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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.01】東北での航空機産業への参入に先鞭をつけた優良中小企業/三栄機械(秋田県)社長の齊藤民一さんに聞く

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【オンリーワン企業がオンリーワンたる所以を探るVol.01】東北での航空機産業への参入に先鞭をつけた優良中小企業/三栄機械(秋田県)社長の齊藤民一さんに聞く 取材・写真・文/大草芳江

2017年10月23日公開

<仕事>とは
この世の皆が快適に生活するための役割分担であり、
その役割に対する世間からのご褒美が<利益>である。
世の中からご褒美を貰う方法を皆で考え、
皆でご褒美を分ける。
その方が、言われたことをやるよりも、
ずっと楽しいじゃない。

株式会社三栄機械(秋田県由利本荘市)
代表取締役社長 齊藤 民一 Tamikazu SAITO

公益財団法人東北活性化研究センター『"キラリ"東北・新潟のオンリーワン企業』Collaboration連載企画 (Vol.01)
 秋田県由利本荘市に本社を構える株式会社三栄機械(従業員89名、資本金2,700万円)は、自動機製造の高い技術力により、東北エリアでいち早く航空機分野に参入し、その振興・集積を図るリーダー的存在である。1998年、防衛庁(現防衛省)に航空自衛隊の哨戒機レーダーの点検作業台を納品したことを契機に航空機関連分野へ参入。防衛省の大型輸送機や対潜哨戒機、米航空大手ボーイング社の旅客機「787」や「777X」、三菱重工業の国産ジェット旅客機「MRJ」等の開発に携わる。経済産業省の「元気なモノ作り中小企業300社」(2008年)や「おもてなし経営企業選」(2014年)等に選定。そんなオンリーワン企業の三栄機械がオンリーワンたる所以を探るべく代表取締役社長の齊藤民一さんに話を聞いた。



オンリーワン企業になるまでの軌跡

― 貴社がオンリーワン企業になるまでの軌跡を教えてください。

 弊社は1971年創業の会社で、従業員は89名、このほかに構内協力業者が9名います。秋田県由利本荘市に本社ならびに本社工場があり、TDK(株)の工場群があるにかほ市にも象潟工場があります。県外では横浜や名古屋に営業所があります。現在、三菱重工業(株)の国産ジェット旅客機「MRJ」や米ボーイングの次世代大型旅客機「777X」の開発などにも関わっています。


◆ TDKと取引する先輩企業と競合しない仕事づくり

 我々が仕事を始めた頃の状況から話しますとね、このあたりの地域は、TDKさん(秋田県由利本荘地域創業の大手総合電子部品メーカー)の企業城下町なんですよ。我々の会社は今年で創業46年目になるけど、設立当初から、TDKとお付き合いのある先輩企業がいっぱいありましたので、先輩企業と競合しないこと、人のやらないようなことをやっていこう、ということで始まりました。


◆ UIJターン転職者の積極採用によって事業分野を多角化

― どのようなアプローチで「先輩企業と競合しない仕事づくり」を実現していったのですか?

 そのひとつの柱が、今で言う、UIJターン(大都市圏の居住者が地方に移住する動き)で、大都市圏から地方に戻りたいという方々を積極的に採用したんです。その方々がそれまでやってきたような仕事は、当時の秋田になかなかなかったものですから、まわりの先輩企業では「うちでは、そんなこと活用できないよ」と、採用される方が少なかったのです。逆に、我々はそのような方々を積極的に採用して、その方たちが持つ技能を学び、その方が勤めていた会社さんをお客さんにする、そんなやり方で事業分野の多角化を図ってきました。現在、我々の会社が航空機産業に関わっているのも、この辺りからということになると思います。


◆ 営業品目は多岐にわたるように

― 他の人がやらないユニークな方法で広げていったのですね。

 色々な技能を持つ方に入社いただいたことで、小さな規模の会社ですが、営業品目が多岐にわたるようになりました。大きく分けますと、航空機の他に、ひとつの柱は自動化機械で、設計からやらせてもらって、電子部品やレンズ、自動車等、多様な業界の生産設備の製作に取り組んでいます。お客さんの要望を聞いて、それを具現化する仕事ですね。もうひとつの柱がプラント関係です。TDKさんとの取引では先輩企業は製品関係の取引が多かったので、そこと競合しないよう、材料プラントの工事やメンテナンスなどを行っています。

