取材・写真・文/大草芳江
2016年12月07日公開
ポジティブシンキングが切り拓く
「経済学×工学」の融合領域
松八重 一代 Kazuyo Matsubae
(東北大学大学院環境科学研究科 教授)
1974年東京都生まれ。1998年早稲田大学政治経済学部政治経済学科卒業、2004年早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程(理論経済学・経済史専攻 計量経済学専修)単位取得の上退学、博士(経済学)。東北大学大学院環境科学研究科(助手・助教・准教授)、工学研究科(准教授)クイーンズランド大学(訪問准教授)を経て、現職。(財)石田記念財団 研究奨励賞、(社)日本鉄鋼協会 西山記念賞、日本LCA学会 奨励賞、(財)インテリジェント・コスモス学術振興財団 インテリジェント・コスモス奨励賞 受賞。
東北大学工学系女性研究者育成支援推進室(ALicE)×「宮城の新聞」Collaboration ♯015
経済学から工学に転身した経歴を持つ松八重一代さん(東北大学大学院環境科学研究科教授)は、今年8月から教授として研究室を運営する、育児中の女性研究者である。仕事と育児を両立しながら、経済学と工学の融合領域を切り拓いていく、その原動力とは何か。松八重さんのスタンスに迫った。
経済学から工学へ
―はじめに、松八重先生のご経歴をご紹介ください。
私の出身は経済です。早稲田大学の政治経済学部経済学科を卒業後、同大の大学院経済学研究科で博士号を取得しました。
専門は「計量経済学」です。経済学の理論に基づいて経済モデルをつくり、統計データを裏付けとしてモデルの各パラメーターが示す挙動から経済の仕組みを解明し、政策・提言に活かす研究を大学院で行っていました。
そして2004年、東北大学大学院の環境科学研究科に、助手として赴任しました。以来、工学研究科も一時兼任しながら、東北大学の青葉山キャンパスでお世話になっています。
―文系から工学系への転身は、外から見れば大きな変化と思いますが、どのような経緯で転身されたのですか?また、松八重先生ご自身は、その変化をどのように感じましたか?
それはもう、大きな変化でしたよ(笑)。転機は、「文理融合」を標榜する東北大学環境科学研究科が設立された2003年、教授として同研究科に着任された長坂徹也先生が、JST(科学技術振興機構)プロジェクトの共同研究者を求めて、当時私の指導教員だった早稲田大学の中村愼一郎先生のもとを訪ねられたのがきっかけです。
先生方お二人の相談話を、当時学生だった私は、背中越しに「そんな研究をするんだ」と聞いていましたが、長坂先生から新しい研究室に社会科学の視点を持つスタッフが欲しいと、助手のポストに誘っていただきました。正直、自分が工学部で何ができるのか、最初のうちはよくわからない状態でしたが、仕事の機会を与えていただいたので、前向きに捉えてきました。
―経済学部から工学部に転じて、実際にいかがでしたか?
父親が工学部の教員で、多少は身近に知っていたところはあるものの、私自身は工学部で教育を受けたことはなく、ましてや材料についての専門知識は全くなかったので、何もかも初めての体験でした。ひとつひとつが新しく、まずは慣れることから始めました。
―経済学あるいは工学ならではの違いを、感じることはありましたか?
経済学は、工学と理学どちらの視点も併せ持つと感じました。計量経済学で、あるモデルを提案し、統計的な推論を使ってパラメーターを推定し、将来予測とともにより良い将来をつくるための改善策を考える発想は、工学的視点に近いと感じました。それに対し、理論経済学の中で世の中の動きそのものを解明したい発想は、理学的視点に近い気がします。
ただ、企業の方も含めた工学部出身の方に「私は経済の出身です」と話すと、「じゃあ、どうしたら景気は良くなるの?」「儲かるためには何をやればいいの?」と聞かれることが多いのですが、それらのご関心の多くは経済学の対象ではないのです。それらのことに強いのは商学や会計学の方で、コスト計算は企業の方がむしろやっていますよ(笑)。一般に経済学出身者に期待される視点は自分には無いと感じられ、そのギャップは少し大変だった覚えはありますね。
「産業連関モデル」で社会全体の動きを可視化
―実際には、経済分野でどのような研究をされていたことが、東北大学環境科学研究科に助手として赴任することにつながったのですか?
