取材・写真・文/大草芳江、資料提供/東北大学地震・噴火予知研究観測センター
2021年10月02日公開
観測事実がなければ、
地球物理学者の思い込みは覆せなかった
日野 亮太 Ryota HINO
(東北大学大学院理学研究科附属 地震・噴火予知研究観測センター/
東北大学災害科学国際研究所 災害理学研究部門 教授)
1964年、大阪市生まれ。1983年大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業、東北大学理学部入学。1987年同大学同学部卒、1992年同大学大学院理学研究科博士課程修了。地震・噴火予知研究観測センター助手・助(准)教授を経て、2013年東北大学災害科学国際研究所教授(現在も兼務)。2015年より理学研究科教授。
東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震から10年。あの巨大地震が地震研究にもたらしたインパクトとは何だったのか。地震学の今と未来を、第一線の研究者に聞く。第一弾は、地震の海底観測が専門の日野亮太さん(東北大学地震・噴火予知研究観測センター教授)。日野さんは、東北地方太平洋沖地震の震源域である宮城県沖の海底で地震・地殻変動を観測し、世界で初めて巨大地震を震源間近で捉えた。もし、東北地方太平洋沖地震が発生していなければ今、地震研究はどうなっていたのか。日野さんに聞いた。
※ 本インタビューをもとに、公益社団法人日本地震学会2021年度秋季大会一般公開セミナー「東北地方太平洋沖地震10年と地震研究」(2021年10月17日開催)のモデレーターを大草が務めさせていただきます。
「地球の構造」と「地震が起こるしくみ」の関係を知りたい
― そもそもなぜ日野さんは地震の研究者になったのですか?はじめに、原点やモチベーションから教えてください。
私は、海の地球科学に興味があって研究者になりました。幼い頃は化石好きの恐竜少年で、小学校にあがる前から地面の中に興味がありました。もうひとつの原点は、小学校低学年の頃に見た、『日本沈没』という映画(小松左京が1973年に刊行したSF小説が原作の映画)です。人がどんどん亡くなるのが怖かったのですが、竹内均先生という実在の地球物理学者が映画に登場し、その怖い地震の発生のしくみを説明するのを見て、「そんなことがわかるんだ!」と感激し、自分も地球物理学者になりたいと思うようになりました。
一方、当時の小・中学校の理科の教科書には、地球の構造と地震発生のメカニズムの関係についての説明はあまりなく、とても知りたくなりました。地球科学を本気で勉強したいと思うようになり、地球物理学関連の本をずっと読みました。当時は「プレートテクトニクス」による説明がちょうど始まった頃で、「プレートが動いて、引きずっていたものが反発して海溝型の地震が起こる」という説明を読み、「プレートの動きやプレートの境界を自分の目で見ることはできるのかな?」などと考え始めたのが高校生の頃です。
そんな研究ができる大学はないかと探して、東北大学に入学し、結果そのままずっと(笑)仙台に住んでいます。幸いにして、志望する地球物理学に配属でき、やりたいと思っていた海での地震観測を、この地震・噴火予知研究観測センターで行う先生がいることがわかり、非常に嬉しくなって、すぐその研究室に入り、以来ずっとその研究を進めています。
― 小さな頃からずっと知りたかったことが今にそのままつながっているのですね。そのモチベーションに対して、どのようなアプローチで研究されてきたのですか?
「知りたい」最初の入口は、やはり地球の構造(地殻やマントルの構造)です。地下構造を知る方法としては人工地震探査(あるいは音波探査)があり、それを海域で行っているのがこの研究室でしたので、その研究に参加するところから始め、大学院生の間は、人工地震のデータを用いて地殻やマントルの構造を調べる研究を行いました。
この研究室で助手(現・助教)のポストが空き、研究者としての第一歩を歩み始めた頃、1989年と1992年に三陸沖地震、1993年に北海道南西沖地震と、プレート境界型の地震が日本海溝近傍で多く発生していました。地震の正体を知るためには地震観測が有効ですが、海で起こる地震ですので、陸の地震観測だけではわからないことがたくさんありました。
地震観測データの解析をするうちに、「地震が起こるしくみと、自分がこれまで研究してきた地下構造は、きっと関係があるに違いない。地震が起こるところと起こらないところの特徴を、地下構造から調べることはできないだろうか」と、研究対象が単なる地下の構造から、地下の構造と地震が起こるしくみとの関係にシフトしていきました。
一方でどんどん地震が起こるので、地震が起こっては観測を行い、その震源を決めるだけで論文になりました。そんな仕事をしているうちに、あっという間に時間が経ってしまった印象です。そのほかにも、南海トラフ地震に関する大型の科学プロジェクトで人工地震探査の中心的役割も担わせていただきました。
また、「今後30年以内に地震が発生する確率が99%」と言われる宮城県沖地震の観測を強化するため、文科省から受託研究をいただき、海底地殻変動観測の立ち上げにも関わらせていただきました。2011年の東北地方太平洋沖地震の直前は、まだ観測技術としてはよちよち歩きでしたが、ちょうどそのような状況だったのです。
東北地方太平洋沖地震の発生、「貞観津波の再来か」
― 日野さんたちが宮城県沖で海底地殻変動観測を立ち上げていたまさにその時、東北地方太平洋沖地震が発生しました。当時どのような状況だったのですか?
