膜分離」という方法です。分離膜を使うことでアミンの再生に必要なエネルギーが不要になるため、膜分離法で二酸化炭素をより省エネルギーに分離・回収しようと研究を進めています。特に、化学プロセス研究部門がコア技術として有する膜分離のシーズがふたつあります。


◆膜分離のシーズ1:ゼオライト膜

 ひとつは、分子と同程度の大きさの孔を持つ「ゼオライト」という無機物質を用いて、二酸化炭素を分離・回収する方法です。工場等から排出される二酸化炭素を回収する時には、二酸化炭素と他の不要な物質を分離する必要があります。これまで、二酸化炭素とメタンの分離をターゲットにゼオライト膜を開発してきましたが、現在は二酸化炭素と窒素の分離に注力しています。窒素は、メタンより分子サイズが小さく二酸化炭素の分子サイズに近いので、より分離の難易度の高いガスです。二酸化炭素を窒素等と分離する時、ゼオライトの孔の大きさを制御することで、二酸化炭素だけ、あるいは二酸化炭素以外の成分だけを通すことができます。このようなゼオライト膜の分子ふるい機能を用いた二酸化炭素分離膜の開発を進めています。


◆膜分離のシーズ2:イオン液体

 もうひとつは、膜分離にイオン液体を用いる研究を行っています。イオン液体とは室温付近に融点を持つ液体の塩で、うまく加工することで膜にできます。イオン液体は二酸化炭素と親和性が非常に高く、多量の二酸化炭素を溶解できます。一方、窒素などのガスはイオン液体にほとんど溶解しません。イオン液体に対するガスの溶解性の差を利用することで、二酸化炭素と窒素などが混合した気体から二酸化炭素だけを膜の反対側に通すことができます。

- それでは、ゼオライト膜やイオン液体を用いた膜分離の具体的な研究内容について、研究部門長の遠藤さんから詳しくご説明いただけますか。


◆ 多種多様な二酸化炭素排出源に応じた分離・回収技術の開発

 木原の説明とも一部重複しますが、研究の背景から内容まで一通り説明します。

 カーボンニュートラルの達成には、省エネかつ高効率に二酸化炭素を分離・回収する材料やプロセスの実用化が必須で、多種多様な二酸化炭素排出源に応じた分離・回収技術の開発が重要です。工業施設等から排出される高濃度な二酸化炭素については、吸収法の実用化が進んでおり、国のプロジェクトや産総研等でも取り組んできました。一方、低濃度排出源や空気中の二酸化炭素については分離・回収が難しいため、第5期中長期計画では、特に10%以下の低濃度排出源や空気中の二酸化炭素回収を目標に研究開発を進めています。低濃度でも回収できるようになれば、高濃度でもより効率的に展開することができます。

 また、資源循環融合ラボとして、回収後の二酸化炭素をメタノールやポリウレタンなどの有用化学品に変換し、資源として有効活用するカーボンリサイクルの研究も行っています。

 二酸化炭素の分離・回収技術は数多くあります。複数メーカーから商用化され最も進んでいる方法が、アミン系溶液を用いて二酸化炭素を回収する化学吸収法です。すでに100トン/日規模の二酸化炭素分離・回収技術が商業化されています。そのほか、吸着剤を用いる方法や膜分離を用いる方法など色々ありますが、それぞれ得意・不得意があります。特に膜分離は、まだ実用化には一番遠い技術ですが、他の方法と比べて、再生に対するエネルギー投入等が不要になるため、理論的には最も省エネルギーな二酸化炭素分離・回収プロセスです。

 もともと我々の研究部門でも、二酸化炭素とメタンの分離用にゼオライト膜の開発を行ってきました。それを今度は排ガスからの二酸化炭素の分離・回収に使おうということで、二酸化炭素と窒素の混合ガスから二酸化炭素を選択的に透過する膜の開発にシフトしたというわけです。


◆ 高二酸化炭素選択性ゼオライト膜の開発

 ゼオライトは、アルミニウム(Al)とケイ素(Si)と酸素(O)の化合物(アルミノケイ酸塩)で、分子サイズ(数オングストローム=1千万分の1ミリメートル)の規則的な孔を持つ、結晶の総称です。ゼオライトの孔より小さな分子は孔の中に吸着できますが、孔より大きな分子は孔の中に入ることができないため、孔の大きさを利用して分子を分離できる「分子ふるい」の特性があります。ゼオライトの吸着特性は、結晶骨格のアルミニウムとケイ素の比率をコントロールすることでも変化させることができます。

 ゼオライトを膜状に成長させ、数マイクロメートル(1千分の1ミリメートル)にも満たない薄いゼオライト層で緻密層を形成します。緻密ですが、ゼオライトそのものの孔があるため、その孔をガスが選択的に透過できます。二酸化炭素と窒素の混合ガスでは、二酸化炭素の方が窒素よりも膜を透過しやすいのですが、例えば、アルミニウムとケイ素の比率を変えて、アルミニウム含有量の高いゼオライトにすると、二酸化炭素に対する選択性を高めることができます。

 ゼオライトには「International Zeolite Association」で認定された構造が二百数十種類あります。その中で二酸化炭素の分離に適した、二酸化炭素の分子サイズと近い孔を有するゼオライトの候補が数種類あります。その中でどのゼオライトが最適か、シミュレーションでスクリーニングし、「チャバサイト型(CHA型)ゼオライト」という種類がよさそうだと当たりをつけました。そして、二酸化炭素と窒素の50:50の混合ガスで、従来よりも二酸化炭素を100倍分離選択できるゼオライト膜を実験的に確認することができました。


◆ 各種二酸化炭素分離膜の性能比較

 膜の性能としては、二酸化炭素の分離選択性(selectivity)に加えて、透過性(permeance)も重要です。二酸化炭素と窒素の混合ガスでは、二酸化炭素の方が透過しやすいのですが、我々が開発したゼオライト膜が二酸化炭素をどれくらい速く通すかを示したのが、このグラフです。グラフの右上ほど、二酸化炭素を速く透過して選択性も高い、つまり膜の性能がよいことを示しています。各種二酸化炭素分離膜の性能を比較した結果、産総研の開発したゼオライト膜は、他の膜よりも性能がよい結果が出始めている状況です。このように、ゼオライト膜の開発から性能評価まで行っています。


◆ イオン液体を用いた二酸化炭素吸収・分離技術

 次に、イオン液体を用いた化学吸収法と膜分離法の研究についてご説明します。二酸化炭素の分離・回収技術として最も進んでいるのは、アミンなどの水溶液による化学吸収法であることは先程も説明しました。化学吸収法では、二酸化炭素を分離した後、二酸化炭素を回収するために、加熱してアミン水溶液から二酸化炭素を放出させる必要があるのですが、その時に多量の熱エネルギー消費することが問題視されています。つまり、二酸化炭素の吸収は自発的に起こるのですが、二酸化炭素を放出させるのに外からエネルギーを加える必要があります。再生可能エネルギーや、もともと捨てる予定だったエネルギーを使う分にはよいですが、わざわざ別のエネルギーを使うと、二酸化炭素の回収のために余計な二酸化炭素が発生することになります。そこで、できるだけエネルギーは使わずに、二酸化炭素の吸収と放出ができるイオン液体を開発しています。


◆ イオン液体とは

 イオン液体とは、常温で液体になるよう分子構造が工夫された塩です。普通は塩といえば陽イオンと陰イオンが格子状にしっかり結びついた無機塩で、室温では融けない固体です。一方、イオン液体は、イオンのサイズを大きくしたり、イオンの形状を非対称にしたりすることで、陽イオンと陰イオンの結びつきを弱めて融点を低下させ、室温でも液体として利用できるようにした塩です。イオン液体は多様な物質を溶解できるうえ、有機溶媒とは異なり、揮発性が非常に低くて燃えにくいのが特徴です。化学プロセス研究部門では、イオン液体が二酸化炭素等のガスをどれくらい吸収・放散できるかを研究しています。


◆ イオン液体化学吸収液の開発

 このグラフは既存のアミン水溶液とイオン液体の二酸化炭素吸収量の温度依存性を比較したものです。化学吸収液は、温度が低いほど二酸化炭素を多く吸収し、温度が高いほど吸収量が少なくなります。つまり、温度操作による二酸化炭素吸収量の変化を利用して、二酸化炭素を分離・回収できます。研究成果に基づいてイオン液体の改良を進めた結果、既存のアミン水溶液よりも二酸化炭素の吸収量は少ないものの、温度操作による吸収量の変化が大きいイオン液体を開発できました。既存のアミン水溶液よりも低い温度で二酸化炭素を回収できるなど、従来法と比べて再生工程を簡略化できるため、二酸化炭素分離・回収技術の省エネルギー化が可能です。


◆ イオン液体を用いた二酸化炭素分離膜の開発

 さらにイオン液体を用いた二酸化炭素分離膜も開発しています。多孔質材料にイオン液体を保持させること、また、高分子とイオン液体とを組み合わせることで、イオン液体の膜をつくることができます。この膜で低濃度の二酸化炭素の分離試験を行った結果、従来の高分子膜と比べて、二酸化炭素を速く透過するだけでなく選択性にも優れていることを見出しました。現在、より低濃度の二酸化炭素の分離・回収に利用できないか、企業と共同で研究を進めているところです。


◆ 二酸化炭素分離・回収技術の評価

 二酸化炭素分離・回収技術の評価については、装置や運転のコスト、運転に必要なエネルギーをプロセスシミュレーションによって算出するだけでなく、二酸化炭素の分離・回収に要するエネルギーや二酸化炭素排出量等の評価を、LCA(Life Cycle Assessment)データと統合して実施する点がポイントです。ゼオライト膜やイオン液体など分離技術の開発と、システムの評価を一体的に進める必要があると、いつも話しています。


3.スマート化学生産技術
 ~省エネルギー・省廃棄物な「連続フロー法」による精密合成~

― 次に、化学プロセス研究部門第5期中長期目標のもうひとつの柱である「スマート化学生産技術」について、副研究部門長の宮沢さんからご説明いただけますでしょうか。

◆ 二酸化炭素排出量の少ないスマートな化学生産技術

 化学プロセス研究部門では、第5期中長期目標の柱のひとつとして、二酸化炭素排出量の少ないスマートな化学生産技術の開発を重点的に進めています。例えば、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)のプロジェクト「機能性化学品の連続精密生産プロセス技術の開発」に、産総研触媒化学融合研究センター(つくばセンター)と共同で参画しています。


◆ 機能性化学品の連続精密生産プロセス技術の開発

 医薬中間体・原体、農薬、電子材料といった、いわゆる「機能性化学品」(基礎化学品を化学的に加工した中間化学品)は専ら「バッチ法」という古典的な方法で合成されています。バッチ法とは、原料・溶剤を反応釜に投入し反応と分離・精製を行う工程を繰り返すことで目的の生成物を得る、多段階な方法です。しかし、分離・精製の過程で多大なエネルギーが必要な上に、多量の廃棄物が排出されるため、余分な原料を必要とし、さらに廃棄物を処理する際にも多量の二酸化炭素を排出する問題がありました。その欠点は、環境負荷に加えて、最終的にはコストに反映され国際競争力の低下につながります。この社会課題を解決するため、従来のバッチ法に代わる新しい手法として「連続フロー法」を適用した生産プロセスを完成させることが本プロジェクトの目的で、化学プロセス研究部門も参画しています。

 我々が目指す連続フロー法による製造とは、原料は同じですが、バッチ法では工程ごとに排出されていた廃棄物をなくすために、反応1と反応2を連続的に行い、最終段階で精製・分離する工程を組むものです。これが実現できれば、廃棄物削減、生産時間短縮、省エネで二酸化炭素排出量の少ない生産工程が完成します。その結果、コストも低下し、国際競争力も向上して、日本の産業力の強化に貢献できるというプロジェクトです。


◆ 3つの研究の柱のうち、連続分離精製技術の開発を担当

 連続フロー法を完成させるためには、必要な要素が3つあります。1点目が、今までにない新たな触媒の開発(高活性・高選択性な固定化触媒の開発)。2点目が、その触媒を有効に使うことができる反応器の開発(高性能連続反応器の開発)。3点目が、最終的にできたものをきれいにする分離精製技術の開発(連続分離精製技術の開発)。この3つが本プロジェクトの柱です。


◆ 技術開発の成果

 産総研からは触媒化学融合研究センター(つくば)と化学プロセス研究部門(東北、つくば)が連携して本プロジェクトを進めています。このうち、つくばセンター(化学システムグループ)では、2点目の反応器の開発を担当しています。膜を用いて化学反応の平衡を生成物側にシフトさせることで、同じ反応でも目的物を大量に得ることを目指しています。従来は86%で平衡状態に達していたものが、膜を導入して平衡をシフトさせることで、97%まで転化率を向上させることに成功しています。

 東北センター(コンパクトシステムエンジニアリンググループ、ナノ空間設計グループ)が担当するのは、3点目の連続分離精製技術の開発(生成物の抽出・分離、分離膜による溶剤・ガス再生)です。一例として反応によって得られる混合物から必要な物質を液体の二酸化炭素で抽出し、不要なものは分離・除去して、必要なものを選択的に得ることを連続的に実施するプロセスの開発を担当します。もともと東北センターには、超臨界流体など、高温・高圧状態の水や二酸化炭素をテーマに20年以上研究してきた蓄積があります。それを実際の化学プロセスに展開した例です。複数の反応器を経由して、きれいにして目的の生成物を得るとともに、反応に使用した溶媒等はリサイクルして外部に出さないようにすることを、省エネルギーかつ高効率に実施する方法を開発しています。

 本プロジェクトの研究成果をもとに機能性化学品の製造方法にイノベーションを起こし、我が国の産業競争力の強化を図るとともに、海外に移転した製造現場を国内回帰させ、雇用にも貢献することを目指して、研究開発を進めています。


4.メッセージ

― 最後に、化学プロセス研究部門の皆さんから読者へのメッセージをお願いします。

 日本政府の方針として、2050年にカーボンニュートラルを達成すること、また、それを実現するために2030年には温室効果ガスの排出量を2013年度比で46%削減することが目標として示されました。2030年と言えば、すぐそこです。多くの企業の皆様は、自社の活動における二酸化炭素排出量の削減を喫緊の課題として捉えられていることと思います。産総研化学プロセス研究部門は、企業活動中に排出される二酸化炭素を抑制する技術、また企業活動の結果として排出される二酸化炭素を分離回収する技術の両方の開発に取り組んでいます。これらの技術は、企業の業態や規模に応じてカスタマイズする必要があります。ぜひ、皆様の個別のニーズ、お困りごとをお聞かせいただければと思います。産総研は、技術相談から技術コンサルティング、さらには共同研究に至るまで、ステージに応じたさまざまな連携メニューを用意して、企業の皆様のご要望にお応えすることができます。化学プロセス研究部門は、企業の皆様が抱える課題を解決することが我々の大事なミッションと考えており、そして、そのことが我が国全体の社会課題の解決につながると信じて研究開発に取り組んでまいります。

― 遠藤さん、宮沢さん、木原さん、ありがとうございました。

数学が切り拓く、新たな材料開発とは?<産総研・東北大MathAM-OILインタビュー>

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隠された秩序を数学で発見し、材料開発を加速化<産総研・東北大MathAM-OILインタビュー> 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/産業技術総合研究所東北センター

2021年08月31日公開

隠された秩序を数学で発見し、材料開発を加速化

中西 毅 Nakanishi Takeshi
(産総研・東北大数理先端材料モデリング
オープンイノベーションラボラトリ ラボ長)

1990年大阪大学理学部物理学科卒。1995年大阪大学大学院理学研究科物理学専攻修了、博士(理学)。東京大学物性研究所、電子技術総合研究所、理化学研究所、デルフト工科大学(オランダ)でのポスドク研究員を経て、2002年から産業技術総合研究所主任研究員。2016年6月から産業技術総合研究所 数理先端材料モデリング オープンイノベーションラボラトリ ラボ長、現在に至る。専門は理論物理。カーボンナノチューブやグラフェン等を対象とし、電気伝導特性やトポロジカルな物性等を研究。

 大学や研究機関等で生まれた技術のシーズを企業の事業化に結びつける「橋渡し」機能を担う国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)が、その橋渡し機能をさらに強化しようと、全国の大学敷地内に産学官連携研究拠点「オープンイノベーションラボラトリ(通称OIL)」を設置している。全国にある9拠点のうち、「材料科学」に「数学」の視点を導入し連携研究を進める東北大学材料科学高等研究所(AIMR)と連携し、同大敷地内に2016年に設置された拠点が「産総研・東北大数理先端材料モデリングオープンイノベーションラボラトリ(略称MathAM-OIL)」だ。数学を導入し新たな「材料科学」創出を目指すAIMRの研究基盤技術シーズと、産総研の「機能性材料コンピュテーショナルデザイン」研究機能を組み合わせ、次世代の先端材料を高速で開発し、産業界への橋渡しにつながる新たな研究領域の創出を目指すMathAM-OILの取組について、ラボ長の中西毅さんに聞いた。

※ 本インタビューをもとに、産総研東北センター展示スペースのポスター原稿を作成させていただきました。

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1.「数理先端材料モデリングオープンイノベーションラボラトリ」とは

- 「数理先端材料モデリングオープンイノベーションラボラトリ」が設立された目的は何ですか?

◆ 全国の大学内に産総研のラボを設置、基礎研究シーズを企業に「橋渡し」

 「オープンイノベーションラボラトリ」、通称「OIL(オー・アイ・エル)」は、経済産業省が「オープンイノベーションアリーナ構想」の一環として2016年度から始めた施策です。全国の大学内に産総研のラボをつくり、大学の基礎研究と、産総研の目的基礎研究・応用技術開発を融合し、企業へ「橋渡し」をするための産学官連携研究拠点として開設されました。

 全国に現在9拠点あるOILのうち3番目に設立されたのが、「産総研・東北大数理先端材料モデリングオープンイノベーションラボラトリ」、通称、「MathAM-OIL」です。2016年6月30日、東北大学片平キャンパス内に開所し、当時東北大学原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)所長で数学者の小谷元子先生(現在・東北大学理事・副学長)と連携のもと、研究を推進しています。材料科学に数学の視点を導入し、世界に先駆けて新たな「材料科学」創出を目指すAIMRとの連携により、次世代の先端材料開発の高速化を目指しています。ちょうど今年6月に当初計画の第一期5カ年を終え、さらに延長が2025年3月まで認められたところです。

- MathAM-OILでは、どのような研究を行っているのですか?

◆ 材料構造の隠れた秩序を見つけ、材料開発を加速化

 従来は「勘と経験」に基づく手法だった材料開発も、近年は「インフォマティックス(情報科学)」技術を活用した開発スピードの加速化が重視されています。例えば、アモルファス材料のように、原子や分子が規則的に並んでおらずぐちゃぐちゃに配列して、構造が一見無秩序な材料は、窓ガラスのみならず、金属ガラス(構造・磁性材料)やカルコゲナイドガラス(メモリ材料)、高分子ガラス(飛行機材料)など、様々な産業で利用されています。しかし構造が無秩序なために、周期性を有する結晶材料とは異なり、その構造を記述してモデル化する手法がなく、材料特性を計算・予測してインフォマティクスにのせることは非常に難しい問題でした。

 そこで、アモルファス材料の構造を記述し材料特性を予測することを、数学の理論で助ける「数理マテリアルインフォマティクス」を柱とし、材料開発の加速化を図ることが、MathAM-OILが目指すもののひとつです。


◆ 「無秩序の中の秩序」を、構造・機能・プロセスの視点から特徴づける

 構造の記述が難しい材料には、小谷先生のご専門である「離散幾何学」(「離散」は「連続」の対立概念。さまざまな形を離散的に捉えて幾何学として扱う新しい領域)という数学などを用いて構造を記述する研究を行います。材料の構造を記述できれば、材料の機能を計算(解析)できます。この問題は比較的簡単です。しかし企業様からのニーズは「こんな機能が欲しい、そのためにはどんな構造の材料が必要か」という逆向きの矢印である場合が多く、これは非常に難しい問題です。そこで、「記述子」と呼ばれる材料の特性を記述するパラメータの解明が必要になります。

 記述子とは、例えば材料のデータがぐちゃぐちゃとあった時、ある軸から見たら、綺麗に見えるという軸を与えるようなパラメータです。要求される機能から構造を読み解く場合だけでなく、材料形成(プロセス)についても、同様のことが言えます。モデリング、理論構築により記述子を抽出する研究を、我々理論、数学の研究者が頑張っています。


2.研究課題

- MathAM-OILの具体的な研究課題について、ご紹介いただけますか?

 これまでの研究内容から説明しやすい話題をいくつか選んで紹介します。

 第一期は、「構造形成設計」「材料機能モデリング」「構造抽出」の3つを研究課題として研究を進めました。第二期では、より材料にフォーカスして、「ソフトマテリアル」「2次元材料」「アモルファス材料」の3つを研究課題として掲げています。


◆ 第一期の研究課題:データー解析、構造抽出技術の開発

 第一期の研究課題は、簡単にご説明します。「構造抽出」では、アモルファスなどの材料の隠れた構造を抽出するため、電子顕微鏡を用いた観測と計算機シミュレーション、数学の手法を用いた解析を組み合わせた研究を行いました。ここでキーワードとなる「ホモロジー」という数学的概念を用いた解析については、後程ご説明します。

 「構造形成設計」では、高分子などのソフトマテリアル(金属や無機材料のように硬い材料に対して、高分子や有機分子など柔らかい材料の総称)の構造をシミュレーションし、形成プロセスを解明する研究を行いました。また、「材料機能モデリング」では、材料を「トポロジー」という数学的な概念を用いて分類し直し材料機能を予言する研究を行いました。これらについても後程詳しくご説明します。

- 「数学的概念を導入することで材料開発の加速化を図る」とは、具体的にどのような研究を行っているのでしょうか。具体例をひとつ挙げていただけますか。

◆ 「形」を定量化し材料の特性との関係を見つける
  「パーシステント・ホモロジー」

 「パーシステント・ホモロジー」は、主な研究手法のひとつです。例えば、スタットレスタイヤに用いられる発泡ゴムには様々な形をした気泡が多数入っていますが、気泡の入り方とゴムの特性の関係は、企業からも関心の高いテーマだと思います。しかし、気泡の入り方のような無秩序な構造を記述するには、どうすればよいでしょうか?気泡の大きさについては従来も色々記述方法がありますが、気泡の形状や隣の気泡とのくっ付き具合も数字にして解析する必要があります。そこで、形を定量化する「パーシステント・ホモロジー」という数学の手法を用いた研究を進めています。「パーシステント・ホモロジー」はAIMRで開発された手法であり、最近では企業と連携した適用研究も進めています。

 「パーシステント・ホモロジー」は、穴が重要な材料に広く適用できます。例えば、発泡ゴムの他にも、ポリイミド・シリカナノコンポジット多孔体やガラス系多孔質ろ材など、色々な適用範囲があります。空胞に限らず、例えば合金はんだのように、カッパーとニッケルといった異なる元素が混じったもののどちらかを穴とみなすこともできます。また、不規則に並んでいる原子にも、パーシステント・ホモロジーを適用できます。

【図】パーシステント・ホモロジーによるシリカの構造記述

 その時に何をするかと言うと、原子のまわりに円を書き、円の半径をどんどん大きくしていきます。そして円がお互いにつながって真ん中に穴ができた時を「Birth(バース)」と呼んでいます。さらに円の半径を大きくしていって穴が潰れた時を「Death(デス)」と呼び、グラフに点を打ちます(プロットします)。このようにして、ぐちゃぐちゃに並んでいる構造を、BirthとDeathの半径でプロットし数値化できます。2次元だけでなく3次元でも、また穴がつながっていることも、同じ要領で形状を記述(数値化)することができます。


◆ 第二期の研究課題:理論・解析技術によりデータ駆動マテリアル開発を高度化

(1)ソフトマテリアル

 第二期では、より材料にフォーカスして研究を展開します。自然界ではタンパク質や核酸などの生体分子が自発的に集まり、構造や機能を持つ組織になる「自己組織化」という現象がよく見られます。近年、高分子等のソフトマテリアルでも自己組織化で材料をつくろうという研究が行われています。すでに開発されている技術として、例えば、半導体デバイス製造時のフォトリソグラフィ工程において、自己組織化により微細な配線パターンを形成する技術はありますが、真っ直ぐ線を引くといった単純な構造です。そこでもう少し複雑な構造を、さらに夢としては人工血管や人工筋肉なども、自己組織化でつくれるようにしたいと研究を進めています。そのような欲しい構造がある時、どのような条件でどのようにソフトマテリアルを設計したらよいかを予測するために、「ベイズ推定」という統計理論の方法を用いて、方程式を推定する研究を行っています。


【図】ベイズ推定によるモデル選択。
測定で得られたスペクトルのデータ(上)から、ピーク関数のパラメータを推定した結果(下)。

 ベイズ推定に基づくデータ解析は、色々な場面で活用することができます。最も基礎的な使い方は、例えば、上図のようにノイズを含む実験データが与えられた時、普通は「これは3本のピークからなる」と目で判断してフィッティングしますが、ピーク数が2本ある時と3本ある時と4本ある時のどれが最も信頼性の高い解析になるかを、ベイズ推定に基づき、コンピュータで自動的に解析して、その信頼性がどれくらいかも含めてフィッティングする技術を開発しました。この手法を企業様のデータにも適用して共同研究も行いました。

- 「ベイズ統計」は最近、データ科学分野でよく聞くキーワードですが、それとはどんな関係や違いがあるのでしょうか?

 我々が取り組んでいるベイズ推定の研究は、計測データや計算データが少なかったり、ノイズが多くてぼやけていたり、とにかく情報が足りない時に、情報を補って解析するものです。例えば、ここに使えそうな理論式をひとつの情報として与えてやると、割とすっきりデータが整理できるのではないか。候補となる色々な理論式を試してみて、どれが尤もらしそうかを「推定」し、それが何十%くらい正しいかの信頼性評価に「ベイズの式」を使っているので、「ベイズ推定」と呼んでいます。

 このように理論式を使うことにより、データより外についても予言できる(外挿できる)ことが売りだと思います。最近流行っている「ベイズ最適化」も、ベイズ推定に基づいていますが、ここでやっている「ベイズ推定」とは少し違います。ベイズ最適化は、例えば、実験計画を立てる時、それまでの実験データの経験から、次はどこを測ればよいかがわかるので、効率的に実験やシミュレーションの計画を立てられることが、流行っている理由だと思います。ベイズ最適化は今まであるデータの範囲内で「この点をやりなさい」という内挿には強いけれど、その範囲外への外挿が難しいと言われています。


(2)2次元材料

 グラフェンに代表される原子層一枚あるいは数枚からなる「2次元材料(原子層材料)」が近年注目を集めています。また材料を「トポロジー」という数学の概念を用いることにより分類し直す研究も行っています。色々と変わった状態が出てくるので、それを将来の量子コンピュータに使えないかという研究も行っています。

 先程もお話したベイズ推定を用いたデータ解析は、東北大学の角度分解光電子分光(Angle-Resolved PhotoEmission Spectroscopy: ARPES)実験グループとの共同で、モデルを用いて2次元データをフィッティングする技術を開発しました。このベイズ推定を用いた新たな電子構造のデータ解析手法を高度化・汎用化し、2023年度から稼働予定の次世代放射光施設にも導入できたらと考えています。

― 計測したデータの解析手法は、企業からのニーズも高そうですね。次世代放射光施設が稼働すれば、ますますニーズは高まるのではないでしょうか。

 そうですね。理論や数学等のそれぞれの研究課題を進める中で、画像解析技術やモデル推定等、様々な数理的データ解析手法を開発してきた成果があります。次世代放射光の計測データ解析等にも適用していくことで、企業様の支援ができるのではないかと考えています。

(3)アモルファス材料

 アモルファス材料については、先程もご説明した「パーシステント・ホモロジー法」等を用いて、引き続き材料の複雑な構造を記述する研究を行います。


3.研究成果

- これまでの主な研究成果についても、ご紹介いただけますか。

◆ アモルファス相変化記録材料の局所構造を抽出する局所逆モンテカルロ法を開発

【図】DVDなどの記録層であるアモルファス物質の局所構造をモデル化

 「構造抽出」については、電子顕微鏡とシミュレーションを用いて、アモルファス材料の構造を記述する方法を開発しました。電子顕微鏡で非常に狭い範囲を見ると、観察像は得られますが、それがどの構造に対応しているかわかりません。そこで、予想される構造をシミュレーションで多数作成し、その像と合うものを選ぶ、「局所リバースモンテカルロ法」という手法を開発しました。この手法を用いることで「この像はこんな構造です」とわかる成果が出ており、電池材料などへの貢献を期待され、企業様との共同研究を進めています。

- 「局所リバースモンテカルロ法」について、補足説明をお願いできますか。

 普通はより広い範囲を見て材料の構造を観察するのですが、この手法では電子顕微鏡の電子ビームをナノサイズに絞り(オングストロームビーム)、非常に狭い範囲で観察するので「局所」と呼んでいます。「リバース」は、普通はまず電子顕微鏡像があって、そこから構造を解析しますが、この手法では先に構造を予想してから像をつくり、その像と合うものを選ぶという逆向きの解析を行うため、「リバース」と呼んでいます。「モンテカルロ」は、乱数を使う計算手法を、業界用語で「モンテカルロ」と呼んでいます。とにかくサイコロをいっぱい振って構造の候補をいっぱい作成し、観察像をいっぱい得て、それと合致するものを選び出す手法です。それを全部合わせて「局所リバースモンテカルロ法」と呼んでいます。


◆ 自己組織化構造の形成と破壊を記述する数理モデルの構築(ソフトマテリアル)

 自己組織化構造の形成過程の数理モデル開発については、先程も「自己組織化でつくれるソフトマテリアルの複雑な構造の設計」についてお話をしました。 「ヤヌス(双面)粒子」というもともと表面と裏面が違う「パッチ粒子」(例えば疎水性と親水性のように、表面に物性の異なる領域(パッチ)をもつ異方的なコロイド粒子)があった時、表面と裏面が違うため、自己組織化で勝手に組み上がっていきます。パッチ粒子があった時のシミュレーションのフレームワークをつくり、自己組織化の構造をシミュレーションできるようにしたのが、前期の成果でした。後期はそこに数理モデルを導入し、望みの構造をつくる研究を計画しています。


◆ トポロジカル量子コンピュータの材料となる高次トポロジカル絶縁体の予言


【図】高次トポロジカル絶縁体の理論

 「トポロジー」という数学の概念を用いて、材料を見直そうという研究も進んでいます。ラボの数学者が、端(コーナー)だけに金属状態が生じていて、その他は絶縁体の「高次トポロジカル絶縁体」を理論的に予言し、物理学者と一緒になって物理モデルを構築しました。このコーナー状態があることで、従来の量子コンピュータとは異なる新しい動作原理のトポロジカル量子コンピュータをつくれるのではないかと研究を進めています。

- 「トポロジカル絶縁体」も物理学で最近よく聞くキーワードですが、「トポロジー」や「トポロジカル絶縁体」についても補足説明をお願いできますでしょうか。

 トポロジーとは大雑把な形を認識する学問です。インターネットで「トポロジー」を検索すると、コーヒーカップとドーナッツの絵が出てくると思います。ドーナツもコーヒーカップも穴がひとつで、連続的にコーヒーカップを変形していくと、穴を潰したりつくったりしなくてもドーナツになりますよね。例えば、穴の数を数えるというのが、トポロジーという学問です。

 理論物理の研究では、材料を調べる時、そのエネルギーと波数の関係を調べると一番基本的なことがわかります。そこで、エネルギーと波数のグラフを、多くの線で書くわけですが、線が交わっているか・離れているかが重要になります。その交わっているか・離れているかを記述するのに、トポロジーという概念が役に立ちます。いちいち波数とエネルギーの関係を計算するは非常に大変ですが、すべて計算しなくとも、トポロジーという概念を使うと、あるところだけ計算して、交わっているか・離れているかがわかります。上図のように、クロスしているのか(モデル1)、それとも上下で分かれているのか(モデル2)が、トポロジーを使うことでわかるのです。それを使って材料を分類しましょう、というのが最近の物理のトレンドです。

 また、最近流行っている「トポロジカル絶縁体」は、物質内部(バルク)は絶縁体なのに、その表面全部に電気が流れるのが、トポロジカル絶縁体です。

- トポロジーを使って大雑把に形を認識することがどう有り難いかのイメージが湧きました。また、普通のトポロジカル絶縁体とは違って、この「高次」なトポロジカル絶縁体は、表面全部でなく端だけに電気が流れるのが特徴ということですね。それが従来とは異なる新しい量子コンピュータの実現につながるというのは、どういうことなのでしょうか。

 一次元の状態ができることがミソで、普通の超伝導体と一次元の状態の接合面に「マヨラナ」という最近話題の仮想的な粒子が出現します。これを使うと、量子コンピュータに応用可能と言われています。

- ニュートリノの話で出てくるマヨラナ粒子ですか?(ニュートリノは、粒子と反粒子の区別がつかない特徴を持つマヨラナ粒子であるとする説が有力視されている。参考過去記事:http://shinbun.fan-miyagi.jp/article/article_20130601.php)素粒子のマヨラナ粒子が、材料科学や量子コンピュータとどう関係するのですか?