私は現在も、「産業連関表」という経済統計表に基づいた「産業連関モデル」というツールを使って、社会全体の動きの解明を目指す研究をしています。産業連関モデルは、「ライフサイクル分析(LCA)」という手法と親和的な関係があるため、環境影響評価に関する研究を、工学部の方も多く所属する学会で発表してきました。そんなつながりで、おそらく工学部にお誘いいただいたのだと思います。
―ご研究の概要を解説いただけますか?
まず産業連関表とは、財・サービスが各産業部門間でどのように生産され販売されたかについて、行列の形で一覧表にとりまとめた統計表で、日本では5年に1度、国が作成しています(図1、出典:総務省)。各産業分野が生産活動を行うにあたり投入(input)した原材料や燃料、労働力などへの支払の内訳と、販売先の内訳(output)が全て網羅され、各産業分野が、どのような生産活動をどの産業からのinputによって成り立たせ、それによりどれだけの価値(output)を生み出したかが示されています。
そして産業連関モデルとは、日本の生産技術や需要構造などが変化した時、産業連関表に基づいて、他の産業への波及効果も含めて、サプライチェーンを通じた、資源やエネルギーなどの流れを見ることができるツールです。
―産業連関モデルというツールを使い、具体的にはどのような研究をされてきたのですか?
◆ 【研究1】リン資源の持続可能な管理にむけて
大きくわけて3つの研究テーマがあります。ひとつ目が、2003年当時、学生だった私が背中越しに聞いた先生方の相談話のことで、鉄鋼を製造する過程で副産物として発生する「鉄鋼スラグ」を対象とした研究です。鉄鋼スラグは路盤材などに利用されていますが、実は、スラグ中にリンが多く含まれることが試算されています。
リンは動植物に必須の栄養元素であり、農業用肥料として欠かせないものです。日本はリン鉱石の全量を海外に依存していますが、世界的な需要の高まりや産出国の輸出規制などにより、今後、安定確保が困難になる事態も起こりえます。今後のリン資源の持続的管理にとって、鉄鋼スラグからのリン回収とその再資源化は大変重要であるため、その技術開発に関心があると、当時、長坂先生と中村先生が話していました。
そこで、私たちがまず取り組んだのは、「マテリアルフロー」という手法を用いて、国内にリンがどれくらい輸入されて消費され、拡散散逸され循環しているか、定量的に明らかにする研究でした。その結果、鉄鋼スラグに含まれるリンの量が、実は、日本が輸入しているリン鉱石の量に匹敵することがわかりました。とても単純に言えば、スラグからリンを全て回収できれば、日本はリン鉱石を輸入しなくてよいくらいのバランスでした。
私は技術開発はできませんが、スラグからリンを回収する技術が開発された場合、どんな産業分野に需要がありうるかや、環境や社会、経済へのインパクトを試算する研究を、2004年から2008年頃まで行いました。
ちょうど2008年頃、実際に中国でリン資源輸出を規制する動きが起こりました。日本は1998年頃までは米国からリン鉱石を輸入してきましたが、米国が資源枯渇を理由に禁輸措置を実施したため、それ以降は中国にリン資源を依存しています。海外における今後の資源需要の増加を踏まえれば、国内の未利用資源を利活用していくことが大事という知見が得られたわけですね。
また、リン資源の持続可能な管理には、工学のみならず、社会科学や産業界、政府など、多様なステークホルダーを巻き込んだ取組みが必要です。2008年、大阪大学の大竹久夫先生により「リン資源リサイクル推進協議会」が発足され、時を同じくしてヨーロッパでもスイスETHの先生が中心となって「Global TraPs」という、学際的なプロジェクトが立ち上がりました。この流れに私も乗りながら、国内のみならず国際的なリンの流れに関しても分析を行い、未利用資源を活用する場合、どこにステークホルダー間の"バリア"があるかを明らかにする研究も行いました。