 同じものをずっとつくり続けることはほとんどしません。同じものをつくり続ける下請けの仕事は、数年くらいは仕事を安定的にもらえるかもしれないですが、原価も知られていますし、競争が激しいですよね。けれども提案型なら、部品の設計から作製まで自分たちで行うので、適正な利益をのせて自分から見積りを出せるのです。

【写真】南極昭和基地の風力発電装置

 今までの仕事の一例をざっと紹介します。電子製品向け設備では、例えば、コンデンサを検査する自動機の設計・製作。自動車関係では、トヨタ自動車東日本(株)さんのハイブリッド車を組み立てる生産設備の一部。プラント関係では、川崎重工業(株)さんと一緒に、稲わらからバイオエタノールを生産するプラントの一部設計のお手伝いをさせていただきました。南極の昭和基地(国立極地研究所)に設置する風力発電装置の試験機の製作にも携わっています。


◆ 航空機産業参入の始まりは、棚や脚立から

― 航空機産業へ参入した経緯はどのようなものでしたか?

 我々の会社が航空機産業に参入したのは1987年のことです。日本飛行機(株)さんから秋田に戻ってきた方に入社いただきましてね。ただ、飛行機と言っても全然次元が違うし、うちでやれるのかなというのがあったんですけどね。色々話を聞いてみますと、飛行機を飛ばすには車よりも安全第一なもんですから、きちんと修理や点検をしなければ飛ばせないことがわかったのです。修理なら我々ができることもいっぱいある。まぁ変な話だけど、飛行機を点検修理する建物の中で使うような棚や脚立といった辺りから入ったのが正直なところです。


◆ 防衛庁に哨戒機レーダー点検作業台を納品

【写真】航空自衛隊の哨戒機レーダーを点検するための作業台

 業界を少し覚えると、まとまった仕事に挑戦しようと、航空自衛隊の整備機材を目標に、1990年頃から防衛庁(現防衛省)OBを雇い入れたり、航空機整備機材の入札資格を取得しながら模索しました。防衛庁が1993年に導入した航空自衛隊の哨戒機レーダーを点検する作業台をうちが提案して、設計を含めて納品したのが1998年に1台、2000年に1台です。そこから少しずつ航空機に近づいていけたかな。


◆ 高い自動化技術で機体製造設備の設計製作へ参入

【写真】航空機機体組立用治具

 その後、日本飛行機から入社した方から、航空機の機体を実際に製造する工場を見せていただいて、びっくりしたのですが、ほとんどが手作りの作業だったのです。航空機は軽くて丈夫ですが、リベットで留める前の部品は紙のようにふにゃふにゃで、各パーツの位置決め治具が多量に必要なんですね。あまりにも手作りなものだから、こちらの方から「今まで11台あった治具を1台に集約できますよ」と、ダメ元で提案したのです。それがたまたま採用されまして、組立治具を設計から製造して納品しました。それが航空機本体の製造に関わるひとつのきっかけとなった案件です。


◆ 航空機産業への本格参入を決断

 当時はまだ航空機産業へ全面的に参入しようとはあまり考えてはいなかったのですが、90年代後半から、TDKを始めとする日本のものづくり大手企業が海外へシフトしました。我々中小企業も一緒に付いて行ければよいですが、海外まで移ることはなかなかできません。我々の仕事はどうなるだろうと危機感を覚え、国内で将来成長する分野を社員の皆さんと色々検討していた時、たまたま日本の国として次期大型輸送機と対潜哨戒機をこれから開発するという話を聞きました。これならば日本で航空機をこの後もやっていけると思い、航空機産業へ本格的に参入しようと、まず考えたわけです。

 そこで色々調べてみますと、ちょうど航空機のモデルチェンジの時期に入っていることがわかりました。それに伴い、機体材料がアルミ製から炭素繊維製に変わり、燃料は省エネ化するという、技術的な革新期が到来していたのです。我々は後発企業でしたが、先輩企業とのハンディキャップを縮められる好機ということも含めて、今こそ参画するチャンスと決断した経緯がございます。


◆ チャンスを逃さず、大手企業に自動化技術を提案

― どのようにして本格参入していったのですか?