 そうそう、その通りです、そのマヨラナ粒子です。この一次元の状態というのは、ニュートリノと同じ方程式(ハミルトニアン)で記述されていて、その端に現れるのがマヨラナ粒子です。そのマヨラナ粒子を制御できると、不純物などの影響を受けづらいこの一次元の状態の性質を利用することができるので、ノイズに強い量子コンピュータの実現につながると言われています。


4.メッセージ

- 最後に、企業関係者に対して伝えたいメッセージをお願いします。

◆ ラボの出口は「産業数学」

 すぐに事業に結びつくかわからないような基礎的な研究に対しても、企業様から非常に関心を持っていただき、共同研究いただいているところもあって、非常に有り難いです。例えば、先程のパーシステント・ホモロジーやベイズ推定、データ解析等の手法は、比較的活用いただきやすいのではと考えています。実際、毎年ラボで主催している企業連携ワークショップにも、企業から多数ご出席いただき活発な議論をいただいています。

 我々のラボの出口は「産業数学」です。最近、日本の企業でも数学の活用に力を入れていたり、外国でも産業に数学を役立てたりする流れがあるそうです。これまで説明してきたような個々の技術の話ではなく、全体のフレームワークとして産業構造を革新的に変えるのが産業数学と理解されていると思います。

 数学の強さは、様々な範囲や対象に適用できる、そのユニバーサリティ(普遍性)です。パーシステント・ホモロジーを例に取ると、ゴム材料のように目に見えるものにも使えますし、アモルファス材料の原子・分子のように、電子顕微鏡でしか見えないものにも使えます。さらに材料に限らず、例えば社会問題など色々なところに使われています。そのような数学の新しい概念を軸とした、社会課題解決や産業育成への貢献が、産業数学に期待されていることと思います。そのような産業数学を一緒になって考えていきたいと思っております。

― 中西さん、ありがとうございました。

日本初の国立デザイン研究所から始まった産総研東北センターの歴史とは

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日本初の国立デザイン研究所から始まった産総研東北センターの歴史とは 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/産業技術総合研究所東北センター

2021年08月31日公開

歴史とは活かすもの

蛯名 武雄 Takeo Ebina
(産業技術総合研究所東北センター所長)

南條 弘 Hiroshi Nanjo
(産業技術総合研究所東北センター 上席イノベーションコーディネータ)

 産業技術総合研究所東北センターのルーツは、1928年、日本初の国立デザイン研究機関として、工芸の産業化を目指した工芸指導所時代まで遡る。そして高度経済成長期の真只中、四大工業地帯との地域格差是正のため、工業化による東北経済の発展を求めて設立された東北工業技術試験所時代。欧米先進国へのキャッチアップ時代を経て、世界に通じる研究拠点を目指した東北工業技術研究所時代。各時代の国の技術政策に対応し改称・改編を繰り返しながら、2001年、産業技術総合研究所東北センターは誕生する。刻々と変化する社会の要請を受け、どのような技術政策のもと各時代を送り、それが今日の産業技術総合研究所東北センターへとつながったのか。東北工業技術試験所に1986年に入所した南條弘さんと1993年に入所した蛯名武雄さんに、当時のエピソードを交えながら、その歴史を聞いた。

※ 本インタビューをもとに、産総研東北センター展示スペースのポスター原稿を作成させていただきました。

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日本初の国立デザイン研究所から始まった産総研東北センターの歴史とは


工芸指導所(1928 -1952)・産業工芸試験所(1952 -1967)時代
日本初の国立デザイン研究機関として、日本のモダンデザインを先導

― 産業技術総合研究所東北センターのルーツは、1928年(昭和3年)に仙台市二十人町通(現:宮城野区五輪)に設置された「工芸指導所」に遡ります。「わが国固有の工芸技術に科学のメスを加え、この量産化を図り、ひいては輸出の拡充を」目的として、日本初の国立デザイン研究機関である工芸指導所が、ここ仙台に開設されました。当時の日本において国力の増強は輸出の振興に頼っており、しかも輸出産品は「雑貨・工芸品」が主流という時代、工芸指導所の存在意義は非常に大きかったと聞いています。

 初代所長の国井喜太郎(1883~1967)は「立派な日本を生むには、科学と芸術の融合が必要」という理念を掲げ、主に木工・金工・漆工の分野で、科学技術と欧米の近代デザインを取り入れた工芸品の開発を推進しました。そのひとつが、「KS磁石鋼」という東北帝国大学の本多光太郎博士らによって発明された当時世界最強の磁石を応用した工芸品。また、現在の宮城県指定の伝統工芸品である、金属粉を漆塗りに応用した「玉虫塗」も、1932年に工芸指導所で発明されたものです。

 1933年には、都市計画と集合住宅の世界的権威として著名なドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880~1938)が工芸指導所の顧問として招かれ、「見る工芸から使う工芸へ」の理念の下、「規範原型」(量産モデル)等の指導を、のちに日本を代表するインテリアデザイナーとして知られることになる剣持勇(1912~1971)ら所員に行い、近代デザイン運動を世に先駆けて実践しました。

 その後、このような工芸指導所が全国に数カ所設立され、それが東京に集約され(東京が本所に)、仙台は「東北支所」になり、戦後は「産業工芸試験所東北支所」に改称して1967年まで存続しました。ここ仙台が「近代工芸・デザイン研究発祥の地」とされるのは、以上のような経緯からです。


◆ 現存する工芸指導所ゆかりのモニュメント

― 蛯名さんと南條さんが東北工業技術試験所に就職した当時は、工芸指導所で仕事をしていた方はほとんどいなかったとは思いますが、工芸指導所時代の雰囲気は感じていましたか?

蛯名:僕はないですが、先輩が「僕が入った当時は、工芸指導所時代からの人がいたよ」と言っていましたし、一部の先輩方から工芸指導所の雰囲気を感じることもありました。

南條:私が就職した地熱材料開発課には産業工芸試験所におられた浅野修先輩が在籍しており、地熱用材料の腐食損傷実験の試験片やサンプルホルダーなどを工作いただきました。その試験片を用いて鬼首の地熱発電所での現地試験にご同行いただきましたし、旋盤やフライス盤など金属材料加工工作室を管理しておられました。また、隣の木工工作室では産業工芸試験所におられた佐々木志津夫さんが木材や樹脂の加工を担当されていました。

― 産総研東北センターでは工芸指導所時代の試作品やコレクションを長らく保存し、一時期はセンター内に展示室を開設して公開されていましたね。しかし東日本大震災後、よりよい環境で保存するとともに、より多くの方々にご覧いただくことが先人の偉業を後世に伝えることに役立つと考えて、2014年、東北歴史博物館にすべての品を寄贈されました。博物館以外で、工芸指導所時代ゆかりの品を見ることはできないのでしょうか?

蛯名:仙台にある工芸指導所ゆかりのもので、一番有名なのは仙台市宮城野区五輪の一角にある「近代工芸発祥の碑」ですが、実はほかにも、私がお勧めしたいモニュメントがふたつあります。

【写真1】仙台市宮城野区五輪にある「工藝発祥」の碑

 ひとつは、宮城野区原町本通りの原町カッコウ公園にあるカッコウ時計です。工芸指導所最後の所長で産業工芸試験所東北支所初代所長の安倍郁二(1906~1988)による製作で、アルミ板で覆われた斬新なデザインのカッコウです。1963年(昭和38年)に製作された時計が今でも現役で「カッコウ、カッコウ」と鳴き時を告げているわけですから、すごいことですよね。

【写真2】「原町カッコウ公園」(宮城野区)のカッコウ時計。1963年、仙台市観光協会が観光客歓迎のため仙台駅に設置。カッコウ時計の鳴き声に由来し仙台市の市鳥がカッコウに指定されたと言われる。1977年撤去時、原町商工会役員がもらい受け、1998年、工芸指導所跡ほど近くの原町にて復活。筆者撮影時に地元の方から「ありがとう」と声をかけられ色々ご教示いただいたことからも、今なお地元から愛されていることを感じた。

 もうひとつが、西公園にある鉄製の巨大なこけし塔です。僕の好きな「鳴子こけし」を基にした形で、中は空洞で目鼻や菊花の文様はくり抜かれています。あのこけし塔も安倍郁二による設計・デザインと言われ、1961年に建てられた塔が今も現役でそびえ立っています。

【写真3】西公園(青葉区)にある巨大な鉄製のこけし塔。1961年、宮城県の観光広報のため、仙台商工会議所が中心となって設置。古鳴子型と呼ばれる形で、中は空洞で目鼻や菊花の文様はくり抜かれている。表面には漆を含んだ特殊塗装が施され、天気によって色が変わる工夫がなされていた。


◆ 近代デザイン発祥の地

― カッコウ時計は初めて聞きましたが、西公園のこけし塔は何度も見たことがあったのに、工芸指導所に関係していたなんて、私も知りませんでした。日本の近代デザイン発祥の地がここ仙台であることも、意外と仙台市民にあまり知られていない事実かもしれません。例えば、モダンデザインの雑誌等には、ブルーノ・タウトや剣持勇(工芸指導所に1932年から1955年までの23年間在籍した後に独立)、民藝運動の提唱者である柳宗悦、宗悦の息子の柳宗理と代表作品のバタフライスツール(天童木工製造)等はよく取り上げられているのを見ますが、工芸指導所についてはあまり触れられていないせいかもしれません。工芸指導所が果たした役割について、もう少し詳しく教えていただけますか?

南條:工芸指導所では、開発した新素材、新技術を使って試作品を製作し、それを各地の産地に貸し出して普及を図りました。試作品は、見た目を重視していたそれまでのデザインとは異なり、使用感、操作性を重視した、モダンデザインの思想に基づいて開発されました。この時代からデザインを重視して、さらに輸出振興まで目標に掲げていたとは、私も知って驚きました。地元企業による輸出は今だって目指していますが、壁はそれなりに高いので、90年も前から目標に掲げていたことは素晴らしいことだと思います。

 1952年に工芸指導所は産業工芸試験所と改称し、インダストリアル・デザインの指導と研究が主要な業務となりました。1950年代まで、ほとんどの日本企業、特に製造業には、専門のデザイン部門はありませんでした。当時、東芝やソニーからもデザインの委託を受けていたそうです。今で言うと、受託研究ですね(笑)。参考までに、我々の先輩剣持勇デザイナーはヤクルトのガラス瓶からプラスチック容器へのデザイン変更を依頼されて、あのヤクルトの特徴的な形状をデザインしたそうです。

 1960年代に入る頃から、デザイン活動の中心は企業へと移っていきました。大きな役割を終えた産業工芸試験所は、1969年に製品科学研究所(産総研の前身である工業技術院に属した研究所)として組織再編されます。

 このように、工芸指導所・産業工芸試験所は、戦前から戦後、そして高度経済成長期という、日本経済が大きく動いた時期に、日本製品を支える研究機関として、日本のモダンデザインを生み出し、形づくり、それを広めていく活動を担ったのです。

 私が注目したのは、産業工芸から伝統技法にわたるものづくりの広い範囲を「工芸」と捉え、その科学的研究を行っていたことです。90年以上も昔と現代では「ものづくり」の内容は異なるものの、機能だけの「ものづくり指導所」ではなく「工芸指導所」と名付けたことからも、製造業界における"工芸"のステータスが当時非常に高かったのだなと感じました。

― 現在では「工芸」は美術工芸を指す用語ですが、それはごく最近のことで、昔は「工芸」の意味が今とは違っていたのですね。

蛯名:工芸がそもそもなぜ生まれたのか、歴史を遡ると、江戸時代、仕事がなくなった下級武士や足軽が内職として始めた手仕事だったそうです。皆がそれぞれ勝手につくっているので、標準化されておらず、生産性も悪い。「工芸を産業化」するためには、標準化という一定水準の品質が必要で、そのための指導が必要でした。

 明治6年(1873年)のウィーン万博に出展されて、調度品として美しくレベルが非常に高いと評価された伝統工芸品も、技能の非常に高いごく一部の人が、ものすごい時間をかけて制作した、輸出用に外国人が好みそうな、作り込んだデザインの工芸品が選ばれたものであって、普通の人たちのつくっているものとは全く違っていたわけです。

 一品物でしか輸出できないのでは産業になりませんので、量産化が必要です。ですから、標準化された、一定水準の品質のものをつくる必要があり、それを指導する場所が必要で、そこにデザインや新技術、新素材のコンセプトを加え、国の機関にしたと、理解しています。

南條:きっと、「工芸を考えるなら、工芸指導所に行け」という時代だったのでしょうね。東京や関西の人が仙台まで来るのはあまりにも効率が悪いから、途中から本所が仙台から東京へ移ったのではないでしょうか。誇らしいことですが、東北人としてはお宝を失ったような複雑な気持ちもあります。


◆ なぜ日本初の国立のデザイン研究所が仙台に?

― そもそもなぜ日本初の国立のデザイン研究機関が設立された場所が、東京ではなく仙台だったのでしょうか?

蛯名:文献によりますと、時の商工大臣が仙台出身の藤沢幾之輔で、宮城県出身で工務局工政課長の吉野信次(後に参議院議員・商工大臣)が直接の立案を担当していたようです。吉野信次は吉野作造の弟ですから、中央への力も大きかったのではないでしょうか。しかし、工芸指導所の仙台設置案が大蔵省の査定では賛同を得られなかったため、当時東北振興が政治問題になっていたことに対処する形で計画の一部を変更し、東北の未利用資源の開発、東北工芸産業の育成その他を主な目的として再度要求し、原案通りに認められて成立した、と書いてありますね。ところが、その後、内閣更迭があったようで、新しい商工大臣からは「工芸指導所は文化の中心地(東京)に置くべき」との意向があったようですが、仙台市の熱心な誘致運動が実り、予定通り工芸指導所は仙台に設置された、と書いてあります。

南條:次世代放射光施設が仙台にできたみたいなものですね。一極集中の効率性だけでなく、地域の特徴や多様性を活かした日本全体のバランスよい発展があるとよいと思います。

― 地元の熱心な誘致活動があったために仙台に設立された経緯も、大変興味深いですね。そのような経緯から、本来の目的は日本全体の工芸の近代化と輸出振興のため、直接的には東北の産業振興のためという目的が設定されたことを理解できました。


東北工業技術試験所(1967-1992)時代
地域格差是正のため、東北地域の特色に関連した産業技術を開発

― 時代は変わり、日本は1955年に戦後の生産力水準が戦前の最高水準を超え、1960年には池田内閣が「国民所得倍増計画」を発表し、いわゆる高度経済成長期に入ります。日本の急成長を実現したのが、重化学工業の発展でした。高度経済成長期真只中の1967年に、東北工業技術試験所は設立されます。工芸・デザインを中心とする研究機関が、重化学工業等の研究が中心の研究機関へと転身したのです。その設立経緯は、東北工業技術試験所の年史等に、次のように記されています。

 四大工業地帯を中心とした重化学工業の発展が日本の高景気を担うようになった一方、それに取り残された、いわゆる後進地域では、工業化による発展の道を求めて、資源開発と工業誘致による地域格差の是正を図ることになります。このような背景のもと、昭和35年(1960年)には北海道札幌市に北海道工業開発試験場が、昭和39年(1964年)には佐賀県鳥栖市に九州工業技術試験所が新設されました。とりわけ農業主体で工業集積の少ない東北地域においては、経済的立ち遅れによる産業の低生産性の克服と、未利用資源の活用による産業振興を実現するために、技術開発の中核機関を設立したいという強い要望がありました。昭和35年(1960年)の「仙台通商産業局(現在の東北経済産業局)当面の重点施策」で技術指導と研究開発を行う国立鉱工業試験研究機関設立の必要性が強調され、これを受けて昭和39年(1964年)に「国立東北工業開発試験所設立促進期成同盟会」が地元の産業界や政界、官界を含めて結成され、各方面に働きかけを行いました。その結果、昭和42年(1967年)3月の通常国会で東北工業技術試験所の設置案が可決成立し、同年6月1日に東北工業技術試験所が発足しました。なお、敷地は榴ヶ岡から現在地の苦竹へと移っています。


◆ 地域格差是正のため、地域からの要望を受けて設立

― 東北工業技術試験所も工芸指導所と同様に、地元からの強い要望があって設立されたのですね。

蛯名:「東北工業技術試験所 十年史」の31ページから36ページにわたって、設立に関係していた人々の名簿が載っていますね。すごい!こんなに多くの人(177名)が携わっていたのですね。

― 十年史には、東北地域の経済団体である東北経済連合会設立後の第1番目の要望活動が、「国立東北工業開発試験所の設立」についての政府への働きかけであったことも記されています。「地域格差是正という東北人の長年にわたる念願を達成するため」という文言からも地元産業界が如何に東北工業技術試験所の設置を待ち望んでいたかが伝わってきますね。東北工業技術試験所では、主にどのようなテーマで研究が行われていたのでしょうか?

南條:地域国立試験研究機関の任務として、地域資源等の有効利活用を図る研究が推進されました。そのような背景の下、秋田県北鹿地方に新たな鉱床が発見され注目されつつあった黒鉱の生産性向上を図るための「黒鉱の高度利用に関する研究(選鉱工程の自動化に関する研究)」を中心とする資源開発技術と、当時社会的要請の強かった産業排水処理技術の2本柱で当初の研究活動が開始されています(~1974年)。鉱物資源の回収技術と環境保全技術は、その後の東北工試を特徴付ける源流となっています。

 1973年の第一次石油危機を契機に、1974年に発足した「新エネルギー研究開発事業(サンシャイン計画)」の一環で、石油代替のエネルギー源として地熱発電用の材料開発研究が始まりました(~2002年)。地熱は、広大な火山地帯を持つ東北地方の特色あるエネルギー資源のひとつです。地熱環境下で用いる材料の開発と評価に関する研究は、その後の金属材料研究のきっかけとなりました。

 また、東北地方に豊富に産するゼオライトの利用に関する研究は、機能性無機素材開発へ展開し、基礎研究のみならず、企業との共同研究を通じて、粘土鉱物資源の実用素材としての応用を拓きました。スメクタイト(粘土鉱物)研究会はコンソーシアムの先駆けで、蛯名所長が会長を務める粘土膜・無機ナノ材料のコンソーシアム「Clayteam」に受け継がれます。さらに、天然物からの有効成分の抽出技術として、超臨界二酸化炭素を用いる研究が昭和60年(1985年)代から開始され、その後、超臨界流体利用技術として大きく発展していくきっかけとなりました。


◆ 黒鉱の高度利用技術に関する研究(昭和43年~49年)

― 私は閉山前の状況をよく知らないため、当時の雰囲気があまりピンと来ていなかったのですが、当時のことを調べてみると、銅・鉛・亜鉛・金・銀などの金属を含む「黒鉱」は、精錬技術が開発された1960年代、"宝の石"として、急に脚光を浴びたそうです。新鉱床の開発は官民を挙げての大事業で、豊富な黒鉱が発見された秋田県北鹿地方には、次々と鉱山会社が参入し、いわゆる「黒鉱ブーム」が巻き起こりました。

 そのような時代の要請に応える形で、東北地域における資源の高度利用技術の研究開発テーマとして黒鉱が研究対象になったわけですね。その後、黒鉱鉱床(小坂鉱山や花岡鉱山など)は1994年にすべて閉山し採掘は行われていないものの、黒鉱の研究で得られた技術がその後の研究の源流となり、さらには現在、産総研東北センターが看板研究テーマとして掲げる「資源循環技術」にも脈々とつながっています。

 東北工業技術試験所に南條さんが入所したのが1986年、蛯名さんが入所したのが1993年ですから、黒鉱の研究はすでに終了していたと思いますが、当時の痕跡を感じたことはありましたか?

【写真4】産総研東北センターで保管されている黒鉱

蛯名:黒鉱専用の建物の大きさがすごかったですね。今は立入禁止になっていますが、建物自体は敷地内に残っています。僕が知る限りでは、東北センターが携わるナショプロ(国家プロジェクト)で一番大きな建物ですので、それくらい大々的なプロジェクトだったのでしょう。あんな大きな建物を建てられるビックプロジェクト、今ではなかなかできないことですよ。十年史に当時の土地建物配置図が掲載されていますが、当時の敷地の3分の1が黒鉱関係で、選鉱自動化実験工場と中央制御室、廃液が外に漏れるのを防ぐための沈殿池もありますね。

【写真5】産総研東北センター敷地内にある元・選鉱自動化実験工場

南條:私が入所した頃には、まだ沈殿池はありましたよ。蓋がされているのですけど、「ここに落ちないように」って注意されましたね。現在は駐車場になっています。


◆ 地熱発電用材料の開発研究(昭和49年~平成14年)

― 昭和49年(1974年)には、時代の要請の変化によって、地域技術開発の主な対象が、黒鉱から地熱へと移っていきます。地熱発電用材料の開発研究は2002年までの長きに渡り続きました。地熱発電は今も研究されているテーマだと思いますが、当時の地熱発電用の材料開発研究に南條さんも携わっていたのですよね。

南條:はい、日本は石油ショック後に石油の代替として、地熱でエネルギーの一部を何とか賄おうとしていました。東北と九州、北海道は、地熱のポテンシャルが特に高い地域です。今もNEDOの超臨界地熱プロジェクトが動いています。ただ、地熱のエネルギーはあるのですが、地元の合意形成の難しさも含め、なかなか取り出せない。それは今でも悩みですね。

 当時、探査と掘削はつくばが担当していたので、東北は設備の材料開発を主に担当していました。地下深くから腐食性物質を含む高温高圧の水が高速で噴出してくる環境下で利用できるようにするための材料開発の研究です。例えば、金属製の配管パイプが熱水で腐食しないよう、内側をセラミックでコーティングするための技術として、高速回転させながらアルミニウム粉末と酸化鉄粉末を反応させ、遠心力でアルミナのセラミックスを均一の厚さでコーティングする「セラミックライニング鋼管」等を開発していました。また、下の写真のような回流型試験装置を地熱発電所に持込み、実際の地熱熱水による流動腐食量を測定し、そのようなデ-タを取りまとめた地熱環境下での材料腐食データベースも開発しました。

【写真6】地熱熱水による流動腐食評価装置(トラックで運べる大きさ)

- pHも違えば、温度や圧力、様々な濃度等も色々変化する地熱環境で、どのような材料腐食が起こるかをまとめたデータベースは、色々なテーマにも活用できそうですね。

 そうですね。実際に、当初は地熱用を想定したデータベースでしたが、後に超臨界流体に関する大型のプロジェクト研究が始まった際、超臨界流体のデータベースに移行していきました。


◆ 東北産ゼオライトの研究は設立当時から(昭和42年~)

― 地熱発電用材料の開発研究も長きにわたり続いた研究ですが、東北地域で豊富に産するゼオライトの研究も、54年も前の東北工業技術試験所発足当初から行われていたのですね。当時はどのような研究が行われていたのでしょうか。

蛯名:「十年史」によりますと、昭和42年(1967年)の発足当初から、東北産ゼオライトの利用開発に関する研究が始まっていますね。「当時は、土質改良剤、肥料混合剤、家畜飼料配合剤等、主として農業面における利用研究が先行し、天然ゼオライトの工業面への利用はほとんど顧みられていないのが実情だった。この主なる理由のひとつとして、凝灰岩中のゼオライトの特性がほとんど把握されていないことが挙げられる。そこでゼオライト岩の工業的利用を図ることを目的として、東北各地のゼオライト岩の示性分析とガス吸着特性についての研究を進めた」とあります。...なんか、今とあまり変わらないですね。

南條:昭和42年からやっていたの?それはすごい。巡り巡って、今またゼオライトで二酸化炭素を吸着・透過させるというカーボンニュートラル時代にマッチした先端的注目研究を行っていますよね。

蛯名:すごいですよ、もう二成分ガスの分離も当時からやっていますよ。研究をしている時、昔の文献を読んで、めげる時があるんですよね。「あぁ、すでにやられている」って(笑)。


◆ スメクタイト(粘土鉱物)関連研究(昭和62年~)

― ゼオライトと、蛯名さんが研究されている粘土鉱物の研究は、関係があるのでしょうか?

蛯名:十年史には「日本粘土学会で発表」と書いてありますし、ゼオライトと粘土は兄弟・姉妹みたいな関係の材料ですから、同じ研究者が取り扱っていたということでしょう。

- ゼオライトと粘土は、何がどう違うのですか?

 ゼオライトと粘土は、実は化学組成的にはあまり違いはありません。粘土の基本的な構造は、この模型のように、3つの層(説明に使った模型では、赤色と水色と灰色の3つの層)でできています。赤色の層が全部内側に向いて垂直に立っているのが粘土です。一方で、赤色の層は一部、内側ではなく外側を向くつながり方もできますので、結合の手がどんどん外側に伸びることもできます。これがゼオライトです。粘土とゼオライトの違いは、たったそれだけです。粘土は全部内側を向いているので内側にしか結合の手が伸びませんが、ゼオライトは外側にも結合の手が伸びるので、結合があまりないところは孔になります。ですから、ゼオライトは内部に小さな孔があり、その孔を使ってガスや水蒸気等を大量に吸着させることに利用できるわけです。そのつながり方を少しずつ変えていくと、少しずつ違う大きさの孔になりますから、「このゼオライトで、これを吸着する」と区別ができるようになります。合成で目的ごとに設計して変えることが可能ですし、天然なら「この産地のものは、これに適している」と分類ができます。「aluminosilicate(アルミノケイ酸塩)」と呼ばれるタイプのもので、化学組成等は構造的には似ているので、同じような研究者が、粘土もゼオライトも研究していたのだと思います。

【写真7】粘土の構造

- スメクタイト研究会では、どのような活動を行っていたのですか?蛯名さんが開発した、東北で豊富に産する粘土(ベントナイト)を原料とした高機能な膜材料「クレースト」とはどのようなつながりがあるのでしょうか?

蛯名:スメクタイト研究会では、平成3年(1991年)から平成15年(2003年)まで、主に合成スメクタイトの研究開発を行っていました。合成スメクタイトは、例えばゲル化剤等として幅広く使用されていましたので、産業用途を志向した研究も行っており、民間企業にも技術移転を行っていました。また、スメクタイトはベントナイトから精製するので、天然粘土の特性や有効利用の研究も並行して続けていました。私がクレーストの研究を始めたのは、スメクタイト研究会が終了した翌年、平成16年(2004年)頃からです。スメクタイト研究会の研究成果を活用し、合成スメクタイトや天然粘土の高度利用として、粉を膜にする膜化の研究を始めました。

- スメクタイト研究会はコンソーシアムの先駆けということですが、企業はどのような形で関わっていたのでしょうか? 産業用途を志向した研究成果を中心に情報提供していたのですか?

蛯名:研究会には民間企業も多く参加されていて、確かに産業利用も大きく考えていましたが、研究会には大学の先生方も参加し、最新の基礎研究を応用に活かすことも同時に行っていました。産業でものをつくる時も、基礎がわからなければ、基礎研究からやっておられる大学の先生方の発表を聞くことで、本当にどう使えばよいかがわかります。それが情報共有の場としてうまくいったということですね。

- 現在の産総研コンソーシアムは、まさにそのような役割を担っていると思いますが、当時の工業技術院としては珍しい取り組みだったのですか?

 そうです。完全にアングラ組織でした(笑)。当時はコンソーシアムという言葉もありませんでしたし、正式な組織としては、何ら位置づけるものがなかった取り組みでした。

- 今でこそ、最先端の研究成果について民間企業や大学等と情報を共有する、産学官連携活動は一般的になっていますが、当時としては先駆的な取り組みだったのですね。


◆ 重要地域技術研究開発制度

― 地域の産学官連携活動と言えば、工業技術院が行っていた「重要地域技術研究開発制度」はどのような取り組みだったのでしょうか?

南條:地域共通の技術基盤の底上げを図るために、国立研(東北工試)のシーズを基に、国立研がコーディネーターとなって、地域にある産学官が連携し研究開発を進める制度です。実施した研究内容としては、当所で開発したキレート樹脂を分離剤としてレアメタルを希薄溶液から分離回収する「レアメタルの高度分離・精製技術に関する研究」(昭和60年~平成1年)や、超音波が欠陥で反射する機構を巧く活用する「内部検査システムによる複合構造体等の総合評価技術に関する研究」(平成2年~6年)、メカニカルアロイングを使って微細組織制御を行う「微細組織制御による金属材料のプロセッシング技術」(平成7年~10年)がありました。

 重要地域技術研究開発制度のよい点は、公設試さんと産総研が一緒に研究開発を行うスキームでしたので、公設試さんとのネットワークが非常に強固になった、価値ある制度だったと思います。現在は連絡会活動(産業技術連携推進会議)のみですので、共通の研究課題を掲げて研究面での直接的な連携制度はあまりなく、またこのような国と地域が連携体を組んで地域の重要かつ特徴的な技術開発でイノベーションを興す制度を復活させてほしいと願っております。


東北工業技術研究所(1993-2000)
世界に通じる研究拠点づくりを目指し基礎研究を推進

― 時代はまた変わり、日本が明治時代から目指してきた欧米先進国へのキャッチアップが1980年頃までに完了すると、「外国の研究成果を無償で使用してきた」という海外からの批判をかわしつつ、自前で独創的な理論や技術を構築するために、基礎研究が重視されるようになります。1990年代の通商産業政策ビジョンを描いた産業構造審議会の答申では、自国有利に技術的知識を独占する「テクノナショナリズム」の対立概念として「テクノグローバリズム」が提唱され、基礎研究の推進と国際貢献の方向性が示されました。そして「テクノグローバリズムの推進」のために工業技術院傘下の研究機関の改革が行われ、1993年、東北工業技術試験所も「東北工業技術研究所」へ改称・改組されます。試験所の時代には、地下資源の開発や地熱エネルギーの利用など、東北地域の特色に関連した研究開発に重点を置いてきましたが、研究所に改組後は先導的基盤研究に重きを置き、世界的な水準の研究成果を目指すことになります。とりわけ研究分野の重点化に取り組み、世界に通じる研究拠点「COE(Center of Excellence)」づくりを目指し、東北大学等、地域研究資源と連携して、科学の未踏領域も含み産業技術として発展する可能性が高い研究分野を重点的に推進しました。

 南條さんも蛯名さんも当時、研究者として「試験所」から「研究所」への改組を体験されましたが、その変化を感じましたか?求められることも変わりましたか?

南條:日本のバブル経済が崩壊し(1991年)、日本経済が長期停滞期に入った頃ですね。試験所から研究所になって、私としては非常にウェルカムだったと思います。試験所時代はプロジェクト中心のイメージでしたが、研究所になってからは、独創的な基礎技術開発や論文に重点が置かれた印象でした。

蛯名:研究所になった平成5年(1993年)から、研究員の採用基準が博士号取得者以上に変わりましたよね。研究所に改組する前は、試験採用とともに修士修了者からも採用していました。


◆ 超臨界流体利用技術

― 特に重点領域とした「超臨界流体反応プロセス」研究は高い評価を得たと聞いています。超臨界流体(臨界点以上の温度・圧力下においた物質の状態)は、高選択性・高効率の化学反応や環境に調和した画期的な化学プロセスを生み出す可能性を秘めた、通常の液体媒体にはない優れた制御性を持つ新しい溶媒として、当時も注目されていました。東北工研において、超臨界流体物性のその場観察測定法の開発、新しい化学反応の開拓、環境技術や化学合成プロセスへの応用など、基礎研究から応用研究までを視野に入れた広範な研究を、競争的資金も獲得しながら展開したそうですね。超臨界流体は現在の産総研東北センターのコアな技術シーズにもなっていますが、当時はどのような様子だったのですか?