まず、その2日前(2011年3月9日)に前震がありましたよね。あれが宮城県沖地震とどんな関係にあるか気になっていました。それまでも地震が起こると、すぐ新しい地震計を準備して震源域に設置する仕事をしていたので、その時も観測点の配置を考えていました。そして、11日に地震が起こった時、最初は「あぁ、想定されていた宮城県沖地震だな」と思いました。というのも、その前の宮城県沖地震(1978年)を私は体験しておらず、周囲から「ものすごい揺れだった」と聞いていたので、これかと思ったのですね。仙台に来てから体験した地震の中では間違いなく、ず抜けて大きな揺れでしたから。
ただ、なかなか揺れが収まらなかったので、「これはマグニチュードが随分大きいな」と思いました。当時、貞観地震(869年)の津波堆積物を調査している研究者たちと共同調査を行っていたので、「すると、過去にあった巨大地震の再来かしら」と思ったのです。けれども、その時はまだ真相はわかっていなかったので、「貞観のような巨大地震があったとすれば甚大な津波被害が想定され、非常に心配だ」と、地震発生1時間後頃に思いました。
― 実は、私たちNPOの主催で「サイエンス・デイ」という一般向けの科学イベントを2007年から毎年開催しているのですが、東北大学の地震・津波研究者の皆さんが震災前も、地震や津波の発生メカニズムを解説してくれたり、貞観津波の堆積物の剥ぎ取り標本を展示してくれたりしていました。まさか自分が生きている間に千年に一度の巨大地震が来るとは、私も思っていなかったのですが、震災後にサイエンス・デイ来場者の保護者の方が「地震が発生した時、娘が『サイエンス・デイで見た巨大地震と本当に同じのが来た!』と言っていた」というメールを送ってくれました。貞観地震・津波のことを予め研究者の皆さんから聞いていたから、その子どもも「あの巨大地震・津波の再来だ」とつながったのだと思います。
本当に、そのような意味では、せめて地震があと1年待ってくれたら、という気がします。あの貞観津波は研究者間では評判になっていたのですが、政府の地震調査の評価にはまだ十分に活かし切れておらず、ちょうど2011年に改定するところでした。巨大津波の痕跡が物証を伴って証明され、マグニチュード8.4以上の地震になると、正式に書かれるはずだったのです。せめてそれが間に合えば、少なくとも当時のような不意打ち感はなかったと思うのです。それで被害をどれだけ減らせたかはまた別問題ですが、本当に意地悪なタイミングで起こった地震でした。
― 日野さんご自身も被災された中で、地震発生後はどのような状況でしたか?
3月9日の前震で、私たちは3月12日に塩釜港から船を出す予定でした。観測の準備もできていて、目の前で大きな地震が起きているのに、その観測に行けないのが、ものすごく苛立たしかったです。電話も満足にかけられない状態の中、何とか東京の観測仲間に連絡を取り、「東北大は手伝えないから、東大とJAMSTECでできることをやってください」と話をして、どんなところにどんな調査を行うか、意見交換をしました。
一方で大学教員ですから、研究室にいる大学院生たちを被災者のまま置いておくわけにはいかないですし、かといって大学そのものも被災している中で、彼らを養うゆとりもないわけです。関東圏など比較的遠くに実家がある学生さんには帰省の算段を取り、他の先生方の中には、東京の研究仲間に学生さんを預かってもらって研究を継続する先生もいました。私の研究室の場合、現場の観測も必要でしたので、帰省しない学生さんには観測のお手伝いをしてもらいました。
千年に一度のデータを取り逃すわけにはいかない
― 日野さんも動けるようになったら、どんなことをやりたいと考えていましたか?