さらに高品位なリン資源も研究課題としました。鉱石としてのリンのみならず、より品位の高い「黄燐」という高純度化された100%リンの製品です。実は、国際マーケットに黄燐を供給できる国は世界で少なく、米国とカザフスタン、ベトナム、中国のわずか4カ国ほどしかありません。そのため、黄燐からスタートする製品を考えた時、国内での未利用資源からの黄燐調達技術の開発も重要なターゲットと考えています。そこで、黄燐スタートの製品の需要や、世界全体での黄燐マーケットの実態を証拠として示し、技術開発や政策判断を支援する情報として提供することも研究課題としました。
◆ 【研究2】鉄鋼材に使われるレアメタルの高度循環を促す
もうひとつは、鉄鋼材に使われる合金元素の高度循環を促す視点で研究を進めています。主に、自動車リサイクルを大きなターゲットとしています。
日本の鉄鋼産業は、年間約1億トンの鉄鋼を製造しています。例えば、自動車のエンジン周りなどに使われる耐熱鋼には、合金としてニッケルやクロム、マンガンといった希少金属(レアメタル)が使われています。希少金属を、重量として最も消費している産業分野が、鉄鋼業なのです。
現在、使用済み自動車は、自動車リサイクル法によって再資源化と適正な処理が義務付けられており、鉄鋼材そのものは確かに循環利用されるため、非常に高いリサイクル率が書かれています。しかしながら、鉄鋼業が消費したレアメタルは循環利用されているかと言えば、実は、合金ではほとんど循環利用されていないのですよ。
その一例として、ステンレス(※)を挙げましょう。ニッケル系のステンレスに関しては、磁石につかない性質を利用して鉄鋼中に含まれるニッケルが有効活用され、ニッケルを含むステンレスとして再資源化される流れになっています。しかし、クロム系のステンレスに関しては磁石につく性質のため、合金を含まない「炭素鋼」という通常の鋼材と同様に回収され、炭素鋼として再資源化されてしまうため、クロムに関しては、クロム系ステンレスとして、ほぼ循環利用されないのです。
※ ステンレスとは鉄にクロムやニッケルなどの元素を加えた合金鋼で、「Stainless Steel=さびにくい鉄」の意。主要元素として、クロムを含む「クロム系」と、クロムとニッケルとを含む「ニッケル系」に大別される。
同様なことが他の多くの合金に関しても言え、相当な重量の合金が使われているにも関わらず、二次資源としては有効利用されていない実態があるのです。このような合金鋼が最も多く使われている産業が、自動車産業というわけです。
そこで、自動車産業における合金鋼の流れと、それらが再資源化された場合には循環利用されているかを解明し、それらを再資源化するにはどのようなスクラップを選別分別する必要があるか、それによりどんなメリットがあるか、分析する研究をしてきました。
◆ 【研究3】サプライチェーンリスクの可視化
さらに最近は、JST(科学技術振興機構)の「科学技術イノベーション政策のための科学」分野で研究プロジェクト代表を務め、サプライチェーンリスクの可視化を対象に、2012年から2015年まで研究しました。リンにしてもクロムやニッケルにしても、実際に循環が難しい理由は何かと言えば、特に製作側に対してメリットを訴える時に難しい"バリア"があるのです。