南條:超臨界流体のプロジェクトは、黒鉱に匹敵する、非常に大きなプロジェクトでしたね。

蛯名:黒鉱の工場の設備を空っぽにした後、超臨界関係の実験装置を入れていましたよ。

南條:超臨界研究の中心的人物は生島豊さんという方です。ブラックボックスだった超臨界での反応過程を、その場観察できる測定装置を開発する等、超臨界流体の研究をリードしていました。当時、国プロはつくばでしか行われておらず、つくばでも超臨界研究が東北より大きな規模で行われていましたが、東北センターが地域にある国研として初めて国プロを実施した(2000~2004年「超臨界流体利用環境負荷低減技術開発研究」)と聞いています。それくらい生島さんが牽引する、東北の超臨界流体の研究が特徴的だったようです。

― 超臨界流体としてよく使われているのは二酸化炭素や水ですが、当時の東北工研では何を使っていたのですか?

南條:生命の誕生に必須な水と二酸化炭素に絞って研究開発していたと思います。超臨界条件下の水の観察が難しいのだと、生島さんは何度も強調されていましたよね。

蛯名:二酸化炭素はボンベの中でも普通に超臨界状態になっているので、簡単ですからね。高温高圧の特殊条件だから研究する価値があって、超臨界流体の研究も、はじめは水に特化していたのです。それが、省エネが求められるようになり、普通に近い、マイルドな環境で超臨界状態になる二酸化炭素へ対象が変わっていきました。ですから今は、どちらかと言うと二酸化炭素がメインになっていますが、水は研究テーマとしては非常に魅力的です。

南條:水は科学技術として大変興味深いのですが、超臨界状態にするには 370℃まで上げるエネルギーも膨大ですし、220気圧の高圧に耐えられる容器は厚さも大きさも必要ですから、現在の産業コストに見合わない状況もあり、産業界で使いやすい二酸化炭素の方に注目が移っている状況かと思います。


◆ 現在推進する研究の魁となる研究

南條:超臨界流体のほかにも、東北工研では、現在の産総研東北センターが掲げる「資源循環技術」の魁となる「金イオン回収剤の開発等」(平成17年度文部科学省科学技術賞を受賞)や、原発事故対応の魁となる「ストロンチウム固定材及びそれを用いたストロンチウムイオン固定方法」(1996年特許)等の研究が行われました。

蛯名:当時は基礎研究として、粘土鉱物にセシウムやストロンチウムを選択的に収着する固定能があることを報告しました。その後も、放射性廃棄物の地層処分用緩衝材材料の研究は、原子力特別研究で(平成13年度から)10年程続きました。粘土鉱物やゼオライトは実際に今、福島県で高濃度汚染水から放射性物質を除去する「多核種除去設備(advanced liquid processing system、ALPS)」で使われている吸着剤です。愛子(仙台市青葉区)産のゼオライトが使われていたこともあると聞いています。


産業技術総合研究所東北センター(2001-)
化学産業の環境負荷軽減と高付加価値化の中核研究拠点へ

― いよいよ2001年、経済産業省傘下の15研究所がひとつの独立行政法人に統合されて「産業技術総合研究所」となり、東北工業技術研究所は「産業技術総合研究所東北センター」に改組され現在に至るというわけですね。東北センターは、東北地域の優れた研究資源との連携を基軸に、特色ある研究により世界を先導する中核拠点を目指すことになります。5年間の中長期計画ごとに設定する看板研究テーマとして「新産業シーズの創出・地域産業の活性化」(2001年~)、「コンパクト化学プロセス」(2005年~)、「化学ものづくり」(2015年~)、そして現在の「資源循環技術」(2020年~)が掲げられています。また、経済産業省傘下の研究所が統合された結果、オール産総研の研究成果を東北地域の企業へ「橋渡し」する連携機能も高めていきました。

 具体的には、低環境負荷プロセスの拠点となることを目指し、「超臨界流体研究センター」「基礎素材研究副部門」「環境管理研究副部門」の3研究ユニットからスタートしています。ちょうど東北工研から産総研東北センターへ転身するタイミングで、「地域に存在する国研として初の国プロ」だった「超臨界流体利用環境負荷低減技術開発研究」が2000年から2004年まで大々的に実施されたというお話が先程もありましたし、ほか2つは「副部門」ということからも、「超臨界流体研究センター」に重きを置いてのスタートだったのですね。

 これまでの歴史を引き継いだ産総研東北センターは、組織改編を幾度も繰り返しながらも、化学産業の環境負荷軽減実現のため、コンパクトでシンプルな生産システムの確立と、資源循環型の産業構造に寄与する研究開発を行うというミッションは、脈々と続いている印象です。


◆ コンパクトプロセスの心

蛯名:そうですね。南條さんからも先程、超臨界水は産業コスト面からも難しいという話がありましたが、化学プロセスとしては大きな反応容器を工場の中で使うわけです。反応容器の壁が厚いということは、内側のスペースが小さいことを意味しますよね。すると、その中に入れて、反応させて取り出せる1回辺りの量は少なくなるので効率は悪いわけです。

 では、それがどんな発想に変わったかと言うと、内容積を小さくすれば、壁を薄くできますよね。そこで、「マイクロリアクター」(マイクロメートルオーダーの流路内で液体を混合し、化学反応を行うデバイス)という流通型反応器を用いて、管の入口から出口までを細長くすれば、壁の厚さはさほど必要ないですし、フロー(流通式)ですから連続的に合成反応が進み、最終的な収量も見込めます。

 そのようなわけで、マイクロリアクターと超臨界水反応のマッチングが研究され、さらに高温高圧条件でなくともマイクロリアクターでつくろうという、現在のコンパクトプロセスの考え方につながっていきます。流通管にすれば、装置が大きくなることも防げますし、エネルギー的にも有利です。産総研東北センターの成果のひとつである「マイクロ波加熱装置」もフロー型ですから、コンパクトでも、収量が見込めるわけです。

 超臨界流体研究は、エンジニアリングとしてはそのような方向へ進み、平成17年(2005年)に「コンパクト化学プロセス研究センター」へと改称・改組しました。その心は、重厚長大型から、東北に適した少量多品種の化学プロセスの提案でした。東北地域には大規模なコンビナートはありませんが、医薬品等の高付加価値品であれば、少量でもビジネスになります。そこで、「コンパクト化学プロセス」のコンセプトが大きな価値を生んだのです。そこに、マイクロリアクターの考え方も入ってきたわけですね。

【写真8】高い耐熱性と驚異的なガスバリア性を有する粘土膜「クレースト」

― 蛯名さんが開発した「クレースト」も産総研東北センター発の大きな研究成果として外すことはできませんね。クレーストは厚さ1ナノメートル(10億分の1メートル)の板状の粘土結晶を緻密に積層したフレキシブルな膜材料で、既存材料にはない高いガスバリア性と耐熱性を有する膜材料として、幅広い産業分野で製品化が進められています。これまでどのような製品を世に送り出してきたのでしょうか?


◆ 粘土膜「クレースト」の製品化展開

【写真9】アスベスト代替ガスケット(ジャパンマテックス)

アスベストを使わないガスケット
 クレーストの製品化第一号は、アスベスト(石綿)を使わないガスケット(ガス漏れ防止用シール材)の開発でした。ジャパンマテックス株式会社(大阪府)とアスベスト代替ガスケットの共同開発を始め、2007年には製品化に成功し、発電所や化学プラントなどに広く導入されています。

【写真10】燃えない照明カバー(宮城化成)

燃えない照明カバー
 株式会社宮城化成(宮城県)とは、燃えないプラスチック材の共同開発を行いました。製品化までには6、7年を要しましたが、新幹線の天井材に使えるような、燃えない、かつ割れない、安全性の高い照明カバーの開発に成功しました。

【写真11】食器洗浄機対応玉虫塗で、見る工芸から使う工芸へ(東北工芸製作所)

食洗機で洗える漆器
 有限会社東北工芸製作所(宮城県)とは、東北センターのルーツである工芸指導所で発明された「玉虫塗」の保護膜として、粘土とプラスチックをナノレベルで混合したナノコンポジットコーティングを共同開発し、約6年かけ、食器洗浄機対応の玉虫塗の製品化に成功しました。この商品は、ブルーノ・タウトが1933年に提唱した「見る工芸から使う工芸へ」を実証した代表例となりました。また、この保護層を付与した玉虫塗ナノコンポジットで塗装したヘルメットは、楽天イーグルスの選手用ヘルメットとして正式採用されています。

【写真12】ポリマークレイコンポジット振動フィルム

ハイレゾスピーカー
 粘土とプラスチックスのコンポジットフィルム上に電子回路を描き、それを蛇腹構造に変形させて、スピーカーの部品として使用した事例もあります。開発品の採用によって、3万ヘルツ以上のハイパーソニック領域という高音域の再現性が向上したハイレゾスピーカーです。

蛯名:実は、東北工芸製作所には私がアポなしで同社を訪問し「何かご一緒できませんか?」と提案して食器洗浄機対応漆器の開発を始めました。その理由は、工芸指導所の発明を基に「玉虫塗」の事業を立ち上げた東北工芸製作所の歴史について勉強した時、戦前ながら、工芸と最先端材料の融合という野心的な取り組みを行っていたことを知り、むしろ今の私たちの発想より自由で開拓意識旺盛だと感じて、「歴史とは学ぶものでなく、今この時に活かすものだ」と考えたためです。

南條:歴史を"活かす"と言えば、東北工業技術試験所発足時から続いているゼオライト研究はゼオライト分離膜へ、超臨界流体研究はイオン液体吸収液へと、現在、産総研東北センターが看板に掲げる「資源循環技術」の二酸化炭素分離・回収技術、炭素循環技術にもつながっていますね。

― 時代の要請が変わるたび幾多の改称・改編を繰り返しながらも、これまで100年近く続いてきた歴史が現在の産総研東北センターを形づくっていることを今回の取材で感じることができました。まさに、今に活かしてこその歴史ですね。蛯名さん、南條さん、本日は長い時間、取材にご協力いただき、ありがとうございました。

日野亮太さん(東北大学)に聞く:<東日本大震災から10年>もし東北地方太平洋沖地震が起きていなければ、地震研究はどうなっていた?

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日野亮太さん(東北大学)に聞く:<東日本大震災から10年>もし東北地方太平洋沖地震が起きていなければ、地震研究はどうなっていた? 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/東北大学地震・噴火予知研究観測センター

2021年10月02日公開

観測事実がなければ、
地球物理学者の思い込みは覆せなかった

日野 亮太  Ryota HINO
(東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター/
東北大学災害科学国際研究所 災害理学研究部門 教授)

1964年、大阪市生まれ。1983年大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業、東北大学理学部入学。1987年同大学同学部卒、1992年同大学大学院理学研究科博士課程修了。地震・噴火予知研究観測センター助手・助(准)教授を経て、2013年東北大学災害科学国際研究所教授(現在も兼務)。2015年より理学研究科教授。

 東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震から10年。あの巨大地震が地震研究にもたらしたインパクトとは何だったのか。地震学の今と未来を、第一線の研究者に聞く。第一弾は、地震の海底観測が専門の日野亮太さん(東北大学地震・噴火予知研究観測センター教授)。日野さんは、東北地方太平洋沖地震の震源域である宮城県沖の海底で地震・地殻変動を観測し、世界で初めて巨大地震を震源間近で捉えた。もし、東北地方太平洋沖地震が発生していなければ今、地震研究はどうなっていたのか。日野さんに聞いた。

※ 本インタビューをもとに、公益社団法人日本地震学会2021年度秋季大会一般公開セミナー「東北地方太平洋沖地震10年と地震研究」(2021年10月17日開催)のモデレーターを大草が務めさせていただきます。


「地球の構造」と「地震が起こるしくみ」の関係を知りたい

― そもそもなぜ日野さんは地震の研究者になったのですか?はじめに、原点やモチベーションから教えてください。

 私は、海の地球科学に興味があって研究者になりました。幼い頃は化石好きの恐竜少年で、小学校にあがる前から地面の中に興味がありました。もうひとつの原点は、小学校低学年の頃に見た、『日本沈没』という映画(小松左京が1973年に刊行したSF小説が原作の映画)です。人がどんどん亡くなるのが怖かったのですが、竹内均先生という実在の地球物理学者が映画に登場し、その怖い地震の発生のしくみを説明するのを見て、「そんなことがわかるんだ!」と感激し、自分も地球物理学者になりたいと思うようになりました。

 一方、当時の小・中学校の理科の教科書には、地球の構造と地震発生のメカニズムの関係についての説明はあまりなく、とても知りたくなりました。地球科学を本気で勉強したいと思うようになり、地球物理学関連の本をずっと読みました。当時は「プレートテクトニクス」による説明がちょうど始まった頃で、「プレートが動いて、引きずっていたものが反発して海溝型の地震が起こる」という説明を読み、「プレートの動きやプレートの境界を自分の目で見ることはできるのかな?」などと考え始めたのが高校生の頃です。

 そんな研究ができる大学はないかと探して、東北大学に入学し、結果そのままずっと(笑)仙台に住んでいます。幸いにして、志望する地球物理学に配属でき、やりたいと思っていた海での地震観測を、この地震・噴火予知研究観測センターで行う先生がいることがわかり、非常に嬉しくなって、すぐその研究室に入り、以来ずっとその研究を進めています。

― 小さな頃からずっと知りたかったことが今にそのままつながっているのですね。そのモチベーションに対して、どのようなアプローチで研究されてきたのですか?

 「知りたい」最初の入口は、やはり地球の構造(地殻やマントルの構造)です。地下構造を知る方法としては人工地震探査(あるいは音波探査)があり、それを海域で行っているのがこの研究室でしたので、その研究に参加するところから始め、大学院生の間は、人工地震のデータを用いて地殻やマントルの構造を調べる研究を行いました。

 この研究室で助手(現・助教)のポストが空き、研究者としての第一歩を歩み始めた頃、1989年と1992年に三陸沖地震、1993年に北海道南西沖地震と、プレート境界型の地震が日本海溝近傍で多く発生していました。地震の正体を知るためには地震観測が有効ですが、海で起こる地震ですので、陸の地震観測だけではわからないことがたくさんありました。

 地震観測データの解析をするうちに、「地震が起こるしくみと、自分がこれまで研究してきた地下構造は、きっと関係があるに違いない。地震が起こるところと起こらないところの特徴を、地下構造から調べることはできないだろうか」と、研究対象が単なる地下の構造から、地下の構造と地震が起こるしくみとの関係にシフトしていきました。

 一方でどんどん地震が起こるので、地震が起こっては観測を行い、その震源を決めるだけで論文になりました。そんな仕事をしているうちに、あっという間に時間が経ってしまった印象です。そのほかにも、南海トラフ地震に関する大型の科学プロジェクトで人工地震探査の中心的役割も担わせていただきました。

 また、「今後30年以内に地震が発生する確率が99%」と言われる宮城県沖地震の観測を強化するため、文科省から受託研究をいただき、海底地殻変動観測の立ち上げにも関わらせていただきました。2011年の東北地方太平洋沖地震の直前は、まだ観測技術としてはよちよち歩きでしたが、ちょうどそのような状況だったのです。


東北地方太平洋沖地震の発生、「貞観津波の再来か」

― 日野さんたちが宮城県沖で海底地殻変動観測を立ち上げていたまさにその時、東北地方太平洋沖地震が発生しました。当時どのような状況だったのですか?

 まず、その2日前(2011年3月9日)に前震がありましたよね。あれが宮城県沖地震とどんな関係にあるか気になっていました。それまでも地震が起こると、すぐ新しい地震計を準備して震源域に設置する仕事をしていたので、その時も観測点の配置を考えていました。そして、11日に地震が起こった時、最初は「あぁ、想定されていた宮城県沖地震だな」と思いました。というのも、その前の宮城県沖地震(1978年)を私は体験しておらず、周囲から「ものすごい揺れだった」と聞いていたので、これかと思ったのですね。仙台に来てから体験した地震の中では間違いなく、ず抜けて大きな揺れでしたから。

 ただ、なかなか揺れが収まらなかったので、「これはマグニチュードが随分大きいな」と思いました。当時、貞観地震(869年)の津波堆積物を調査している研究者たちと共同調査を行っていたので、「すると、過去にあった巨大地震の再来かしら」と思ったのです。けれども、その時はまだ真相はわかっていなかったので、「貞観のような巨大地震があったとすれば甚大な津波被害が想定され、非常に心配だ」と、地震発生1時間後頃に思いました。

― 実は、私たちNPOの主催で「サイエンス・デイ」という一般向けの科学イベントを2007年から毎年開催しているのですが、東北大学の地震・津波研究者の皆さんが震災前も、地震や津波の発生メカニズムを解説してくれたり、貞観津波の堆積物の剥ぎ取り標本を展示してくれたりしていました。まさか自分が生きている間に千年に一度の巨大地震が来るとは、私も思っていなかったのですが、震災後にサイエンス・デイ来場者の保護者の方が「地震が発生した時、娘が『サイエンス・デイで見た巨大地震と本当に同じのが来た!』と言っていた」というメールを送ってくれました。貞観地震・津波のことを予め研究者の皆さんから聞いていたから、その子どもも「あの巨大地震・津波の再来だ」とつながったのだと思います。

 本当に、そのような意味では、せめて地震があと1年待ってくれたら、という気がします。あの貞観津波は研究者間では評判になっていたのですが、政府の地震調査の評価にはまだ十分に活かし切れておらず、ちょうど2011年に改定するところでした。巨大津波の痕跡が物証を伴って証明され、マグニチュード8.4以上の地震になると、正式に書かれるはずだったのです。せめてそれが間に合えば、少なくとも当時のような不意打ち感はなかったと思うのです。それで被害をどれだけ減らせたかはまた別問題ですが、本当に意地悪なタイミングで起こった地震でした。

― 日野さんご自身も被災された中で、地震発生後はどのような状況でしたか?

 3月9日の前震で、私たちは3月12日に塩釜港から船を出す予定でした。観測の準備もできていて、目の前で大きな地震が起きているのに、その観測に行けないのが、ものすごく苛立たしかったです。電話も満足にかけられない状態の中、何とか東京の観測仲間に連絡を取り、「東北大は手伝えないから、東大とJAMSTECでできることをやってください」と話をして、どんなところにどんな調査を行うか、意見交換をしました。

 一方で大学教員ですから、研究室にいる大学院生たちを被災者のまま置いておくわけにはいかないですし、かといって大学そのものも被災している中で、彼らを養うゆとりもないわけです。関東圏など比較的遠くに実家がある学生さんには帰省の算段を取り、他の先生方の中には、東京の研究仲間に学生さんを預かってもらって研究を継続する先生もいました。私の研究室の場合、現場の観測も必要でしたので、帰省しない学生さんには観測のお手伝いをしてもらいました。


千年に一度のデータを取り逃すわけにはいかない

― 日野さんも動けるようになったら、どんなことをやりたいと考えていましたか?

 震災前から宮城県沖で開始した海底地殻変動の観測は、海底に基準点を置いておき、船でその場所に行って測り、その基準点が動いていれば、水平方向の地殻変動がわかるものです。地震前のデータもあるので、取りに行けば、マグニチュード9の地震ですから大きく動いているはずで、非常に貴重なデータになるのは間違いありません。ですから、それを一刻も早く取りに行きたいと思っていました。

 また、宮城県沖地震観測のために、海底の上下方向の地殻変動を測るための海底水圧計も設置していました。海底で水圧が小さくなることは、海が浅くなったことに相当するので、逆に、海底が上昇しているわけですね。前震活動から本震に至るまでのすべてのプロセスを取っているので、そのデータも早く回収して解析したいと思っていました。

 地殻変動観測は、断層が動くことによって地面が動いていくところを見ています。震源に近いところはよりたくさん動き、遠くになると少ししか動かない性質がありますので、複数の観測点で動きの大きさの違いを見るで、どれくらいの範囲の断層が何 メートル滑ったか推定できます。

 当時、陸の離れたところにはGPSの観測網はたくさんあったので、そのデータを用いて、断層がどれくらい動いたかの研究もすぐ行われました。ところが、震源が離れているせいで、なかなかはっきりとしたことがわからなかったのです。そこに、震源すぐそばで測っている海底のデータを足せば、より綺麗なイメージが得られると思い、一刻も早く、地震の時にどれだけ動いたかを見たいと思ったわけです。

 さらに、もともと3月9日の地震の余震観測のつもりで準備していた地震計を、どこでどのタイミングで展開するかも考えていました。地震計も、複数の観測点で揺れが始まった時間を計測してあげると、そこから逆算して震源の位置がわかります。私たちは東北沖地震(東北地方太平洋沖地震)の震源のすぐそばで観測していたので、そのデータを使うことで、東北沖地震はどこから断層破壊が始まったか正確にわかります。一度だけではなく小さな地震がたくさん起こりますので、ひとつひとつの地震の震源を丁寧に決めることで、どのような断層がどの範囲で壊れたかの全体像を捕まえることができるわけです。

― それが実際に実現したのはいつですか?

 3月9日の地震の余震観測のつもりで3月12日に準備していた地震計の展開を、実際に実現できたのは、4月7日でした。

― 4月7日といえば、一番大きな余震があった日ですね。

 はい、大きな地震があった日です。ただ、私は体調を崩してしまい参加できなかったため、海底地殻変動の観測に出る木戸元之先生(東北大学)に私たちの地震計の設置もお願いしました。船は太平洋側の港がほとんど使えない状態でしたので、秋田港からの出港で準備していましたが、秋田もその日、停電になってしまったそうです。

― 震源に近いほど、目の前で地震が発生していても、研究者自身が被災してしまうので、仕方がないことではありますが、3月11日の地震発生からもう1ヶ月も経っていますね。

 はい。その頃になると、1ヶ月が過ぎてしまったので、宮城県沖を中心とした余震域の観測は既に始まっていました。本丸のところは東京の人たちがやってくれていたので、遅れて観測を始めた私たちは、別の場所での展開を考えました。

― どこに地震計を設置しようと考えたのですか?

 巨大地震発生後、誘発されてそのすぐ隣で巨大地震が起こる可能性があることは、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)の後、2005年・2007年にM8.6、M8.5の巨大地震があったという経験で私たちは知っています。となれば、次もし地震が起こるとすれば、青森沖だろうと考えました。青森沖では以前、三陸はるか沖地震(1994年)が発生し、本震発生前に地震活動があったことがわかっています。

 我々の地震計には無線でデータを送信できる能力はないため地震警報には役立ちませんが、地震活動を捉えることで地震の起こり方をしっかり知っておきたい。やられっぱなしは悔しいので、しっかりと教訓は得ておきたい。そんな強い思いがありました。

 そして青森沖で地震計設置後、宮城県沖に船を回し、そこで地殻変動の観測を行いました。私は船に乗りませんでしたが、船に乗った木戸先生の話では、漂流物が非常に多く、大変な中での観測だったそうです。

― その後、どのように研究を進めていったのですか?

 私たちが使う地震計の多くは、電池にもデータを貯めるハードディスクにも限りがあるため、3ヶ月程度しか設置しておけないタイプです。当時も約1年観測できる地震計はありましたが、東北沖地震は震源の大きさがあまりにも広いために、それだけでは数が足りず、とにかく数を優先したため、長期間記録できないタイプの地震計がほとんどでした。ですから、もうあっという間に新しい機材の入れ替えが必要な状況になりました。北大、東北大、東大、京大、JAMSTEC、気象庁と、オールジャパン体制で機材を集めて入れ替えながら、観測網を維持したのです。気象庁の気象観測船も基本的には東北沖の調査に使えるようにしてくださって。本当にずーっと観測をやっていましたね。

― 観測データはいつ頃集まり、そこからどのように解析を進めていったのですか?

 本震前から取っていたデータは5月から6月に集まり、地震計と海底水圧計のデータは私を中心に解析を進めました。ひとつは、特に本震が起こる直前までの震源分布をきちんと出すこと。もうひとつは、地殻変動観測のため海底に置いた装置のずれや水圧計のデータを見ると、地震時に海底で5 メートルも隆起していた場所があったりと、とんでもない情報がたくさん入っていました。それらのデータを用いて、陸域の観測データだけではわからなかった本震時の断層すべりの姿を解析すること。私は、このふたつの研究を行っていました。なお、本震後の余震観測として広領域への展開は、東大の先生方を中心に解析されました。

 今から考えると、観測がすごく忙しくて、忙しかった割には解析が全然進んでいなくて、すごく効率が悪かったなぁと、反省しているところです。次を読んで観測計画を立てることをずっとやっていたので。なんか、焦っていたんですよね。もうちょっと落ち着いてやればよかったのに、と思うのですけど。

― やはり、千年に一度の地震が目の前で起こっている中で、取り逃がさないように、焦るお気持ちだったのでしょうか?

 はい、やっぱり一番大きかったのは、それなんですよね。私たちが相手にしている、特に、巨大地震が起こった直後から「貞観の再来だ」と皆も言っていたわけですから。千年に一度しか起こらない出来事が目の前に起こっているわけで、解析は後でもいいから、とにかく取り逃すわけにはいかない、データを全部取りたいという、ものすごいモチベーションでした。

 最近になって、やっと、解析に気持ちを向けられるようになりました。ですから今もまだ、東北沖地震が起こった直前、あの年の3月の地震活動の研究は行っています。また、地震計のデータ解析技術は10年間で進歩していますから、新しい技術を使ってもう一度見直すとどうなるだろう、という興味もあります。

― 10年経って、やっとそのようなお気持ちになったのですね。

 そうですね。私個人としてはそんな感じです。まわりの人は「もう今さら」と思うかもしれないですけど。

― それだけ、地震の研究者にとっても、あの地震はすごい地震だったのだということを、改めて感じました。


「海溝付近では、大きな断層すべりはしない」通説覆す

― そのようにして東北地方太平洋沖地震を研究してわかったことは何ですか?

 私たちが行ってきた海底観測の中で非常に大事な結果を出し続けているのは、結果的にはやはり最初に苦労して地震直後に測った、地震時の地殻変動のデータでした。そのデータを使うことで、プレート境界型の断層が大きく動いている場所が、なんと日本海溝付近まで達していたことがわかりました。「海溝付近は大きな断層すべりはしない」と、東北沖地震まで地球科学者からずっと信じられていたので、多くの地球科学者の間違った思い込みを吹っ飛ばしてしまった、本当に革命的な地震だったのです。

― それまで「海溝付近では、大きな断層すべりはしない」と考えられていた理由は何ですか?

 そもそも地震とは、"動く前の断層"の"固着している部分"が"動かそうとする力"を支えきれなくなって動く現象です。ただし、断層はどこでも固着しているわけではなく、"動けるところ"と"動けないところ"があるので、(ひずみが蓄積する)"動けないところ"を見つけることができれば、それが将来の地震を起こす場所だろうと、基本的には考えられていました。それは全体像としては今でも間違ってはいません。しかし「ここが固着しているだろう」と思う場所に、大きな思い違いがあったのです。

 固着させるためには、まず強い力で押し付け合っている必要がありますよね。ただ、押し付ける力の根源は地殻の重さであって、海溝の近くは寝ている断層で軽いので、押している力は大してないと考えられていました。もうひとつは、地震を起こすためにはひずみを蓄積する必要があるのですが、海溝付近はものが柔らかいので、少し変形させればすぐに負けてすべってしまい、ひずみを蓄えることはできないだろうと考えられていたのです。そのため、海溝に近いところは大きな地震は起こさないだろう、と考えられていました。

― それなのに、なぜ海溝に近いところで、大きな地震が起こったのですか?

 私たちは「自発的に滑れるかどうか」ばかりを考えていました。しかし、それ自身に固着する能力はなくても、その周りに、もっとしっかりと固着しているところがあれば、そこを支えてしまうことができるわけです。その「支えてくれるところがある」ことを、私たちはあまり考えていませんでした。

 特に、もともと日本海溝に関しては、その広い面積を支えることができるほど、強く固着しているところがあるとは考えられていませんでした。マグニチュード7レベルの地震が起こる小さな固着域があちこちに散在していることはわかっており、たまに隣同士が壊れることがあるかもしれないけど、広い範囲をまとめて支える"ボスキャラ"のような存在は、あまり考えていなかったのです。


Figure 1 2011年東北地方太平洋沖地震に伴って観測された海底の地殻変動。変動の向きと大きさを矢印で示す。星印は同地震の震央。オレンジ色と赤色の線で、地震時の断層すべり量が20 mおよび50 m以上となった範囲を、それぞれ示す。

 もうひとつ大きかったことは、東北沖地震発生後の海底観測データをずっと見ていくと、地震が起こった瞬間、日本海溝の端から端までを破壊したわけではないことは、比較的早い段階でわかりました。ですから青森沖がすごく心配になったわけです。そこで本当に日本海溝どこでも巨大地震が起こり得るか、10年くらいかけてずっと調べているのですが、どうも宮城県沖だけのようなのです。まだこれは作業仮説で検証も難しいですが、きっとそうではないかと私たちは思っています。

 宮城県沖は"隠れた巨大アスペリティ(※1)"の代表格のような存在ですから、その性質をしっかり調べ、それをある種のテンプレートと考えて世界中で探してあげれば、将来、巨大地震が起こる可能性がある場所をあぶり出すヒントになると考えています。直近では、「北海道沖で巨大地震が起こるかもしれないと」と考えられているので、私たちは宮城県沖と北海道沖の共通点を調べているところです。

※1 アスペリティ:プレート境界や活断層などの断層面上で、通常は強く固着していて、ある時に急激にすべって地震波を出す領域のうち、周囲に比べて特にすべり量が大きい領域のこと。

― 「隠れた未知の巨大アスペリティ」が宮城県沖で見つかり、しかも日本海溝のうち宮城県沖にしか無いらしいというのは、宮城県民としては複雑な気持ちです...。

 このタイミングでここに住んでいたのは、もう運が悪かったとしか、言いようがないです。「大きく断層が動いた」ことに関しては、津波が大きかったので、きっとそうだろうと皆、最初から思っていたのですが、確証はあまりなかったのです。その後、同時多発的に色々な観測データが発表され、その中の重要なデータのひとつが、私たちの海底地殻変動のデータでした。その結果を使って「断層すべりモデル」を提案し、今も重要なリファレンスとして使っていただいています。


地震後の地殻変動が想定とは反対方向に

― その他にも、新たにわかったことはありますか?

 地震後に続いて地殻変動が進行することは、それまでの経験で知っていたので、地震後も観測も進めていました。特に地震発生直後はとても速く動いているので、データをたくさん取りたいと思い、失敗を重ねながらも、いくつかデータを取ることができました。

 プレート境界型地震ですから、断層が動くと、陸のプレートが海側に跳ね上がり、地震後は断層が止まらずそのままずっとゆっくりすべり続けるだろうと私たちは考えていました。ですから東北沖地震発生時、我々の観測した場所では、約31 メートルも動いたのですが、その後も海側に向かってそのまま同じ方向にずっと動き続けるだろうと思っていたのです。

 ところが、実際に海へ観測に行ってみると、その向きが反対だったのです。最初は「解析、間違っているじゃないか」と言っていたのですが、近くで観測していた海上保安庁のデータもやはり反対を向いていて、「何か変だ」と言っていました。複数の観測点で、我々の想定とは違う、反対の方面を向いている。これには何か意味があると、話をしていました。


Figure 2 2011年東北地方太平洋沖地震の発生時(左図、Figure 1)と後に海底で観測されている地殻変動(右図)。地震後変動は、その向きと速さを矢印で示す。

― 想定とは反対方向の地殻変動は、なぜ起こったのでしょうか?

 巨大地震によって地殻が動くせいで、マントルの中でゆっくりとした流れが始まることは、理論的には知られていました。ただ、それは例えば、氷河期にスカンジナビア半島等の氷河が溶けて今でもゆっくり隆起しているような、数百万年スケールの話を説明する時に、効くと考えていました。ですから、地震発生後わずか1、2年で、みるみる動いていることがわかるだろうか?と思い、その理論を研究しているカナダの研究者とその話をした時は、あまり気にしていませんでした。

 ところが共同研究者が、「いや、そのモデルで説明できる。計算したら、本当にそうなる」と言うので、そのモデルと我々の観測データを合わせ、今、起こっている反対向きの運動が断層運動ではなく、マントルがゆっくり動くことで生じている「粘弾性緩和」という現象で説明できることを提案しました。今後もモデルを精緻化する必要はあり、今でもその努力は続いていますが、これも結果的に間違っていなかったですし、大切なきっかけを与えることができたと思っています。

― なぜ巨大地震のせいで、マントルの中でゆっくりとした流れが始まるのですか?