震災前から宮城県沖で開始した海底地殻変動の観測は、海底に基準点を置いておき、船でその場所に行って測り、その基準点が動いていれば、水平方向の地殻変動がわかるものです。地震前のデータもあるので、取りに行けば、マグニチュード9の地震ですから大きく動いているはずで、非常に貴重なデータになるのは間違いありません。ですから、それを一刻も早く取りに行きたいと思っていました。
また、宮城県沖地震観測のために、海底の上下方向の地殻変動を測るための海底水圧計も設置していました。海底で水圧が小さくなることは、海が浅くなったことに相当するので、逆に、海底が上昇しているわけですね。前震活動から本震に至るまでのすべてのプロセスを取っているので、そのデータも早く回収して解析したいと思っていました。
地殻変動観測は、断層が動くことによって地面が動いていくところを見ています。震源に近いところはよりたくさん動き、遠くになると少ししか動かない性質がありますので、複数の観測点で動きの大きさの違いを見るで、どれくらいの範囲の断層が何 メートル滑ったか推定できます。
当時、陸の離れたところにはGPSの観測網はたくさんあったので、そのデータを用いて、断層がどれくらい動いたかの研究もすぐ行われました。ところが、震源が離れているせいで、なかなかはっきりとしたことがわからなかったのです。そこに、震源すぐそばで測っている海底のデータを足せば、より綺麗なイメージが得られると思い、一刻も早く、地震の時にどれだけ動いたかを見たいと思ったわけです。
さらに、もともと3月9日の地震の余震観測のつもりで準備していた地震計を、どこでどのタイミングで展開するかも考えていました。地震計も、複数の観測点で揺れが始まった時間を計測してあげると、そこから逆算して震源の位置がわかります。私たちは東北沖地震(東北地方太平洋沖地震)の震源のすぐそばで観測していたので、そのデータを使うことで、東北沖地震はどこから断層破壊が始まったか正確にわかります。一度だけではなく小さな地震がたくさん起こりますので、ひとつひとつの地震の震源を丁寧に決めることで、どのような断層がどの範囲で壊れたかの全体像を捕まえることができるわけです。
― それが実際に実現したのはいつですか?
3月9日の地震の余震観測のつもりで3月12日に準備していた地震計の展開を、実際に実現できたのは、4月7日でした。
― 4月7日といえば、一番大きな余震があった日ですね。
はい、大きな地震があった日です。ただ、私は体調を崩してしまい参加できなかったため、海底地殻変動の観測に出る木戸元之先生(東北大学)に私たちの地震計の設置もお願いしました。船は太平洋側の港がほとんど使えない状態でしたので、秋田港からの出港で準備していましたが、秋田もその日、停電になってしまったそうです。
― 震源に近いほど、目の前で地震が発生していても、研究者自身が被災してしまうので、仕方がないことではありますが、3月11日の地震発生からもう1ヶ月も経っていますね。
はい。その頃になると、1ヶ月が過ぎてしまったので、宮城県沖を中心とした余震域の観測は既に始まっていました。本丸のところは東京の人たちがやってくれていたので、遅れて観測を始めた私たちは、別の場所での展開を考えました。
― どこに地震計を設置しようと考えたのですか?
巨大地震発生後、誘発されてそのすぐ隣で巨大地震が起こる可能性があることは、2004年のスマトラ島沖地震(M9.1)の後、2005年・2007年にM8.6、M8.5の巨大地震があったという経験で私たちは知っています。となれば、次もし地震が起こるとすれば、青森沖だろうと考えました。青森沖では以前、三陸はるか沖地震(1994年)が発生し、本震発生前に地震活動があったことがわかっています。
我々の地震計には無線でデータを送信できる能力はないため地震警報には役立ちませんが、地震活動を捉えることで地震の起こり方をしっかり知っておきたい。やられっぱなしは悔しいので、しっかりと教訓は得ておきたい。そんな強い思いがありました。
そして青森沖で地震計設置後、宮城県沖に船を回し、そこで地殻変動の観測を行いました。私は船に乗りませんでしたが、船に乗った木戸先生の話では、漂流物が非常に多く、大変な中での観測だったそうです。
― その後、どのように研究を進めていったのですか?
私たちが使う地震計の多くは、電池にもデータを貯めるハードディスクにも限りがあるため、3ヶ月程度しか設置しておけないタイプです。当時も約1年観測できる地震計はありましたが、東北沖地震は震源の大きさがあまりにも広いために、それだけでは数が足りず、とにかく数を優先したため、長期間記録できないタイプの地震計がほとんどでした。ですから、もうあっという間に新しい機材の入れ替えが必要な状況になりました。北大、東北大、東大、京大、JAMSTEC、気象庁と、オールジャパン体制で機材を集めて入れ替えながら、観測網を維持したのです。気象庁の気象観測船も基本的には東北沖の調査に使えるようにしてくださって。本当にずーっと観測をやっていましたね。
― 観測データはいつ頃集まり、そこからどのように解析を進めていったのですか?