 参入するにしても色々準備が必要ですからね。航空自衛隊との取引の関係で、富士重工業(株)さん(現SUBARU)の担当者と知り合ったことをきっかけに、2003年、富士重工さんへプレゼンに赴きました。すぐに仕事とはなりませんでしたが、具体的な提案を続けるうち、大型輸送機や対潜哨戒機等の製作が始まり、生産設備をつくる時、声をかけてもらいました。そして、大型輸送機と対潜哨戒機の中央翼のパネルをつくるための装置をうちが提案して採用されたのが、SUBARUさんとの取引の始まりです。

 同年、三菱重工さんにも営業展開したのですが、営業の紹介をしてくれたあきた企業活性化センターのアドバイザーの方が、たまたま航空自衛隊でテストパイロットを務めていた方で、その方から三菱重工さんを紹介してもらい、プレゼンに赴いたことが始まりです。ここもなかなかすぐ仕事というわけにはいかなかったのですが、「F-2」という戦闘機の強度試験用の治具で、納期がほとんどないような案件を「やれるか?」と聞かれ、「やります」と言ったのが、ひとつのきっかけです。

 ただ、三菱さんも大きな会社なもんですから、最初は三菱グループ傘下の会社との取引で、直接口座はなかなかもらえませんでした。そこで2005年、三菱重工業の航空宇宙事業本部(現名古屋航空宇宙システム製作所)・品質マネージメントシステム(MSJ4000)の認証を得て、直接取引になった経緯がございます。そして2006年、三菱重工業が主翼を担当する米航空大手ボーイングの「B-787」の翼のパネルを自動で位置決めする装置を提案して採用されました。


◆ 「秋田輸送機コンソーシアム」を設立

 ちょうどB-787の仕事を受注していた頃は、治具の仕事が非常にたくさんありまして、我社単独よりも、県内の同業の人たちと協力して仕事をした方がよいと考えました。我々は、どちらかと言うと先輩企業より後輩に入るものですから、県に相談して、秋田県産業技術総合研究センターの所長さんに主導してもらう形で、2006年に「秋田輸送機コンソーシアム」を設立した経緯がございます。当時の日本銀行秋田支店長さんにも応援してもらい、参加企業で勉強しながら、弊社で受注したB-787の組み立て用治具を、2007年から参加企業で分担して納品することを始めました。

 その後、航空機部品を製造する際に求められる、航空宇宙品質マネジメントシステム(JISQ9100)認証を弊社が取得したことをきっかけに、コンソーシアム参加企業による取得につながり、現在では、地域の企業が航空機の機体製造や降着装置、ギャレー(キッチン)やラバトリー(トイレ)に関わる新規受注に成功することができました。当県でのコンソーシアムの取り組みが、東北6県のコンソーシアムの拡大にもつながっていると思います。また、秋田県の重点施策で、産業育成に航空機を取り上げてもらい、色々な支援を受けています。


◆ 国内主要航空機機体メーカーと直接取引

【写真】5軸加工機

 航空機産業参入のために、CADソフトであるCATIA、大型の5軸加工機、チタン加工機、約120メートルのものを測れるレザートラッカーシステム等、最先端設備を導入し、生産体制を整えました。結構なお金はかかったのですが、それらを使いこなすことでより高度なニーズに応えることができ、さらなる差別化を図ることができました。それまで手作り作業が主体だった航空機産業が自動化を進める中で、自動化技術の提案をしてきたうちの会社も、各メーカーさんからパートナーのように扱っていただいていると感じています。今では、ほとんどの国内主要航空機機体メーカーと直接取引ができるようになりました。


◆ そもそも仕事とは、経営とは何か

― 貴社の事業を支えている経営理念についても教えてください。

 うちの会社では1991年、設立20周年を機に、当時社長だった細矢育夫取締役会長が経営理念をつくりましたが、現在の形となったのは、私が12~13年ほど前に中小企業家同友会に入って色々気付かされたことが大きな柱となっています。同友会に入る前の私は、経営とは、もちろん社員の幸せもありますが、世間の流れに合わせて適正利益をあげ、社員の生活を安定させることであり、それこそが社長の考えなければいけないことだと考えていました。しかし同友会に入ってから、<仕事の本質>もしくは<経営の本質>とは何かを、随分と考えさせられる機会がありました。そして、仕事とは、働いて給料をもらい生活することも然ることながら、それだけではないことに気付かされたのです。

― どのようなことに気が付いたのですか?