 マントルは粘っこい液体ですから、水飴に例えて説明することができます。水飴の中に、棒を刺したことを想像してみてください。棒を普通に動かしても、水飴そのものは固いですから、あまり動かないですよね。小さな地震とは、そんなものです。水飴が柔らかいことを無視して、全体として「固体として」扱って大丈夫です。

 ところが、とても強い力でゆっくりと水飴を動かすと、動き始めますよね。あるいは速く動かしても動けるわけです。つまり抵抗は大きくても、それに打ち勝つだけの力が加わればよいだけです。それが巨大地震で、普段はびくともしない水飴が動くほどの非常に大きな力が加わったわけです。

 逆に、水飴が流れ始めると、今度は止まらずに、ずっと流れます。しばらく放っておけばまた止まりますが、その流れが今でもおそらく続いていると思います。もちろんマントルには、全体的として流れる性質を持っているので、定常のゆっくりとした流れはありますが、そこに東北沖地震が加速した別の流れが生じている、ということです。

― 想定外だったのは、想定よりも大きな力がマントルに加わった点ですか?

 いえ、実は、そのような影響が見える現場は、震源に近いところに限られているのですよ。マグネチュード9クラスの地震自体はこれまでもチリ地震やアラスカ地震等ありましたが、昔の地殻変動観測は陸域だけでしたから、遠くから見ていただけではわからなかったのです。今回初めてマグネチュード9クラスの地震を真上で捉えることができたので、そのような現象があることに気づいたということです。そのような意味では、宮城県沖地震に備えて地殻変動観測の準備をしていたご利益が、そこにあったのだと思います。

― そのような意味では、海で起こる地震は、陸からの観測だけではわからないから、近くの海から観測する必要があるという、日野さんの狙い通りですね。

 狙っていたものとは全然違いますけど(笑)、そうですね。あとは、それが今後どう進行していくかです。巨大地震発生後は、地震時に動いた断層が止まらずにゆっくりすべり続けることがあり、実は今でも断層がゆっくりすべっているところがあります。地殻変動を起こす大きな要因は複数あり、それらが競合し合いながら進行している大きな枠組みについては、最初の1、2年で大体わかりました。その後地震の影響が徐々に下がっていく、その下がり方が、地球の変動のしくみを私たちに教えてくれるので、地殻変動に軸足を置いてデータを一生懸命取る研究を進めています。

 一方で、地震直後に地震計を展開した青森県沖では、まだ大きな地震は起こっていません。他の地震計たちから離れたところに置いたので、今のところあまり役には立っていませんが、今でも私はすごく心配で、現在は特にその観測強化に強いモチベーションを持って取り組んでいます。

― ちなみに巨大地震の後も、動いた断層が止まらずにゆっくりすべり続けているところは、今後どうなるでしょうか?

 東北沖地震で、断層がすべったところの面積は非常に広く、宮城県の金華山から気仙沼、福島県の方はまだゆっくりとすべっているようです。宮城県沖のところはアスペリティで、"すべりたくない人"ですから、2011年の地震とほぼ同期に一緒につられて壊れ、そこでリセットがかかり、元の周期で言えば約40年動かないはず...、なのですが、「余効すべり」と言って、まわりでゆっくりとしたすべりが続き、それがアスペリティをひっぱるものですから、我慢できなくなって早く壊れてしまう可能性があります。シミュレーションの結果、次の宮城県沖地震は40年よりも早くなり約20年で起こるシナリオが多かったです。中には10年というシナリオもありました。次の宮城県沖地震が早まっている可能性がありますから、備える必要があります。

― 最短シナリオの10年の場合、ちょうど今ですね。きちんと備えたいと思います。


もし、東北地方太平洋沖地震が起こっていなかったら?

― 東北地方太平洋沖地震によって、それまでの通説が大きくふたつ覆されたほど、研究の進展があったことをお話いただきました。仮に、もし東北地方太平洋沖地震が起こっていなかったとしたら、今日の地震研究はどうなっていたと思いますか?

観測事実がなければ思い込みは覆せなかった
 結局、私たちの思い込みは、観測事実がなければ覆せなかったと思うのです。地球科学はまだわかっていないことが山程あり、存在するデータを説明するために新しい理論のアイディアが次々と生まれている段階で、理論物理のように理論を積み重ねてそれを実証するために実験・観測を行うレベルには達していないのですよね。しかも、それらは防災に直結するものではなく、知的好奇心の延長にあるものですから、そこに自発的に向かう研究のドライビングフォースもなかなか働かなかったのではないかとも思います。先程のマントルの粘弾性の理論を提唱したカナダの研究者も、頭の中にはアイディアがあって計算もしていましたが、それも論文で終わっていたかもしれないですよね。

海底観測の重要性が世界中に広まり技術開発が加速
 そのふたつの源になったのが海底地殻変動観測でしたので、海底観測の重要性が世界中にアピールされ、東北沖地震を契機に、海底地殻変動観測への投資と技術開発が圧倒的に進みました。そのような加速も起こらなかったかもしれません。そのような意味でも、あの地震は大きなインパクトだったと思います。

地震学者としての葛藤も
 自分自身は今でも宮城県沖地震の観測を続けていたと思います。ただ当時すでに、観測を2003年から開始して7年が経ち、そろそろくたびれかけていました。2005年の地震が実は宮城県沖地震で、すると今後40年起こらないのではないかとも思いかけていた頃で、それでは続かないと思っていた矢先でした。もし何も起こっていなければ、そんな葛藤もきっとあっただろうと思います。

― いろいろな側面で地球を相手にする難しさを改めて感じます。


新しい観測や解析の技術は、どんな可能性を秘めているか

― 東北地方太平洋沖地震を契機に、海底地殻変動観測の重要性が世界的に認知され、技術開発が加速したお話にもあったように、今後も技術の進展による新たな展開が期待されますね。新しい観測や解析の技術は、どのような可能性を秘めていると思いますか?

海底の光ファイバー網が地震計に
 まず地震観測について、最近、非常に注目されているのが、海底に設置された通信用の光ファイバーを地震計に利用しようという研究です。光ファイバーのケーブルがねじれたりむきを変えたりすると、光の進行に微小な散乱が生じますので、それを精密に測ることで、それが起こった場所を同時に、つまり連続的に調べることができます。特に海域では地震計の数を稼げないことが私たちにとってのデメリットですので、このような新手法が現在の地震計を補うことで、地震現象や地下構造の理解に大変有効と思いますし、場合によっては地殻変動の測定に使える可能性もあるので、非常に期待しています。

データサイエンスが地球の見方を変える
 これまで私たちが取り溜めてきたデータもそうですし、今後、観測データが圧倒的に増えていくと、人間だけで解析するには限界があります。今は、大量のデータを効率的に解析し、その中から未知の現象を見出す機械学習や深層学習等の技術が革新的に進んでいる時代で、様々な分野でデータサイエンスが広がっています。古いデータも、確かに量は少ないですが、今流の見方をすることで情報量や見方が変わるかもしれません。データサイエンスが、地球を見る私たちの見方を変えてくれると、私たち観測屋も大きく期待しています。

― もし、光ファイバー網を利用した地震計等の発展により十分必要な観測網が構築され、大量の観測データも満足に処理できるだけの解析技術が発達したとすると、どうなると思いますか?

天気予報のような地震予報
 一番簡単な例は、今の天気予報と同じことが、地震についてもできるようになるでしょう。3次元的にデータを取り、それをシミュレーションで回して未来を予測し、その未来予測とデータがもし違えば直して精度を高めていくことと同じことが地震でもできるようになる、ということです。例えば、「この場所の断層がずるずる動き始めています」とか「この場所が固着している状態が何年続いています」というように、たくさんすべっている場所とあまりすべっていない場所の気圧配置図のようなものが年々動く様子が見えるイメージですね。

― 天気も「予報」であって「予知」ではありませんが、そもそも地震予知は可能でしょうか?

地震予知ではなく中長期予報
 本当に地震予知ができるかと言うと、それは無理だと思うのです。現在の天気予報でも、例えば、台風の進路や降水量の予測等は随分できるようになりましたが、いつどこで台風が生まれるかは予知できません。それと同様に、地震が本当にここで起こると、ピンポイントに予知することは難しいです。ただ、ひずみが溜まっている場所で地震が起これば巨大地震になりますし、もしひずみが溜まっていないことを知っていたら、そこで地震が起こってもあまり大きな地震は起こらないはずですよね。そのような評価につながっていくのではと思います。ですから、予知ではなく地震予報、しかも中長期予報になりますが、現在の「今後何十年以内に地震が発生する確率」という大雑把な話に、観測事実と地震学の知見が組み合わさった予測ができるようになると思います。もちろん、現段階でもそういうことをやりたいと私たちは思っているのですが、今はまだデータが非常に少ないのが現状です。

― 現在の地震発生確率の長期予測は、古文書など、これまでの文献を基にしていますね。先日、仙台市科学館からの依頼で、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの展示解説を作成した時、地震現象に対する一般からの誤解をクイズ形式でときほぐすコンセプトで企画し、この古文書ベースで地震の長期予測を行っていることもクイズに入れました。実を言いますと、日野さんが仰っている「観測事実と地震学の知見が組み合わさった予測」は、もう実用化されているだろうと勝手にイメージしていたので、少し意外に思ったのです。「それくらい科学は進んでいるもの」という無意識の期待があったのかもしれません。

予測は科学者のミッションであり夢
 そうですね。天気予報がなくとも、毎年梅雨が来ることを私たちは経験的に知っているのと同様に、昔起こった地震の規模といつ起こったかの間隔で、なんとなく規則性があることは知っていて、その理由を科学が説明できるようになった、ということです。現在の地震の長期予測はまだそれくらいの段階なので、もう一歩進めたいと思っています。まず一科学者として、自分が持っているセオリーで、自然科学がこれから起こることを予測できることは、夢ですよね。それで人が亡くなるのは困りますし、地震予知の可能性に対しては色々な意見があると思いますが、私たちの科学を突き詰めていくドライビングフォースは予測できるようにすることだと思います。


自然が好きな人が増えることが、日本を豊かにする

― 研究者が知的好奇心をドライビングフォースに研究をしていることは他の学術分野と変わりはないですが、一方で地震学が他の分野と比べて特殊だといつも感じるのは、地震には防災の観点もあるので、一般社会からは、地震予知を含めた強い期待がありますよね。研究者のモチベーションと一般社会からの期待に、ある種のギャップを感じるのですが、日野さんはそのことについてどのようにお考えですか?中には一般の方にとってイメージが湧かないために興味を持ってもらうことすら難しい研究分野もある中、それくらい地震は特に日本人にとって身近な存在なことの裏返しであるとは思うのですが、例えば、同じ自然科学でも天文学とはまた違うと感じます。

 夢のベクトルが揃っている時は、科学者も一般の方もとてもハッピーですよね。ですから、はやぶさ2が帰ってきて、それで太陽系の起源がわかります、「わかったから何になるの?」とは誰も言わないじゃないですか、皆わくわくするわけですよね。科学者も同様にワクワクしていて、そのワクワクしている人たちに「こんなことがわかった」と言ってあげることができるのですから、それはすごくハッピーな関係だと思うのです。

 一方で私たちの場合は、「地震のことがこれだけわかりました」が一般の人たちにとってのゴールにはならず、「それで、私たちの社会はどうなるの?」に答える必要があるわけで、そこがなかなか合わないわけですよね。ですから、そこは自然科学者だけで立ち向かう問題ではなく、人の心や社会のあり方を研究する人たちと連携して進めていくべきと思います。とはいえども、ワクワクして地震を研究する人が一定数いない限り、科学は進歩しません。地球のしくみが知りたい、なぜ地震が起こるか知りたい、そんな人が増えてほしいと願っています。

 皆、本当はワクワクする心を持っていると思いますが、生活の中でその優先順位が下がるのだと思います。同じ地震という対象に興味を持っていても、私たち研究者の優先順位と、一般の方たちの優先順位が異なることが、議論がうまくかみ合わない原因かもしれません。ただ、地震や津波がなぜ起こるかを肌で理解していれば、別に脅さなくとも、地震や津波にどう備えるかは自然に考えてくれますよね。ですから、「これが来るから、こうしなさい」というマニュアル的な防災・減災ではなく、皆が「こうなることが当たり前」だと理解し、自発的に動けるようになるのが理想だと思います。それが本当に理想だとすれば、自然科学がお手伝いできることはいっぱいあると思います。

― 最後に、若い世代へのメッセージをお願いします。

 やっぱり、自然を好きになってほしいです。まず自然に対して興味を持ち、目の前で起こっている自然現象が、なぜそうなっているのだろう?と、しくみに目をむけてほしいです。それが、すべての知的好奇心の源泉だと思うのです。その対象は、何でもよいと思いますし、地震学者が増えればよいとか、私はそういうことは思っていませんが、自然が好き、地球が好き、なんか気になるという人が増えることが、結果的に、この日本を豊かにしてくれると思うのです。そのような素養を持つ若い人たちが増えてほしいですし、そんな若い人たちを応援できるような社会をつくりたいと思います。


― 日野さん、ありがとうございました。


前田拓人さん(弘前大学)に聞く:<東日本大震災から10年>もし東北地方太平洋沖地震が起きていなければ、地震研究はどうなっていた?

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前田拓人さん(弘前大学)に聞く:<東日本大震災から10年>もし東北地方太平洋沖地震が起きていなければ、地震研究はどうなっていた? 取材・写真・文/大草芳江、資料提供/前田拓人(弘前大学大学院理工学研究科 教授)

2021年10月08日公開

新たな観測網が構築されていなければ、
新たな解析方法も生まれていなかった

前田 拓人 Takuto Maeda
(弘前大学 大学院理工学研究科 教授)

1977年、東京都生まれ。1997年 東北大学理学部物理系入学。2006年 同大学大学院理学研究科博士課程修了。2003年 学術振興会特別研究員(DC1)、2006年 独立行政法人防災科学技術研究所 契約研究員(研究員型)、2009年 東京大学大学院情報学環 特任研究員、2011年 東京大学大学院情報学環 特任助教、2012年 東京大学地震研究所 助教、2018年 弘前大学大学院理工学研究科 准教授を経て、2021年8月 弘前大学大学院理工学研究科 教授、現在に至る。

 東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震から10年。あの巨大地震が地震研究にもたらしたインパクトとは何だったのか。地震学の今と未来を、第一線の研究者に聞く。第二弾は、地震や津波などに伴って発生する波(揺れ)について研究している前田拓人さん(弘前大学 大学院理工学研究科 教授)。前田さんは地震波と津波のモニタリングとシミュレーションの融合研究が評価され、2013年に「日本地震学会若手学術奨励賞」、2014年に「科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞」を受賞した。もし、東北地方太平洋沖地震が発生していなければ今、地震研究はどうなっていたのか。前田さんに聞いた。

※ 本インタビューをもとに、公益社団法人日本地震学会2021年度秋季大会一般公開セミナー「東北地方太平洋沖地震10年と地震研究」(2021年10月17日開催)のモデレーターを大草が務めさせていただきます。


「波」の現象の複雑さに魅せられて

― 前田さんはどんなことに興味があって地震の研究をしているのですか?

 私は、地震学の中でも色々な分野を渡り歩いてきたのですが、もともとの興味は「波そのもの」なんです。

― そもそもなぜ「波」がおもしろいと思ったのですか?

 地震学を選んだきっかけでもありますが、最初に波がおもしろいと思ったのは、学生実験の経験でした。実は、当時の担当は(今回の日本地震学会の一般向けセミナーで一緒に登壇する)日野亮太さん(現東北大学教授)でした(笑)。ハンマーで地面を叩き、それを少し離れたところの地震計で測ると、地面の下を通ってきた波から、地面の下がどうなっているかを推定する実験をしました。波を使うことで、地面を掘らずとも、まるで地面の中を見てきたかのように語れることが、何ともおもしろいと思いました。

― それまでも地震現象には興味があったのですか?

 実は、最初は宇宙に興味があって大学に入ったので、地震には全然興味がなかったのです(笑)。地面の上は透明だから見えますが、地面の下は望遠鏡をむけても見えないですよね。見えないからと言って深く掘ろうとしても技術的にもできないし、たとえ掘れたとしてもお金もかかるし一箇所だけしか掘れないくらい、非常に難しい。それが地震の波を使うことで、まるで見てきたかのように語れることに魅力を感じたのが、最初のきっかけです。

 じゃあ、自分も地球の中を見てやろうと思って、地震の研究室に入って勉強してみると、思っていたよりも波の現象そのものが非常に複雑で、思ったようには見えない中、実は、研究者が悪戦苦闘しているのを目の当たりにしました。そして、地球の中の構造を調べることそのものより、その複雑さに魅せられていきました。直接的に得られないものを知恵と工夫でどうにかするところに、奥ゆかしさと言いますか、大きな魅力を感じたのです。

― そこで「複雑そうだからやめた」ではなく、大きな魅力を感じて調べようと思うのが、やっぱり研究者ですね。

 その辺は、ご縁なのかな(笑)。何でも難しいものがおもしろくて勉強するかと言うと、そうではなく、研究でも「この分野は難しそうだからやめておこう」というのもある一方、「これはすごくおもしろいから正面から取り組みたい」というのがあります。僕にとっては、それが波の現象でした。なぜそうなのかと聞かれると、正直よくわからないところですが...(笑)。もちろん、ご指導いただいた佐藤春夫先生の影響がとても大きいと思います。

― 前田さんが魅了された「複雑な波の現象」とは、どのようなものですか?

 地震とは、断層がどこかでぱきっと割れることで、その揺れが広がっていきますね。この地震波の揺れは、震源から周りに広がっていくのは教科書的な知識ですが、実際には、一様ではなく非常に複雑な形で広がっていきます。

Figure 1 2018年北海道胆振東部地震(M6.6)の揺れの再現シミュレーション。黄色の部分が揺れている場所を、その高さが揺れの強さを表す。揺れは北海道胆振地方の震央から同心円状に日本列島各地に少しずつその振幅を減じながら広がるが、ひとたび揺れが到達した後の振る舞いは場所によって大きく異なり、複雑な様相を呈している。

 なぜ複雑かと言うと、地球の中が複雑だからです。逆に言えば、複雑なものが見えているということは、地球の内部がどうなっているか、地震がどんなものだったか、そのヒントを持っているはずですよね。でも、「じゃあ、これで地震のことを調べよう」という素直な話に僕はならなくて。

― では、どんなことに興味を持ったのですか?

 地球の中の複雑なところで波が伝わるとは、どういうことだろうか?また、御存知の通り、日本中に地震観測網があり、東日本大震災を契機として津波観測網も構築される中、地震や津波の大量の記録があります。地表付近にしか観測網が無いという条件のもと、複雑なもの相手に、どれだけ地球内部や地震に迫れるだろうか?言い換えれば、もう少しうまいやり方はないだろうか?どんなデータ解析をすれば、より地球のことをよく調べることができるだろうか?ということに興味を持っていました。


観測密度の劇的な向上が、新たな解析手法を生む

― そのような興味に対して、どのようなアプローチで研究を進めていったのですか?

 学生の頃は理論的なアプローチで、地球内部での揺れの伝わり方の特徴と地球内部構造の関係を、方程式で記述する研究をしていました。その後、ご縁あってポスドク(任期付き研究者)として防災科学技術研究所データセンターに雇用いただきました。それまでは理論の世界で数字だけを相手にしてきましたが、現実のデータに圧倒され、この大量のデータを何とかうまく乗りこなせないだろうか。最近の言葉で言えば、データサイエンスに少し舵を切ることになりました。

― 現実の大量のデータとは、どのようなものですか?

 震災を契機として、日本の観測研究体制は強化されています。阪神淡路大震災の前までは、いわゆる東海地震予知計画の一環で、関東東海地域にだけ国研の地震計が設定されていました。それが、1995年の阪神淡路大震災を契機に観測体制が大きく変わり、全国に地震計が網羅されるようになりました。さらに2011年の東日本大震災を契機に、津波観測のため、海底観測網も強化されるようになりました。


Figure 2 震災を契機とする観測研究体制の変化

― 震災を契機に、こんなに観測点が増えたのですね。

 これくらい観測点が密になると、揺れを解析する方法も変わってきます。ひとつの観測点で揺れを測ると、時間とともに、その点が上下あるいは東西南北に揺れた、というデータを得られます。これが地震波です。今までの地震学は、そのひとつひとつのデータをバラバラに解析し、その結果として地球内部構造や震源等を調べていました。
 ところが、観測点がこれだけ密になれば、並べるとつながっていることがわかりますよね。線上に同じ形がどこでも動いている、言い換えると、近い点は同じように振動しています。すると、空間的にどのように連続的につながっているかまでわかるわけです。
 つまり、もともと時間に対しては昔から、細かく等間隔に、今この瞬間、次の瞬間がどう揺れていたかがよく知られていましたが、観測点が高密度になったことで、空間方向の陸上のあらゆる点で観測するのと同じような状況が生まれつつあるわけです。

― 従来は個々の離散的な観測点の時間的な変化だけを見ていたのが、観測点が高密化したことを利用することで、空間的に連続した「場」として扱えられるようになったのですね。空間的に連続した場として捉えられるようになったことで、具体的にはどのようなことが新しくわかるようになるのでしょうか?

Figure 3 空間波動場の連続性を生かした空間勾配の活用

 防災科学技術研究所の地震観測網(Hi-net)から得た地震計のデータをうまく解析すると、空間的に連続な揺れのデータを綺麗に取り出すことができます。この動画(Figure 3)は観測データの解析結果であって、コンピュータ・シミュレーション(疑似試験)ではないですよ。真ん中にある震源から波がどう伝わっているか、よくわかりますよね。綺麗に伝わっているところもあれば、そうでないところもあったり、大きな揺れが通り過ぎると、モヤモヤしていたり。このモヤモヤは、まっすぐ波が伝わった後にエコーとして残っているものが見えています。
 しかも、絵としてわかりやすいだけでなく、例えば十秒後にどうなっているか、目で見て予想できますよね。目で見て予想できるということは、物理と数学の言葉を使っても、どこでどう波が動いているかの予想ができる、ということです。天気予報に例えれば、風速分布のように、「波がこちらに向かっています」という空間分布を出せるようになります。
 このように、大量にデータがある前提のもと、地震波を、ひとつひとつの点だけでなく、グループとして波がどう伝わり、その中で、どのような複雑な振る舞いをするかという情報を抽出できることに興味を持ち、基礎的な解析を行ってきました。方法をつくる研究ですから、「この地震のこれがわかりました」「地球のここがわかりました」といった華々しさからは一歩引いた、そのための屋台骨をつくるような研究です。

― この解析結果を見ていると、今ここにこんな揺れがあれば、次ここに津波が来るというのもわかりそうです。観測密度の向上は、単にデータの量が増えるだけでなく、研究アプローチに質的な変化ももたらすのですね。

 非常に高密度な観測網データが公開されたのが、私が大学院生だった2000年頃でした。データが蓄積され活用されるような時代に、ちょうど若手研究者でしたので、データ高密化の恩恵を直接、最初に受けた世代だと思います。このように観測網の大きな変化が、「そこから何を得られるだろう?」と考える大きなきっかけになっています。海域に非常に高密度な津波観測網(S-net)ができれば、「じゃあ、それで何ができるだろう?」というのが研究の非常に大きなモチベーションになっているわけです。


スパコン「京」で観測と比較できるリアルな数値シミュレーション

 環境変化によって、何ができるだろう?と思うことの、もうひとつは、コンピュータです。防災科学技術研究所で約3年過ごした後、ご縁あって東京大学に移り、今度はデータサイエンスではなく、専らコンピュータシミュレーションの仕事に従事しました。当時はちょうど、スーパーコンピューター「京」で非常に大きなシミュレーションができるようになった頃で、高密度な観測記録から複雑な波の様子が明らかになった解析結果と直接比較できるくらい、リアルなコンピュータシミュレーションができるようになっていました。

Figure 4 計算機+手法の発展

 これは、地球の裏側で地震が起きた時、日本列島でどのように地震の揺れが振る舞うかを、シミュレーションしたものです(Figure 4)。真下から波が来ただけなのに、東から西へ波が伝わっていますよね。これは震源が東にあったわけではなく、日本列島の構造によって、地震波がこのような応答をするのです。

― てっきり震源が東にあるような動きに見えたのですが、もともと波がそう伝わる構造になっているのですね。

 はい、これは日本海溝から反射して跳ね返ってきているものです。実は、観測データの方からそういうものがあるらしいと見つけたのですが、当時は陸上にしか観測点がなかったので、どうも海から来ているらしいけど、よくわからなかったのです。その観測された現象が起きた原因を探るために、コンピュータの中に少しずつ異なる地球を用意して色々条件を変えて試してみる「計算機実験」ができるようになってきました。化学実験で物質を少しずつ変えてどんな反応が起こるかを調べるのと同じようなことをです。ただ、「できるようになった」とはいえ、京コンピュータを使うこと自体が当時は結構大変でした。

 ちょうどその頃、東日本大震災が発生しました。地震とは断層が動く現象で、地震の揺れが伝わる一方で、それによって海底が盛り上がると津波が発生します。それまでの解析では、地震と津波を別々に扱っていました。地震の揺れと津波の伝わり方の速さは約10倍違うので、最初に地震の揺れが来てしばらくしてから津波が来るのを、別々に遠くから見ていれば、よかったのです。ところが、海の震源の真上に観測点を置くようになれば、地震と津波が一緒に来てしまいます。そんな複雑な記録をどう理解すればよいのか、実は当時よくわかっていませんでした。そこでまずは、地震発生から津波到達までをシームレスにコンピュータの中で再現できるようになろうと、その方法を数学でつくり京コンピュータで実装する研究を行っていたところでした(Figure 5)。

Figure 5 地震・津波の統合シミュレーション

 一方で、CPU(演算装置)を約2,500個も搭載する当時世界最速のコンピュータによるシミュレーションは、2010年代はまだ高嶺の花で、限られた人のノウハウの塊でしたから、それを誰でも使えるようにする活動にしばらく従事していました。今でもその普及啓蒙活動に熱心に取り組んでいます。


両者の結実としての「即時予測」問題

 たくさんの観測と、よいシミュレーションがあった時、それが何の役に立つのか。特に、東日本大震災直後、海域に非常に高密度な津波観測網(S-net)をつくるらしいと聞いた時、それがあれば、津波の発生をすぐ予測する「即時予測」ができるのではないかと考えました。

― 現在も地震発生時に発令される津波警報と、「即時予測」は何が異なるのですか?

 津波は地震波より伝わり方が少し遅いので、大きな地震が来たから、近くで大きな津波が来ることが予測される、というのが今の津波警報です。一方で地震は、一言で言えば、断層が動く現象ですが、その動きは非常に複雑です。その断層のどこがどれくらい動いたかが、津波にとっては重要です。

 例えば、東北沖地震の震源がどこでどれだけずれ動いたかの空間分布(Satake et al. 2013)を見ると、断層は一枚岩ではなく、非常に大きくずれ動いたところもあれば、お付き合い程度のところもあることがわかります。東北沖地震で非常に大きく動いていたのは、海の一番深いところである日本海溝の、太平洋プレートが西に向かって沈み込もうとしている入口のところでした。この断層は西に行くほど、(プレートに沿って沈み込んでいるので)深いのですが、深いところでいくら大きな断層滑りがあっても津波はほとんど起きません。影響が大きいのは浅い方です。この浅いところで大きな断層運動が起きてしまったことが、後になってわかってきました。

 そこで多くの研究者は、もし地震発生の直後に、どんな断層運動が起こったかわかれば、どんな津波が来るかは、あとは方程式の問題なので、コンピュータで計算して予測できるのではないかと考えました。けれども、これが結構難しかったのです。今でも近いアプローチをしている研究者は多く、例えば、気象庁で実装しようとしている次世代型の津波予測は、海底での地殻変動をできるだけ早く求めることを目指しています。

 ただ実際には、東日本大震災の断層運動についても論争になり、先程お示しした研究者のおおまかな共通見解が生まれるまでには約2年を要したように見えます。もちろんそれで完全な決着というわけでもなく、10年経った現在でもまだ議論になっている部分すらあります。いろいろな研究者が解析し、人によって違う結果が出て、学会などで論戦し、お互いに問題点を認識して、共通見解が生まれていくプロセスは科学にとっては非常に大事ですが、即時予測にはあまり役立ちそうにないですよね。今起きた地震で30分後に来る津波を今知りたいわけで、2年先の研究者の合意を待つわけにはいかないのです。そこで本当に断層の動きを知る必要があるか?というと、必ずしもそうではないことに気がついたのです。

 例えば、天気予報で台風予報が毎年あります。「今、千葉県の南東沖100km付近に台風がいます。明後日、台風上陸の恐れがあります」と言いますが、台風の進路予測に「台風の生まれた場所」が必要かというと、必ずしもそうではなく、今ここにいることがわかれば、明日どこにいるかを予測できます。それと同様に、先程の地震波の解析で、今ここに地震波がいてこんな形をしていることが詳細にわかれば、「今ここにこんな揺れがあれば、次ここに津波が来るとわかりそう」と大草さんが先程仰ってくれた、まさに、その通りなのです。ここに震源があったことを別に知らなくてもよいわけですね。今ここにどんな形で波があるのか、津波の形がはっかりわかってしまえば、そこから予測できるのではないかと考えついたのです。

 このように観測と数値シミュレーションを融合する考え方は、気象分野では進んでおり、「データ同化」と言うそうです。コンピュータシミュレーション単独なら空想上の存在ですが、そこに観測されたデータを少しずつ差し込んでいき、観測データを再現するシミュレーションに近づけていき(同化させ)、そこから手を離してシミュレーションだけ走らせると、データがまだ来ていない未来まで予測できるのが、データ同化の基本的な考え方です。

― 「データ同化」を初めて津波解析に導入した結果は如何でしたか?

 本当にそんなことがうまくいくだろうか?とコンピュータを使って実験してみました。例えば、チリ沖で大きな地震が起こり、その津波が日本列島まで到達する状況を考えます。これは神の視点で、現実世界のデータだと思ってください。実際には、どんな現象が起きているかは、我々は観測点でしかわかり得ません。非常に密な津波観測網(S-net)のデータを用いて、どこで地震が発生したかなんて言わずに、今津波がどこにいるかを再現しました。その結果、観測記録だけで、「今津波がここにいます」ということをほぼ完全に再現でき、うまくいきそうなことがわかりました。ここまでくれば、この状態を最初の初期条件にしてコンピュータシミュレーションの中で走らせることで、この先の予測ができます。このような「現況波動場」の推定が、津波予測のひとつの方法になるのではないかと考えています。

Figure 6 津波把握の数値実験

 これが、東北沖地震に非常に大きな影響を受けて行った、僕の仕事の代表的なものです。基本的なアイディアを提示して方法をつくることが私の主な興味ですので、それをより深めて実用化したいという優秀な若手と一緒に応用研究を進めています。

 また、先程来、地震と津波の話をしていますが、波の伝わりという現象自体は地震も津波も同じです。ですから私の興味としては、地震でできるなら津波でもできる、津波でできるなら地震でもできる、ということで、この方法を地震にも適用する研究を東京大学の古村孝志先生と共同で進めています。

 津波と比べて地震の方が膨大な計算が必要ですが、東北沖地震によって生まれた長周期地震動(周期2?10秒程度の揺れ。大地震でつくられ、高層建築に大きな影響をもたらす)の揺れの形を、シミュレーションの中で再現することができました。再現後に予測シミュレーションに切り替わっていますが、気づかないくらいシームレスにつながっていますよね。ということは、空間的な連続した揺れのデータ(地震の波動場)から予測につなげることができる、ということです。

 ただし、これは「特に長周期の揺れであれば、できる」という限定的な言い方になります。比較的ゆっくりした周期の成分であれば、現在のコンピュータでも十分計算できますが、揺れの周期が2分の1になると計算量が16倍、4分の1になると16の16倍と、あっという間に計算量が爆発してしまうので、速い周期の地震は、実はすごく難しいのです。

 それでも、現実的な波の伝わり方の物理を正面から扱って予測することがどうやらできそうだ、と言えます。一方、高周波の揺れの大きさ(振幅)だけで言えば、実はデータ同化の考え方は既に実装されており、「PLUM法(Propagation of Local Undamped Motion)」による予測が緊急地震速報に実用化されています。PLUM法は揺れの大きさだけを見て、それがどう伝わるかを簡便な方程式で解くことで可能にしているものですが、今我々が考えている方法はそれよりもう少し複雑で精密なことも、どうやらできそうだ、ということです。現在は南海トラフ巨大地震の長周期地震動についても調べているところです。

 私のお話をまとめますと、「波の伝わり方の物理」が興味の根源にあり、コンピュータをうまく活用すると、どんなことができるか。そして、それを組み合わせたら、どんなことがわかるだろうか。そんな時、東日本大震災が発生し、「どんなことができるのか」の大きなひとつに即時予測問題がある、というのが私の今の研究です。


もし東北地方太平洋沖地震が起こっていなかったら

― 「波」という現象を中軸に、観測データの高密度化と、計算機と数値シミュレーションの発展という環境変化を活かした結果が、データ同化による即時予測として結実したわけですね。特に、東北地方太平洋沖地震の発生を受けて海域での観測網が整備されたことを契機に、津波の即時予測という問題に取り組むことになったというお話でした。もし東北地方太平洋沖地震が発生していなければ、今、地震研究はどうなっていたか?という問いに敢えて答えるとすると、如何でしょうか?