本震前から取っていたデータは5月から6月に集まり、地震計と海底水圧計のデータは私を中心に解析を進めました。ひとつは、特に本震が起こる直前までの震源分布をきちんと出すこと。もうひとつは、地殻変動観測のため海底に置いた装置のずれや水圧計のデータを見ると、地震時に海底で5 メートルも隆起していた場所があったりと、とんでもない情報がたくさん入っていました。それらのデータを用いて、陸域の観測データだけではわからなかった本震時の断層すべりの姿を解析すること。私は、このふたつの研究を行っていました。なお、本震後の余震観測として広領域への展開は、東大の先生方を中心に解析されました。
今から考えると、観測がすごく忙しくて、忙しかった割には解析が全然進んでいなくて、すごく効率が悪かったなぁと、反省しているところです。次を読んで観測計画を立てることをずっとやっていたので。なんか、焦っていたんですよね。もうちょっと落ち着いてやればよかったのに、と思うのですけど。
― やはり、千年に一度の地震が目の前で起こっている中で、取り逃がさないように、焦るお気持ちだったのでしょうか?
はい、やっぱり一番大きかったのは、それなんですよね。私たちが相手にしている、特に、巨大地震が起こった直後から「貞観の再来だ」と皆も言っていたわけですから。千年に一度しか起こらない出来事が目の前に起こっているわけで、解析は後でもいいから、とにかく取り逃すわけにはいかない、データを全部取りたいという、ものすごいモチベーションでした。
最近になって、やっと、解析に気持ちを向けられるようになりました。ですから今もまだ、東北沖地震が起こった直前、あの年の3月の地震活動の研究は行っています。また、地震計のデータ解析技術は10年間で進歩していますから、新しい技術を使ってもう一度見直すとどうなるだろう、という興味もあります。
― 10年経って、やっとそのようなお気持ちになったのですね。
そうですね。私個人としてはそんな感じです。まわりの人は「もう今さら」と思うかもしれないですけど。
― それだけ、地震の研究者にとっても、あの地震はすごい地震だったのだということを、改めて感じました。
「海溝付近では、大きな断層すべりはしない」通説覆す
― そのようにして東北地方太平洋沖地震を研究してわかったことは何ですか?
私たちが行ってきた海底観測の中で非常に大事な結果を出し続けているのは、結果的にはやはり最初に苦労して地震直後に測った、地震時の地殻変動のデータでした。そのデータを使うことで、プレート境界型の断層が大きく動いている場所が、なんと日本海溝付近まで達していたことがわかりました。「海溝付近は大きな断層すべりはしない」と、東北沖地震まで地球科学者からずっと信じられていたので、多くの地球科学者の間違った思い込みを吹っ飛ばしてしまった、本当に革命的な地震だったのです。
― それまで「海溝付近では、大きな断層すべりはしない」と考えられていた理由は何ですか?
そもそも地震とは、"動く前の断層"の"固着している部分"が"動かそうとする力"を支えきれなくなって動く現象です。ただし、断層はどこでも固着しているわけではなく、"動けるところ"と"動けないところ"があるので、(ひずみが蓄積する)"動けないところ"を見つけることができれば、それが将来の地震を起こす場所だろうと、基本的には考えられていました。それは全体像としては今でも間違ってはいません。しかし「ここが固着しているだろう」と思う場所に、大きな思い違いがあったのです。
固着させるためには、まず強い力で押し付け合っている必要がありますよね。ただ、押し付ける力の根源は地殻の重さであって、海溝の近くは寝ている断層で軽いので、押している力は大してないと考えられていました。もうひとつは、地震を起こすためにはひずみを蓄積する必要があるのですが、海溝付近はものが柔らかいので、少し変形させればすぐに負けてすべってしまい、ひずみを蓄えることはできないだろうと考えられていたのです。そのため、海溝に近いところは大きな地震は起こさないだろう、と考えられていました。
― それなのに、なぜ海溝に近いところで、大きな地震が起こったのですか?