 もし、世界中、すべての人が仕事を辞めたら、どうなるか?全ての人が自給自足で生計を立てることは難しい話で、仕事を通して、皆が快適に生きるための役割を分担していることに気が付いたのです。一人で担える役割の大きさにも限りがあるので、組織や会社の規模で、皆で役割を担うことで、より大きな役割を果たすことができるのではないか。それが会社経営ではないか。その対価である<利益>とは、その役割分担に対する世の中の評価であり"ご褒美"であると、私自身の考え方が非常に変わったのです。


◆ 皆でご褒美をもらえることを考え、皆でご褒美を分ける

― 考え方が変わったことで、実際の取り組みはどのように変わったのですか?

 「役割分担に対して世の中からご褒美をもらうことが利益である」と気が付くと、うちの会社の役割とは何か、その役割が世の中に評価されご褒美を貰うためには何をやればよいかを、社員皆で考えるようになりました。経営指針発表会を毎年開催するのですが、社長や管理職だけでなく、各社員が10年後のありたい姿に向けて予めグループで話し合い、皆でご褒美をもらえることは何かを考えようというのが、今の経営の基本です。

 もうひとつ大事なことは、貰ったご褒美を皆で分けることです。うちの会社の収益は毎月、全社員に公表し、3ヶ月の経常利益の35%を、給料とは別に、上限なしの各月の業績手当として支給する仕組みをつくりました。世の中に対する自分の会社の役割の中で、皆さんが幸せで良かったなと思えるものを如何に提供できるか、そこで貰ったご褒美は皆がわかるように平等に分配することが、大事なことだと思っています。


◆ 成長とは、昨日までできなったことをできるようになる、その積み重ねしかない

 今の時代はよく「成長」と言われますが、やはり個人も会社も常に成長していかなければ、立ち行かなくなる時代ですよね。成長と言っても、高度経済成長期は、仕事の量をどんどん増やせばよかった時代でしたが、今は、同じものをどんどん作れば売れる時代ではなくなりました。色々なものを提供していかなければならない時代に、何が重要になるかと言えば、昨日までできなったことができるようになる、その積み重ねしかないことにも気付きました。

 ですから「成長」というのは、昨日までできなかったことを、ちょっとだけでもいいから、できるようになること。そのためには、昨日までやらなかったことを今日やるしか無いです。昨日と同じことをやっていると、今日も同じことしかできないですからね。目を瞑りながらでもできる仕事を入れることもありますが、今まで経験してこなかった大変なものも入れ、皆でやり遂げる。そんなことを今までやってきたのかな、という感じがします。

 よく会社の成長って、売上が増えた、利益が増えた、と言われる方もいらっしゃいます。それが継続的に続けばよいのですが、見ていると、そうではないことも結構ありますよね。売上が増えたり利益が上がったりすることは、たまたまということもありますし、果たしてそれが本当の意味での成長と言えるのかなと考えました。ですから、昨日までできなかったことを会社としてもできるようになる。その結果として売上が増え、世の中のご褒美である利益が増えることが、本来の意味での成長ではないかと考えました。


◆ 押し付けるのではなく、皆で考えて、皆でやろう。

 「皆で会社の役割を考えよう」「昨日までできなかったことをできるようにしよう」と、押し付けでやっても、なかなかうまくいかないですよね。押し付けて気付いてもらうより、一緒に考える、考えさせる中でしか気付きは生まれてこないですよね。「こうしろ」「あれは駄目だ」という指示ではなく、「なぜそのようにやっているのですか?」と、一緒に考えることによって、気づくわけだしね。そうやって皆で考えるようにしています。

― そのようにご自身の考え方が大きく変わった必然性は、何だったのでしょうか?

 やることが決まっていて、それを効率的にやる時代は、「社員さんはあまり考えないで、言われたことをきちんとやってください」でもよかったんです。けれども時代の変化とともに、それが通用しないというか、社長がずっと引っ張っていくのは、今の多様化した時代、疲れるというかね。振り返ってみると、社員さんを引っ張っていく中では、感謝の気持ちはなかなか湧かないよね。「こっちは言っているのに、なぜわかってもらえないのだろう」という気持ちの方が強いじゃないですか。

 ところが「皆で考えて、皆でやろう」となるとね。社長って、仕事の環境はつくっているけど、実際に機械を動かしているわけじゃないし、その意味ではほとんど価値を生み出していないわけじゃない。考えてみるとね、従業員の皆さんに食わしてもらっているわけですよ(笑)。そう気づくと、社員さんに対して感謝ですよね。給料は皆さんが世間に価値を提供したご褒美でしょう。それまでの「社長が養ってやっている」感性が勘違いだったのね。