即時予測問題に取り組んでいなかった
 ifですから、もしなければ今どうなっているかはわかりませんが、まず一番小さな影響としては、波についての基礎研究は行っていても、データ同化による即時予測問題には、おそらく取り組んでいなかっただろうと思います。

津波研究にも取り組んでいなかった
 もうひとつ、私の研究のモチベーションは、何か新しい、例えばデータや計算がある時に、それで何ができるのだろうか?という考え方をしますので、もし東北地方太平洋沖地震がなければ海域の観測網S-netもなく、津波研究自体もやっていなかったのではと思います。実は東北地方太平洋沖地震の少し前から、地震だけでなく津波も統一的に扱うシミュレーションには取り組み、その途中で地震が起きたために、それをこの地震に当てはめましたが、もし地震がなければ、理論的な研究にとどまり、また地震だけに戻っていたかもしれません。

地震学者を辞めていたかもしれない
 さらに個人的なことまで踏み込むと、地震学者を辞めていたかもしれないですね。当時は、1年単位で雇用される任期付き研究者でしたので、雇用が不安定でした。いわゆるポスドク問題です。実は、もう諦めるのか・続けるのか、考え始めたタイミングでの東北地方太平洋沖地震でしたので、そんなことを言っている場合ではなくなり、がむしゃらに研究するうちに、幸い、翌年からテニュア(終身雇用資格)教員に採用されて現在に至ります。ではもし研究を辞めると決断していたら、今頃、自分は何をやっていたか?は正直わかりません。

― 地震が発生することによって研究は進展しますが、いつ地震が起こるかわかりませんから、色々な側面で悩ましいですね。

地震が来る前に、その地震を解き明かしたい
 そうなんですよね、これは非常にジレンマというか、悩ましくて。地震が来ると、研究が進むのですよね。けれども本当は地震が来る前にその地震を解き明かしたいのです。例えば、私も少し関与している即時予測も、本当は、次に起きる地震の時には、使えるようにしたい。けれども、地震が起きない間は、頭を使ってどうにかするしかない。その辺りが、ジレンマでもあり、工夫し甲斐のあるところだと思います。

 地震そのものを調べる場合はそれもなかなか難しい面もありますが、即時予測に関しては、その間をコンピュータシミュレーションが埋めてくれると考えています。同様のモチベーションで即時予測に取り組む人は、東北地方太平洋沖地震後、世界中にいて、様々な方法が百花繚乱の状況で開発されていますので、次の地震が来る前に比較整理し、よりよい方法をつくっていきたいと思います。


新しい環境がもたらす次世代の新たなアイディアに期待

― 観測密度の劇的な向上があったから新たな解析方法を考え、さらに計算機の発展と数値シミュレーションの発展があったから、両者の結実として即時予測問題に取り組めた、という前田さんのお話は、まさに新しい観測や解析の技術が研究を進展させた具体例だと思います。これからの新しい観測や解析の技術の可能性についてはどのようなことを期待されていますか?

 阪神淡路大震災を契機に、日本列島に細かな地震観測網が整備されたもともとの目的は、実は、小さな地震をもれなく取り、日本列島の地震活動の状況を詳しく把握することでした。その目的はもちろん重要で達成しましたが、実際には、当初の目的以外のところで、記録を利用することにより、地震学が非常に進歩した側面があります。

 中でも一番の成果は、「スロー地震」の発見でしょう。通常の地震は、ひずみが限界に達すると、断層面で急激なずれが起き、地震動や津波が生じます。一方、スロー地震も普通の地震と同様にひずみが限界に達した時に生じますが、プレート境界の断層がゆっくりすべるので、それ自体は私たちが気づくような揺れを発生させません。先程は地震計の話だけをしましたが、GPS等で地殻変動も精密に測れるようになったことで、そのようなスロー地震があちこちで起きていることがわかりました。ゆっくりすべりの状況のモニタリングは、プレート運動によって生じたひずみエネルギーの蓄積・解放のしくみや巨大地震発生との関連性の解明などのために重要です。そのモニタリングもできるようになったのは、当初の目的を超えた成果でした。

 このように、新しい環境が提示されたことで、研究者が色々なことを考え、それまで想像しなかったものが新たに生まれることこそ、新たな環境を準備した本当のご利益ではないかと思うのです。もちろん、津波予測のために整備した観測網で津波予測は必ずやるべきで、その進展が期待されますが、一科学者としては、他にはない豊かなデータが生まれたことで、それまで考えもしなかったようなものが、次の10年、20年でまた新しく現れてくることをむしろ期待したいのです。

 それを私ができればとてもハッピーですが、それをつくるのは、次世代の人たちの新しいアイディアだと思います。色々な人たちの自由なアイディアで研究が進展することを願っていますし、それが地球の中、地震現象そのものを理解することにつながり、ゆくゆくは防災の形になっていくと期待しています。


基礎研究が社会貢献につながる魅力的な分野

― 最後に、話は少し変わりますが、科学と社会の接点という観点から、質問したいことがあります。前田さんが仰っていた「地球や地震現象そのものの理解が、ゆくゆくは防災につながる」という研究者側の視点と、一般社会が「防災」の観点から地震学に対して寄せる期待に、ある種のギャップを感じる時があります。地震学が他の分野と比べて特殊だと私が感じる点は、研究者が知的好奇心をドライビングフォースに研究をしていることは他の学術分野と変わりなくとも、一方で地震には防災の社会的ニーズがある分、一般社会からのリンクのかかり方と、研究者のモチベーションの間にギャップがあると感じます。中には一般の方にとってイメージが湧かないために興味を持ってもらうことすら難しい研究分野もある中で、それくらい地震は特に日本人にとって身近な存在なことの裏返しであるとは思うのですが、例えば、同じ自然科学でも天文学とはまた違うと感じます。

 仰るように、社会から「防災はどうなのか」と聞かれた時に、「地球の中はね...」という話をすると、キョトンとされることは確かに多いのです。答えは今も模索中というのが正直なところですが、ふたつ、少し相反するような答えがあります。

 ひとつは、基礎的な研究をしていても、ふとしたところで、防災・減災に役に立つ出口が出てくることがあります。そのひとつが、即時予測です。今でも僕のモチベーションは、防災そのものより、基礎的な波動現象等、理学的な興味で研究しています。理学的興味で研究しているにも関わらず、研究の結果が防災にも役立つことがあることは大事にしていきたいですし、非常に稀有なものであると思います。

 一方、何でもかんでも防災に直接結びつけるべきかと言えば、僕は必ずしもそうではないと思うのです。今ある知識を防災に応用することは確かに大事なことですが、それができるは、今ある知識だけです。しかし、地震や地球の中は、まだまだわからないことだらけです。その探求をやめて応用だけにシフトすれば、むこう10年はよいでしょうが、その後はもう多分ないでしょう。ですから、その背後にある地球や地震のことをよく知ることが大事だということを、一般向けの講演でも僕は必ず話すようにしています。すると、「意外だった」というリアクションをもらえるのですよね。「地震学は、防災や予知のために研究をしていると思っていたけど、地球の中のこともわかるんですね」って。

― 正直、そこまでギャップがあるとは思っていなかったので驚きました。地震学そのものに対する誤解があるわけですね。

 はい。地震学が何に対してアプローチしているかということと、社会からの認識・期待が乖離しているのが現状ですが、それは少しずつ説明をして理解を求めていくしかないと僕は思います。社会の期待に沿うものだけをやることが長期的によいとは必ずしも考えていませんが、一方で、応用を考えないような基礎的な科学だけが崇高で偉いものかと言うと、必ずしもそうではないと思います。役にも立つけど、科学としてもすごくおもしろいものが意外と転がっていて、特に津波は基礎的な科学と社会への出口が割と近い分野だと思います。そのような意味では、難しいところも多いですが、知的探求が社会貢献にもつながる魅力的な分野だと思います。


― 相互理解が進めば、科学者のモチベーションと社会からの期待が直結する、魅力的なルートがあることを教えていただきました。前田さん、本日はありがとうございました。

青井真さん(防災科学技術研究所)に聞く:<東日本大震災から10年>東北地方太平洋沖地震が起きて、地震研究はどう変わった?

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青井真さん(防災科学技術研究所)に聞く:<東日本大震災から10年>東北地方太平洋沖地震が起きて、地震研究はどう変わった? 取材・文/大草芳江、資料提供/防災科学技術研究所

2021年11月11日公開

人の命を救う情報を、
如何に早く検知し、伝えるか

青井 真 AOI Shin
(防災科学技術研究所 地震津波火山ネットワークセンター長)

京都大学理学部卒、京都大学大学院理学研究科修了、博士(理学)。1996年防災科学技術研究所入所。2010年地震津波火山ネットワークセンター長、現在に至る。専門は、地震津波観測、強震動地震学、数値シミュレーション、即時予測。最近の主な研究活動は、陸海統合地震津波火山観測網MOWLASの構築・運用、地震・津波予測技術の戦略的高度化研究プロジェクト、官民研究開発投資拡大プログラム(PRISM)、首都圏レジリエンスプロジェクト。2018年 日本地震学会技術開発賞、2018年 UIC Global Rail Research & Innovation Award、2019年 科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(開発部門)等を受賞。

 東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震から10年。あの巨大地震が地震研究にもたらしたインパクトとは何だったのか。地震学の今と未来を、第一線の研究者に聞く。第三弾は、陸域の地震火山観測網と海域の地震津波観測網を全国に整備・運用するとともに、防災科学技術の発展にむけて災害を観測し予測するための研究開発を行う、防災科学技術研究所(防災科研)地震津波火山ネットワークセンター長の青井真さん。気象庁が発表する緊急地震速報や津波警報などにも、防災科研の観測データが多く使われている。東北地方太平洋沖地震が起きて、地震研究はどう変わったのか、青井さんに聞いた。

※ 本インタビューをもとに、公益社団法人日本地震学会2021年度秋季大会一般公開セミナー「東北地方太平洋沖地震10年と地震研究」(2021年10月17日開催)のモデレーターを大草が務めさせていただきました。


阪神・淡路大震災を契機に、全国均一な地震観測網を整備

― 防災に関する科学技術の研究を行う国立研究開発法人防災科学技術研究所で、青井さんはどのような研究をされているのですか?

 防災科学技術研究所(以下、防災科研)では、全国の陸域だけでなく海域にも設置された陸海統合地震津波火山観測網「MOWLAS(Monitoring of Waves on Land and Seafloor:モウラス)」の構築と運用を行うとともに、そこから得られる観測データを使った研究を行っています。また、地震や津波をできるだけ早く検知して迅速に伝えるための手法を開発することも私の重要な研究課題のひとつです。


Figure 1 陸海統合地震津波火山観測網「MOWLAS」
(提供:防災科学技術研究所)

 現在の観測体制が構築された大きな契機は、1995年兵庫県南部地震により甚大な被害が生じた阪神・淡路大震災です。それまでの地震学の大きな研究テーマは地震予知、つまり、いつどこでどのくらいの大きさの地震が起こるかを直前に予測することでした。当時、近い将来に巨大地震が起こる可能性が高いのは東海地方と言われていたこともあり、全国均一に地震観測をするというよりは、発生する可能性が高いと予想された指定地域で手厚い地震観測を行う体制でした。

 ところが、兵庫県南部地震の際、震度7などの大きな地震動(地面の揺れ)がどこで発生したかを地震発生直後すぐに把握できない状況が起こりました。その教訓を踏まえ、日本ではどこでも地震が起こるという前提のもと、世界でも類を見ない密度で日本列島をほぼ均一にカバーする地震観測網が整備されることになりました。議員立法により制定された地震防災対策特別措置法のもと地震調査研究推進本部が設置され、そのもとで制定された基盤的調査計画の一環として、防災科研は地震観測を担当することになりました。今では全国どこで地震が起こっても、その様子は地震直後にしっかり捉えられるようになっています。

 この観測網の目的は、地震による被害の軽減と将来の対策にむけた地震現象の解明です。具体的には、長期的な地震発生の可能性の評価、地殻活動の現状把握・評価、地震動や津波予測の高度化、当時はまだなかった緊急地震速報のような地震情報の早期伝達です。

― 地震観測網にもいくつか種類がありますね。それぞれ何が違うのですか?

 陸域の地震観測は大きく分けて3つの観測網からなります。1点目は高感度地震観測網(Hi-net:High Sensitivity Seismograph Network Japan)で、人が感じることができないような小さな地震を観測するための高感度な地震観測網です。地表は人工的なノイズがたくさんあるので井戸を掘ってできるだけノイズを避けて観測をしています。水平距離約20km間隔で全国に約800観測点があります。

 2点目は強震観測網で、Hi-netとは逆に非常に強い揺れが来ても、振り切れることなく観測をするための強震観測網です。震度計の機能もあわせ持つ全国強震観測網(K-NET:Kyoshin Network)と、Hi-netと観測施設を共有する基盤強震観測網(KiK-net:Kiban Kyoshin Network)が水平距離約20km間隔で全国に合計約1,700観測点あります。

 3点目は広帯域地震観測網(F-net:Full Range Seismograph Network of Japan)です。地震は1秒に1回程度カタカタあるいはグラグラと揺れるイメージだと思いますが、それよりも非常に長い周期の地震を捉えるための広帯域地震計で観測することで、例えば、今起こった地震が津波の出やすいタイプの地震かを直後に検知することに役立っています。数十メートル長のトンネルを掘り、その奥の温度などの変動が少ない場所に地震計を設置しています。水平距離約100km間隔で全国に73観測点あります。

 さらに防災科研では大学や気象庁と協力して火山観測(V-net:The Fundamental Volcano Observation Network:基盤的火山観測網)も行っており、16火山における55観測点を分担しています。


東北地方太平洋沖地震を契機に、海域の観測網を構築

 1995年に兵庫県南部地震が起きてから7~8年で、陸域の観測については比較的手厚い体制が構築されました。2011年に東北地方太平洋沖地震が発生した時、日本列島は非常に広域で揺れ、複雑な揺れがどのように来たかを捉えました。ここまでは陸域観測網をしっかり整備していたことによるものですが、一方で、海域の観測が手薄いことが改めて認識されることになりました。

 地震発生後約3分までに津波警報を発表するという気象庁の目標は達成されました。我々が初めて経験するマグニチュード9の地震で、3分後に津波警報を発表できたことは非常に立派なことだったと思います。しかし残念ながら、それは過小評価でした。過小評価だった理由は、3分後にはまだ地震が終わっておらず、また、非常に大きな規模の地震のマグニチュードを地震直後に把握することは地震学的に困難だからです。その結果、マグニチュード7.9、つまり40分の1くらいのエネルギーであると過小評価し、その震源モデルに基づいて津波警報第1報が発表されました。28分後に第2報が発表され、約1~6mだった予測波高が約3~10mに更新されましたが、これは沿岸近くの沖合に実際に到達して観測された津波の高さを見てから更新されたものです。

 やはり陸だけでなく海でも観測をしなければ正確な津波の予測は難しく、また、迅速に津波警報を出さなければ停電などで住民に津波警報の情報が伝わらないことが改めて認識されました。迅速かつ正確に地震や津波の即時情報を発信するためには、陸域だけでなく海域においても観測が必要であることもわかったのです。そのような経験と教訓を踏まえ、東北地方太平洋沖地震の発生時に不足していた海域における地震や津波の観測網を整備することとなり、防災科研は日本海溝海底地震津波観測網(S-net:Seafloor observation network for earthquakes and tsunamis along the Japan Trench)の観測網の構築を担当することになりました。


Figure 2 日本海溝海底地震津波観測網(S-net)
(提供:防災科学技術研究所)

 S-netは世界最大規模の海底の地震津波観測網です。地震による揺れを観測するための地震計と津波を観測するための水圧計を組み込んだ観測装置を海底ケーブルで接続し、これを日本海溝から千島海溝海域に至る東日本の太平洋沖に設置して、24時間連続でリアルタイムに観測データを取得します。観測装置は150カ所に設置されており、ケーブルの全長は約5,500kmになります。S-netの観測点間隔は、津波による被害が生じる可能性があるマグニチュード7~7.5程度以上の地震が発生した際、震源域に1つは観測点があることが期待される観測密度になっています。

 S-netの構築によって、地震動は最大30秒程度、津波は最大20分程度、早く直接検知ができることが期待されます。また、地震を震源近くで観測することは現象を詳細に捉えることにつながるため、S-netは東日本大震災の地震像の解明にも役立つ観測網です。

 また、南海トラフにおいては、地震・津波観測監視システム(DONET:Dense Oceanfloor Network system for Earthquakes and Tsunamis)が国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)によって構築され、完成後に防災科研に移管されました。南海トラフは近い将来に巨大地震が起こると言われる場所ですが、想定震源域の西半分は今もまだ観測の空白域のため、ここに我々は現在あらたに南海トラフ海底地震津波観測網(N-net:Nankai Trough Seafloor Observation Network for Earthquakes and Tsunamis)を構築しています。


Figure 3 地震・津波観測監視システム(DONET)
(提供:防災科学技術研究所)

― 海底にはどのようにして観測装置を設置しているのですか?

 地震と津波を観測するため、地震計と水圧計を組み込んだ観測装置を海底ケーブルに接続して海底に設置しています。また、漁師さんが底引き漁などを行う時に観測装置にひっかかって漁網や観測装置が壊れるのを防ぐため、S-netの場合は水深1,500mより浅い海域では、海底ケーブルや観測装置を鋤(すき)式埋設機を使い、ケーブル敷設船で海底を引っ張りながら敷設することで海底下に1m程度埋めています。


Figure 4 海底への観測装置の設置
(提供:防災科学技術研究所)

― 海底に水圧計を設置することで、なぜ津波を計測できるのですか?

 津波がどのように発生するかですが、地震の断層運動などによって海底が隆起した場合には、その上にある海水を押し上げます。次に、上昇した海面はいつまでもその形を保つことはできずに重力で崩れます。池に石を投げると波が同心円状に広がっていくのと同じしくみで、津波は伝播します。海底に設置された水圧計は、水圧計の上に載っている海水量の変化、つまり海水の重さの変化を測っているわけです。

 例えば、ペットの重さを測る時、ペットはじっとしてくれないので、まず自分が体重計に乗って50kgと測った後、ペットを抱いて体重計に乗り55kgなら、差の5kgがペットの重さとわかるのと同じです。今まで水圧計の上に乗っていた海水に、水面が変動することで少し重くなることを検知しているわけです。

 ところが、水深5,000mの海底に設置した水圧計で、仮に波高1cmの津波を計測する場合、1cm×1cm×1cm(1g)の水を500,000個重ねた上に、もうひとつ分の重さ(水圧)1gの増減を計測することになります。それを先程のペットの話で例えると、体重500kgのホッキョクグマが1gの1円玉を1枚持った時との差を測り分けるのと同じくらいの精度です。この非常に微妙なところが水圧計で津波を測ることの難しさです。我々の観測網では、1cm以下の津波を測れることがすでにわかっています。


観測データの共有と防災への利活用


Figure 5 青井さんの背後にあるモニターには、全国各地で観測された地震データがリアルタイムに表示される。「ここに表示されないくらい小さな地震も含めると1日に500~1,000回くらい地震は起こっているので、取材中に1回くらいは表示されるでしょう」と青井さんが言った通り、取材中に地震が発生した。

地震観測データの一元化
 防災科研を初めとする研究機関や大学、気象庁や自治体などが独自に観測した地震データを一元化するしくみも、阪神・淡路大震災以降にできました。観測は手間暇がかかるため、阪神・淡路大震災以前は多くの場合、観測データは本人あるいはその組織、もしくは共同研究で使う形でした。防災科研はデータセンターとしてMOWLASの観測データを公開するしくみを提供しており、データは誰でも利用することができます。その一元化データの約50~60%が防災科研の貢献によるものです。世界中の研究者がこれらのオープンデータを用いた様々な研究により大きな発見や成果を出すことに貢献しています。

観測データの防災への利活用事例
 研究者による研究だけでなく、防災という観点でも観測データは利活用されています。MOWLASの観測データはリアルタイムで気象庁に伝送され、緊急地震速報や津波警報などにも活用されています。また、地震が発生して約1分半後にはテレビで発表される震度も、気象庁や防災科研、都道府県等の震度データが一元化され、全国どこで地震が起きても直後に震度情報が発表できるしくみができているのです。いわば今の命を守る情報と言えます。このほか、高層ビルの耐震設計や地震・津波ハザード評価にも、観測データが貢献しています。

地震データの鉄道事業者による活用
 海域の観測網の構築により海域で発生した地震を震源近くで観測することができるようになりました。そのメリットのひとつは、地震発生後に地震波が海から陸へ伝播してくる時間を猶予時間として活用できることです。例えば、2016年8月20日に発生した三陸沖の地震動を、S-netは陸域の観測網より約22秒早く捉えることができました。我々のシミュレーションによると、場所によっては、最大30秒近く時間を稼げる可能性があります。気象庁による緊急地震速報だけでなく、我々はJR各社などの民間企業とも共同し、最大20~30秒の猶予時間を活用して新幹線を少しでも早く緊急停止させることなどにも活用しています。

― 沖合から観測することによって、津波予測については如何でしょうか。

S-net を用いた津波遡上即時予測技術の開発
 現在の気象庁の津波警報は、全国を66の津波予報区に分け、それぞれにどれくらいの高さの津波が何分後に来るか、つまり沿岸における津波波高より到達時刻の予想がターゲットです。近年、気象庁が沖合観測点で観測される津波波形データから波源を推定し、その波源から沿岸までの津波の伝播を数値計算する新たな津波予測手法(tFISH)を開発しました。それまでは、地震のマグニチュードと位置をもとに地震発生後3分程度で津波警報等を発表した後、沖合で大きな津波が観測された場合には、その津波が陸に来るまでに何倍くらいに増幅されるかを、簡便な方法で予測していました。また、防災科研やJAMSTECでは高密度な沖合津波観測データ等を活用することにより、陸域のどこまで津波が遡上してくるかや、その浸水深を予測する手法の開発を行っています。まだ全国どこでもというわけにはいきませんが、和歌山県、三重県、千葉県といった先駆的な県においては、県の事業としてすでに実用化を始めています。このような予測は東日本大震災前には実用化されておらず、震災から10年の間に観測と解析技術の両輪が整ったことで、先程の新幹線の例などとともに、実用化したものといえます。

現在構築が進む南海トラフ海底地震津波観測網:N-net
 現在、今後起こる可能性が高いと考えられている南海トラフ巨大地震の観測の空白域(想定震源域の西側)にN-netを構築しています。N-netは沖合システムと沿岸システムからなり、それぞれ18地点ずつ、S-netと同じような地震計と水圧計を組み込んだ観測装置を計36台海底ケーブルで接続して海底に設置する予定です。コンセントのような分岐装置も海底に設置し、今後新たな観測装置を拡張できる機能も併せ持つ、世界初のハイブリッドシステムです。


関心を持つことが、自分の身を守ることにつながる

― 震度情報や緊急地震速報などは私たちの生活にとっても身近でしたが、情報を私たちが受け取るまで、どのような観測網や解析技術、情報を即時に共有するための全国的なネットワーク等が構築されているか、背景をお話いただきました。私たちの身を守るため、1秒でも早く地震や津波を検知して情報を届ける、まさに縁の下の力持ちですね。

 その通りですね。地震や津波などの情報発信は気象庁が24時間365日対応で行っていますが、その背景では防災科研が陸域だけでなく海域にもおよぶ地震津波観測網を安定的に運用していることで、日本では災害時すぐ情報が出るようになっていることを知っていただければと思います。そして、ご自分の身を守る防災に関心を持っていただくひとつのきっかけになればうれしく思います。

― 阪神・淡路大震災や東日本大震災を契機に、観測網の必要性が「改めて」認識されたと青井さんが表現されていたことに関して質問があります。「改めて」と表現されていた理由は、理想としては必要なことはわかっていても、現実の問題として、もちろんお金もかかる話なので、それを実現する社会的なコンセンサスは得られなかったという意味でしょうか。

 そうですね。私は地震や津波の研究をしているので、そういうことをいつも考えていますが、社会全体としては地震や津波以外にも様々な災害があり、さらには自然災害以外の社会的課題も多くあります。ですので、どの災害対応にどれくらいのリソース(資源や予算)を割り当てるのかについて社会的コンセンサスがなければ、実際には大きな事業は前に進みません。そのひとつのきっかけは、災害が起こってしまったこと、そしてそれを再び繰り返さないためにはどうする必要があるのかという形でのコンセンサスづくりがあります。もちろんN-netのように、近い将来発生が懸念される大規模な災害に立ち向かうために予算を措置することへの社会的理解が得られて前に進むケースもあります。

― 最後に、これまでのお話を踏まえて、若い世代へのメッセージをお願いします。

 地震に限らず最近の豪雨などもそうですが、国や自治体は様々な情報を発信しています。それはなかなか十分とは言えませんし、十分届き切っていないところもあると思います。けれども災害が発生した時に、ご自身や大切な方の命を最後に守れるのは、自分自身です。今回は、どちらかというと、情報がどのように生成されているかを中心にお話しましたが、多様な取り組みの中で発信されるこのような情報に関心を持っていただき、一人ひとりが自分の身をどう守るのかを普段から考えていただくことが、数々の自然災害が起こる今、必要ではないかと思います。今日のお話が、そのようなことに少しでもお役に立てれば幸いです。

― 青井さん、ありがとうございました。

「仙台の地形と水との関わり」~地形から見る仙台の過去・現在・未来~

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「仙台の地形と水との関わり」~地形から見る仙台の過去・現在・未来~

2022年03月02日公開

取材・文/大草芳江

 仙台は1601年、伊達政宗公によって、ひらかれたまちです。政宗公は、当時どのような風景を見て、ここにまちをつくろうと決めたのでしょう?その決断は、現代のわたしたちの生活とどのようにつながっているのでしょう?わたしたちの生活にかかせない「水」、そして水の流れに大きく関わる「地形」という視点から、仙台の過去と現在そして未来を一緒に考えてみましょう。

        ----- 目次 -----
【謎1】伊達政宗公はなぜ仙台にまちをつくったのだろう?
    ~仙台ができる前のどんな風景を見て決めた?~
    ◆ 大昔、どんな人が住んでいた?
    ◆ なぜ伊達政宗公は仙台を選んだのか?
    ◆ 城下町ができる前の仙台の原風景は?
    ◆ 仙台は「河岸段丘」のまち
【謎2】伊達政宗公はどうやって必要な水を確保したのだろう?
    ~ 地形をうまく利用してまちをつくった政宗公~
    ◆ かたむいている地形をまちづくりに利用
    ◆ 城下を拡大するほど、水がさらに必要に
    ◆ 政宗公の偉業「四ツ谷用水(よつやようすい)」
【謎3】四ツ谷用水がもたらした、意外なめぐみとは?
    ~地下水を育み湧水を生む「水の都」に~
    ◆ 四ツ谷用水が地下水をゆたかにして多くの湧水を生んだ
    ◆ 仙台の地下に天然のダムがあった!
    ◆ 仙台で一番古い水道
    ◆ 望まれる水の流れの復活
【謎4】東日本大震災時、なぜ下水が使えたのだろう?
    ~現在と未来につながる先人たちの知恵~
    ◆ 先人たちの知恵を活かしてつくられた仙台の上下水道
【おわりに】「仙台・水の文化史研究会」会長の柴田尚さんからのメッセージ

※ 本記事は、仙台市科学館からのご依頼で、片平市民センター(仙台市青葉区)に設置されている仙台市科学館展示「仙台の地形と水の関わり」の解説パンフレット原稿として作成しました。なお、記事中の画像は展示用動画、あるいは、取材にご協力いただいた「仙台・水の文化史研究会」会長の柴田尚さんからご提供いただいたデータです。


【謎1】伊達政宗公はなぜ仙台にまちをつくったのだろう?
    ~仙台ができる前のどんな風景を見て決めた?~

◆ 大昔、どんな人が住んでいた?

 そもそも政宗公が仙台に城下町をひらくずっと昔、ここは、どのような土地だったのでしょう?一番古い生活のあとを、「富沢遺跡・地底の森ミュージアム」(仙台市太白区)で見ることができます。約2万年前の氷河期、旧石器時代の人たちが温まった、たき火のあとです。それほど昔から、ここには生活に必要な水があったのでしょう。

「富沢遺跡・地底の森ミュージアム」(仙台市太白区)にある約2万年前のたき火あと。ちなみに、旧石器時代の人たちの生活のあとと氷河期の森のあと、この両方を当時のままに見ることができる場所は、世界中でここ仙台だけです。


◆ なぜ伊達政宗公は仙台を選んだのか?

 時代は、仙台のまちが開かれる1年前の、西暦1600年に移ります。伊達政宗公が33歳のとき、関ヶ原(せきがはら)の戦いのあと、岩出山(現 宮城県大崎市)から仙台の青葉山に城をうつすことを決めました。そして、当時は未開(みかい)の地だった仙台に、城下町をひらいたのです(1601年)。

 なぜ政宗公は、ここ仙台に城下町をひらくことを決めたのでしょう?

仙台の城下町の位置

 まずは、交通の便がよいことが重要です。仙台は、伊達家の領土の中心に位置し、その領土を南北につらぬく奥州街道(おうしゅうかいどう:現在の国道4号線)や浜街道(はまかいどう:現在の国道6号線)、出羽国(でわのくに:現在の山形県と秋田県)からの街道(現在の国道47号線や国道48号線)も通る、交通の要所です。また、当時は物を舟で運ぶのが主流でした。そのため、名取川や広瀬川を舟での運搬に活用できることも、仙台が選ばれた理由のひとつだと言われています。

 さらに、関ヶ原の戦いが終わったとはいえ、政宗公のライバルである上杉景勝(うえすぎかげかつ)は、すぐとなりにいて安心できる状態ではありませんでした。青葉山の断崖(だんがい)は要害(地形がけわしく守りに有利な場所)に、広瀬川は天然の堀(ほり)になります。そこで政宗公は仙台の自然のめぐみをいかし、青葉山に城をきずき、広瀬川の対岸の「河岸段丘(かがんだんきゅう)」の地に城下町をひらきました。城下町には、家臣をはじめ約5万人といわれる人々が岩出山から移動し、広瀬川から20メートルも上の高台にある河岸段丘の上で生活を始めたのです。

 大きな城下町は、舟で物を運ぶのに便利な、海ぞいの河口近くの海岸平野につくられる場合がほとんどです。ですから、仙台のように広瀬川の中流で、さらに海岸平野に比べて一段高い河岸段丘地が城下町として選ばれたことは、とても珍しいことでした。政宗公が低くて平らな海岸平野を選ばなかった理由は、津波や洪水などの自然災害からまちを守るためでもあったのでしょう。

 しかしながら、ここで大きな謎が生まれます。城下町の人々が住むのは、広瀬川から20メートルも上にある河岸段丘の地。その高い崖が広瀬川の水を直接運ぶことを不可能にしていました。実際に現代においても集落の多くは河岸段丘より低い平野にあります。それでは、河岸段丘の上に住む約5万人ともいわれる人々は、毎日生活するための水を、どのようにして確保したのでしょうか?現代の水の専門家は大きな疑問をいだきました。それでは、この大きな謎を、仙台の地形を見ながら、一緒に解いていきましょう。


◆ 城下町ができる前の仙台の原風景は?