そもそも多くの企業や政府が、お金を出す価値があるかどうかを測る"ものさし"とは、"コストの最小化"と"二酸化炭素の削減"です。ところが、鉄鋼スラグからリンを回収し再資源化した場合、回収することによって、コストも二酸化炭素排出量も増えるのですよ。どちらも増えるのでは何の役に立つの?ということが、ひとつのバリアになっています。
一次資源が、もし金のように高価であれば、ドブからでも回収する価値はありますが、リンに関してはそこまで高価ではありません。同様の話がクロムにもニッケルにもマンガンに関しても皆、言えるわけです。金のように高価ものであったとしたら、我々が特別に何かをしなくとも、すでに経済ベースでまわっています。
とはいえども、未利用資源を活用することで「何か良いことはある」と皆、頭では思ってはいるわけです。それは何かと言えば、上流側の様々な環境負荷や社会的な負のインパクトを減らし、海外からの資源調達リスクを減らすといったメリットです。しかし、それを測るための良いツールを持っていないのですね。そこで原料採取から製造、流通、廃棄、リサイクルに至るライフサイクル全体で発生する環境社会影響を定量評価する「ライフサイクル分析」(Life Cycle Assessment)という視点があるわけです。
ただ、特に最上流の鉱山周辺で起こる環境社会への影響や、あるいはサプライチェーンを通じて、例えば、鉱山国と日本の関係性は悪くなくても、次ステップで素材精錬を行った時、紛争や天災などの影響で調達が滞るリスクなど、様々な影響が考えられます。それらの影響を網羅した意思決定の支援ツールがないため、そのツールをつくる研究もしました。
◆ オーストラリアで持続可能な鉱山資源を研究
しかし資源調達に関するサプライチェーンリスク、特に、その上工程である鉱山や製錬で起こる環境社会へのインパクトは、日本国内の場合、素材の製錬はありますが、現在鉱山開発は行われていないため、情報が集積されず、なかなか見えない部分ありました。
そこで、それらの情報に強い地域に滞在して研究の幅を広げたいと思い、オーストラリアのブリスベンにあるクイーンズランド大学の「持続可能な鉱物資源研究所」に、2015年10月からの約10ヶ月間、短期滞在しました。同研究所はいくつかのセンターがあり、私は、鉱山の社会的責任を考えるセンターに所属しました。
鉱山開発にあたっては、鉱物を採集し利益を上げるだけでなく、周辺の環境や社会、文化や経済に与えるインパクトも考慮しながら、責任ある鉱山開発を行う必要があります。特にオーストラリアの場合、鉱山開発時、原住民との合意形成が重要なテーマとなります。鉱山が原住民にとっては聖なる土地であった場合、文化財の破壊を回避する必要がありますし、もし周辺から鉱物を採取する時、どのように合意形成を進め、お互いにとって良い形を実現するかが問題になるのです。
その研究所は、鉱山会社からの寄付金などで成り立っており、鉱山会社はオーストラリアのみならず南米やアフリカなど様々な国に鉱山を持っています。そのため研究所の研究者たちは各国の鉱山に行き、コンサルティングの仕事もしていることが、興味深かったですね。中には新しい鉱山開発を進めるにあたり、住民と鉱山会社の間で合意形成を図るステップそのものを研究対象にする人もいたことが、私にとっては新鮮でした。
その結果、その研究所は、常に誰かどこかの鉱山に行って、全員がそろう機会が少ない状態でしたが、その状況にも柔軟に対応しながら研究を進めていくスタイルも、おもしろいと思いました。また、研究者や留学生の出身国も多様で、オーストラリア全体が多様性を受け入れる印象を強く受けました。そういうものが日本にもあればいいなと思いましたね。
技術と社会の接点
―松八重先生は、どのようなところに研究のおもしろさを感じていますか?