 その方がずっと楽だし、社員さんも楽しくやっていますよ。だって自分たちのやったことが世の中に喜ばれてそのご褒美を貰う方が、ずっと楽しいですよね。「昨日よりもできないことをやる」のは大変なこともあるでしょうが、人に言われたことをやるよりずっと楽しいじゃないですか。ですから今はあまり管理しないように、無管理状態です(笑)。それは、私にとって大きな変化です。それまでも「人のやらないことをやろう」と、一生懸命やってきたんですが、「皆で考えよう」ではなかった感じがするのです。


◆ 今日の行動で明日が変わる、その積み重ねが差となる

 仕事だけでなく、若い頃から今までを振り返ると、非常に悩みのあった時代があるよな。それは何だと思います?そのほとんどは将来に対する不安なんだよな。ところが、明治時代に生まれ大正、昭和で活躍された中村天風さん著の本に巡り合い、そこから脱皮できたのです。毎日は何か行動するから変わっていくし、不安は、やったからではなく、やらないから生まれる。不安を描くと、その行動が楽しい行動にならないよな。その今日の行動で、明日が変わっていくのだから、不安に思っても何も変わらないことに、中村さんの生き方から気付かされたのです。

 人間って、いろいろな情報が頭の中に入るけど、寝ている間に整理して明日の準備をするらしいのですよ。例えば、「明日謝りに行かないと、怒られるな、辛いな」と思って寝ると、布団から出るのが嫌じゃないですか。反対に、明日は美味しいものを食べに行くと楽しみにして寝ると、翌朝寝てられなくなりますよね(笑)。明日辛いことも楽しいことも両方ある時、「美味しいものを食べたい」を優先して眠れば、朝起きるのが苦痛でないですよ。逆に、元気に起きると、早く謝りに行って美味しいものを食べに行こうとなる。するとストレスを感じなくなるし、プラス思考で行くと、よい方向へ物事も変わっていく。これって、人生を歩む中で、すごく大事ですよ。

 明日やることを如何に楽しくつなぐかも、昨日できなかったことをできるようにすることも、1日2日じゃ変わらないけども、それを意識して3日に1回やれば、年間で100回できるようになる。1年で100回だけど、2年で200回、3年で300回できれば、何もやらない人との差がすごく大きくなるよな。だから頭が良いとか優秀というのではなく、そういうことにトライし続けていくことが、大きな差として現れるのですよね。

 会社も同じだと思います。世の中の移り変わりにマッチしているかもあるけど、昨日までできなかったことをちょっとでもできるようにすると、差がつくわけじゃないですか。そういった行動の活力が、うちの会社にあるということ。やっていることは大したことないけど、その意味では、オンリーワンに少しは近づいていけるのかな、という感じはしますね。


◆ 「夢の実現 限り無い可能性」を看板に掲げる理由

 「経営指針発表会」では、「10年後に自分の職場や仕事はこうなっていたいな」を、皆で、約3ヶ月かけて話し合います。「こうなりたい」イメージがあってはじめて、明日やってみようと動くよね。そのビジョンが全く無ければ、昨日と同じでいいじゃない、となっちゃう。できるかどうかわからないけど、「こうありたいな」「こうなりたいな」を話し合おうよ、と。ですから会社の経営理念にも「夢の実現」を全面に出しているのです。

 先程も「仕事とは、世の中で生活する全ての人が、快適に人間らしく生活していくための役割分担」と話したけど、ひとつの会社ではそれを完結できない仕組みになっているのです。例えば、一見、うちの会社は三菱重工さんからご褒美を貰っていると思うけど、違うのです。三菱重工さんも、飛行機を納めるボーイングさんからご褒美を貰う。ボーイングさんだって、全日空さんに飛行機を収めてご褒美を貰う。全日空さんは、飛行機に乗った個人からご褒美を貰う。つまり、飛行機という快適に早く移動できる手段を提供することは、一社では完結できず、お客様であると同時に仲間でもあり、そのご褒美は全て、個人から出たものを皆で分けているのです。

 ですから、うちの会社で役割を考える時は、どの会社と一緒になって世の中にどんなことをすればご褒美を貰えるかまで、考えようとしています。それができなければ、今の時代、いくら一生懸命に働いても、世の中から評価されないことをやっては、会社として成長していかないと思います。一生懸命やって利益が上がらないということは、どこか努力の仕方が違い、世の中からご褒美が貰えないことを一生懸命やっているということだと思います。