 当時は未開の地だった仙台の、どのような風景を見て、政宗公はここに城下町をひらこうと考えたのでしょうか?

 城下町がつくられる前の仙台の原風景を、わたしたちは『東奥老子夜話(とうおうろうしやわ)』という史料の中に見ることができます。すると現在の市街地は、一部を除いて、沼や湿地(しっち)だらけだったことがわかります。

 湿地があるということは、それだけ地下水がある、ということです。ただ、湿地があるとはいえ、それを見て5万人もの生活を支える地下水があることを、当時なぜ判断でき、城下町をきずくことを決断できたのか?現代の水の専門家は、とても不思議に思いました。そこで、仙台の地形と地盤(じばん)をくわしく調べて、生活のための水を当時どのように確保(かくほ)できたかを調べました。


◆ 仙台は「河岸段丘」のまち

 まずは仙台の地形を見てみましょう。仙台の城下町、現在の市街地が発展する台地は、広瀬川の東側にあり、河岸段丘が階段のように発達しています。

 先ほども、仙台の城下町は「河岸段丘の上につくられた」というお話をしました。河岸段丘ってなんだろう?と、わからなかった人も多いと思います。ここでもう少しくわしく説明しましょう。

 河岸段丘とは、川によって台地がけずられることで、川よりも高くて平らな面と、けずられてできた崖からなる土地のことで、文字通り、階段のように段々になった地形のことを言います。

仙台の段丘地形分類図

 仙台の市街地は、4つもの河岸段丘が階段状に発達した土地の上にあります。これらの段丘は、1万年前までに広瀬川の川が流れる部分が移動しながら形づくられたものです。広瀬川に近いものから「下町(しもまち)段丘」「中町(なかまち)段丘」「上町(かみまち)段丘」「台原(だいのはら)段丘」と名付けられています。仙台のほとんどの人が、標高30~60メートルくらいのところに住んでいるのです。

 下町段丘には、米ヶ袋、花壇。中町段丘には、八幡、広瀬町、国分町、一番町。上町段丘には、木町、上杉、小田原。台原段丘には、堤町、台原、東照宮があります。あなたの住む家は、どの河岸段丘の上にありますか?

 現在の仙台の市街地でも、この段丘崖(だんきゅうがい)を、自分の目で直接確かめられる場所があります。例えば、ここ片平市民センターの上の崖は、中町段丘と下町段丘との段丘崖です。また、米ヶ袋の坂道も、中町段丘と下町段丘との段丘崖です。勾当台公園の石段は、中町段丘と上町段丘との段丘崖です。台原の坂道は、上町段丘と台原段丘との段丘崖です。

 自転車をこぐのが大変になったり楽になったりする場所があれば、「ここは、どの段丘とどの段丘の段丘崖だろう?」と、河岸段丘の地図を確かめてみるとよいですね。仙台は河岸段丘のまちだと実感できたでしょうか。

 さて、このような河岸段丘の上に、政宗公は1601年、城下町をつくり始めました。その翌年には、家臣をはじめとして町人など、岩出山城下から仙台城下への移住が行われました。その数、約5万人と言われています。

 城下町をきずくにあたり、原野だったこの地をていねいに調査して、5万人もの人々がここに住んで水を確保できると判断した、ゆうしゅうな土木技術者が家臣の中にいたのです。後にできる用水路の技術も、このことをしめしています。政宗公の先をみとおす力、そして家臣たちのすぐれた技術力には、現代に生きる研究者や技術者たちもおどろいています。

 それでは次の章で、現代の研究者や技術者たちもおどろいた、仙台城下の町づくり、特に用水路の技術について、くわしく見ていきましょう。


【謎2】 伊達政宗公はどうやって必要な水を確保したのだろう?
   ~ 地形をうまく利用してまちをつくった政宗公~

◆ かたむいている地形をまちづくりに利用

 仙台城下のまちづくりは、どのように行われたのでしょう?人家もまばらな荒野に、まったく新たな城下町の建設がはじまったのです。

 仙台の地形は、北西から東南にかけてななめにかたむいています。みなさんも、南の方から仙台市役所方面へ自転車をこぐ時、行きは大変なのに、帰りは楽だと感じた経験はありませんか?自動車に乗っていると平らに感じる仙台の市街地でも、自転車でこいでいるとわかるように、仙台は北西から南東にかけて、水が流れやすいかたむきがある地形なのです。

 この地形を利用して、街路(道路)がつくられ、街路にそって水路(人工の川)がつくられ、生活や消防、農業のための水が確保されました。開府当初の水源は、山上清水地区(現・八幡5丁目)の豊富な湧水だったと考えられます。仙台城下は、沼や湿地だらけのきびしい自然条件だったにもかかわらず、土地の形を上手に考えて計画されたまちであることがわかります。


◆ 城下を拡大するほど、水がさらに必要に

仙台城下の整備(仙台市博物館「城下町ポケットガイド」の図・仙台城下の広がり)

 仙台藩は藩祖政宗公から4代藩主綱村(つなむら)公の時代まで、約100年の間に城下を4回拡大しています。城下を拡大すればするほど、さらに水が必要になります。しかし、1601年に仙台を開府してからしばらくは、最上家との争いも続いており、城下の外に重要な水源地を設けるわけにはいかなかったのでしょう。1622年、最上家の改易(かいえき:大名としての家が取りつぶされ、最上家が出羽国の領地を失った)後、西からおびやかされる心配がなくなった政宗公は、若林城をつくり(1628年)、城下を広げました。そのために消防と農業用の水がさらに必要となったため、広瀬川上流の郷六にまでさかのぼって水源を確保し、城下町の水路網(すいろもう)につなげたのも、この時期ではないかと考えられています。


◆ 政宗公の偉業「四ツ谷用水(よつやようすい)」

 こうして政宗公の命(めい)によってつくられた人工の川(用水路)が、「四ツ谷用水(よつやようすい)」です。広瀬川から水を取るようになった四ツ谷用水は、各所にわき出す泉や沼の水と一体になって整備され、東南方向にななめにかたむく地形にそって、城下町をくまなく流れました。

 1766年頃の仙台城下絵図「宝暦図」に、城下を流れた四ツ谷用水の水路網が記録されています。この絵図に現在の仙台市街地の地図を重ね合わせてみましょう。現在の街路(道路)に水が流れていたことがわかります。

 四ツ谷用水の水路網は、本流が広瀬川から梅田川に通じ、この本流から3本の支流が分かれ、さらに多くの枝流がわかれ、仙台の城下町をくまなく流れました。
 この水路網は、生活や農業、消防のための水として重要な役割をはたしました。水路の合計距離は、約60キロメートルにもなりました。

 この四ツ谷用水は「広瀬川の河岸段丘の地形を巧みに利用し、仙台の水環境を支えた」ことを理由に、2016年、土木学会の選奨土木遺産に認定されています。

 さらに、この水路網は、生活や農業、消防のための水だけでなく、雨水や生活排水を流す役割もはたしました。なお、当時の生活スタイルを考えると、実際の生活用水量は、現代と比べてそれほど多くはなく、1日あたり一人50リットル未満程度だったのではないかと考えられます。ちなみに、みなさんは自分が1日あたり何リットルの水を使用しているか、ご存知ですか?お家にある水道メーターの検針をぜひ確認してみてください。わたしたちが使う水がどのように供給され、どのように排出されているか、地形との関わりの中で、ぜひ理解していきましょう。


【謎3】四ツ谷用水がもたらした、意外なめぐみとは?
    ~地下水を育み湧水を生む「水の都」に~


◆ 四ツ谷用水が地下水をゆたかにして多くの湧水を生んだ

 城下町につくられた四ツ谷用水の水路網は、仙台に思わぬめぐみをもたらしました。

 水路網によって地下にしみこんだ広瀬川の水が、地下水を育み、さらに井戸水(いどみず)となって、人々の生活を支えたのです。さらに、多くの湧水(わきみず)が生まれ、屋敷林(やしきりん)が生いしげる「杜の都」として、ゆたかな水環境の城下町になりました。
 明治元年(1868年)の仙台城下の絵図でも、この「杜の都」と呼ばれるもととなった屋敷林が、城下町全体をつつみこむように広がっている原風景を見ることができます。杜の都は、水の都でもあったのです。

明治元年現状仙台城市之図(仙台市指定文化財)

 このように四ツ谷用水の一部が地下にしみこんで地下水をゆたかにしたことは、城下町の地形や地盤とお互いに作用しあって、ところどころに湧水を生むことになりました。

仙台城下の湧水


◆ 仙台の地下に天然のダムがあった!

 それでは、どのような地形や地盤が、豊かな湧水を仙台の城下町に生むことになったのでしょう。最近の地盤調査と研究によって、「長町-利府線断層帯」が、その謎を解く鍵であることがわかりました。

 長町-利府線断層帯とは、仙台市の市街地を縦断する活断層帯(かつだんそうたい)です。「大年寺山断層」と「宮城野撓曲(とうきょく)※1」を合わせて「長町-利府線断層帯」と表現します。大年寺山断層や宮城野撓曲の活動によって地盤が変動し、「背斜(はいしゃ)※2」という、高くもりあがった構造が形づくられました。

※1 撓曲:地下に存在する断層の影響で地表がたわむ現象のこと。
※2 背斜:地層がせまい範囲でたわむと、波打ったようになるが、その山型に曲がっている部分を「背斜(はいしゃ)」とよび、その山型に曲がっている部分の頂点を線でつないだものを「背斜軸」とよぶ。

 この「長町-利府線断層帯」と「湧水の分布」の地図を、重ね合わせたものが下の図です。この図を見て、研究していた水の専門家は、興奮のあまり、「背筋が震えた」そうです。その発見とは何か、わかるでしょうか?

湧水と長町-利府線断層

 活断層である長町-利府線断層帯の活動によって地盤が高くもりあがった背斜軸の上流(北西)側に、湧水が分布していたことに気がついたのです。湧水の分布には、背斜軸が深く関係していることがわかりました。

 それでは、この背斜軸の地下の構造はどのようになっているのでしょうか?仙台市などの地質調査(ボーリング調査)データをもとに、地下構造を分析した結果、実は、地下にはダムのような構造があることがわかったのです。

 地下の浅いところに、凝灰岩(ぎょうかいがん)や堆積岩(たいせきがん)等の水を通しにくい岩の層があり、これが長町-利府線断層帯にそって、地下で、場所によっては7メートルも高くもりあがる背斜軸(東)があることがわかりました。

 この水を通しにくい岩層の上には、河川が運んでくる過程でけずられた岩石(レキ)や、レキと一緒に河川を流れてきた砂など含むレキ層がのっています。レキ層には、水を通しやすい性質があるので、この層に水がたまります。このように地下水がたくわえられている層を「帯水層(たいすいそう)」とよびます。その底にある、水を通しにくい岩層が高くもりあがることで、地下はダムのような構造になっていたのです。

 四ツ谷用水を流れる水は地下に浸透し、自然の傾きによって北西から南東へ、広瀬川や梅田川へと流れました。もし地下にダムのような構造がなければ、雨の降る量によって地下水の量は変動し、生活に必要な水は安定しなかったことでしょう。このような地下ダム構造によって、仙台は、湧水と井戸水にめぐまれた城下町となったのです。


◆ 仙台で一番古い水道

 ちなみに、背斜軸は上流側にもう1本あります。現在の仙台市役所の近くの、国分町を通る背斜軸(西)です。国分町には、京都から出てきた呉服商の奈良屋八兵衛という人がおり、この近くにある「柳清水」という有名な湧水から国分町に水道管をひいていました。水道管といっても当時は、竹を組み合わせ、まわりを粘土で固めたものでしたが、水道管を使って11軒に水を分けていました。背斜軸の上にある国分町のお店は、季節によって地下水が下がると、水の供給が安定しなかったため、湧水から水道をひく必要があったのです。この水道が仙台で一番古い水道であることが、仙台市水道史に記述されています。

 このような特徴のある地下構造を仙台の地形は持っています。結果論ですが、伊達政宗公がここに城下をひらき、人を住まわせたことは、大変な先見の明があったと言えるでしょう。


◆ 望まれる水の流れの復活

 しかしながら明治以降、四ツ谷用水の流れが消滅(しょうめつ)し、地表もアスファルトで舗装(ほそう)されたため、多くの湧水や井戸水はかれてしまいました。

 市街地地下の帯水層の構造を利用して、ゆたかな水の環境をつくりあげることは、都市のヒートアイランド現象をおさえとどめることに役立たてられます。また、災害時の水の供給源(きょうきゅうげん)として活用できれば、防災上も大切なものとなります。四ツ谷用水が教えてくれた水の流れの復活がのぞまれます。


【謎4】東日本大震災時、なぜ下水が使えたのだろう?
    ~現在と未来につながる先人たちの知恵~

◆ 先人たちの知恵を活かしてつくられた仙台の上下水道

 河岸段丘のまち・仙台には、標高30~60メートルくらいのところにほとんどの人が住んでいます。つまり、30メートルの落差をもって水は海へと流れています。水は傾きがあれば自然と流れ下ること(自然流下)を、先人たちは理解した上で暮らしをこの地で営んできました。

 時を経て、戦後の技術者たちも、先人の知恵を有効にいかし、仙台に下水道のシステムをつくりました。仙台の下水道は、市街地の中央部から東部の太平洋沿岸までなだらかにかたむく地形を利用して、自然に流下するように整備されています。

 標高約5メートルのところに、仙台市の約7割の汚水を処理している南蒲生浄化センターがあります。2011年3月11日の東日本大震災発生時、津波によって南蒲生浄化センターは被災しました。仙台に住む水の専門家は、下水も使えなくなると考えて、妻に「庭に穴を掘る準備をしよう」と話していたそうです。ところが、仙台では下水を使い続けることができました。先人の知恵をいかし、下水をポンプなしで自然に流下し、放流ができる構造だったためです。停電、断水を強いられる生活の中で、衛生的(えいせいてき)な生活環境を守ることができたことは、全国から多くの称賛(しょうさん)の声がよせられました。

 また、上水道においても、最初の水道施設は大倉川から取った水を中原浄化場(仙台市青葉区芋沢)で浄水し、荒巻配水所(仙台市青葉区国見)を経て、市民に供給しました。これも下水と同じようにすべて自然流下で各家庭に届けました。

 今でも仙台市の上下水道のシステムは自然流下が基本です。ほかの多くの大都市は沖積平野(ちゅうせきへいや)にあるため、自然流下ではありません。したがって、わたしたちの生活は自然の理にかなった生活を送ることができていると言ってよいのではないでしょうか。

 このシステムも地形を利用した先人からの知恵を受け継いでいるものです。わたしたちは後世に、歴史的な施設もあわせて伝えていく努力をしていきましょう。あなたや家族が、普段すごしている場所の地形をよく確認し、大きなゆれを感じたり、津波情報を得た場合は、ただちに避難できるように備えましょう。


【おわりに】「仙台・水の文化史研究会」会長の柴田尚さんからのメッセージ

柴田 尚 さん
(「仙台・水の文化史研究会」会長)

 NHKテレビ番組の『ブラタモリ』は、わたしの大好きな番組です。地球科学者の尾形隆幸氏(琉球大学教育学部准教授)は、"地球科学者たちから「奇跡の番組」と絶賛される『ブラタモリ』の人気の秘訣は、わかりやすさと学術的な正確さを両立させていること、シームレスなストーリーを構築していることである"と述べるとともに、"学問分野の境界を意識せず、しかしきちんと学問内容に触れつつ、あらゆる学問分野を柔軟に出入りしながら番組が構成されているということである"と述べています。

仙台・水の文化史研究会が制作に携わった片平市民センター内の仙台市科学館展示「仙台の地形と水の関わり」

 僭越とはおもいますが、片平市民センターの地形模型プロジェクションマッピング「仙台市の地形と水との関わり」は、地理をベースにして歴史と工学を主体に生活空間を説明しておりますので、多少はブラタモリ的ではないでしょうか。そして、この模型展示(プロジェクションマッピング)はこどもたちに自分たちの住んでいるところについて学ぶことを目的としています。

 わたしは、こどもを育てる過程のなかで、"何のために学ぶのか!"ということを懸命に考えたことがありました。その結論は、"分別をもつことと志をもつため"に学ぶのであり、社会人として志をもつためには、どうしても大学を卒業する程度の学ぶ期間が必要なのだと得心しました。ただ、こどもたちの学ぶ環境は大きく変化しており、そもそも本来の学ぶ環境がなくなってしまっていることが大問題だと、いまさらながら気がつかされました。少し前の時代の生活空間のなかには自然がふんだんにあり、危険も沢山あり、意識するまでもなく学ぶ環境だったのです。こどものころの一番の遊び場は近くの川でした。それこそ毎日、網で魚をとり、釣りをし、河原で遊び回りました。どのようにしたら上手に魚がとれるのか一生懸命考え工夫しました。

 わたしは仙台の街が世界に誇ることのできる、環境豊かで安全な都市になるために、市民の協働で街中に水の流れを再生することを提唱していますが、それは人工的であっても生物が宿る空間を作ることになります。自然空間に回帰するといえます。そのことはこどもたちの学ぶ環境を育てることになるのではないでしょうか。こどもたちには、自然といっぱい親しんでほしいと思います。そのためには自然を奪ってしまった世代が責任をもって適切な自然回帰に努めなければならないと考えています。

取材協力:仙台・水の文化史研究会(柴田 尚 会長)
     スリーエム仙台市科学館        

地震学×情報科学の融合で、目指すは天気予報の地震版

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地震学×情報科学の融合で、目指すは天気予報の地震版 取材・文/大草芳江、資料提供/加納将行(東北大学大学院理学研究科)

2022年04月13日公開

地震学×情報科学の融合で、
目指すは"天気予報の地震版"

加納 将行さん(東北大学大学院理学研究科 助教)
矢野 恵佑さん(統計数理研究所 准教授)


加納 将行 Masayuki Kano
東北大学理学研究科 助教。2014年京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻で博士(理学)を取得。日本学術振興会特別研究員(DC1)、東京大学地震研究所特任研究員を経て、2018年より現職。東京大学地震研究所在籍時には「都市災害プロジェクト」「スロー地震学」において、地震波動場推定手法の高度化やスロー地震データベースの構築に従事。現在は主としてデータ同化・測地データ解析による断層モデリングに関する研究を行っている。

矢野 恵佑 Keisuke Yano
統計数理研究所 准教授。 2017年東京大学大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻で博士(理情報理工学)を取得。 東京大学計数工学科 助教を経て、2020年より現職。専門は数理統計学、特に統計的予測理論。 2017年にJST CREST iSeisBayesに参画し地震・測地データへの応用研究を開始。

 近年のビッグデータ、AIを始めとする情報科学の著しい進展を踏まえ、地震の調査研究においても、従来技術に加え、新たな科学技術の活用が期待されている。こうした背景を踏まえ、文部科学省は「情報科学×地震学」を推進するプロジェクトとして、「情報科学を活用した地震調査研究プロジェクト」を立ち上げた。その採択課題のひとつ「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」が目指すものとは何か。研究代表者の加納将行さん(東北大学理学研究科 助教)と研究協力者の矢野恵佑さん(統計数理研究所 准教授)に「地震学×情報科学」の研究最前線を聞いた。

※ 本インタビューをもとに文部科学省採択課題「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」ホームページ作成を担当させていただきました。


目指すは、天気予報の地震バージョン

-はじめに、この課題が目指すものから教えてください。

加納: 本課題タイトルが示す通り、「データ同化断層すべりモニタリング」と「測地データ解析の革新」、この2つがキーワードです。大まかに言って、「データ同化断層すべりモニタリング」(研究項目(C))を地震学が専門の私・加納が、「測地データ解析の革新」(研究項目(A)及び(B))を情報科学の専門家である矢野さんが担当します。


【図1】研究概要

 はじめに前半の「データ同化断層すべりモニタリング」から説明しましょう。「データ同化」も「断層すべり」も一般にはあまり馴染みのない言葉だと思いますが、一言で言えば、「天気予報の地震バージョン」とイメージいただけるとよいと思います。

-「データ同化」とは何ですか?

 わたしたちが普段テレビなどで見ている天気予報は、気象の場がこれからどのように変化していくかを流体力学の方程式に基づき数値計算(シミュレーション)しているものに、観測データを入力することで、その予報精度を高めることを行っています。これが「データ同化」と呼ばれる計算技術で、登場してから数十年も経ち、天気予報など、わたしたちの生活にも届くくらい広く使われている技術です。

-その「地震バージョン」とは?

 ここで主にターゲットとするのは、プレートの沈み込み帯で起こる「断層すべり」です。本課題では現在プレート境界のどこでどれくらい断層がすべっているのか、また、その断層すべりが、例えば、明日・明後日、一週間後、一ヶ月後にはどのように変化していくのかを、観測データに基づきモニタリングし、短期的な推移予測を目指します。これが「データ同化断層すべりモニタリング」です。

-地震は断層が急に大きくずれ動く現象ですが、本課題がターゲットとする、日や週、月といった時間のスケールで起こる「断層すべり」とは、どのような現象でしょうか?

 「プレート境界で起こる断層すべり」と一言で言っているわけですが、皆さんがイメージされるのは地震ですよね。地震はとても短い時間スケールの話です。一方で最近の研究によって、日や週、何ヶ月という長さのスケールで、ゆっくりした滑り現象が、起きる場合があることがわかっており、「スロー地震」と呼ばれています。巨大地震の発生前には「スロー地震」が起きている場合もあることが近年の研究でわかっており、「スロー地震」と巨大地震の関連性は現在も研究者によって調べられている課題です。

 「スロー地震」とは、地震と同じくらいのエネルギーを、地震よりも長い、何日、何週、何ヶ月というスケールで、解放していく現象です。大きな揺れは伴わないため、我々が身近に感じることはできませんが、それくらい大きなエネルギーが解放されると当然、周りには影響を及ぼすわけです。それが結果的に、例えば、巨大地震の最後のひと押しになる可能性もあります。

 つまり、本プロジェクトで目指すのは、揺れを伴うような地震の予測ではなく、専門的には「スロースリップイベント」と呼ばれる、ゆっくりした断層すべりを地殻変動データでモニタリングすることです。長いスケールのため、地震波形データではなく、地殻変動データを扱う点が、本プロジェクトの特徴のひとつと言えます。

-地震は断層が急にずれ動いたことで発生する地震波を地表にある地震計で測定していますが、「地殻変動データ」はどのようにして測るのですか?

 我々専門家は「GNSS」(全球測位衛星システム)と呼んでいますが、皆さんにとっては「GPS」と言う方が、馴染みがあると思います。GPSはスマホにも入っていて、自分が今どこにいるかわかりますよね。GPSのような機材(基準点)をずっとある場所に置いておけば、地面が例えば1日後にどれくらい動いたかがわかります。そのような測地データをひたすら記録することで、地面の動きを地殻変動として捉えます。

 例えば、プレート境界ですべり現象が起きた時、その結果として地面が動くわけですが、それをGNSSでモニタリングすることで、逆にプレート境界がどのように動いているかを調べることができます。そのような測地データを用いて、地殻変動を日々観測することで、そのプレート境界がどのようになっているかを観ていきたいのです。

- 従来の「地殻変動データ」とはどのような点が異なるのですか?

 もちろん、大きな地殻変動については、現在でもある程度、捉えることはできていますが、例えば、大きな地殻変動に対してノイズレベルの小さな地殻変動が十分網羅的に調べられているかと言えば、まだ課題は残されていると考えています。

 そこで今回、情報科学という新しい武器を使おうと、タイトル後半のキーワードである「測地データ解析の革新」を掲げました。例えば、従来は見つけられなかった小さな地殻変動現象の把握、あるいは解析手法のアップデートを目指すものです。

-天気予報の例と対比させると、もともと断層すべりはどのような基礎方程式に基づいて数値シミュレーションを行っているのですか?また、シミュレーションの結果と観測データを付き合わせることは、断層すべりでは行われていないのですか?

 基本的には、弾性体の力学に基づく運動方程式に、プレート境界面の摩擦の物理法則を合わせて、断層すべりの時空間変化の計算が行われています。ただ、その数値シミュレーションは、あくまで定性的に現象を再現するもので、もちろん、計算結果と観測データの比較は行われているものの、数値シミュレーションのパラメータは、ある意味、試行錯誤的に決められています。一方でデータ同化とは、パラメータを実際の観測データに基づいて最適化することによって、より現実的に予測精度を向上させようというものです。それが断層すべりの数値計算の分野ではまだほとんど行われていないということです。

 まとめますと、「データ同化断層すべりモニタリング」と「測地データ解析の革新」、この2つを組み合わせることで、より現実的な、沈み込み帯の断層すべりの現状把握と短期推移予測を目指すことが、本課題の最終目標です。そのモニタリング手法を確立することなしに前へ進めないことは、実は、私が学生だった15年前頃から指導教員に言われてきたことです。

-約15年も前から必要性はわかられていながらも、まだ実現できていない要因は何ですか?背景となる研究や技術の歴史についても教えてください。

 1995年の兵庫県南部地震を契機に、国の地震や地殻変動の観測網が整備され、2000年頃、観測点が飛躍的に増えたことで、新たにわかったことがたくさんありました。そのひとつが、プレート境界で起きる断層すべりの空間的な棲み分けです。どうも、地震やスロースリップが起こるような場所が空間的に棲み分けているようだ、ということがわかってきました。並行して、ここ10年、20年で計算機が著しく進展し、数値シミュレーションで様々な現象を再現できるようになってきました。 

 今回の課題は、その両者を組み合わせる技術ですので、背景にそれぞれの発展があります。データもある程度そろい、計算技術もそろってきた、後はそれをくっつけるだけ、...「だけ」と言うと簡単に聞こえるのですが、くっつける部分がまだつくられていないのです。

-技術的にはどのような点が難しいのですか?

 技術的な観点では、データ同化のプログラムを書くところが難しいです。専門的なコードを書く必要があり、それで手をつけにくい人が多いのではないかと思います。私も学生の頃に始めたからできたのかなと思いますし、もし「今やれ」と言われたら、多分できないと思います。「そんな時間はない」と思うくらい、じっくり取り組まなければ書けないプログラムなので...。他の手法はもちろんありますが、少なくとも私が用いている手法はそうです。

 そのテーマに私は学生の頃から取り組み、その後もコツコツ研究を重ねてきました。そして、ひとまず手元にあるツールやデータを用いて、2003年十勝沖地震の断層すべりをGPSによる地殻変動のデータ同化を行い、短期推移予測を試みたところ、まだ課題は山積みではあるものの、手応えを感じる結果を得ることができました(図2)。そこで、情報科学と地震の専門家が協働し、統計学・機械学習に基づく測地データ解析手法を開発することにより、さらに研究を進めようと、本課題を開始した次第です。


【図2】2003年十勝沖地震の余効すべりを対象とした断層すべりの現状把握と短期推移予測の例

 本課題では、情報科学を活用した測地データ解析の革新が、断層すべりモニタリングシステム確立にむけた重要な要素となります。そこで、情報科学・測地データ・断層すべり解析手法にそれぞれ精通している研究者9名による研究実施体制を実現しました(図3)。また、ポスドク1名を雇用すると共に、参画メンバーが所属する研究室の大学院生も加えて課題を遂行していきます。


【図3】実施体制図


難しさ故に手法論も進歩

-それでは次に、情報科学の専門家として本課題に参画している矢野さんの研究内容をご説明いただけますか?

矢野: 私は、統計学や機械学習といったデータ科学の専門家です。データ科学の手法論も、特にここ20年で急速に技術革新が進みました。例えば、「スパース推定」という、データが大量にある場合に本質的な情報を持つものは非常に個数が少ない性質を利用して推定する手法や、最近では「深層学習」という、多層のニューラルネットを駆使して予測精度を高める手法が活発に研究されています。

 そのような技術革新の中、加納さんのお話にもあったように、ここ20年で地震学や測地学でも新たな現象が次々と見つかりました。新しい現象が見つかれば、それに伴って新しい手法論も考える必要があります。そこで私も、新しい現象の検出・解析に資する技術開発を行いたいと思い、このプロジェクトに参画しました。具体的には、研究項目(A)「統計学・機械学習による地殻変動検知能力の向上」と研究項目(B)「観測ノイズを考慮した状態空間モデルの改良」を担当します。


 そもそもなぜこのようなゆっくりした現象が最近になって見つかったかというと、ゆっくりした変動ですから、シグナルとノイズの比率が従来の現象と比べて非常に低い(差が小さくて見分けがつき辛い)わけです。ですから、その隠れた現象を見つるためには、より高い検知能力を持つ検出方法、あるいは、ノイズレベルが高い中でもうまく働くような検出手法を考える必要があります。

 そこで統計学・機械学習の手法を用いて、(スパース推定・深層学習による)観測ノイズにロバストな地殻変動の検出手法(図4)、観測信号を意味のあるシグナルの部分とノイズの部分に成分分解する手法、あるいはノイズ特性を考慮しノイズレベルが高い中でもうまく働くようなデータ同化手法の開発を本課題では目標としています。


【図4】スパース推定を用いた短期的スロースリップ検出

-観測データを扱う難しさがあると思いますが、データ科学の視点から見ると、特に地震学特有の難しさとは何ですか?

 データの多種多様性ですね。地震学特有の難しさとして、もちろんデータが大量で、時々刻々と蓄積されていることもありますが、ひとつの現象を見るにしても、様々な計測機器があり、それぞれ特性が異なり、SN(シグナルとノイズの比)も機器によって異なります。さらに現象も多種多様性ですから、そのような多種多様性を考慮すると、従来手法がそのまま使えるところもありますが、そうではない部分がやはりあります。それが地震学の非常にユニークな点であり、チャレンジングなところだと思っています。

-素人としては「複雑で難しそうな問題だから、できなそう」とつい思ってしまうのですが、複雑な問題を見てチャレンジしようと思うのが、研究者ですね。

 はい。やれるところをコツコツですが、やはり難しい課題にトライしていくことで手法も発展していくと思います。例えば、近年活発に研究されている深層学習も、難しいと言われていた画像処理の課題に、難しいが故に様々な人が参入したからこそ、できるようになりました。難しい課題に参入することで技術も革新していくと思いますので、私も本課題に参画しています。

加納: これまでも地震学は、情報科学の新しい技術を取り入れることで発展してきた歴史があります。例えば、矢野さんが所属している統計数理研究所の元所長の赤池弘次先生が1970年代に確立した「赤池情報量規準(AIC)」は、今では当たり前のように地震学でも使われている指標です。そのような発展を何回も繰り返して、今の地震学があります。ですから今、活発に研究されている深層学習などの新しい手法も、その一部は10年後、20年後には地震学でも当たり前のように使われるようになるでしょう。その一端を担おうということも、本プロジェクトの意義のひとつですね。

矢野: そうですね。統計学・データ科学と地震学・測地学は、昔から刺激を与え合ってきた関係があります。

 加納さんのお話にもあったように、赤池弘次先生が開発された赤池情報量規準(AIC)、あるいは「ベイズ型情報量規準(ABIC)」は、データに最も合うような統計モデルをデータ自身から探し当てるものです。地震学では、対象とする現象がなめらかに推移していくことを、ある拘束条件を入れて解くのですが、その拘束条件の強さをデータから推定する際に、赤池ベイズ情報量規準が非常によく使われます。これらの規準は赤池先生が様々なデータ解析の中から開発した手法で、80~90年代頃に地震学にも取り入れられました。赤池ベイズ情報量規準は、今日では拘束条件をデータから求める際のデファクト・スタンダードになっています。

 また、「点過程」という、希少イベントが起こる確率を記述する統計モデルが、地震、犯罪、システム故障等、希少イベントが起こる確率を予測する時のモデルとして、多様な分野で使われています。点過程も、統計数理研究所名誉教授の尾形良彦先生が地震学に導入され、その導入に伴って手法論も深化してきました。

 このようにデータ科学と地震学は、相互に発展し合ってきた歴史があります。ですから、最終的な目標としては、本プロジェクトを通じて、新たな技術革新により、分野相互の高め合いが起こるとよいと思っています。


データ解析手法の普及と若手研究者の育成

-本課題が目指すものを、長期的な視点も含めて、お話いただきました。他にも目標とすることはありますか?