なかなか難しい質問ですが、工学部にいて、この辺りが自分の役割なのかなと、少し思い始めたことがあります。
それは、工学部の皆さんは大変熱心に技術開発されて、それが社会の役に立つと、とても素朴に考えてポジティブに研究をされています。しかし、意地悪を言うわけではないですが、開発した技術を社会に適用した時、必ずしもそうではない場合があるのですよ。
社会に適用した技術が、社会や環境に直接的・間接的に与える影響や、社会全体として我々の目指すところへ本当に進んでいるか、俯瞰的な立場から改善ポイントを考えることは大切なことだと思うのですが、工学部の人はそれが案外苦手なんだと気づきました。
逆に、私がこれまで経済で受けた教育はマクロな視点ばかりでした。経済はミクロのことを知らずにマクロな話ばかりするので、「偉そうだし現実味がない」と悪口を言われることもあります。しかし、工学部に赴任し、ミクロな視点で技術開発などを少しずつ勉強しつつ、一方ではマクロの視点も持ち、その技術を適用した時、望ましい未来が本当に実現できるかを考え、そのための改善点を提案するインタラクションはおもしろいことに気づきました。
社会科学と工学をつなぐ人材はまだ少ない気がしており、おそらくそのあたりでの仕事は自分の役割なのかなと、最近思っています。その辺が最近おもしろいと思うところですね。
また、現在、自分にお任せいただく仕事量を考えると、もっと仲間が必要と思うので、現在の研究内容を発展させるのに加えて、今後そのような人材育成に力を入れたいと考えています。
◆ 技術と社会の接点に関心
―そもそもなぜ大学では経済学を選んだのですか?
高校生の頃、工学部教員の父が、私に理系を選択して欲しいという期待があったせいかもしれませんが、社会科学なんか「役に立たない」と言って口論になったことがありました。そのときはまだ何も学んでいない時だったのですが、実際はそんなことはなくて、もっと社会科学の知見で見えることがあるはずだという反発心もあり、社会科学に興味を持ったことが、ひとつのきっかけです。
もうひとつは、高校生の頃に読んだ本の影響で、政治学にも興味がありました。ちょうど当時は湾岸戦争が起こった頃で、そもそもなぜ戦争が起こるのかや、環境問題なども含め、なぜ人間を不幸にする事象は起こるのか、それを解決するにはどんな手法があるかに関心があったのです。しかし、政治学は、不確定要素の大きい人間を対象とするが故、科学的な手法には収まらない幅広いアプローチが必要となります。同様に人間を対象としながらも、数学を用いて理論的に積み上げていく経済学に私なりに確かなものを感じ、経済学に興味を持ちました。
後付かもしれませんが、今振り返ってみれば、技術と社会の接点に関しては、工学部教員だった父の影響もあり、ずっと関心があったのだと思います。新しい技術が導入された時、巡り巡って社会がどのように変わるのか。そのテーマに、経済学の中で一番取り組める分野が、計量経済学や産業連関分析でした。
研究と子育ての両立
―続いて、ライフワークバランスを中心に、プライベートについてもお話を伺えますか?
小学1年生の息子がおり、夫は東京勤務のため、平日の多くは仙台で一人で子育てをしています。子どもが生まれた頃からずっとそのようなスタイルで、かれこれ7年になります。子どもは小学校に通って、放課後は学童に行き、夕方に私が迎えに行くスタイルです。
―以前の座談会で、「今は保育園だから大変ですが、小学校にあがればきっと楽になるはず」と仰っていましたね。
そうそう、でも現実は違うんですよ(笑)。保育園の時は、「保育園は大変だな。小学校にあがれば、子どもも自立して楽になるかな」と思っていました。確かに楽になったところもありますが、逆に大変になることの方が多い気がしますね(笑)。
子どもも、保育園の頃は「ママ、ママ」と付いて来るだけで口答えもしませんでしたが、最近はすぐ口答えをします(笑)。しかも保育園の時は「子どもは健康でさえいてくれれば、それでいい」と思っていましたが、やはり小学校にもなると、親の心情としても「健康だけでどうする」と思うじゃないですか(笑)。習い事も大変だと思いながらも連れて行くと、それなりに時間がかかりますし。あの時の私には、その大変さがわからなかった・・・(笑)。
―ご自身の研究室を運営し研究と教育をしながら、平日はお一人で子育てを両立というのは、外から見ると非常にハードに見えますが、ご自身ではどのように感じていますか?