私たちは「自発的に滑れるかどうか」ばかりを考えていました。しかし、それ自身に固着する能力はなくても、その周りに、もっとしっかりと固着しているところがあれば、そこを支えてしまうことができるわけです。その「支えてくれるところがある」ことを、私たちはあまり考えていませんでした。
特に、もともと日本海溝に関しては、その広い面積を支えることができるほど、強く固着しているところがあるとは考えられていませんでした。マグニチュード7レベルの地震が起こる小さな固着域があちこちに散在していることはわかっており、たまに隣同士が壊れることがあるかもしれないけど、広い範囲をまとめて支える"ボスキャラ"のような存在は、あまり考えていなかったのです。
Figure 1 2011年東北地方太平洋沖地震に伴って観測された海底の地殻変動。変動の向きと大きさを矢印で示す。星印は同地震の震央。オレンジ色と赤色の線で、地震時の断層すべり量が20 mおよび50 m以上となった範囲を、それぞれ示す。
もうひとつ大きかったことは、東北沖地震発生後の海底観測データをずっと見ていくと、地震が起こった瞬間、日本海溝の端から端までを破壊したわけではないことは、比較的早い段階でわかりました。ですから青森沖がすごく心配になったわけです。そこで本当に日本海溝どこでも巨大地震が起こり得るか、10年くらいかけてずっと調べているのですが、どうも宮城県沖だけのようなのです。まだこれは作業仮説で検証も難しいですが、きっとそうではないかと私たちは思っています。
宮城県沖は"隠れた巨大アスペリティ(※1)"の代表格のような存在ですから、その性質をしっかり調べ、それをある種のテンプレートと考えて世界中で探してあげれば、将来、巨大地震が起こる可能性がある場所をあぶり出すヒントになると考えています。直近では、「北海道沖で巨大地震が起こるかもしれないと」と考えられているので、私たちは宮城県沖と北海道沖の共通点を調べているところです。
※1 アスペリティ:プレート境界や活断層などの断層面上で、通常は強く固着していて、ある時に急激にすべって地震波を出す領域のうち、周囲に比べて特にすべり量が大きい領域のこと。
― 「隠れた未知の巨大アスペリティ」が宮城県沖で見つかり、しかも日本海溝のうち宮城県沖にしか無いらしいというのは、宮城県民としては複雑な気持ちです...。
このタイミングでここに住んでいたのは、もう運が悪かったとしか、言いようがないです。「大きく断層が動いた」ことに関しては、津波が大きかったので、きっとそうだろうと皆、最初から思っていたのですが、確証はあまりなかったのです。その後、同時多発的に色々な観測データが発表され、その中の重要なデータのひとつが、私たちの海底地殻変動のデータでした。その結果を使って「断層すべりモデル」を提案し、今も重要なリファレンスとして使っていただいています。
地震後の地殻変動が想定とは反対方向に
― その他にも、新たにわかったことはありますか?
地震後に続いて地殻変動が進行することは、それまでの経験で知っていたので、地震後も観測も進めていました。特に地震発生直後はとても速く動いているので、データをたくさん取りたいと思い、失敗を重ねながらも、いくつかデータを取ることができました。
プレート境界型地震ですから、断層が動くと、陸のプレートが海側に跳ね上がり、地震後は断層が止まらずそのままずっとゆっくりすべり続けるだろうと私たちは考えていました。ですから東北沖地震発生時、我々の観測した場所では、約31 メートルも動いたのですが、その後も海側に向かってそのまま同じ方向にずっと動き続けるだろうと思っていたのです。
ところが、実際に海へ観測に行ってみると、その向きが反対だったのです。最初は「解析、間違っているじゃないか」と言っていたのですが、近くで観測していた海上保安庁のデータもやはり反対を向いていて、「何か変だ」と言っていました。複数の観測点で、我々の想定とは違う、反対の方面を向いている。これには何か意味があると、話をしていました。
Figure 2 2011年東北地方太平洋沖地震の発生時(左図、Figure 1)と後に海底で観測されている地殻変動(右図)。地震後変動は、その向きと速さを矢印で示す。
― 想定とは反対方向の地殻変動は、なぜ起こったのでしょうか?
巨大地震によって地殻が動くせいで、マントルの中でゆっくりとした流れが始まることは、理論的には知られていました。ただ、それは例えば、氷河期にスカンジナビア半島等の氷河が溶けて今でもゆっくり隆起しているような、数百万年スケールの話を説明する時に、効くと考えていました。ですから、地震発生後わずか1、2年で、みるみる動いていることがわかるだろうか?と思い、その理論を研究しているカナダの研究者とその話をした時は、あまり気にしていませんでした。
ところが共同研究者が、「いや、そのモデルで説明できる。計算したら、本当にそうなる」と言うので、そのモデルと我々の観測データを合わせ、今、起こっている反対向きの運動が断層運動ではなく、マントルがゆっくり動くことで生じている「粘弾性緩和」という現象で説明できることを提案しました。今後もモデルを精緻化する必要はあり、今でもその努力は続いていますが、これも結果的に間違っていなかったですし、大切なきっかけを与えることができたと思っています。
― なぜ巨大地震のせいで、マントルの中でゆっくりとした流れが始まるのですか?