社長が二十歳だった頃

◆ 色々経験させてもらったことに感謝

― 次に、齊藤さんが二十歳だった頃について、教えてください。

 何も考えてなかったよ(笑)。東海大学工学部だったんだけど、ほとんど勉強をしないで、遊んでばっかりだった(笑)。この会社に入る前は、別の秋田の会社に務めていたのだけど、正直そこで一生懸命勉強しました。三菱さんのブルドーザーやキャタピラの部品を作っていた会社で、私は最初、鋳造の設計をやってきたんです。当時はまだ景気の良い頃で、秋田の会社でも、中卒、高卒、短大、大卒含めて約30~40人の同時入社者がいて、勉強も一生懸命やったけど、彼らと一緒にワイワイ騒いだ感じだったな。

 30歳近くになって、輸出のこともあって、米国に一人で技術営業に行け、と言われたの。まだ1ドル=360円の固定為替相場制の頃ですよ。その時初めて海外の人と会って、細かな文化の違いはあるにしても、やっぱり人間、良いことと悪いことは同じなんだなって、痛切に感じた記憶があるね。同じ地域だけにいると、その中での比較だけども、世界に出ると、より色々なものが見えてくるじゃないですか。比較の上で初めて自分は何者かとわかるのが人間であって、比べるものがないとほとんどわかんないよね(笑)。

 今の子達のように、「あぁなりたいな」「こうなりたいな」ってこと、あまり思って仕事に就いた記憶が無いな。今の子達の方がすごいよな。俺等の頃なんか全然(笑)。ただ、付き合っていた会社に大手さんが多かったり海外に行かしてもらったり、色々な経験をさせてもらったことが、自分の人生で振り返ってよかったと思う。だから、何もわからない技術屋だけど、あまり怖気づかなくなるんだな。色々な状態に巡り合った方が良いのだと思いますよ。

 一人で海外に行くのも、最初は不安で不安で(笑)。だって初めてだもんねぇ。飛行機の隣に座った人が日本人みたいに見えたから、助かった!と思って話しかけたら、違うんだもの(笑)。本当に色々なことがありましたよ。若い時に色々なところに行かせてもらったことが、ひとつの財産かなぁ。二十歳の頃って、皆さんのように優秀じゃないですからね。色々経験させてもらったことに感謝しています。


◆ 三栄機械に入社後、赤字部門を黒字化

― その後、三栄機械さんに入社されたのですか?

 うちの会社は現会長の細矢育夫が創業した会社で、私が入社したのは1987年(41歳)、代表取締役社長に就任した年が2009年(63歳)で、私は二代目の社長です。私が入社した当時、3部門のうち機械加工が赤字だったのです。それを何とかしてくれよと、そこからの始まりでした。

― どうやって赤字を何とかしたのですか?

 まず、皆一生懸命に働いているけど、まわりの協力を得ながらという感じではなかったのです。職人さんの集団だから仕事を外に発注するのではなく、自分たちがやれる範囲で一生懸命やる。ところが当時、仕事は結構いっぱいありましたから、仕事をこなすために、社内でやることと外にお願いするものを分けた方がよいと考えました。そこで、社内で絶対やるのは設計と最後の組み立て、そのほかの部品づくりは外注しようと始めました。

 ところが、今まで外にお願いしたことのない小さな会社が頼んでも、忙しい時はなかなか引き受けてもらえないのです。それで困っちゃってね、どうしようと考えたんだけど。そういう会社を回って歩くと、独立希望の人が結構いることに気付いたのです。そういう人たちに「独立したら?私が仕事を出すし」と何社か独立させているのですよ。そこはうちの会社の仕事をやってくれます。そんなことをしながら処理できる仕事の量を増やしました。もうひとつは、仕事を取ってくる営業をしっかりやらなきゃと思い、技術営業もやりました。今は営業所があるから任せているけど、飛行機をやろう!と言った時も、私一人で名古屋に行ったり、随分とやりましたね。

 そのうち時代が変わり、3部門それぞれが順調に行かない時代に入りました。その中で、プラント部門が赤字になったりすると、たまたま機械加工部門を黒字にした関係で、そっちも一緒に見てよとなり、最後は全部門を見ないといけなくなっちゃって。各部門には親方がいて、それぞれ好きなことをやっていたのですが、共通ルールにするため導入したISOがよかったですね。仕事の仕方を統一して、お客さん第一で決めていこうというやり方ですからね。各部門がうまくいっている時は、敢えて統一する必要はないけれども、立ち行かなくなった時、それぞれ良い機能があるのだから、それを一体化してやれば色々なことをやれるんじゃないか、ということです。