内からも大変ですよ(笑)。
―大変な状況を、どのようにコントロールされているのですか?
いや、もはや、綱を渡れていない綱渡りです(笑)。子どもが小学校に上がってから一番大変になったのは、出張ですね。保育園の頃から出張を控えられる先生もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合、子どもが比較的健康だったことと、親も顕在でフットワークが軽かったことに支えられ、今までは海外出張をそれほど躊躇しませんでした。子どもが保育園だった時は、国内外問わず子どもを実家に預けて出張していましたが、小学校ではさすがに「親が出張なので、学校を休みます」とはいかないので、これからの大きな課題です。
◆ 子連れオーストラリア滞在奮闘記
―ちなみに今回のオーストラリア滞在は、お子さんはどうされたのですか?
一緒に行きました。女性教員で、工学研究科のサポートを受けながら海外滞在する事例はまだ少なく、さらに子連れとなるとほとんど例が無いので、これから先、決断する人のためにも少しでもお役に立てればと思い、決めました。やはりポジティブとネガティブの両面がありましたね。
当然、子どもが一緒にいない方が研究に集中できるので、大学からサポートをいただいて、研究に集中させていただこうと思ったら、子どもは連れて行かない方が正解だと思います。ただ、ポジティブな面を考えると、海外滞在時の方が、他の仕事がないため、子どもと一緒にいられる時間は長いですね。
私の場合、子どもが英語をほぼ話せない状態で連れて行き、地元の小学校に入れたので、子どもが慣れるまで、それなりに時間がかかりました。より正確に言うと、うちの息子は、海外に馴染みやすい性格なので、まだ楽な方だったのかもしれませんが、適応には何段階かステップがあるらしいのです。最初は何もかが新しくて「わぁ!楽しい」と興奮し、慣れてきた頃に少し疲れが出て停滞し、その後でさらに順応する。そんなステップがあると、本で読んだのですが、まさにその通りでしたね(笑)。
最初は「楽しい!」と子どもは興奮していたのですが、英語が少しわかるようになると、自分に対して悪口を言われていることがわかるらしいのです。それに気づいて、今度は「学校に行きたくない」と言い始めて。その壁を乗り越えると、自分からコミュニケーションをとれるようになるので楽しくなってきて。やっと完全に順応しそうな段階で日本に帰るという(笑)。「行きたくない」「行く」「行かない」のサイクルで多少の苦労はありましたが、それも親子の成長といえば成長ですね(笑)。
―そんな時、お子さんに何と声をかけましたか?特に「行きたくない」と言い出した時に。
「わざわざオーストラリアにいる必要はないのだから、学校に行きたくないのであれば、日本に帰れ」と言いました。
―それに対して、お子さんはどんな反応をしましたか?
「いたい」と思ったのでしょうね、「じゃあ、日本に帰りたい」とは言わなかったです。その気持ちをある程度わかって親として言っているところもありますが、もしいたくないのであれば、本当に帰ればよいと思ったので、「いいよ、学校に行かなくて」とは、一度も言いませんでした。子どもが「帰る」と言わなかったので、「では、ここにいるのであれば、学校に行け。そのどちらかしかない。どちらかを選べ」と言いました。
―お子さんの意思を尊重した育て方ですね。自立心が早い段階で育まれそうです。
そうですね。「強くなれ。私だって、遊びに来たんじゃないんだ」と励ましました(笑)。ただ、ワークライフバランスは自分の問題ですが、子どものストレスコントールは、自分のこと以上に大変ですね。まだ子どもですから自分でストレスに対処できないので、ある程度の抜け道を与えながら楽しく過ごせるよう、でもあまり遊び過ぎるとゆるくなってしまうので、バランスにはすごく気を使いました。
◆ 土日は仕事を「しない」と決める
―普段から、特にどんな点に気をつけて、お子さんと接していらっしゃいますか?