マントルは粘っこい液体ですから、水飴に例えて説明することができます。水飴の中に、棒を刺したことを想像してみてください。棒を普通に動かしても、水飴そのものは固いですから、あまり動かないですよね。小さな地震とは、そんなものです。水飴が柔らかいことを無視して、全体として「固体として」扱って大丈夫です。
ところが、とても強い力でゆっくりと水飴を動かすと、動き始めますよね。あるいは速く動かしても動けるわけです。つまり抵抗は大きくても、それに打ち勝つだけの力が加わればよいだけです。それが巨大地震で、普段はびくともしない水飴が動くほどの非常に大きな力が加わったわけです。
逆に、水飴が流れ始めると、今度は止まらずに、ずっと流れます。しばらく放っておけばまた止まりますが、その流れが今でもおそらく続いていると思います。もちろんマントルには、全体的として流れる性質を持っているので、定常のゆっくりとした流れはありますが、そこに東北沖地震が加速した別の流れが生じている、ということです。
― 想定外だったのは、想定よりも大きな力がマントルに加わった点ですか?
いえ、実は、そのような影響が見える現場は、震源に近いところに限られているのですよ。マグネチュード9クラスの地震自体はこれまでもチリ地震やアラスカ地震等ありましたが、昔の地殻変動観測は陸域だけでしたから、遠くから見ていただけではわからなかったのです。今回初めてマグネチュード9クラスの地震を真上で捉えることができたので、そのような現象があることに気づいたということです。そのような意味では、宮城県沖地震に備えて地殻変動観測の準備をしていたご利益が、そこにあったのだと思います。
― そのような意味では、海で起こる地震は、陸からの観測だけではわからないから、近くの海から観測する必要があるという、日野さんの狙い通りですね。
狙っていたものとは全然違いますけど(笑)、そうですね。あとは、それが今後どう進行していくかです。巨大地震発生後は、地震時に動いた断層が止まらずにゆっくりすべり続けることがあり、実は今でも断層がゆっくりすべっているところがあります。地殻変動を起こす大きな要因は複数あり、それらが競合し合いながら進行している大きな枠組みについては、最初の1、2年で大体わかりました。その後地震の影響が徐々に下がっていく、その下がり方が、地球の変動のしくみを私たちに教えてくれるので、地殻変動に軸足を置いてデータを一生懸命取る研究を進めています。
一方で、地震直後に地震計を展開した青森県沖では、まだ大きな地震は起こっていません。他の地震計たちから離れたところに置いたので、今のところあまり役には立っていませんが、今でも私はすごく心配で、現在は特にその観測強化に強いモチベーションを持って取り組んでいます。
― ちなみに巨大地震の後も、動いた断層が止まらずにゆっくりすべり続けているところは、今後どうなるでしょうか?
東北沖地震で、断層がすべったところの面積は非常に広く、宮城県の金華山から気仙沼、福島県の方はまだゆっくりとすべっているようです。宮城県沖のところはアスペリティで、"すべりたくない人"ですから、2011年の地震とほぼ同期に一緒につられて壊れ、そこでリセットがかかり、元の周期で言えば約40年動かないはず...、なのですが、「余効すべり」と言って、まわりでゆっくりとしたすべりが続き、それがアスペリティをひっぱるものですから、我慢できなくなって早く壊れてしまう可能性があります。シミュレーションの結果、次の宮城県沖地震は40年よりも早くなり約20年で起こるシナリオが多かったです。中には10年というシナリオもありました。次の宮城県沖地震が早まっている可能性がありますから、備える必要があります。
― 最短シナリオの10年の場合、ちょうど今ですね。きちんと備えたいと思います。
もし、東北地方太平洋沖地震が起こっていなかったら?
― 東北地方太平洋沖地震によって、それまでの通説が大きくふたつ覆されたほど、研究の進展があったことをお話いただきました。仮に、もし東北地方太平洋沖地震が起こっていなかったとしたら、今日の地震研究はどうなっていたと思いますか?