加納: 本課題で開発したデータ解析手法を、地殻変動データを解析する様々な方にも幅広く活用いただけるよう、開発した手法はHP上にも公開していきます。赤池情報量規準や点過程のように、20年後には誰でも使えるようなツールになれるとよいですね。

 また、若手研究者の育成も重要な課題と考えています。本課題は文部科学省の「情報科学を活用した地震調査研究プロジェクト」に今年度採択された5課題のうち、唯一、地殻変動データを対象としています。地殻変動データを扱う若手研究者や大学院生は全国的に見ても少なく、将来の測地データ解析を数理的な観点から支える人材の育成は急務と言えます。本課題では、誰でも参加できるオープンな勉強会も定期開催しておりますので、興味のある若手研究者・大学院生の皆さんの積極的な参画をお待ちしております。

-最後に、今後に向けた意気込みをお願いします。

加納: 研究課題はもちろんのこと、若手人材の育成にも力を入れたいと考えています。既成概念にとらわれず新しい技術を取り入れるのは、若い世代の方が得意だと思いますし、データ解析手法の革新にぜひ興味を持っていただき、定期開催するセミナーや勉強会に積極的にご参加いただければと思います。

 また、研究課題については、私が研究者を志したモチベーションそのものですが、断層すべりの現状を把握し、将来の推移を予測できるようになりたいです。研究を始めた当初はまだ誰も研究していないこともあって、その実現をずっと目指してきました。それが少しでも現実になるよう、本課題を通じて研究をより加速させていきたいです。

矢野: 数十年後にも、欲を言えば数百年後にも残るような手法を開発し、それが広く使われるようになれば、大成功だと思います。先程もお話した通り、これまでも情報科学と地震学・測地学は融合して数多くの手法を編み出してきた歴史があります。本プロジェクトをきっかけに、広く長く使われる解析手法の確立を目指して、頑張ります。

-加納さん、矢野さん、ありがとうございました。

【同窓生に聞く#01】中鉢良治さん(元ソニー社長、産総研最高顧問)がリアルに感じていることって、何ですか?

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【同窓生に聞く#01】中鉢良治さん(元ソニー社長、産総研最高顧問)がリアルに感じていることって、何ですか? 取材・文・写真/大草芳江

2022年10月27日公開

同質だけでは広がりも発展もない

中鉢 良治 Ryoji Chubachi
(元ソニー社長、産業技術総合研究所最高顧問、
ゆうちょ銀行取締役、NTT取締役)


1947 年宮城県玉造郡鳴子町(現 大崎市)生まれ。工学博士。宮城県仙台第二高等学校を経て東北大学工学部へ進学。1977 年東北大学大学院工学研究科博士課程修了。同年ソニー株式会社入社、2005 年同社 取締役代表執行役社長、2009年同社 取締役代表執行役副会長。2013 年より独立行政法人(現 国立研究開発法人)産業技術総合研究所理事長に就任、2020年から現職。2018年から株式会社ゆうちょ銀行 取締役、2022年から日本電信電話株式会社 取締役も務める。

 【東北大学全学校友会「宮城萩友会」コラボレーション企画 Vol.01】
 東北大学の同窓生を訪ねるインタビューシリーズの第1弾は、元ソニー社長で産業技術総合研究所最高顧問の中鉢良治さんです。中鉢さんは宮城県玉造郡鳴子町(現 大崎市)のご出身で、東北大学大学院工学研究科で博士号を取得後、技術者としてソニーに入社。その後、同社を経営者として率いた後、日本最大級の国立研究機関である産業技術総合研究所の理事長として、技術と社会の橋渡し役を担ってきました。そんな中鉢さんがリアルに感じることとはそもそも何か、聞きました。

<目次>
 第1部 同質と異質
  ◆ 高校までの絆と大学での絆は違う
  ◆ 大学で感じた「異質なもの」の広がり
  ◆ 非効率の効用
  ◆ 同質なものだけでは発展性がない
  ◆ 異質なもの同士の結合
 第2部 部分最適と全体最適
  ◆ 個々人が考えるのは部分最適
  ◆ トヨタ生産方式の「横展開」を四合瓶1本で
  ◆ 全体最適を享受できる関係性づくりが必要
  ◆ 全体最適を成立させるには
 第3部 違和感の大切さ
  ◆ 嘘も本当も皆、情報
  ◆ 懐疑と信念のバランス
  ◆ 違和感に正直であること

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中鉢良治さん(産総研理事長)×海輪誠さん(東北活性研会長)対談:東北の未来創造にむけて
ソニー株式会社代表執行役副会長の中鉢良治さんに聞く:社会って、そもそもなんだろう?



第1部 同質と異質

◆ 高校までの絆と大学での絆は違う

大草(以下―) 東北大学の全学同窓会組織である「萩友会」宮城支部役員を拝命したことをきっかけに、同窓会を活性化させるにはそもそもどうすればよいかを考えてみました。周囲にもいろいろ聞いてみたのですが、まず、特に若い世代ほど、同窓会あるいは大学そのものに対して、そもそも親近感を覚えていない現状があるようです。どのような時に人は親近感が湧くのでしょう。それは、人が一番「面白い」と思っていることに自分も共感できた時ではないかと思います。そこで、同窓生の皆さんが何にリアリティを感じていらっしゃるのか、直接伺いに行くことにしました。その第一弾として取材をお願いしたのが、中鉢良治さんです。本日は、中鉢さんが何を一番面白いと思っているのか、つまり、何に一番リアリティを感じているのかを伺いたいと思います。

 社会とは、そこに住んでいる人の生活と、その連続性、歴史性が基本だと思うのです。ですから地域で何かをやる時、連続性や歴史性というものを共有できなかったり、一緒に住んでいる土着感がなかったりすると、人はなかなか結びつきづらいものだと思います。

―「土着感」というものを感じている人と感じていない人がいますよね。もともとその土地にずっと住んでいる人は「土着感」が強いと思いますが、例えば、他所から来た人で人生の大半をその土地で過ごしていても「未だ地元と感じられない」という話も耳にします。中鉢さんは、宮城県鳴子温泉川渡のご出身で、進学のために、高校から仙台にいらっしゃいましたね。

 地元で生まれ育った幼友達は、ものすごく一体感が強いですよね。大体は同じ小学校に通い、中学校に通い、同じ土地の高校に通います。地元を離れることは、人生の一貫性を崩していくような気がするわけです。

 それまでは半径2kmくらいの地域で生活していたのが、新幹線や飛行機に乗って、物理的にその土地から離れる、それは、自分の社会が広がっていくことになります。そして、同時に、その土地に根ざしている連続性、歴史性とも、離れることになるわけです。

 大学になると、いわば全国区になります。

 全国から集まった学生たちが、故郷を離れ、同じキャンパスで一緒に学生生活を送り、その後、専門に分かれて、それぞれの学部に散っていく。学部に行けばまた、新たな連続性と歴史性が始まるわけです。

 そのような中で生まれる大学生の絆は、高校の時の絆とは、違うんじゃないかと、私は思います。


◆ 大学で感じた「異質なもの」の広がり

―小さい頃は狭い半径の社会で、友達も含めて周りの環境も同じですけど、その後は、自分も成長して変化し、物理的にも離れていき、土地に根ざした連続性や一貫性は、崩れていきます。一方で大学という新しい社会に入ります。そこでのリアリティとは何でしょうか?

 高校の時とは違い、自分の成長というものを、一番感ずる年齢だと思うのです。将来のキャリアプランも含めて、大きく舵を切る年齢になっている点では、皆同じ立場なわけで、ある種の連帯感があるのではないでしょうか。

 大学というのは、学ぶ学問は違っても、自分の進む道をどう見つけようかと必死に悩み、学んでいる期間のような気がします。

―アイデンティティの確立という、人生で最も重要な共通項がある時期ですね。

 その面白さがありますね。それは高校時代とは異質なものではないかと思います

 生まれた場所は自分で選べるわけではないですし、小・中学校もだいたい、自動的に入るわけです。「同質のものに対する憧れ」みたいなものが高校までの期間にあるとすると、大学では「異質なもの」に触れる期間だと思います。

 高校生までは「仲間」でしたが、大学生になると友人が「ベンチマーク」のような存在として、お互いに影響し合い、自分も成長しようと、ものすごく意識するようになりましたね。知識に対しても、経験に対してもです。

 その結果、視点が広がっていくのを感じましたし、自分が成長しているなと実感しました。

―私も、自分にない感性や知性を持つ人に寄っていこうとします。一緒にいたら、自分が成長できるんじゃないかという予感からです。それは特に18歳頃の最重要事項でした。

 「この人はきっと、自分にとってプラスに違いない」という打算のようなものが無かったと言えば、嘘になりますね。

 ですから、できるだけ異質なものに興味を持って、近づいていった気がします。そこには「自分を成長させるに違いない」という気持ちが、意識的、無意識的にあったのだと思います。同質なものに対しては、「もう卒業した」と言う感覚でしょうか。

―中鉢さんの中で、これまで一番「異質だったもの」は何でしょうか?

 高校でも文系・理系はいますが、文系・理系と立場をはっきりさせて議論したことはありません。ところが大学になると、自分をプロフェッショナルとして十分意識していますから、ポジションが明確になり、話が面白いんです。

 理系の立場なら、理系をベースに知識や経験を得て職業人になろうという気持ちがあります。同じようなプロセスを文系の人たちはどう考えているのだろう、ということに興味がわいてきたりするわけです。

 自分は東北の高校出身だけれど、他の地域では、どのような教育が行われていたのだろうとか、どんな本を読んでいたのだろうとか、興味を持ちます。友達の下宿に遊びに行って本棚を見ると、その人の頭の中を想像できますよね。逆に自分の本棚を見られると、頭の中身を見られているような気がしたのですが。

―中鉢さんは、どんな本を読んでいらしたのでしょうか?

 僕は、いわゆる純文学が多かったですね。そういう世界に、ものすごく憧れていたんです。今でも、そのようなところがあります。

―文系の人への興味は、それに近いところにあったりしたのでしょうか?

 そうですね。未熟なところもあるけどマセた人は、僕の興味の対象でした。


◆ 非効率の効用

―中鉢さんのお話と今の現役の大学生は、だいぶ違う世界にいるように感じます。私、すごく衝撃を受けたのですが、知り合いの工学部3年生の学生さんが、コロナの年に入学して2年生までずっとオンライン授業で、3年生になってやっと対面授業が始まったそうなんですが、「まだ友達がいない」と話していたんです。「対面が始まったのに、なぜ?」と聞くと、「今まで2年間ずっと話しかけたことがなかったのに、今更、声をかけられない」って。唯一、サークルの友達はいるそうですが、それ以外の人とは話す機会がないらしいのです。ですから、中鉢さんの今のお話と、ものすごく対極の世界だと思ったんです。コロナ禍とITの発展で、友達との相互作用の中で「異質」を感じる機会が、自らのアイデンティティに向き合う18歳から20歳の間にほとんどないまま、次のステージに行ってしまうのかなと。そのことが、その人にとっても社会にとっても今後どのように影響するのだろう、って。

 それは可愛そうですね。互いに気が合う、というのが友達形成の最初ですよね。すると、「僕の友達に面白い人がいるんだよ、次回から彼も仲間に入れないか」という話に発展していきます。

 でも、成功確率はあまり高くなくて、僕は友達Aとは気が合うけど、友達Aの友達Bとはなかなか友達になれないケースも結構ありました。中には友達Bが面白くて、AよりもBと仲良くなるケースもあったりしました。

 それでも自分の意志で選ぶより、確率的な広がりを持てたような気がします。それまでは、なんとなく「友達の友達は、他人だ」と思っていた世界が、「友達の友達も、友達だ」に広がったんですね。

―高校までは「同質」と感じていた友達との関係性が、大学以降は「異質」同士ですから、友達Aの紹介で友達Bとなれば、自分との1対1よりも、異質同士の組み合わせの方が、バリエーションはかなり増えるイメージですね。

 そちらの方が、自分の夢、自分の知りたいことに、早く近づくのではないか、という気がします。

 ネットは本来、そのような可能性を結びつけるものだと思いきや、むしろ今、分断されているような気がするのです。そこを補うようなことをしないと、今あなたが言われたように、若い世代の人たちが物足りなさや限界を感じる環境になってしまうと思いますね。

―得たいものを効率的に得ようとして、逆に本質的なものを失うことは、よくありますよね。むしろ一見、非効率に見えるやり方の方が、むしろ自分の夢に近づくのではないか、というのは、私も肌身で感じます。それにネットは本来、広くて多様な世界と思っていたのですが、案外、異質同士でなく、同質なもの同士を結びつける世界かもしれませんね。

 ネットで検索するという行為は、便利ですが、時につまらない感じがします。底が浅いような気がするのです。ところが、友達を通じて得る情報は、一見非効率的に思えることでも、なにか夢があって、そこに辿り着いた時に、膨らみがあるのですね。

―私も、本当に知りたい情報は、ネット等で事前に調べることは我慢して、まず直接その人に聞きに行くようにしています。

 先生のところへ尋ねに行ったり、友達の話を聞いたり、そういったベーシックな営みが、どういう風に作用するのか、興味がありますね。

◆ 同質なものだけでは発展性がない

―同窓会も、人と人のつながりをベースとした関係性に興味がなくなっていることと、今のお話の背景はつながるような気もするのですが、如何でしょうか。

 今、大学自体も非常に変わってきていますし、一方で、自分自身も年を取っていくと、「同質なもの」と「異質なもの」のバランスを取らないと、ものすごくつまらないことに気がつきます。同質なものだと緊張感がないし、異質なものだと、ものすごくストレスが溜まるわけです。

―確かに、それはそうですね。

 だいたい同窓会の場では、自分と同じ世代とは多く会話をするけど、そうでない世代とはあまり会話をしないのが一般的ですよね。僕はおじいちゃん世代ですが、孫が同じ同窓会に入っていたとして、孫と同窓会で話すとは思えないんです。しかし、かといって、同質なものだけでやっていくと、やはり発展性がないように思います。

 それを打ち破るのは、異なる世代でも、やはり「友達の友達は、友達だ」。そういった視点を加えないと、閉鎖的になっていくのではないでしょうか。何か新しい力が必要な気がしますね。

―そのためには、具体的にどんなことが必要だと思われますか?

 例えば、ですよ。おじいちゃんの同窓会に、孫が東北大ではないけれど、「見てみたい」と参加してくれれば、今度はお互いの孫同士で同じ同窓会を軸にして、「友達の友達は、友達だ」の関係ができるのではないかと思います。

―「おじいちゃん」という共通項を基軸にして、異質を入れていく場の設定が必要、ということですね。

 そうしないと、世代を超えて、発展しません。おじいちゃんがなぜ同窓会に行くかは、また別のテーマですけどね。

 つまり、「同質なもの」には、やはり限界があります。大学になると、自分の成長、キャリアをつくろうとする人たちで満ち満ちているわけですから、その活力があるわけです。

 いずれにしても、友達を1対1で自分が恣意的に選ぼうとすると限界がある、ということです。それを打ち破る力は「友達の友達は、友達だ」であったりする、ということです。


◆ 異質なもの同士の結合

―同質なものに異質を入れるという点では、例えば、現役の学生さんと卒業生とのつながりができると、やっぱり違いますよね。

 いいことですね。でも、いきなり集めても、なかなか成立しないのではないでしょうか。それなりの場の設定が必要ですね。

―確かに、何らかの場の設定がなければ、共通の知り合いから紹介でもしてもらわない限り、先程のお話の通り、つい知り合いや同世代と話してしまいますものね。

 我々の世代では「ワクチン何回打った」とか「あそこの医者はいいぞ」とかが話題となりますが、若い人は「メタバースが面白い」「AIの可能性は?」とかに関心がある、そんな両者の話が噛み合うわけないじゃないですか(笑)。いくら「異質なものが大事だ」と言っても、そこに何か両者を結びつける"演算子"が必要な気がします。そのためには、まず「あなたはなぜ萩友会にいるのですか?萩友会に何を期待しますか?」を調べることも大事だと思います。


第2部 部分最適と全体最適

◆ 個々人が考えるのは部分最適

―それでは、中鉢さんご自身は、同窓会の存在意義は何だと思われますか?

 大学卒業後に大学を意識する時は、いつだろう?と考えると、私個人を説明する時、出身大学が、私という人間のクオリティを、ある程度保証してくれる"保証書"のような役割を果たしてくれる気がするのです。

 「ああ、東北大学出身ね」という、社会の"一般的な"認識がありますから、その名を借りて、大雑把に説明をしてくれるものだと思います。

 それと、同窓会の絆にはどんな実利があるかということです。あれば、それを得たいと思います。要するに、コネクションですね。これから何かをやろうとする時、新しい関係を築く場として役に立つのではないか、という期待もあるわけです。

 名刺を交わし、二言三言の会話だけれども、「こういうことをしている先輩もいるんだ」と知ることは、その人に近づいていけるきっかけを得るようなものです。これは非常に実利的なものだと思います。

 ただし、その反作用もあって、同窓を利用しようという気持ちが強過ぎると、相手は警戒するだろうし、その一方で同窓であるが故に、なんとなく、助けてあげたくなる気持ちもある。この辺りの兼ね合いが大切なのではないでしょうか。


◆ トヨタ生産方式の「横展開」を四合瓶1本で

―私も、役員を仰せつかったことをきっかけに、同窓会の存在意義を考えました。同世代にも色々聞いてみたのですが、特に若い世代ほど同窓会に入るメリットがわからないので、そもそも興味自体が湧いていないのが現状だと思います。ですから、まずは同窓会のメリットの見える化が必要と考えました。そこで考えたのが、ジャストアイデアですが、「①萩友会プレミアム会員に入る(年会費を払う)と、仮想通貨100コインをプレゼント。②誰が何をできるか、得意技をリスト化(こんな相談や依頼に◯◯コインで乗れます)。③こんなことを相談したい投稿欄(相談に乗ってくれたら、お礼に◯◯コインあげます)。④貢献具合の可視化(仮想通貨ポイント獲得ライキング)。⑤専用Webは会員のみ閲覧可(一般公開OKも選択可)。」みたいな形で、同窓生の皆さんにそれぞれ得意技を挙げてもらって誰が何をできるかを可視化しておいて。次に、例えば、人生で何か困ったことがあった時、こんな人にこんな相談をしたい、それで助けてもらったら、「ありがとう」の感謝の気持ちを仮想通貨みたいな形で可視化しておく。そのポイントが貯まっていくと、今度はそのポイントで誰かに何かお願いできる。みたいな仕組みを、総合大学の強みを活かして、萩友会でつくったら面白くないですか?という話を、同窓会の役員会で提案しました。

 それ、僕が20年くらい前に考えたことに似てる(笑)。

 何かイノベーティブなことを横展開したい、というのは、言ってみれば、上に立つ者のエゴなんです。当事者にとってみれば、「自分が努力して得たものを簡単にタダであげるものか」となる。その時、横展開のルールづくりを考えたんですよ。それは、企業(ソニー)の時もやったし、産総研(産業技術総合研究所)の時も、同じことをやりました。

―どんなことをされたのでしょう?

 僕はね、四合瓶1本の感謝。

―四合瓶1本ですか(笑)

 四合瓶1本でいい。それ以上は必要ない。その感謝の気持ちを、口だけではなく、四合瓶1本で表す。四合瓶1本の感謝は必要な気がします。

 事業所ごとに生産性を上げるのに行うトヨタ生産方式の「横展開」は、自分たちの中で行う時はよいけれど、ほかの事業所に移すとなると作業や現場の教育が必要なわけです。その時、横展開に尽力してくれた仲間たちに四合瓶1本の感謝をしなさい、ということです。

 横展開の場ではないのですが、産総研の時も、全国に研究所があるので、皆が一堂に会した時は、自分の土地のお酒を、自分が飲む分、つまり四合瓶1本ずつ持ち寄ろう、というルールを作りました。そして懇親会の席上で、自分の持ってきた酒を自慢しながら飲み合うわけです。

 僕も参加する時は、自分が飲む分の四合瓶1本を持っていくわけです。僕はだいたい樽酒を持っていきました。樽酒は香りがするので、人気がありましたね。

―お酒の金額が問題ではなくて、その人の貢献をきちんと理解して感謝しています、という意思表示が大事なのですね。それを四合瓶1本で可視化したわけですか。

 四合瓶1本、2本は要らないというルール、これは結構受けましたね。ただね、自分のすべきことをしない人には、特例を課すわけです。「君は自分がやらなければならないことを怠った、だから四合瓶1本ではない、一升瓶を持って来なさい」とね。「一升瓶1本で勘弁してもらえるんですか?」「勘弁する」(笑)。その一升瓶を皆で飲むわけです。

―それで皆も、笑って受け入れたという意思表示になりますものね。

 そうそう、皆も笑って過ごせるじゃないですか、仲間としてね。


◆ 全体最適を享受できる関係性づくりが必要

―そういうところまでトップが考えないと、やはり組織全体としては維持・発展していかないですよね。

 同じ会社だからと言ったって、ライバル意識もあれば、足の引っ張り合いもあるわけです。

 それは、部分最適と全体最適なんですよ。「東北大出身者が皆、力を合わせてやっていけ」と言ったとしても、恐らく「何のために力を合わせる?」となる。なかなか実感が持てない。個々人は部分最適を考えていると思うのです。そこに全体最適があるのか、ということなのです。

 全体最適とは、先程の「同窓生である」という保証書の価値が上がることなのです。東北大学の価値が上がる。皆で価値を上げよう、上がれば、自分も配当を得られる、そのような関係に持っていかないと、なかなか実感がないですね。

 何もしないと、全体最適の視点を持つのは、同窓会の会長や理事だけ、ということになってしまう。そうではなく、あまねく会員メンバーも、全体最適というものが享受できるような関係性をつくらないといけないんじゃないですか。


◆ 全体最適を成立させるには

―「部分最適と全体最適」は、私にとっても起業した学生当時からずっと重大なテーマです。中鉢さんは、どのようにお考えでしょう?

 「全体最適」とは、損得で言えば、自分が損することを是とする考えで、「利他の心」と言ってもよいでしょう。それがないと、全体最適は成立しないと思います。「共通善」のような考え方をしないと、全体最適の実現は難しいでしょうね。


第3部 違和感の大切さ

◆ 嘘も本当も皆、情報

 私が浪人の時、東京の大学にストレートで入学した高校の同級生が、夏休みに仙台に帰ってきて、「マクルーハンを知っているか」と言うのです。

 マーシャル・マクルーハン(1911年~80年、カナダ出身の英文学者、文明批評家)は、要するに、メディアが伝えることもまた、ひとつの情報になると論じた学者です。それが今のプロパガンダにもつながっているわけですね。

 ですから、本当の情報とは?と言うと、嘘も本当も皆、情報なんですよ。それを見極める目をどう教育するかは、難しいですね。

 僕は、「私は客観的に伝えることを旨としている」という人間は何か信用できないと感じます。ですから僕は周囲の人に、「自分は世界一の嘘つきだ。筋金入りの嘘つきだから、覚えておくように」と言っているのですよ。言われた方も困るでしょうが...。(笑)

―それは、「自分の頭できちんと判断しろ」って、逆に言ってもらっているわけですよね。そう言ってくれる方が、親切だと思います。


◆ 懐疑と信念のバランス

―別に外国のことをよく知っているわけではないですけど、特に日本人って、まず先生とか絶対的に上の立場の人がいて、「その人の言うことは全部、客観的に正しい」という意識が強過ぎるから、それを前提とせずに、自分の頭で考える思考の訓練を全然やったことがない、というのはすごく感じますね。

 どうすればいいと思いますか?

―それは中鉢さんも仰っていたように、客観的に正しいものが、ひとつひとつ、そこに絶対的に存在しているわけではない、という前提を認識することが必要だと思います。あくまで、ある人間が対象を切り取った認識の結果でしか無い、という。例えば、日常でも、たとえ同じ言葉であっても、どの前提かによって意味が全く変わるという前提を認識した上で、物事を判断する必要があると思います。

 それでは、随分、懐疑的になって、何も信じられなくなってしまうのではないでしょうか。皆疑うと懐疑的になって、皆信じると狂信的になる。懐疑と信念、そのバランスの上に立って判断しないと、物事がわからないと思います。

 これは恐らく、哲学の世界の「疑っているのは自分だ、それだけは疑うな」みたいなもので、疑っている自分自身まで疑うと、わけがわからなくなります。

―「我思う故に我あり」ですね。

 そう、我思う故に我あり、なんですよ。それ以外は無いんです。でも日常、そういうことを考えて生活することはできないですよね。

―今はあまり日常的には考えなくなりましたけど、冒頭で話題になった18歳の頃は、そういうことばかり考えていました。自分はどうしてこう考えるのだろうとか、それは本当に正しいことだろうかとか、自分は何を信じられるのかとか。その自分が思うこと、「考えよう」と思う動機そのもの、「自分の意思」と思っていることは、そもそも一体どこから来ているのだろう?とか。そういうことが18歳当時は一番重大なテーマでしたし、別に何か目的があって考えていたわけではなかったのですが、今になって思えば、そういうところが自分の基盤になっているのだと感じます。

 僕も考えていました。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」的にね。

 会社だと最近は「パーパス」(会社の最も根本的な存在意義や究極的な目的、全体の指針)と言いますね。存在意義なんです。あなたは何者だ?What are you? その後にメッセージがある。そのために、あなたは何をやるのか。最後はビジョン、あなたはどこへ行くのか。

 それは法人であれ、個人であれ、問われるわけです。


◆ 違和感に正直であること

―中鉢さんはずっと、ご自身や他人、物事に対して真摯に向き合っていらっしゃったのだなと、改めて感じました。

 疑いっぽいだけですよ、僕は。「なんか変だな、しっくりこないな」というこの違和感ね。第六感みたいな。ここに一番、いろいろなヒントがある気がするんです。

 その違和感を、「自分の性格だから」とそのままにしておくと、後で"しっぺ返し"が来る感じがしているのです。必ず、その違和感は顕在化してきます。

 私は、その違和感を覚えながらもスルーすることは、生き方として誤魔化しだと思います。「ジャマイカ」の世界。考えてもキリが無いから、「じゃー、ま、いいか」(笑)。でも必ずどこかで、つけが来るんです。

 商品開発をする時も、「100点ではないけど、ま、これが問題になることはないだろうな」みたいなところが、その後に問題になったりする。これは、やっている人でないとわからない。

―だいたい問題が起こるのって、その違和感のところですものね。中鉢さんは、違和感をセンサーとしてずっと大切にされてきたのですね。

 己の違和感に対して正直でありたいと思うわけです。

 それで、その違和感を共有し合えば、リアリティが出て、話が面白くなる気がするのです。話してみると、私だけでなく、他の人も結構思っていたんだな、ということを感ずるわけです。

―いつも中鉢さんのことを密かに「切り込み隊長」と心の中で呼んでいるのです(笑)。自ら最初にやってみせるので、他の人も「あ、本当のことを言ってよかったんだ」と、安心して遠慮なく発言できるのだなと、いつも見ていて思います。

 柵を超えて見せないと、皆、柵を超えないわけです。ただ、「あなた、若い時にそういうことをやれましたか?」というと、そうではないわけです。自分には、この違和感は、きっと他の方にもあるに違いないという計算が、ある程度あります。

―クリティカル・シンキングだけでなく、コモンセンスも同時に必要ということですね。

 心の底のまた底みたいなところを共有し合わないと、本当の絆ってないな、って感じがするのです。そういうものが、世代も超えた、これからのテーマのような気がします。

―今回、具体的なテーマとしては「同窓会」が切り口でしたが、中鉢さんが人そして社会に対して何にリアリティを感じているかを改めて伺いました。「己の違和感に正直でありたい」という芯をずっと持ち続けることと、他人と「本当の絆」を構築していくこと。いずれも、人生の主軸となる大切なものですが、それを両立させることは、決して簡単なことではないと思います。そのバランスを取りながら、実践されてきたプロセスが、中鉢さんという方を形づくっているのだと改めて感じました。「同窓会」の今後あるべき姿に対しても、多くのヒントをいただけたと思います。中鉢さん、本日はどうもありがとうございました。

地震の発生予測に挑む(京大防災研の西村卓也さん・京大名誉教授の平原和朗さんに聞く)

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「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」が目指すものインタビュー Vol.02 取材・文/大草芳江

2023年1月26日公開

「地震の発生予測」に挑む

西村卓也さん(京都大学防災研究所 准教授)
平原和朗さん(京都大学名誉教授/理化学研究所 非常勤研究員)


西村 卓也 Takuya Nishimura
京都大学防災研究所 地震災害研究センター 准教授。2000年3月、東北大学にて博士(理学)を取得。国土地理院に勤務後、国土地理院地理地殻活動研究センター研究官および主任研究官などを経て、2013年より現職。文部科学省「情報科学を活用した地震調査研究(STAR-E)プロジェクト」採択課題の「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」における研究役割分担は地殻変動モデリング(GNSS)。

平原 和朗 Kazuro Hirahara
京都大学名誉教授/理化学研究所 革新知能統合研究センター 非常勤研究員。1981年 3月 京都大学にて理学博士を取得。日本学術振興会奨励研究員、京都産業大学理学部非常勤講師、京都大学防災研究所助手を経て、2005年より京都大学大学院理学研究科教授。2018年より現職。多くの政府委員会の委員や会長を歴任。文部科学省「情報科学を活用した地震調査研究(STAR-E)プロジェクト」ではプログラムオフィサーを務める。

 近年のビッグデータ、AIを始めとする情報科学の著しい進展を踏まえ、地震の調査研究においても、従来技術に加え新たな科学技術の活用が期待されている。こうした背景を踏まえ、「情報科学×地震学」を推進するプロジェクトとして、文部科学省の「情報科学を活用した地震調査研究(STAR-E)プロジェクト」が令和3年度からスタートした。その採択課題のひとつ「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」で目指すものは何か。研究協力者の西村卓也さん(京都大学防災研究所 准教授)と、STAR-Eプロジェクトのプログラムオフィサーを務める平原和朗さん(京都大学名誉教授/理化学研究所 非常勤研究員)に、本プロジェクトへの意気込みや期待を聞いた。

※ 本インタビューをもとに文部科学省採択課題「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」ホームページ作成を担当させていただきました。


地殻変動から見えるもの

― はじめに、西村卓也先生の研究のモチベーションから伺います。もともと西村先生はどのようなことに興味があって、どんな研究をしているのですか?

[西村] そもそもなぜ地震が起こるのか、そのメカニズムを知りたいという基本的な興味が、子どもの頃からあります。一方で、地震は災害をもたらしますから、地震被害を少しでも軽減できるよう、究極的には地震発生予測を目指して研究しています。

 特に(主に地表の動きである)地殻変動のデータを用いた研究に、学生時代から約30年取り組んでいます。研究している地殻変動は数日から数十年の時間スケールのデータなのですが、最近では、より長期的な地殻変動との関係、例えば日本列島がなぜ今このような形をしているのか等にも興味があります。

― そのモチベーションに対して、これまでどのようなことがわかってきたのですか?

[西村] 地殻変動の研究に関しては、私が研究を始めた頃、観測技術の大きな進歩という、ブレイクスルーが起こりました。その典型が、人工衛星からの電波を受信して位置を正確に測るGNSS(Global Navigation Satellite System / 全地球衛星測位システム)、一般にはGPS(GNSSの中でもアメリカが管理運用している衛星測位システム)と呼ばれる技術です。GNSSは、地表の変形を非常に高精度で測定できるため、日本列島のどこが今どれくらいの速さで移動しているか、日々刻々と捉えられるようになりました。そのような地殻変動データを用いることによって、断層が急にずれ動く地震だけでなく、地震計では感知できないほどゆっくりと断層が動く現象(スロースリップ)の検出など、次々と新たな発見がありました。


【図1】GNSS及び海底地殻変動観測によって得られた西日本の地殻変動(データ期間:陸上2005-2009年、海底2004-2016年)。アムールプレートに対する1年あたりの各観測点の移動速度を表示。

 そのような地殻変動データを用いて、日本列島の地下で生じる地震やスロースリップ及び断層にどのようにひずみが蓄積されるか等の断層運動について、理解を深める研究に長年取り組んできました。

― GNSSを用いて地殻変動を高精度に捉えられるようになったことで次々と新たな発見があった一方で、未だ難しい点とはどのようなことでしょうか?