平日は帰りも遅く、子どもと一緒にいられる時間が少ないので、週末はできるだけ一緒にいる時間をつくろうと、基本的に、土日は仕事を一切しないと決めて、仕事を持ち帰らないようにしています。この時期、なかなか難しいですけどね・・・。
―オンとオフのメリハリをつけるのですね。
そうでないと自分の健康上も良くないですし、結局、仕事を持ち帰って良いことなんて、実は無いのですよ。多少は仕事が進むかもしれないですが、子どもが横で「どこかに連れて行け」と叫ぶ中でイライラしながら仕事をしても良いことなんかないです(笑)。ですから、いっそのこと「しない」と決めるのです。
―決め打ちした方が、むしろ、それぞれに集中できて、精神衛生上も良いわけですね。
そんな気がします。でも実際には、たぶん、迷っている暇がないだけですよ(笑)。
―苦労する中で、逆に得られるものとは何ですか?
単純に、楽しいですね。子どもと一緒にいること自体も楽しいですけど、子どもと一緒でなければなかなか行かない場所に行って、子どもと一緒に楽しめます。男の子がママに付き合ってくれる時間なんて、今だけですしね(笑)。単純に楽しいです、一緒にいるから。
◆ 物事にはポジティブとネガティブの両方がある
―プライベートに関して、今後の抱負をお聞かせいただけますか?
仕事をしている私が、子どもに常時寄り添っていられるお母さん方と異なる点は、ポジティブとネガティブの両方があると思います。
ネガティブな面は、どうしても平日一緒にいられる時間が少ないことや、習い事や平日日中のイベントなどすべて要求通りつきあってはあげられないこと、出張があれば不在が続くことなど、色々あります。
逆にポジティブな面は、今回のオーストラリア滞在や、海外からのお客さんと一緒にご飯を食べる機会など、なかなかできない経験をさせてあげられることだと思います。
この現状を、「そういうものだ」と受け止めてもらうしか無いですが、子どもに楽しんでもらえるといいなと思っています。
物事をポジティブに捉えて楽しむ
―どんな物事にも必ず良い面と悪い面がありますが、松八重先生は目の前のことを無理に抗おうとせず、ありのまま受け入れ、それを良い機会と捉えて如何に楽しんでいけるかに重きを置いている印象を強く受けました。それは昔からの性格ですか?それとも意識的に心がけていることですか?
物事をポジティブに捉えようとするのは、もともとの性格かもしれないですね。きっと、どんな選択をしても、必ず良い面と悪い面があるので、悪い面を考えるより、良い面を伸ばしたり、その機会を前向きに捉えて楽しもうとするのは、持ち前の性格かもしれません。
例えば、すごく許せないことがあっても、将来のネタにしようと思って、笑いに変えます(笑)。その意味では、良い仲間やパートナーに巡り会えていることは、自分にとっての幸運です。後でネタとして話せる仲間やパートナーがいなかったら、自分の中で消化し切れないと思うのですが、その場では笑えないことも、後で「ねぇ、ちょっと聞いてよ」と話をすれば笑ってくれる人がいるので、お互いに頑張れる感じですね。笑いが一番のストレスコントロールです(笑)。
―お子さんにも、物事をポジティブに捉える性格は、きっと伝わっているでしょうね。
そうですね。息子は、残念ながら、ひとつのことに執着して考えるタイプではないので、私は「カツオ男子」と名付けています(笑)。
たまに、小学1年生らしいおもしろい言い間違いもありますよ。例えば、オーストラリアに滞在した時、「英語さえできれば大抵の国は行けるし、ほら、こんなにたくさんの人たちと一緒に話ができるでしょう?ママも安心して君を連れていけるしね。英語に加えて、さらに中国語とスペイン語の三ヶ国語ができれば、世界中どこにでも行けるし、ママは君に通訳の仕事を頼めるから、逆に喜んで連れていくよ」と息子に言ったのです。