観測事実がなければ思い込みは覆せなかった
結局、私たちの思い込みは、観測事実がなければ覆せなかったと思うのです。地球科学はまだわかっていないことが山程あり、存在するデータを説明するために新しい理論のアイディアが次々と生まれている段階で、理論物理のように理論を積み重ねてそれを実証するために実験・観測を行うレベルには達していないのですよね。しかも、それらは防災に直結するものではなく、知的好奇心の延長にあるものですから、そこに自発的に向かう研究のドライビングフォースもなかなか働かなかったのではないかとも思います。先程のマントルの粘弾性の理論を提唱したカナダの研究者も、頭の中にはアイディアがあって計算もしていましたが、それも論文で終わっていたかもしれないですよね。
海底観測の重要性が世界中に広まり技術開発が加速
そのふたつの源になったのが海底地殻変動観測でしたので、海底観測の重要性が世界中にアピールされ、東北沖地震を契機に、海底地殻変動観測への投資と技術開発が圧倒的に進みました。そのような加速も起こらなかったかもしれません。そのような意味でも、あの地震は大きなインパクトだったと思います。
地震学者としての葛藤も
自分自身は今でも宮城県沖地震の観測を続けていたと思います。ただ当時すでに、観測を2003年から開始して7年が経ち、そろそろくたびれかけていました。2005年の地震が実は宮城県沖地震で、すると今後40年起こらないのではないかとも思いかけていた頃で、それでは続かないと思っていた矢先でした。もし何も起こっていなければ、そんな葛藤もきっとあっただろうと思います。
― いろいろな側面で地球を相手にする難しさを改めて感じます。
新しい観測や解析の技術は、どんな可能性を秘めているか
― 東北地方太平洋沖地震を契機に、海底地殻変動観測の重要性が世界的に認知され、技術開発が加速したお話にもあったように、今後も技術の進展による新たな展開が期待されますね。新しい観測や解析の技術は、どのような可能性を秘めていると思いますか?
海底の光ファイバー網が地震計に
まず地震観測について、最近、非常に注目されているのが、海底に設置された通信用の光ファイバーを地震計に利用しようという研究です。光ファイバーのケーブルがねじれたりむきを変えたりすると、光の進行に微小な散乱が生じますので、それを精密に測ることで、それが起こった場所を同時に、つまり連続的に調べることができます。特に海域では地震計の数を稼げないことが私たちにとってのデメリットですので、このような新手法が現在の地震計を補うことで、地震現象や地下構造の理解に大変有効と思いますし、場合によっては地殻変動の測定に使える可能性もあるので、非常に期待しています。
データサイエンスが地球の見方を変える
これまで私たちが取り溜めてきたデータもそうですし、今後、観測データが圧倒的に増えていくと、人間だけで解析するには限界があります。今は、大量のデータを効率的に解析し、その中から未知の現象を見出す機械学習や深層学習等の技術が革新的に進んでいる時代で、様々な分野でデータサイエンスが広がっています。古いデータも、確かに量は少ないですが、今流の見方をすることで情報量や見方が変わるかもしれません。データサイエンスが、地球を見る私たちの見方を変えてくれると、私たち観測屋も大きく期待しています。
― もし、光ファイバー網を利用した地震計等の発展により十分必要な観測網が構築され、大量の観測データも満足に処理できるだけの解析技術が発達したとすると、どうなると思いますか?
天気予報のような地震予報
一番簡単な例は、今の天気予報と同じことが、地震についてもできるようになるでしょう。3次元的にデータを取り、それをシミュレーションで回して未来を予測し、その未来予測とデータがもし違えば直して精度を高めていくことと同じことが地震でもできるようになる、ということです。例えば、「この場所の断層がずるずる動き始めています」とか「この場所が固着している状態が何年続いています」というように、たくさんすべっている場所とあまりすべっていない場所の気圧配置図のようなものが年々動く様子が見えるイメージですね。
― 天気も「予報」であって「予知」ではありませんが、そもそも地震予知は可能でしょうか?