[西村] 実は、地殻変動データが非常によくなったとはいえ、データにはノイズが含まれています。ノイズの中から、本当の地面の動き、しかも断層の動きが原因であるシグナル(S)と、観測ノイズ(N)を分離することが、とても難しいのです。

 断層のゆっくりすべり(スロースリップ)の中には、規模が大きくデータを見て明らかにわかるものもある一方で、シグナルかノイズか本当にわからないくらい小さなものも非常に多く発生しているので、それを見分けるのにかなり苦労します。

 さらに、地殻変動から地下の断層のすべりや、断層がどのように固着しているかの状態を知ることは、比較的単純にできますが、地震発生予測を目指すには、断層がどのような状態で固着したり・ずれたりするか、その摩擦特性まで知る必要があります。摩擦特性の推定は、さらに一段階進んだ研究が必要ですが、そこまで進まなければ地震の発生予測は難しいと考えています。


地震の発生予測を目指して

― そのような研究の難しさがある中で、「情報科学を活用した地震調査研究(STAR-E)プロジェクト」が昨年度からスタートしました。西村先生の研究と本研究課題「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」との関わりについて教えてください。

[西村] まず1点目は、地下で起こる断層のゆっくりしたすべり(スロースリップ)を私はGNSSデータから検出する手法を約10年前に提案したのですが、それが本研究課題にもつながっていくと考えています。


【図2】日本海溝から沈み込む太平洋プレートのプレート境界面で発生したスロースリップに伴う地殻変動と断層モデル

【図2】は、2005年4月14日頃並びに2016年7月19日頃に関東地方で発生したスロースリップを、GNSSデータを用いて検出した結果です。白い矢印が計算値、黒い矢印が観測値、図の右下にある矢印で2 mmですから、かなり小さな変化です。以前はこのような小さなスロースリップイベントを検出する手法はあまりありませんでしたが、簡単な統計指標を用いて客観的に探知する手法を提案し、SN(シグナル/ノイズ)比が低いデータからもイベントを抽出できることがわかってきました。

 客観的な統計指標を用いることは、機械学習以前に、科学としては当たり前のことですが、これがさらに進化していけば、機械学習が得意なディテクション(検出)などは今後、機械学習に置き換わっていくでしょう。

 2点目は、断層のすべりや固着は推定できても、そこから摩擦特性を知ることは難しいと先程も述べた点についてです。本プロジェクトの目標は、沈み込み帯における断層すべりのモニタリングシステムの確立であり、その中には摩擦特性の推定も含まれます。このモニタリングシステムを確立できれば、将来に向けた地震の発生予測に間違いなく近づくことになりますので、私もこのプロジェクトに関わっている次第です。

― 断層の摩擦特性の推定と地震発生予測の関係について、もう少し解説いただけますか?

[西村] 摩擦特性とは、断層がすべる時、つまり外から力をかける時にどのようにすべるかです。急激にすべると地震になるわけですが、急激にすべる場所もある一方で、ゆっくりとしかすべらない場所もあり、その摩擦特性は場所によって異なると考えられています。急激にすべる場所では、将来大地震が起こる可能性が高いですし、地震ではなくスロースリップ、あるいは普段からずるずるすべっている場所もあります(大地震とスロースリップイベントが相互作用して起きていることなども盛んに研究されています)。そのような摩擦特性を断層上でマッピングできれば、将来の地震発生予測に近づくだろう、と考えるわけです。

 それを知るためには、地殻変動から直接得られる断層すべりの速さ、つまり、いつ何時、どれくらいの速さですべったかの時間発展の履歴と、そこにどのような力が加わるか、その両方を知る必要があります。

 従来のモニタリングでも断層すべりの位置は一応推定できますが、そこから摩擦特性の推定まで行うことは、この研究課題の主目的でもあり、研究代表者である加納将行さん(東北大学理学研究科 助教)が長年取り組んでいる課題でもあるので、それが全部つながり摩擦特性の推定までいければ、将来の地震発生予測につながるものと大きく期待しています。


地殻変動研究のこれまでとこれから

― 続いて、文部科学省の「情報科学を活用した地震調査研究(STAR-E)プロジェクト」で全体のプログラムオフィサーを務めていらっしゃる、平原和朗先生に伺います。まずは、平原先生の自己紹介からお願いできますでしょうか。

[平原] 私自身は、5年前に京都大学を退職後、理化学研究所の革新知能統合研究センターという、人工知能を様々な分野に応用しようというセンターの防災科学チームに所属しています。そこでは、地震学や地殻変動学に機械学習を何とか取り入れようとしているので、このSTAR-Eプロジェクトは、まさに私もやろうとしたことなのですよ。

 ただ、難しさもあって、5年間で機械学習の専門家といろいろ話したのですが、やはり彼らも忙しいんですよね。さまざまな分野で今、機械学習の専門家が足りず、地震にはなかなか興味を持ってもらえない状況です。

 さらにデータの問題点も指摘されました。地震波形や地殻変動等のデータは特殊フォーマットで、誰でも使えるフォーマットになっていないと。機械学習の専門家が、ぱっと机に座ってザーッとやれる環境じゃないとか、いろいろな問題があります。

 そのような問題を打破するには、むしろ地震学者が機械学習に近づくしかないでしょう。機械学習の専門家が黙って寄って来てくれるわけではないので、地震学者がアピールしていく必要があると思います。さらに地震学者自身も、機械学習を学んで手を動かしながら、発展させていく。このSTAR-Eプロジェクトは、そのスターティングポイントになると思います。5カ年でどこまでいけるかは、非常に面白いところだと思いますね。

 機械学習の発展は、圧倒的な速さがあります。私自身、理研に入ってびっくりしたのですけど、地球科学者や地震学者が使うFortranというプログラム言語が、もう理研のコンピュータには入っていないのですよ...(笑)。Fortranを使うなら自分で入れろ、という。機械学習のプログラムコードはPythonで書かれています。確かにこれは学生にとっては非常にとっつきやすいですよね。

 脱線しましたが、要するに、若い人たちは、機械学習にかなりとっつきやすいと思います。それと、西村さんが先程仰っていた地震発生予測がマッチングすれば、大きな進歩につながると期待しています。

― 具体的にはどのような進歩をイメージされているでしょうか?

[平原] 西村さんが研究されていた、地表で2 mmという、ノイズの中にある地表の動きは、地下の動きに直す必要があるわけですが、地表の動きから地下の動きに直す過程にはまだまだ仮定がたくさんあります。地下が動くと地表が動くわけですが、プレート境界には、ずるっとすべる場所と、ずっと固着している場所があります。今のところは地球の内部構造が割と一様で不均質がない簡単な仮定でも十分通じますが、もう少し精度を上げようとすると、「ここが硬くて、ここは柔らかい」というものを入れてまた地下の動きに戻す必要があります。その固着の仕方を西村さんはGNSSデータ等から読み取ろうとしているわけです。

 その固着の仕方を、岩石の摩擦実験から得られた断層摩擦則の摩擦のパラメータで表すことができれば、今度はコンピュータの中で、プレート境界の動きを力学の方程式で再現することができます。さらに、それにGNSS観測等でその動きがよく分かっているプレート運動を与えることで、機械学習とはまた別の話ですが、地震が勝手に発生するシステムをつくることができます。すでに気象分野では数式を使った「数値気象予報」が実用化されていますが、いわば「数値地震予報」が理論的には可能になるわけですね。もちろん現実はそんなに甘くはないですが(笑)、我々研究者にとって夢のひとつです。

 STAR-Eプロジェクトで地殻変動をメインに扱っているのは、加納さんたちのグループだけですから、地震発生予測に近づく一歩をぜひ踏み出してほしいです。

― 他のSTAR-Eプロジェクトの採択課題では、どのような研究が行われているのですか?

[平原] STAR-Eプロジェクト全体としては、加納さんたちのグループの他にも、例えば、地震が揺れた時にどこが揺れるかを予測してマッピングするグループや、地震活動の長期・中期・短期予測を目指すグループ、余震活動の予測精度を上げるグループ、緊急地震速報に機械学習を活用しようというグループ、紙に残る古い地震の記録を遡るグループなどがあります。その中で、地殻変動から地震発生予測というイメージがあるのは、加納さんたちのグループだけです。

― 揺れを伴うような地震ではなく、ゆっくりした断層すべりを地殻変動データでモニタリングすることが本課題の目標で、地震波形データではなく地殻変動データを扱う点が本研究課題の特徴とのことですが、地震学全体の中で地殻変動研究はどのような位置付けにあるのですか?

[平原] 難しい質問ですね...(笑)、まず人口比は、地殻変動より地震学の方が多いです。地殻変動は昔、「測地学」と呼ばれていました。話は脱線しますが、僕は卒業後、専門だった地震学で当時ポジションがなかったので、測地移動班でひたすら大気の温度を測っていましたよ(笑)。「光波測量」といって、(地殻変動の検出のために)断層を挟んで光波測量儀とミラーを置き、レーザー光を打ち反射して返ってくる時間から距離を求めることを年1回程度、測るのです。(気温や気圧による光の速度変化が誤差を生むため)大気が安定する夕方に測るのですが、ほとんど大気の揺らぎを測るようなものでした。

 ちょうど私が地殻変動の研究を始めようとした時にGPSが登場し、レーガン・中曽根の日米貿易摩擦解消のためGPS受信機を大量購入せよと言われました。京大防災研にいたのですが、当時は1台3,000万円~4,000万円もしたGPS受信機(現在は約100万円)を約10台買いました。そんな時代から始まりましたね。

 今は24時間、最低4個は衛星が飛んでいますが、最初の頃は3時間ぐらいしか飛んでいなくてね。ですから昔は夜中に起きて観測した時もありました。すみません、昔の話に脱線して(笑)。

― 昔のお話を伺って、GPS登場が如何に画期的だったかが、よくわかりました。

[平原] そういう古い話ならいくらでも(笑)。まだ国土地理院がGPS観測点を設置していなかった昔に、南大東島に行きGPSで島(フィリピン海プレート)の動きを測ったことがあります。あそこは本当に面白いんですよ。沖縄に向かって年間10cmくらい、ひょっこりひょうたん島みたいに動いているのですよ。

― 私も昔の話に脱線しますが、幼い頃、「ハワイが日本に毎年約6cmずつ近づいている」と聞いて驚きました。それもGPSで地殻変動を観測できるようになってわかったことですか?

[平原] それはVLBI (Very Long Baseline Interferometry/超長基線電波干渉法)で観測された結果ですね。地球から数十億年後年彼方にある準星(クエーサー)が放つ電波を複数のアンテナで同時に受信し、その到達時刻の差からアンテナ間の距離を数mmの精度で測る技術です。

[西村] VLBIは、GPSと原理は似ていますが、大型のアンテナが必要です。GPSは人工衛星からの電波を受信して位置を測りますが、VLBIはクエーサーという非常に遠くにある星から来る電波を受信するために、10 m級のパラボラアンテナが必要です。非常にお金がかかるので、日本にも数台しかありません。それを使って日本とハワイとの距離を測ったのが最初です。GPSの登場によって、VLBIよりもずっと安価・小型で地球上の遠く離れた2地点の距離を計れるようになった、ということです。


データ科学との融合

― 昔のお話を伺って西村先生が冒頭仰っていたブレイクスルーの意味がよくわかりました。最後に、今後の研究の意気込みについて伺えますでしょうか?

[西村] GNSSを用いた観測点は現在、国土地理院の基準点が全国1,300ヶ所ありますが、今後さらに爆発的に増える流れにあります。特に民間の携帯電話会社等が独自の基準点を運用するケースが増えており、例えば、日本ではソフトバンクが全国3,300ヶ所以上に設置しているGNSS観測データを活用する流れもあります。さらに陸上のみならず、海底の観測網が、南海トラフや日本海溝沿いにもどんどん新設されているので、データはさらに増大することが期待されます。

 観測点の数が、1,000点ぐらいまでなら人間の目でも判定できますが、それ以上増えれば、それもできなくなってきますよね。データの増大に対応するためにも、機械学習や情報科学を使った処理が今後は必須になると思います。

 また、私も今住んでいる西日本の人たちにとって大きな脅威である南海トラフ巨大地震が、今後数十年のうちに起こるだろうと言われています。それまでに、このプロジェクトで目標とする断層すべりのモニタリングシステムを確立し、その時を待ちたいです。たとえ、次の南海トラフ地震の発生予測は難しいにせよ、将来に向かって予測につなげられるよう、研究に邁進したいと考えています。

― 続いて、平原先生からも、本プロジェクトへの期待をお聞かせいただけますか?

[平原] STAR-Eプロジェクトのグループ間でも、若い人たちは情報交換を積極的にされていると聞いています。5ヶ年のプロジェクトが終了し、ある程度の成果が出たら、それらが合体し、新しいものを生み出してくれると期待しています。

 そして、やはり、南海トラフ地震の発生予測に何らかの貢献をしてほしいと思いますね。西村先生も仰っていたように、次の地震の発生予測自体は難しいにせよ、何らかの爪痕を残したいものです。次の地震が発生する時、どういうことが起こりそうか何かアイデアを持った上で、観測しデータを見なければ、何が起きているかわからないですからね。必ずしもうまくいくわけではありませんが、そんな時にこのSTAR-Eプロジェクトが大きな役割を果たすことを期待しています。

 さらに、機械学習の研究者にも地震学や地殻変動学の研究課題を理解してもらい、新たな参入を呼び起こせると非常によいですね。「これ、結構面白そうじゃないか」と思っていただけるとありがたいです。

[西村] 平原先生も仰る通り、分野融合は重要だと思います。自分の視点が狭くなったり、情報科学の世界では常識でも、地震学や測地学の世界では全然知られてない手法等も多々ありますからね。そういうものを組み合わせて新しいものが研究できればと思います。

― 平原先生、最後に何か言い足りないことはありませんか?

 むしろ、こちらから伺いたい。「地震とAI」というタイトルから、何を想像されますか?

― やっぱり素人ほど、「AIが地震発生を予測してくれるだろう」と思うと思いますね。

[平原] だといいんですけどね(笑)。5年ではなかなか難しいですが、このプロジェクトを出発点として、地震学や地殻変動学がその方向へ大きく変わっていけるといいですね。

 そのためにも、繰り返しにはなりますが、やはり若い人たちに何とかアピールしたい。地震学も地殻変動も今、若い研究者が減っているのです。機械学習の研究者にもどんどん参入いただきたいですね。


― 西村先生、平原先生、本日はどうもありがとうございました。

若手研究者座談会「地震学×情報科学の融合で得られたもの」

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「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」が目指すものインタビュー Vol.03 取材・文/大草芳江

2024年9月20日公開

若手座談会「地震学×情報科学の融合で得られたもの」

田中 優介 さん(東北大学大学院理学研究科 特任研究員)
中川 亮 さん(東北大学大学院理学研究科 修士2年)
福嶋 陸斗 さん(東北大学大学院理学研究科 学術研究員)


田中 優介 (Yusuke Tanaka)
2022年3月、東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻博士課程修了、博士(理学)。2022年4月より同専攻特任研究員 (STAR-Eプロジェクト)、現在に至る。

中川 亮 (Ryo Nakagawa)
2022年3月、東北大学理学部物理系(宇宙地球物理学科)卒、2022年4月同大学大学院理学研究科地球物理学専攻進学、2023年6月に同大学院を休学し、cole Normale Suprieure (仏)にて8ヶ月間の研究留学を経て、2024年4月より同大学院に復学、現在に至る。
福嶋 陸斗 (Rikuto Fukushima)
2024年3月、京都大学理学部地球物理学系卒。2024年4月から7月まで、東北大学理学研究科学術研究員。2024年9月より Stanford University, Department of Geophysics Ph.D.課程進学予定。

 近年のAIを始めとする情報科学の著しい進展を踏まえ、地震の調査研究においても、従来技術に加え新たな情報科学技術の活用が期待されている。こうした背景を踏まえ、「情報科学×地震学」を推進するプロジェクトとして、文部科学省の「情報科学を活用した地震調査研究(STAR-E)プロジェクト」が令和3年度からスタートした。その採択課題のひとつ「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」で得られたものとは何か。これからの測地学・地震学を担う若手に聞いた。

※ 本インタビューをもとに文部科学省採択課題「データ同化断層すべりモニタリングに向けた測地データ解析の革新」ホームページ作成を担当させていただきました。

―はじめに自己紹介をお願いします。 もともとどのようなことに興味があって現在の道に進んだのですか?STAR-Eプロジェクトに参加した動機や研究テーマも教えてください。


地下という未知の世界にロマンを感じて

田中: 子どもの頃から自然観察や山歩きが好きで、高校生の時は地学部に所属し、石を拾ったり星を見たりしていました。大学では法則と数値で表せる物理で地球を調べたいと思い、地球物理学を専攻し、一貫して地球系の勉強をしてきました。一番の興味は地震・火山です。地震が起きると地面が揺れたり、噴火すると真っ赤なマグマが見えたりしますが、断層すべりやマグマ移動など大元となる現象は地面の下で直接見ることはできません。人類は月面には到達しましたが、地下10 kmは誰も見たことがない、人類が宇宙よりも知らない世界が地下です。簡単には見えないところにロマンを感じます(笑)。

 そもそも地震を天気予報のように予知できない理由は、答え合わせができないためです。地下深くにある断層が、実際に動く様子を目の前で見ることはできないため、本当の正解を確かめることはできません。そのため、限られたデータから、例えば地下の断層がどれだけすべったかといった情報を如何に取り出せるかは、単に測るだけでなく、測った結果を高度な技術を用いて解析する必要があります。そのモデル化やデータを分析するところで、情報科学が登場します。もともと解析手法に興味があり、解析の数理的技術にじっくり触れたいと思い、STAR-Eプロジェクトに参加しています。


南海トラフ地震発生リスク評価への応用を目指して

中川: 小学生の頃、住んでいた東京で東北地方太平洋沖地震の揺れを体感し、大勢の方が被害を受けたのを見て、防災や減災に貢献できる研究がしたいという想いがありました。学部生の時、東北大学理学部の地震・噴火予知研究観測センターに所属したのも、研究室の先生方が地震という災害に対して理学の立場からプロ意識を持って取り組んでいる姿が印象的だったためです。また、高校の時から身近な現象を数式に基づき説明できる物理に面白みを感じていました。大学では物理系に進学し、関連分野の中でも特に高校物理の延長のように感じた弾性体力学に面白さを覚えました。研究室選びの際には、自分が好きな学問を手段にできたらと思い、弾性体力学を使う場として固体地球物理学を選びました。現在の研究テーマは、そんな自分の興味と目的意識にぴったり合うテーマです。

 南海トラフ近くで観測されている地殻変動データから、巨大地震を誘発する可能性があるプレート境界のスロースリップというすべり現象を検出し場所と大きさを推定する研究を行っています。最終的には、スロースリップを検出して詳しく調べることで、どこがどれくらいすべっているか、すべっていない場所はどこかを正確に調べ、南海トラフ地震の発生リスク評価に応用されることを考えています。修士1年生の頃からSTAR-Eプロジェクトに参加し、今年で3年目です。修士2年の時に休学し、フランスで8ヶ月間の研究留学をしていた間も、同じ研究テーマに取り組んでいます。


地震の発生メカニズムを数式で理解したい

福嶋: もともと自然が好きで、地震や大気現象など大きなスケールで起きる現象の壮大さに惹かれ、興味を持っていました。一方で、数式を通して現象を理解できる物理も好きで、地球に物理的なアプローチで迫りたいと、京都大学理学部地球物理学系に進学しました。大学入学後、地震のシミュレーションを行う研究分野があることを知り、地震の発生メカニズムを数式で表すことで定量的に理解するアプローチに興味を持ちました。

 学部2年生の終わりに研究室訪問として宮崎真一教授のもとを訪ね、宮崎教授から地震シミュレーションの基礎的な知識を教わりました。STAR-Eプロジェクト研究代表者の加納将行助教が宮崎教授の教え子という縁で加納助教と学会で知り合い、「物理深層学習の断層すべり問題への適用」というテーマで研究をすることになり、卒論も含めて2年間研究を続けてきました。今年9月からスタンフォード大学Ph.D.課程に進学予定で、渡米まで空白期間となるところ、東北大学の学術研究員という身分をもらい、7月まで同じテーマで研究を続けています(2024年7月取材)。

―次に、研究内容について、研究テーマを選んだ理由も含めて教えてください。


GNSSデータから機械学習を用いてスロースリップのシグナル検出

田中: 学生時代から、測地学という、地球の形と大きさを精密に測定しその時空間的な変動を捉える学問を専門にしています。地震は、プレート境界面の中で強くくっついている場所、固着域と呼ばれる領域が動いてひずみが解放されることで起こると説明されますが、地面が揺れるような速い動きではなく、人間が揺れを感じることのないゆっくりとした普段の地面の動きを精密に測り、予測モデルをつくる研究です。地殻変動を観測する道具は色々ありますが、私の場合はGPSを代表とするGNSS(Global Navigation Satellite System)にお世話になっています。これは衛星から電波を飛ばして地上の観測点との距離を測定し、そこから観測点の精密な位置をミリ単位で把握することで日々の地面の動きを測定する装置です。学生時代は、GNSSの生データから直接断層すべりを推定するアルゴリズムの開発に取り組みました。

 現在はひとつ目の研究テーマとして、GNSS地殻変動時系列から機械学習を用いてスロースリップイベント(Slow Slip Event:SSE)のシグナルを検出する研究に取り組んでいます。スロースリップはプレート境界が自発的にゆっくり動いて少しだけひずみを解消するという現象(数日から数年かけて数mmから数十cmすべる現象のため地震計では観測困難)ですが、そのシグナルをGNSS時系列から見つけ出すために多種多様な数理的技法が使われてきました。一方で機械学習を用いた検出というのはなぜかほとんど行われていない状況です。地震計データから地震波のシグナルを検出する目的では盛んに機械学習が用いられているので、同じことをGNSSでやろうというのが、この研究です。現在はその初期段階として、GNSS時系列のノイズの複雑な時空間変化がどのように検出能力に影響するかを調べています。

 もうひとつのテーマとして、状態空間モデルを用いた西南日本の広域・長期の断層すべり現象の一括推定を試みています。プレート境界が蓄えたひずみは様々な時空間スケールの断層すべりによって解消されていますが、陸のプレート内部の活断層などにも複雑にひずみが分配されている可能性が示されています。これまでの解析は、個々のすべり・地殻変動現象に注目した試行錯誤的な最適化の積み重ねで進んできたところがありますが、一括で推定することでそれぞれの現象が占める寄与やその不確実性を一体的に評価したいというのが目的です。日本でGNSS 観測網が整備され始めてから30年ほど経ちますが、この30年でどこでどれだけひずみが増えたかを一体で見たいです。

 現在の研究内容は幅広いスケールのすべりを一体的に把握したい、ノイズの特性理解と補正技術の高度化を進めたいという点では学生時代の内容と繋がっています。一方で学生時代は計測技術の話題が多かったので、今度は解析の数理的技術にじっくり触れたいと思い、近年盛んな機械学習も含め幅広く色々やろうとしています。学生時代の内容がユニークだったため、他の人も広く扱っているデータ・手法に触れるのが逆に新鮮です。


地殻変動データから断層すべりを推定する深層学習手法を開発

中川: 私が現在取り組んでいる研究テーマは、地殻変動データから南海トラフのプレート境界上のスロースリップと呼ばれる現象を深層学習ベースで検出する手法を開発するというものです。スロースリップとはプレート境界の摩擦が比較的弱い領域で徐々にひずみを解消する現象で2000年頃から観測と研究が進み、プレート境界型地震と時空間的に隣接して発生する場合があることが知られています。そのため、スロースリップの発生時期及び発生領域をリアルタイムでモニタリングすることは、巨大地震の短期的な発生リスクを評価する上で大変重要であると言えます。

 既存の手法は、観測された生データからスロースリップに起因するシグナルを抽出するために複雑なデータ処理手法を必要としていたり、断層モデル推定のためのパラメータ設定に試行錯誤的手順を必要としていたりするという課題がありました。そこで本研究では生データの前処理をあまり必要とせず、データ駆動型の方法による断層モデル推定手法の構築を目的として掲げています。

 検証の結果、本研究の提案手法はノイズを多く含む観測データに対しても従来手法に匹敵する精度でスロースリップの断層モデルを推定できているほか、準リアルタイムでスロースリップの検出・断層モデル推定・継続期間推定を包括的に行えそうだということがわかってきました。しかしながら現段階では解析可能な領域が四国西部に限定されているので、将来的には対象領域の拡大や検出精のさらなる向上を達成し、短期地震予測の礎の一部となる手法にブラッシュアップしたいと考えています。

 私がこの研究テーマを選んだ理由は、学部生時代からの機械学習・深層学習への興味によるものでした。学部4年生の時、同じ学科の先輩や同期から声をかけられ、半年間ではありますが有志の深層学習勉強会に参加しました。はじめは、「よくニュースで聞くし、触ってみるか」程度の気持ちでしたが、勉強会でその数理的仕組みや実用例に触れるうちに深層学習をいずれ研究に取り入れたいと思う気持ちが強くなりました。4年生の間は論文を読むなどして深層学習の活用例の知識を蓄え、大学院進学後に加納先生のご提案もあり、このテーマに取り組み始めました。

 深層学習を含む情報科学の分野は、Chat-GPTの発展に代表されるように凄まじい速度で進歩しています。その進歩は私たちの専門の地球物理学まで伝播し、派生して独自の進歩を遂げたケースもあります。目まぐるしく変わる状況に追いつくのは大変ですが、同時に知的好奇心を刺激されるため、現在の研究テーマにとてもやりがいを感じています。


物理深層学習の断層すべり問題への適用

福嶋: 2年ほど前から「物理深層学習の断層すべり問題への適用」というテーマで研究を続けてきました。プレート沈み込み面では通常の地震に加えて、地震波を伴わないゆっくりとしたすべりであるスロースリップが観測されています。これらの断層すべりは断層面の異なる摩擦特性を反映した現象として理解されており、その物理メカニズムの把握、さらにすべり推移予測のためには、断層面の摩擦特性を観測データから把握することが重要です。摩擦の物理を記述し適切な摩擦に関するパラメータを設定することで、多様なすべりを再現できる断層すべりモデルが考案されており、この摩擦特性の把握は、「断層すべりモデルのパラメータの中で観測を最も再現するものを決定する」という逆問題として数理的に定式化できます。

 この逆問題を解く手法として、シミュレーション結果を実際の観測データと比較し、シミュレーションの軌道を修正して確からしさを高める「データ同化」という手法を断層すべり問題へ適用することで、GNSSなどの測地観測データから摩擦パラメータを推定しよう、という研究が行われてきました。一方で近年、物理深層学習というニューラルネットワークを用いた物理モデルパラメータ決定手法が提案され、様々な分野で用いられるようになりました。私の研究はこの物理深層学習を断層すべり問題へ適用し、データ同化と同じことをやろう、というテーマです。

 うまくいくかわからない中、手探りで始めた研究でしたが、単純なモデルで検証した結果、スロースリップではうまく推定できそうだとわかり、現在はより現実的な断層すべりモデルへの適用に取り組んでいます。摩擦特性の空間分布を求めるという点で、データ同化よりも強力な手法かもしれないということがわかり、その物理深層学習の利点と弱点・限界を把握するために研究を進めています。

 もともとは地震の物理を数式で記述し、シミュレーションによってそのメカニズムを理解する理論的な研究に興味がありました。勉強を進めていくうちに、地震の理論的研究は発展途上であり、観測の制限により理論の検証が十分できない等の困難さから、まだ物理モデルが確立していない現象が多くあることを知りました。そして、観測された現象からモデルを検証し、その物理メカニズムをより深く理解するような研究を将来的にしたいと思うようになりました。

 その点で、物理深層学習は物理モデルと観測データを融合する手法であり、物理と観測の両方を見つつ研究できるという点が魅力的でした。ひとつのテーマの中に測地学的な観測データに関する考察と、地震物理学的なモデルに関する考察というふたつの側面があったのが非常に楽しかったです。また、これは研究を始めてから気づいたのですが、情報科学の手法を勉強し実問題に適用すること自体がとても楽しく、結果に手法の数理的背景と合理的な考察を与えられた際は大きな喜びを感じました。

 今後も、理論的研究に軸足を起きながらも、実際に起きている現象をしっかり見るような研究ができるよう精進していきたいです。同時に情報科学の手法にもアンテナを張って勉強していきたいなと思っています。


地震学×情報科学の融合で得られたもの

―地震学ではまだ主流ではない機械学習・深層学習の手法を取り入れたことについて、面白かった・難しかったなど感想があれば、ぜひ教えてください。

福嶋: 新しい手法で、今まで「できない」と言われていたことができると、一歩前に進めた実感があり、「すごいじゃん!」と喜びを感じました。一方でうまくいかない時どのような原因究明をするかは職人の"勘"的な側面もあり、難しさがありました。初めての機械学習でしたが、研究を進めるにつれ自分は地震学の知識がまだまだ不足しているとも実感したため、大学院では機械学習はお休みし、もっとしっかり地震学の理解に本腰を入れ、土台が整った上でまた機械学習に取り組みたいと思います。

中川: 大学院進学時に加納先生から現在の研究テーマを提示され、面白そうだから触ってみたところ、自分のやりたいこととぴったりはまった感じです。手法的にも深層学習に魅力を感じており、研究のモチベーションにもつながっています。一方で難しかった点は、うまく機能しなかったときに要因が観測と手法のどちらに由来するのか、まだ自分は地球物理学の知識が浅いので、自分で判別したり考察したりする能力が足りなかったことです。そのことを反省して今は色々な論文を読んで思考力を身につけようとしています。深層学習を一見関係なさそうな地球物理学に如何に取り入れるか、ふたつの分野を掛け合わせる難しさと楽しさは変わらず、新鮮な気持ちで今後も取り組んでいきたいです。

田中: 機械学習は途中経過で何が起きているか把握しづらいので、使いこなすのが難しいです。うまく使えれば結果的に役立ちますが、最終的に何が知りたくて機械学習に何をやらせるのが一番効果的か、今までの知識は横に置いて1から考え直す必要があります。そのためにじっくり考えることは楽しいことです。
 学生の頃の研究活動と変わった点は、少し方向性が異なる複数の研究を同時に進め、片方の研究結果をもう片方に応用したり、自分の課題だけでなく、このプロジェクトで似た技術を手分けして少しずつ違う研究をしたりしているために視野が広がったところです。学生の頃は、眼の前のテーマで頭がいっぱいで近い問題ばかり考えてしまいがちでしたが、そもそも自分は何を知りたくて、自分の研究は世界でどんな位置づけにあるのか、毎回考えるようになりました。たくさんの新しい人と出会って交流し議論を進められることも、このプロジェクトに参加してありがたかったことです。


興味を持ったことに夢中になって突き進んで

―最後に、新しい研究分野に取り組んでいる皆さんから、これから研究を始める後輩たちへメッセージをお願いします。

福嶋: 高校生の時から理科全般が好きで、興味を持った時に物理や数学、情報などの勉強をしたり本を読んだりしていました。専門には直接使わなかったこともありますが、研究を行う過程で過去勉強していた知識が役に立つこともあり、無駄ではなかったと感じています。高校生の時は受験勉強だけになりがちですが、あまり絞り過ぎず、その時々で自分が興味を持ったことを何でも広く勉強すると、やがてつながって将来役立つと思います。

中川: 自分も高校生まで科学全般に幅広い興味があったので進路選択の時は迷いましたが、そんな時は深く考え過ぎず、ひとつの世界に飛び込み、楽しもうとしてみるのがよいと思います。自分は結果的に興味と社会的意義を両立した研究テーマに出会え、「選んでよかった」と思えています。これは仮に他の学問を選んでいたとしても同じだったのではないかと思います。決断を迫られた時に正解の道がどれかひとつあると思い、それを引き当てるために悩む人もいると思います。けれども、普段の興味に沿って選択をし、その後はその選択が自分の中で正解になるよう夢中になって進めば、自分に自信が持て、結果的によい状態になれるかもしれません。

田中: 地震学という分野は、自然科学でありながら、社会貢献の性格も強い、どちらの志も受け止めてくれる学問です。自分の場合は、地震への興味が7割、その研究成果が最終的に世の中に役立てばいいなという想いが3割ですが、その配分は一人ひとり違います。実際に手を動かす時も、難しい数式を動かしたい人もいれば、外に出て現場で観測したい人もいます。このように地震学は何でも受け止めてくれ、分業ではなく、一人ひとりが色々できる、魅力的な学問だと思いますので、これから来る学生の皆さんにもぜひお勧めしたいです。

―ありがとうございました


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