我が社の環境自慢

― 続いて、貴社の環境自慢を教えてください。


◆ 仕事以外でも親睦を深めるために補助

 親睦会という組織があります。社員の皆さんで企画して、会社はお金を出すけど、口は出さない。色々なことがありますよ、お花見や忘年会もあるけど、ボート大会等の行事に参加したり。この他にも、月1くらいはお酒を飲みながら話し合うのがよいでしょうということで、職場懇談会を職場ごとに企画し、会社から一人あたり3,000円の補助を出しています。仕事も大事だけど、それ以外のものも、やっぱり大事だと思うからです。


◆ 「比内地鶏経営」だな

 さっきの話だけど、人って管理されると、力を出しにくいさ。変な表現だけど、秋田には比内地鶏というブランド鶏があるでしょう。比内地鶏は、管理した中で育てるのではなく、放し飼いで自由気ままにという育て方じゃないですか。その意味では「比内地鶏経営」だと思います(笑)。経営者がつくる庭の中で、皆が協力しながら、楽しく成長していく。管理されないで放されていると、鳥同士で役割分担って自然と決まってくると思うんです。その方が楽しいじゃないですか。


◆ チームとして成果を出す方向へ路線転換

 評価基準が一つしか無いと、利益を出すのに一番近い人だけが高く評価されて、他の人が浮かばれない。けれども、その人が活躍できるのも、例えば、掃除を物凄くできる人がいて、気持ちよく働けるから活躍できるわけで、それぞれが感謝できるようになると絶対幸せになるし、強い集団になると思います。ですから、ご褒美は個人ではなくグループで分けます。年の始めにグループごとに目標を立てて、その達成率でご褒美を決めています。実は以前、個人で成果を評価したこともありましたが、すぐに止めました。自分だけがよければよいとなりますし、まわりも協力しなくなるからです。


若者へのメッセージ

― 最後に、次世代を担う若者へのメッセージをお願いします。


◆ 「未完成」が好き

 「未完成」って言葉も好きだね。足りないところがいっぱいあると、ずっと思っていたら、どんどん成長できるし、完成したと思えば、やらなくていいわけだから。あとは素直さが大事で、言い訳したり人のせいにしたら、やんなくてもよいとなる。人の話を素直に聞いて、これが足りなかったのかなと思うと、何とかしようとなるから、素直さは大事だと思うね。


◆ 夢を描いて欲しい

 「こうなりたい」「こうしたい」という夢が先だと思うね。その夢無しには行動がついてこないから。仕事の本質は、自分が生活するための手段ではなく、皆が快適に生きるための役割分担だから、そのために自分は何ができるのか?を考えてください。未来の夢を描いて、ちょっとだけでも良いから楽しくできることを行動してもらえたらよいと思います。

― 齊藤さん、ありがとうございました。


社員に聞く、我が社の環境自慢

◆ ものづくりにチームで携わる実感。色々な経験が楽しい。
/入社1年目の佐藤哉元さん(29歳)

 群馬で就職した後、Uターンで地元の由利本荘市に戻ってきました。これまでのプログラマーとしてのスキルを活かし、地元で活躍している企業で働きたいと思い、三栄機械に就職して、入社1年目です。現在はうちの会社で設計した部品をつくるプログラミングを担当していますが、ものづくりに携わっている実感があります。机に座る仕事だけでなく、現場に行ってチームの仕事を手伝う中で色々な経験ができますし、コミュニケーションが活発な職場であるのもよいです。色々な人が色々な仕事をしており、誰に聞いても色々な話を聞けるのが楽しいです。


◆ 自由な雰囲気が自慢。自分で考えることがおもしろい。
/入社11年目の東海林光さん(31歳)

 地元の由利本荘市出身で、今年で入社11年目です。航空機を扱っていることに惹かれ、三栄機械に入社しました。3年前、機械加工部門から現在の設計部門に配属されました。扱う分野も自動機から航空機まで幅広く、色々な部署に携われるのが嬉しいです。我が社の環境自慢は自由な雰囲気です。自分で工程を組んで考えていけることがおもしろいですね。


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