地震予知ではなく中長期予報
本当に地震予知ができるかと言うと、それは無理だと思うのです。現在の天気予報でも、例えば、台風の進路や降水量の予測等は随分できるようになりましたが、いつどこで台風が生まれるかは予知できません。それと同様に、地震が本当にここで起こると、ピンポイントに予知することは難しいです。ただ、ひずみが溜まっている場所で地震が起これば巨大地震になりますし、もしひずみが溜まっていないことを知っていたら、そこで地震が起こってもあまり大きな地震は起こらないはずですよね。そのような評価につながっていくのではと思います。ですから、予知ではなく地震予報、しかも中長期予報になりますが、現在の「今後何十年以内に地震が発生する確率」という大雑把な話に、観測事実と地震学の知見が組み合わさった予測ができるようになると思います。もちろん、現段階でもそういうことをやりたいと私たちは思っているのですが、今はまだデータが非常に少ないのが現状です。
― 現在の地震発生確率の長期予測は、古文書など、これまでの文献を基にしていますね。先日、仙台市科学館からの依頼で、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの展示解説を作成した時、地震現象に対する一般からの誤解をクイズ形式でときほぐすコンセプトで企画し、この古文書ベースで地震の長期予測を行っていることもクイズに入れました。実を言いますと、日野さんが仰っている「観測事実と地震学の知見が組み合わさった予測」は、もう実用化されているだろうと勝手にイメージしていたので、少し意外に思ったのです。「それくらい科学は進んでいるもの」という無意識の期待があったのかもしれません。
予測は科学者のミッションであり夢
そうですね。天気予報がなくとも、毎年梅雨が来ることを私たちは経験的に知っているのと同様に、昔起こった地震の規模といつ起こったかの間隔で、なんとなく規則性があることは知っていて、その理由を科学が説明できるようになった、ということです。現在の地震の長期予測はまだそれくらいの段階なので、もう一歩進めたいと思っています。まず一科学者として、自分が持っているセオリーで、自然科学がこれから起こることを予測できることは、夢ですよね。それで人が亡くなるのは困りますし、地震予知の可能性に対しては色々な意見があると思いますが、私たちの科学を突き詰めていくドライビングフォースは予測できるようにすることだと思います。
自然が好きな人が増えることが、日本を豊かにする
― 研究者が知的好奇心をドライビングフォースに研究をしていることは他の学術分野と変わりはないですが、一方で地震学が他の分野と比べて特殊だといつも感じるのは、地震には防災の観点もあるので、一般社会からは、地震予知を含めた強い期待がありますよね。研究者のモチベーションと一般社会からの期待に、ある種のギャップを感じるのですが、日野さんはそのことについてどのようにお考えですか?中には一般の方にとってイメージが湧かないために興味を持ってもらうことすら難しい研究分野もある中、それくらい地震は特に日本人にとって身近な存在なことの裏返しであるとは思うのですが、例えば、同じ自然科学でも天文学とはまた違うと感じます。
夢のベクトルが揃っている時は、科学者も一般の方もとてもハッピーですよね。ですから、はやぶさ2が帰ってきて、それで太陽系の起源がわかります、「わかったから何になるの?」とは誰も言わないじゃないですか、皆わくわくするわけですよね。科学者も同様にワクワクしていて、そのワクワクしている人たちに「こんなことがわかった」と言ってあげることができるのですから、それはすごくハッピーな関係だと思うのです。
一方で私たちの場合は、「地震のことがこれだけわかりました」が一般の人たちにとってのゴールにはならず、「それで、私たちの社会はどうなるの?」に答える必要があるわけで、そこがなかなか合わないわけですよね。ですから、そこは自然科学者だけで立ち向かう問題ではなく、人の心や社会のあり方を研究する人たちと連携して進めていくべきと思います。とはいえども、ワクワクして地震を研究する人が一定数いない限り、科学は進歩しません。地球のしくみが知りたい、なぜ地震が起こるか知りたい、そんな人が増えてほしいと願っています。
皆、本当はワクワクする心を持っていると思いますが、生活の中でその優先順位が下がるのだと思います。同じ地震という対象に興味を持っていても、私たち研究者の優先順位と、一般の方たちの優先順位が異なることが、議論がうまくかみ合わない原因かもしれません。ただ、地震や津波がなぜ起こるかを肌で理解していれば、別に脅さなくとも、地震や津波にどう備えるかは自然に考えてくれますよね。ですから、「これが来るから、こうしなさい」というマニュアル的な防災・減災ではなく、皆が「こうなることが当たり前」だと理解し、自発的に動けるようになるのが理想だと思います。それが本当に理想だとすれば、自然科学がお手伝いできることはいっぱいあると思います。
― 最後に、若い世代へのメッセージをお願いします。
やっぱり、自然を好きになってほしいです。まず自然に対して興味を持ち、目の前で起こっている自然現象が、なぜそうなっているのだろう?と、しくみに目をむけてほしいです。それが、すべての知的好奇心の源泉だと思うのです。その対象は、何でもよいと思いますし、地震学者が増えればよいとか、私はそういうことは思っていませんが、自然が好き、地球が好き、なんか気になるという人が増えることが、結果的に、この日本を豊かにしてくれると思うのです。そのような素養を持つ若い人たちが増えてほしいですし、そんな若い人たちを応援できるような社会をつくりたいと思います。
― 日野さん、ありがとうございました。