その後、ご飯を食べている時に、突然息子が「『三角食べ』ができたら、世界中どこでも行けるの?」と言い出して。何を言っているのかと不思議に思い、「お行儀が良くなったら、ということ?」と聞いたら、「違うよ!この前言ったじゃん!『三角食べ』ができたら世界中どこでも連れて行ってくれるって!」って(笑)。
―ご飯と味噌汁とおかずを順序よく食べる『三角食べ』と、『三ヶ国語』を勘違いされたのですね(笑)。そんなやり取りからも、お子さんも世界中色々なところに行ってみたいと、ポジティブに捉えている様子が伝わってきました。
そうですね、「米国やハリーポッターの国に行きたい!」と言っているし、色々なところに行ってみたいようですね。外に行きたいというのは、私に似ているのかもしれないです。
―最後に、中高生も含めた次世代にメッセージをお願いします。
◆ 無駄な経験なんてない
「なぜこんな勉強をやっているのだろう?」と思うことがあるかもしれませんが、無駄な経験なんてないと思います。ですから「無駄だから」と削らずに、何事も前向きに取り組むことをお勧めします。
それは勉強に限らず部活など全てにおいて言えますが、それが何の役に立つのか、その時はわからなくとも、後で何かに直面した時、「そういえば、あの時そんなことをやったな」とつながるものです。
すぐ役立つことに直結したものの覚え方は、大人になってからやむなく直面しますが、中高生の頃はそんなことは考えずに、与えられた目の前のことを、とにかくやってみる姿勢がよいと、子育てをする中で感じますね。
◆ 「不安だから諦める」選択はしない方がよい
また、将来に対する不安を持っている方もおそらくいらっしゃると思うのですが、不安は不安で持っていたとしても、その時になれば、その時なりの幸せの見つかり方があります。ですから、本当はやりたいけど、不安だから何かを諦めることはしない方がよいと思います。
とりあえず、やりたいことは全てやる。その上でハードルがあったら、まわりに相談してみる。きっと誰かが助けてくれますから。誰も助けてくれなかったら、自分でやると言うと少し重いですが、助けられなかったことは今までにないので、大丈夫ですよ。
◆ 自分で決めたことは、前向きに捉えられる
私、諦めることが嫌いなんです。どちらかを諦めて「可哀想な自分」と思うのは、すごく嫌いなのです。
だから、とりあえず、やりたいことを全てやる。何か選択をする時は、「どちらを選ぶ方が、自分にとってポジティブな理由が見つかるか?」で理由付けをします。その理由に自分が納得すれば、後悔はしないものです。
反対に、理由もわからずに他人から選択を迫られるとネガティブになりますが、自分で決めたことなら前向きに捉えられます。そうやって決めていくのがよいと思いますね。
◆ "自分の選択"には、経済的な自立と能力の向上が必要
そのような意味で、女性が経済的な事情で選択を諦めることは、ネガティブじゃないですか。ですから経済的に自立する必要があると私は思っています。経済的に自立すれば、自分で選択できるし、選択の幅も広がります。
学力の向上も同じで、自分に能力があれば、ポジティブな選択ができます。何かの選択をする時、人に言われて選択するのではなく、自分の選択としてそれができる。そんな意味で、女子の経済的な自立と能力の向上は大切だと思うのです。
それが楽しい未来につながっているひとつのステップと捉える視点がよいと思います。つらい未来につながっていたら、誰もやらないですよね。実際やるべきことはつらいこともあるかもしれないけど、楽しい未来につながっていると捉え、ぜひ今の勉強にも取り組んでもらえたらと思います。
―松八重先生のスタンスがよく伝わってきました。どうもありがとうございました。